コーヒー・タイム
【2020年11月3日配信 NO.59】
富山市 佐伯 正博
コーヒーを飲んでいると、何故かしら心が
ほのぼのとしてきて落ち着く。ゆったりとし
た気持ちになることしばしばである。私とコ
ーヒーの関係は古い。昔、子どもの頃は砂糖
の甘さ加減が好きだった。今は、カフェイン
中毒のようにコーヒーを一日に二、三杯以上
飲まないと、生きている心地にはならない。
朝、起きて顔を洗いご飯を食べて、コーヒ
ーを飲む。『ああ、朝だなあ』なんて思う。
眠気を覚まし、はつらつとした一日を送る上
において、この朝食後のコーヒー・タイムは
きちょうだ。
本屋へ行く。文庫本でも雑誌でもいいから
本を買う。その次は、喫茶店だ。喫茶店で今
買ってきた本をペラペラめくりながらコーヒ
ーを飲む。一番好きな時間だ。心も気持ちも
落ち着くし、本を買ったなあ、と独りの世界
に入り込む。その世界空間は私だけのものだ。
誰にも邪魔をされずに雑踏の街のオアシスの
中に独り坐り込んでいる。本をペラペラめく
り、本の世界と雑踏とコーヒー空間の中にす
っぽりと包まれていく。これはあまり他人に
は言わないが、私の秘密の空間と時間の流れ
だ。
本を買わなくても、私は喫茶店というもの
が大学生の頃から好きで、一日に二、三軒は
しごをしたりした。大学の講義に緊張した体
と頭を休め、家庭教師に行く時間までの暇つ
ぶしでもあるが、二軒ぐらいはしごをすると、
活力が湧いてくる。最近は、午後の二時から
三時までの間に一度、喫茶店か家でコーヒー・
タイムを取る。一服するということは私が生
き長らえるために必要不可欠の行為なのだ。
その時は、黙って、喫茶店の雰囲気に浸って、
私はこの上もなく幸福だ。あくせく働くだけ
が能ではない。一服しながらコーヒー空間に
深まり込むことは、長生きの秘訣ではないか
なあ、と私は思う。
次は夕方、五時から六時の間にもう一度。
夜、コーヒーを飲むと眠れなくなる怖れがあ
るから夕方に飲む。外出から帰って、一服、
落ち着くためにコーヒー・タイムを取る。こ
の騒音公害の厳しくも重々しい人生と生活の
糧にコーヒーを飲む。一日の分かれ目に一服
の落ち着きと沈着冷静な充実した空間に浸る。
一日の重さ険しさは、コーヒーの中に。そし
て空間世界を活性化して、夜を迎え、床に着
くまでの夜の時間帯を気楽にさせる。
コーヒーは、コーヒーの樹の果実の種子を
炒って粉としたものだが、その味は渋く琥珀
色をして、アイスコーヒーもそうだが、心の
冷静さを誘うものだ。コーヒー豆をかじった
ことがあるが、あれは駄目だ。薫りだけだ。
液状にしたコーヒーのほうがやはり私を誘う。
コーヒーを飲むことは私にとって是だ。この
世にコーヒーがなかったら私は試行錯誤して
毎日つらい想いで過ごさなければならないだ
ろう。コーヒー・タイムを一日三回として私
の境地は依然琥珀色をして、落ち着いていら
れるのだ。インスタントでも結構だ。入れ方
によって甘い。甘いし、コーヒー空間に入り
込める。
私は、あくせく動きまわるほうではないが、
それよりコーヒー空間の中に浸っているのは
良いものだ。空想の世界に浸るのではなく、
落ち着いた現実認識の世界に浸ることは、生
きていく上において重要だ、と思うのだ。
小社発行・『北陸の燈』第2号より