生きている証とともに
【2020年9月22日配信 NO.27】
石川県金沢市 書家 遠田 千鶴子
馥郁とした好みの墨の香に包まれながら私
は、作品を書き終えると思わず、「お陰様で
書かせていただけました」と、合掌するので
す。
白楽天の漢詩、漢字行草体、百四十字。一
枚を書き上げるのに四十五分を要します。瞬
間芸術とも偶然性とも形容されて、書道の表
現の厳しさは、その線を再び繰り返すことが
許されないところにあります。
白い料紙に、額のマット(縁のこと)の色
彩やその図柄により、青墨、茶墨、濃、淡墨、
または好みの墨色の磨り合わせ等々で墨色を
決めますが、とくに仮名作品の場合は、その
歌の心をも考え併せましたり、時代思考など
織り交ぜての創作に、神経を使わねばなりま
せん。恋のうたともなりますと、書体もなる
べく華やかに、秘めた心情の滲みを一本の線
に託して、いかに表現しようかとまようこと
もございます。
料紙である和紙にも必然凝りに凝り、珍し
く好もしい紙質や、線の枯れ具合が面白く出
る和紙には、ひとしおの愛着があり、紙漉の
里まで出かけて行って、思いの丈買い求め、
沸々とした喜びを包み込みながら、家路を辿
ったことも何度かございました。
この料紙にこの墨、筆はこれ……というふ
うに、書く万葉歌を定めましてから二、三日
もして、やっと、お道具の組みあわせが定ま
るといった不甲斐無さ。筆には殊の外、気難
しいほうでございます。それから、万葉仮名、
草仮名を取り交ぜて、空白の間や、意外性の
面白さを楽しみながら、行の散らしを落書き
よろしく、練習紙がまっ黒になるまでの創作
に、書の室に終日閉じ籠もる日が続くのでご
ざいます。
作品の中でどうしても思うような線の出な
い時など、深夜に飛び起きて、いろいろの筆
を駆使して書き積むこともございました。
大正生まれの一途さとでも申しましょうか、
その融通性の無さに自分ながら辟易いたしま
すが、神様から頂戴しました「書く」という
ことへの心の安らぎを、大切に想うこのごろ
でございます。
お庭の山茶花の、雪景色の中での得難い色
彩に魅せられて、凛々しい可憐さを、何とか、
白い紙と黒い墨だけの構成で、書の中で表現
できないかものか……とて、……やおら「良寛
の書簡」という古い書物を引っ張り出して、
良寛サマの無欲の筆蹟の線の流れや、おおら
かな間の取り方の中に、あどけなく童心的で
可憐な山茶花の表情を、重ねあわせ、思わず、
長鋒(穂の長い筆のこと)の細筆を走らせる。
良寛サマの邪気の無い、そして暖かいふくら
みのある線質、茫洋とした偉大な包容力。と
までは到底及ばないまでも、長い時間のあい
だに、どうにか自分なりに、何とない線の面
白さに納得して、ふと気付くと、山茶花の上
には、いつのまにか更に新しい雪が降り積ん
で、縁側で中腰になりながらの筆遊びの私の
肩も冷えて、寒く……。
こうして毎日の変化を楽しみながら、生き
ている証左を書の中に求め続ける私も、実は、
九年前の八月、嬉々とした旅行の準備中に突
然倒れました。それまで病気知らずの健康体
でございましたので、驚いた家族の者が、主
人の親友の医師のもとへ運びました。その病
院では「脳内出血」という診断を受け、四ヶ
月後にリハビリ完備の病院へ移りましたとこ
ろ、そこでは「脳血栓」という診断でござい
ましたので、今に至りますまで本当の病名は
不明のままでございますが、どちらも四ヶ月
ぐらい経ましたら治療法は全く同じとのこと
でございました。
『紙一重ずつ』という表現がありますよう
に、この病気は目に見えて良くなるものでは
ございません。日常生活は健やかなお方から
見れば、もどかしいたどたどしさではござい
ますが、大体のことはできますので、自分で
は、もうすっかり癒った心積もりでおります。
が、歩きます己が姿が窓辺のガラスに写りま
す時、また、漢字作品で縦の線の筆勢のまず
さ、重心の傾き……等々により、「アー、私
は半身不随だったナー……」と、改めて思い
知らねばならない時も幾度ございましたこと
でしょう。
最初に申しましたように、一枚書き終える
ごとに思わず合掌するという意味は、お解り
いただけたことでございましょう。幸い周囲
の方々や家族にも恵まれ、私は不自由になり
ましてから改めて、人生の妙味に触れ得たよ
うに思います。「生きているということは何
と偉大なことでしょう」。
退院後、杖を頼りの歩行訓練、砂利道や、
健康な時には気付かなかったくらいの歩道の
段差・勾配が、どんなに恐怖だったでしょう。
大地から十糎(センチ)刻みに杖を離して行
き、一ヶ月ほど経ってようやく、完全に杖が
必要でなくなった時の深い深い感動を、私は
一生忘れることがないでしょう。二本の足で
大地を踏むということが、こんなに素晴らし
いことだったのでしょうか。
私が突然病気で倒れるまで、長年書を習い
続けてくれましたたくさんの愛しい塾生達に
囲まれての人生も、私の大切な人生に違いな
いのですけれど、片隅に忘れられた小さなこ
とで、人間が生きていく上での大切なことを、
この病気をして初めていろいろ気付かせてい
ただけたということは、私の生涯を通じて何
物にも替え難い素晴らしい収穫でございまし
た。
神様はきっと私の半身を召し上げて下さっ
て、この心の眼を代わりに下さったのだ、と
私はそうかたく信じております。あと残り少
ない大切な人生の一秒一秒、私は今まで生き
越し方より、より一層の豊かさと深さをと、
感謝をもって、生きていく大切さを噛み締め
て参りたく思うのでございます。
小社発行・『北陸の燈』第3号より
写真は小社撮影