小説『地上』から
【2020年8月12日配信】
作家 島田 清次郎
「エス・クリストは学者ではなかった。エス
・クリストは国家要路の大臣、軍人ではなか
った。無論、彼は貴族でもなく金持でもなか
った。彼は貧しい、地位もなく財宝もなく真
に地上の、物質的富においては何一つ誇るべ
きものを持たない一青年に過ぎなかったので
あります。ユダヤの一大工の子。そうです、
真に一大工の子でした。彼が長い放浪と苦闘
の旅の後にようやく彼自身のうちに神の子の
自覚と確信が充実し、新しい人類への救済、
神の国の信仰が完成して、もういても立って
もおれず、大地より湧出する火焰のような精
神に充されて『神の国は近づけり』と言わず
にいられなかったのがようやく三十歳の時で
ありました。その時のエス・クリストの内的
高揚と充実とを吾々の(Our American)体験
をもってしましても全身火焰を噴き出し全世
界は白光白熱に遍照するようであります。し
かし、こうした荘厳なエス・クリストの内生
活とその力も当時の多くの人達には感じられ
なかった。多くの人達には、貧しい大工の子
で青年時代を定まった職業もなく過ごした一
個の落ちぶれ者か不良青年にしか見えなかっ
た。彼らははじめ彼を狂人だと罵りました。
しかし、神、絶対者に選ばれたる神の子、真
理そのものの体現者であると信じた彼の霊妙
な性格にひきつけられ、彼の宣べ伝える真理
に随順する、新鮮な精神、若い精神、世俗の
灰汁に染まない精神、もしくは洗い磨かれ、
悲しみの涙に潤うた心――青年や、貧しい境
遇に泣く人や、病に苦しんだ人達やの何かを
求めてやまない心に、彼の涙にみちて、しか
も勇猛な教えはどれほど微妙な力を与えたこ
とでしょう。まことに足なえは立ちて歩み、
癩病人は健やかになり、盲目者は目が開いた
のであります。それは奇蹟ではなかった。当
りまえ過ぎる程に当然のことでした。わたく
しは盲目者が目を開いた喜びよりも、若くし
て生死を超えたる真理の実現者、エス・クリ
ストの喜びを想うとき涙ぐまずにいられませ
ん。しかし、その当時、ユダヤの国の政治家
や学者達にはこのクリストの生活は不可解で
ありました。たかが大工の子ではないか。食
うや食わずの放浪的な不良青年ではないか。
其奴が気違いじみたことを言って多くの青年
や婦人や時には堂々たる一かどの人物をも帰
依せしめ、性格を一変せしめる不思議な力を
もっている。はじめ彼らは放任して置きまし
た。しかし放任して置けないほどに、クリス
トの力は人々の間に根を張って来ました。殊
にユダヤの古い預言者の預言が彼を救世主と
信ぜしめるに力がありました。ソロモンの栄
華も一本の百合の花に如かない。彼らはその
言葉の深い美と真を味わう前に危険だと考え
ました。クリストにはその時分十二人の弟子
達が常に身辺におりました。みな有為な浄い
青年達でした。その十二人の勝れた弟子達の
一人がクリストを官府に売り渡そうとは誰人
も思わなかったでしょう。自分の愛する弟子
に売られるところにエスの偉大があるとわた
くしは思いますが――とにかくエスはユダに
少しの銀で売られました。その前にエスは弟
子達と悲しい最後の晩餐であろう集合の席で、
君達のうちに自分を売る人があると言われ、
また或る人に君は鶏が鳴かない前に自分を知
らないと三度言うであろうと予言されました。
エスは自分の死をすでに知っていたのです。
エスがその国の役人共に引張られて行き、そ
の国の群衆がその後から押しかけ、さて、裁
判官がエスをどうしようかと申したときに群
衆は『十字架にせよ』と叫んでやまなかった。
悲しい無知であります。二千年前の人間の無
知の悲劇は今にいたるまで絶えませぬ。エス
は愛する人々、それ等の人々のためにつかわ
されたと信ずるその人々から死刑を求められ
ました。その死刑を求めた人々のために、そ
の死刑を求める人類の罪悪のために、やがて
近づきせまっている真理を示そうと、――い
え、もうそうした深い人間全体の罪を自分の
一身をもってあがないたい一念に燃え立って
来ました。森厳な死でした。しかも、彼は一
人の死刑囚でした。貧しい人心を惑わす不良
青年でした。彼を死刑にする多くの群衆、多
くの学者、多くの政治家は、この厄介な死刑
囚の死をどれほど喜んだことでしょう。まず
これで己達も枕が高いと考えたことでしょう。
しかし、生涯寂しい孤独に住まわれた神の使
命の体現者クリストのその信仰は、万人の胸
に生き来る真理でありました。ユダヤの国は
亡びました。その頃クリストを死刑にした政
治家や学者や群衆は今日全く亡びてしまいま
した。しかし彼が十字架につけられ、肉身よ
り血を滴しつつ、ああ神よ、あなたはこの自
分を捨て給うか、と叫んだその切ない叫びは
未だに人間という人間をさえ涙ぐませる力を
持って生きております。十字架に登って行く
エスの心持、人類永遠の未来を信ずる一念と
悲しい別離の涙。わたくしどもは厳粛なクリ
ストの寂しい生涯を想うとき、感ずるものは
寂しさ、腑甲斐なさ、情けなさ、やるせなさ、
そうして最後には火の信仰であります。神の
国の実現を地上に望み得る、現に実現しつつ
あるという信仰であります。そうして、その
信仰の国はアメリカのみであります」
巨大な体躯から、巨大な肺臓、巨大な気管、
巨大な舌――から吐き出される偉大な雄弁を
K氏も熟して通弁した。荘厳であった。平一
郎は二千年の昔ユダヤの野に生きた一人の青
年の生命をしみじみ身に感じていた。彼は止
め度もなく流れる涙を我慢できなかった。す
ると、「その信仰の国はアメリカのみであり
ます!」と繰り返す言葉が雷のように響いた。
「何故アメリカのみであるか? そうだ、何
故アメリカであるのか?」こう奔流のように
批判が働きはじめると、平一郎には、汗を拭
きながら巨大な肉身をもてあつかっている、
毎食牛肉の血の垂れるようなのをむしゃぶり
つくような彼Aが「貧しい大工のクリスト」
を説いていることが実に不調和で滑稽に見え
て来た。金縁の鼻眼鏡、さっき出して見た金
時計、太い指にはめている金指輪!(ああ汝、
偽善者よ!)二千年の昔クリストを揺り動か
した精神が平一郎をすっくと立たした。
「K先生!」
「何です」とK氏はじろり平一郎を見た。こ
の不意の平一郎の起立に一同はひっそりとし
て瞳を彼に集めた。
「質問があります」
「あとになさい」
「いえ、これ以上A氏に言わすことはクリス
トに対する冒瀆です!」
「――」
「何故、クリストの精神、人類の真の文化、
神の国の実現を信ずるものはアメリカばかり
なのです。僕にはそれが理解できませぬ。す
でにここに一日本人でもある自分、大河平一
郎はクリストの真実さに涙を流し、クリスト
が信ずる神の国の地上に実現されることを信
ぜずにはいられませぬ。そして自分は日本人
です。自分は日本が神の国を実現することを
信じたい。アメリカのみであるとの宣言は、
アメリカがクリストの精神を生かしていない
ことの証拠であります。黄金づくめの装飾を
身につけながら、クリストの生涯を説くこと
は僭越すぎることであります。説くよりも汝
のその金の指輪を貧しき人に心より贈れよと
自分は叫びたいのであります!」
平一郎は身を慄わして、壇上のA氏の碧眼
を睨みつけていた。全精神が宇宙とともに燃
えあがる。彼はこのとき恐ろしいもののない
「権威」を全身に感じていた。
『地上』から抜粋
しまだ せいじろう
1899年2月26日、石川県石川郡
美川町字南町(現白山市)生まれ。
1924年7月31日、東京西巣鴨の
保養院(主治医は池田隆徳・呉秀三の
門下、今の都立松沢病院。呉秀三は箕
作秋坪の義理の甥、池田隆徳は福岡県
中学修猷館出身)に強制収容。
菊池寛ら助けず。
1930年4月29日、保養院で死去。
郷里美川町の共同墓地の墓で今も激怒、
呻吟。『地上』は、1919年の作品。
売り上げ総部数は、50万部に達した。
1922年、英国ロンドンで催された
第1回国際ペンクラブ大会に出席する。
日本人最初の国際ペンクラブ会員。
小社発行・『北陸の燈』第5号より