憂える「山中塗」の将来
【2020年9月11日配信 NO.19】
原点にもどって真の職人集団を!
石川県加賀市山中温泉
塗師 沢田 喜誠
このごろ木製漆器の「山中塗」がこの地上
から近く消滅してしまうのではないかと危惧、
心配するようになりました。
当地の漆器が、他の産地の製品と比較して、
非常に劣っていたり、また、独特といわれる
ような価値ある技術が何もないのだろうか、
と静かに自問してみるのですが、そんな欠点
とか、劣るものはまったくありません。それ
どころか他産地と比べて、たいへん勝れてい
るもののほうが多く、むしろ誇りにさえ思わ
れるのです。
特別な作家活動をされている方たちとは別
に、職人芸としてまず第一に、ロクロ挽き物
技術は全国的にみても第一級に位するもので
すし、これは自画自賛ではなく非常に勝れた
ものであることは、文句なく認めてもらえる
はずです。
また、塗りにしても、下地、上塗とも京風
の確かな技術を、江戸時代から名もなき先人
たちが、苦心して伝承し残してくれたものも、
しっかりと生き続けています。
加飾蒔絵も独特の高絵や友治などもあり、
敗戦後の若者たちが金沢蒔絵の本格派を習得
し、すでに出来上がって山中の地に帰って来
ています。
今なら立派な技術を持っている年配者が充
分生存しておられます。これらの技術と職人
気質といえるものを、今のこの時点でしっか
りと見直し、あらゆる視点・角度から総合し
て、「木地」「下地」「塗り」「蒔絵」の全
部門の職人が、一堂に集って討論を重ねて、
漆器の原点から生いたちを考え直し問い正し
ていく職人集団をつくる必要があると思いま
す。
イロハからみると、原料材料に「うるし」
を塗り重ね生活用具として使ってもらうこの
漆器は、その用にたえうる耐久力が要るわけ
で、「うるし」という塗料は、他のどんな化
学製の塗料などと比べても優雅な気品と強度
の耐久性があります。これは、日本の永い伝
統と歴史の中で磨かれ育まれたものですから、
かけがえのない大切な日本の文化です。
だからこの漆器は、単なる利益だけを追う
商品でないと心しなければなりません。ここ
で最も注意すべきことは、美しさを強調する
あまり、原料漆をケチって表面上がりだけに
力を入れ、弱い漆器をつくってはならないこ
とです。先輩たちがいくたびと努力してくれ、
教えてくれた下地生漆(きうるし)の割合混
合比率は「鉄則」ですから、これをケチると
剝げる器になります。ともすると椀以外の用
途のものは、熱いものを入れないのだから、
この鉄則を守らなくてもよいなどという、職
人らしからぬ職人も近ごろはいるようですが、
これはまったく残念な考え方です。伝承され
た鉄則を決して崩してはいけないと思います。
また、素材の木は、百年・二百年もの歳月
をかけて生長してきた貴重なものですし、こ
の木に対しては礼をつくさねばなりません。
「うるし」もまた、これ以上の尊い天与の素
材であり、最上級の敬意を払わねばなりませ
ん。そして、この貴重なものを原料にこれを
使用して仕事に従事する職人は、長い時間を
かけて習い覚えた技術者であることを充分に
自覚し、今、考えを新たにし、良心のありっ
たけを製作品に打ち込んで仕事をしなければ
ならないと思います。
そこで、化学技術などが極度に産業界を席
捲し発展を遂げている現代という時代に、私
どもの木製漆器が地場産業として、これから
どうなってゆくのでしょうか。
このことは、種々議論の分かれるところと
思いますが、このようなことは、業界の組合
とか自治体の偉い方たちの領分だと思います
ので、大きな観点からの展望はその方々にお
任せすることにして、今こういった時代に私
たち職人の考えなければならない問題は、商
業ベースの方たちの発想と指導に期待した従
来どおりの”待ち”の姿勢では、過去の歴史が
示すような毎度のパターンのお定まりの値段
競争で、安かろう・悪かろうといった作業内
容となってしまうということです。
この不況の時は、それにいっそう拍車がか
かり、激しい粗悪品化が起こって、伝承技術
が”亡びの道”を走ることは必死です。この売
れない時にこそ、確かなものを世に出す努力
をし新しい創作への苦心をしなければならな
いと思いますが、職人のほうは生活がかかっ
ているために、盲目的に悪い方向に従ってし
まうという状態です。
では、どうすればよいのでしょうか。原料
材料に「うるし」を塗り、生活用品をつくる
という本格的な伝統漆器は、もはや現代とい
う時代では、大発展をし一大産業をなすとい
うことは限界に来ていると思います。初めに
私が提言しましたように、漆器そのものの出
直しから始めて、先人たちが築き上げたこの
山中漆器の持つ「大切な文化」を守るために、
真の職人集団を結成し、まさに開き直った個
々、一人ひとりが強い決意をしなければなら
ないと思います。そして、自発的に自らの仕
事に責任を持つ立場で始めなければ「本物」
にはなりません。従ってこの集団には、公共
的な援助などに頼るような心構えは絶対にす
べきではないし、また、当然”金もうけ”を目
標にすべきではありません。
こういった発想で「木地」「下地」「塗り」
「蒔絵」の有志の人が相寄り、充分な時間を
かけて話し合い、会合を繰り返し、その趣旨
や意義を理解し、賛同し合ってから、具体的
な討論に入ればよいと思います。そして将来
は、「一つの物」にも各分業者の名前を明記
して世に出し、その仕事に一人ひとりが責任
を持つという態勢にまで盛り上がらせたいと
思います。
以前NHKテレビで、越前漆器の職人たちが、
正倉院御物の再生に情熱を傾けている姿を見
ましたが、かの産地にはあのような学ぶべき
職人の方々が現在いるということに驚かされ
ました。「伝統」とはあのような姿勢があっ
て初めて伝承されるものだと思います。
私たちが、この時期にこういう集団の結成
を、少人数でもいいからと呼びかけているこ
との意味を理解賛同され、ひとりでも相集い、
真の職人集団で伝統の「山中塗」を守ろうで
はありませんか。
山中塗・棗(なつめ)
木地師 梶原 康造
下地師 河上 和夫
塗 師 沢田 喜誠
小社発行・『北陸の燈』第3号より
「現代の声」講座第4回提言者
テーマ:憂える「山中塗」の将来
(写真は小社撮影)