年越しの記(2)
【2020年12月25日配信 NO.91】
北出 晃
二、美香子
十二月三十日、午後。純子の家を辞して、
三春町をあとに二八八号線を郡山に引き返す。
東北地方を南北に貫く四号線にぶつかる。
ーーさて、東京に帰ろうか、それともーー
路肩に車を停め、カーステレオにカセット
を放り込む。リクライニングシートを倒した。
昨日、今日の純子を反芻し楽しむため、そし
て、これからどうするかを思案するためであ
る。
イントロの三味線に擬したシンセサイザー
の音に引っぱられて、オーボエとフルートの
混ざった様な電子音の主旋律が始まる。姫神
センセーションというグループの『遠野』と
いうアルバムだ。柳田国男の名作『遠野物語』
の世界を主題としたもので、このグループは
盛岡市在住のロック、フュージョンのグルー
プである。『春風祭』『水光る』『峠』とい
うシーンが続く。岩手県北上山中遠野の里に
生きる様々な生き物たち、四季の巡りの中に
生活する人間、そこで繰り広げられる豊かな
民俗行事。光かがやく自然、生きとし生ける
ものの躍動(エラン・ヴィタール)が見事に
表現されて私の鼓膜を打った。三春の純子に
似てさわやかである。『サムト』『早池峯』
『綾織』と、北国の冬の空気に誘い、奥羽の
山深い信仰の世界へ。荒ぶる神、やさしき神、
神の豊かさは人間の苦悩と希望の多様さの写
しである。『河童淵』『赤い櫛』『水車まわ
れ』と、民話伝説のモチーフのあと、自然の
力を受けて力強く回る水車のテーマ。生きよ、
共に生きよと歌う。自然と動物と人間の共生
を楽しく奏でる。
ーー青森に行こう。青森で年を越そうーー
青森へ行くことは美香子に会いにゆくこと
であった。魔女、美香子。NHK青森放送局で
の五年の勤務のうち、最後の一年を陰に陽に
付合った女である。陽にとは、番組のコーナ
ーを受け持つエレクトーン奏者として。陰に
とは、私の心にセンセーションを巻き起こす
姫神として、つまり私の想いびととして。
「今、福島。これから北へ走ります」
「エーッ」
「いいかな?」
「……」
「イイトモッて言ってよ」
「ハハハハ」
「とにかくそっちに向かうから」
「知らない」
「何!? 行っても会えないってこと?」
「分かんない。三十一日の夜は友だちと約束
してるし」
片想いなのだ。うまくいっていたこともあっ
た。私の東京への転勤を機に、一時燃えあが
ったあと、実質的に別れてしまって二年近く
になる。言っておこう。私はまだ彼女に首っ
たけなのだ。
「とにかく行くよ、会えないんならそれでも
いい。美香の側で年をとりたいだけだ」
「……」
時速一四〇km、毎分四, 〇〇〇回転。エン
ジン音に負けない位ボリュームをあげて、『
遠野』を聴きながら東北自動車道をひた走る。
水沢で雪。チェーンをはく。 時速五〇km。
陽が落ちた。盛岡でチェーンを脱ぐ。滝沢イ
ンターチェンジで国道四号線に乗り替える。
凍結した道路の上を、すでに三万キロ走った
ラジアルタイヤをだましだまし転がす。雪中
行十時間。青森市のホテルに入ったのは、午
後十一時であった。
小料理店で焼酎をあおる。疲れきった体に
灯がともった。二杯目。浣腸されたように肛
門が熱くなった。三杯目。その暖かさが脳髄
へと走った。歩き慣れた青森の港をゆく。そ
して歌い込んだ十八番を口ずさむ。
♬ 思い切れない未練のテープ
切れてせつない女の恋ごころ
汽笛ひと声 汽笛ひと声
涙の波止場に
私ひとりを捨ててゆく
連絡船よ ♬
菅原都々子の『連絡船の唄』である。旅を
楽しむには感傷にひたるにかぎる。
十二月三十一日、午後二時。美香子がホテ
ルに現われた。
「やあ」
「しょうがない人ねえ、勝手なんだから」
「勝手なことはもう分かっているだろ、適当
にいなしながら付合ってくれればいいよ。
こっちは、時々美香と酒を飲めればいいん
だから」
「フフン」
困惑の表情の中にも、ある種の喜びが隠しき
れていない。だからこそ、こんな妙な形でま
だ続いているのだ。
「一時間だけよ」
「東京からはるばる来てか?」
美香子は昔のやさしさで笑った。
なじみの中華料理店に入った。ビール一本
あけたあと、一時間で飲むよと言って紹興酒
をビンで注文した。まだ陽が高い。隣の家族
連れがこちらを向いて笑った。
東京でチラと会って以来、三ヶ月ぶりであ
る。無精ヒゲに角刈りのスタイルは彼女には
初めてであったが、一言も話題にのぼらない。
それがいかにも美香子らしい。クセのある女
である。〈誠実だけれど素直じゃない〉これ
は以前、彼女が自分を評して言った言葉だ。
独立心が強く、男っぽい性格である。
二十七歳。年齢より四、五歳は若く見える。
全体に、ふっくらとした柔らかさを感じさせ
る。が、決して太っているわけではない。背
丈は純子と同じ位ある。横に坐ると、何とな
く熱を感じる程、胸も腰も、照れずに女を主
張している。存在感のある体である。そして
山口小夜子を少しソフトにしたような、味の
ある顔がその上に乗っかっている。服装のセ
ンスもいいし、化粧もうまい。男を釣る怪し
い仕草も、計算されていて、かつ自然に出る。
牝そのものの体の中に、男にも負けない強靭
な精神的パワーを秘めている。それが表には
妙なクセとして写る。だが私はそこに惚れて
しまったのだ。御し難いということが危険な
魅力になることがある。
「そういえば、もう三年位の付合いになるけ
ど、美香ちゃんにプレゼントらしきものし
たことないね」
「イタリアのおみやげにバッグもらったじゃ
ない」
「あれは、もともと君に買ってきたものじゃ
ない」
「北海道みやげの小銭入れ」
「ハハハ、函館駅前のキヨスクで買ったやつ。
二千円だったかな?」
「今持ってるの、ホラ」
熊の硬い毛で表装された黒白の大きめの小銭
入れを取り出した。うれしかった。
私は、この際何かまとまったお礼をしたい
と言った。何のお礼?と笑ったが、すでに彼
女は私の気持ちを察しているはずだ。私を傷
つけまいとして遠ざかる彼女に、何かれとま
とわりついて来たのは私の方である。四歳年
長であるにもかかわらず、私の方が彼女にな
ついてしまったのであろう。二人の関係は、
私にとっては、全く気を使わず何でも言えて
リラックスできる自然なものだった。だが、
彼女にとっては決してそうではなかった。そ
れをここ二年間強いてきたという負い目があ
る。
「何でもいい、好きなものを言ってくれ」
「いいよ、そんなこと。こっちが悪いんだか
ら」
こっちが悪い。彼女が時々口にする言葉であ
る。私が何とも思っていないことも、彼女に
とっては負い目になっている。確かに当時は
いくらかの傷を受けたが、今では何程の事で
もない。
二人の関係が最も近かった時、私が実質的
なプロポーズをし、彼女は一旦は OKの返事
をした。そして彼女の方が気が変わった。そ
れだけの事である。理由は美香子は一切言わ
なかった。立派だと思う。口にすれば、私を、
また自分自身をも傷つけるだけだということ
を彼女は充分理解していた。だから私には、
その訳は勿論分からない。ただ言えることは、
彼女は結婚というテーマ以外に十二分に自分
の生活を持っていた、ということである。そ
してその生活は、青森を離れては成り立たな
いものであった。
美香子はエレクトーン教室の先生として、
二十数人の弟子を持っている。週に三回、ホ
テルのラウンジでエレクトーンを弾く。そし
て、ポップスのバンドのキーボード奏者とし
て、各種のパーティで活躍している。きょう
だいは、彼女以上に美形の妹が一人いて、二
人姉妹である。こういった情況の中で、おそ
らく、これは私にとって最も苦しいところだ
が、彼女が私以上に心を寄せる幸せな男が何
処かに居た。それだけのことである。
「昨日、福島の山の中で餅つきをしたよ」
私は純子のことを全て話した。美香子は、貴
方らしいわと笑いながら楽しそうに聞いてい
た。
「決まりそうじゃない?」
「うん、分かんないけど、何となく感じると
ころもあるね」
たかだか二度、三日の付合いで勝手なもので
ある。
「いつこれっきりということになるかもしら
んからね。お互いにね。だから、今日、何
かプレゼントしたいんだ」
レモンティーをすすって、カップを持ったま
ま小首をかしげる。いじわるな目を作った。
「エレクトーン買ってもらおうかなあ」
美香子は勿論冗談のつもりで言った。最高級
のものは必要ないが、ともかくエレクトーン
でメシを喰っている者が使うのだ。まず百万
円以上はする。彼女はこの一年、月に一、ニ
度エレクトーンの個人レッスンを受けに東京
に出て来ていた。全くの自主的なレッスンで、
交通費、レッスン料と、かなりの出費が強い
られていた。いわば自分の仕事のソフト部門
に思い切った投資をしていて、その分、ハー
ド部門、すなわち機器の更新が伸び伸びにな
っていたのである。私はその苦労話を彼女か
ら時々聞かされていた。
「いいよ、これから行く?」
「エーッ」
それからが大変だった。ーー冗談で言った
のよ。受けとれないーーと固辞する美香子。
ーー買ってくれと言ったじゃないか、僕は冗
談とは受けとらなかったーーと攻める私。延
々話は三時間も続いた。プレゼントの話ばか
りしたわけではない。期せずして、この問題
は、私たち二人の関係そのものの実態、解釈、
展望にまで発展し、苦しくも実に楽しい話し
合いとなった。
「絶対に無理よ、傷つけたのは私の方なのよ。
それに、いつもいつも私の側にあって、毎
日毎日触れるものよ、エレクトーンは。ひ
とに買ってもらうなんて、とても考えられ
ないわ」
もっともな話である。
ーー常に私とともにあり、私の創造的営み
のパートナーであり、その営みの結果で私
は生活を立てているのだ。その意味では私
の分身であり、私そのものだ。それを、こ
の男が準備しようというのか?ーー
美香子の性格からすれば、そういったことは、
たとえ夫婦の仲であっても警戒すべきことな
のであった。
私は、私の想い、考え方、美香子との関係
について、ひとつひとつ私自身にも言い聞か
せながら話を進めた。苦しくはなかった。そ
れは決して無理な論理ではなかったからであ
る。
「好いた惚れたの話じゃあない。冗談なんだ
よ。美香は冗談だと言った。冗談には冗談
で応える。その結果、ちょっと新しいエレ
クトーンが君の側に残った。そのエレクト
ーンは冗談そのものだ。冗談の塊だ。冗談
ってのは意味の世界とは無縁のものだから
ね。何も引きずっていないし、乗っけても
いない、人間臭いものはね。全くニュート
ラルな物体だと思えばいいんだ」
ーー分かってくれーー 私はマルセル・モー
スの『贈与論』にある、ポトラッチの論理ま
で動員してしゃべりまくった。簡単に言えば、
これは全く私自身の問題であることを強調し
たのである。たとえば、明日にでも貴女がエ
レクトーンを売り払っても構わない。行為そ
のものに、私だけの価値を認めているのであ
って、いわばこれはある種の儀式に過ぎない。
実際、私自身話しているうちに、これは私
が美香子を忘れるための儀式かもしれないと
思うようになった。姫神のあまりの呪縛力に、
私自身、辟易してきているところが確かにあ
るのだ。このままでは、私の新しい出会いの
障害になるかもしれない。いやすでに、いく
つかのそういったケースに出くわしていたの
だ。
「人間同士という言葉があるよね。僕はこれ
を『人間・同志』という風に書いて美香と
の関係を把えてみたい。僕らの別れ際のセ
リフは、いつも『じゃあ頑張ってね』『頑
張ってください』といったものだった。若
いくせに………と、いつもそのあと自分自身
を笑ったものだ。もっと気のきいた言葉は
ないのかとね。でも今思えば、それが僕た
ちの間の一番確かな関係を表わしているん
だ。勿論女としての君に惚れたんであって、
牝としての君を愛したんであって、それを
ごまかすつもりは無い。僕の中で決着がつ
くかどうか自信は無いが、でも僕はそうい
う関係に、『人間・同志』という関係に向
かって二人の関係を昇華しなければならな
いということに気がついたんだと思う」
確かに美香子は人間としても魅力に満ちて
いた。仕事に対するきびしさには、私自身も
よく教えられた。私が惚れたのはそういった
彼女のトータルなのである。今その一部を失
う悲しみはあるが、その残りの部分をも一緒
に投げ出そうとは思わない。このプレゼント
は、新たな関係に移るための儀式のようなも
のなのだ。勿論、『人間・同志』としての彼
女にとって、エレクトーンは現在最高のプレ
ゼントである。この事については、私も、そ
して美香子も同意した。
「ああ疲れた。不思議な人ねえ。またまた分
からなくなっちゃった。ううん、話はよく
分かったのよ。でも、気持ち悪い」
「異常な位しつこいところがね、ハハハ」
「怖いわ」
「そういうことなら、もっともっと怖がらせ
てやりたい。気持ち悪くてヘドを吐いたら
僕がナメちゃう。でもこれだけしつこいの
は、美香と、そして仕事に対してだけさ」
北の街はすっかり闇に包まれ、ホテルにも
どったのは六時を少し過ぎた頃であった。
ーー終わったーー
シャワーを浴びて鏡をのぞいた。ヒゲ面が、
やはり少し寂しそうに佇んでいた。
ーーヒゲでも剃るかーー
一枚刃のひげ剃りで、五㎝位に伸びたヒゲ
をきれいさっぱり落とすには、十五分程かか
った。少しピンク色に染まった口元がヒリヒ
リ痛んだ。素裸で濡れた体をベッドに投げ出
した時、電話が鳴った。美香子である。
「いらっしゃいませんか?」
「えっ?!?]
「予定がなければうちでソバでも食べてくだ
さい。たいしたものもありませんが、父も
お酒は好きですし」
「いいんですか?」
「……」
「ありがとう、すぐ行きます。スーツに着替
えてね。今フリチンなんで脱ぐ時間はかか
りません。すぐに……」
美香子の父は早くもマイクを握って唄い始
めた。『氷雨』『旅の終わりに』『麦と兵隊』
『同期の桜』。私も好きな方である。勿論唱
和した。カラオケの合間をぬって母が話しか
けてくる。老後の生活、老い方についてのか
なり難しい話になった。彼女は理論家肌で、
その方面の地域活動のリーダーである。美香
子の妹、多真美は二十三歳。私は、青森時代
二人の姉妹に、「クイズトラベル」というテ
レビ番組にアシスタントとして出てもらった
ことがある。それをきっかけに、美香子の家
族は、私が作った番組はほとんど見てくれる
ようになっていた。『原発定期検査』という
番組で、私がリポーターとしてパンツ一枚に
なって画面に出ていたことがひとしきり話題
になった。多真美は、先日の『とうちゃんは
トラックドライバー』では、私が出ているの
に気づかなかったと言う。無理もない。角刈
りにヒゲ面、背中に八代亜紀命と大書きした
ダボシャツを着て、腹巻にサングラスという
いでたちだったのである。
多真美は父のカラオケの世話に飽きて、犬
のメリーを抱いて『紅白歌合戦』の方に回っ
た。美香子はといえば、湯あがりのシャボン
のにおいを漂わせて、私の側でグイノミにか
ん酒をそそいでいる。ああ、いつかの光景だ
と思った。忘れてしまった夢の中のことだっ
たかもしれない。デ・ジャ・ヴ(既視現象)
である。
年が明けた。二人の共通の友人がリーダー
をやっているジャズバンドの、年越しコンサ
ートに美香子と出かけた。そこでは、かつて
の青森時代の懐かしの面々に大勢出会った。
ーーぜいたくな年越しになったなーー
私は満足した。
一九八四年、一月一日、午前十時。私は、
雪の中、故郷美川町に向けて青森を発った。
♬ 夜が明けたら
一番早い汽車に乗るから
切符を用意してちょうだい
私のために一枚でいいからさ
今夜でこの街とはさよならね
わりといい街だったけどね ♬
カーステレオが浅川マキの投げやりなかす
れた声で唄う。ーーそう、マキは美川の出な
んだ。いい仕事をしているーー
♬ おいらが恋した 女は
港町のあばずれ いつも
ドアを開けたままで 着替えして
男たちの気をひく 浮気女
かもめ かもめ 笑っておくれ ♬
何度もチェーンを着脱して、美川についた
のは、翌二日の午前二時。その日のうちに、
私は、従妹が嫁いだ金沢の楽器店で、美香子
にエレクトーンを送る手続きをとった。機種
は、ヤマハFS-50、百二十五万円であった。
一週間後。東京の私に、美香子から、品物
が届いた旨連絡があった。メッセージは一言。
「変なひと」
(了)
小社発行・『北陸の燈』第3号より
〈参考〉
浅川マキ
本名、森本悦子。
石川県石川郡美川町 (現白山市)
出身。
美川小学校・美川中学校・金沢二
水高校卒業後、美川町役場職員を
経て歌手となる。言葉、音源、音
質を終生大切に、かつ最重視した。
『夜が明けたら』 『かもめ』 『赤
い橋』『夕凪のとき』 『港の彼岸
花』『前科者のクリスマス』『町』
『翔ばないカラス』『少年』『それ
はスポットライトではない』『裏
窓』『あなたなしで』『こんな風
に過ぎて行くのなら』『淋しさに
は名前がない』『ちっちゃな時か
ら』『さかみち』などを歌った。
夜が明けたら
かもめ
美川小学校校歌
詩 北村 喜八
曲 飯田 信夫
北の荒磯に手取川
注ぎて波の立つあたり
松のみどりにかこまれて
学ぶ楽しきわが母校
峰の白雪朝夕に
あおぐや清き白山に
理想の夢をはぐくみて
いざやみがかん人の道
古き名もよし本吉に
潮のひびき楽として
今日も元気に友どちと
いざやはげまんともどもに