歌人・芦田高子を偲ぶ(2)
【2021年7月10日配信 NO.173】
若林 忠司
四、「蒼古」
『広辞苑』には、「古色を帯びて、さび
た趣きのあること」と説明されている。「
蒼古」という言葉は、「幽邃」の言葉と同
じように抽象的で、難しい言葉である。具
体的にどのような景観を指すのか分からな
いところがあるが、「幽邃」のところで記
した黄門橋周辺の景観と重なる。
光景、雰囲気が感じられるスポットとし
て、黄門橋周辺以外に挙げるとすれば、小
立野口の山崎山山麓の岩間から清水が湧き
出る光景である。周辺の静寂な景観、特に
木橋からの眺めは風雅な雰囲気を漂わせる。
秋の紅葉に彩られた周辺の景色が訪れる人
を惹きつける。
五、「水泉」
園内を流れる曲水。「水泉」を代表する
スポットである。
犀川より延々と来て美しき
水が育つるカキツバタの紫(むら)
兼六園の南東、犀川の上流一〇・五キロ
の上辰巳町で、犀川の水を取り入れている。
この辰巳用水によって小立野に引かれ、山
崎山の麓から曲水となって園内を緩やかに
流れる。水流は千歳台をめぐって霞ヶ池に
入る。全長五七四メートル、幅四~六メー
トルである。
かきつばた早く咲けよと曲水の
水は生きて打つ鼓動のごとき
新緑の季節になると、曲水ではカキツバ
タの可憐な紫の花が咲き、訪れる人を癒し
てくれる。
花見橋から下流の曲水にカキツバタが咲
き競う。梅林が通路の向かいに見える。舟
底板を用いた板橋から見るカキツバタも、
見事な景観を呈する。
花が開くときに、「ポン」という音がし、
その音を聴くと願い事がかなうという言い
伝えがある。いつごろからこの言い伝えが
広まったのだろうか………… 私自身も早朝散
歩で花の咲く瞬間に耳を澄ましたが、音を
聴くことはできなかった。
岡良一氏も金沢市長時代、「友人と水辺
にしゃがんで、耳をすませたものだ。でも
今日まで、ついぞその音を聞いたことがな
い。」(『兼六園物語』)と述べている。
音をマイクで録音する科学的な方法はある
が、無味乾燥な検証といえる。音がすると
いう言い伝えが残っていることにこそ、優
雅で美しい風景が感じられる。
『五木寛之の新金沢小景』(テレビ金沢、
二〇〇五年)にも、「カキツバタの咲く音」
として取りあげられていた。「音が聴こえ
るのか聴こえないかの真偽はともかくとし
て、そんな行いに妙に納得させられるとこ
ろに、金沢の風流がある。」、と結ばれて
いる。
拙著『いらっし
よるまっし』(リッチプ
ロセス、二〇〇五年)に「カキツバタを愛
でる」という題で、次のように書き残して
いた。
「今年もカキツバタが咲く時季がめぐって
きた。兼六園のカキツバタを鑑賞して十五
年余りになる。五月下旬から六月初旬にか
けて、カキツバタが盛りとなり、訪れる人
の目を楽しませてくれる。……………
花が咲く瞬間が見たくて、今にも咲きそ
うな膨らんだ蕾を正面からじっと見据えて
いた。
わずか一、二秒の瞬間であった。優雅な
姿は神秘的ですらある。待ちに待った瞬間
に出会ったときは感動的であった。咲いた
ばかりの花びらは瑞々しい濃紫(こむらさ
き)の色彩が際立っている。」
カキツバタ開くを聞けばしあわせの
ありと曲水に早朝(あさ)よりの人
かきつばた開く瞬時の音きけば
倖せなりや朝の水辺
数人の人たちが、咲く瞬間を見るため、
人の足音のしないところで耳を澄まして開
音を聴こうと、じっと待っている。可憐な
紫の花が訪れる人を楽しませ癒してくれる。
カキツバタといえば「いずれ菖蒲か杜若」
ということわざが思い浮かんでくる。菖蒲
(あやめ)と杜若(かきつばた)は、同類
のよく似た美しい花。そのために美の優劣
をつけがたく選択に迷うたとえとして使わ
れる。
かつて兼六園研究会の研修会で、「杜若
は水の中で咲く」「菖蒲は湿った土の中で
咲く」と違いを教わったが、私はいまだに
区別がつかない。