381. 現代の課題と統一協会(続き)

 【2025年2月26日配信】       






親友ヨッチにささげる手記         

-最期まで友情を信じて-      



          石川県河北郡津幡町      

          書店員 22歳  酒井 由記子

 人は、どんな人と巡り合うか、どんな本

と出会うかによって人生が決まってくると、

ある作家が述べていたのをふと思い出す。

私にとってはまさにそうであった。出会っ

た人達も書物もとても大きな影響を残し、

忘れられない出来事となっていったのであ

る。


 一、高校生の頃

 今から六年前(1977年)、私は金沢

二水高校の二年生であった。いや二年生と

いうより吹奏楽部生というほうが適切であ

るほど私は部活動に情熱を注ぎ込んでいた。

みんなでマラソン、腹筋運動をしてからだ

を鍛えあげ、各パートごとでロングトーン

をして基礎固めをなして、全員そろって校

舎中いっぱいに響きわたるハーモニーを歌

いあげる。それは、先輩、後輩、仲間達の

一致によって一つの音楽をつくり出すとい

う喜びを存分に味わった私の青春時代の真

っ盛りであった。ただ残念なことは、部活

動に熱中すればするほど勉強のほうはさっ

ぱり力がはいらなかったことである。中学

生のときは、「進学校にはいるために」と

いうただそれだけの目的で受験勉強ができ

た。しかし、いざ高校にはいってみると、

また「いい大学にはいるために」と先生方

が口をすっぱくして押しまくる文句に素直

になれなかった。勉強する本当の意味が見

出せなかったのである。その頃から、私は

人間は何のために生きるのだろうかという

ことまで突っ込んで考えるようになってい

った。


 父母が書店を経営しているため本は充分

にあり、書物を読むことによって答えを見

出そうとした。私の強い求めに応じるかの

ように一冊の本が転がり込んできた。クリ

スチャン作家である三浦綾子さんの『あさ

っての風』という随筆集であった。聖書の

言葉がそこに登場しており、それはズシリ

と心に響いたのである。その本に魅せられ

て三浦さんの自叙伝も何冊か読み進めてい

った。しだいに私の魂は、人間をはるかに

越えた大いなる存在があることを感じてい

った。確信までは至らなかったけれども、

それらの本によって金沢のプロテスタント

の教会に足を運び、牧師さんのお話を聞く

ようにもなっていった。


 週に一度は教会に通うようになったもの

の、様々な人間関係の渦の中で悩みは尽き

なかった。先生の授業の仕方に矛盾を感じ

たり、また、クラスメイトの他人に対して

無関心でありながら陰で悪口を言う姿勢に

むなしさを覚え、さらには自分自身の内面

の罪に苦しんだ。教会で話されるキリスト

の教えが戒めとなり慰めになりはしたが、

現実の問題を具体的にどう対処していった

らよいかわからなかった。


 二、統一協会との出会い

 その年の十二月一日のことである。師走

にはいり、金沢の片町の夕暮れ時は、車の

騒音と帰りを急ぐ人達でいちだんとせわし

ないものであった。私は部活動を終えてか

らの帰り道、行きかう人にぶつかりそうに

なりながら歩いていた。


「アンケートにお答えください。ちょっと

の時間でいいですからお願いします」


 だれかから呼びとめられた。最初は避け

ようと思ったものの、その人のさわやかな

笑顔にひきずられて私は立ち止まった。そ

の時はまだ知るよしもなかった。これが、

後に自分の人生の軌道を思いもよらぬ方向

へと変えていった統一協会との出会いの始

まりであることに。


「今、幸せですか? どんなことに関心が

ありますか?」

 と、質問してくる清純なその人は、金沢

大学の女学生であった。私は、真剣で生き

生きしている彼女の雰囲気に、しだいにの

み込まれていった。そして、この人は私の

持っていない「何か」を持っていると感じ

ていった。


 この金大生は、その統一協会に属してい

て、『原理研究会』という別名のグループ

のもとで、大学で活動している女性であっ

た。私は次の日にそのお姉さんが誘う原理

研究会の寮『成愛寮』に行くことを約束し

た。


 ところで、高校の同じクラスに、ヨッチ

という友人がいて、実は彼女も中学生の時

からその成愛寮に通っていて、前から私に

誘いの声をかけてくれていたのだった。不

思議な摂理めいたものを感じつつ、翌日、

興奮さめやらぬ思いでヨッチに案内しても

らった。


 緊張している私に、そこの学生達は、優

しくて親切にしてくれるのであった。


 その時の私は「人間を見る・把える」と

いう智慧が養われていなかった。それは、

その人の成長に従って身についてくるもの

であり、社会に生きていくうえで大切なこ

とである。勉学とは、人間の知性・知能を

伸ばし、精神を高め、心を豊かにしていく

うえで、基盤となるものなのであろう。未

熟であった当時の私は、人を表面的にしか

わからなかったのである。


 やがて高校三年に進級し、ヨッチとまた

同じクラスになった。ところがその頃は、

親にも友人達にもその原理研究会に行くこ

とを反対され、ヨッチとつき合うことさえ

もいい顔をされなかった。私の通っていた

教会の牧師さんにも次のように教えられ、

反対もされた。


 統一協会、その正式名称は『世界基督教

統一神霊協会』といい、文鮮明なる人物を

教祖として1954年5月1日に韓国ソウ

ル市にて発足した団体で、その創始者であ

る文氏は、元々は、金百文という韓国の「

イスラエル修道院派」を主宰する人物の弟

子であった。それは、別名血分け派とも呼

ばれる混淫派の一つで、聖なる意識のこも

ったセックスによって人を救う「精神神学」

なるものである。日本には1958年に西

川勝宣教師によって布教が開始され、19

59年に東京の渋谷に本部が創立された。

日本では、現在、二十六、七万人の信徒が

いるという。また、アメリカ、ヨーロッパ、

アフリカ、南米、オーストラリアにまで及

んでいる。政治面では、『国際勝共連合』

という別名のもとに激しい反共活動を展開

している。この著しい発展の陰には、信徒

達の昼夜を問わない伝道、経済活動がある。

パンの耳をかじりながら、チリ紙交換や廃

品回収等の活動から始めていき、繁華街で

花束を売り、今日では、珍味、昆布、人参

茶から印鑑、大理石の壺、多宝塔など何十

万、何百万もする高額な商品の訪問販売に

広がり、その総収益は計りしれない。何千

組という信徒を教祖・文鮮明氏は、一挙に

組み合わせて幾日も経たないうちに合同結

婚式を挙行するという、世間の人々の目を

見張る動きまでしている。それらは世界中

に大きな波紋を呼んでいるという。


 以上のようなことなどを、その牧師さん

から詳しく聞かされ、私は、愕然となって

しまった。そしてヨッチにこのことを正し

た。しかし、統一協会員である彼女は、少

しも動揺することなく、むしろ根気よく私

を説得してきたのである。


「私達の協会が血分けの思想の協会である

とか言われているのは知っているわ。でも、

それが本当であったら私はやめているわ。

お父様(文氏のこと)の目を見たら、そん

なことをする方かどうかがすぐわかるわよ。

また、政治運動のことだけど、この乱れた

社会を改善するには、宗教だけではもうで

きないの。科学、文化、政治などのあらゆ

る分野から取り組まなきゃならないのよ。

世間では色々と批判されているけど、それ

で判断するのではなく神様に聞いてみたら

いいのよ。由記ちゃんに教えてくれたその

牧師さんの言うことを信じるか、私の言っ

ていることを信じるか、これは難しいけど、

祈って神様に聞いてみてね」


 「信じる」ということはどういうことで

あろうか。私はみんなの板ばさみになって

しまい、頭をかかえ込んでしまった。悩ん

だ末、取った結論は結局こうであった。今

は、いったいだれが正しいか、何が本当な

のかわからないから、容易に統一協会にも

はいるまい。これからよく勉強し、研究し

ていくうえで、それでも統一協会が正しい

と判断できたら、はいるのはその時でも遅

くはないであろう、と思ったのである。


 三、友情というかけ橋

 ところが思いに反して、私のそばには絶

えずヨッチがいたので、結局統一協会員で

ある彼女が、他のだれよりも親しくなって

いった。彼女の場合、先に母親のほうが入

信していたのである。父親も賛成しており、

いわば家族ぐるみで信仰を持っているので

あった。彼女としては、心から統一協会が

正しいと信じていたので、親友である私を

導かずにはおれなかったのであろう。


 私にとって三年最後の思い出の吹奏楽コ

ンクールがあったが、それを見に来てくれ

たのも彼女。そして力一杯拍手してくれた

のも彼女であった。夏休みに、ただそんな

ヨッチの姿見たさ、顔見たさに雨の中彼女

の家まで自転車をこいでいった私。共に図

書館に通ったり、受験勉強の息抜きに海を

見に行き、小舟の陰でずっと水平線を見つ

めていたヨッチと私。しんしんと雪の降り

しきる夕闇の中を、肩を並べて下校してい

く私達。目を閉じればあの遠い高校3年生

の時のことがすぐに思い浮かぶ。彼女のひ

たむきな友情は、私を理屈なしに統一協会

へと導く大きな要因となっていった。


 翌春、ヨッチは明治学院大学に、私は日

本大学に受かり、それぞれ東京へ、静岡の

三島へと新しい出発を踏み出していった。


 親元から離れて、私は統一協会へ自由に

通うようになれた。全国大学原理研究会太

田会長の講演会をはじめ、埼玉県での修練

会、東京の秋川での内部修練会、品川の協

会に泊まり込みで原理を学び、講義練習、

駅前での路傍演説、パンフレット配り、夜

の訪問伝道……。私をこうまで駆り立てたの

は、あらゆる批判を乗り越えて立つ統一原

理の素晴らしさであった。私は、理路整然

として疑う余地のないと思われるような論

理に、最終的に圧倒されてしまった。


 夏休みにはいると、ヨッチのほうは、原

理研究会の兄弟姉妹とキャラバンカーに乗

り込んで、東北の田舎へ「経済部隊」とし

て派遣されていった。カンカン照りの中、

町々村々をてくてくと歩き回り、物を売っ

て統一協会の資金にするのである。名目は、

「交通遺児のために」「ベトナム難民のた

めに」などの売口上をつくったり、あるい

は、「父はガンで死に、母は半身不随。こ

のままでは授業料も払えません」と土下座

する泣き落とし作戦もあり、また、手相・

人相を占い、「この印鑑を授かれば(買え

ば)、あなたの運は開かれますよ」と言っ

て、幸福を願う人の心を利用するやり方ま

で繰り広げられていく。


 活動に邁進するきょうだい達は、何の罪

の意識も感じないのである。私も協会に深

くはいっていくうちに、いつのまにかそう

なってしまった。「国の法を守らなくても、

統一協会は真のキリスト教であるから神様

も許してくださるのです」とアベル(統一

協会用語で上司の人)の言う言葉に従順で

あることが、信仰的と見なされるのであっ

た。 


 四、家族との衝突

 夏休みの後半、琵琶湖のほとりで開かれ

る二十一日間の修練会に参加する直前に郷

里へ帰省した時に、とうとう、それまでひ

た隠しにしてきたことすべてが、家族に知

られてしまった。そして、激しい衝突とな

ってしまった。親戚の人達も友人達も大反

対をし、次々に私を説得に来るのである。


「地上天国の実現なんて、正気で信じてい

るの? 親、友達を心配させておいて世界

を平和にすることなんてできるはずがない。

周りの人を不幸にしてそれが宗教なの? 

政治と結びつくのもおかしいわよ。集団結

婚なんてする気? 考えただけでゾッとす

るわ」「宗教はアヘンと同じだ。これは隔

離しなくちゃいかん。精神病院へ入れてし

まえ」「由記ちゃんの目、さかなの死んだ

目じゃないか!」「かわいそうに、やっか

いな病にかかって」


 だれに何と言われても、かえって ”この

人達を救うためにも統一協会で活動しなけ

ればならない” と使命に燃えるのである。


「お願いします。修練会にいかせて!」

 頼むたびに、父と母は、「どうしてわか

らないのか!」とまゆをつり上げて、私の

ほおをたたき、蹴とばしてくるのである。

悲鳴が近所に聞こえないようにと家中の窓

を締め切ってから、父は平手打ちをしてく

る。母は、「あんたを殺して、私も死ぬ」

と泣きわめく。なぐられた翌日は、あざが

からだ中に残ってしまう。

 親は大学も休学にさせ、徹底的に私にわ

からせようとした。父は、「おまえを統一

協会から救うためには、全財産を使ってで

もやっていくぞ。おまえだけでなく、たく

さんの子供達も助けてみせる。いざとなっ

たら文鮮明にも会いにいくぞ」とまで言っ

た。

 店の従業員の人達にも恥をさらけ出して、

「娘を悟らせるために当分仕事のほうは身

がはいらなくなるが申し訳ない。みんなに

も協力してほしい」と、お願いしたという。

 私の友人宅にも両親はふたりででかけて

行き、「もし、うちの娘が伝道しに来ても

誘われないでください。そして、お金を貸

してほしいと頼みに来ても、一切断わって

ください」と予防線を張ったのであった。


 そして大事な原理の書物も、文氏の写真

も、統一協会のきょうだい達からの手紙も

すべて取りあげられてしまった。監禁状態

の中で、窓の外でしきりに鳴くひぐらしの

声が、私に秋の訪れを告げてくれた。幾日、

幾週間が過ぎても状況は少しも変化しなか

った。腰の丸くなった祖母と受験を控えた

中学生の妹の心配そうな目は、声に出さず

とも、「お姉ちゃん、早くわかって!」と

叫んでいた。


 行き場のない思いに耐えかねて、家出を

計画して東京の統一協会をめざして夜汽車

に揺られて行ったこともあった。保護して

くれた統一協会の兄弟姉妹達は、私の後を

追ってすぐに飛行機で迎えに来た父と叔父

に、「酒井さんは来ていませんよ。琵琶湖

の修練所のほうに行ったんじゃないですか」

とウソを言って、かくまってくれた。それ

を信じるしかなかった父達は、すぐそばに

私がいるのも知らないで羽田から小松空港

にもどり、そこから車を走らせて滋賀県に

まで行った。何としても子供を間違った宗

教から救い出したい一念であった。このま

まだと大変な結末を迎えることになるとい

う認識が、父はだれよりも強かったのであ

る。


 3日ばかりして私は自分から家に帰って

行った。親を理解させたうえでなければよ

くないと反省したからであった。しかし、

事は容易に運ばなかった。戦いの日々が続

いた。絶えず、親、従業員の人達の監視の

中で、店の手伝いをして精一杯働いた。外

に出ることは一切禁じられて、小遣銭も与

えられない。地上を歩けない私は、こっそ

り屋根に上り、頭上に広がった青空に向か

って聖歌を歌い祈ったりしたのであった。

アメリカにいる文先生夫妻に、

「真のお父様、お母様、どうか私の家族が

原理を賛成してくれますように」

 と切に祈った。何ヶ月もの間、そこから

見おろす夕焼けが私にとって唯一の友であ

った。


 父は、夜遅くまで本を調べ、宗教書を何

十冊もこれまでになく研究していった。そ

して腰を低くして色々な人のところに相談

に行き、アドバイスをいただいたりしてい

た。

「どうしてカンパ活動がいけないのや。神

様のためであれば許されるのや」

 と、私がわけのわからないことを言えば、

倒れるくらいにほおをたたいてきた。顔が

はれるくらいに痛かったが、父の手も同じ

痛みを覚えていることはわかっていた。


 統一協会にはいったために善悪の判断が

できなくなった私を正常に戻そうという一

貫した姿勢を、父は決して崩さなかった。

厳しいだけの父かと思ったら、私が三島か

ら品川の統一協会までキセル(不正乗車)

をして往復していたことを知った時、父は

頭をたれて、膝の上の置かれた握りこぶし

の上に涙をポタポタと落とすのであった。

それを見て、そんなに父が泣くほど大変な

ことなのかと驚いたものであった。初めて

出会った父の姿から、これは私のしている

ことは統一協会の中で許されても、社会か

らは絶対に許されるものでないことを教え

られた。


 いつ再び家出するかわからない私に不安

を抱いて、夜中じゅう、冷たい廊下にゴザ

を敷いて私に悟られないように見張りを続

けていたという母。人知れず肩を震わせて

こぼしていた母の涙は、父と同じく本物の

愛であった。私はしだいに自分の親にはか

なわないと思っていった。いったん信念を

持ったら最後までくつがえさない父の姿勢

に、私は「ガンコもの」とつぶやきながら

も、たちうちできないものを感じざるをえ

なかった。「信用」「信頼」をモットーに

している親に、原理の教えは通じないもの

であることがわかっていった。そして、自

分は原理を受け入れることができたが、こ

の親に納得してもらうことはおろか、黙認

してもらうことも到底できないのだと心の

奥でよくわかっていた。


 でも、「ガンコもの」の親に似て私も「

意地っぱり」であった。最後の一線だけは

どうしても譲れなかった。6千年間にわた

る神様の摂理、歴史的同時性を含めて霊の

世界の存在を説く統一協会の教えが、全く

でたらめとは思えなかった。文氏の生い立

ち、六十歳に至るまでの苦難の路程、統一

協会の活躍ぶり、兄弟姉妹達の真摯な姿な

ども否定することは無理であった。


 五、一つの選択

 父と母は、ワラをもつかむ思いで東京の

ある牧師さんにすがりついていった。その

方は、当時、セブンスデー・アドベンチス

ト教会の四谷教会と墨東集会所を掛け持ち

で牧していらした和賀真也牧師であった。

この牧師さんは、何年も前から統一協会の

ことを知り、キリスト教とは似ても似つか

ぬ偽りで固めた教えその結果、全国にお

いてあまりに犠牲者が多く生まれているこ

とに心を痛め、身を乗り出していかれた方

であった。


 和賀牧師は、統一協会員達の持っている、

そのバイタリティー、献身、勇気、親切な

どを美しい価値あるものと見なし、真珠の

ような青年達の魂を心から愛し、単なる反

対・糾弾ではなく、その核となっている教

えの真偽を問い、会員たちを救出しておら

れるのである。そうした信念の行動の中か

ら、『統一協会その行動と論理』と題し

た書物まで書いておられた。


 父の取り図らいによって、一九七九年十

一月六日の夕方四時に、津幡町のわが家の

二階において、その方と初めて出会うこと

になったのである。私の心境を深く受けと

めて柔和に話される和賀先生の態度に、い

つの間にか、こわばっていた私の筋肉がス

ーッとほぐされていくのであった。共にい

らしたTさん(男性)も、会ったこともな

い見ず知らずの私のことが他人事とは思え

ない様子で、私に語りかけてくださった。

Tさんは、なんと七年間も統一協会で献身

し、アメリカに在住している文氏のもとで

生活されたこともある方であった。そうい

う方まで統一協会をやめていること、また、

和賀先生の提示される多くの統一協会の隠

された資料も、無視できないものばかりで

あった。


「由記子さん。あなたの人生は、ご自分で

選択なさることです。ただ一つだけ言って

おきたいのは、真実を見るということを避

けるのは、真理を探求する姿勢ではないと

思います。信仰は聞くことから始まります。

どんなにつらくても事実を事実として受け

とめることが大切だと思います」


 和賀先生の語る言葉には、落ち着いた響

きがあった。私は迷わず、東京に一緒に行

って確かめてみようと決心をした。この時、

この選択を取らなかったならば、今頃私は、

全く別の人生を歩んでいたことであろう。


 東京の原宿にあった、和賀先生のご家庭

にお世話になりながら、約二週間の学びを

深めていくうちに大事なことに気づかされ

ていった。原理の教えと聖書との間に大き

な食い違いがあることを目のあたりに示さ

れ、多くのきょうだい達がそれに気づいて

脱会していった事実。しかも彼らがしっか

りと生き、かつ働いていること。さらに驚

くべき秘密の儀式のことなどを示す生の資

料を見た時、ただ絶句するばかりであった。

大きな衝撃であった。不安定な心理状態の

日々の中で、自分の手で聖書を開き、自分

の目で聖句を追い、自分の頭で一つ一つを

確かめていくうちに、最後には、統一協会

をやめるという堅い決心をついに下したの

である。自分の過ちを認めることの何と苦

しかったこと。しかし、「聖書との本当の

出会い」が、ここにあったのである。


 両親の前で心から謝った時、「わかって

くれれば、それでいいんや」と、静かに語

った父の言葉は、今も忘れることができな

い。こんなにも親を苦しめてきた私を許し

てくれたそれは、親の寛容さであり、大

きな愛であった。

 

 六、エクレシア会誕生

 勇気と使命と真実に生まれ変わった思い

で、今度は、私は、友の救出のために全身

全霊を傾けるようになっていった。そんな

歩みの中でも特に、脱会する時に新たに知

った統一協会の素顔は、今でも克明に私の

記憶に刻みつけられていて、決して消えな

い。


 統一協会の人達は、泣いてすがりつく私

とヨッチを、否応なしに引き離したのであ

った。このヨッチとの別離は、私にとって、

自分のからだの一部をもぎとられたような

深い傷となってずっと心に残っている。


 私は、自分の体験が単に個人的な体験と

して終わってはいけないと思えてならなか

った。ましてや、今も原理を正しいと純粋

に信じて、汗を流し、寒さにこごえながら、

嘲笑、罵声の中で黙々と歩んで活動してい

る友のことを思うと、胸がしめつけられそ

うになる。どうして放っておけようか。父

と母が最後まであきらめずに私を愛しぬい

たように、私も友に対して真実でありたい。


 私は、ただひたすらペンを執り続けた。

自らもキリスト者となり、東京で和賀先生

のお手伝いをし、『統一協会その行動と

論理』に続く二冊目の本を生み出すため、

共に不自由な環境の中で、辛抱強く自分の

これまでの体験を書き続けていった。


 冷たいからっ風に吹かれながら、代々木

公園のベンチで書き、揺れる電車の中でも

時間を惜しんでペンを走らせた。「書く」

ということは、孤独で、しかも忍耐を要す

る作業であった。手が冷たくなると、共に

静かにただペンを走らせていた和賀先生と、

フリスビーを飛ばしたり、先生の幼いお子

さん達と走ったりするのがストーブ替わり

であった。からだが暖まるとまたペンを握

りしめる。ヨッチとの別れ、統一協会との

訣別で、公園にポツンと葉をすっかり落と

して立っている木のような私にとって、東

京の雪のない冬は、北陸の美しい冬よりも

寒々と感じられた。


「くたびれたね」

「そうですね」

 夕陽の傾いた頃、自転車に原稿用紙を積

んで帰る時、そうひとこと言うだけでわか

り合えるものがあった。無邪気な子供達と

手を引く和賀先生の姿は、私の心を少しず

つなごませていった。春は手を伸ばせば、

すぐそこにあった。


 そして、一年後の一九八一年一月十五日

に、私達の長い苦労の末、『統一協会と文

鮮明 青年達の心理を探る』(新教出版

社発行)という本になって出版された。ペ

ンの足跡は、人生の足跡となるのである。

十八歳から十九歳にかけての人生を濃縮し

たような生き方は、私の生涯のひとくぎり

になっていった。


 その後、統一協会脱会者数名の提案によ

って『エクレシア会』という会を結成して

いった。この会は、現実あった実際的な経

験を基に、聖書の真理に目覚め、真のキリ

ストを信じた者として、誤りの中にある人

々を救出し、聖書に堅く立った信仰を伝え

ることを目的としている。


 私達は、文鮮明氏ではなく、自分達を迎

えてくれた真の救い主、イエス・キリスト

を元の仲間達に伝えたいと思い、会報の発

行、定例会の集い、学びと慰めの場を一つ

ずつつくっていった。そして、もう三年も

流れた。現在、定例会は、三十六回目を開

き、数名であった会員は、七百名に達して

いる。『エクレシア会を支える会』も発足

し、この世話人会の中には私の尊敬する作

家、あの三浦綾子さんまでも名を連ねて、

励ましのお言葉を送ってくださっている。


 連日、エクレシア会には全国各地から相

談依頼の電話、訪問が相次ぎ、本の反響が

大きくなる一方である。多くの依頼の中で

本人との出会いが可能となりそうな場合、

その時を好機として生かすよう全力で対応

していく。各地を飛行機で飛び、新幹線で

走り、巡りに巡った。その結果展開された

ひとりひとりの劇的な改心に導かれていく

様は、貴重なドラマであり、奇蹟であると

いってもよい。


 なかでも、かつて私のいた品川の協会で

歩んでいた兄弟が、イエス・キリストを信

ずるひとりとして救出されていった出来事

は、感動もひとしおであった。この活動に

携わった私達は、この世に生きて働いてお

られる神様を痛切に実感させられていった。


 この歩みの中で出会っていった人は数限

りない。救出された人が、次々とまた他の

人を救っていく。これらのことが、私の心

の中で、あの高校時代の音楽よりも美しく

高らかに鳴り響いている。


 統一協会をやめる人も多いけれども、い

まだにはいる人も決して少なくない。それ

は、現代の世相を反映している結果だと思

えてならない。この北陸の地においても、

統一協会の青年達が、一途に活動を続けて

いる。この問題はまだ終わっていないので

ある。


 親友ヨッチとは数年間ずっと会えない状

態が続いたが、今年の三月に、突然彼女か

ら電話があった。私は弾むような喜びとな

つかしさで胸をいっぱいにして彼女と会っ

た。だが実は、彼女は統一協会の上司の人

を連れて来て、私を再び統一協会へ戻そう

としたのであった。


 私は、ヨッチとふたりだけで、高校時代

のように何でも自由に思う存分語り合いた

かった。その思いは、今も決して変わらな

い。ヨッチと別れた後、私は残念な思いに

耐えきれず、涙もふかずに泣きながら、家

へ帰った。友情の壊されるのは何と悲しい

ことだろうか。何とやりきれないことだろ

うか。


 しかし、いつかヨッチが私の隣にすわり、

天へ続く階段のようなメロディを、一緒に

奏でる日が必ず訪れることを信じている。


 真実のもののみがこの世に残るのである。

人の魂を変えるのは、本物の愛のみである。


       小社発行『北陸の燈』創刊号より




〈後記〉 

 上の記事は当講座 NO.31とNO.32、NO.266

   の記事を再掲したものです。かつNO.266の

 続きです。

 なお、金沢市の会場で行なった小社主催の「

 現の声」座で、和賀真也さんに3回、

 伊藤正孝さん回、統一協会問題等に

 い提言していただました。おふたり同時

 に招いて提言していただいたこともあります。




〈追記〉

 2022 年 8月10日に、日本外国特派員協会

 田中富弘・統一協会会長が記者会見をしたが、

 これはいったいどういう意味の会見なだろ

 うか。会の進め方がおかしいし、司会や特派

 員の質問がゆるすぎる。せっかく会長を登壇

 させたのだから、的を得た本質をつく質問が

 あってしかるべきだ。これでは特派員協会と

 いう「場所」での会見の意味はない。ジャー

 ナリズムが感じられない。

 そんな中でも、田中氏の発言の中で私が注目

 したのは、日本や世界の「共産主義」と対

 するために統一協会が活動しているというく

 だりだ。田中氏の話を聞いていると、同会の

 教義内容は創価学会とかわらない、また、既

 存の神道やキリスト教、仏教教団ともかわり

 ばないものだということだ。日本の各政

 党やマスコミの張・論調、企業倫理とも

 わない。

 田中氏の語る共産主義とは、全体主義やファ

 シズムといってもよい。これを否定し、同会

 は世界連邦主義(ワンワールド)をめざすと

 言っているにすぎない。

 しかしながら、よく考えてみると、世界連邦

 主義の内実は、全体主義・ファシズムあり、

 個人の自由を否定するものであり、田中氏の

 語る共産主義と言ってもよいものである。そ

 こには、この世の中をより良くしたいとか、

 この世に生きる人々の幸福を願うという心底

 からの思いもない。思想の謙虚さもない。人

 間の自然な感情の発露も許されない。

 ということは、同会は共産主義を否定し、

 れとたたかいながら、共産主義をおしひろめ

 ているという矛盾をかかげる主張をし、かつ

 行なっているのである。つまり、統一協会の

 目指すところは共産主義の世界ということ

 なる。

 京都学派の創始者・西田幾多郎は、絶対

 の自己同一なる世界を唱えたが、統一協会は、

 ひょっとして西田哲学の影響を受けるの

 かもしれない。         (編集人)









当講座記事NO.266からの続き

266 混迷する現代と統一協会



2025.2.18 佐藤章さん
異様な精神体系のフジ日枝体制
統一協会=産経新聞=フジテレビ=日枝久
=安倍晋三=安倍晋太郎=岸信介=文鮮明
=合同結婚式広告=国葬司会フジ女性アナ

1992.8.12 産経新聞掲載意見広告
第15回日本レコード大賞最優秀新人賞曲

愚劣な人間性と社会性の有り様。第三者委員会の
賢明な判断とまともなフジ社員による改革を待つ。





2025.2.19 木偶乃坊写楽斎さん撮影
きょうの雪景 氷見海岸





2025.2.19 kyouseiさん
当講座記事NO.319から





2025.2.19 毎日新聞
世間を騙す隠された二馬力選挙
兵庫県知事選に立候補した清水貴之氏(維新所属)は、
立花孝志氏を利用し高度な選挙術を画策、編み出して、
この知事選を実行したのではないだろうか。すなわち、
清水氏獲得見込み票の半数以上を斎藤元彦氏に回した。
清水貴之氏の得票数
2013年参院選 598,630票(当選)
2019年参院選 573,427票(当選)
2024年知事選 258,388票(落選)
兵庫県知事選得票数
斎藤元彦 1,113,911票(45.2%)
稲村和美  976,637票(39.6%)
清水貴之  258,388票(10.5%)
立花孝志    19,180票(0.8%)
以上の結果から見ると、この選挙は立花氏の出馬とは
実質全く関係も影響もなく、維新が立花氏を利用して
仕掛けたS&S潜航艇二馬力選挙だったのではないか。
立花氏ははじめから単なる当て馬だったのではないか。
立花氏はこのことに気づいておらず、斎藤氏の当選は、
立花氏自身の手柄のように思っているように思われる。
                 (当講座編集人)
当講座記事NO.373、376から
2024.12.15
  群を抜く心込めた折田楓氏製作の選挙ポスター
      立花孝志氏は当初複数人のN国候補者擁立公表

立花孝志氏は二馬力どころか数馬力選挙を画策していた。
兵庫県は掲示板追加設置費の賠償を立花氏に請求すべき。
折田楓氏は斎藤元彦氏から仕事の対価を得られず、かつ、
その後の社会的評価や自身の仕事まで奪われている現状。
この責任を斎藤元彦知事はいかに考えているのだろうか。
記者会見でこのことを問う記者がいないのも残念である。
                  (当講座編集人)


維新の横暴に終幕近づく
岸口実「オマエもオレも国会への夢が破れてしまったな。
だけどオマエの名前を出さずにオレはがんばったんだよ」
増山誠「アニキ、重々分かってます。申し訳ありません。
お手数かけました。これから直ぐリハックで自白します」
岸口実「オレもオマエも維新の鉄砲玉だったってことよ。
だけど立花があんな口軽ヤツだったとは。裏切り者めが」
増山誠「わが身可愛さでサツと取り引きしたんでしょう。
だけどヤツももう終わりですよ。お天道様が見てますよ」
二人のデュエット曲
島津亜矢『人生劇場』大正琴          





2025.2.20 佐藤章さん
西広陽子弁護士の見解は当然で、的を得ている。
権力と公益性の論議は継続しなければならない。

2025.2.20 東京新聞
「伊藤氏は人間(じんかん)の信頼を守れ」
足元がすべてを物語っている
2025.2.16 於ロンドン





2025.2.21 佐藤章さん
公職選挙法違反疑惑の石丸伸二に告ぐ
「逃げるなよ!僕の質問に応えろよ!」
期待を裏切る中味からっぽ石丸の姿勢
いったい全体どうなってしまったのか

当講座記事NO.338から
2024.5.28 佐藤章さん
国民の生活重視の政策で無党派層の支持を得れば
当選も可能。佐藤章さんが政策顧問になればよい。
日本全体のことを考える初めての知事候補の出現。
世界全体のことも考える初めての知事であられん。





2025.2.21 木偶乃坊写楽斎さん撮影、氷見海岸
「降りしきる雪のなかサーフィンを楽しむ」
「それを撮っている者がいるとは」などと
 ご本人たちはうれしそうに語っているが
 仲良し姉妹

2025.2.22 kyouseiさん
当講座記事NO.319から





2025.2.22 佐藤章さん
維新の組織ぐるみの不正選挙であった。
斎藤元彦、増山誠、岸口実、白井孝明、
立花孝志各氏の政治家としての在り方、
資質、責任、社会倫理、人間性を問う。

森奥戦争の残滓
維新は兵庫県知事選挙で斎藤元彦前知事をどうしても
当選させたくて立花孝志氏にニセ情報を渡し拡散させ、
さらに維新所属参議院議員の清水貴之氏を同知事選に
カモフラージュ立候補させて清水氏の獲得見込み票を
斎藤氏に回した。
このような選挙戦術を指し図したのは森喜朗元総理で
あると私は見ている。それは私がこれまで石川県内で
行われた数々の市町村長・議会議員選挙等を見聞した
経験からモリモリ戦術(森茂喜根上町長・森喜朗親子
が編み出した作戦)と勝手に名づけているものである。
また、この兵庫県知事選挙でも森奥戦争(森喜朗氏と
奥田敬和氏の勢力争い)の影や残滓を感じるのである。
大阪万博の利権など維新にとってどうしても斎藤氏に
知事になってもらわなければ困る選挙だったのである。
                 (当講座編集人)





「オレたちだけが何で濡れ衣着なきゃならないんだ」
 左から増山誠、岸口実、白井孝明各氏肉弾三兄弟
 日本の政治・社会・人倫を歪める非情非論理発言 
「維新は兵庫県知事選で本来ならば清水貴之候補を
 応援しなければならない立場なのになぜ貴方達は
 斎藤元彦候補を応援したのか」という質問は出ず。
 維新はこの会見に偽記者を会場に入れ発言させた。

 左から東徹、岩谷良平、金子道仁各氏若頭若頭補佐
「三人も身代わり差し出しましたからお手柔らかく」
 東徹氏は一言も発せず。「岸口たち、許してくれ」

「知事選中、三県議が他党の立花孝志氏に情報遺漏
 提供したのは貴党の要請、指示、意向だったのか」
「知事選で三県議が清水貴之氏でなく斎藤元彦氏を
 応援したのは貴党の要請、指示、意向だったのか」
「知事選中、情報遺漏提供三県議の増山誠氏が終始
 一貫して斎藤元彦氏を応援していた事実説明せよ」
 という質疑応答はなし。維新女性議員出席もなし。





悲しきコマ
この人物の精神構造はいったいどうなっているのか
マインドコントロールで人を死に追い込む術を熟知
          日本が世界に誇る楽器
          タイプライタから考案





この集会に賛同はするが、登壇発言者の意見に
すべて賛同するものではない。(当講座編集人)

〈小社推薦図書〉

プラトン著『パイドロス』
{藤沢令夫訳、岩波文庫、1967)

当講座記事NO.348から
「言葉」とはなにか
過去を呼び覚ます記憶、精神の力
「知性」は「勇気」の下僕である
本を書かなかったソクラテスの意。
文字なき世の人々の心を読む宣長。
『パイドロス』心を開いて通わせ
対話する。生きた智慧が飛び交う。





2024.2.24・25 kyouseiさん
当講座記事NO.319から

note、obakeweb

 S.K.ランガー著
『シンボルの哲学』
(岩波文庫、2020)
 S.K.ランガー著
『芸術とは何か』
(岩波新書、1967)






2025.2.25 佐藤章さん、特ダネ
2024年11月1日にホテルオークラ神戸の一室で
密会したのは立花孝志氏、宮城そういち四街道
市議、岸口実氏、朝比奈秀典氏(斎藤元彦氏の
選挙参謀)だった。宮城氏は立花氏の付き添い、
岸口氏は朝比奈氏から単に誘われただけだった。
朝比奈氏は兵庫9区選出衆議の西村康稔氏(現
無所属、元自民党清和会、森喜朗元首相の子分)
代理人として立花氏にデマ情報メモを手渡した。
(メモは岸口氏の手から立花氏に渡されたかも)
立花氏は西村氏と当日、同ホテルで会っている。
兵庫県知事選挙には大きな利権がからんでいる。
この話の続きは近くまた解説するという特ダネ。
この情報が誤りであっても問題の構造は正しい。
登場人物(敬称略)
泉房穂(前明石市長、前選挙参謀・朝比奈秀典)
岸口実(選挙区明石市県議、百条委員会副会長)
朝比奈秀典(明石倫理法人会長、西村会副会長)
西村康稔(衆院議員、選挙区・明石市、洲本市、
南あわじ市、淡路市)
 朝比奈秀典氏Xから





2025.2.25 木偶乃坊写楽斎さん撮影
きょうの立山連峰と富山湾、虻ヶ島
写真の中または右横を左クリックすると拡大できます





2025.2.26 佐藤章さん、追加特ダネ
斎藤元彦知事の背後関係が鍵
斎藤知事を取り巻く政治家たちの思惑と裏事情





2025.2.27 kyouseiさん
当講座記事NO.319から





2025.2.27 ラジオ関西
前近代的状況続く
維新、兵庫県知事選論功行賞者に濡れ衣処分。
岸口らにとっての思いは「党の指示に従った
だけなのに何でオレたちを処分できるんだ」。
兵庫県議会による処分はどうなっているのか。


山川豊『函館本線』ひとり身を引く函館本線
いろんな解釈ができる歌詩





2025.2.27 木偶乃坊写楽斎さん撮影
雪消える 富山県氷見市
 比美乃江公園 向こうに唐島
 大公孫樹 樹齢1344年





2025.2.27 佐藤章さん
この問題で当時の担当課長を自殺に至らしめている。
県内信金をめぐる斎藤元彦知事の不可解な予算執行、
片山安孝副知事や小橋浩一理事の不可解な挙動言動。
百条委員会における増山誠県議の不可解な議事盗聴。
  「ワテもイシンだす。サイトはんもだす」





2025.2.28 木偶乃坊写楽斎さん撮影
夜明け前の阿尾城址 氷見市






2025.2.28 佐藤章さん
こんな前近代政治からオサラバしなければならない

以下参考
当講座記事NO.302から

トマス・ホッブス『リヴァイアサン』

(岩波文庫、1954)

302 真と信に生きた官僚と船頭


当講座記事NO.311、369から

2024.11.18 佐藤章さん
パワハラは公的事柄、不倫は個人的事柄である。
これをイッショクタにして情動を煽る立花孝志
候補は問題であり、「西山事件」を想起させる。
今後、立花は選挙結果に乗じて石丸伸二や斎藤
元彦と合体を画策、情動政治を行う危険がある。
だがそんな動きもまともな市井の声に消滅する。

2024.11.21 佐藤章さん、兵庫県知事選余波
知事選の立花孝志候補の「斎藤元彦候補当選運動」
が、斎藤候補と立花候補の共犯関係であったことが
立証されれば公職選挙法違反となり斎藤知事は失職
することになる。これを指摘した佐藤章さんのXの
ポストに立花氏が佐藤さんを名誉毀損で提訴すると
通知をしたが、この立証も名誉毀損の提訴も極めて
難しいと考える。斎藤知事の当選は、立花氏の当該
選挙への立候補の仕方や選挙中の行為など違法性が
高く、かつ選挙結果に多大な影響を及ぼしたもので
はあるが、それ以上に県民の民意の結果だと考える。
それは県議会の百条委員会の仕方や知事不信任決議、
選挙前のマスコミ報道の仕方と選挙期間中における
マスコミのチェック機能の喪失の影響が大きかった
と考えるからである。民主主義萌芽ーこの知事選を
奇貨として選挙の在り方も見直さなければならない。
                (当講座編集人)

  カール・シュミット著

『憲法論』(みすず書房、2018)

  カール・シュミット著

『独裁』(未来社、1991)

  カール・シュミット著

『政治的なものの概念』

(未来社、1970)

237 当講座登場作家とその作品・書籍紹介





2025.2.28,2025.3.1 kyouseiさん
当講座記事NO.319から





2025.3.1 木偶乃坊写楽斎さん撮影
阿尾城址の日の出

雪解けの朝の大公孫樹 681年植樹





2025.3.1 佐藤章さん、独自情報特ダネ
海賊の砦と化した大阪湾の濁流を元の清流に
万博IRパソナ産廃利権全体構造が見えてきた
斎藤元彦氏が兵庫知事であらねばならない訣
西村康稔代議士、政治生命を賭け必死の奔走
どうしても森喜朗元総理の顔が浮かんで来る
このまま行くとはどうしても考えられないが
  岡松和夫著『海の砦』
  (新潮社、1988)





2025.3.2、3.3、3.4 kyouseiさん
当講座記事NO.319から





2025.3.2 BBC
トランプ「君はまだ戦争を続けたいのかね」
ゼレンスキー「鬼畜米英がやらせたんだよ」
ヴァンス「このオレが決着をつけてやるぞ」
ゼレンスキー「なら直ぐプーチンも呼べよ」
ヴァンス「呼んでやるからここで待ってろ」
トランプ「隣の部屋にプーチンいるんだよ」





2025.3.3 佐藤章さん
 2月25日上記動画発言でのホテルオークラ神戸一室
参集人物は立花孝志氏、宮城そういち氏、岸口実氏、
そして謎の人物A氏だった。A氏は外国籍で維新の
タニマチ。当日、同ホテルには西村康稔氏と朝比奈
秀典氏もいた。A氏と朝比奈氏から立花氏へ相当の
知事選資金が手渡された可能性も疑わざるをえない。
かかることを吉村洋文氏(維新代表)、前原誠司氏
(維新共同代表)、岩谷良平氏(維新幹事長)らは
知らないはずがない。A氏は政治資金規正法違反の
疑いがかかる。そうなると維新は大変なことになる。
実はもうなっていて、自民に擦り寄るしか術がない。
岸口実氏が立花孝志氏に渡したとされる文書
文面から察するに斎藤元彦県知事を支援する
牛舌倶楽部と維新県議の稟議書草案に思える





2025.3.3 林浩治さん書評「愚銀のブログ」から
 高秀美著『踊りの場』
  (三一書房、2024.12)





2025.3.4 木偶乃坊写楽斎さん撮影
きょうの富山湾と氷見海岸
 北風に荒れる富山湾  一瞬の眺望

 水たまりに映る大公孫樹





2025.3.4 産経新聞

「森友文書」国が開示へ、加藤勝信財務相が答弁





2025.3.4 田中宇の国際ニュース解説

トランプはゼレンスキーを騙し討ちしたのか





2025.3.4 佐藤章さん
兵庫県百条委員会調査報告書採択・全容公表

2025.3.4 MBS

非論理社会に生きる人物
 操られ人形の私を早く捕まえてくれ
「この調査報告書の内容等については
 さらに第三者調査委員会を立ち上げ
 その調査結果をふまえて対処します
 今後も非法非倫非情姿勢を貫きます。
 こんな私を救う道を教えてください





2025.3.5 kyouseiさん
当講座記事NO.319から





2025.3.5 スプートニク
 プーチンの腹心切れ者報道官
 マイダン革命・ミンスク合意の分析をせずして
 ウ戦争の事実、真相、真実を語れるものでない
 石破茂政権はトランプを出し抜き世界に先駆け
 思い切ってプーチンと組む気骨ある外交を示せ。





2025.3.5 佐藤章さん
財務省を解体し、まともな政治主導の日本社会へ
 GDP比3%を要求、日本の独立のため石破政権は
毅然としてかような要求を断らなければならない。
FMS協定(対外有償軍事援助)も廃すべきである。
日本の特別会計制度も即廃止しなければならない。
日本の核武装(原発のプルトニウム)も廃すべき。
対話、議論によるまともな平和外交創設の世界に。
  2021.1.19東洋経済 ニール・シーハンの記事
 『ドキュメント金融破綻』
   佐藤章著(岩波書店、1998)





2025.3.6 佐藤章さん
事件のあった高級ホテルスイートルームの部屋代は、
フジテレビ港浩一社長了承のもと同社経費で払った。
同社第三者委員会調査の最大眼目。発表が待たれる。

当講座記事NO.376から





2025.3.6 佐藤章さん

この斎藤発言にまず全国知事会、自治労、日弁連
見解を公表せよ

斎藤元彦知事、片山安孝副知事ら牛舌倶楽部面々の
現在の言動が、県民局長の告発の正当性を証明する。
参考
当講座記事NO.373から
2024.12.25 毎日新聞、兵庫県議会百条委員会
県民局長の私物USB情報がいつ公用パソコンに
入ったのか、だれが情報を入れたのか、だれが
その情報を持ち出したのか、だれに渡したのか、
そもそもこの私物USBはだれの所有物であるか、
そしてこの私物USBは今だれが持っているのか、
これらを明確にする奇貨としなければならない。
このことをなぜ誰も片山氏に問い詰めないのか。

ここで私のある推測を述べると、片山副知事が、
県民局長の公用パソコンを押収したとき同時に
県民局長の私物のUSBも押収したのではないか、
そのあとUSBの中の情報を見て、県庁の公用の
全パソコンを管理している県庁人事課の職員に、
この私物USB情報を県民局長の公用パソコンの
中に入れさせたのではないだろうか。
また、告発文書を作成したのが県民局長である
ことを調べ上げたのも、斎藤知事と片山副知事
から命令を受けた上の人事課職員であると推察。
この人事課の職員から取り調べが始まると見る。
              (当講座編集人)
黒幕(牛舌反社パワハラ倶楽部座主)セリフ
人心への挑戦
真心なき挑発
「ワテのやったことに間違いはただの
 一つもおまへん。サイトはんもだす。
 今でもぎょうさん指図してまんねん。
 こんな場にネクタイようしまへんが」

黒幕に贈る浪花節





2025.3.7 kyouseiさん
当講座記事NO.319から

当講座記事NO.280から

  熊谷守一著
『わたしはわたし』
(求龍堂、2020)

熊谷守一埋葬場所(映像あり)
小村大樹さんブログ「歴史が眠る多磨霊園」から
「歴史が眠る多摩霊園」
 小村大樹著
『歴史が眠る多磨霊園』
 (花伝社、2019)






2025.3.7 佐藤章さん
トランプを使って日本の財務省を解体して
特別会計制度を廃止するしたたかな戦略を

     長谷部恭男解説
    (岩波文庫、2019)

参考
当講座記事NO.300、311 佐藤章さんの解説から
憲法記念日に相応しい気合いが入った涙の核心憲法解説

鈴木安蔵憲法草案要綱」起草 (1945.12.26 官邸提出)
ジョン・ロック. ジャンジャック・ルソーの思想が源泉
統治二論ジョン・ロック著
人間悟性論ジョン・ロック著
社会契約論ジャンジャック・ルソー著
エミールジャンジャック・ルソー著
 カントの散歩を忘れさせた書

鳥尾鶴代

 陰の功労者 

憲法は、「国民が天皇、摂政、政府、国務大臣、政治家、
裁判官その他の公務員に対して突き付ける命令書」である。
金森徳次郎 戦後吉田内閣の憲法担当国務大臣
日本国憲法第54条第2項
衆議院が解散されたときは、参議院は、同時に閉会となる。
但し、内閣は、国に緊急の必要があるときは、参議院の緊
急集会を求めることができる。
日本国憲法第99条
天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公
務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負う。

   佐藤章著
  『職業政治家小沢一郎』
  (朝日新聞出版、2020)

 佐藤章著
  『「星条旗」の下の宰相たち』
  (五月書房新社、2025.2.25)





2025.3.7 ハンギョレ新聞
 愛犬「トリ」が待っている

当講座記事NO.376から
2025.1.15 ニューズウィーク

参考
当講座記事NO.250、311から
2024.6.19 スプートニク
ジョンウンオッパーに別れの挨拶
         真面目な人柄が滲み出ている二人の通訳
      金亨權郡出身の豊山犬夫妻の通訳も担う
     「お兄さん、お達者で。行って参ります」

 ハチと上野先生





2025.3.8 佐藤章さん、独自ダネ
財務省ベッタリ野田佳彦代表では当然の傾向であり、
この分裂の兆しはかなりいい傾向にあると思われる。
消費税増税派と消費税減税派に訣れ分裂すればよい。
かつ、この分裂は与野党問わず全議員が個人として
考えるべきである。即ち増税党と減税党に再編して
それぞれの議員がその党に移籍すればすっきりする。
増税党は財務省言いなりの増税・改憲・戦争屋勢力、
減税党は政治主導による減税・護憲・戦争否定勢力
として国民に信を問えばいい。この与野党二大勢力
によって国会議論が活発化していく。これくらいの
ことをしないと前近代政治を脱することはできない。
議員個人としての力量が試される時代になってきた。
この傾向は世界の政治もそうなってきたからである。
                (当講座編集人)

  





 



〈小社推薦図書〉 

 和賀真也(編)著

  『統一協会と文鮮明-青年達の心理を探る』

  (1981、新教出版社)

  『統一協会-その行動と論理』

  (1978、新教出版社)


 茶本繁正著

  『原理運動の研究』

  (1977、晩聲社ルポルタージュ叢書)


 有田芳生著

  『統一教会とは何か-追いこまれた原理運動』

  1992、教育史料出版会)


〈参考〉









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380. 記事の開き方 来たる時代への提言(9)

【2025年2月1日配信】小社発信記事   「現代の声」講座 トップページへ .                  当講座記事の開き方              「現代の声」講座へアクセスをいただき 有り難うございます。  この講座の趣旨は、「講座の開設にあた って」を見ていただければ幸いです。  当講座を自由に使っていただければ嬉し く思います。   各記事タイトルまたは「続きを読む」を 左クリックすると記事が出てきます。  画面右側目次と併せて何か参考になれば 幸いです。   また、当講座へのご寄稿や当講座記事の 内容等についてのご批判、ご意見、ご感想 など次のメール宛にていつでもいただけれ ばなお有り難いです。   (当講座編集人)    gendainokoe@gmail.com      当講座の画面にある「前の投稿」を左ク リックすると各記事の冒頭部分が順次出て きます。  「ホーム」を左クリックすると一番最初 の画面に戻ります。  「新しい投稿」を左クリックすると一つ 前の画面に戻ります。  また、画面右側の目次の各記事タイトル を左クリックすると、その記事がすぐに出 てきます。目次の NO.215 以降の記事は、 各月別にまとめてあります。「過去の記事」 を適宜左クリックするとタイトルが出てき ます。  「人気の記事」は、最近一ヶ月間にアク セスが多かった記事10本を上から人気順に 紹介してあります。  各記事中の写真は、写真の中または右横 を左クリックすると拡大できます。 政治、ジャーナリズム、思想、文化を考える 新しい思想、哲学は可能か            当講座記事NO.300、338、348、362、 366、369、373、376の続き                    300 来たる時代への提言(1) .        338 来たる時代への提言(2) .        348 来たる時代への提言(3) .        362 来たる時代への提言(4) .            366 来たる時代への提言(5) .              369 来たる時代への提言(6) . 373 来たる時代への提言(7) . 376 来たる時代への提言(8) . 佐藤章さんの発言を重...

224. 天と地をつなぐ「おわらの風」

【2022年1月22日配信】   大寒           七尾市 石島 瑞枝             雪解けの春風を待つ坂の町               秋風 (2023.9.3)            横浜市 髙祖 路子    夜流しの音色に染まる坂の街                         鏡町地方衆、先人のご苦労をしのびその息吹に応える夜流し .  今町のおわら .      2023.9.3 最終日、西町青年団最終おわらの舞い .                               撮影 木偶乃坊写楽斎さん         〈参考〉                               越中八尾おわら風の盆               「深夜の夜ながし」      日本と日本人が失くしてしまった、  奪 われてしまった温かい心情、 郷愁  --それらを求めて各地から 数多の  見物者 が、 魅入られたかのように、  取りもどす か の ように八尾へ と 足を  運 ぶ の だろうか。  高橋治と石川さゆりの『風の盆恋歌』  の影響が大きいとも八尾ではいわれ  て いる。言葉と 歌の 力のすごさか。  事実、この 歌 の前と後とでは、風の  盆訪問 者 数に圧倒的な差がある。  紅白で、「命を賭けてくつ がえす」  と、着物の 袖 を 強く 握りしめ 揺さぶ  り ながらうた った 「くつがえす」の  一語の中に、日本の 歌手 として歩ん  できた 石川さゆりの、 自 らの心の奥  底にある深い 懐 いをも 包んだ 全 情念  が 込め ら れて い る。  旅人の多くが八尾に滞在してい る中、  わずかのさすがの通だけが、おわら  本来 の良 さ が漂っている深夜の夜流  し の、 後ろ姿を見ている。個性 ある  いで たちもすばらしい。  おわらは見せるものなのか、見られ  るこ とを意識すらせずに心ゆく まで  自ら楽しむものなのか。あるいはま  た、…… …… 高橋治と 石川さゆりは、  諸々のことを考える、見直すための  たいへ ん な「契機」 を 与 えて くれ た  ので ある 。    個人的な所感を...

307. 職人の心意気 -「技」の文化 -

 【2023年7月3日配信】   手作りへのいざない    -「技」の文化-     縫い針のひとはりに込める夢  敦賀市 宮岸 かなえ                     てのひらに落ちる雨滴が灯をともす     鹿児島市 井上 治朗                        器(うつわ)  器への思い    九谷焼絵付師  宮保 英明         用という約束の形を提供しながら、その 形の中でどれだけ新鮮な自身の感覚を保ち 得るか、どんな可能性を引き出し得るか、 自身を試す姿勢で器と向かい合いたい。  自意識による変身、習慣のタガをはずし、 本来まったく自由に扱える創作表現への自 意識を、材質としての焼きものにぶつけた い。  盛られる料理に好かれる器。使いよくて 楽しくて、ついつい使ってしまう器。見た 目に静かで、しかし強い存在感を持ち、素 直に語りかけてくる。そんなものを心がけ てつくりたい。 みやぼ ひであき 20歳から絵付けをはじめる。 1950年石川県白山市生まれ。 石川県加賀市日谷(ひのや)在住。 日谷川をはさんで両側に民家と山が並ぶ。 谷間の村・日谷の向こうには人はいない。 宮保家の裏もすでに森である。 仕事をするのにいい場所をさがし歩き、 1984年の夏、白山市から引っ越してきた。 「ときどき熊が顔を出す」と妻の文枝さん。 小社発行・『北陸の燈』第4号より 撮影・八幡スタジオ 当講座記事NO.21、249再掲 当講座記事NO.223、「職」に関する記事から     芭蕉布ムーディー綾番匠くずし 平良 敏子   鋏 川澄 巌  文駒縫(あやこまぬい) 竹内 功   匠  足立区が誇る「現代の名工」    当講座記事NO.269、「世界屈指の技と清ら」から   流し猫壺 河井 寛次郎      「祖父寛次郎を語る」鷺 珠江さん     当講座記事NO.280、「湯の人(4)」から   樹 -卒業制作- 青木 春美     当講座記事NO.22、「織を通して学んだこと」から     絹本著色方便法身尊影  1500年製作    ...

328. ふるさとなまり

 【2024年1月28日配信】   おばばの言葉                       白山市 番匠 俊行                                私の両親は石川県石川郡美川町(現白山 市)に生まれ育ちました。両親のそれぞれ の両親も同町の生まれ、育ちです。除籍簿 を見ると、私の先祖は全員、明治初期から 同町の住人でした。  私は高校時代まで美川で育ち、そのあと 関東の大学を卒業し、宮城県内で就職し、 現在、郷里の美川で塾教師をしています。  私の祖母は1900年生まれで伝統産業 の美川刺繍をしていました。亡くなるまで 町から一歩も出たことがなく、町の人たち との会話を楽しみに生きていたようです。  その会話を耳にした一端をご紹介します。  美川町は手取川の河口の町で日本海に面 しています。作家の島田清次郎、詩人の邑 井武雄、政治家の奥田敬和、歌手の浅川マ キ、五輪トランポリン選手の中田大輔らの 出身地でもあります。  「美川弁」といってもいい言葉は、隣町 の能美郡根上町(現能美市)や能美郡川北 村(現能美郡川北町)、石川郡松任町(旧 松任市、現白山市)ともちょっと異なって いると思います。  私は金沢市内の高校に通ったのですが、 私の話す言葉がおかしいと、いつも友人に 笑われていました。言葉だけで伝えるのは 難しいのですが、動詞、形容詞、形容動詞 のエ音便がイ音便になったり、また、人名 や名詞の発音のアクセントや抑揚、強弱、 長短が独特みたいです。  鹿児島弁が混じっているのではないかと 言う人もいます。もしそうであれば、最初 の石川県庁が美川町に置かれたことと関係 しているのかもしれません。内田政風とい う薩摩藩士がトップとなりはるばるこの町 にやって来たと聞いています。ひょうきん な美川の人たちが薩摩から来た役人たちの 言葉をおもしろがって真似して、流行らせ、 それがそのまま一部根づいたのではないか と思ったりもしています。  内田はなぜか金沢県とすることを拒否し、 県名を石川郡から拝借して石川県にし、さ らに「美川県」にとまで県名をかえようと したと聞きます。石川県はあわや美川県に なっていた可能性もあったということです。  これはこれでおもしろい話ですが、内田 は、美川町を中心にした金沢以上の新たな ...

365. 瓊音(ぬなと)のひびき

 【2024年10月5日配信】 白山に秘められた日本建国の真実      追悼          長野県 中野市  文明アナリスト   新井  信介        共振する縄文の心・翡翠の 波形         -泰澄の白山開山の意味-                                                                               白山は縄文時代からの山として人々の信 仰を集めてきた。六千年前、日本列島では、   お互いの命の響きを正確に伝え合う共振装 置としてヒスイを発見し、大切に身に着け 出した。その信仰の中心に最も響きの分か る女神を選び、ヌナカワ姫と代々呼ばれ続 けた。太古の時代から白山の存在は、北の 日本海と南の太平洋へと流れ行く命の水を 分け恵む特別な水分(みくまり)の山だっ た。そんな日本列島に憧れ入植した人たち から、命を産み育てる力はイザナミと呼ば れ、人々はこの力を、水そのものと同一に 見ていたのだ。                           一方で、国や統治体のことをイザナギと   呼んだ。これらは陰と陽のように表裏を成   し、この二つの力がこれまでの日本国を導   いてきた。しかし令和が始まった今、日本   国というこの統治体は人々の幸福よりも経   済の発展を重視し、マネーの追求に明け暮   れ、その結果多くの問題と疑問と苦痛を人   々にもたらしてきた。そして今、かつて経   験したことがないような、先行きの見えな   い不安が日本人と社会を覆っている。                               さらに今、縄文から続く六千年来の人々   の覚醒が静かに始まった。                                    白山には三つの入口がある。一つは加賀   から入る道で、ここは古代に崇神(すじん) 天皇...

319. 何者でもない者が生きる哲学  

【2023年11月4日配信】         考えることがなぜ大切なのか     小を積めば即ち大と為る. 『報徳記』富田高慶1856    二宮尊徳翁曰く 「励精小さなる事を勤めば大なる事必ずなるべし。  小さなる事をゆるがせにする者、大なる事必ず  できぬものなり」     読書のすすめ 背負い歩き考える二宮金治郎          ロダンの『考える人』よりもりっぱに思える         薪を負いて名定まる         損得から尊徳の世へ             朱買臣 哲学の時代へ(第14回)                                        以下の文はkyouseiさんという方のnote にある文です。偶然みつけ共感するものが ありこれまで何度か勝手にその文を紹介し てきました。どこのどなたかまったく存じ 上げませんが、またお叱りを受けるかもし れませんが、本日掲載の文をご紹介します。 (当講座編集人)            本当の哲学とはなにか            note での投稿も長くなった。 連続投稿 が 370 を超えたようだ。そんなことはどう で もい いことだが、ぼくはこれまで 「哲学」 だと 思って書いていた記事は、「本当に哲 学 な のだろうか」と思うことがよくある。 皆の言う「哲学」は、「○○哲学では…」 と 難しい話をよく知っている。 ぼくはというと、思考を治療的に使って 現 状の維持、回復を狙うものだ。 「何が不満か」「何がそうさせるのか」と いった答えを探すものだ。だから「治療的 哲学」と銘打っているのだが、はたしてそ れは哲学なのだろうかと思うこともある。 ぼくの哲学は「結果が全て」であり、再 現 性も求める。結果が出ないとすれば、や り 方がまずかったとすぐに修正する。自分 自 身を実験台にして確かめるのだ。 難しい話を好まないのは「使えない」 か ら だ。使えないものは真理ではないと 考え て いる。 だからといって、ぼくの視野が広いか とい えばそうではなく、個人という狭い世 界観 をどう変えるかといったものだ。 「大したことないな」と思われるだろう が、 では、...

280. 湯の人(その4)現実と夢

 【2022年11月22日配信】   大きな便り                       加藤 蒼汰          秋とはいっても冬のような寒い夜だった。 浴室にはだれもおらず、脱衣場には番台に 座っている銭湯の主人と私ともうひとり。  その人は銭湯の近所の人であり、かつて 高校の教員をしていた。在職当時、馳浩・ 現石川県知事を教えていたと語っている。 八十歳を超えている。  この銭湯でよく顔を合わせ、会うたびに 知事の高校在学中のエピソードを繰り返す ので、私はその話の内容をすっかり諳んじ られるようになってしまった。高校入学時 から卒業までの様子、レスリング部での活 躍などであるが、私が特に感銘を受けた話 は、知事は高校時代、冬、雪が降り積もっ た朝には真っ先に早出登校して、生徒・教 職員を思いやり、校門から校舎玄関入り口 までの路をひとりスコップで雪かきをして いたというくだりである。  そんなすばらしい教え子をもつ元先生が、 服を脱ぎ裸になって浴室入り口に向かって 五、六歩あるきながら大便を三個落とした のである。気づかずに落ちたようなので、 私は「先生、落としもの」と声をかけると、 「ありりー、まったく気いつかんかった。 あはははは」と笑うのである。  私は、脇にあったチリトリでこの塊をす くいとり、「みごとな色と固さやね」と言 いながらトイレに流した。しかしながら、 脱衣場にはその匂いが全面に沁みわたり、 息が苦しくなるほどだった。このとき私は、 幼いころサーカスを見たときのことを思い だした。  それは曲芸をしていた象が巨大な大便の 塊を三個落とし、団員があわててスコップ で拾いあげていた光景であった。このとき の衝撃の記憶がよみがえり、私にとっさに チリトリを思いつかせたような気がする。 本を読んでいた番台の主人もその匂いで事 のいきさつに気づき、「匂いもすばらしい ね」と笑いながら脱衣場の窓を全開し床を 雑巾でふいてくれたが、その強力な匂いは 容易に消えなかった。  その間、先生は先に浴槽へ入り、気持ち よさそうに浸かっていた。私は先生と湯壺 にいっしょに漬かることに一瞬躊躇したが、 免疫機能が高まるまたとないチャンスでは ないかとの思いも何ゆえか突然こみあげて きて湯船に同席、お伴したしだいである。 ...

275. スポーツを文化にするために

【2022年10月10日配信】      「学生野球考」      慶應義塾大学野球部監督   前田 祐吉   史上最高演技   史上最高選手      勇気ある発言   「オンニ、ここで記念に一緒に撮りましょ」   「オレは笑わないが、笑って何が悪いんだ」  葉隠・武士道を覆す号泣                       「サード!もう一丁!」「ヨーシこい」 と いう元気な掛け声の間に、「カーン」と いう 快いバットの音がひびくグラウンドが 私の職 場である。だれもが真剣に野球に取 り組み、 どの顔もスポーツの喜びに輝いて いる。息子 ほどの年齢の青年たちに囲まれ、 好きな野球 に打ち込むことのできる私は、 つくづく、し あわせ者だと思う。  学生野球は教育の一環であるとか、野球 は人間形成の手段であるということがいわ れるが、私の場合、ほとんどそんな意識は ないし、まして自分が教育者だとも思わな い。どうしたらすべての野球部員がもっと 野球を楽しめるようになるのか、どうした らもっと強いチームになって、試合に勝ち、 選手と喜びを共にできるのか、ということ ばかり考えている。  野球に限らず、およそすべてのスポーツ は、好きな者同志が集まって、思いきり身 体を動かして楽しむためのもので、それに よって何の利益も求めないという、極めて 人間的な、文化の一形態である。百メート ルをどんなに早く走ろうと、ボールをどれ だけ遠くへカッ飛ばそうと、人間の実生活 には何の役にも立たない。しかし、短距離 走者はたった百分の一秒のタイムを縮める ために骨身をけずり、野球選手は十回の打 席にたった三本のヒットを打つために若い エネルギーを燃やす。その理由は、走るこ とが楽しく、打つことが面白いからにすぎ ない。さらにいえば、より早く走るための 努力の積み重ねが何物にも替えがたい喜び であり、より良く打つための苦心と練習そ のものに、生きがいが感じられるからであ る。  このように、スポーツは余暇を楽しみ、 生活を充実させるための手段で、それ以外 には何の目的もないはずである。むしろ目 的のないことがスポーツの特徴であり、試 合に勝つことや良い記録を出すことは、単 なる目標であって終局の目的ではない。  かつて超人的な猛練習でスピー...

303. 教え子を再び何処へ送るのか

【2023年5月25日配信】   マスクをめぐる学校との苦闘                   千葉県 今野 ゆうひ  17歳                          2019年。新型コロナウイルスが突如 として私たちの生活に現れました。何もわ からないまま政府に舵をゆだね、ウイルス の災いとして ”コロナ禍” は四年目に突入し ました。 当時中学三年生だった私の日常も  “コロナ禍” によって一変しました。  外出自粛、一斉休校、ソーシャルディス タンス、マスク、消毒...   それら政策を半ば面白がりながら、20 21年まで三年間、流されて過ごしました。  人との接触をなるべく避けながらいかに 楽しめるか。マスクをしていかにおしゃれ をできるか。いつしか私たちの生活は“コロ ナ禍”ファーストへと姿を変えていました。  2021年、高校一年生になった私も“コ ロナ禍”ファーストな高校生活を送っていま した。  その年の夏、母と私は新型コロナと全く 同じ症状を発症。病院に行っても薬がない ので PCR検査などはしていませんが、あの 症状は確実に新型コロナだったと思います。 その時母と、“コロナ禍” ファーストな生活 をしていても感染はするし、普通の風邪と 同じように治るということに気づきました。  もちろん個人差はありますが、なぜここ まで徹底して感染源を特定したり外出制限 をしたりするのか、その時からじんわりと 疑問が生まれます。  経験は人を変化させますね。  そんなこんなで私と母は、自転車に乗っ ている時だけ。から始まり、すこしずつマ スクを外すことにしました。  ある日、母と一緒に近くの大きめのスー パーで買い物をすることになります。 「注意されるまでマスクしないで入ってみ るわ」  正直遊びの部分もありました。ちょっと 面倒くさくなっちゃったのです。強い意志 もないただのチャレンジだったので、何か 言われたらすぐ付けるつもりでした。  ところが、なんかいけちゃったのです。 一時間弱いたものの、誰にもなんにも言わ れず買い物終了。  なんということでしょう。今までやって きたことはなんだったんだと思うほどあっ けなくチャレンジは成功。今思えば、この スーパーで何か言われていたら、この文を 書くこともなかったで...
         柿岡 時正
         廣田 克昭
         酒井 與郎
         黒沢  靖
         神尾 和子
         前田 祐吉
         廣田 克昭
         伊藤 正孝
         柿岡 時正
         広瀬 心二郎
         七尾 政治
         辰巳 国雄
         大山 文人
         島田 清次郎
         鶴   彬
         西山 誠一
         荒木田 岳
         加納 韻泉
         沢田 喜誠
         島谷 吾六
         宮保 英明
         青木 晴美
         山本 智美
         匂  咲子
         浅井 恒子
         浜田 弥生
         遠田 千鶴子
         米谷 艶子
         大矢場 雅楽子
         舘田 信子
         酒井 由記子
         酒井 由記子
         竹内 緋紗子
         幸村  明
         梅  時雄
         家永 三郎
         下村 利明
         廣田 克昭
         早津 美寿々
         木村 美津子
         酒匂 浩三
         永原 百合子
         竹津 清樹
         階戸 陽太
         山本 孝志
         谷口 留美
         早津 美寿々
         坂井 耕吉
         伊佐田 哲朗
         舘田 志保
         中田 美保
         北崎 誠一
         森  鈴井
         正見  巖
         正見  巖
         貝野  亨
         竹内 緋紗子
         滋野 真祐美
         佐伯 正博
         広瀬 心二郎
         西野 雅治
         竹内 緋紗子
         早津 美寿々
         御堂河内 四市
         酒井 與郎
         石崎 光春
         小林 ときお
         小川 文人
         広瀬 心二郎
         波佐場 義隆
         石黒 優香里
         沖崎 信繁
         山浦  元
         船橋 夕有子
         米谷 艶子
       ジョアキン・モンテイロ
         遠藤  一
         谷野 あづさ
         梅田 喜代美
         小林 ときお
         中島 孝男
         中村 秀人
         竹内 緋紗子
         笠尾  実
         前田 佐智子
         桐生 和郎
         伊勢谷 業
         伊勢谷 功
         中川 清基
         北出  晃
         北出  晃
         広瀬 心二郎
         石黒 優香里
         濱田 愛莉
         伊勢谷 功
         伊勢谷 功
         加納 実紀代
         細山田 三精
         杉浦 麻有子
         半田 ひとみ
         早津 美寿々
         広瀬 心二郎
         石黒 優香里
         若林 忠司
         若林 忠司
         橋本 美濃里
         田代 真理子
         花水 真希
         村田 啓子
         滋野 弘美
         若林 忠司
         吉本 行光
         早津 美寿々
         竹内 緋紗子
         市来 信夫
         西田 瑤子
         西田 瑤子
         高木 智子
         金森 燁子
         坂本 淑絵
         小見山 薫子
         広瀬 心二郎
         横井 瑠璃子
         野川 信治朗
         黒谷 幸子
         福永 和恵
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         秋山 郁美
         加藤 蒼汰
         森本 比奈子
         森本 比奈子
         吉村 三七治
         石崎 光春
         前田 佐智子
         前田 佐智子
         前田 佐智子
         前田 佐智子
         中野 喜佐雄
         八木  正
         堀  勇蔵
         家永 三郎
         広瀬 心二郎
         菅野 千鶴子
         海野 啓子
         菅野 千鶴子
         海野 啓子
         石井 洋三
         小島 孝一
         キャリー・マディ
         谷本 誠一
         宇部  功
         竹内 緋紗子
         谷本 誠一
         酒井 伸雄
163、コロナ禍の医療現場リポート
         竹口 昌志
164、この世とコロナと生き方を問う
         小社発信記事
165、コロナの風向きを変える取材
         橋本 美濃里
166、英断の新聞意見広告
         小社発信記事
167、ワクチン接種をしてしまった方へ
         小社発信記事
168、真実と反骨の質問
         小社発信記事
169、世論を逆転する記者会見
         小社発信記事
170、世界に響けこの音この歌この踊り
         小社発信記事
171、命の責任はだれにあるのか
         小社発信記事
172、歌人・芦田高子を偲ぶ(1)
         若林 忠司
173、歌人・芦田高子を偲ぶ(2)
         若林 忠司
174、歌人・芦田高子を偲ぶ(3)
         若林 忠司
175、ノーマスク学校生活宣言
         こいわし広島
176、白山に秘められた日本建国の真実
         新井 信介
177、G線上のアリア
         石黒 優香里
178、世界最高の笑顔
         小社発信記事
179、不戦の誓い(2)
         酒井 與郎
180、不戦の誓い(3)
         酒井 與郎
181、不戦の誓い(4)
         酒井 與郎
182、まだ軍服を着せますか?
         小社発信記事
183、現代時事川柳(六)
         早津 美寿々
184、翡翠の里・高志の海原
         永井 則子
185、命のおくりもの
         竹津 美綺 
186、魔法の喫茶店
         小川 文人 
187、市民メディアの役割を考える
         馬場 禎子 
188、当季雑詠
         表 古主衣 
189、「緑」に因んで
         吉村 三七治 
190、「鶴彬」特別授業感想文
         小社発信記事
191、「社会の木鐸」を失った記事
         小社発信記事
192、朝露(아침이슬)
         坂本 淑絵
193、変わりつつある世論
         小社発信記事
194、ミニコミ紙「ローカル列車」
         赤井 武治
195、コロナの本当の本質を問う①
         矢田 嘉伸
196、秋
         鈴木 きく
197、コロナの本当の本質を問う②
         矢田 嘉伸
198、人間ロボットからの解放
         清水 世織
199、コロナの本当の本質を問う③
         矢田 嘉伸
200、蟹
         加納 韻泉
201、雨降る永東橋
         坂本 淑絵
202、総選挙をふりかえって
         岩井 奏太
203、ファイザーの論理
         小社発信記事
204、コロナの本当の本質を問う④
         矢田 嘉伸
205、湯の人(その2)
         加藤 蒼汰
206、コロナの本当の本質を問う⑤
         矢田 嘉伸
207、哲学の時代へ(第1回)
         小社発信記事
208、哲学の時代へ(第2回)
         小川 文人
209、コロナの本当の本質を問う⑥
         矢田 嘉伸
210、読者・投稿者の方々へお願い
         小社発信記事
211、哲学の時代へ(第3回)
         小社発信記事
212、哲学の時代へ(第4回)
         小社発信記事
213、小説『金澤夜景』(2)
         広瀬 心二郎
214、小説『金澤夜景』(3)
         広瀬 心二郎