「宗教」とは何か?(一)

【2021年1月3日配信 NO.95】

「迷信」と「宗教」について



           伊勢谷  功         


 迷うのは人間だけである

 「宗教」とは、元来「教えを宗(むね)と

する」ということですから、「仏さまの教え

やキリストの教えを、自分の生き方の中心に

据えて生きる」ということです。しかし、世

間一般では、宗教はもっと漠然とした意味で

考えられています。たとえば、うらないやま

じない、ご祈祷とか神だのみ、霊媒や霊鎮め、

浄霊・お清め・お祓い・神のお告げ等々……。

これらの中には、「宗教」のように見えるも

のもありますが、それらのほとんどが、私た

ち人間の「慾(よく)と無智(むち)」から

はじまった「迷信」や「迷い」にすぎないも

のです。


 「迷い」は私たち「一人ひとりの無智」か

ら起こるものですが、「迷信」は「世の中の

無智」つまり「集団化した無智」から起こる

ものです。「無智」は、単に知識が乏しい(

無知)ということではなく、「真実を見る智

慧(ちえ)が無い」ということです。


 ですから、仏教はまず、私たちを「迷いか

ら目覚めさせる智慧のはたらき」であるとい

えます。そしてもうひとつには、「慾を離れ

た慈悲のはたらき」なのです。


 「慈悲」ということは「野心や下ごころを

もたずに相手を思うこころ」のことです。


 この意味で、私たちが、こうした「うらな

いやまじない」「お祓いや神だのみ」などの

「迷信」から抜けだす(解脱する)ためには、

まず自分自身の「慾と無智」を問題にしなけ

ればなりません。つまりは、私たちの「慾と

無智」が迷いのもとなのです。


 「霊(れい)」は、テレビの迷信

 現代という時代は、無数の迷信が巷に満ち

あふれています。「バブル景気の崩壊後、土

地の神話が崩れた」などと、よくいわれまし

たが、「土地の神話」とは、つまり「土地の

迷信」ということです。


 科学や医学への迷信・政治や経済への迷信・

自分の体力や健康に対する迷信……。これら

は、私たちが、「限界のあるものを無批判に

過信してしまう誤り」を、「神話」とか「迷

信」とかという言葉でいい当てたものです。


 以前、民放テレビの「健康食品」番組で、

その効能の捏造が問題になりましたが、「テ

レビで放映していたから」ということだけで

鵜呑みにしてしまうとするならば、それこそ

が「テレビの迷信」というものです。


 最近では、民法のテレビなどで「霊」とい

うことが話題になっています。これは「生き

ものは肉体と霊魂とから出来ていて、死によ

って肉体は滅びても、霊魂(たましい)は生

き続ける」という「霊魂不滅(れいこんふめ

つ)」といわれる考え方によるものです。


 あやしげなタレントや自称専門家、そして

坊さんふうの男などがテレビなどに出てきて、

見てきたような話しをすると、ついつい信じ

てしまうのです。


 これは、私たちが「死」ということについ

て、あまりにも無智であるために、その「無

智」につけこんで、嘘がまかり通っているか

らです。


 仏教の結論からいえば、死者の霊とか霊の

祟りなどということは、人間の「無智と怖れ」

が考え出した「妄想」にすぎないのです。


 「霊魂不滅」という迷い

 この世に人間が出現して以来「霊魂不滅」

という考え方や教えが、多くの人々を迷わせ

てきました。人間以外の生きものには、こう

した迷いはありません。


 これは、「死によって、肉体は滅びても、

霊魂は生き続ける」という考え方で、「人間

は霊魂と肉体が一体となって成立している」

という「思いこみ」から成り立っているので

す。つまり、「いのち」というものを、霊魂

と肉体との二つの要素に分けて、「死とは、

この二つが分離することである」と考えるわ

けです。


 今日も、世界中で多くの人々がこの「霊魂

不滅」ということを信じていますが、お釈迦

さまは、この考え方こそが「私たちに、真実

の智慧と慈悲がないこと(無明)から起きる

迷いのもとである」と教えられました。



 このように、お釈迦さまは、「真実を知ら

ず、真実を求めようともしない私たちの生き

方こそが迷いである」と説かれたのですが、

私たちの、真実を求めようとする意欲をさま

たげるものは、じつは「自分自身の煩悩」な

のです。私たちは、自らの煩悩のためには、

真実にさえ目を背けるのです。


 その「煩悩」に従って生きている私たちに

とって、最も大きな打撃は「自分がいなくな

ること」です。つまり、私たちの煩悩にとっ

ては、自分の「死」ということ以上の打撃は

ないのです。そこで、「死後にも、何とかし

て、自分を存在させ続けたい」という空しい

願望が生み出した妄想の一つが、「霊魂不滅」

という迷いなのです。


 「死後往生(おうじょう)」とは何か?

 「死」によって、「自分というものがどこ

にもいなくなる」ということは、たしかに私

たちにとっては耐えがたいことなのですが、

これは、覚悟する以外にありません。じつは、

この覚悟するということによって、私たちの

生き方が変わってくるということが、仏教に

とっては最も大切な「第一歩」なのです。


 このごろテレビなどで、よく、自分が死ん

だあと、先に亡くなった人と「あの世」でま

た会えるかのようなことをいっています。


 葬儀の際の「弔辞」などでも、学問のあり

そうな人が、「あの世で、また会いましょう」

などというのを聞きます。火葬場でも、別れ

ぎわに、親族が「私もすぐ行くから待ってい

てね」などといっているのを、よく耳にしま

す。


 亡くなって何年もたってから、「死んだお

じいちゃんは、ちゃんといいところへ行けた

かしら?」などといったりもします。現代の

キリスト教徒の多くが、死んだあとに「天国」

に行くことが救いだと思っています。


 思想家の吉本隆明は、これを「永生願望(

永久に存在し続けたいという執着)」といっ

ています。生き残っているものにとっては、

時間は続いていますが、死んだものには、「

自分の死」以後には、時間は存在しません。

死ぬことによって、明日も明後日も永久にな

くなり、その人にとっての時間は、そこで終

わるのです。


 私たちがそのことを明確にしない限り、「

浄土往生」は、「死んだら極楽に往(ゆ)く」

という、ただのおとぎ話かウソ話になってし

まうのです。人間の煩悩が「浄土」を都合よ

く解釈しているにすぎないのです。「浄土宗」

に「真」の一字を入れて「浄土真宗」とされ

た親鸞聖人の「念仏往生の救い」は、そこが、

分かれ目なのです。


 「死者の霊」は祟るのか?

 「浄霊」という言葉があります。「霊」に

祟(たた)られているために、よくないこと

が起きるので、その「霊」を浄(きよ)める

ことによって、災難を逃れようとすることで

す。


 むかしの「芝居」などに、「魂魄(こんぱ

く)この世に留まりて」などという「せりふ」

が出てきますが、「死者のたましい」があの

世に往けずに、時折この世に出没して祟りを

なすというような「講談」や「落語」が、た

くさんあります。


 「浄霊」という考え方は、自分に禍(わざ

わい)をもたらす「悪い霊」を祓い除きたい

ということであって、亡くなった人を供養し

たいという思いとはまったく異質なものなの

です。


 「死者の霊」などというものが、実体的に

存在するはずはないのだということさえはっ

きりしていれば、人はそのような嘘に騙され

ることはないはずなのですが、人間の愚かさ

が、真実への目覚めをさまたげて、多くの人

が「霊の祟り」や「霊の信仰」にからめとら

れてきたというのが現状です。


 事故で大勢の人が亡くなったりすると、「

集団慰霊祭」のようなことをする場合があり

ます。戦没者なども、毎年さまざまの団体が

「慰霊祭」を開催したりしています。


 「慰霊祭」とは、亡くなった人の「霊を慰

(なぐさ)める祭」ということなのですが、

これらは何のためにするのでしょうか? 仏

教では「慰霊祭」をすることはありません。

では、仏教の行事として、「法事」は、何の

ために勤めるのでしょうか。


 「真実の宗教」を求めよう

 三十年ほど前、群馬県御巣鷹山に航空機が

墜落しました。毎年八月十二日には、遺家族

たちの多くが墜落の現場に出かけます。テレ

ビでは「遺族たちが、遺影やお花をもって、

墜落現場に集まり、亡き肉親の霊を慰めてい

ました」などと報道しています。


 「霊を慰める」ということが、すでに決ま

りきったこととして報道される「常識の無智」

ーーこれが、現代日本人の一般的な宗教観な

のでしょうが、日本のジャーナリズムの知性

と見識の乏しさを痛感させられます。


 またニュースや報道番組では、初詣でには

じまって、合格祈願や交通安全祈願、そして

能登の「あえのこと」のような各地の季節行

事やお祭りにいたるまで、じつに多くの神事

や仏事が放送されますが、アナウンサーや原

稿執筆者は、自分たちが、いかに低俗な宗教

理解に基づく説明や、事実無根の御利益の宣

伝をしているか、ということに気づいていな

いようです。


 今日、多くの日本人がイメージする「宗教」

は、御利益信仰・祟り鎮め・死者供養・勧善

懲悪、そして、せいぜいが哲学的教養か精神

鍛錬などとして理解されています。しかしこ

れらのすべては、「真実の救い」ではなく、

ただの「処世術」にすぎないとして、親鸞聖

人によって否定されたものであることを忘れ

てはなりません。


 そして、こうした日本人の宗教に対する理

解の低俗さは、寺院や僧侶の「無信仰」と「

経営主義」(怠慢と堕落)によるものである

ことを思い知らねばならないでしょう。


 人間の「賢さ」と「愚かさ」

 私たちはいつも、将来に良い結果を得よう

と、さまざまな努力や工夫をしています。人

間以外にも、目標に向かって、その達成のた

めに「正当な」努力を試みる生きものは無数

にいます。


 しかし人間には、他の生きものとちがって、

非常に愚かなところがあります。それは、「

正当な」努力以外に、まったく見当はずれな

工夫を試みることです。たとえば、うらない

やまじない、神だのみなど、これらは、賢い

はずの人間が考え出した、きわめて愚かな行

為なのです。日本では、科学者が大勢集まっ

て、人工衛星を打ち上げるのに、神主にお祓

いをさせたりしています。


 また、人間は「善(よ)いこと」をすれば、

「好(よ)い結果」が得られるのではないか、

と期待します。しかし、「善行」と「御利益

(ごりやく)」のあいだには何らの因果関係

もありません。むしろ「正直者は馬鹿を見る」

とか「悪い奴ほどよく眠る」などということ

わざは、江戸時代からいわれてきました。し

かも、ここでいう「善いこと」とは、限られ

た時代や地域の一般通念で「善とされている

こと」であり、「好い結果」というのは、自

分たちに「都合の好いこと」ということです。


 人間以外の生きものは、愚かなりに「正当

な」努力のみを試みますが、人間は彼らより

賢いはずなのに「愚かなこと」を考えます。

お釈迦さまは、このような考えは、因果の道

理を無視した、人間の傲慢さであると教えら

れました。宗教によって「救われる」という

ことは、まず第一に、自分自身の愚かさと傲

慢さから「救われる」ということなのです。


 「平安時代」の民衆の宗教

 親鸞聖人が誕生されたのは、いまから八四

〇年あまり前の、平安時代末期のころでした。

当時の一般庶民たちは、貴族階級による支配

体制のなかで、抑圧と貧困による地獄の苦し

みを強いられていました。世の中は「一寸先

は闇」といわれるように、地震や大火があい

つぎ、戦乱や飢餓が絶えることなく、その上、

疫病が蔓延して、この世はまさに生き地獄さ

ながらであったのです。


 ひとびとが生き延びるためには、善悪をわ

きまえるゆとりもなく、死んだあとにも、こ

のような彼らを待ち受けるのは「地獄の責め

苦」以外にはないのだと教えこまれてきまし

た。まさに名もなき庶民は、「生きるも地獄、

死んでも地獄」という「苦」の人生を生き死

にしていったのです。


 自分たちの人生から「禍をしりぞけ、福を

招き寄せたい」という欲求は、人間誰しもが

抱く当然の思いだともいえますが、これを現

実生活で実現するために「神仏」を味方につ

けて「御利益」を獲得しようという宗教を、

親鸞聖人は「罪福信仰」として否定されまし

た。いわゆる「御利益信仰」とか「おねだり

信仰」とかというものです。このような人間

の欲望を手伝う「神仏(かみほとけ)」が、

現実に存在するはずがありません。


 私たちが、現実社会に目を開くならば、今

日のように自然科学や医療技術が発達した時

代に、いまだにこうした低俗な「御利益信仰」

を捨てきれない人たちが、あまりにも多いこ

とに驚きます。


 「祟り鎮め」と「死者供養」

 仏教が伝来した奈良・平安の時代、天皇や

貴族階級の人たちは、自身の名利栄達のため

にライバルを陥れたり殺害したりして手に入

れた「地位」を守るために、かつて抹殺した

政敵を「手厚く葬る」という、いわば「死者

の供養」ということを盛んに行ないました。

彼らは「人は死後にも、生前の怨(うら)み

をはらすために、怨霊(おんりょう)となっ

て災禍をもたらす」という怖れから、僧侶に

「怨霊退散」や「祟り鎮(しず)め」のため

の「読経(どきょう)」をさせ、「死者」を

供養することによって、死者たちの往生成仏

を祈りました。


 また庶民は、「死後の地獄」を免れるため

に、精進潔斎(けっさい)や念仏三昧(さん

まい)などの善根功徳(くどく)を積むこと

によって、死後には、極楽浄土に往生できる

よう、仏のお慈悲にすがろうとしたわけです。


 以上のように、遥か八四〇年むかしの平安

末期、支配階級の掌の中(てのうち)にあっ

て、仏教からは見捨てられた人々が、淡い期

待を寄せた「救い」とはどのようなものであ

ったのかをふり返ってみますと、現代に生き

る私たちが、こうした「真宗以前の迷いや誤

り」をそのまま受け継いでいることに気づか

せられます。



 いまだに地上にあふれている「御利益信仰」。

そして、読経による「祟り鎮め」、「死者供

養」や「死後の極楽往生」など。法然上人や

親鸞聖人のご苦労の甲斐もなく、「本願念仏

による真実の救い」からは遠く隔たって、私

たちは、浄土真宗以前の迷いの中を、いまも

なお、さまよい続けているのです。そして、

その責任の大半が、真宗の寺院や僧侶にある

ことを忘れてはなりません。


 「自己の死」によってすべてを終えて行か

ねばならない人生にとって、自分たちの安泰

や名利栄達などというものよりもっと大切な

もののために生きた人たちがあったことを知

ること、そしてその足跡をたどろうとするこ

とから、真実の宗教がはじまるのです。


 私たちは、すでに法然没後八〇〇年、親鸞

滅後七五〇年の時代を越えました。現代を生

きる私たちに与えられた責務は、法然上人・

親鸞聖人による「本願念仏の教え」が、真に

現代人に救いをもたらすか否かを、身を以て

明かすこと以外にはありません。











〈参考〉

 当講座 NO.88、96 にも伊勢谷功さんの

 記事掲載。

   併せて、NO.15、16、34、70、76、77、

 87、89の記事も参照していただきたい。


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 【2023年8月2日配信】小社発信記事      木原事件、ジャニーズ事件、 松本VIP事件、 自民裏金脱税事件、政治、ジャーナリズム                      佐藤章 さんの発言とともに考える            尾崎豊『ダンスホール』1984.3.15  東京新宿RUIDO 浅 川マキ/ ライブ夜 1977.11.19 京大西部講堂 桃山晴衣『遊びをせんとや生まれけん』 最新のジャニーズ・松本VIP事件、震災その他記事 当講座記事NO.320 2024.3.6 谷本誠一さん、中川秀直衆議秘書時代を語る 広島県前呉市議(6期)の谷本さんが 高校生の インタ ビューに応えてパー券販売、地盤培養活動などを話す。 撮影 2023.8.3 2021.5.21 佐藤章さんスクープ解説動画 第二次安倍内閣安倍晋三首相退陣の真相 木原事件を考える 2023.8.2 志あるジャーナリストへの呼びかけ .  2023.8.20 黒澤明『天国と地獄』仲代達矢の圧巻の台詞 .                       「被害者・遺族の無念を晴らす。これが刑事の仕事」     佐藤誠元刑事記者会見 2023.7.28 コロンボ、安浦吉之助、 十津川省三、杉下右京をしのぐ 佐藤誠さん の 言葉。「 日本の心」はまだまだ生きている。 同時に加害者側の動機、心情も併せて理解すべきである。 日本の歴史、社会、政治を変える日本史上最高記者会見                    2023.8.8 真犯人 Z氏と木原氏の人生を考える 2023.8.17 事件当日の Z 氏の行動を考察する 2024.8.24 民主主義の岐路.検察再捜査の動き    2029.8.30 事件のもみ消しを決して許してはならない    2023.8.31 事件を報道しない既存のメディアへの怒り                                                     文春報道によれば、2006 年 4月 9日の 午後10時ごろに東京都内で安田種雄さんと いう方が殺されたが自殺とされた。そして 2018年春に捜査が再開されたが、本格的な 捜査に入ろうとした矢先の同年10月下旬に 捜査が突然打ち切られた。  この事件の捜査に当たった警視庁元刑事 の佐藤誠さんが、先月28日に

307. 職人の心意気 -「技」の文化 -

 【2023年7月3日配信】   手作りへのいざない    -「技」の文化-     縫い針のひとはりに込める夢  敦賀市 宮岸 かなえ                     てのひらに落ちる雨滴が灯をともす     鹿児島市 井上 治朗                        器(うつわ)  器への思い    九谷焼絵付師  宮保 英明         用という約束の形を提供しながら、その 形の中でどれだけ新鮮な自身の感覚を保ち 得るか、どんな可能性を引き出し得るか、 自身を試す姿勢で器と向かい合いたい。  自意識による変身、習慣のタガをはずし、 本来まったく自由に扱える創作表現への自 意識を、材質としての焼きものにぶつけた い。  盛られる料理に好かれる器。使いよくて 楽しくて、ついつい使ってしまう器。見た 目に静かで、しかし強い存在感を持ち、素 直に語りかけてくる。そんなものを心がけ てつくりたい。 みやぼ ひであき 20歳から絵付けをはじめる。 1950年石川県白山市生まれ。 石川県加賀市日谷(ひのや)在住。 日谷川をはさんで両側に民家と山が並ぶ。 谷間の村・日谷の向こうには人はいない。 宮保家の裏もすでに森である。 仕事をするのにいい場所をさがし歩き、 1984年の夏、白山市から引っ越してきた。 「ときどき熊が顔を出す」と妻の文枝さん。 小社発行・『北陸の燈』第4号より 撮影・八幡スタジオ 当講座記事NO.21、249再掲 当講座記事NO.223、「職」に関する記事から     芭蕉布ムーディー綾番匠くずし 平良 敏子   鋏 川澄 巌  文駒縫(あやこまぬい) 竹内 功   匠  足立区が誇る「現代の名工」    当講座記事NO.269、「世界屈指の技と清ら」から   流し猫壺 河井 寛次郎      「祖父寛次郎を語る」鷺 珠江さん     当講座記事NO.280、「湯の人(4)」から   樹 -卒業制作- 青木 春美     当講座記事NO.22、「織を通して学んだこと」から     絹本著色方便法身尊影  1500年製作      当講座記事NO.72、「松帆榭にて」から   千年の土 珠洲焼 篠原 敬    当講座記事NO.296、「あの日のこと」から     バンチェン土器   タイ・バンチェン遺跡     当講座記事NO.288、「個

224. 天と地をつなぐ「おわらの風」

【2022年1月22日配信】   大寒           七尾市 石島 瑞枝             雪解けの春風を待つ坂の町               秋風 (2023.9.3)            横浜市 髙祖 路子    夜流しの音色に染まる坂の街                         鏡町地方衆、先人のご苦労をしのびその息吹に応える夜流し .  今町のおわら .      2023.9.3 最終日、西町青年団最終おわらの舞い .                               撮影 木偶乃坊写楽斎さん         〈参考〉                               越中八尾おわら風の盆               「深夜の夜ながし」      日本と日本人が失くしてしまった、  奪 われてしまった温かい心情、 郷愁  --それらを求めて各地から 数多の  見物者 が、 魅入られたかのように、  取りもどす か の ように八尾へ と 足を  運 ぶ の だろうか。  高橋治と石川さゆりの『風の盆恋歌』  の影響が大きいとも八尾ではいわれ  て いる。言葉と 歌の 力のすごさか。  事実、この 歌 の前と後とでは、風の  盆訪問 者 数に圧倒的な差がある。  紅白で、「命を賭けてくつ がえす」  と、着物の 袖 を 強く 握りしめ 揺さぶ  り ながらうた った 「くつがえす」の  一語の中に、日本の 歌手 として歩ん  できた 石川さゆりの、 自 らの心の奥  底にある深い 懐 いをも 包んだ 全 情念  が 込め ら れて い る。  旅人の多くが八尾に滞在してい る中、  わずかのさすがの通だけが、おわら  本来 の良 さ が漂っている深夜の夜流  し の、 後ろ姿を見ている。個性 ある  いで たちもすばらしい。  おわらは見せるものなのか、見られ  るこ とを意識すらせずに心ゆく まで  自ら楽しむものなのか。あるいはま  た、…… …… 高橋治と 石川さゆりは、  諸々のことを考える、見直すための  たいへ ん な「契機」 を 与 えて くれ た  ので ある 。    個人的な所感を述べれば、おわらは  縄文と江戸の文化が八尾で花開いた  ような気がする。  (当講座編集人)    鏡町の踊りに魅入

235. 「兵戈無用」への道程

【2022年2月17日配信】   プーチンへの右手の励ま し   ウクライナと非戦を考える -自由と平和への歴史的飛翔-       ワリエワ問題・負けて勝つ逆転の超美技                      越前市 朝倉 陽子       Flying For Real Freedom And  Peace    二本 刃土俵入り                                                                                                                                                     兵戈無用へ向けて                  ロシア民謡「鶴」          鶴 (Журавли) 日本語字幕     歌  アレクサンドラ・べリコヴァ              Александра Белякова        鶴 - Wikipedia     当講座記事NO.170より        木偶乃坊写楽斎さん撮影    当講座記事NO.283、284、285、300から       以下も朝倉陽子さんの川柳 ワリエワの薬物疑惑事細かに報ずれどワクチン成分問わぬ報道 オリンピックを政治と憎しみの場に変質するIOC     スポーツ精神もわきまえぬIOC面々五輪稀有の至宝をも潰さんと 嫉妬深い狭量小バッハへの大バッハの怒り天を衝く 今の世とあるべき世の構図を北京に見る せめて競技者と元競技者だけですればどうか五輪運営 天賦の才ひきだすト ウ トベリーゼをIOC会長に 師を越えるカミラの願い現実に 速さ華麗さ柔らかさに強さもあわせもつ宙へ羽ばたくカミラの舞い 荷が重すぎても実力歴代世界一十五歳ワリエワ史上最高演技   ワリエワの右手の励ましに木陰で胸なでおろすプーチン一滴の落涙     写真 2022.2.18 日刊スポーツ   〈参考〉 読者の方々から以下のご意見がありました。  「 IOCこそ問題  ジャンプ服の違反やドーピングに関して、 服については競技前に検査すればいいだけ の問題であり、ドーピングに関しても大会 前に把握解決しておけばいいだけの問題で ある。大会中にこれらの問題を引き起こす ことは、IOCが

314. 哲学の時代へ(第13回)

 【2023年9月1日配信】   お金から命 の時代へ(8)    薪を負うて名定まる                「知の無知」 ソクラテスの嘆き        青梅市 山下 秀美                            毒あおぎ今ごろ悔いるソクラテス                               毒杯を奪い地に叩き割る者はいなかったのか          わが腹中を知らずや毒を急ぐ人々      奇術師の手品のようなピーシーアール           プラトンも注射に走る恩知らず         アリストテレスよおまえもか  わしともあろうものがなかった先見の明  クサンチッペが一番まともだった      「あんたはほんとにおばかさん」    今一番語りあいたしディオゲネス     「ひなたぼっこのじゃましないでくれ」  ミュルトはどうしている    フリュネとも話がしたい   ディオゲネスの唯一理解者  毒消しをわしは今アポロンに頼んでいる       孔子とはわしのことかとソクラテス    彼の人にもなってしまったが   人類の罪を背負うという意は    命を賭して彼の人を救おうと   し た者は誰もいなかったのか      同じ過ちは何度も繰りかえせ   賢明な弟子は師を選び鍛える      以下参考   今野ゆうひさん、当講座記事NO.303    マスク社会への決断・問われる学校教育   谷本誠一さん、釧路マスク強制降機の真相     この真相についての谷本誠一さん執筆原稿   司法との戦い第2ステージへ( 2023.10.1 動画)       谷本誠一さん執筆、当講座記事NO.161     国民主権・国民の命と自由と人権    高校1年生が谷本誠一さんを取材(2023.8.3 動画)    谷本さん青雲の志中学高校時代を語る    谷本さん将棋奨励会大阪時代を語る    谷本さん中川秀直衆議秘書時代を語る   2024.3.5 参議院予算委員会   柳ヶ瀬裕文議員、新型コロナワクチン被害につき質問   2024.3.7 文春オンライン、福島雅典京大名誉教授   「コロナワクチン後遺症」驚愕の調査結果発表   当講座記事NO.289 コロナ再考、甦る親鸞の他力   同268 いま一度、コロナについて考えてみよう 〈小社推

275. スポーツを文化にするために

【2022年10月10日配信】     交驩のエール     花開きつつあるエンジョイベースボール    「学生野球考」          慶應義塾大学野球部監督                   前田 祐吉      「サード!もう一丁!」「ヨーシこい」 と いう元気な掛け声の間に、「カーン」と いう 快いバットの音がひびくグラウンドが 私の職 場である。だれもが真剣に野球に取 り組み、 どの顔もスポーツの喜びに輝いて いる。息子 ほどの年齢の青年たちに囲まれ、 好きな野球 に打ち込むことのできる私は、 つくづく、し あわせ者だと思う。  学生野球は教育の一環であるとか、野球 は人間形成の手段であるということがいわ れるが、私の場合、ほとんどそんな意識は ないし、まして自分が教育者だとも思わな い。どうしたらすべての野球部員がもっと 野球を楽しめるようになるのか、どうした らもっと強いチームになって、試合に勝ち、 選手と喜びを共にできるのか、ということ ばかり考えている。  野球に限らず、およそすべてのスポーツ は、好きな者同志が集まって、思いきり身 体を動かして楽しむためのもので、それに よって何の利益も求めないという、極めて 人間的な、文化の一形態である。百メート ルをどんなに早く走ろうと、ボールをどれ だけ遠くへカッ飛ばそうと、人間の実生活 には何の役にも立たない。しかし、短距離 走者はたった百分の一秒のタイムを縮める ために骨身をけずり、野球選手は十回の打 席にたった三本のヒットを打つために若い エネルギーを燃やす。その理由は、走るこ とが楽しく、打つことが面白いからにすぎ ない。さらにいえば、より早く走るための 努力の積み重ねが何物にも替えがたい喜び であり、より良く打つための苦心と練習そ のものに、生きがいが感じられるからであ る。  このように、スポーツは余暇を楽しみ、 生活を充実させるための手段で、それ以外 には何の目的もないはずである。むしろ目 的のないことがスポーツの特徴であり、試 合に勝つことや良い記録を出すことは、単 なる目標であって終局の目的ではない。  かつて超人的な猛練習でスピードスケー ト の王者といわれ、冬季オリンピックの金 メダルを独占したエリック・ハイデンは「 金メダルは私の人生の目的ではない。それ に至るプロセスの喜びが私
         柿岡 時正
         廣田 克昭
         酒井 與郎
         黒沢  靖
         神尾 和子
         前田 祐吉
         廣田 克昭
         伊藤 正孝
         柿岡 時正
         広瀬 心二郎
         七尾 政治
         辰巳 国雄
         大山 文人
         島田 清次郎
         鶴   彬
         西山 誠一
         荒木田 岳
         加納 韻泉
         沢田 喜誠
         島谷 吾六
         宮保 英明
         青木 晴美
         山本 智美
         匂  咲子
         浅井 恒子
         浜田 弥生
         遠田 千鶴子
         米谷 艶子
         大矢場 雅楽子
         舘田 信子
         酒井 由記子
         酒井 由記子
         竹内 緋紗子
         幸村  明
         梅  時雄
         家永 三郎
         下村 利明
         廣田 克昭
         早津 美寿々
         木村 美津子
         酒匂 浩三
         永原 百合子
         竹津 清樹
         階戸 陽太
         山本 孝志
         谷口 留美
         早津 美寿々
         坂井 耕吉
         伊佐田 哲朗
         舘田 志保
         中田 美保
         北崎 誠一
         森  鈴井
         正見  巖
         正見  巖
         貝野  亨
         竹内 緋紗子
         滋野 真祐美
         佐伯 正博
         広瀬 心二郎
         西野 雅治
         竹内 緋紗子
         早津 美寿々
         御堂河内 四市
         酒井 與郎
         石崎 光春
         小林 ときお
         小川 文人
         広瀬 心二郎
         波佐場 義隆
         石黒 優香里
         沖崎 信繁
         山浦  元
         船橋 夕有子
         米谷 艶子
       ジョアキン・モンテイロ
         遠藤  一
         谷野 あづさ
         梅田 喜代美
         小林 ときお
         中島 孝男
         中村 秀人
         竹内 緋紗子
         笠尾  実
         前田 佐智子
         桐生 和郎
         伊勢谷 業
         伊勢谷 功
         中川 清基
         北出  晃
         北出  晃
         広瀬 心二郎
         石黒 優香里
         濱田 愛莉
         伊勢谷 功
         伊勢谷 功
         加納 実紀代
         細山田 三精
         杉浦 麻有子
         半田 ひとみ
         早津 美寿々
         広瀬 心二郎
         石黒 優香里
         若林 忠司
         若林 忠司
         橋本 美濃里
         田代 真理子
         花水 真希
         村田 啓子
         滋野 弘美
         若林 忠司
         吉本 行光
         早津 美寿々
         竹内 緋紗子
         市来 信夫
         西田 瑤子
         西田 瑤子
         高木 智子
         金森 燁子
         坂本 淑絵
         小見山 薫子
         広瀬 心二郎
         横井 瑠璃子
         野川 信治朗
         黒谷 幸子
         福永 和恵
         小社発信記事
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         秋山 郁美
         加藤 蒼汰
         森本 比奈子
         森本 比奈子
         吉村 三七治
         石崎 光春
         前田 佐智子
         前田 佐智子
         前田 佐智子
         前田 佐智子
         中野 喜佐雄
         八木  正
         堀  勇蔵
         家永 三郎
         広瀬 心二郎
         菅野 千鶴子
         海野 啓子
         菅野 千鶴子
         海野 啓子
         石井 洋三
         小島 孝一
         キャリー・マディ
         谷本 誠一
         宇部  功
         竹内 緋紗子
         谷本 誠一
         酒井 伸雄
163、コロナ禍の医療現場リポート
         竹口 昌志
164、この世とコロナと生き方を問う
         小社発信記事
165、コロナの風向きを変える取材
         橋本 美濃里
166、英断の新聞意見広告
         小社発信記事
167、ワクチン接種をしてしまった方へ
         小社発信記事
168、真実と反骨の質問
         小社発信記事
169、世論を逆転する記者会見
         小社発信記事
170、世界に響けこの音この歌この踊り
         小社発信記事
171、命の責任はだれにあるのか
         小社発信記事
172、歌人・芦田高子を偲ぶ(1)
         若林 忠司
173、歌人・芦田高子を偲ぶ(2)
         若林 忠司
174、歌人・芦田高子を偲ぶ(3)
         若林 忠司
175、ノーマスク学校生活宣言
         こいわし広島
176、白山に秘められた日本建国の真実
         新井 信介
177、G線上のアリア
         石黒 優香里
178、世界最高の笑顔
         小社発信記事
179、不戦の誓い(2)
         酒井 與郎
180、不戦の誓い(3)
         酒井 與郎
181、不戦の誓い(4)
         酒井 與郎
182、まだ軍服を着せますか?
         小社発信記事
183、現代時事川柳(六)
         早津 美寿々
184、翡翠の里・高志の海原
         永井 則子
185、命のおくりもの
         竹津 美綺 
186、魔法の喫茶店
         小川 文人 
187、市民メディアの役割を考える
         馬場 禎子 
188、当季雑詠
         表 古主衣 
189、「緑」に因んで
         吉村 三七治 
190、「鶴彬」特別授業感想文
         小社発信記事
191、「社会の木鐸」を失った記事
         小社発信記事
192、朝露(아침이슬)
         坂本 淑絵
193、変わりつつある世論
         小社発信記事
194、ミニコミ紙「ローカル列車」
         赤井 武治
195、コロナの本当の本質を問う①
         矢田 嘉伸
196、秋
         鈴木 きく
197、コロナの本当の本質を問う②
         矢田 嘉伸
198、人間ロボットからの解放
         清水 世織
199、コロナの本当の本質を問う③
         矢田 嘉伸
200、蟹
         加納 韻泉
201、雨降る永東橋
         坂本 淑絵
202、総選挙をふりかえって
         岩井 奏太
203、ファイザーの論理
         小社発信記事
204、コロナの本当の本質を問う④
         矢田 嘉伸
205、湯の人(その2)
         加藤 蒼汰
206、コロナの本当の本質を問う⑤
         矢田 嘉伸
207、哲学の時代へ(第1回)
         小社発信記事
208、哲学の時代へ(第2回)
         小川 文人
209、コロナの本当の本質を問う⑥
         矢田 嘉伸
210、読者・投稿者の方々へお願い
         小社発信記事
211、哲学の時代へ(第3回)
         小社発信記事
212、哲学の時代へ(第4回)
         小社発信記事
213、小説『金澤夜景』(2)
         広瀬 心二郎
214、小説『金澤夜景』(3)
         広瀬 心二郎