歌人・芦田高子を偲ぶ(1)

【2021年7月9日配信 NO.172】   

 

 

 

  短歌でめぐる兼六園          

      ~六勝を中心に~  

 

    

                    金沢市 若林 忠司  

 

 多くの観光客が訪れる兼六園。金沢めぐ

りのガイドブックには必ず兼六園が紹介さ

れている。しかし “兼六園”の「六」につい

て地元の人でも知っている人は少ないので

は………。

 

 兼六園は一九七六年(昭和五十一年)、

保護・保存を目的に有料となる。風致に優

れ、学術的価値が特に高いとして、一九八

五年に「特別名勝」に指定される。

 

 「特別名勝」としての指定を受けられた

のは、関係者の努力のほかに、兼六園の教

科書といわれる『兼六園全史』  (兼六園観

光協会、一九七六年)の果たした役割も大

きいという。

 

 ここでは、その他 『兼六園』(北國新聞

社、二一一三年)、『兼六園物語』(新人物

往来社、一九七四年)の文献も参考にして

綴った。

 

 私と兼六園の縁は、今は遠い中学生時

にさかのぼる。中学校は兼六園のすぐ近く

にある小将町中学校であった。通学路であ

った白鳥路を通り、兼六園を見ながら通っ

た。当時は無料であったので学校の帰りに

何度か入園したことがあった。中学生の私

には兼六園の価値など分からなく、遊び場

にしていた。兼六園が歴史ある立派な庭園

であることを知ったのは大人になってから

である。

 

 少子化、小学校の統合、通学区域の変更

などで、小将町中学校は、数年後には移転

するという。通学路も変わり、兼六園が遠

くなる。通学路のすぐ近くにあった兼六園

は遠い昔の思い出となる。

 

 現在、兼六園はわが家から歩いて六、七

分ほどのところにあり、早朝は無料である。

散歩コースには最適の場所で、かつて兼六

園研究会の会員でもあったので、兼六園を

より深く知る目的で、みぞれの降る十一月

ごろまではほとんど毎日一時間ほど散歩し

ている。二十年ほど続く。園内マップはパ

ンフレットを見なくてもほぼ描くことがで

きるようになった。

 

 芦田高子(あしだたかこ)に懐いを馳せ

ながら、彼女の著『歌集兼六園』(新歌人

社、一九六九年)に収められている短歌を

紹介し、「兼六園」の名称に使われている

「六」の優れた景観である「六勝」をめぐ

ってみたい。

 

 短歌といっても五・七・五・七・七の三

十一文字(みそひともじ)ということを習

った覚えはあるが、知識はゼロに近い。短

歌のいろはを学ぶために、歌人の短歌を詠

むことから始めることとなった。

 

  宏大と幽邃、人力、蒼古

  みな水と山との六勝長き

 

 六勝(ろくしょう)の意味については、

ガイドブックや辞書の記述を参考に記すと、

「宏大」(こうだい)は広々とした景観。

「幽邃」(ゆうすい)は物静かで奥深いこ

と。「人力」(じんりょく)は人の手が加

わること。「蒼古」(そうこ)は古びた趣

が感じられること。「水泉」(すいせん)

は滝や泉、池などの水。「眺望」(ちょう

ぼう)は眺め、とある。

 

 命名は松平定信が付けたものであるが、

実際に金沢に来て、庭を見たわけではなく、

江戸で十二代藩主前田斉広(なりなが)の

話を聴いたりして付けたものという。

 

 

.「宏大」

 

 兼六園の一番の魅力は霞ヶ池である。宏

大な池に佇むことじ灯籠。足が二股になっ

ている。琴の糸を支える琴柱(ことじ)の

姿に似ているところから、その名が付いた

とされる。 




 長い脚は水中に、短い脚は護岸の石にか

けられている。入園の際にいただいたパン

フレットの表紙は「紅葉に彩られる徽軫灯

籠」。 片脚での立ち姿は何ともなまめかし

く、多くの観光客の記念撮影のスポットと

なっている。

 

   霞ヶ池に注ぐ曲水のせせらぎの水音、灯

籠の傍らのモミジの古木は新緑の緑や紅葉

の赤を添えて、一枚の美しい風景画を映し

出す。参考までにガイドブックなどの表紙

にことじ灯籠の写真が載せられているもの 

を調べてみた。

 

 『金沢』(岩波写真文庫93、岩波書店、

一九五三年)、『名勝兼六園』 (北国出版社

一九六五年)、『兼六園・成巽閣』 (田畑み

なお著、集英社、一九八九年)、『兼六園

旅物語』(下郷稔著、ほおずき書籍、一九

九九年)、『兼六園』(北國新聞社、二一

三年)がある。赤戸室石の紅橋に立ち、

とじ灯籠を背景に記念撮影をする観光客

多い。兼六園を代表する人気スポットと

っていることの証しである。

 

 観光客だけでなく、地元の人の中にも、

灯籠の片脚がなぜ短くなったのか、と疑問

に思う人もいるだろう。以前、いたずらに

よって壊れたからということを聞いたこと

があったが、その真偽のほどは分からなか

った。この疑問を解いてくれたのが、元金

沢城・兼六園管理事務所長の加藤力著『兼

六園のシンボル「ことじ灯籠」の片脚はな

ぜ短くなったのか?』(北國新聞社出版局、

二〇二〇年)である。「現在のものは二代

目」で一九七八年 (昭和五十三年)のことと

いう。灯籠は数回にわたるいたずらによる

倒壊被害に遭ったと記されていた。

 

 初代の灯籠が一九七七年十二月十四日に

倒壊被害にあったことを、翌十五日の北國

新聞が写真を載せ報じていた。観光客は消

えた灯籠の現場を見たとき「ことじ灯籠は

どこにあるの?」との思いを抱いたことだ

ろう。

 

 翌年七月二十日の同紙夕刊に「二十日午

後から取り付け作業が始まり、二十一日か 

ら代用品が登場する。修復に一年かかる」

と伝えられていた。灯籠の歴史をひもとく

と、そこには悲しい出来事があったことを

知る。

 

 初代の灯籠は『兼六園全史』によると、

粟ヶ崎の豪商木谷藤十郎が藩主に献上した

ものと伝えられるが、実際は嶋崎家からの

献納であるという。

 

 偶然見つけたことじ灯籠の一枚の写真が

目を引いた。『金沢』(岩波写真文庫、一

五三年)に、小学生と思われるふたりの

児が、灯籠横の池の中の四角形の石に乗

いる。ひとりは右手を灯籠の長い脚の

にかけている。ふたりが石の上からタ

捕まえた魚?を眺めている。もうひと

子どもは何を見ているのだろうか? 

直ぐ正面を見つめている。

 

 前にも記したように、一九七八年に二代

目が再現されているから、子どもたちが遊

んでいた灯籠は初代のものである。この写

真集が出版されたのは一九五三年であるか

ら、当時の入園は無料で、庭園は子どもた

ちの遊び場だったといえる。一九七六年(

昭和五十一年)から有料になった今、こん

な光景は想像もできない。

 

  鯉の背が濁れる池にわずか浮く

  徽軫灯籠の影あるあたり

 

 芦田高子は鯉の泳ぐ光景を詠んでいた。

話は少し飛ぶが、池には錦鯉はふさわしく

ないということを聞いたことがあった。 

 


二、「幽邃」

 

 『広辞苑』で「幽邃」を引くと、「景色

などが物静かで奥深いこと」と説明されて

いる。私が「幽邃」を強く感じる場所は、

噴水からせせらぎ沿いに進み、黄門橋に立

ち前方を眺めた光景である。黄門橋は、手

取峡谷の上流に架かる橋を模してつくられ

た石橋である。

 

  青戸室の一枚石のそりまろく

  黄門橋の蒼古幽邃

 

 橋詰に見える獅子巌(ししいわ)や周辺

の生い茂る木々などの造園に惹かれる。そ

の他「幽邃」を感じさせるスポットとして

は鬱蒼とした樹林に覆われた瓢池(ひさご

いけ)、翠滝(みどりたき)周辺ではない

ろうか。

 


三、「人力」

 

 噴水前にある切石(きりいし)に立ち鑑

賞する。水音が強く響いてくる。

 

  サイフォンの理をいまに見せて百余年

  噴きて休まぬ噴水の音 

 

 吹き上がる三本の水が、噴き出し口の八

角形の石と池の水面を強く打ち続けている。

優雅にして荘厳な噴水と映る。早朝散歩で

目にする兼六園の噴水である。

 

 拙著『金沢を知る20章』(石川サニーメ

イト、二一一〇年)に、「心に残った噴水」

と題して、早朝散歩で訪れたときのことが

記されているので、当時を思い出しながら、

あらためて綴ってみる。

 

 「この噴水は、霞ヶ池を水源としており

水面との落差で、高さ三・五メートルにま

で吹き上がっている。日本庭園では、大変

珍しく、十九世紀中頃につくられた日本最

古のものといわれる」と説明板が由来を伝

えていた。動力を使わずに吹き上がってい

ることに、昔の人の優れた技術と、日本一

古いという歴史の謎をも秘めた噴水である。

 

 卯辰山から昇った太陽が、木々を透かし

て噴水を照らす。木々の緑、ツツジのピン

クや薄紫を背景に、中程に虹がかかる。

 

  噴水のしぶきの中の虹冴えて

  手には取れざる宝のいろす

 

 一瞬、足を止めた。ほんの数分であるが、

噴水が最も美しい瞬間で、はっと息をのむ

絶景である。

 

  日本一の園の噴水しぶきつつ

  虹を伴ない昼をやさしき

 

 「人力」が生み出したものである。入園

者が噴水を背景にシャターを切る人が多い。

『兼六園全史』(兼六園観光協会、一九七

年)、『兼六園歳時記』(下郷稔著、能

登印刷出版部、一九九三年)、『兼六園』

(北國新聞社、二一一三年)、『金沢なに

コレ100話』(北國新聞社、二一一三年)

の説明を借りると、文久元年(一八六一年)

に、十三代藩主前田斉泰(なりやす)が、

二の丸に噴水を造りたくて試作したものが

今の兼六園にある噴水と伝わる。

 

 日本庭園にこれまで設置されたことの

い、新しい庭園意匠とされる。市内に見る

噴水といえば、私には兼六園の噴水が真っ

先に思い浮かんでくるのである。     







         「徽軫(ことじ)灯籠」の表記に

         際して、「ことじ灯籠」を用いた。

                     (筆者)







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【2022年10月10日配信】      「学生野球考」      慶應義塾大学野球部監督   前田 祐吉   史上最高演技   史上最高選手      勇気ある発言   「オンニ、ここで記念に一緒に撮りましょ」   「オレは笑わないが、笑って何が悪いんだ」  葉隠・武士道を覆す号泣                       「サード!もう一丁!」「ヨーシこい」 と いう元気な掛け声の間に、「カーン」と いう 快いバットの音がひびくグラウンドが 私の職 場である。だれもが真剣に野球に取 り組み、 どの顔もスポーツの喜びに輝いて いる。息子 ほどの年齢の青年たちに囲まれ、 好きな野球 に打ち込むことのできる私は、 つくづく、し あわせ者だと思う。  学生野球は教育の一環であるとか、野球 は人間形成の手段であるということがいわ れるが、私の場合、ほとんどそんな意識は ないし、まして自分が教育者だとも思わな い。どうしたらすべての野球部員がもっと 野球を楽しめるようになるのか、どうした らもっと強いチームになって、試合に勝ち、 選手と喜びを共にできるのか、ということ ばかり考えている。  野球に限らず、およそすべてのスポーツ は、好きな者同志が集まって、思いきり身 体を動かして楽しむためのもので、それに よって何の利益も求めないという、極めて 人間的な、文化の一形態である。百メート ルをどんなに早く走ろうと、ボールをどれ だけ遠くへカッ飛ばそうと、人間の実生活 には何の役にも立たない。しかし、短距離 走者はたった百分の一秒のタイムを縮める ために骨身をけずり、野球選手は十回の打 席にたった三本のヒットを打つために若い エネルギーを燃やす。その理由は、走るこ とが楽しく、打つことが面白いからにすぎ ない。さらにいえば、より早く走るための 努力の積み重ねが何物にも替えがたい喜び であり、より良く打つための苦心と練習そ のものに、生きがいが感じられるからであ る。  このように、スポーツは余暇を楽しみ、 生活を充実させるための手段で、それ以外 には何の目的もないはずである。むしろ目 的のないことがスポーツの特徴であり、試 合に勝つことや良い記録を出すことは、単 なる目標であって終局の目的ではない。  かつて超人的な猛練習でスピー...

280. 湯の人(その4)現実と夢

 【2022年11月22日配信】   大きな便り                       加藤 蒼汰          秋とはいっても冬のような寒い夜だった。 浴室にはだれもおらず、脱衣場には番台に 座っている銭湯の主人と私ともうひとり。  その人は銭湯の近所の人であり、かつて 高校の教員をしていた。在職当時、馳浩・ 現石川県知事を教えていたと語っている。 八十歳を超えている。  この銭湯でよく顔を合わせ、会うたびに 知事の高校在学中のエピソードを繰り返す ので、私はその話の内容をすっかり諳んじ られるようになってしまった。高校入学時 から卒業までの様子、レスリング部での活 躍などであるが、私が特に感銘を受けた話 は、知事は高校時代、冬、雪が降り積もっ た朝には真っ先に早出登校して、生徒・教 職員を思いやり、校門から校舎玄関入り口 までの路をひとりスコップで雪かきをして いたというくだりである。  そんなすばらしい教え子をもつ元先生が、 服を脱ぎ裸になって浴室入り口に向かって 五、六歩あるきながら大便を三個落とした のである。気づかずに落ちたようなので、 私は「先生、落としもの」と声をかけると、 「ありりー、まったく気いつかんかった。 あはははは」と笑うのである。  私は、脇にあったチリトリでこの塊をす くいとり、「みごとな色と固さやね」と言 いながらトイレに流した。しかしながら、 脱衣場にはその匂いが全面に沁みわたり、 息が苦しくなるほどだった。このとき私は、 幼いころサーカスを見たときのことを思い だした。  それは曲芸をしていた象が巨大な大便の 塊を三個落とし、団員があわててスコップ で拾いあげていた光景であった。このとき の衝撃の記憶がよみがえり、私にとっさに チリトリを思いつかせたような気がする。 本を読んでいた番台の主人もその匂いで事 のいきさつに気づき、「匂いもすばらしい ね」と笑いながら脱衣場の窓を全開し床を 雑巾でふいてくれたが、その強力な匂いは 容易に消えなかった。  その間、先生は先に浴槽へ入り、気持ち よさそうに浸かっていた。私は先生と湯壺 にいっしょに漬かることに一瞬躊躇したが、 免疫機能が高まるまたとないチャンスでは ないかとの思いも何ゆえか突然こみあげて きて湯船に同席、お伴したしだいである。 ...

303. 教え子を再び何処へ送るのか

【2023年5月25日配信】   マスクをめぐる学校との苦闘                   千葉県 今野 ゆうひ  17歳                          2019年。新型コロナウイルスが突如 として私たちの生活に現れました。何もわ からないまま政府に舵をゆだね、ウイルス の災いとして ”コロナ禍” は四年目に突入し ました。 当時中学三年生だった私の日常も  “コロナ禍” によって一変しました。  外出自粛、一斉休校、ソーシャルディス タンス、マスク、消毒...   それら政策を半ば面白がりながら、20 21年まで三年間、流されて過ごしました。  人との接触をなるべく避けながらいかに 楽しめるか。マスクをしていかにおしゃれ をできるか。いつしか私たちの生活は“コロ ナ禍”ファーストへと姿を変えていました。  2021年、高校一年生になった私も“コ ロナ禍”ファーストな高校生活を送っていま した。  その年の夏、母と私は新型コロナと全く 同じ症状を発症。病院に行っても薬がない ので PCR検査などはしていませんが、あの 症状は確実に新型コロナだったと思います。 その時母と、“コロナ禍” ファーストな生活 をしていても感染はするし、普通の風邪と 同じように治るということに気づきました。  もちろん個人差はありますが、なぜここ まで徹底して感染源を特定したり外出制限 をしたりするのか、その時からじんわりと 疑問が生まれます。  経験は人を変化させますね。  そんなこんなで私と母は、自転車に乗っ ている時だけ。から始まり、すこしずつマ スクを外すことにしました。  ある日、母と一緒に近くの大きめのスー パーで買い物をすることになります。 「注意されるまでマスクしないで入ってみ るわ」  正直遊びの部分もありました。ちょっと 面倒くさくなっちゃったのです。強い意志 もないただのチャレンジだったので、何か 言われたらすぐ付けるつもりでした。  ところが、なんかいけちゃったのです。 一時間弱いたものの、誰にもなんにも言わ れず買い物終了。  なんということでしょう。今までやって きたことはなんだったんだと思うほどあっ けなくチャレンジは成功。今思えば、この スーパーで何か言われていたら、この文を 書くこともなかったで...

381. 現代の課題と統一協会(続き)

 【2025年2月26日配信】        親友ヨッチにささげる手記          -最期まで友情を信じて-                  石川県河北郡津幡町                 書店員 22歳  酒井 由記子  人は、どんな人と巡り合うか、どんな本 と出会うかによって人生が決まってくると、 ある作家が述べていたのをふと思い出す。 私にとってはまさにそうであった。出会っ た人達も書物もとても大きな影響を残し、 忘れられない出来事となっていったのであ る。   一、高校生の頃  今から六年前(1977年)、私は金沢 二水高校の二年生であった。いや二年生と いうより吹奏楽部生というほうが適切であ るほど私は部活動に情熱を注ぎ込んでいた。 みんなでマラソン、腹筋運動をしてからだ を鍛えあげ、各パートごとでロングトーン をして基礎固めをなして、全員そろって校 舎中いっぱいに響きわたるハーモニーを歌 いあげる。それは、先輩、後輩、仲間達の 一致によって一つの音楽をつくり出すとい う喜びを存分に味わった私の青春時代の真 っ盛りであった。ただ残念なことは、部活 動に熱中すればするほど勉強のほうはさっ ぱり力がはいらなかったことである。中学 生のときは、「進学校にはいるために」と いうただそれだけの目的で受験勉強ができ た。しかし、いざ高校にはいってみると、 また「いい大学にはいるために」と先生方 が口をすっぱくして押しまくる文句に素直 になれなかった。勉強する本当の意味が見 出せなかったのである。その頃から、私は 人間は何のために生きるのだろうかという ことまで突っ込んで考えるようになってい った。  父母が書店を経営しているため本は充分 にあり、書物を読むことによって答えを見 出そうとした。私の強い求めに応じるかの ように一冊の本が転がり込んできた。クリ スチャン作家である三浦綾子さんの『あさ っての風』という随筆集であった。聖書の 言葉がそこに登場しており、それはズシリ と心に響いたのである。その本に魅せられ て三浦さんの自叙伝も何冊か読み進めてい った。しだいに私の魂は、人間をはるかに 越えた大いなる存在があることを感じてい った。確信までは至らなかったけれども、 それらの本...
         柿岡 時正
         廣田 克昭
         酒井 與郎
         黒沢  靖
         神尾 和子
         前田 祐吉
         廣田 克昭
         伊藤 正孝
         柿岡 時正
         広瀬 心二郎
         七尾 政治
         辰巳 国雄
         大山 文人
         島田 清次郎
         鶴   彬
         西山 誠一
         荒木田 岳
         加納 韻泉
         沢田 喜誠
         島谷 吾六
         宮保 英明
         青木 晴美
         山本 智美
         匂  咲子
         浅井 恒子
         浜田 弥生
         遠田 千鶴子
         米谷 艶子
         大矢場 雅楽子
         舘田 信子
         酒井 由記子
         酒井 由記子
         竹内 緋紗子
         幸村  明
         梅  時雄
         家永 三郎
         下村 利明
         廣田 克昭
         早津 美寿々
         木村 美津子
         酒匂 浩三
         永原 百合子
         竹津 清樹
         階戸 陽太
         山本 孝志
         谷口 留美
         早津 美寿々
         坂井 耕吉
         伊佐田 哲朗
         舘田 志保
         中田 美保
         北崎 誠一
         森  鈴井
         正見  巖
         正見  巖
         貝野  亨
         竹内 緋紗子
         滋野 真祐美
         佐伯 正博
         広瀬 心二郎
         西野 雅治
         竹内 緋紗子
         早津 美寿々
         御堂河内 四市
         酒井 與郎
         石崎 光春
         小林 ときお
         小川 文人
         広瀬 心二郎
         波佐場 義隆
         石黒 優香里
         沖崎 信繁
         山浦  元
         船橋 夕有子
         米谷 艶子
       ジョアキン・モンテイロ
         遠藤  一
         谷野 あづさ
         梅田 喜代美
         小林 ときお
         中島 孝男
         中村 秀人
         竹内 緋紗子
         笠尾  実
         前田 佐智子
         桐生 和郎
         伊勢谷 業
         伊勢谷 功
         中川 清基
         北出  晃
         北出  晃
         広瀬 心二郎
         石黒 優香里
         濱田 愛莉
         伊勢谷 功
         伊勢谷 功
         加納 実紀代
         細山田 三精
         杉浦 麻有子
         半田 ひとみ
         早津 美寿々
         広瀬 心二郎
         石黒 優香里
         若林 忠司
         若林 忠司
         橋本 美濃里
         田代 真理子
         花水 真希
         村田 啓子
         滋野 弘美
         若林 忠司
         吉本 行光
         早津 美寿々
         竹内 緋紗子
         市来 信夫
         西田 瑤子
         西田 瑤子
         高木 智子
         金森 燁子
         坂本 淑絵
         小見山 薫子
         広瀬 心二郎
         横井 瑠璃子
         野川 信治朗
         黒谷 幸子
         福永 和恵
         小社発信記事
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         秋山 郁美
         加藤 蒼汰
         森本 比奈子
         森本 比奈子
         吉村 三七治
         石崎 光春
         前田 佐智子
         前田 佐智子
         前田 佐智子
         前田 佐智子
         中野 喜佐雄
         八木  正
         堀  勇蔵
         家永 三郎
         広瀬 心二郎
         菅野 千鶴子
         海野 啓子
         菅野 千鶴子
         海野 啓子
         石井 洋三
         小島 孝一
         キャリー・マディ
         谷本 誠一
         宇部  功
         竹内 緋紗子
         谷本 誠一
         酒井 伸雄
163、コロナ禍の医療現場リポート
         竹口 昌志
164、この世とコロナと生き方を問う
         小社発信記事
165、コロナの風向きを変える取材
         橋本 美濃里
166、英断の新聞意見広告
         小社発信記事
167、ワクチン接種をしてしまった方へ
         小社発信記事
168、真実と反骨の質問
         小社発信記事
169、世論を逆転する記者会見
         小社発信記事
170、世界に響けこの音この歌この踊り
         小社発信記事
171、命の責任はだれにあるのか
         小社発信記事
172、歌人・芦田高子を偲ぶ(1)
         若林 忠司
173、歌人・芦田高子を偲ぶ(2)
         若林 忠司
174、歌人・芦田高子を偲ぶ(3)
         若林 忠司
175、ノーマスク学校生活宣言
         こいわし広島
176、白山に秘められた日本建国の真実
         新井 信介
177、G線上のアリア
         石黒 優香里
178、世界最高の笑顔
         小社発信記事
179、不戦の誓い(2)
         酒井 與郎
180、不戦の誓い(3)
         酒井 與郎
181、不戦の誓い(4)
         酒井 與郎
182、まだ軍服を着せますか?
         小社発信記事
183、現代時事川柳(六)
         早津 美寿々
184、翡翠の里・高志の海原
         永井 則子
185、命のおくりもの
         竹津 美綺 
186、魔法の喫茶店
         小川 文人 
187、市民メディアの役割を考える
         馬場 禎子 
188、当季雑詠
         表 古主衣 
189、「緑」に因んで
         吉村 三七治 
190、「鶴彬」特別授業感想文
         小社発信記事
191、「社会の木鐸」を失った記事
         小社発信記事
192、朝露(아침이슬)
         坂本 淑絵
193、変わりつつある世論
         小社発信記事
194、ミニコミ紙「ローカル列車」
         赤井 武治
195、コロナの本当の本質を問う①
         矢田 嘉伸
196、秋
         鈴木 きく
197、コロナの本当の本質を問う②
         矢田 嘉伸
198、人間ロボットからの解放
         清水 世織
199、コロナの本当の本質を問う③
         矢田 嘉伸
200、蟹
         加納 韻泉
201、雨降る永東橋
         坂本 淑絵
202、総選挙をふりかえって
         岩井 奏太
203、ファイザーの論理
         小社発信記事
204、コロナの本当の本質を問う④
         矢田 嘉伸
205、湯の人(その2)
         加藤 蒼汰
206、コロナの本当の本質を問う⑤
         矢田 嘉伸
207、哲学の時代へ(第1回)
         小社発信記事
208、哲学の時代へ(第2回)
         小川 文人
209、コロナの本当の本質を問う⑥
         矢田 嘉伸
210、読者・投稿者の方々へお願い
         小社発信記事
211、哲学の時代へ(第3回)
         小社発信記事
212、哲学の時代へ(第4回)
         小社発信記事
213、小説『金澤夜景』(2)
         広瀬 心二郎
214、小説『金澤夜景』(3)
         広瀬 心二郎