ヒロシマの回想

【2020年8月6日配信 NO.11】

   



              石川県加賀市  建設業 七尾 政治



 昭和二十年八月六日、日曜日、その日も朝
から焼けつくような真夏の太陽が輝いていた。
陸軍の現役兵として私は広島の兵営で、前夜
の空襲警報も解除され、緊張から解放されて
衛兵交替の申し送りをしていた。

 八時十五分、突然、日光をあざむく閃光が、
一瞬、皮膚を焼く灼熱とともに炸裂して目を
眩ませた。と同時に耳を聾する百雷同落の如
き大轟音と、人をも吹き飛ばす大爆風が、間
髪を入れず広島全市を震撼させたのである。
無我夢中、先を競って営庭の一隅の防空壕に
飛び込む時、この目に映ったのは、市の上空
に渦を巻いた紅蓮の炎の爆雲が、巨竜のよう
に発生して昇る姿であった。いわゆる『きの
こ雲』である。無気味なその雲に向かって、
「また爆発するぞー」と怒号する者もいた。
もくもくと次から次へと火を吹いて湧くその
雲は、風を巻く音をたててその夕刻まで消え
なかった。 
 
 灼熱の閃光と爆風によって、爆心地から約
二・五キロの半径内の家屋は、ことごとく将
棋倒しに倒壊した。爆発三十分後には、二千
度の高熱をともなった閃光によって、全市は
一斉に火災が発生した。径五寸もある火の塊
が、きのこ雲から無数に落下して、屋根の上
で飛び散るのも見えた。全市は炎と煙に包ま
れて、倒壊した家屋の中から辛うじて逃げた
市民の群れは、雪崩のように広場や郊外へと
走ったのである普通の爆弾ではない。たっ
た一発で大広島が、一瞬にして火の海になろ
とは。憶測が憶測を生み、全市が不安のど
底に陥った。

 かつてない新型爆弾であろう。私は、防空
壕の中で、右手甲と鼻下に火腫(ひぶくれ)
ができているのに気づいたが、処置する考え
も暇もなかった。中隊の水上勤務の兵隊が裸
で作業中に被爆して、全身火傷(やけど)と
なって次から次へと運ばれてきた。胸も背も
火傷を負っている彼らは、伏すことも仰向く
こともできず、重心なく坐って苦闘していた。
手を施す術もない痛々しい姿だった。水を求
める力も弱い彼らに戦友は水を与えた。その
日の夕方から翌々日までに、重傷の彼らはほ
とんど死亡した。かわいそうな最期だったと、
見守った戦友の話しだった。
 
 私の火腫は二か月後の復員までには、幾分
の色素を残して外傷は治った。また、ほとん
どの兵が私と同様に火腫を生じた。露出部分
に直接閃光が当たった皮膚が、大同小異に火
腫となったのである。

 中隊が部隊負傷者の収容と市民の救援活動
にはいったのは、やや動揺の鎮まった午前十
時頃だったと思う。私どもの兵舎は、倒壊を
のがれたものの三十度ぐらい傾いた。無論、
窓硝子は一枚もない。足の踏み場もない状態
になったけれども、火災が発生しなかったの
は何よりだった。私たちは爆心地の方向へ急
行したが、兵舎から一キロ地点で既に火がす
さまじく、市民の避難で驚天動地の場となっ
ていた。

 比治山の宇品寄りで市民の誘導や救援活動
にわれを忘れた。市民に「兵隊さん、兵隊さ
ん」と飛びつかれて叱咤激励した。逃げ惑う
市民のほとんどが火傷を負い、焼けただれた
夏服の肌も露わな跣(はだし)のままだった。
地上に落ちた無数の電線が足を奪い転びつま
ずき、その有様は、日本滅ぶの様相だった。

 救援活動にはいって最初に私に飛びついて
来た二人の少年。それこそ灰の中から出て来
た頭の毛を焼かれた少年は、散髪屋で被爆し
て家とは反対の方向に逃げたと息きれぎれに
語った。郊外の避難所に行くように指示した
が、後髪を引かれる思いだった。あの子ども
たちは、どうなったのだろうか。中心地から
外へ外へと猛火は拡がる。炎と真夏の太陽と
放射能による火傷、裸同然の夏服。白昼炎に
追われる市民の大人も子どもも、その顔は尋
の形相ではなかった。高層ビルから嘗める
ように吹き出す炎と煙、紙屑のように燃える
住宅。全市一斉の火災は、広島の空を薄暮の
ように暗くした。その夜も一晩中火災は続い
た。

 私たちは、避難した市民の治安に一睡もな
かった。南瓜(かぼちゃ)の蔓が延びた畠だ
ったのが妙に忘れられない。不安におののく
人々が、「また空襲はあるのだろうか」と再
四問いかけるが、私たちにも知る術はなかっ
た。私は故郷のことが気になった。今頃は広
島と同じ運命にあるのではなかろうか。私の
召集後、あとを追うようにして応召した父。
子どもと女だけの家族は大丈夫だろうか。心
中、秘かに共の無事を祈った。軍から支給の
乾パンをかじる放心の市民、それすら食えな
い負傷者に、衛生兵は白い薬を塗っていた。
猛火の炎は中天に達し、それらの人々を赤く
浮きぼりに染めた。

 広島、最後の炎の長い一夜は開けた。翌七
日、猛火は広島すべての一木一草に至るまで
ことごとく焼き尽くし、駅前のビル群が黒焦
げの姿で一階の根っこから丸見えになったの
には驚いた。全市を包んだ猛火の前にはすべ
ての機関も機能も全滅した。日本、否、世界
の歴史に、一瞬にして全市全滅の戦争記録は
かつてあっただろうか。視界のすべてが焼野
が原である。戦争と化学の恐ろしさに慄然と
した。後日、この広島を原子砂漠と人は形容
した。

 私たちは負傷兵を除く全員、治安と救援に
余燼と熱気の市内に出た。比治山の下で焦げ
た電車の中に、乗客の焼死体が破れた窓から
見えた時、これが現実かと自分の目を疑った。
焼けた消防車、飴のように曲がった線路、洞
穴のような日赤病院。多くの患者はどうなっ
ただろう。昔、大本営のあった五層の天守広
島城も跡形もなかった。
  
 広島は川が多い。その川に灼熱を避けて飛
び込み息絶えたおびただしい死体。燃え跡の
家屋の中にも死体の頭が見えた。これらの収
容作業や焼却火葬は、広島在住の陸軍部隊の
すべてが従事した。約一週間、私たちもこの
作業に従事した。異臭を放つ腐乱死体の無残
さに、現役兵を自負した私たちが、夜間、屋
外の厠には独りで行けず、戦友に同道を願っ
たことなど軽度の神経衰弱になったのは、私
一人ではなかった。
 
 焼け跡の門柱やトタン板に、立ち戻った人
々が離散した家族に安否や消息を消し炭で書
いてあった。右往左往する放心の市民の姿に、
十日後の終戦を待たず、私たちは敗戦の予感
を膚で感じたのである。………

 体重七十キロの私の重心を失わせた爆風、
火を吹いたきのこ雲、救いを求めて飛びつい
た灰だらけの少年、収容所の筵(むしろ)に
呻いた負傷者、集積所に並べた死体をかき分
けて不明の肉親を必死に探す人々。あの日の
広島の追憶は尽きない。広島の惨禍は私の網
膜と鼓膜からは生涯消えないだろう。

 当時、広島ではこの爆弾をピカドンと名づ
けた。爆発瞬時をとらえた印象として現在も
その代名詞となっている。世界最初の原子爆
弾は市民軍人あわせて二十万の命を奪い、負
傷者は二十万とも二十五万人ともいわれた。
続いて九日には長崎市にも原爆が。長崎市の
惨状も広島同様だったことは想像に難くない。

 私は二年前の八月六日、広島市主催の被爆
者慰霊式に招かれて、平和公園で開かれたこ
の式典に参列して、非業の死を遂げた犠牲者
に、同じ被爆者として心からの黙祷を捧げた
のである。参列した多くの人々が、立ち昇る
香煙のその中に、友や肉親や知己の面影を幻
の如く見たであろう。当時まだ二十三歳だっ
た私も「われ長らえり」の感懐を、青年の日、
国家の干城として過ごした一か年のなつかし
い想い出の地、復興なった広島で、しみじみ
と味わったのである。私どもが厳しい軍律の
日々を送った兵営跡も訪れたが、昔を留める
面影は更になく、時の流れを無性に感じたの
である。そこには平和な文化都市として鉄筋
の小学校が建ち、戦争を知らない子どもたち
がプールで水飛沫をあげていた。

 原爆の恐ろしさを身をもって体験した広島
市民が、世界の平和を祈り、核兵器の廃絶と
全面完全軍縮を世界に訴える慰霊式に、参加
した人々と共に、平和の願いを更に深めたの
であるが、核兵器はますます量的拡大と質的
高度化の一途を辿り、限定核戦争や先制攻撃
論が台頭し、人類はまさに核戦争の危機に陥
ろうとしている。原爆の過酷さを体験した広
島市民、否、日本人は、慄然とする当時を回
想する時、核戦争には勝者も敗者もなく、た
だ全人類の破滅をもたらすものでしかあり得
ないということを、全人類に向かって血涙の
ほとばしる雄叫びで訴え続けなければならな
い世界の代表であり、世界の旗手であらねば
ならぬと深く感じたのである。

 原爆資料館の写真や資料を見て、当時のヒ
シマが髣髴として思い出された。真夏の太
陽を受けて光る無気味な原子雲、暗い影を落
としながら北西に広がるその下に核時代の原
点となったヒロシマの、三十万とも四十万と
もいわれる市民の慟哭や呻き声が、当時、米
軍が撮した写真を透かして、海鳴りのように
私の耳底に聞こえる気がしてならなかった。
 
「ヒロシマは、単なる歴史の証人ではない」
「ヒロシマは、人類未来への限りない警鐘で
る」
 
 私は、荒木武広島市長が、全世界に向かっ
声高く読みあげた宣言の一部を、独り心し
て繰り返した。


    小社発行・『北陸の燈』第4号より

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【2022年10月10日配信】     交驩のエール     花開きつつあるエンジョイベースボール    「学生野球考」          慶應義塾大学野球部監督                   前田 祐吉      「サード!もう一丁!」「ヨーシこい」 と いう元気な掛け声の間に、「カーン」と いう 快いバットの音がひびくグラウンドが 私の職 場である。だれもが真剣に野球に取 り組み、 どの顔もスポーツの喜びに輝いて いる。息子 ほどの年齢の青年たちに囲まれ、 好きな野球 に打ち込むことのできる私は、 つくづく、し あわせ者だと思う。  学生野球は教育の一環であるとか、野球 は人間形成の手段であるということがいわ れるが、私の場合、ほとんどそんな意識は ないし、まして自分が教育者だとも思わな い。どうしたらすべての野球部員がもっと 野球を楽しめるようになるのか、どうした らもっと強いチームになって、試合に勝ち、 選手と喜びを共にできるのか、ということ ばかり考えている。  野球に限らず、およそすべてのスポーツ は、好きな者同志が集まって、思いきり身 体を動かして楽しむためのもので、それに よって何の利益も求めないという、極めて 人間的な、文化の一形態である。百メート ルをどんなに早く走ろうと、ボールをどれ だけ遠くへカッ飛ばそうと、人間の実生活 には何の役にも立たない。しかし、短距離 走者はたった百分の一秒のタイムを縮める ために骨身をけずり、野球選手は十回の打 席にたった三本のヒットを打つために若い エネルギーを燃やす。その理由は、走るこ とが楽しく、打つことが面白いからにすぎ ない。さらにいえば、より早く走るための 努力の積み重ねが何物にも替えがたい喜び であり、より良く打つための苦心と練習そ のものに、生きがいが感じられるからであ る。  このように、スポーツは余暇を楽しみ、 生活を充実させるための手段で、それ以外 には何の目的もないはずである。むしろ目 的のないことがスポーツの特徴であり、試 合に勝つことや良い記録を出すことは、単 なる目標であって終局の目的ではない。  かつて超人的な猛練習でスピードスケー ト の王者といわれ、冬季オリンピックの金 メダルを独占したエリック・ハイデンは「 金メダルは私の人生の目的ではない。それ に至るプロセスの喜びが私

266. 混迷する現代と統一協会 

【2022年8月28日配信】        親友ヨッチにささげる手記          -最期まで友情を信じて-                  石川県河北郡津幡町                 書店員 22歳  酒井 由記子  人は、どんな人と巡り合うか、どんな本 と出会うかによって人生が決まってくると、 ある作家が述べていたのをふと思い出す。 私にとってはまさにそうであった。出会っ た人達も書物もとても大きな影響を残し、 忘れられない出来事となっていったのであ る。   一、高校生の頃  今から六年前(1977年)、私は金沢 二水高校の二年生であった。いや二年生と いうより吹奏楽部生というほうが適切であ るほど私は部活動に情熱を注ぎ込んでいた。 みんなでマラソン、腹筋運動をしてからだ を鍛えあげ、各パートごとでロングトーン をして基礎固めをなして、全員そろって校 舎中いっぱいに響きわたるハーモニーを歌 いあげる。それは、先輩、後輩、仲間達の 一致によって一つの音楽をつくり出すとい う喜びを存分に味わった私の青春時代の真 っ盛りであった。ただ残念なことは、部活 動に熱中すればするほど勉強のほうはさっ ぱり力がはいらなかったことである。中学 生のときは、「進学校にはいるために」と いうただそれだけの目的で受験勉強ができ た。しかし、いざ高校にはいってみると、 また「いい大学にはいるために」と先生方 が口をすっぱくして押しまくる文句に素直 になれなかった。勉強する本当の意味が見 出せなかったのである。その頃から、私は 人間は何のために生きるのだろうかという ことまで突っ込んで考えるようになってい った。  父母が書店を経営しているため本は充分 にあり、書物を読むことによって答えを見 出そうとした。私の強い求めに応じるかの ように一冊の本が転がり込んできた。クリ スチャン作家である三浦綾子さんの『あさ っての風』という随筆集であった。聖書の 言葉がそこに登場しており、それはズシリ と心に響いたのである。その本に魅せられ て三浦さんの自叙伝も何冊か読み進めてい った。しだいに私の魂は、人間をはるかに 越えた大いなる存在があることを感じてい った。確信までは至らなかったけれども、 それらの本によって金沢のプロテスタント の教会に足を運び、牧師さんのお話を聞く ようにもな

272. 「命」の新文化創造の世へ

【2022年10月4日配信】        学級通信「あいこでしょ」の願い                       小松市立稚松小学校              教諭 辰巳 国雄                                                                   題字 井上碧山さん (北九州市)         絵  本多千鶴子さん(金沢錦丘高校1年) 薪を負いて名定まる  背負い歩き考える二宮金治郎  ロダンの『考える人』よりもりっぱに思える 損得から尊徳の世へ 当講座記事NO.314 山下秀美、哲学の時代へ 同266 酒井由記子、混迷する現代と統一協会 同294 小原基子、おんな川にかかる橋 同303 今野ゆうひ、教え子を再び何処へ送るのか 同318 髙森文子、世界に範たる日本国になるには  学級文集とか、学級通信とか、学級機関 紙 といわれるもの を発行することを、教師 の仕 事の軸の一つに して実践を積み重ねて いる人 がずい分多いと 思う。  私は、学級通信(学級文集・学級機関紙 も 含めて)を発行してから、もう三十年近 くに なる。あるときは季刊であったり、月 間であ ったり、週刊であったり、日刊であ ったり、 その形はさまざまである。その一 年、一年で 形も異なり、内容も変わってき ている。大ざ っぱな言い方をすれば次のよ うになるだろう。  子どもたちの生活のなかみや、思いや考 え を、本音のところで知りたい。それは、 話す ということででもできるかも知れない が、数 十人の学級の子どもたち全員の本音 を知るこ とはむずかしい。話すことの不得 手な子でも 書くことによって本音を語って くれるだろう。 また書くことによって、さ らに、自分の生活 や、思いや考えを、見つ め直すことになり、 印刷されたものを通し て、学級のみんなの共 通の認識を得られる だろう。共通の認識を持 った学級集団(子 どもたち)は、それをステ ップに、学級集 団の文化を創り上げていく力 にするだろう。  これが、私の教育の大きな柱だった。こ う して始めた学級通信発行の仕事は、子ど もた ちの全面発達を願う私の教育実践のそ のとき そのときの証しともなるものになっ た。学級 通信が発行できなくなるというこ とは、私と 子どもた

280. 湯の人(4)現実と夢

 【2022年11月22日配信】   大きな便り                       加藤 蒼汰          秋とはいっても冬のような寒い夜だった。 浴室にはだれもおらず、脱衣場には番台に 座っている銭湯の主人と私ともうひとり。  その人は銭湯の近所の人であり、かつて 高校の教員をしていた。在職当時、馳浩・ 現石川県知事を教えていたと語っている。 八十歳を超えている。  この銭湯でよく顔を合わせ、会うたびに 知事の高校在学中のエピソードを繰り返す ので、私はその話の内容をすっかり諳んじ られるようになってしまった。高校入学時 から卒業までの様子、レスリング部での活 躍などであるが、私が特に感銘を受けた話 は、知事は高校時代、冬、雪が降り積もっ た朝には真っ先に早出登校して、生徒・教 職員を思いやり、校門から校舎玄関入り口 までの路をひとりスコップで雪かきをして いたというくだりである。  そんなすばらしい教え子をもつ元先生が、 服を脱ぎ裸になって浴室入り口に向かって 五、六歩あるきながら大便を三個落とした のである。気づかずに落ちたようなので、 私は「先生、落としもの」と声をかけると、 「ありりー、まったく気いつかんかった。 あはははは」と笑うのである。  私は、脇にあったチリトリでこの塊をす くいとり、「みごとな色と固さやね」と言 いながらトイレに流した。しかしながら、 脱衣場にはその匂いが全面に沁みわたり、 息が苦しくなるほどだった。このとき私は、 幼いころサーカスを見たときのことを思い だした。  それは曲芸をしていた象が巨大な大便の 塊を三個落とし、団員があわててスコップ で拾いあげていた光景であった。このとき の衝撃の記憶がよみがえり、私にとっさに チリトリを思いつかせたような気がする。 本を読んでいた番台の主人もその匂いで事 のいきさつに気づき、「匂いもすばらしい ね」と笑いながら脱衣場の窓を全開し床を 雑巾でふいてくれたが、その強力な匂いは 容易に消えなかった。  その間、先生は先に浴槽へ入り、気持ち よさそうに浸かっていた。私は先生と湯壺 にいっしょに漬かることに一瞬躊躇したが、 免疫機能が高まるまたとないチャンスでは ないかとの思いも何ゆえか突然こみあげて きて湯船に同席、お伴したしだいである。  「よくあることなんけ」と湯中、思わず
         柿岡 時正
         廣田 克昭
         酒井 與郎
         黒沢  靖
         神尾 和子
         前田 祐吉
         廣田 克昭
         伊藤 正孝
         柿岡 時正
         広瀬 心二郎
         七尾 政治
         辰巳 国雄
         大山 文人
         島田 清次郎
         鶴   彬
         西山 誠一
         荒木田 岳
         加納 韻泉
         沢田 喜誠
         島谷 吾六
         宮保 英明
         青木 晴美
         山本 智美
         匂  咲子
         浅井 恒子
         浜田 弥生
         遠田 千鶴子
         米谷 艶子
         大矢場 雅楽子
         舘田 信子
         酒井 由記子
         酒井 由記子
         竹内 緋紗子
         幸村  明
         梅  時雄
         家永 三郎
         下村 利明
         廣田 克昭
         早津 美寿々
         木村 美津子
         酒匂 浩三
         永原 百合子
         竹津 清樹
         階戸 陽太
         山本 孝志
         谷口 留美
         早津 美寿々
         坂井 耕吉
         伊佐田 哲朗
         舘田 志保
         中田 美保
         北崎 誠一
         森  鈴井
         正見  巖
         正見  巖
         貝野  亨
         竹内 緋紗子
         滋野 真祐美
         佐伯 正博
         広瀬 心二郎
         西野 雅治
         竹内 緋紗子
         早津 美寿々
         御堂河内 四市
         酒井 與郎
         石崎 光春
         小林 ときお
         小川 文人
         広瀬 心二郎
         波佐場 義隆
         石黒 優香里
         沖崎 信繁
         山浦  元
         船橋 夕有子
         米谷 艶子
       ジョアキン・モンテイロ
         遠藤  一
         谷野 あづさ
         梅田 喜代美
         小林 ときお
         中島 孝男
         中村 秀人
         竹内 緋紗子
         笠尾  実
         前田 佐智子
         桐生 和郎
         伊勢谷 業
         伊勢谷 功
         中川 清基
         北出  晃
         北出  晃
         広瀬 心二郎
         石黒 優香里
         濱田 愛莉
         伊勢谷 功
         伊勢谷 功
         加納 実紀代
         細山田 三精
         杉浦 麻有子
         半田 ひとみ
         早津 美寿々
         広瀬 心二郎
         石黒 優香里
         若林 忠司
         若林 忠司
         橋本 美濃里
         田代 真理子
         花水 真希
         村田 啓子
         滋野 弘美
         若林 忠司
         吉本 行光
         早津 美寿々
         竹内 緋紗子
         市来 信夫
         西田 瑤子
         西田 瑤子
         高木 智子
         金森 燁子
         坂本 淑絵
         小見山 薫子
         広瀬 心二郎
         横井 瑠璃子
         野川 信治朗
         黒谷 幸子
         福永 和恵
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         秋山 郁美
         加藤 蒼汰
         森本 比奈子
         森本 比奈子
         吉村 三七治
         石崎 光春
         前田 佐智子
         前田 佐智子
         前田 佐智子
         前田 佐智子
         中野 喜佐雄
         八木  正
         堀  勇蔵
         家永 三郎
         広瀬 心二郎
         菅野 千鶴子
         海野 啓子
         菅野 千鶴子
         海野 啓子
         石井 洋三
         小島 孝一
         キャリー・マディ
         谷本 誠一
         宇部  功
         竹内 緋紗子
         谷本 誠一
         酒井 伸雄
163、コロナ禍の医療現場リポート
         竹口 昌志
164、この世とコロナと生き方を問う
         小社発信記事
165、コロナの風向きを変える取材
         橋本 美濃里
166、英断の新聞意見広告
         小社発信記事
167、ワクチン接種をしてしまった方へ
         小社発信記事
168、真実と反骨の質問
         小社発信記事
169、世論を逆転する記者会見
         小社発信記事
170、世界に響けこの音この歌この踊り
         小社発信記事
171、命の責任はだれにあるのか
         小社発信記事
172、歌人・芦田高子を偲ぶ(1)
         若林 忠司
173、歌人・芦田高子を偲ぶ(2)
         若林 忠司
174、歌人・芦田高子を偲ぶ(3)
         若林 忠司
175、ノーマスク学校生活宣言
         こいわし広島
176、白山に秘められた日本建国の真実
         新井 信介
177、G線上のアリア
         石黒 優香里
178、世界最高の笑顔
         小社発信記事
179、不戦の誓い(2)
         酒井 與郎
180、不戦の誓い(3)
         酒井 與郎
181、不戦の誓い(4)
         酒井 與郎
182、まだ軍服を着せますか?
         小社発信記事
183、現代時事川柳(六)
         早津 美寿々
184、翡翠の里・高志の海原
         永井 則子
185、命のおくりもの
         竹津 美綺 
186、魔法の喫茶店
         小川 文人 
187、市民メディアの役割を考える
         馬場 禎子 
188、当季雑詠
         表 古主衣 
189、「緑」に因んで
         吉村 三七治 
190、「鶴彬」特別授業感想文
         小社発信記事
191、「社会の木鐸」を失った記事
         小社発信記事
192、朝露(아침이슬)
         坂本 淑絵
193、変わりつつある世論
         小社発信記事
194、ミニコミ紙「ローカル列車」
         赤井 武治
195、コロナの本当の本質を問う①
         矢田 嘉伸
196、秋
         鈴木 きく
197、コロナの本当の本質を問う②
         矢田 嘉伸
198、人間ロボットからの解放
         清水 世織
199、コロナの本当の本質を問う③
         矢田 嘉伸
200、蟹
         加納 韻泉
201、雨降る永東橋
         坂本 淑絵
202、総選挙をふりかえって
         岩井 奏太
203、ファイザーの論理
         小社発信記事
204、コロナの本当の本質を問う④
         矢田 嘉伸
205、湯の人(その2)
         加藤 蒼汰
206、コロナの本当の本質を問う⑤
         矢田 嘉伸
207、哲学の時代へ(第1回)
         小社発信記事
208、哲学の時代へ(第2回)
         小川 文人
209、コロナの本当の本質を問う⑥
         矢田 嘉伸
210、読者・投稿者の方々へお願い
         小社発信記事
211、哲学の時代へ(第3回)
         小社発信記事
212、哲学の時代へ(第4回)
         小社発信記事
213、小説『金澤夜景』(2)
         広瀬 心二郎
214、小説『金澤夜景』(3)
         広瀬 心二郎