魔法の喫茶店
【2021年8月26日配信 NO.186】
小川 文人
私は学生時代+院生時代を通じて、学費
を稼ぐため、家庭教師や塾の講師などバイ
トもしつつ、自由になるお金が潤沢とは言
えない中、個人経営の喫茶店をよく利用し
ていた。
富山市では路面電車に乗り、富山駅前か
ら総曲輪、西町へと繰り出した。また福岡
市でも当時は走っていた路面電車に乗って、
東区から博多区、中央区天神、さらには早
良区西新あたりへと遠出をしながら、喫茶
店めぐりをしていたものである。
一体、何をしに?
それは主には読書をするためである。も
ちろん友人と連れ立って、会話をするため
のこともあったが、主には本をたずさえて
読書をするためであった。
当時流布していた都市伝説に「喫茶店は
つぶれない」があった。一般に就職とは無
縁と思われている哲学を専攻していた私た
ちは最後の望みをこの伝説に託して、いよ
いよとなったら喫茶店を開業しようとのん
きにかまえていた。
この伝説に根拠がなかったことは今、明
白である。ドトールやエクセルシオル、そ
れにスタバやタリーズ、コメダ珈琲店、サ
ンマルクコーヒー、カフェ・ド・クリエな
どの大きなチェーン店が次々に登場して、
個人経営の喫茶店は淘汰されていったので
ある。
実はかく言う私も、生活圏の近くに個人
経営の喫茶店がないため、つい、上記チェ
ーン店をよく利用している。或る日のスタ
バでのこと 、私がコーヒーを半分ほど飲み
つつ本を読んでいると、車椅子の男性がや
って来た。彼も私と同様コーヒーが好きな
のであろう、この店では時々一緒になる。
すると店員さんが、いつものように、と
ても親切に、暖かく、優しく接しているで
はないか。車いすの男性もごく自然にその
サービスを受け入れている。
私がその様子を見ながら、残り半分を飲
もうとして、コーヒーカップを傾けると、
同じコーヒーなのに、何とこくがあり、味
わいに深みが増して、芳醇なことだろう。
まるで魔法がかかったかのように!!
コーヒーの味がひときわよくなっている。
店内を見まわしてみると、他のお客さんた
ちも表情が和んでいるのがわかる。
別の或る日の別のチェーン店内でのこと、
私がコーヒーを半分ほど飲みつつ本を読ん
でいると、車椅子の別の男性がやって来た。
彼も私と同様コーヒーが好きなのであろう
が、この店で見かけたのは初めてである。
すると店員さんが、店内が少し混みあっ
ていたからだろうか、そのため忙しかった
からだろうか、少し冷淡に、邪険に接して
いるではないか。
私がその様子を見ながら、残り半分を飲
もうとして、コーヒーカップを傾けると、
同じコーヒーなのに、何とこくがなく、味
わいが浅くなり、香りが薄くなっているこ
とだろう。
まるで魔法が解けたかのように!!
店内を見まわしてみると、どこか殺伐と
して、冷気が入り込み、他のお客さんたち
も表情がこわばっているような気がする。
私はもう二度とその店には行けなくなって
しまった。
喫茶店というものは、たとえチェーン店
といえども、コーヒーと共に、魔法のよう
な雰囲気を味わうものである。
〈参考〉
当講座NO.68にも小川文人さんの
記事があります。