261. 知られざる歴史「海に消えた布引丸」
【2022年7月19日配信】
アジア連帯への熱情
金沢市 山口 隆重
兼六園近くの小立野台に建つ紫錦台中学
校、ここはかつて旧制金沢第二中学校があ
ったところだ。
今から40年ほど前、大正二桁生まれの
この旧制二中卒業生を主なメンバーとする
十数人が、「二十一世紀を語る夢の会」な
る親睦会をつくった。
親睦会といっても酒好きの彼らは、この
夢の会発足前からも、毎夕仕事帰りに各自
それぞればらばらに市内の片町や香林坊の
居酒屋、小料理屋で顔を合わせ、夢の会を
開いていたのだが、そこでは国政や県政、
社会、教育、海外情勢などあらゆる時事問
題、身近な話題をだれに遠慮することなく
忌憚なく熱く語り合っていた。
彼らの多くは定年間近のサラリーマンで、
県庁、市役所、郵便局、学校、新聞社、専
売公社、電電公社、国鉄、労働組合などに
勤めていた。若き日、戦場を体験した世代
である。彼らは多くの友人や親、兄弟たち
を失っていた。戦争否定は言わずもがなの
彼らの共通認識であった。また、高学歴で
ありながら「長」の付く要職を拒んだ人た
ちでもあった。東大、早稲田、慶応を出て
いようと彼らは平社員、平教員を貫いた。
満鉄退職後、県庁に勤めていた人もいた。
居酒屋で彼らとよく顔をあわせていた私
は、なぜか彼らに可愛がられて、いつの間
にか親子ほども歳の離れた特別会員となっ
てしまった。私は旅行代理業をしていたこ
ともあって年に数回、「夢の会懇親旅行」
を企画、担当し、彼らを日本各地の名所へ
案内した。
このメンバーの中に、林政文の孫の林さ
んという方がいた。林さんの父は林政武で、
第4代の北國新聞社長だった。祖父が第2
代社長の林政文である。
なお、初代は政文の実兄の赤羽万次郎で
あり、3代目は政文の義父・林政通である。
林政武は昭和18年(1943年) に亡くなり、
同社の経営は林家から離れた。赤羽家、林
家は長野県松本市出身だった。
明治26年(1893年) 8月5日、金沢で
『北國新聞』を創刊した赤羽万次郎は、こ
の創刊号で「わが北國新聞は、公平を性と
し、誠実を体とし、正理を経とし、公益を
緯とす。わが北國新聞は、超然として、党
派外に卓立す」と社是を宣言した。
「三十七歌にもならず句にもならぬかな」
この句を残して、明治31年(1898年)
9月、病いに勝てず志半ば37歳で無念、
赤羽万次郎は亡くなった。
万次郎のあとを継いだのが、当時、東京
毎日新聞の記者をしていた実弟の林政文だ
った。
政文は、北國新聞社長を務めながらも、
エミリオ・アギナルドのフィリピン独立運
動を支援し、孫文とも手をたずさえ、アジ
ア団結、連帯を目指した人物であった。
そして明治32年(1899年) 7月19日、
宮崎滔天らの尽力による政府払い下げの武
器弾薬(中古の村田銃など)を積んだ汽船
「布引丸」--その総指揮官・林政文は、
乗組員総勢約五百名とともに、アメリカと
戦うアギナルド支援のため、フィリピンに
向け長崎を出港した。
志実らず海路の途中、布引丸は遭難し、
政文は多くの乗組員、布引丸とともに海中
に没し30年の生涯を閉じたのである。
昭和53年(1978年) 6月12日のフィ
リピン独立記念日に、布引丸殉死乗組員・
増田忍夫さんの孫の増田豊さん夫妻(長野
県飯田市)がフィリピン政府から招待され
ている。
30年前、私は林政文の孫の林政臣さん
に誘われ、政文の命日の7月21日、京都
の知恩院へいっしょに行ったことがある。
政文の供養のためだった。
そのとき林さんは、「政文は孫文の言う
西洋覇道の人たちとも交流はしたが、しか
しながら、政文の心底の本心は、孫文と同
じく西洋覇道を否定し、日本が東洋王道の
干城となるためであり、祖父はそのことに
命を賭けた」と語っていた。
〈参考〉
木村毅著・小説『布引丸 -フィリピン独立軍
秘話-』(春陽堂、1944)
米比戦争
宮崎滔天
我々の主張する不平等廃除の文化は、覇道に
背叛する文化であり、又民衆の平等と解放と
を求める文化であると言い得るのであります。
貴方がた、日本民族は既に一面欧米の覇道の
文化を取入れると共に、他面アジアの王道文
化の本質をも持って居るのであります。今後
日本が世界文化の前途に対し、西洋覇道の鷹
犬となるか、或は東洋王道の干城となるか、
それは日本国民の詳密な考慮と慎重な採択に
かかるものであります。
「大アジア主義」1924年12月28日、
神戸高等女学校において神戸商業会議所ほか
5団体におこなった演説-『孫文選集』から。
下はその時の写真。孫文はこの演説をおこな
った翌年の1925年3月12日に死去した。
黄埔軍官学校
1924年6月16日、国民党総理・孫文が、
広東省広州長洲島の黄埔に設立、開校。
蔣介石・校長
廖仲愷・同校駐在国民党代表
李済深・教練部主任、副校長
王柏齢・教授部主任
戴季陶・政治部主任
何応欽・総教官、教練部主任
周仏海・総教官
鄧演達・教練部副主任兼学生総隊長
後に教育長
葉剣英・教授部副主任
周恩来・政治部副主任
毛沢東・面接試験官
徐向前・同校一期生
林彪 ・同校四期生
ヴァシーリー・ブリュヘル・軍事顧問
二十一世紀を語る夢の会の人たちと
同世代の酒井與郎さん(1922生)執筆
2023.4.4 田中宇の国際ニュース解説
当講座記事NO.299、300から
田岡嶺雲 『基督抹殺論』の跋文を執筆
山本太郎氏、小西洋之氏に猿への謝罪要求
幸徳秋水『基督抹殺論』(岩波文庫、1954)
カール・シュミット『憲法論』(みすず書房、1974)