「社会の木鐸」を失った記事
【2021年9月14日配信 NO.191】
小社発信記事
黒田清記者が泣いている
読売新聞 2021.9.14記事
西日本に住む会社員の男性が悲痛な声で
語る。
専業主婦の妻は温厚な性格だった。アレ
ルギー体質の男性を気遣い、妻は手間をか
けて食材を選び、食事を用意した。新型コ
ロナの感染拡大初期は毎朝、「怖いから気
をつけて」とマスクを手渡してくれた。
男性が異変に気付いたのは昨年夏頃。妻
はマスクを着けなくなり、とがめられると
激高した。「コロナなんて全部ウソなのよ」
ユーチューブで目にした陰謀論の動画に
はまり、毎日、似た内容を見ているうちに
影響を受けたためだった。
男性は今年に入り、コロナやワクチンに
関する公的機関の見解をまとめた資料を作
った。接種するかどうかを、正確な情報を
基に話し合おうと思ったからだ。だが、豹
変(ひょうへん)してしまった妻は「闇の
政府にワクチンでコントロールされる」「
国やメディアが真実を隠している」と泣い
て反発し、平行線だった。
夏に接種券が届くと、小学生の娘が男性
に言った。「パパ、打つのは絶対やめて」
妻は、接種事業の中止を国に求めるグル
ープに入り、娘も参加させていた。
夫婦の会話はなくなり、男性は仕事後、
深夜までネットカフェで過ごすことが増え
た。何度も離婚を考えたが、娘の将来を思
うと踏み切れない。
ユーチューブでデマを発信する人物の目
的は、金もうけだと思っている。
「家庭をめちゃくちゃにされた。許せる
はずがない」。男性は拳を握りしめた。
〈陰謀論に振り回される親を見るのが悲
しい〉〈信じているものが違いすぎて全く
話し合えない〉
SNS上では最近、同じような境遇に置
かれ、困惑する人の投稿が相次いでいる。
身近な人はどう接すればいいのか。欧米
ではネットの陰謀論による家族の断絶が、
すでに社会問題化している。当事者が情報
交換する英文サイトには18万人以上が登
録する。メディアでは心理学の知見を基に
した対処法が紹介されている。
「相手を否定しない」「共感して話を聞い
た上で、情報の根拠を確かめるよう促す」
という姿勢が重要だとされている。
だが、埼玉県の会社員女性(31)は「
うまくいかなかった」とため息を漏らす。
同居する70代の母親と話し合ったが、関
係が悪化するだけだった。「娘の私より、
会ったこともないネットの中の人の話を母
は信じ込んでしまった」。女性は現実を受
け止められないでいる。
多くの家族に共通するのは「誰にも相談
できない」という苦しさだという。身内が
極端な考えに傾倒すると、周囲の反応を恐
れて打ち明けることもできず、孤立するこ
とがある。
そんな悩みを、当事者が語り合う場を作
った人たちもいる。SNSで知り合った十
数人が定期的にオンラインで交流する。
「どうすれば元の夫に戻ってくれるのか。
何度考えても答えが出ず、しんどい」
8月のある夜、近況を打ち明けたのは東
日本に住む40代の女性だった。
自営業の夫は数か月前から、「ワクチン
を打ったらいけない」と書いたビラを近隣
住民に配り始めた。夫の母親が接種したと
知ると興奮し、母親に「俺に近づくな」と
叫びながら家具を投げつけたという。
夫は昨年まで地域活動に熱心で、地元で
信頼されていた。子どもの行事があれば、
応援に駆けつける父親だった。
涙声で語る女性。他の参加者はパソコン
の画面越しに耳を傾け、何度もうなずく。
そして自身の体験を交えて話す。
「私も同じ。一人で抱え込まないで」「
疲れたら少し距離を置いてもいいと思う」
この日の会は約3時間。解決の手がかり
は簡単には見つからない。それでも女性は
「少しだけ心が軽くなった」と語った。
〈以下参考〉
黒田清 - Wikipedia
桐生悠々の言葉
「信濃毎日新聞」より
関東防空大演習を嗤う
「他山の石」より
言いたい事と言わねばならない事と
「他山の石」より
正義の国と人生
ポツダム宣言受諾決定の情報を知った直後
毎日新聞・西部本社の高杉孝ニ郎(富山県
出身)編集局長が辞表とともに提出した同
社社長への「進言書」(井上靖と対極の姿勢)
「その日まで戦争を謳歌し、扇動した大新
聞の責任、これは最大の形式で国民に謝罪
しなければならない。本社は解散し、毎日
新聞は廃刊、それが不可ならば重役並びに
最高幹部は即時総退陣する」
1945年8月15日井上靖 (社会部記者・
金沢市の第四高等学校柔道部出身)執筆
翌8月 16日付け毎日新聞大阪本社発行
「毎日新聞」社会面 (2面) トップ記事
「玉音ラジオを拝して」
十五日正午ーーそれは、われわれが否三
千年の歴史がはじめて聞く思いの「君が代」
の奏でだった。その荘厳な「君が代」の響
の音が消えてからも、ラジオの前に直立不
動、頭を垂れた人々は二刻、三刻、微動だ
にしなかった。生まれて初めて拝した玉の
御声はいつまでも耳にあった。忝(かたじ
けな)さ、尊さに身内は深い静けさに包ま
れ、たれ一人毛筋一本動かすことはできな
かった。幾刻か過ぎ、人々の眼から次第に
涙がにじみあふれ肩が細く揺れはじめてき
た。本土決戦の日、大君に捧げまつる筈の、
数ならぬ身であった。畏(かしこ)くも、
陛下にはその数ならぬわれら臣下の身の上
に御心をかけさせられ、大東亜戦争終結の
詔書をいま下し給われたのであった。
ーー帝国ノ受クヘキ苦難ハ固ヨリ尋常ニ
アラス 爾(ナンジ)臣民ノ衷情モ朕善ク
之ヲ知ル 然レトモ朕ハ時運ノ趨(オモム)
ク所堪へ難キヲ堪へ忍ヒ難キヲ忍ヒ以テ万
世ノ為ニ太平ヲ開カムト欲ス 朕ハ茲(コ
コ)ニ国体ヲ護持シ得テ忠良ナル爾臣民ノ
赤誠ニ信倚シ常ニ爾臣民ト共ニ在リ
玉音は幾度も身内に聞え身内に消えた。
幾度も幾度もーー勿体なかった。申訳なか
った。事茲に至らしめた罪は悉(ことごと)
くわれとわが身にあるはずであった。限り
ない今日までの日の反省は五体を引裂き地
にひれ伏したい思いでいっぱいにした。い
まや声なくむせび泣いている周囲の総ての
人々も同じ思いであったろう。日本歴史未
曾有のきびしい一点にわれわれはまぎれも
なく二本の足で立ってはいたが、それすら
も押し包む皇恩の偉大さ! すべての思念
はただ勿体なさに一途に融け込んでゆくの
みであった。
詔書を拝し終るとわれわれの職場、毎日
新聞社でも社員会議がニ階会議室で開かれ
た。下田主幹が壇上に立って「詔書の御趣
旨を奉戴するところに臣民として進むべき
ただ一本の大道がある」と社員の今日から
進むべき道を説けば、上原主筆続いて「職
場を離れず己が任務に邁進することのみが、
アッツ島の、サイパンの、沖縄の英霊に応
える道である」とじゅんじゅんと声涙共に
下る訓示を与え、最後に鹿倉専務また社員
のこれまでの「闘い抜く決意」を新しい日
本の建設に向けることを要請した。われわ
れの進むべき道は三幹部の訓示をまつまで
もなくすでに御詔勅を拝した瞬間から明ら
かであった。
一億団結して己が職場を守り、皇国興建
へ新発足すること、これが日本臣民の道で
ある。われわれは今日も明日も筆をとる!
井上靖はこの後、同社学芸部副部長となり、
1950年芥川賞を受賞し、翌年同社を退職。
日本の有名作家となる。受賞作は『闘牛』。