319. 本当の哲学とはなにか
【2023年11月4日配信】小社発信記事
哲学の時代へ(第14回)
以下の文はkyouseiさんという方のnote
にある文です。偶然みつけ共感するものが
ありこれまで何度か勝手にその文を紹介し
てきました。どこのどなたかまったく存じ
上げませんが、またお叱りを受けるかもし
れませんが、本日掲載の文をご紹介します。
(当講座編集人)
本当の哲学とはなにか
note での投稿も長くなった。 連続投稿が
370を超えたようだ。そんなことはどうで
もいいことだが、ぼくはこれまで「哲学」
だと思って書いていた記事は、「本当に哲
学なのだろうか」と思うことがよくある。
皆の言う「哲学」は、「○○哲学では…」と
難しい話をよく知っている。
ぼくはというと、思考を治療的に使って現
状の維持、回復を狙うものだ。
「何が不満か」「何がそうさせるのか」と
いった答えを探すものだ。だから「治療的
哲学」と銘打っているのだが、はたしてそ
れは哲学なのだろうかと思うこともある。
ぼくの哲学は「結果が全て」であり、再現
性も求める。結果が出ないとすれば、やり
方がまずかったとすぐに修正する。自分自
身を実験台にして確かめるのだ。
難しい話を好まないのは「使えない」から
だ。使えないものは真理ではないと考えて
いる。
だからといって、ぼくの視野が広いかとい
えばそうではなく、個人という狭い世界観
をどう変えるかといったものだ。
「大したことないな」と思われるだろうが、
では、誰がこれまでそのことに挑戦してき
ただろうか。
他人の褌で相撲を取る話ならいくらでもあ
る。傍観者という意味だ。
ぼくの哲学には答えがないかもしれない。
変更し続けるからだが、これは脳の機能に
関連することで重要なのである。
心は脳とは無関係のように言う人もいるが、
認知症の状況を見ても、脳死の話を聞いて
もそう言えるだろうか。言えない。
考えることを考えることが哲学だとぼくは
認識しているので、とりあえず哲学なのだ
ろうけれど、個から全体へとつながる哲学
を目指している。
受け売りの哲学はしないつもりだ。もし、
ぼくの哲学と偉い哲学者と意見が「たまた
ま」一致した時は、ぼくが偉いのではなく
「真理」が偉いのだとわかっていて欲しい。
参考・追記