非戦、自由の実現へ(2)
【2021年1月7日配信 NO.98】
当たり前!?
富山市 牧師 (熊本県出身)
細山田 三精
不思議な夢
今を去る二千六百年昔、現在のイラクの地
に栄えた新バビロニア帝国の王ネブカデネザ
ルは、ある夜、不思議な夢を見ました。しか
し朝になってみると、それを全然思い出すこ
とができず、それでいて、気になって仕方あ
りませんでした。そこで王は、高給で召しか
かえている魔術師や博士たち、占い師たちを
呼び集め、自分の見た夢とその解き明かしと
を示せと厳命したのです。
彼らはびっくりしました。
「王様、そんなご無理なことを !! どうぞ、
ご覧になった夢をまず、お話ください。そう
したら、その解き明かしを申しあげましょう」
「だまれ!!」
王は一喝しました。
「まず、わたしの見た夢を話せ !! そうすれ
ば、お前たちの解き明かしも確かだというこ
とがわかる。それができなければ、お前たち
は今まで、どんなことも解き明かしができる
と、言葉巧みにわたしをだまし、高給をせし
めていたわけだ。それゆえ、お前たちの手足
を切り離し、家族ともども滅ぼす!! しかし、
もしその夢と解き明かしとを示すならば、贈
り物と報酬と大いなる栄誉を与える。さあ、
わたしの見た夢を話せ!! 」
彼らは震えあがってしまいました。
「王様、いくらなんでも、それはご無理とい
うものです。ご自分が思い出せないのに、そ
の夢をわたしに示せなんて、今までこんな無
理な命令をなさった王様のことなど、聞いた
ことはございません。王様のお尋ねになるこ
とは余りにもむずかしいことゆえ、肉なる者
と共におられない神々以外には、それを王様
の前に示すことのできる者はございません」
はしなくも彼らは、自分たちが仕えている
偶像の神々の、無力であることを告白してし
まったのです。
王は怒り心頭に発し、バビロンの知者たち
をみな殺しにせよと厳命しました。そのとば
っちりをくって、ダニエルという青年のとこ
ろにも、役人たちがつかまえに来ました。
彼は数年前、王が攻め込んだユダヤの国か
ら、捕虜としてつれて来られた貴族の子弟で
すが、廉潔とすばらしい知恵と才能とのゆえ
に、彼の友人らと共に、ごく最近、王に仕え
る者となっていたのです。
なぜ、自分が捕えられ、殺されねばならぬ
のかという理由がわかると、その役人に頼ん
で王の前につれて行ってもらいました。そし
て必ず、その夢と解き明かしとを申しあげま
すゆえ、しばらくの時と知者たちに赦しを賜
えと、王に懇願いたしました。
ダニエルは家に帰り、同じユダヤの捕虜仲
間の三人と心を一つにして、彼らが信じる天
地の造り主、また支配者でもある神に、その
夢を示し、この危難から救い出してくださる
ようにと、真剣に祈り求めたのです。
神はその夜、幻のうちに、この夢の秘密を
ダニエルに示されたので、彼は歓喜して神を
ほめたたえました。
そして翌朝、喜び勇んで、王の御前にやっ
て来たのです。
夢の解き明かし
ここまでは、旧約聖書のダニエル書二章の
初めのほうの要約ですが、次にその二章二六
節から引用いたします。
『王は …… ダニエルに言った、「あなたはわ
たしが見た夢と、その解き明かしとをわたし
に知らせることができるのか」。ダニエルは
王に答えて言った、「王が求められる秘密は、
知者、法術士、博士、占い師など、これを王
に示すことはできません。しかし秘密をあら
わすひとりの神が天におられます。彼は後の
日に起るべき事を、ネブカデネザル王に知ら
されたのです。あなたの夢と、あなたが床に
あって見た脳中の幻はこれです。王よ、あな
たが床におられたとき、この後どんな事があ
ろうかと、思いまわされたが、秘密をあらわ
されるかたが、将来どんな事が起るかを、あ
なたに知らされたのです。……
王よ、あなたは一つの大いなる像が、あな
たの前に立っているのを見られました。その
像は大きく、非常に光り輝いて、恐ろしい外
観をもっていました。その像の頭は純金、胸
と両腕とは銀、腹と、ももとは青銅、すねは
鉄、足の一部は鉄、一部は粘土です。あなた
が見ておられたとき、一つの石が人手によら
ずに切り出されて、その像の鉄と粘土との足
を撃ち、これを砕きました。こうして鉄と粘
土と、青銅と、銀と、金とはみな共に砕けて、
夏の打ち場のもみがらのようになり、風に吹
き払われて、あとかたもなくなりました。と
ころがその像を撃った石は、大きな山となっ
て全地に満ちました。
これがその夢です」。』 (ダニエル書2:26-
36)
ダニエルが語りゆくにつれて、ネブカデネ
ザル王の脳裏に、まざまざと一昨夜の夢がよ
みがえってきました。王は思わず唸り、身を
乗り出し、かたずをのんで聞き入りました。
ダニエルはなお続けます。
「今わたしたちはその解き明かしを、王の前
に申しあげましょう。王よ、あなたは諸王の
王であって、天の神はあなたに国と力と勢い
と栄えとを賜いました。 …… あなたはあの金
の頭です。あなたの後にあなたに劣る一つの
国が起ります。また第三に青銅の国が起って、
全世界を治めるようになります。第四の国は
鉄のように強いでしょう。鉄はよくすべての
物をこわし砕くからです。鉄がこれらをこと
ごとく打ち砕くように、その国はこわし砕く
でしょう。あなたはその足と足の指を見られ
ましたが、その一部は陶器師の粘土、一部は
鉄であったので、それは分裂した国をさしま
す。……その国は一部は強く、一部はもろい
でしょう。あなたが鉄と粘土との混じったの
を見られたように、それらは婚姻によって、
互に混ざるでしょう。しかし鉄と粘土とは相
混じらないように、かれとこれと相合するこ
とはありません。それらの王たちの世に、天
の神は一つの国を立てられます。これはいつ
までも滅びることがなく、その主権は他の民
にわたされず、かえってこれらのもろもろの
国を打ち破って滅ぼすでしょう。そしてこの
国は立って永遠に至るのです。一つの石が人
手によらずに山から切り出され、その石が鉄
と、青銅と、粘土と、銀と、金とを打ち砕い
たのを、あなたが見られたのはこの事です。
大いなる神がこの後に起るべきことを、王に
知らされたのです。その夢はまことであって、
この解き明かしは確かです」 (ダニエル書
2:36-45)
ここまでダニエルが話した時、ネブカデネ
ザル王は驚きと感激の余り、王座からすべり
降り、いと高き神のみ前にある思いで、ユダ
ヤの一捕虜にすぎないダニエルの前にひれ伏
してしまいました。そして、
「あなたがこの秘密をあらわすことができた
のを見ると、まことに、あなたがたの神は神
々の神、王たちの主であって、秘密をあらわ
されるかただ」(ダニエル書2:47)
と、心からその神の偉大さをほめたたえてい
ます。
夢と歴史
さて、王の見た大いなる像の夢は、その時
からの世界の将来ーー大いなる国々の興亡に
関することであるとありました。はたして世
界の歴史は、この二千六百年前になされた預
言のように推移してきたでしょうか?
ネブカデネザル王の「金の国」新バビロニ
ア帝国を倒したのは、歴史によればキュロス
大王の率いるメディヤ・ペルシャの連合ーー
ペルシャ帝国です。そのペルシャを滅ぼした
のは、一小国マケドニアの王から身を興し、
瞬く間にギリシャ全土を平定し、破竹の勢い
をもって遠く東の方インダス河畔まで版図を
ひろげたギリシャ帝国のアレキサンダー大王
です。
戦いにはめっぽう強かった大王も自分の肉
欲には勝てず、酒に呑まれてわずか三十三歳
で死んでしまい、ついで起こった武将たちの
後継争いによって、この大帝国は四つに、そ
してのちには三つに分裂してしまいました。
やがて、西の方から興ったローマによって、
アレキサンダーの国は併呑されてしまい、歴
史上かつてない広大な領土を有する強国、ロ
ーマ帝国が誕生します。
著名なイギリスの歴史家ギボン(1737-17
94)は、この預言とは関係なく、有名な『ロ
ーマ帝国衰亡史』に「鉄の国ローマ」と記し
ていることは、奇しき一致と言わねばなりま
せん。
なお、ダニエル書の七章から九章は、二章
以上に驚くべき預言であり、それらを比較研
究します時に、銀の胸と両腕=ペルシャ帝国、
青銅の腹ともも=ギリシャ帝国、鉄のすね=
ローマ帝国であることが、いっそうはっきり
します。
ローマ帝国は、東ローマと西ローマに分離
し、また、ゲルマン民族の侵入によって、ア
レマニィ、フランク、アングロサクソン等の
十の国々に分裂し、今日のヨーロッパの諸国
となっています。そのなかには鉄のように強
い国もあり、粘土のようにもろい国もありま
す。
分裂した国々を統合して、ローマ帝国の栄
光を再現しようと、カール大帝、カール五世、
ナポレオン、カイゼル、ヒトラーたちは、そ
れぞれの懸命の力を使用しましたが、預言に
よれば、鉄と粘土とを一緒に固くまとめよう
とするはかない徒労であり、失敗は初めから
明らかであったわけです。
武力で一緒にすることがむずかしいなら、
「婚姻によって」とあるように、結婚政策に
訴えましたが、結局、第一次世界大戦は、親
戚同士の王室を戴く国々の間で戦われるはめ
になってしまいました。
まことの神は、二千六百年も前から、人間
のいかなる方策や努力をもってしても、ロー
マ帝国瓦解後のヨーロッパを一つにすること
はできないと断言しておられるのです。ヨー
ロッパを一つにできなければ、世界を一つに
することもできません。
悪魔の暗躍と人間の限界
こう申しますと、ある方々は反発されるか
もしれません。
「君は世界平和のために、日夜、真剣に尽く
している善意の人々の努力と献身を嘲り、人
類の不幸を望むのか!?」
と。
いいえ、決して !! 私も心から、人類の平
和と幸福を望む者です。しかし、人間のなす
ことには、おのずから限界があることを、謙
虚に認めるべきでないかと思うのです。
イラン、イラクの幾万人もの尊い人命を犠
牲にし、大切な輸出物資、地球資源である石
油をボンボン燃やしての三年にもわたる愚か
な戦争、そしてそれをいっこうに止めさせる
こともできない国際連合の無力さ!? 現在、
保有している水爆で、完全に全人類を滅ぼし
尽くすことができるというのに、宇宙戦争ま
で計画している東西両陣営の、はてしなき軍
備競争などを考えますと、まさに「悪魔には
められた」としか言いようのないのを感じま
す。
また、かつては一枚岩を誇った社会主義国
家間における反目や抗争、EC諸国間の利害の
不一致によるゴタゴタ等々、数えあげます時
に、人間の知恵と力で、世界を一つにしたパ
ラダイスの建設などということは、それこそ、
「言うは易く、行なうは難し」が、正直なと
ころではないでしょうか。
その上、人類の生存にぜひ必要な空気、水、
土壌などの世界的汚染、人心の荒廃、犯罪の
激増、食糧の絶対的不足と資源の涸渇等々。
H・G・ウェルズならずとも、「この袋小路
を、どうしても抜け出す道はない。これでお
しまいである」と言いたくなります。
イエスが言った、
「人々は世界に起ろうとする事を思い、恐怖
と不安で気絶するであろう」(ルカ21:26)
との預言が、今や文字通り成就しているのを
感じます。
残された希望
しかし、それに続くイエスの言葉にご注目
ください。
「そのとき、大いなる力と栄光とをもって、
人の子が雲に乗って来るのを、人々は見るで
あろう。これらの事が起りはじめたら、身を
起し頭をもたげなさい。あなたがたの救が近
づいているのだから」(ルカ21:27)
この「人の子」とは、新約聖書をよく学べ
ば、イエス・キリスト自身のことであること
がわかります。すなわち全人類が終末の恐怖
におそれおののいているその時に、キリスト
は神を信じ、彼を信じる者の救いのために、
「雲に乗って」来るのです。
これが、「一つの石が人手によらずに切り
出されてその像」を撃って粉微塵にし、その
石は、「大きな山となって全地に満ち」たと
いうダニエルの預言を成就するものなのです。
ダニエルは、「それらの王たちの世」ーー
ヨーロッパが武力によっても婚姻によっても
外交によっても一つになれず、小さな国に分
かれている時代ーーに、「天の神は一つの国
を立てられます。………そしてこの国は立って
永遠に至るのです」と解き明かしをしました
が、キリストによって建設される国こそ、そ
れであるということです。
彼はもう一度、地上に生まれ育ち、偉大な
る人物として現れるのではなく、「大いなる
力と栄光とをもって雲に乗って来る」のです。
地上において、「キリスト」を称して現れる
者は、すべてニセ者であるから絶対にだまさ
れないようにと、キリストは何度も警告して
います。
UFOとか、「異星人の襲来」とか、「宇宙
人の攻撃」とかいう本がよく売れている昨今
です。それらはどうであれ、ぜひ、この「キ
リストの再臨」(キリストが再び来るという
こと)に心をとめていただきたいのです。そ
れは人類歴史上、空前絶後の大事件であり、
破滅に瀕した全人類にとっての「唯一の希望」
と考えるからです。
「私はクリスチャンではないから関係ない
よ!!」という方には、「その日は地の全面に
住むすべての人に臨むのである」(ルカ21:
35)と、キリストはちゃんとダメを押してい
るのです。
人類の堕落と神の恵み
神が造り主なら、なんでこんなデタラメな
世界を造ったんだ!! 」と、しばしば、質問を
受けます。
しかし聖書は、神は世界を完全に造ったと
言っています。そして、人類は、アメーバー
みたいなものから進化してきたものではなく、
「神のかたちに完全に造られた一組の夫婦の
子孫である」と言っているのです。
「神のかたちに」ーーこんなすばらしい人
間像はないのではないでしょうか。彼らはそ
の造り主である神に従順である限り、死を見
ることなく、永遠に幸福に生きられるはずで
した。しかし残念ながら、神の敵である悪魔
にだまされ、造り主であり、生命と全き幸福
の付与者である神に反逆した結果、いっさい
の不幸と死が、世界と人類に及ぶに至ったと
聖書は言っています。
神は反逆した人類を滅ぼすかわりに、はか
り知れないその愛と憐れみのゆえに、ひとり
子を一人の処女を通して、人の子としてこの
世に生まれさせ、人類の罪の身代わりとして、
十字架の上に死なせられた。
キリストは、十字架の死に至るまで、まっ
たく父なる神に従順であられたゆえに、神は、
三日目にキリストを死からよみがえらせられ
た。キリストは四十日後に昇天し、父なる神
の右の座につかれ、彼の十字架の死をわが罪
の身代わりとして心から受け入れた者のため
に、弁護者として、父なる神にとりなしてお
られる。そして、その者たちを永遠に救うた
めに再び来られると、聖書は宣言するのです。
初めての方には、死人がよみがえるなどと
いうことは、噴飯物に聞こえるかと思います
が、実はこれこそキリスト教の信仰の生命な
のです。また、いろいろな聖書解釈がありま
すが、聖書を素直に、かつ忠実に読み学べば、
私の記すことにご理解、納得していただける
と思います。これらのことについては、もっ
と詳しく書きたいのですが、すでに紙数が尽
きましたので、結論を急がせていただきます。
神の国
それは、キリストの再臨によって建設され
る神の国とは、ということです。キリストの
十二弟子のひとりのヨハネが、幻を見せられ
て書くように命じられた黙示録から引用いた
します。
『わたしはまた、新しい天と新しい地とを見
た。先の天と地とは消え去り、海もなくなっ
てしまった。 …… また、御座から大きな声が
叫ぶのを聞いた、「見よ、神の幕屋が人と共
にあり、神が人と共に住み、人は神の民とな
り、神自ら人と共にいまして、人の目から涙
を全くぬぐいとって下さる。もはや、死もな
く、悲しみも、叫びも、痛みもない。先のも
のが、すでに過ぎ去ったからである」。
すると、御座にいますかたが言われた、「
見よ、わたしはすべてのものを新たにする」。
また言われた。「書きしるせ。これらの言葉
は、信ずべきであり、まことである」。』
(ヨハネの黙示録21:1-5)
「死もなく、悲しみも、叫びも、痛みもな
い」世界の建設を、人間はたとえ夢みたとし
ても、不可能なのではないでしょうか。
しかし神は、ご自分がなすと、太鼓判を押
して誓っておられるのです。
私には、この偉大なる造り主に逆らい、悪
魔の策略にまどわされ続けるならば、人類が
滅亡の淵に立たされるのは、「当たり前」の
ことに思われます。
また、ご自分のひとり子を犠牲にしてまで
も、罪深い人間を救おうとなさる憐れみ深い
神が、全知全能なるお方であるならば、悪魔
を滅ぼし、死も悲しみも叫びも痛みもない世
界を造れるのも、「当たり前」のことと思わ
れるのです。
小社発行・『北陸の燈』第4号より
第2回「現代の声」講座提言者
テーマ:現代に聖書は必要か