「宗教」とは何か?(二)

 【2021年1月4日配信 NO.96】

 「葬儀」に「宗教」は必要か



              伊勢谷  功     


 「直葬」が四割を超えた

 近年、東京都内では、家族が亡くなっても

葬式をしないで、直接火葬場に搬入して火葬

だけですませる「直葬(じきそう)」が四割

を超えたという報告があります。


 ①葬儀社に支払う費用がかかりすぎる。

 ②寺院や僧侶への費用が多すぎる。

 ③葬儀の儀式に意味が認められず、必要性

  を感じない。

 ④従来のような葬儀をしなくても、何ら不

  都合はない。


などというのが、おもな理由だというのです。


 最近では、ほとんどの人が病院で亡くなり

ます。ですから、まず、遺体を自宅へ搬送す

ることを葬儀社に依頼します。多くの場合、

その葬儀社が葬儀のすべてを引き受けること

になりますから、葬儀社のあいだでは、病院

との連携を取ろうと、入院患者の争奪戦が繰

り広げられているわけです。


 しかし、多くの人が誤解していることです

が、身内のものの遺体ぐらいは、自分たちの

手で運べばいいのです。道路交通法の規定で

は、遺体は「物品」というあつかいですから、

肉親が「死亡診断書」を携行すれば、搬送に

は何らの制約もありません。


 遺体は、死後二十四時間を経過しないと、

火葬できませんから、都会の高層アパートや

マンションでは、遺体の安置や納棺後の搬出

もままならず、結局は病院から葬儀社に直送

することも少なくありません。


 近年多くなったのが、「自宅でのお別れ会」

というものです。この場合、多くは宗教色抜

きで「告別のつどい」がおこなわれます。そ

れでも、遺体の搬送はほとんどが葬儀社に依

頼しますから、お別れ会という「葬儀」も、

依然として葬儀社まかせで、結局は、宗教的

意味を失った「葬儀」をしたというだけのこ

とになっているのです。


 近親者だけでいとなまれる「家族葬」など

も、「身内の死は、他人には関係がない」「

人間は、自分や家族や親族のためだけに生き

ればよい」という人生観の反映だともいえま

すが、人間の生き方が個人的になって、「生」

も「死」も他人にとっては無関係な出来事だ

と考える人が増え、地域共同体の連帯が風化

してきたことの現れであるともいえましょう。


 何のための葬儀か?

 人が一度限りの人生を生きて死んで逝った

ということは、当人や、身内だけの問題では

ありません。すべての人たちの問題です。と

同時に、その人がどんな生き方をして、何を

残し何を失っていったかは、あとに残された

すべての生命(いのち)あるものの問題です。


 つまりは、私たちが「人の死に出会う」と

いうことは、人間として限りある生命を、ど

のように生きるかを考える、大切な機会を与

えられるということなのです。この意味で、

むかしの葬儀は、村やその地域共同体全体の

行事でした。同時に、仏教の行事(仏事)で

した。現在では、仏教の僧侶が法衣を着て仏

教の経典を読むだけで、そこで「仏(ほとけ)

の教え」(仏教)が語られることはほとんど

ありません。


 葬式をしないで「直葬」ですませる人たち

が語る理由のひとつに、「葬儀の儀式に意味

が認められず、必要性を感じない」とありま

したが、それは、言い換えれば、「何度葬儀

に参列しても、あるいは、自らが葬儀を主催

しても、葬儀の意味も必要性も感じられない」

「そのような儀式を、寺院や僧侶が執行して

きた」ということではないでしょうか。


 浄土真宗の寺の本堂は、まず第一に、教え

を聞くための空間として発達したものです。

そのことは、私たち凡夫の救いは、ただ聴聞

(教えを聞くこと)による以外にはない、と

いうことの現れです。


 ですから「葬儀」の場合も、「法話を聞く」

ということがないと、「葬儀」が仏教の行事

にはなりません。


 東京などで葬儀をすませた人が、「お骨を

預かってほしい」とか、「法名(戒名)」を

つけてほしい」とかいって郷里の田舎の寺を

訪れることがあります。(浄土真宗では、仏

門に入る「お剃刀(かみそり)」の際に戒律

を授けたりしないので、戒名という言葉は用

いません。)


 東京では火葬後の遺骨と遺灰は、残らずも

ち帰らねばならない場合がほとんどなので、

お骨壷もおヒツほどの大きさがあります。


 「お墓も仏壇もなく、家も狭くて、置く場

所が無い。放置しておくと、死んだ人が浮か

ばれないのではないか」というのです。


 また、「法名」も、東京でいただくとむや

みに高くつくから、法名無しで葬式をしても

らった、などといいます。


 年寄りは「粗大ゴミ」などといわれますが、

死んでもなお、人は「ほとけさま」どころか、

処分に莫大な費用のかかる「粗大ゴミ」にな

ってしまう、というのが、今日の都会生活で

のいつわらざる現状なのです。


 死者の処分を「直葬」ですませ、もてあま

した「お骨(こつ)」は田舎の寺に預け、手

遅れながら「法名」も田舎でつけていただい

て、これでひと安心ということなのですが、

これは、さいわいに親切な「田舎の寺」など

というものがあった場合の話しであって、多

くの都会人たちは、そのような幸運には恵ま

れていません。しかも、その多くが、まとも

な葬儀を出したくても、経済的に困難な人た

ちの苦肉の策なのかもしれません。


 しかし、かりに何らかの葬儀が出来たとし

ても、それで問題が解決できたといえるので

しょうか?


 「お骨」や「法名」や、そのあとの「供養」

などをしなければ、「亡くなった人が浮かば

れないのではないか」とか、「それを放置す

ると、こちらに祟りが来るのではないか」な

どといった、私たちのほうの「迷い」や「心

得違い」は、何ら解決しないで、そのまま残

っているのです。


 「人は死んだらどうなるのか」「死者を供

養するとはどういうことか」「結局は、自分

たちへの祟りや禍を怖れて、自分たちのため

に死者を供養しているだけではないのか」等

々……。仏さまの教えは、そのへんからはじ

まってくるのです。


 罪福信による宗教利用

 いまの日本では、なかなか死ねない時代に

なったと多くの人がいいます。


 これは医療技術や延命治療の発達と福祉や

医療制度の進展によるところが多分にありま

すが、それとは別の意味で、死後にお金がか

かってウカウカとは死ねないという人も少な

くないのです。


 しかし、死んだあとにかかるお金の多くは、

葬儀や埋葬のための費用がほとんどをしめて

います。はじめに述べた「直葬」が激増する

背景には、葬儀費用の節約・倹約に原因があ

ることも否定できません。また、葬式だけで

なく、年回法事や墓参り、その他、亡くなっ

人の供養を何故しなければならないのか、そ

の理由もよく分からないのです。


 ①供養しなければ、亡くなった人が浮かば

  れない。

 ②死んだ人の供養をしない家には、いいこ

  とがない。

 ③ご先祖を供養すれば、ご先祖が守ってく

  ださる。

 ④法事をしなければ、親戚や近所の目がう

  るさい。


しかし、こうした考え方には大きな落とし穴

があります。


 親鸞聖人は、このような信仰を「罪福信(

ざいふくしん)」といって否定されました。

結局は、自分たちの利益だけしか考えない宗

教利用だといわれるのです。


 人間の欲望を満たすために宗教を利用しよ

うという信仰を「罪福信仰」といいます。人

類の発祥から、ほとんどの「信仰」は、この

「罪福信仰」からはじまっています。


 「神」も「仏」も、自分たちの日常を豊か

にするように手助けし、禍から守り、願いを

かなえてくれるもの、と考えて期待してきま

した。しかし、このような、自分たちだけに

都合のよい「神」や「仏」などというものは、

どこにも存在しません。これは、人間の慾が

つくった妄想なのです。


 お釈迦さまは、「人間の幸・不幸や運命は、

それらを支配する、超自然的・超能力的な、

何か ” 尊い存在 ” によって支配され、決定づ

けられている(尊祐因説)」という「宗教意

識」を、人間の迷いとして、すべて否定され

ました。


 「おまもり」や「おふだ」や「神だのみ」

といった信仰は、すべて、人間の慾がつくっ

た妄想なのです。


 過去の日本人の宗教観

 江戸時代には町人文化が栄え、「風呂と床

屋は喰いはぐれがない」といわれていました。

また、「薬九層倍(くそうばい)、坊主丸儲

け」などともいわれていたものです。しかし

現代では、それらはすべて、様がわりしてし

まいました。


 いまから四〇〇年前の江戸時代のはじめこ

ろ、鎖国とキリシタン禁圧にともなって「寺

請の制度・宗門改めの制度」がしかれました。

これによって、日本に住む民のすべてが、い

ずれかの仏教寺院に檀家(浄土真宗では門徒

という)として所属し、お上(かみ)に無断

で所属寺(お手つぎの寺)や宗派を替わるこ

とができなくなりました。


 この制度は、明治維新まで続きました。明

治四年(一八七一年)になって「宗門人別帳」

が廃止されることになりますが、この二五〇

年ほどの間に、日本人の宗教観は大きく変わ

っていきました。


 体制権力によって、個人の信ずる(所属す

る)宗旨が固定されてしまいますと、信仰は

家によって決まったものであり、「家の宗派

を守る」ということ以外には、「宗教」を選

んだり「個人の信仰」を成り立たせる場所が

ありません。


 そのため、仏教の救済(救い)は、固定さ

れた宗派内での「精神の修養」や「人づきあ

いでの心の工夫」、そして、それぞれの宗派

とは無縁な勧善懲悪に基づく「死後の極楽往

生」や「輪廻転生(生まれ変わり)」などと

して、どの宗派ででも同様に説かれるように

なりました。また、読経や儀式などによる「

死者供養」や「まじない」などが、農村社会

にまで普及して、教団や寺院の運営に経済的

基盤を与えてきました。


 先に、「直葬」についてお話しするなかで、

死者は、「ほとけさま」どころか、処分に莫

大な費用のかかる「粗大ゴミ」になってしま

う、と述べましたが、「人間は、死ねばゴミ

になるのか?」という問いには『旧約聖書』

の記述に、その歴史があります。


 「すると、主である神は、土の塵(ちり)

 で人を形造りその中に霊(れい)を入れら

 れた。そこで、人は生きた人格となった。」

             (創世記2ー⑦)

 「あなたは、一生涯あくせく働いて食物を

 得、ついに死ななければならない。あなた

 は土の塵から造られたから、死ねばその塵

 に帰る。」       (創世記3ー⑲)

        現代語『聖書』尾山令二訳


 「人間、死ねばゴミなのか」という問いか

けは、同時に「ゴミでないのなら、何なのか

?」と、私たちが逆に問われてもいるのです。


 『聖書』は、「神の息吹を吹き入れられて、

はじめて人は、生きた人格となるのであって、

神の息吹(救済)を享(う)けないものは、

生涯、塵を造り続けて、塵となって終わる」

と語っているのです。


 では、そのことを、私たちはどのように考

えているのでしょう。また、仏教はどのよう

に教えてきたのでしょう。人間は、死んで「

粗大ゴミ」になるのでしょうか。それとも、

「土の塵に帰る」のでしょうか。あるいは、

「ほとけさま」になるのでしょうか。


 亡き人にみちびかれて

 お釈迦さまは「老病死を見て世の非常(無

常)を悟り」出家された、と経典に説かれて

います。亡くなった人から何を学ぶかは、あ

とに残されたものの仕事です。多くを学ぶ人

もあれば、あまり学ばない人もあるかもしれ

ません。しかし、いずれにせよ人は他人の死

からさまざまのことを学びます。しかもこれ

らの問いは、決して他人事ではなく、どれも

が自分自身の問題なのです。


「人は、何のために、そして自分は何のため

生まれてきたのか?」

「人生には目的があるのか? 人は何を達成

しようとして生きているのか?」

「亡くなった人の一生は、いったい何のため

だったのか?」

「ーー自分の人生には、どんな意味があるの

か?」

「すべて、人間は必ず死ぬ。そして、自分も

必ず死ぬ」

「しかも、死は、突然やってくる」

「人は死んだら、どうなるのか?」

「死後も、自分というものに続きがあるのだ

ろうか?」

「世の中が、ずっと続いても、自分は、永久

に、どこにも居なくなるのだろうか?」


 長生きさえすれば、私たちには、このよう

な疑問や問いが、まだまだ無数に出てくるか

もしれませんが、これらの問いの多くが亡き

人からいただいた大切な問いかけなのです。


 ところが、私たちには、こうした「問い」

を無限に見出だす智慧など、とてもありませ

ん。なぜならば、私たちの知恵は、生きるた

めの知恵であって、生きることそのことを見

据える深さをもった智慧ではないからです。


 答えを見出だしたものだけが、善く問うこ

とのできるものなのです。仏教は、今日まで、

その「仏の智慧」を伝えてきました。


 身近な人が亡くなると、私たちは、深い悲

しみや、心残りや後悔の中で、じつに多くの

ことを学びます。しかし、それはあくまでも

自分なりの学びにすぎません。仏教の行事と

して葬儀や法事をいとなむのは、そこに「仏

の智慧」をいただくことなのです。


 「虎は死して皮を残し、人は死して名を残

す」という言葉があります。しかし、これは

むかしの話しです。現代人である私たちは、

「死して、何を残す」のでしょう。いや、む

しろ、「何を残したい」のでしょうか。


 「自分が死んだあとのことなど、どうでも

いい」という考え方もあります。それが本当

なら、その人は、そのような人生を生きてい

るということです。


 じつは、私たちには、自分の死後に「残し

たいもの」と「残したくないもの」とがあり

ます。


 お釈迦さまは、自分の死後には「業」が残

ると教えてくださいました。業(ごう)とは、

私たちが「おこなったこと」です。


 私たちの「おこない」は、当人が死んでも無

くならないものがたくさんあります。


 書いた手紙や植えた樹木、産んだ子どもや

孫、借金。他人に与えた被害や怨みや屈辱や

迷惑。ひとりの人間がしばらく生きるために

浪費した生活物資と、その生産に携わった人

たちの労苦。そして、放射能のゴミなど、お

びただしいゴミの山……。


 これらを残したまま、ほとんど何のあと片

づけもできずに、人は去っていくのです。し

かし、私たちの多くが、何とかして死後にも

残したいと願っている「自分自身」というも

のは、いったいどこに、どんな形で残るので

しょうか。


 人は死ねば仏になるか?

 「死後にも自分というものを残したい」と

いう願望は、人間最後の、自己自身に対する

「執着」です。しかし、この執着も、本人の

死とともに消えていくのです。


 欲望の残骸は、「業」として当分のあいだ

は残りますが、欲望そのものは「死」によっ

て、確実に死に絶えます。


 死者には、すでに衣食住も必要なく、生き

てあれば当然あるはずの数々の「心残り」や

「心配」も、あとに残ったものたちが引き受

けねばならなくなるのです。つまり、「亡き

人のあとをどのように引き受けるのか」、こ

れを明らかにすることが、あとに残されたも

のたちの「責務(つとめ)」なのです。



 「苦も楽も超越し、煩悩を断ちきった者」、

これを「仏」というのならば、その意味では

「人は死ねば仏さまである」ということにな

ります。


 しかし、「仏さま」とは、元来、「覚りを

ひらいた者」(覚者)という意味でした。し

かも、「覚りをひらいた者」は、同時に「他

の人々を教えみちびく者」でもありました。


 亡くなった人を、いまだに「衣食を欲しが

って餓鬼道をさまようもの」にしてしまうの

か、あるいは、あとに残った私たちを「仏道

に教えみちびいてくださる仏さま」になって

いただくのかは、私たち、残されたものたち

一人ひとりの、今後の生き方にかかっている

といわねばなりません。


 お釈迦さまやキリストは、何を私たちに残

してくださったでしょうか。法然上人や親鸞

聖人は、どんな生き方を私たちに示してくれ

たでしょうか。私たちには、先人たちによっ

て残されたものが、たくさん手渡されていま

す。


 親鸞聖人のお言葉を記した『歎異抄』の「

第十章」に、「念仏者は無碍の一道なり」と

いうお言葉があります。「無碍(むげ)」と

は、「何ものにも碍(さまた)げられない」

という意味です。


 古くから、「無碍の一道」というのだから、

「念仏者は」よりも「念仏は」のほうがいい

のではないか、という見方がありました。


 「念仏の道が無碍の一道である」というこ

となら、分かりやすいのですが、「念仏に生

きる者(念仏者)が道である」というのには、

たしかに多少の違和感があります。


 しかし、人は「道」になるのです。


 親鸞聖人や蓮如上人、そして、無数の念仏

者たちが歩んでゆかれた「道」と「足跡」が、

私たちに残されています。私たちの親たちも

また、その「足跡」をたどり、ひとすじの「

道」を残して生涯を尽くしてゆかれました。


 その親たちの願いにみちびかれて、同じ「

足跡」をたどり、全生涯を、本願念仏の一道

に生きてゆく「道」が、私たちにも、手渡さ

れてきたのではないでしょうか。


 人は先人のたしかな「足跡」をたどり、自

らもひとすじの「足跡」を残して「仏道」の

中に「いのち」を尽くしていくのです。


 この一道に出会うために、亡き人の「死」

を大切に受けとめ引き受けていくこと、これ

こそが「真宗の葬儀」の精神なのです。



 希望とは もともと

 あるものだとも言えぬし、

 ないものだとも言えない。

 それは、地上の路(みち)のようなものだ。

 地上には もともと

 路はなかった。

 歩む人が多くなれば、

 おのずと路になるものなのだ。

             魯迅 『故郷』より

   



 


 


 


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 【2024年1月28日配信】   おばばの言葉                       白山市 番匠 俊行                                私の両親は石川県石川郡美川町(現白山 市)に生まれ育ちました。両親のそれぞれ の両親も同町の生まれ、育ちです。除籍簿 を見ると、私の先祖は全員、明治初期から 同町の住人でした。  私は高校時代まで美川で育ち、そのあと 関東の大学を卒業し、宮城県内で就職し、 現在、郷里の美川で塾教師をしています。  私の祖母は1900年生まれで伝統産業 の美川刺繍をしていました。亡くなるまで 町から一歩も出たことがなく、町の人たち との会話を楽しみに生きていたようです。  その会話を耳にした一端をご紹介します。  美川町は手取川の河口の町で日本海に面 しています。作家の島田清次郎、詩人の邑 井武雄、政治家の奥田敬和、歌手の浅川マ キ、五輪トランポリン選手の中田大輔らの 出身地でもあります。  「美川弁」といってもいい言葉は、隣町 の能美郡根上町(現能美市)や能美郡川北 村(現能美郡川北町)、石川郡松任町(旧 松任市、現白山市)ともちょっと異なって いると思います。  私は金沢市内の高校に通ったのですが、 私の話す言葉がおかしいと、いつも友人に 笑われていました。言葉だけで伝えるのは 難しいのですが、動詞、形容詞、形容動詞 のエ音便がイ音便になったり、また、人名 や名詞の発音のアクセントや抑揚、強弱、 長短が独特みたいです。  鹿児島弁が混じっているのではないかと 言う人もいます。もしそうであれば、最初 の石川県庁が美川町に置かれたことと関係 しているのかもしれません。内田政風とい う薩摩藩士がトップとなりはるばるこの町 にやって来たと聞いています。ひょうきん な美川の人たちが薩摩から来た役人たちの 言葉をおもしろがって真似して、流行らせ、 それがそのまま一部根づいたのではないか と思ったりもしています。  内田はなぜか金沢県とすることを拒否し、 県名を石川郡から拝借して石川県にし、さ らに「美川県」にとまで県名をかえようと したと聞きます。石川県はあわや美川県に なっていた可能性もあったということです。  これはこれでおもしろい話ですが、内田 は、美川町を中心にした金沢以上の新たな ...

365. 瓊音(ぬなと)のひびき

 【2024年10月5日配信】 白山に秘められた日本建国の真実      追悼          長野県 中野市  文明アナリスト   新井  信介        共振する縄文の心・翡翠の 波形         -泰澄の白山開山の意味-                                                                               白山は縄文時代からの山として人々の信 仰を集めてきた。六千年前、日本列島では、   お互いの命の響きを正確に伝え合う共振装 置としてヒスイを発見し、大切に身に着け 出した。その信仰の中心に最も響きの分か る女神を選び、ヌナカワ姫と代々呼ばれ続 けた。太古の時代から白山の存在は、北の 日本海と南の太平洋へと流れ行く命の水を 分け恵む特別な水分(みくまり)の山だっ た。そんな日本列島に憧れ入植した人たち から、命を産み育てる力はイザナミと呼ば れ、人々はこの力を、水そのものと同一に 見ていたのだ。                           一方で、国や統治体のことをイザナギと   呼んだ。これらは陰と陽のように表裏を成   し、この二つの力がこれまでの日本国を導   いてきた。しかし令和が始まった今、日本   国というこの統治体は人々の幸福よりも経   済の発展を重視し、マネーの追求に明け暮   れ、その結果多くの問題と疑問と苦痛を人   々にもたらしてきた。そして今、かつて経   験したことがないような、先行きの見えな   い不安が日本人と社会を覆っている。                               さらに今、縄文から続く六千年来の人々   の覚醒が静かに始まった。                                    白山には三つの入口がある。一つは加賀   から入る道で、ここは古代に崇神(すじん) 天皇...

319. 何者でもない者が生きる哲学  

【2023年11月4日配信】         考えることがなぜ大切なのか     小を積めば即ち大と為る. 『報徳記』富田高慶1856    二宮尊徳翁曰く 「励精小さなる事を勤めば大なる事必ずなるべし。  小さなる事をゆるがせにする者、大なる事必ず  できぬものなり」     読書のすすめ 背負い歩き考える二宮金治郎          ロダンの『考える人』よりもりっぱに思える         薪を負いて名定まる         損得から尊徳の世へ             朱買臣 哲学の時代へ(第14回)                                        以下の文はkyouseiさんという方のnote にある文です。偶然みつけ共感するものが ありこれまで何度か勝手にその文を紹介し てきました。どこのどなたかまったく存じ 上げませんが、またお叱りを受けるかもし れませんが、本日掲載の文をご紹介します。 (当講座編集人)            本当の哲学とはなにか            note での投稿も長くなった。 連続投稿 が 370 を超えたようだ。そんなことはどう で もい いことだが、ぼくはこれまで 「哲学」 だと 思って書いていた記事は、「本当に哲 学 な のだろうか」と思うことがよくある。 皆の言う「哲学」は、「○○哲学では…」 と 難しい話をよく知っている。 ぼくはというと、思考を治療的に使って 現 状の維持、回復を狙うものだ。 「何が不満か」「何がそうさせるのか」と いった答えを探すものだ。だから「治療的 哲学」と銘打っているのだが、はたしてそ れは哲学なのだろうかと思うこともある。 ぼくの哲学は「結果が全て」であり、再 現 性も求める。結果が出ないとすれば、や り 方がまずかったとすぐに修正する。自分 自 身を実験台にして確かめるのだ。 難しい話を好まないのは「使えない」 か ら だ。使えないものは真理ではないと 考え て いる。 だからといって、ぼくの視野が広いか とい えばそうではなく、個人という狭い世 界観 をどう変えるかといったものだ。 「大したことないな」と思われるだろう が、 では、...

275. スポーツを文化にするために

【2022年10月10日配信】      「学生野球考」      慶應義塾大学野球部監督   前田 祐吉   史上最高演技   史上最高選手      勇気ある発言   「オンニ、ここで記念に一緒に撮りましょ」   「オレは笑わないが、笑って何が悪いんだ」  葉隠・武士道を覆す号泣                       「サード!もう一丁!」「ヨーシこい」 と いう元気な掛け声の間に、「カーン」と いう 快いバットの音がひびくグラウンドが 私の職 場である。だれもが真剣に野球に取 り組み、 どの顔もスポーツの喜びに輝いて いる。息子 ほどの年齢の青年たちに囲まれ、 好きな野球 に打ち込むことのできる私は、 つくづく、し あわせ者だと思う。  学生野球は教育の一環であるとか、野球 は人間形成の手段であるということがいわ れるが、私の場合、ほとんどそんな意識は ないし、まして自分が教育者だとも思わな い。どうしたらすべての野球部員がもっと 野球を楽しめるようになるのか、どうした らもっと強いチームになって、試合に勝ち、 選手と喜びを共にできるのか、ということ ばかり考えている。  野球に限らず、およそすべてのスポーツ は、好きな者同志が集まって、思いきり身 体を動かして楽しむためのもので、それに よって何の利益も求めないという、極めて 人間的な、文化の一形態である。百メート ルをどんなに早く走ろうと、ボールをどれ だけ遠くへカッ飛ばそうと、人間の実生活 には何の役にも立たない。しかし、短距離 走者はたった百分の一秒のタイムを縮める ために骨身をけずり、野球選手は十回の打 席にたった三本のヒットを打つために若い エネルギーを燃やす。その理由は、走るこ とが楽しく、打つことが面白いからにすぎ ない。さらにいえば、より早く走るための 努力の積み重ねが何物にも替えがたい喜び であり、より良く打つための苦心と練習そ のものに、生きがいが感じられるからであ る。  このように、スポーツは余暇を楽しみ、 生活を充実させるための手段で、それ以外 には何の目的もないはずである。むしろ目 的のないことがスポーツの特徴であり、試 合に勝つことや良い記録を出すことは、単 なる目標であって終局の目的ではない。  かつて超人的な猛練習でスピー...

280. 湯の人(その4)現実と夢

 【2022年11月22日配信】   大きな便り                       加藤 蒼汰          秋とはいっても冬のような寒い夜だった。 浴室にはだれもおらず、脱衣場には番台に 座っている銭湯の主人と私ともうひとり。  その人は銭湯の近所の人であり、かつて 高校の教員をしていた。在職当時、馳浩・ 現石川県知事を教えていたと語っている。 八十歳を超えている。  この銭湯でよく顔を合わせ、会うたびに 知事の高校在学中のエピソードを繰り返す ので、私はその話の内容をすっかり諳んじ られるようになってしまった。高校入学時 から卒業までの様子、レスリング部での活 躍などであるが、私が特に感銘を受けた話 は、知事は高校時代、冬、雪が降り積もっ た朝には真っ先に早出登校して、生徒・教 職員を思いやり、校門から校舎玄関入り口 までの路をひとりスコップで雪かきをして いたというくだりである。  そんなすばらしい教え子をもつ元先生が、 服を脱ぎ裸になって浴室入り口に向かって 五、六歩あるきながら大便を三個落とした のである。気づかずに落ちたようなので、 私は「先生、落としもの」と声をかけると、 「ありりー、まったく気いつかんかった。 あはははは」と笑うのである。  私は、脇にあったチリトリでこの塊をす くいとり、「みごとな色と固さやね」と言 いながらトイレに流した。しかしながら、 脱衣場にはその匂いが全面に沁みわたり、 息が苦しくなるほどだった。このとき私は、 幼いころサーカスを見たときのことを思い だした。  それは曲芸をしていた象が巨大な大便の 塊を三個落とし、団員があわててスコップ で拾いあげていた光景であった。このとき の衝撃の記憶がよみがえり、私にとっさに チリトリを思いつかせたような気がする。 本を読んでいた番台の主人もその匂いで事 のいきさつに気づき、「匂いもすばらしい ね」と笑いながら脱衣場の窓を全開し床を 雑巾でふいてくれたが、その強力な匂いは 容易に消えなかった。  その間、先生は先に浴槽へ入り、気持ち よさそうに浸かっていた。私は先生と湯壺 にいっしょに漬かることに一瞬躊躇したが、 免疫機能が高まるまたとないチャンスでは ないかとの思いも何ゆえか突然こみあげて きて湯船に同席、お伴したしだいである。 ...

381. 現代の課題と統一協会(続き)

 【2025年2月26日配信】        親友ヨッチにささげる手記          -最期まで友情を信じて-                  石川県河北郡津幡町                 書店員 22歳  酒井 由記子  人は、どんな人と巡り合うか、どんな本 と出会うかによって人生が決まってくると、 ある作家が述べていたのをふと思い出す。 私にとってはまさにそうであった。出会っ た人達も書物もとても大きな影響を残し、 忘れられない出来事となっていったのであ る。   一、高校生の頃  今から六年前(1977年)、私は金沢 二水高校の二年生であった。いや二年生と いうより吹奏楽部生というほうが適切であ るほど私は部活動に情熱を注ぎ込んでいた。 みんなでマラソン、腹筋運動をしてからだ を鍛えあげ、各パートごとでロングトーン をして基礎固めをなして、全員そろって校 舎中いっぱいに響きわたるハーモニーを歌 いあげる。それは、先輩、後輩、仲間達の 一致によって一つの音楽をつくり出すとい う喜びを存分に味わった私の青春時代の真 っ盛りであった。ただ残念なことは、部活 動に熱中すればするほど勉強のほうはさっ ぱり力がはいらなかったことである。中学 生のときは、「進学校にはいるために」と いうただそれだけの目的で受験勉強ができ た。しかし、いざ高校にはいってみると、 また「いい大学にはいるために」と先生方 が口をすっぱくして押しまくる文句に素直 になれなかった。勉強する本当の意味が見 出せなかったのである。その頃から、私は 人間は何のために生きるのだろうかという ことまで突っ込んで考えるようになってい った。  父母が書店を経営しているため本は充分 にあり、書物を読むことによって答えを見 出そうとした。私の強い求めに応じるかの ように一冊の本が転がり込んできた。クリ スチャン作家である三浦綾子さんの『あさ っての風』という随筆集であった。聖書の 言葉がそこに登場しており、それはズシリ と心に響いたのである。その本に魅せられ て三浦さんの自叙伝も何冊か読み進めてい った。しだいに私の魂は、人間をはるかに 越えた大いなる存在があることを感じてい った。確信までは至らなかったけれども、 それらの本...

303. 教え子を再び何処へ送るのか

【2023年5月25日配信】   マスクをめぐる学校との苦闘                   千葉県 今野 ゆうひ  17歳                          2019年。新型コロナウイルスが突如 として私たちの生活に現れました。何もわ からないまま政府に舵をゆだね、ウイルス の災いとして ”コロナ禍” は四年目に突入し ました。 当時中学三年生だった私の日常も  “コロナ禍” によって一変しました。  外出自粛、一斉休校、ソーシャルディス タンス、マスク、消毒...   それら政策を半ば面白がりながら、20 21年まで三年間、流されて過ごしました。  人との接触をなるべく避けながらいかに 楽しめるか。マスクをしていかにおしゃれ をできるか。いつしか私たちの生活は“コロ ナ禍”ファーストへと姿を変えていました。  2021年、高校一年生になった私も“コ ロナ禍”ファーストな高校生活を送っていま した。  その年の夏、母と私は新型コロナと全く 同じ症状を発症。病院に行っても薬がない ので PCR検査などはしていませんが、あの 症状は確実に新型コロナだったと思います。 その時母と、“コロナ禍” ファーストな生活 をしていても感染はするし、普通の風邪と 同じように治るということに気づきました。  もちろん個人差はありますが、なぜここ まで徹底して感染源を特定したり外出制限 をしたりするのか、その時からじんわりと 疑問が生まれます。  経験は人を変化させますね。  そんなこんなで私と母は、自転車に乗っ ている時だけ。から始まり、すこしずつマ スクを外すことにしました。  ある日、母と一緒に近くの大きめのスー パーで買い物をすることになります。 「注意されるまでマスクしないで入ってみ るわ」  正直遊びの部分もありました。ちょっと 面倒くさくなっちゃったのです。強い意志 もないただのチャレンジだったので、何か 言われたらすぐ付けるつもりでした。  ところが、なんかいけちゃったのです。 一時間弱いたものの、誰にもなんにも言わ れず買い物終了。  なんということでしょう。今までやって きたことはなんだったんだと思うほどあっ けなくチャレンジは成功。今思えば、この スーパーで何か言われていたら、この文を 書くこともなかったで...
         柿岡 時正
         廣田 克昭
         酒井 與郎
         黒沢  靖
         神尾 和子
         前田 祐吉
         廣田 克昭
         伊藤 正孝
         柿岡 時正
         広瀬 心二郎
         七尾 政治
         辰巳 国雄
         大山 文人
         島田 清次郎
         鶴   彬
         西山 誠一
         荒木田 岳
         加納 韻泉
         沢田 喜誠
         島谷 吾六
         宮保 英明
         青木 晴美
         山本 智美
         匂  咲子
         浅井 恒子
         浜田 弥生
         遠田 千鶴子
         米谷 艶子
         大矢場 雅楽子
         舘田 信子
         酒井 由記子
         酒井 由記子
         竹内 緋紗子
         幸村  明
         梅  時雄
         家永 三郎
         下村 利明
         廣田 克昭
         早津 美寿々
         木村 美津子
         酒匂 浩三
         永原 百合子
         竹津 清樹
         階戸 陽太
         山本 孝志
         谷口 留美
         早津 美寿々
         坂井 耕吉
         伊佐田 哲朗
         舘田 志保
         中田 美保
         北崎 誠一
         森  鈴井
         正見  巖
         正見  巖
         貝野  亨
         竹内 緋紗子
         滋野 真祐美
         佐伯 正博
         広瀬 心二郎
         西野 雅治
         竹内 緋紗子
         早津 美寿々
         御堂河内 四市
         酒井 與郎
         石崎 光春
         小林 ときお
         小川 文人
         広瀬 心二郎
         波佐場 義隆
         石黒 優香里
         沖崎 信繁
         山浦  元
         船橋 夕有子
         米谷 艶子
       ジョアキン・モンテイロ
         遠藤  一
         谷野 あづさ
         梅田 喜代美
         小林 ときお
         中島 孝男
         中村 秀人
         竹内 緋紗子
         笠尾  実
         前田 佐智子
         桐生 和郎
         伊勢谷 業
         伊勢谷 功
         中川 清基
         北出  晃
         北出  晃
         広瀬 心二郎
         石黒 優香里
         濱田 愛莉
         伊勢谷 功
         伊勢谷 功
         加納 実紀代
         細山田 三精
         杉浦 麻有子
         半田 ひとみ
         早津 美寿々
         広瀬 心二郎
         石黒 優香里
         若林 忠司
         若林 忠司
         橋本 美濃里
         田代 真理子
         花水 真希
         村田 啓子
         滋野 弘美
         若林 忠司
         吉本 行光
         早津 美寿々
         竹内 緋紗子
         市来 信夫
         西田 瑤子
         西田 瑤子
         高木 智子
         金森 燁子
         坂本 淑絵
         小見山 薫子
         広瀬 心二郎
         横井 瑠璃子
         野川 信治朗
         黒谷 幸子
         福永 和恵
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         秋山 郁美
         加藤 蒼汰
         森本 比奈子
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         吉村 三七治
         石崎 光春
         前田 佐智子
         前田 佐智子
         前田 佐智子
         前田 佐智子
         中野 喜佐雄
         八木  正
         堀  勇蔵
         家永 三郎
         広瀬 心二郎
         菅野 千鶴子
         海野 啓子
         菅野 千鶴子
         海野 啓子
         石井 洋三
         小島 孝一
         キャリー・マディ
         谷本 誠一
         宇部  功
         竹内 緋紗子
         谷本 誠一
         酒井 伸雄
163、コロナ禍の医療現場リポート
         竹口 昌志
164、この世とコロナと生き方を問う
         小社発信記事
165、コロナの風向きを変える取材
         橋本 美濃里
166、英断の新聞意見広告
         小社発信記事
167、ワクチン接種をしてしまった方へ
         小社発信記事
168、真実と反骨の質問
         小社発信記事
169、世論を逆転する記者会見
         小社発信記事
170、世界に響けこの音この歌この踊り
         小社発信記事
171、命の責任はだれにあるのか
         小社発信記事
172、歌人・芦田高子を偲ぶ(1)
         若林 忠司
173、歌人・芦田高子を偲ぶ(2)
         若林 忠司
174、歌人・芦田高子を偲ぶ(3)
         若林 忠司
175、ノーマスク学校生活宣言
         こいわし広島
176、白山に秘められた日本建国の真実
         新井 信介
177、G線上のアリア
         石黒 優香里
178、世界最高の笑顔
         小社発信記事
179、不戦の誓い(2)
         酒井 與郎
180、不戦の誓い(3)
         酒井 與郎
181、不戦の誓い(4)
         酒井 與郎
182、まだ軍服を着せますか?
         小社発信記事
183、現代時事川柳(六)
         早津 美寿々
184、翡翠の里・高志の海原
         永井 則子
185、命のおくりもの
         竹津 美綺 
186、魔法の喫茶店
         小川 文人 
187、市民メディアの役割を考える
         馬場 禎子 
188、当季雑詠
         表 古主衣 
189、「緑」に因んで
         吉村 三七治 
190、「鶴彬」特別授業感想文
         小社発信記事
191、「社会の木鐸」を失った記事
         小社発信記事
192、朝露(아침이슬)
         坂本 淑絵
193、変わりつつある世論
         小社発信記事
194、ミニコミ紙「ローカル列車」
         赤井 武治
195、コロナの本当の本質を問う①
         矢田 嘉伸
196、秋
         鈴木 きく
197、コロナの本当の本質を問う②
         矢田 嘉伸
198、人間ロボットからの解放
         清水 世織
199、コロナの本当の本質を問う③
         矢田 嘉伸
200、蟹
         加納 韻泉
201、雨降る永東橋
         坂本 淑絵
202、総選挙をふりかえって
         岩井 奏太
203、ファイザーの論理
         小社発信記事
204、コロナの本当の本質を問う④
         矢田 嘉伸
205、湯の人(その2)
         加藤 蒼汰
206、コロナの本当の本質を問う⑤
         矢田 嘉伸
207、哲学の時代へ(第1回)
         小社発信記事
208、哲学の時代へ(第2回)
         小川 文人
209、コロナの本当の本質を問う⑥
         矢田 嘉伸
210、読者・投稿者の方々へお願い
         小社発信記事
211、哲学の時代へ(第3回)
         小社発信記事
212、哲学の時代へ(第4回)
         小社発信記事
213、小説『金澤夜景』(2)
         広瀬 心二郎
214、小説『金澤夜景』(3)
         広瀬 心二郎

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