小説『金澤夜景』(1)

  【2020年11月16日配信 NO.69】

 『金澤夜景』(全六篇・2009年7月小社発行) 

 「帯の言葉」

   なくしてしまった うばわれてしまった

   優しさ 悲しみの情は

   どこまでとりもどせるのか


                          

                                             広瀬 心二郎       


 第一篇 箸の先


 どうもこんな店しか知らんがでね、と山本

は言って、厚い眼鏡の奥から柔和な目で笑っ

た。いいえ、と裕子は小さく答えて、山本が

いかにも不器用そうに扱う菜箸の先から葱が

テーブルにこぼれるのを見かねて手を伸ばし、

具を盛ったざるを引き寄せていた。

 鍋から風味に富んだ香りがしてくる。魚類

を発酵させてつくった能登独特のいしりを使

った料理だった。

 こんな店とはいうが、裕子が今まで入った

こともないような、犀川沿いの小綺麗な割烹

だった。窓の外の夕闇が淡い花の色に染めら

れている。待ち合わせてせせらぎの音を聞き

ながら春の宵をそぞろに歩いてきた、その余

韻が心をぬくめている。

 山本が実にゆっくりものを食べる、その姿

がほほえましかった。百八十センチは優にあ

る体を窮屈そうに屈め、小さな皿の中のもの

を不器用な箸使いで必死につまむ。初めてこ

うしてふたりきりで食事をした時に、裕子が

食べ終わっても山本のほうはまだかなり残し

ていた。お茶を用意する裕子に、自分はとて

も飯が遅くて、と鼻の頭を汗で光らせて真っ

赤な顔をして笑っていた。

 勤労者の福祉にあずかる県の外郭団体に勤

めているという。口数の少ない男だったが、

しばしば訪れる沈黙が気詰まりにならないの

が不思議だった。むしろ山本の沈黙に裕子の

心の糸がほどけていくようでさえあった。

「もう四十ちかいのにまだ独り身のがおるが

やけど、ちょっと会ってみん」

 伯母がもちこんだ見合い話に裕子は初めは

気が進まなかった。向こうの条件に不満があ

ったわけではなく、裕子自身が一度失敗して

いる、その傷をあらためて探られるようで気

後れがあったからだ。

「まあ、あたしの顔をたててくれてもいいが

やない。ちょっこ変わってはおるらしけど、

いちおう大学はでとっし。あんたも大人なん

やから、すこしはつきあってみてよ。もしだ

めでも後腐れがあるよな人やないがやから」

 伯母の勧めに渋々ながらも応じたのは、さ

すがにこの頃は、もう三十代の半ばに近いと

いう年齢をつくづくと感じるようになってき

ていたことと、強まる春の光がかえって心細

さを募らせる、そんな季節のせいでもあった

のかもしれない。

 最初の日は、見合いといっても、若い人た

ちのそれのようにしゃちこばることもなく、

農家の苦労が肌ににじみ出た向うの母親と伯

母は、短い紹介をしただけで帰っていった。

そのふたりのものの言いように放り出すよう

な気楽さがあり、かえって裕子には有り難か

った。

「なにかこう、人がものを食べとる姿という

のは、なんとなく悲しいような感じがするが

です。そう思われることってないですか」

 山本は酒もあまり強くはないらしい。ビー

ル二杯ほどで目のまわりを紅葉のように染め

て、しんみりと言い出した。

 「事務所に去年、新卒ではいったばかりの

女の子がおるんやけど、小さな手で箸を使っ

てうつむくようにして子どものもんのような

弁当箱をつつくんです。ひっそりと自分の世

界にこもるようにして」

「ああ、わたしもそんなふうに思ったことあ

ります」

 裕子が思い出したのは祖母のことだった。

離れにふせっている祖母に食事を届けるのが、

一時期裕子の役目だった。小学生の頃だ。む

しろ、かって出たような覚えがある。こぼさ

ないようにと裕子は懸命に盆を捧げていく。

初めは肩をいからせ、肘に力を入れて運んで

いたが、これは腰で運ぶようにすればいいん

だ、と納得した日があった。目の落ち窪んだ

祖母がせつなそうにその目をしばたきながら、

「おお、あんやとね」といつも同じ言葉をか

けて身を起こしかかる。

 さほど大きな家ではなかったはずだが、そ

の頃はずいぶん長く感じられた廊下を渡り、

判で押したような祖母の声を聞き、その顔を

見るのが楽しみでさえあった。ブローカーの

ようなことをなりわいとし、気紛れでひどく

頑固だったという祖父に長年連れ添って、そ

のため泣き顔が晴れることもなかったという

祖母への獏とした同情があった。加えて、日

々変わらぬものに寄せる子供らしい愛着も混

じっていた気がする。

 小さな卓袱台にわずかな食べ物を置いて、

裕子は近所の製材所から聞えてくる電気のこ

ぎりの物憂げな音にひたるようにして障子に

軽く凭れかかり、祖母の様子を眺めるともな

く眺めている。時々祖母がおかずを箸でつま

み上げ、これをあげようかと尋ねても、うう

んと笑みをつくって首を振る。そしてまた庭

にある池の面から跳ね返った光が天井にゆら

ゆらと揺れるのを無心に眺め、うっとりとな

っていく。

 毎日繰り返される、なにかしら陶酔に似た

ものをもたらしてくれるそんな時間を迎える

のが裕子の中では楽しみになっていた。

 そして、歯の抜けきった祖母が残りのとぼし

い生命力を奮い起こすように懸命にものを噛

み砕こうとして顎をしきりに動かす様子を見

ていると、裕子の中にこみあげてくるものが

あった。祖母の無心な横顔にいとけない童女

のような表情が浮かぶ。無防備な弱々しさが

露わになる。不思議なことにあたりの物音が

祖母の持つ椀の中にひたりと静まり返ってし

まう。人が生きていくのは、こんなに悲しい

よと囁く声が聞こえる気さえしていた……。

 きっと今、自分がものを食べる姿にも、お

のずとにじんでいるものがあって、山本はそ

んなことを言い出したのだろうと裕子は思う。

「もうちょっと、どうですか」

 山本がビールをなお注ごうとするのをとど

めて、

「あの、わたしのことはどんなふうにお聞き

になりました」

「ああ、お酒のことやね。いいやないけ、ほ

んなこと」 

 なにもかもわかっていると言いたげに、山

本は微笑んだ。


 四年前に別れた夫は徹といった。新婚間も

なく、こうしてふたりで向かい合って鍋をつ

ついていた時に、ふと気がついたことがある。

 裕子の箸が鍋の中に伸びるたびに、徹の視

線がその先にまつわりついてくるのだった。

裕子の指先はそのたびに重くなった。箸の先

でぶつかり合う視線を、裕子が話題を転じて、

辛うじてテレビの画面に逃したりする。

 ふたりだけで向かい合っているのだから、

自分の表情は苦もなく盗まれる。どうしてこ

の人はそんなことにも気がつかないのだろう

と、やがて軽い苛立ちが背筋を走るようにな

った。

 人が聞けば、なんだ、というような些細な

癖にすぎないとわかってはいた。しかし、ど

うにも苦になった。

 盗み見の目なのである。心持ち首を傾げて

金壺目で周囲を窺うように見る。口ではテレ

ビの画面や仕事のことなどを話している。し

かし裕子の箸が鍋に伸びると、その先に急ぐ

ように視線を絡めてくる。やがて夫の癖に厭

気がさした裕子が、たまに意地悪をして、そ

んな時に視線を夫の顔に這わせると、夫の目

は箸の先からつっとテレビのほうに逸れてい

く。たぶん、本人は意識もしていないような

癖なのだろう。いや、意識していないからこ

そ癖と呼ばれるのだろうが。

 ものを食べるなどということは、隠微な、

恥ずかしい、他人に見せてはならないことだ

ったと裕子は今更のように考えさせられた。

食べはじめると心がほどける。ものに対する

執着の在り方が露わになる。酒が入れば、な

おのことだ。 

 男と女がふたりで暮らす。体を合わせ、も

のを食べるにつけ裸の心をさらけ出す。世の

中の若い夫婦というものは誰しもふたりだけ

でこんなことを続けているのだろうか。夫の、

箸の先にまつわる視線にそれほどこだわる自

分にも苛立ちながら、裕子は食事時にきまっ

てそんなことを考えるようになった。

 やはり、見合いで決めた相手だった。身も

心も夫に対して夫婦の形を装うばかりで、本

当のところ、開いていなかった気がする。俗

に言う、波長が合わないというもので、案外

深く人の心の機微を言い当てている言葉だと

思う。形だけを引き受けた結婚だったという

思いが、破鏡から何年も経った今になっても

濃い。それだけ、裕子に残された傷は深かっ

た。

 徹は貧しい母子家庭で育った。みすぼらし

い食卓に馴れていた。というようなことを話

していた日もあった。男ばかりの四人兄弟は

みな優秀で、上のふたりは母に苦労をかける

にしのびず、高校までですませたが、徹と弟

は大学に、それも東京の名の知れたところへ

学費もなしで入った。勤め先はこのあたりで

は押しも押されもしない一流企業だった。実

に立派な男だからと、見合いの話をもってき

た伯父は言い、それはたしかにそうだったが、

しばらく暮らしてみると、食事の際ばかりで

なくなにごとにつけてもまわりを窺い、盗み

見ながら自分を装って生きている、そして、

背伸びをするのにひどく疲れているのではな

いかと思えることが多かった。

 たとえば酔って食事をしながら夫の口をつ

いて出るものといえば自慢話ばかりなのであ

る。地元の政界に出ることになった、新聞に

載っている学生時代の同級生のことを話題に

しているようで、実ははなばなしかった自身

の学歴の自慢をしている。そんな時に裕子が

遠まわりに夫の自尊心に媚びてやると、機嫌

がよい。そうした様子がかえって夫が必死に

しがみついているものを露わにしているよう

だった。

 それにしてもほんとうに好きな人なら、些

細な癖など苦にもならないだろうにと、学生

時代にお互いにそれと知りながらとうとう告

白するでもなく別れてしまった男のことを思

い出したりもしていた。

 しばしばこんな夜もあった。夫が酔いしれ

て帰り、布団の上で頭を両腕で抱え、嗚咽に

似た低い呻き声を絞り出してじっとしている。

あの野郎。耳を澄ますと、そんな言葉をつぶ

やいている。ばか野郎。誰のことをなじって

いるのか、ふだんの夫からは想像もできない

ような太い声で、憎々しさも露わに歯を食い

しばっている。どうしたのと尋ねても、ああ、

と上の空の返事をするばかりで、そのうちに

眠り込んだかと思っていたら、また低い呻き

声をあげ、頭を掻きむしったりしている。そ

して、裕子が床に入るとものも言わずにのし

かかってくる。

 仕事の上でうまくいかないことがあったの

だろうと考えて一方的な愛撫を受け入れてい

たが、しらじらとしたものが裕子の肌に漂っ

たのか、白く疲れた表情の下から裕子を抱い

て、それも何か心ここにあらずといった様子

で、自分だけが満ち足りると、体を離し、い

つの間にかうって変わった健やかな寝息を立

てている。嘘のようにあどけない寝顔になっ

ている。

 夫は月々の生活費として決まった額を裕子

に渡し、ほかは自分で管理していた。簿記の

二級の資格をもっている裕子は子供ができる

までは会社勤めを続けたかったが、夫はがえ

んじなかった。そこはかとない逼塞感が裕子

の日常を染めていた。

 それでも、裕子に暴力を振るうわけではな

い。たまには優しい言葉をかけてくれた。子

供ができたりしてお互いに気持ちが解け合う

ようになれば、その心根までしっとりと寄り

添っていく日が来るかもしれない。そう思う

ようになっていった。

 しかし、結婚後一年ほど経つ頃から、なぜ

か無性に淋しい日が続くようになった。こと

に夕方になると、体が溶けてしまうような淋

しさに襲われる。子供の頃わがままを言った

ため母が姉たちだけを連れて買い物に出てし

まったことがある。ひとりで路地にうずくま

っていると足の先から凍えるような淋しさが

這い上がってきた。ちょうどその時のような

感じだった。いや、淋しいというより、もっ

と暗い、怖ささえ混じる感覚だった。

 いったいなんなのだろう。もしかしたら、

妊娠したのかもと医者に診てもらったが、そ

うではないと言う。

 そんな時に、買い物に出た帰りに、ちょう

ど駅から出てきた夫のあとを歩いていくこと

になった日があった。身嗜みに神経質に気を

遣う。その、すきもない後ろ姿を眺めやる裕

子の耳に、しばらく前にふたりのマンション

を訪れた夫の部下が、奥さんは幸せだ、こん

ないい旦那さんをもって、出世は間違いない

ですよ、部下思いだし、やることにそつはな

いし小まわりはきくしと、満更世辞でもなさ

そうに言っていた言葉がよみがえる。徹は近

所の評判もすこぶるいい。そのりゅうとした

背広姿に、夜に自分に見せる素顔を重ね合わ

せて、裕子は言いようのないものを感じてわ

ざと歩を遅らせていた。家までずっとその距

離を保って歩いたのである。

 今になって思い返せば、あの日のふたりの

距離が、結局暮らしの上での、ふたりの心の

遠さを象徴していたようである。

 そのうちに、妙な電話が家にかかるように

なった。裕子が出ると、しばらくものも言わ

ずにいてやがてぷつんと切れる。しかしたし

かに裕子に向けてそうしているという感じだ

った。

 ある日、また仕事のつき合いで泥のように

酔って帰った夫が寝込んだすきに、携帯のメ

ールを開いて、ああ、これだと裕子はつぶや

いていた。女から、きわどい言葉を連ねた誘

いが入っていた。やはり、その人は裕子に向

かって何かをぶつけたくて、家の電話にかけ

てきているのだ。

 裕子が驚いたのは、夫に女がいたことより、

自分の体が女の存在を察知していたというこ

とのほうだった。あの、訳のわからない、体

が溶けてしまうほどの淋しさだ。

 裕子が問い詰めると、夫は言葉をなくした。

しゃべらなくなってしまった。

 相手はどういう女だったのか。たぶん、玄

人ではなかったのだろう。結局そのことにつ

いて夫からはひと言の詫びも弁解もなく、そ

れでも一応のけりはつけたものらしい。気配

で、そう裕子は察していた。

 真っ白な大きな欠落が、空虚が暮らしにあ

いてしまったまま、それでも日常は流れてい

った。

 しかしその欠落は徐々に広がり、いったん

気持ちが離れはじめると、夫の下着はおろか、

靴下を洗うのもいやになってくる。鼻をかん

だティッシュが畳に落ちているのを拾い上げ

るのにも拭いようのない生理的嫌悪がこみあ

げて、顔をしかめていた。

 そのうち、料理にかかる夕暮れに、裕子は

そこはかとない無力感に包まれるようになっ

た。

 徹が出張で東京に出かけた日のことだ。窓

の外の夕焼けを眺めつつ、どうして私はここ

にいるのだろうと、とりとめもなく浮かんだ

言葉をはんすうしていた。夕映える空の広さ

が心もとなさを募らせた。妙な言いかただが、

空の広さと夜までの時間のゆるやかさが、裕

子にはとても耐えられそうもなかった。

 思いやつれて細くなった腰の、エプロンの

結び目のあたりから黄昏の中へにじんでいく

心細さを見詰めている。暑い日なのに、握っ

た包丁の肌から寒さに似たものが体に染みて

くる。

 ふとため息を漏らして、聞かせる人のある

わけでもないのに、どうしてため息なんかを、

と自分を笑っている。そして、女がひとりで

料理に向かう姿などというのはほんとうに寒

々としているね、とひとごとのようなつぶや

きを心の中で繰り返していた。

 夕飯は有り合わせのものですますつもりで、

徹があまり好きではないからと栓を抜かずに

いた貰い物のワインを手に取り、堅く締まっ

たコルクに手をやきながら、栓を抜き取った。

裕子は、酒は好きではなかった。つき合いで

飲んでも、うまいと思ったことはあまりない。

 しかしそのワインは思いのほか口当たりが

よかった。二、三杯飲んで、ソファーに体を

投げ出して、気がつくと夜中になっていた。

テレビの番組はとうに終わっていて、ざあざ

あと音を立てている。ソファーから立ち上が

った途端に吐き気がこみあげてきて、裕子は

トイレで屈み込んでいた。夕飯に何も食べな

かったので、吐くものはなく胃液だけが糸を

引いて出た。

 もう二度とこんなことはするまいと思った

のに、午後のひとときにはまた空漠とした思

いが訪れ、それから逃れるためまたワインを

口にしてしまう。初めは徹が帰ってくるまで

に回復できるような、ひと眠りのための酒と

自分に言い聞かせ、実際に口にする量もわず

かなものだったが、しだいに増えていった。

 ワインも終わり、買い置きの酒を飲めば目

減りしているのが容易に徹にわかってしまう

からと、自動販売機に買いに行く。近所では

人目につくからとわざわざ遠くの酒屋へ、そ

れもなるべくはやっていないような店の前の

販売機に、人通りのとぎれるのを待って硬貨

を入れる。主婦が今夜の夫の酒を仕入れてい

るとしか見えはしない、人が見ても訝しく思

うはずはないと自らに言い聞かせても、動作

がおのずと人目をはばかるようになる。

 そのくせ、家に戻りビールを前に置く時は、

ソファーに体を投げ、しどけない格好でごく

ごくとあおった。人には見せない顔になって

いる。なにやら世間のすべてを相手に、長ら

く積もり積もった憎しみを晴らすような快感

にひたされている。

 何も愛してなんかいない、おまえは。そう

だ、もうおまえは駄目になってしまった。つ

ぶやきながら、勢いよく泡立つビールを目の

高さに掲げて、いっそ乾杯と、薄笑いを浮か

べている。落ちるところまで落ちてしまえ、

いっそ死んでしまえ、そうまたつぶやいて、

はて本当は誰に向かって言いたかった言葉な

のだろうと思いつつ、死んでしまえ死んでし

まえと、うつろに繰り返している。

 つい二、三か月前までは酒の匂いを嗅ぐさ

えいやでならなかったのが嘘のように思えて

いた。それなら、ほんとうに今は飲むことが

好きなのかといえば、酒をも深く憎んでいる。

怖がっている。

 そのうちに、ものが食べられなくなった。

健やかな食欲が訪れることがなくなった。腕

時計をはめる時に、目に見えて細くなった手

首を撫でてため息を漏らしたり、目の下に隈

を浮き出させて髪を乱して歩いている自分の

姿を、買い物に出た時に街角の鏡に見出して、

茫然となったりしていた。

 徹と向かい合い、箸を握るだけで徒労感が

喉に絡んだ。食べたものをうまく呑み込めな

くなった。ひとりで食べるときにも、どうし

て毎日、こんなふうにものを食べなければい

けないのか、繰り返しのその虚しさが胸にこ

みあげてくる。食べようとすると、深いやる

せなさが条件反射のように浮かんできてしま

う。

 そうかと思えばひそかに飲んだあとで、底

もないほどの食欲に襲われることがある。ど

こにこんなに入っていくのかと呆れるほどだ。

食べ狂う、ほとんどそんな様子で、有られも

ない姿でがつがつとむさぼった。

 逃げているのはわかっていた。しかし、逃

げずに徹と話し合ってみたところでどうにも

なるものでもないと、これもよくわかってい

た。人の心とはそれほど遠いものなのだとい

う絶望感が、裕子の身に否応もなく迫ってき

た。

 おまえ、どうしたんだ。

 そう呼ばれて目を覚ますと酔ってほてった

体を夜気が冷たく包んでいた。徹が蒼白な顔

で立ち尽くしていて、裕子の目の前にはワン

カップの空き瓶がふたつ転がっていた。流し

には朝の食器がそのままたまっていて、蛇口

から水が滴り落ちていた。

 ソファーに座り込んだ徹の肩に怒りがみな

ぎっていた。裕子はしばらく起き上がること

もできずにいたが、水道の水を止めようと立

ち上がった途端に吐き気に襲われ、泣きなが

ら流しの食器の上にもどした。


 徹と暮らしたのはわずか一年半ほどだった。

別れたあとでは、潮が引くように酒を飲むこ

とはなくなったが、自分が壊れてしまったと

いう思いはずっとわだかまっていた。食欲は

しばらく回復しなかった。呻いて朝を迎える。

布団の中で痩せ細った腕を撫で、手首を握り、

その細さに呆れて、起き上がる気力もうせる。

 なんとかしなければと思い立って、結婚す

る前の簿記の仕事に戻ったが、心の傷を常に

他人に覗き込まれているような圧迫感がつき

まとった。

 そして、崩れかけた心を辛うじて皮膚一枚

で人目から隠して生きているという不安がず

っと絡みついていた。

 徹とはその後、香林坊あたりでばったり出

会ったことがある。視線を逸らして通り過ぎ

ておいてから戻ってきて裕子の肩を叩き、

「おれのほうが捨てられたんやったかな」

 と、すさんだ笑みの中から言い残して雑踏

の中へ肩をすぼめるようにして歩き去った。

昼の光の中で見ると、ひとりの男としては女

の目を惹きつけるものがある。不思議な感慨

が裕子の胸を流れていった。仮りにも夫と呼

んだ人なのだ。しかし、ようやくかさぶたと

なった心の傷が、またじくじくと疼き出すよ

うな不安のほうが強かった。

 その後ろ姿に向かって、ああでもしなけれ

ば簡単には別れられなかったかもしれないと

裕子はつぶやいていた。まさか、無意識のう

ちにそこまで計算して演技をしていたのでは

なかっただろうが。

 徹の怒りは至極単純で、だから離婚までは

あっさりと話が進んだ。人の心とはとても単

純なものだ、とは別れることが決まった時に、

裕子が自分の内側を覗いて感じたことでもあ

る。さまざまな揺らぎを撥ね除けて、気持ち

があまりにも軽くなっていた。

 それゆえの後ろめたさだろうか、見送る裕

子の目の縁を流れる風が涙を誘った。


 山本が勘定を払っているうちに、裕子は洗

面所で化粧を直した。

「ゆうちゃん、このごろ、目がいきいきして

きたね」

 様子を窺いに来たのだろう、伯母が数日前

裕子のアパートを訪れ、ひと目見るなり、し

てやったりという顔になってそんな言葉を投

げてきた。

 裕子の目に光が入ったというのである。

 そうだろうか、と思いながら口紅を掃き直

す。

 そう言われれば、虹彩のあたりがなんとな

く輝いているようだった。

 山本は長身を恥じるように猫背で歩く。雨

もよい、犀川の瀬音だけが耳に優しい静かな

夜だった。

 謡をやるらしい。加賀の謡曲が日本の三曲

と称される時代もあったようで、加賀宝生の

影響が暮らしの底辺に流れる、金沢とはそう

いう土地である。この大きな体で、どんな声

を出すのだろうと想像すると口もとがほころ

んでくる。

「若いころにね、好きやった人を亡くしてね」

 山本が唐突に言い出した。

「まだ、学生のころでね。つきあってた女の

子が病気で死んでしもうて。人はどしてこん

な簡単に死ねるんやろと思うくらい、あっけ

なく死んでしまってね」

「そんで、いままでずっと」

「ほうや。お見合いの時あなたを見たら、そ

の人にあんまり様子が似てたもんで」

 前方にしだれ桜がひと群れ、周囲の闇を染

めるような花をつけていた。柔らかな川風に

も花の薫りが混じっている気がする。

「いっとき、すこし元気になって、こうして

桜を見に連れてったんです。すごく感動して

ね。よっぽどうれしかったんやろな。彼女、

桜の花びらひとつとって、口に含んだりして

ね」

 あまり聞きたくない話のような気がしてき

た。遠い物語としてなら許せるかな、と思う。

 頬にぽつり、と落ちてきた。

 ほろりと酔っている。こんな時に男と女は、

どうするのだろう。裕子の体がそう言いたが

っている。しかし、まだこらえていよう。壊

れてしまった裕子の過去が湧いてくるものを

せき止める。

 傘を開いて差しかける山本のほうに一歩寄

りながら、その大きな体に、まるで兼六園の

雪吊りのような人だなと微笑んでいる。









〈参考〉

 著者の略歴は当講座NO.10の記事に掲載。

 文学誌『吟醸掌篇』vol.1(編集工房けい

   こう舎、2016年) に著者の短編小説「の

 ら」が掲載されている。

 オール讀物新人賞最終候補。96年「塩の

 柱」で信州文学賞、 2002年 「ツバメ来

 て」で長野文学賞、04年「浅間隠し」で

 埼玉文学賞を受賞している。


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【2025年3月1日配信】           当講座記事NO.320 の続き                                            来たる時代への提言(最新記事順)        冴え 澄み わたる母音のひびき                                         近藤佳星がうたう世界最高民謡『追分』 .   かもめの啼く音に ふと目をさまし          あれが 蝦夷地の 山かいな                     渋谿をさしてわが行くこの浜に 月夜飽きてむ馬しまし停め 大伴家持(万葉集巻19・4206) 391 冴え澄みわたる母音の響き                                以上の記事は当講座記事NO.393に続く 以下2025.4.1以前の記事 2025.4.1 石破茂首相が記者会見 .     2025.4.1 佐藤章さん、前日の記者会見出席報告 2025.4.1 NHK、中居フジ事件被害女性コメント 2025.3.31 中居正広・フジテレビ事件 佐藤章さん、下記記者会見予定質問報告 第三者委員会調査結果報告記者会見中継 清水賢治・フジテレビ社長記者会見中継 調査報告書全文 記者多くして 中居 山にのぼる さら問いできない縛りでは質疑にならず フジ側は調査報告書を盾に真実を語らず 兵庫県知事と逆パターンの非論理不誠実 幾人寄れば文殊の智慧うかぶ 2025.3.31 木偶乃坊写楽斎さん撮影 湊川沿いの桜満開  氷見市        宇木の千歳桜(あずまひがん) 一本桜 樹齢850年   時  2023.4.4 場所  長野県下高井郡山ノ内町  写真提供 新井信介さん 2025.3.31 中居正広・フジテレビ事件 佐藤章さん、下記記者会見予定質問報告 第三者委員会調査結果報告記者会見中継 清水賢治・フジテレビ社長記者会見中継 調査報告書全文 記者多くして 中居 山にのぼる さら問いできない縛りでは質疑にならず フジ側は調査報告書を盾に真実を語らず 兵庫県知事と逆パターンの非論理不誠実 幾人寄れば文殊の智慧うかぶ 2025.4.1 NHK、中居フジ事件被害女性がコメント 2025.4.1 佐藤章さん、前日の記者会見...

224. 天と地をつなぐ「おわらの風」

【2022年1月22日配信】   大寒           七尾市 石島 瑞枝             雪解けの春風を待つ坂の町               秋風 (2023.9.3)            横浜市 髙祖 路子    夜流しの音色に染まる坂の街                         鏡町地方衆、先人のご苦労をしのびその息吹に応える夜流し .  今町のおわら .      2023.9.3 最終日、西町青年団最終おわらの舞い .                               撮影 木偶乃坊写楽斎さん         〈参考〉                               越中八尾おわら風の盆               「深夜の夜ながし」      日本と日本人が失くしてしまった、  奪 われてしまった温かい心情、 郷愁  --それらを求めて各地から 数多の  見物者 が、 魅入られたかのように、  取りもどす か の ように八尾へ と 足を  運 ぶ の だろうか。  高橋治と石川さゆりの『風の盆恋歌』  の影響が大きいとも八尾ではいわれ  て いる。言葉と 歌の 力のすごさか。  事実、この 歌 の前と後とでは、風の  盆訪問 者 数に圧倒的な差がある。  紅白で、「命を賭けてくつ がえす」  と、着物の 袖 を 強く 握りしめ 揺さぶ  り ながらうた った 「くつがえす」の  一語の中に、日本の 歌手 として歩ん  できた 石川さゆりの、 自 らの心の奥  底にある深い 懐 いをも 包んだ 全 情念  が 込め ら れて い る。  旅人の多くが八尾に滞在してい る中、  わずかのさすがの通だけが、おわら  本来 の良 さ が漂っている深夜の夜流  し の、 後ろ姿を見ている。個性 ある  いで たちもすばらしい。  おわらは見せるものなのか、見られ  るこ とを意識すらせずに心ゆく まで  自ら楽しむものなのか。あるいはま  た、…… …… 高橋治と 石川さゆりは、  諸々のことを考える、見直すための  たいへ ん な「契機」 を 与 えて くれ た  ので ある 。    個人的な所感を...

307. 職人の心意気 -「技」の文化 -

 【2023年7月3日配信】   手作りへのいざない    -「技」の文化-     縫い針のひとはりに込める夢  敦賀市 宮岸 かなえ                     てのひらに落ちる雨滴が灯をともす     鹿児島市 井上 治朗                        器(うつわ)  器への思い    九谷焼絵付師  宮保 英明         用という約束の形を提供しながら、その 形の中でどれだけ新鮮な自身の感覚を保ち 得るか、どんな可能性を引き出し得るか、 自身を試す姿勢で器と向かい合いたい。  自意識による変身、習慣のタガをはずし、 本来まったく自由に扱える創作表現への自 意識を、材質としての焼きものにぶつけた い。  盛られる料理に好かれる器。使いよくて 楽しくて、ついつい使ってしまう器。見た 目に静かで、しかし強い存在感を持ち、素 直に語りかけてくる。そんなものを心がけ てつくりたい。 みやぼ ひであき 20歳から絵付けをはじめる。 1950年石川県白山市生まれ。 石川県加賀市日谷(ひのや)在住。 日谷川をはさんで両側に民家と山が並ぶ。 谷間の村・日谷の向こうには人はいない。 宮保家の裏もすでに森である。 仕事をするのにいい場所をさがし歩き、 1984年の夏、白山市から引っ越してきた。 「ときどき熊が顔を出す」と妻の文枝さん。 小社発行・『北陸の燈』第4号より 撮影・八幡スタジオ 当講座記事NO.21、249再掲 当講座記事NO.223、「職」に関する記事から     芭蕉布ムーディー綾番匠くずし 平良 敏子   鋏 川澄 巌  文駒縫(あやこまぬい) 竹内 功   匠  足立区が誇る「現代の名工」    当講座記事NO.269、「世界屈指の技と清ら」から   流し猫壺 河井 寛次郎      「祖父寛次郎を語る」鷺 珠江さん     当講座記事NO.280、「湯の人(4)」から   樹 -卒業制作- 青木 春美     当講座記事NO.22、「織を通して学んだこと」から     絹本著色方便法身尊影  1500年製作    ...

365. 瓊音(ぬなと)のひびき

 【2024年10月5日配信】 白山に秘められた日本建国の真実      追悼          長野県 中野市  文明アナリスト   新井  信介        共振する縄文の心・翡翠の 波形         -泰澄の白山開山の意味-                                                                               白山は縄文時代からの山として人々の信 仰を集めてきた。六千年前、日本列島では、   お互いの命の響きを正確に伝え合う共振装 置としてヒスイを発見し、大切に身に着け 出した。その信仰の中心に最も響きの分か る女神を選び、ヌナカワ姫と代々呼ばれ続 けた。太古の時代から白山の存在は、北の 日本海と南の太平洋へと流れ行く命の水を 分け恵む特別な水分(みくまり)の山だっ た。そんな日本列島に憧れ入植した人たち から、命を産み育てる力はイザナミと呼ば れ、人々はこの力を、水そのものと同一に 見ていたのだ。                           一方で、国や統治体のことをイザナギと   呼んだ。これらは陰と陽のように表裏を成   し、この二つの力がこれまでの日本国を導   いてきた。しかし令和が始まった今、日本   国というこの統治体は人々の幸福よりも経   済の発展を重視し、マネーの追求に明け暮   れ、その結果多くの問題と疑問と苦痛を人   々にもたらしてきた。そして今、かつて経   験したことがないような、先行きの見えな   い不安が日本人と社会を覆っている。                               さらに今、縄文から続く六千年来の人々   の覚醒が静かに始まった。                                    白山には三つの入口がある。一つは加賀   から入る道で、ここは古代に崇神(すじん) 天皇...

328. ふるさとなまり

 【2024年1月28日配信】   おばばの言葉                       白山市 番匠 俊行                                私の両親は石川県石川郡美川町(現白山 市)に生まれ育ちました。両親のそれぞれ の両親も同町の生まれ、育ちです。除籍簿 を見ると、私の先祖は全員、明治初期から 同町の住人でした。  私は高校時代まで美川で育ち、そのあと 関東の大学を卒業し、宮城県内で就職し、 現在、郷里の美川で塾教師をしています。  私の祖母は1900年生まれで伝統産業 の美川刺繍をしていました。亡くなるまで 町から一歩も出たことがなく、町の人たち との会話を楽しみに生きていたようです。  その会話を耳にした一端をご紹介します。  美川町は手取川の河口の町で日本海に面 しています。作家の島田清次郎、詩人の邑 井武雄、政治家の奥田敬和、歌手の浅川マ キ、五輪トランポリン選手の中田大輔らの 出身地でもあります。  「美川弁」といってもいい言葉は、隣町 の能美郡根上町(現能美市)や能美郡川北 村(現能美郡川北町)、石川郡松任町(旧 松任市、現白山市)ともちょっと異なって いると思います。  私は金沢市内の高校に通ったのですが、 私の話す言葉がおかしいと、いつも友人に 笑われていました。言葉だけで伝えるのは 難しいのですが、動詞、形容詞、形容動詞 のエ音便がイ音便になったり、また、人名 や名詞の発音のアクセントや抑揚、強弱、 長短が独特みたいです。  鹿児島弁が混じっているのではないかと 言う人もいます。もしそうであれば、最初 の石川県庁が美川町に置かれたことと関係 しているのかもしれません。内田政風とい う薩摩藩士がトップとなりはるばるこの町 にやって来たと聞いています。ひょうきん な美川の人たちが薩摩から来た役人たちの 言葉をおもしろがって真似して、流行らせ、 それがそのまま一部根づいたのではないか と思ったりもしています。  内田はなぜか金沢県とすることを拒否し、 県名を石川郡から拝借して石川県にし、さ らに「美川県」にとまで県名をかえようと したと聞きます。石川県はあわや美川県に なっていた可能性もあったということです。  これはこれでおもしろい話ですが、内田 は、美川町を中心にした金沢以上の新たな ...

319. 何者でもない者が生きる哲学  

【2023年11月4日配信】         考えることがなぜ大切なのか     小を積めば即ち大と為る. 『報徳記』富田高慶1856    二宮尊徳翁曰く 「励精小さなる事を勤めば大なる事必ずなるべし。  小さなる事をゆるがせにする者、大なる事必ず  できぬものなり」     読書のすすめ 背負い歩き考える二宮金治郎          ロダンの『考える人』よりもりっぱに思える         薪を負いて名定まる         損得から尊徳の世へ             朱買臣 哲学の時代へ(第14回)                                        以下の文はkyouseiさんという方のnote にある文です。偶然みつけ共感するものが ありこれまで何度か勝手にその文を紹介し てきました。どこのどなたかまったく存じ 上げませんが、またお叱りを受けるかもし れませんが、本日掲載の文をご紹介します。 (当講座編集人)            本当の哲学とはなにか            note での投稿も長くなった。 連続投稿 が 370 を超えたようだ。そんなことはどう で もい いことだが、ぼくはこれまで 「哲学」 だと 思って書いていた記事は、「本当に哲 学 な のだろうか」と思うことがよくある。 皆の言う「哲学」は、「○○哲学では…」 と 難しい話をよく知っている。 ぼくはというと、思考を治療的に使って 現 状の維持、回復を狙うものだ。 「何が不満か」「何がそうさせるのか」と いった答えを探すものだ。だから「治療的 哲学」と銘打っているのだが、はたしてそ れは哲学なのだろうかと思うこともある。 ぼくの哲学は「結果が全て」であり、再 現 性も求める。結果が出ないとすれば、や り 方がまずかったとすぐに修正する。自分 自 身を実験台にして確かめるのだ。 難しい話を好まないのは「使えない」 か ら だ。使えないものは真理ではないと 考え て いる。 だからといって、ぼくの視野が広いか とい えばそうではなく、個人という狭い世 界観 をどう変えるかといったものだ。 「大したことないな」と思われるだろう が、 では、...

280. 湯の人(その4)現実と夢

 【2022年11月22日配信】   大きな便り                       加藤 蒼汰          秋とはいっても冬のような寒い夜だった。 浴室にはだれもおらず、脱衣場には番台に 座っている銭湯の主人と私ともうひとり。  その人は銭湯の近所の人であり、かつて 高校の教員をしていた。在職当時、馳浩・ 現石川県知事を教えていたと語っている。 八十歳を超えている。  この銭湯でよく顔を合わせ、会うたびに 知事の高校在学中のエピソードを繰り返す ので、私はその話の内容をすっかり諳んじ られるようになってしまった。高校入学時 から卒業までの様子、レスリング部での活 躍などであるが、私が特に感銘を受けた話 は、知事は高校時代、冬、雪が降り積もっ た朝には真っ先に早出登校して、生徒・教 職員を思いやり、校門から校舎玄関入り口 までの路をひとりスコップで雪かきをして いたというくだりである。  そんなすばらしい教え子をもつ元先生が、 服を脱ぎ裸になって浴室入り口に向かって 五、六歩あるきながら大便を三個落とした のである。気づかずに落ちたようなので、 私は「先生、落としもの」と声をかけると、 「ありりー、まったく気いつかんかった。 あはははは」と笑うのである。  私は、脇にあったチリトリでこの塊をす くいとり、「みごとな色と固さやね」と言 いながらトイレに流した。しかしながら、 脱衣場にはその匂いが全面に沁みわたり、 息が苦しくなるほどだった。このとき私は、 幼いころサーカスを見たときのことを思い だした。  それは曲芸をしていた象が巨大な大便の 塊を三個落とし、団員があわててスコップ で拾いあげていた光景であった。このとき の衝撃の記憶がよみがえり、私にとっさに チリトリを思いつかせたような気がする。 本を読んでいた番台の主人もその匂いで事 のいきさつに気づき、「匂いもすばらしい ね」と笑いながら脱衣場の窓を全開し床を 雑巾でふいてくれたが、その強力な匂いは 容易に消えなかった。  その間、先生は先に浴槽へ入り、気持ち よさそうに浸かっていた。私は先生と湯壺 にいっしょに漬かることに一瞬躊躇したが、 免疫機能が高まるまたとないチャンスでは ないかとの思いも何ゆえか突然こみあげて きて湯船に同席、お伴したしだいである。 ...

303. 教え子を再び何処へ送るのか

【2023年5月25日配信】   マスクをめぐる学校との苦闘                   千葉県 今野 ゆうひ  17歳                          2019年。新型コロナウイルスが突如 として私たちの生活に現れました。何もわ からないまま政府に舵をゆだね、ウイルス の災いとして ”コロナ禍” は四年目に突入し ました。 当時中学三年生だった私の日常も  “コロナ禍” によって一変しました。  外出自粛、一斉休校、ソーシャルディス タンス、マスク、消毒...   それら政策を半ば面白がりながら、20 21年まで三年間、流されて過ごしました。  人との接触をなるべく避けながらいかに 楽しめるか。マスクをしていかにおしゃれ をできるか。いつしか私たちの生活は“コロ ナ禍”ファーストへと姿を変えていました。  2021年、高校一年生になった私も“コ ロナ禍”ファーストな高校生活を送っていま した。  その年の夏、母と私は新型コロナと全く 同じ症状を発症。病院に行っても薬がない ので PCR検査などはしていませんが、あの 症状は確実に新型コロナだったと思います。 その時母と、“コロナ禍” ファーストな生活 をしていても感染はするし、普通の風邪と 同じように治るということに気づきました。  もちろん個人差はありますが、なぜここ まで徹底して感染源を特定したり外出制限 をしたりするのか、その時からじんわりと 疑問が生まれます。  経験は人を変化させますね。  そんなこんなで私と母は、自転車に乗っ ている時だけ。から始まり、すこしずつマ スクを外すことにしました。  ある日、母と一緒に近くの大きめのスー パーで買い物をすることになります。 「注意されるまでマスクしないで入ってみ るわ」  正直遊びの部分もありました。ちょっと 面倒くさくなっちゃったのです。強い意志 もないただのチャレンジだったので、何か 言われたらすぐ付けるつもりでした。  ところが、なんかいけちゃったのです。 一時間弱いたものの、誰にもなんにも言わ れず買い物終了。  なんということでしょう。今までやって きたことはなんだったんだと思うほどあっ けなくチャレンジは成功。今思えば、この スーパーで何か言われていたら、この文を 書くこともなかったで...

275. スポーツを文化にするために

【2022年10月10日配信】      「学生野球考」      慶應義塾大学野球部監督   前田 祐吉   史上最高演技   史上最高選手      勇気ある発言   「オンニ、ここで記念に一緒に撮りましょ」   「オレは笑わないが、笑って何が悪いんだ」  葉隠・武士道を覆す号泣                       「サード!もう一丁!」「ヨーシこい」 と いう元気な掛け声の間に、「カーン」と いう 快いバットの音がひびくグラウンドが 私の職 場である。だれもが真剣に野球に取 り組み、 どの顔もスポーツの喜びに輝いて いる。息子 ほどの年齢の青年たちに囲まれ、 好きな野球 に打ち込むことのできる私は、 つくづく、し あわせ者だと思う。  学生野球は教育の一環であるとか、野球 は人間形成の手段であるということがいわ れるが、私の場合、ほとんどそんな意識は ないし、まして自分が教育者だとも思わな い。どうしたらすべての野球部員がもっと 野球を楽しめるようになるのか、どうした らもっと強いチームになって、試合に勝ち、 選手と喜びを共にできるのか、ということ ばかり考えている。  野球に限らず、およそすべてのスポーツ は、好きな者同志が集まって、思いきり身 体を動かして楽しむためのもので、それに よって何の利益も求めないという、極めて 人間的な、文化の一形態である。百メート ルをどんなに早く走ろうと、ボールをどれ だけ遠くへカッ飛ばそうと、人間の実生活 には何の役にも立たない。しかし、短距離 走者はたった百分の一秒のタイムを縮める ために骨身をけずり、野球選手は十回の打 席にたった三本のヒットを打つために若い エネルギーを燃やす。その理由は、走るこ とが楽しく、打つことが面白いからにすぎ ない。さらにいえば、より早く走るための 努力の積み重ねが何物にも替えがたい喜び であり、より良く打つための苦心と練習そ のものに、生きがいが感じられるからであ る。  このように、スポーツは余暇を楽しみ、 生活を充実させるための手段で、それ以外 には何の目的もないはずである。むしろ目 的のないことがスポーツの特徴であり、試 合に勝つことや良い記録を出すことは、単 なる目標であって終局の目的ではない。  かつて超人的な猛練習でスピー...

381. 現代の課題と統一協会(続き)

 【2025年2月26日配信】        親友ヨッチにささげる手記          -最期まで友情を信じて-                  石川県河北郡津幡町                 書店員 22歳  酒井 由記子  人は、どんな人と巡り合うか、どんな本 と出会うかによって人生が決まってくると、 ある作家が述べていたのをふと思い出す。 私にとってはまさにそうであった。出会っ た人達も書物もとても大きな影響を残し、 忘れられない出来事となっていったのであ る。   一、高校生の頃  今から六年前(1977年)、私は金沢 二水高校の二年生であった。いや二年生と いうより吹奏楽部生というほうが適切であ るほど私は部活動に情熱を注ぎ込んでいた。 みんなでマラソン、腹筋運動をしてからだ を鍛えあげ、各パートごとでロングトーン をして基礎固めをなして、全員そろって校 舎中いっぱいに響きわたるハーモニーを歌 いあげる。それは、先輩、後輩、仲間達の 一致によって一つの音楽をつくり出すとい う喜びを存分に味わった私の青春時代の真 っ盛りであった。ただ残念なことは、部活 動に熱中すればするほど勉強のほうはさっ ぱり力がはいらなかったことである。中学 生のときは、「進学校にはいるために」と いうただそれだけの目的で受験勉強ができ た。しかし、いざ高校にはいってみると、 また「いい大学にはいるために」と先生方 が口をすっぱくして押しまくる文句に素直 になれなかった。勉強する本当の意味が見 出せなかったのである。その頃から、私は 人間は何のために生きるのだろうかという ことまで突っ込んで考えるようになってい った。  父母が書店を経営しているため本は充分 にあり、書物を読むことによって答えを見 出そうとした。私の強い求めに応じるかの ように一冊の本が転がり込んできた。クリ スチャン作家である三浦綾子さんの『あさ っての風』という随筆集であった。聖書の 言葉がそこに登場しており、それはズシリ と心に響いたのである。その本に魅せられ て三浦さんの自叙伝も何冊か読み進めてい った。しだいに私の魂は、人間をはるかに 越えた大いなる存在があることを感じてい った。確信までは至らなかったけれども、 それらの本...
         柿岡 時正
         廣田 克昭
         酒井 與郎
         黒沢  靖
         神尾 和子
         前田 祐吉
         廣田 克昭
         伊藤 正孝
         柿岡 時正
         広瀬 心二郎
         七尾 政治
         辰巳 国雄
         大山 文人
         島田 清次郎
         鶴   彬
         西山 誠一
         荒木田 岳
         加納 韻泉
         沢田 喜誠
         島谷 吾六
         宮保 英明
         青木 晴美
         山本 智美
         匂  咲子
         浅井 恒子
         浜田 弥生
         遠田 千鶴子
         米谷 艶子
         大矢場 雅楽子
         舘田 信子
         酒井 由記子
         酒井 由記子
         竹内 緋紗子
         幸村  明
         梅  時雄
         家永 三郎
         下村 利明
         廣田 克昭
         早津 美寿々
         木村 美津子
         酒匂 浩三
         永原 百合子
         竹津 清樹
         階戸 陽太
         山本 孝志
         谷口 留美
         早津 美寿々
         坂井 耕吉
         伊佐田 哲朗
         舘田 志保
         中田 美保
         北崎 誠一
         森  鈴井
         正見  巖
         正見  巖
         貝野  亨
         竹内 緋紗子
         滋野 真祐美
         佐伯 正博
         広瀬 心二郎
         西野 雅治
         竹内 緋紗子
         早津 美寿々
         御堂河内 四市
         酒井 與郎
         石崎 光春
         小林 ときお
         小川 文人
         広瀬 心二郎
         波佐場 義隆
         石黒 優香里
         沖崎 信繁
         山浦  元
         船橋 夕有子
         米谷 艶子
       ジョアキン・モンテイロ
         遠藤  一
         谷野 あづさ
         梅田 喜代美
         小林 ときお
         中島 孝男
         中村 秀人
         竹内 緋紗子
         笠尾  実
         前田 佐智子
         桐生 和郎
         伊勢谷 業
         伊勢谷 功
         中川 清基
         北出  晃
         北出  晃
         広瀬 心二郎
         石黒 優香里
         濱田 愛莉
         伊勢谷 功
         伊勢谷 功
         加納 実紀代
         細山田 三精
         杉浦 麻有子
         半田 ひとみ
         早津 美寿々
         広瀬 心二郎
         石黒 優香里
         若林 忠司
         若林 忠司
         橋本 美濃里
         田代 真理子
         花水 真希
         村田 啓子
         滋野 弘美
         若林 忠司
         吉本 行光
         早津 美寿々
         竹内 緋紗子
         市来 信夫
         西田 瑤子
         西田 瑤子
         高木 智子
         金森 燁子
         坂本 淑絵
         小見山 薫子
         広瀬 心二郎
         横井 瑠璃子
         野川 信治朗
         黒谷 幸子
         福永 和恵
         小社発信記事
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         秋山 郁美
         加藤 蒼汰
         森本 比奈子
         森本 比奈子
         吉村 三七治
         石崎 光春
         前田 佐智子
         前田 佐智子
         前田 佐智子
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         中野 喜佐雄
         八木  正
         堀  勇蔵
         家永 三郎
         広瀬 心二郎
         菅野 千鶴子
         海野 啓子
         菅野 千鶴子
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         石井 洋三
         小島 孝一
         キャリー・マディ
         谷本 誠一
         宇部  功
         竹内 緋紗子
         谷本 誠一
         酒井 伸雄
163、コロナ禍の医療現場リポート
         竹口 昌志
164、この世とコロナと生き方を問う
         小社発信記事
165、コロナの風向きを変える取材
         橋本 美濃里
166、英断の新聞意見広告
         小社発信記事
167、ワクチン接種をしてしまった方へ
         小社発信記事
168、真実と反骨の質問
         小社発信記事
169、世論を逆転する記者会見
         小社発信記事
170、世界に響けこの音この歌この踊り
         小社発信記事
171、命の責任はだれにあるのか
         小社発信記事
172、歌人・芦田高子を偲ぶ(1)
         若林 忠司
173、歌人・芦田高子を偲ぶ(2)
         若林 忠司
174、歌人・芦田高子を偲ぶ(3)
         若林 忠司
175、ノーマスク学校生活宣言
         こいわし広島
176、白山に秘められた日本建国の真実
         新井 信介
177、G線上のアリア
         石黒 優香里
178、世界最高の笑顔
         小社発信記事
179、不戦の誓い(2)
         酒井 與郎
180、不戦の誓い(3)
         酒井 與郎
181、不戦の誓い(4)
         酒井 與郎
182、まだ軍服を着せますか?
         小社発信記事
183、現代時事川柳(六)
         早津 美寿々
184、翡翠の里・高志の海原
         永井 則子
185、命のおくりもの
         竹津 美綺 
186、魔法の喫茶店
         小川 文人 
187、市民メディアの役割を考える
         馬場 禎子 
188、当季雑詠
         表 古主衣 
189、「緑」に因んで
         吉村 三七治 
190、「鶴彬」特別授業感想文
         小社発信記事
191、「社会の木鐸」を失った記事
         小社発信記事
192、朝露(아침이슬)
         坂本 淑絵
193、変わりつつある世論
         小社発信記事
194、ミニコミ紙「ローカル列車」
         赤井 武治
195、コロナの本当の本質を問う①
         矢田 嘉伸
196、秋
         鈴木 きく
197、コロナの本当の本質を問う②
         矢田 嘉伸
198、人間ロボットからの解放
         清水 世織
199、コロナの本当の本質を問う③
         矢田 嘉伸
200、蟹
         加納 韻泉
201、雨降る永東橋
         坂本 淑絵
202、総選挙をふりかえって
         岩井 奏太
203、ファイザーの論理
         小社発信記事
204、コロナの本当の本質を問う④
         矢田 嘉伸
205、湯の人(その2)
         加藤 蒼汰
206、コロナの本当の本質を問う⑤
         矢田 嘉伸
207、哲学の時代へ(第1回)
         小社発信記事
208、哲学の時代へ(第2回)
         小川 文人
209、コロナの本当の本質を問う⑥
         矢田 嘉伸
210、読者・投稿者の方々へお願い
         小社発信記事
211、哲学の時代へ(第3回)
         小社発信記事
212、哲学の時代へ(第4回)
         小社発信記事
213、小説『金澤夜景』(2)
         広瀬 心二郎
214、小説『金澤夜景』(3)
         広瀬 心二郎