飴の民俗(4)
【2021年3月6日配信 NO.145】
前田 佐智子
五.薬用としての飴
(一)おばこの実を飴の中に入れて、六月、
盛夏の前に母親が家じゅうになめさせて
夏負けの予防にする。
(二)松葉を飴の中に入れて神経痛の薬とす
る。
(三)マムシを焼いて粉末にし飴に入れれば、
強壮剤になる。また、結核にもいいとい
う。マムシとりは、酒屋に、また飴屋に
とったマムシをもってゆき、酒と交換し
たり、飴と交換したりした。
(四)大根を切って、その切口に飴をかけて
おくと、大根から汁がでてくる。この汁
は咳止めになる。
(五)飴を湯にとかし、それを沸かし、あつ
いまま飲む。夏、「アメユー」という売
り声で振売りがくる。生姜汁を入れたも
のもある。海水浴の遠泳の際には、必ず
といっていいほど「飴湯」がでた。疲れ
がとれるということである。盆踊りのと
きには、冷やしたものがだされた。
(六)地黄という薬草の根を煎じた汁を飴に
入れて、食べやすくしたものを地黄煎飴
という。俵屋でも人に頼まれてつくった
ことがあるという。石川県がまだ結核県
といわれていた頃、結核患者にあたえる
ためだったらしかった。最近の漢方薬ブ
ームでつくってほしいといってくる人も
あるが、薬草と飴との調合がむずかしく、
間違うと害になるので断っているという。
金沢には、現在の泉野町の一部に、地
黄煎町(じおうせんじまち)という町名
があった。このあたり、地黄という薬草
が多く採集され、地黄煎飴がつくられて
いた。
文久元年(一八六一年)の「加賀藩産
物番付」に、「地黄煎丁飴」の名が見え
る。「地黄煎」は、禁裏で医師に命じて
つくらせたものであったが、のちには地
黄を入れなくても「じょうせん」もしく
は「ぎょうせん」と呼んだ。現在、関西
では「水飴」のことをいい、加賀では「
固飴」のことをいう。
(七)漢方の薬屋から、黄みがかった粉末の
「益気湯」という薬を買ってきて、生胡
麻をすり、水飴で煉って食べやすい状態
にする。夏負け防止のために各家庭でつ
くった。
六. 飴屋
明治四十年に発行された『螢苑』という文
芸誌に、佐々木喜善氏の「長靴」という文が
載っている。
バスが通ったあとは、春の日がぽかぽか
真白い光を通りに流したばかり、テンテ
ン、カラカラ飴屋も通らない。
というのがある。情景描写の中に、飴屋のこ
とがでてくるというのは、その当時の人にと
って、われわれが町で見かける豆腐屋と同じ
ような存在感を飴屋にもっていたということ
になるであろう。
『稿本金沢市史 風俗編』の第十三章商工、
第二節工業において、年代不明であるが、飴
商売四十一人、また明治十二年民業には、飴
製造業二十四戸、明治十八年八月に結成され
た飴商組合の規約によると、組合員十二名と
なっている。
これに対して、明治十八年六月十五日付で
菓子営業願が、金沢区英町の荒木新平から戸
長を通じて金沢区長にだされ、同年七月一日
付で許可されている。この営業願は、加能民
俗の会の会員の荒木豊氏の家に保存されてい
るもので、新平さんは士族であったが、維新
後、生計をたてるために飴屋を営まれたとい
う。このような菓子商と飴商との区別が曖昧
なことから見ると、飴屋の数はもっと多くな
ってくるはずである。
『加能民俗』九-五、北島俊朗氏の「金沢・
浅野川の舟着場・堀川揚場」に、
堀川揚場の所在地は、浅野川下流左岸に
位置し、昭和五十七年十一月現在笠市町
一二番、一三番及び瓢箪町九番である。
(中略)
川の流れが強くてサオ使いが、下手であ
るとよく舟は顚覆した。川中に落ちた米
は、酢屋、こうじ屋へ売る。
とある。山森青硯先生によると、日置謙先生
が川筋には飴屋が多いといっておられたとい
うことで、飴屋は水運の便のあるところの荷
揚げ場付近に多い。水運ではこんできた米を
陸にあげるときに、川にあやまって落とした
りすると、屑米として飴屋などにもってゆく
ほかはなかった。浅野川は小橋の横が荷揚げ
場で、俵屋があり、犀川は新橋のふもとが荷
揚げ場で、荒田(上伝馬町、荒田小太郎)と
いう飴屋があった。山森先生はこのように話
された。
明治十八年の飴商組合の組合員は、全部、
浅野川筋から大樋町までの飴屋ばかりである
から、これと別に、犀川筋を中心とした飴屋
の集団があってもいいはずである。『加能郷
土辞彙』の「飴屋坂」は犀川筋である。金沢
では、犀川寄りの寺と浅野川寄りの寺とは、
昔はほとんど附合がなかったという話を聞い
たことがあるが、商売にもこういった傾向が
あったのではなかろうか。
戦後になって、昭和二十四年五月に、「石
川飴工業協同組合」が結成され、全県から二
十九名が組合員となった。その後、組合員は
少しずつ減り、昭和三十七年には五名、現在、
石川県で米から飴を製造している家は七軒、
そして、そのほとんどの飴屋が後継者問題で
頭を抱えているのである。
参考文献
『たべもの古代史』 永山久夫 新人物往来社
『あめ細工』 吉田菊次郎 柴田書店
『郷土誌』 石川県鶴来小学校編
『俳句歳時記 夏』 平凡社
『北陸俳句歳時記』 石川県俳文学協会編
荒木豊、今村充夫、大林昇太郎、北島俊朗、
香村幸作、田中政行、牧野隆信、山森青硯、
浅香美代子、三田登美子の諸先生に教示を
得た。
俵外代吉(俵屋)、下田嘉枝(下田製飴所)、
沢野良知(有平糖)、山本三郎(北一商店)、
宮竹清次(元飴屋)、松尾外吉(元飴屋)、
佐竹修(七尾市がめの煉薬)の皆さんには、
たいへんお世話になり厚くお礼を述べたい。
『加能民俗研究』第12号より
小社発行・『北第の燈』第5号に掲載。
第8回「現代の声」講座で上述と同趣旨の提言。
〈参考〉
文中に登場する市町村
石川県金沢市
石川県七尾市
石川県加賀市
石川県羽咋郡富来町(現羽咋郡志賀町)
石川県能美郡寺井町(現能美市)
石川県石川郡鶴来町(現白山市)
石川県石川郡美川町(現白山市)
岩手県上閉伊郡土淵村(現遠野市)
鹿児島県甑島(薩摩川内市)
新潟県新潟市
当講座NO.85にも前田佐智子さんの記事掲載。
当講座NO.35の梅時雄さんの記事も併せて参照
していただきたい。