最期の一句
【2020年8月15日配信 NO.15】
作家 鶴 彬
『川柳人』第281号
(井上信子編・1937年11月15日発行)より
高粱の実りへ戦車と靴の鋲
手と足をもいだ丸太にしてかへし
(最期の一句)
胎内の動き知るころ骨がつき
つる あきら
本名、喜多一二(かつじ)。
1909年1月1日、石川県河北郡高松
町(現かほく市高松)生まれ。
1937年12月3日、最期の一句を理
由に治安維持法違反の嫌疑で特別高等警
察に検挙され東京野方署に勾留中赤痢で
1938年9月14日に死去。転向せず。
遺骨は岩手県盛岡市の兄が受け取り同市
光照寺の喜多家墓に。
2018年9月14日、遺骨が分骨され
80年ぶりに郷里高松町に帰る。高松の
浄専寺境内に墓碑が建てられ遺骨がおさ
まる。墓碑の傍らに最期の一句の句碑も
建てられた。毎年、法要が行われている。
平野道雄・浄専寺前住職の言「どうして
鶴彬は自分の命を危険にさらしてまで戦
争の痛ましさを詠み続けたのであろうか。
その力強い生き方をだれも真似ることは
できない。鶴彬の願った世界を自分もま
た願うことが重要なのだ。暴力のない穏
やかな世界、貧富の差のない平等な社会
を私たちは真に願っているだろうか。」
今年の墓碑法要は9月13日午後2時半
から、また、鶴彬をたたえる集いが同日
午後1時半から高松歴史公園で行われる。
〈参考〉
鶴彬全句
〈追記〉
当講座のNO.159と190の記事も
ぜひ参照していただきたい。