私の学生生活

【2020年12月17日配信 NO.86】   



 涙で歌った応援歌         



         東京都世田谷区     

                                会社員  桐生  和郎                    


 応援団。それは、ともすれば肩で風を切っ

て衆人を威嚇する暴力的集団と見られがちで

ある。かくいう私も早稲田大学応援部に入部

する以前は、そのような浅薄な偏見を応援団

に対して抱いていた。


 実際の応援団は、内的には確かに練習は厳

しく典型的なタテ社会が厳然と存在し、鉄拳

制裁は当然の如く行使される。だが、外的(

神宮球場等における応援活動)には、学生の

範たる態度で行動し、応援に参集してくれた

学生に真摯な態度で接して応援を指導し、一

体感のある応援を、プレイしている選手に伝

えることがその主たる目的となり、決して陰

湿なイメージを与えるものではないのである。


 早稲田大学応援部の信条の一つに「たくま

しい根に美しい花を」というものがある。こ

れは、真の応援団の存在意義が的確に表現さ

れた名文句である。応援団とは、応援に参集

してくれた学生と、自軍のプレイヤーとの間

の媒介者にすぎないのである。学生の声援・

意思をいかにして効果的にプレイヤーに伝え

るか。応援団の役割はまさにその一点に凝縮

される。応援団は、その精神的・肉体的なた

くましさをもって、母校の応援を華麗にかつ

雄々しく創造していかなくてはならないので

ある。


 以上のような確固たる認識の下にある早稲

田大学応援部は、様々な競技の応援活動を行

なうが、やはりその中心となるのは、春夏季

六大学野球リーグ戦である。さらに、その中

でも5万有余の学生が参集する早慶戦は、ま

さしく応援団冥利につきるものである。大観

衆の声援・拍手を応援部リーダー・吹奏楽団・

チアガール計百余名の手で一つにまとめ上げ

て、一体感のある爆発的な応援を創り出すの

である。


 この早慶戦での応援も一朝一夕にできるわ

けではない。何か月も前から応援部内で綿密

な計画が練られ、試行錯誤を繰り返しながら

練習するのである。また、早慶戦という長時

間にわたる応援活動(他の応援活動も同様な

のだが)に耐えられるだけの体力、及び人前

での華麗かつ機敏な動作を養うために、普段

からほとんど毎日のように発声、技能、体力

トレーニングが行なわれる。


 以上のような過程を経て神宮球場での本番

に臨むのであるが、いざ試合となると、計画

していたことがすべてうまくいくわけではな

い。その進行状況に応じて、臨機応変に、観

客の雰囲気を察知して、意気消沈させること

なく円滑に応援を展開していかなくてはなら

ないのである。


 応援団とは、ただ闇雲にバンカラを装い、

ツッパッていてはいけない。そのような態度

では、観客を魅了し応援をリードしていくこ

とはできない。応援団として最も要求される

のは、強靭な肉体と、敏速かつ的確な判断力、

そして華麗かつ壮大な応援を演出する創造力

である。


 さて、以上応援団・応援論について仰々し

く述べてきたが、このことは学年が上がるに

つれて、だんだんと思うようになってきたこ

とで、私も最初からそのような信念を持って

いたわけではない。



 大学に入学するやいなや、わけもわからず

飛び込んだ応援部。当時流行っていた漫画「

花の応援団」の青田赤道にあこがれていた私

は、何のためらいもなく応援部に入部した。

しかし、漫画はあくまでも漫画。実際の応援

部というのは、他の運動部にもひけをとらな

いほど、その練習は厳しかった。高校時代に

野球をやっていて体力には自身のあった私も、

これはとんでもないクラブに入部したと、自

身の浅はかさを恨んだ。


 度肝を抜かれたのは、大声を張り上げなが

らのランニング、うさぎ跳び、ダッシュ等で

ある。声を出すということがこれほどまでに

苦しいものとは知らなかった。全力でそうし

た運動をやり、大声を張り上げると、体力の

消耗度はすさまじく、すぐに意識がもうろう

としてくる。事実、練習中に失神状態となり、

バタバタと倒れる者が必ず一人や二人はいた。

さらに、そうした肉体的なダメージだけでな

く、精神的にも相当のプレッシャーがある。

なぜなら、そばにいる上級生がジッと監視し

ていて、少しでも手を抜こうものなら、罵声・

鉄拳が容赦なく飛んでくる。


 毎日が応援部部室と下宿との往復である。

キャンパス・ライフというものには、新人の

頃は全く縁がなかった。練習で一日が始まり、

浴びるほどの酒を飲まされ、気がついたら次

の日の朝練という具合に、片時も応援部、あ

るいは上級生から解放されることはなかった。


 さて、神宮球場での最初の応援であるが、

さすがに初めて人前に出た時には、気後れが

して緊張のあまり顔がひきつり足が地につい

ていなかった。しかし、ボケーッと突っ立っ

ているわけにはいかない。とにかく動いて声

を出していなければ、そこに待っているのは、

大衆の面前での鉄拳制裁である。応援歌も拍

手の仕方もろくに知らない私は、無我夢中で

動き回り大声を出していた。試合の経過など

全くわからない。常に学生のほうを向いてい

なければいけないのである。


 当時の早稲田は、岡田、島貫、有賀を擁し、

非常に強かった(事実、この春のシーズンで

優勝したのである)。チャンスになると、コ

ンバット・マーチが無限に続くのであるが、

この頃の早稲田は、始終コンバット・マーチ

が鳴り響いていた。コンバットが始まると、

私たち新人は、応援席を景気づけするために、

大声を出して走り回らなければならない。こ

れはまさに新人にとって地獄であった。あの

急な勾配のある応援席を、常に平気な顔で走

り回るというのは、並みの人間のできるもの

ではない。そのうち足がもつれ、顔面に苦痛

の色が現われる。私は、何故人前でこんなに

恥をさらさなければいけないのかと思い、い

っそこのまま応援席を駆け抜け、ネットをよ

じ登り、グランドに出て試合を妨害すれば、

この苦しみに終止符を打つことができると思

った。


 私は強い早稲田が憎かった。岡田や島貫を

殺してやりたいと思った。勝つにしろ、負け

るにしろ、投手戦で最終回にホームラン一本

が出て、試合終了というのが、私たち新人に

とって最高のパターンであった(そんな試合

は一度もなかったが)。そして、二連勝か、

二連敗、どちらでもよいから、二日で終わる

のが最良であった。


 これが、入部当初の私の正直な気持ちであ

った。愛校心なんてものは一かけらもなかっ

た。私の新人の頃は、極限すれば、練習して

いるか、神宮で応援しているか、酒を飲んで

いるかのどれかであった。無我夢中、自我喪

失の日々が続いた。はっきり言って、私は応

援部が嫌いであった。その奇妙とも見える厳

格すぎる上下関係、それによって生ずる不合

理・不条理な活動すべてがうとましく思われ

た。


 しかし、私は一度も部をやめたいとは思わ

なかった。何故か。それは、男の意地だけで

あった。ここでやめれば、自分は負け犬にな

る。それよりも応援部を続けて幹部になった

ら、応援・応援部というものを、より良い素

晴らしい明るいものにしてやろうという気概

を持ったからであった。そう思うことで、充

実した学生生活を送りたかったのである。し

かし、このような思いを抱くに至ったのも、

応援というものが根っから好きであり、応援

部というものが純粋に応援というものを追求

する集団であったからである。


 いま思っても、私にとって早稲田大学応援

部は、私の学生生活のすべてであった。学業

を本分とする学生にとっては本末転倒も甚だ

しいが、それでも私は後悔はしていない。応

援部生活によって得た貴重な体験・先輩・友

人・後輩は、なにものにも代えがたい。特に、

幹部のときに早稲田大学創立百周年を迎え、

秋季シーズンにリーグ戦で優勝したことは、

辛かったが、思い出多き応援部生活に、感涙

極まる最高の終止符を打てたように思う。ま

た、私の高校時代(金沢泉丘高校)、ともに

部で汗を流した村山秀一君が、早稲田大学野

球部三塁手として神宮のグランドに姿を見せ

たときは、琴線に響く心躍る感動もした。後

輩の諸君は、応援部をもっともっといいもの

にして素晴らしい学生生活を送ってほしい。


 春・秋のシーズン最後の練習、夏・春合宿

の最後の練習で歌う「紺碧の空」「早稲田の

栄光」「校歌」は、男を男泣きさせる名曲で

あった。









 小社発行・『北陸の燈』第3号より


〈参考〉

   日本一、世界一の応援      

  

早慶戦.神宮球場.一生懸命の応援「紺碧の空」



    

  早稲田大学校歌(1907年)八七調
 作詩 相馬御風
 作曲 東儀鉄笛
 一
 都の西北 早稲田の森に
 聳ゆる甍は われらが母校
 われらが日ごろの 抱負を知るや
 進取の精神 学の独立
 現世を忘れぬ 久遠の理想
 輝くわれらが 行手を見よや
 わせだ わせだ わせだ わせだ
 わせだ わせだ わせだ
 二
 東西古今の 文化の潮
 一つに渦巻く 大島国の
 大なる使命を 担ひて立てる
 われらが行手は 窮り知らず
 やがても久遠の 理想の影は
 あまねく天下に 輝き布かん
 わせだ わせだ わせだ わせだ
 わせだ わせだ わせだ
 三
 あれ見よかしこの 常磐の森は
 心の故郷 われらが母校
 集り散じて 人は変れど
 仰ぐは同じき 理想の光
 いざ声そろへて 空もとどろに
 われらが母校の 名をばたたへん
 わせだ わせだ わせだ わせだ
 わせだ わせだ わせだ


    応援部指揮の校歌
 

早稲田大学卒業式

2019.3.25早稲田アリーナで初の

   相馬御風直筆の早大校歌石碑
 早大正門入って左にある
 校歌制定90年と御風生誕115年の1997年に建立


   河野安通志 加賀市出身早大野球部創生期エース
   市岡忠男   早大野球部出身、河野安通志の天敵 
 











〈後記〉

 当講座NO.6、87、88、107の記事も

 併せて参照していただきたい。

 なお、早稲田大学の校歌を作詩した

 相馬御風は、新潟県西頸城郡糸魚川

 町(現糸魚川市)・中頸城尋常中学

 (現高田高校)出身。

 相馬御風と東儀鉄笛のコンビは銚子

 商業の校歌も1911年に作っている。

 その歌詩は10番ある。

 

 

相馬御風 - 故郷糸魚川の翡翠の再発見者.『大愚良寛』著者





  トルストイ『復活』劇中歌
   1914年発表
     作詩 相馬御風・島村抱月 作曲 中山晋平
   あまりの人気に学生への観劇・歌唱禁止令が
  島村抱月   (島根県那賀郡小国村・現浜田市出身)
    松井須磨子(長野県埴科郡清野村・現長野市出身)
    中山晋平 (長野県下高井郡新野村・現中野市出身)
   ヨナ抜き音階、晋平節


  1.  カチューシャかわいや わかれのつらさ
   せめて淡雪 とけぬ間と
   神に願いを(ララ)かけましょうか

     2.  カチューシャかわいや わかれのつらさ
   今宵一夜に 降る雪の
     あすは野山の(ララ)路かくせ

   3.  カチューシャかわいや わかれのつらさ
   せめて又逢う それまでは
   同じ姿で(ララ)いてたもれ

   4.  カチューシャかわいや わかれのつらさ
   つらいわかれの 涙のひまに
   風は野を吹く(ララ)日はくれる

   5.  カチューシャかわいや わかれのつらさ
   広い野原を とぼとぼと
   独り出て行く(ララ)明日の旅   


    糸魚川市・中野市、長野市、浜田市



    女優須磨子の恋.Wiki 監督 溝口健二  主演 田中絹代
           松井が田中か、田中が松井か      
   松井須磨子 田中絹代
   島村抱月  山村聰
   坪内逍遥  東野英治郎
   東儀鉄笛  佐伯秀雄
   相馬御風  濱田寅彦
   中山晋平  小久保田久雄


  

映画「愛怨峡」

1937年「復活」翻案 川口松太郎
      監督 溝口健二 主演 山路ふみ子 


トルストイ『復活』
(中村白葉訳、河出書房新社、1969年1月)


    
『命あるかぎり贈りたい 山路ふみ子自伝』
(著者 山路ふみ子、草思社、1994年5月)












〈追記〉

 当講座NO.184、NO.275の記事でも

 相馬御風を紹介しています。

 184、翡翠の里・高志の海原

 275、スポーツとは何か・交驩のエール

  

 

「女性の勝利 」監督溝口健二 1946年

    「女優須磨子の恋」と併せた女性解放三部作
    どんな役でもこなしなりきる田中絹代 


 

 
   

 



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 【2024年1月28日配信】   おばばの言葉                       白山市 番匠 俊行                                私の両親は石川県石川郡美川町(現白山 市)に生まれ育ちました。両親のそれぞれ の両親も同町の生まれ、育ちです。除籍簿 を見ると、私の先祖は全員、明治初期から 同町の住人でした。  私は高校時代まで美川で育ち、そのあと 関東の大学を卒業し、宮城県内で就職し、 現在、郷里の美川で塾教師をしています。  私の祖母は1900年生まれで伝統産業 の美川刺繍をしていました。亡くなるまで 町から一歩も出たことがなく、町の人たち との会話を楽しみに生きていたようです。  その会話を耳にした一端をご紹介します。  美川町は手取川の河口の町で日本海に面 しています。作家の島田清次郎、詩人の邑 井武雄、政治家の奥田敬和、歌手の浅川マ キ、五輪トランポリン選手の中田大輔らの 出身地でもあります。  「美川弁」といってもいい言葉は、隣町 の能美郡根上町(現能美市)や能美郡川北 村(現能美郡川北町)、石川郡松任町(旧 松任市、現白山市)ともちょっと異なって いると思います。  私は金沢市内の高校に通ったのですが、 私の話す言葉がおかしいと、いつも友人に 笑われていました。言葉だけで伝えるのは 難しいのですが、動詞、形容詞、形容動詞 のエ音便がイ音便になったり、また、人名 や名詞の発音のアクセントや抑揚、強弱、 長短が独特みたいです。  鹿児島弁が混じっているのではないかと 言う人もいます。もしそうであれば、最初 の石川県庁が美川町に置かれたことと関係 しているのかもしれません。内田政風とい う薩摩藩士がトップとなりはるばるこの町 にやって来たと聞いています。ひょうきん な美川の人たちが薩摩から来た役人たちの 言葉をおもしろがって真似して、流行らせ、 それがそのまま一部根づいたのではないか と思ったりもしています。  内田はなぜか金沢県とすることを拒否し、 県名を石川郡から拝借して石川県にし、さ らに「美川県」にとまで県名をかえようと したと聞きます。石川県はあわや美川県に なっていた可能性もあったということです。  これはこれでおもしろい話ですが、内田 は、美川町を中心にした金沢以上の新たな 県都を、白山を源として流れる

319. 何者でもない者が生きる哲学  

【2023年11月4日配信】         考えることがなぜ大切なのか    小を積めば即ち大と為る. 『報徳記』富田高慶1856    二宮尊徳翁曰く 「励精小さなる事を勤めば大なる事必ずなるべし。  小さなる事をゆるがせにする者、大なる事必ず  できぬものなり」     読書のすすめ 背負い歩き考える二宮金治郎          ロダンの『考える人』よりもりっぱに思える         薪を負いて名定まる         損得から尊徳の世へ 哲学の時代へ(第14回)                                        以下の文はkyouseiさんという方のnote にある文です。偶然みつけ共感するものが ありこれまで何度か勝手にその文を紹介し てきました。どこのどなたかまったく存じ 上げませんが、またお叱りを受けるかもし れませんが、本日掲載の文をご紹介します。 (当講座編集人)            本当の哲学とはなにか            note での投稿も長くなった。 連続投稿 が 370 を超えたようだ。そんなことはどう で もい いことだが、ぼくはこれまで 「哲学」 だと 思って書いていた記事は、「本当に哲 学 な のだろうか」と思うことがよくある。 皆の言う「哲学」は、「○○哲学では…」 と 難しい話をよく知っている。 ぼくはというと、思考を治療的に使って 現 状の維持、回復を狙うものだ。 「何が不満か」「何がそうさせるのか」と いった答えを探すものだ。だから「治療的 哲学」と銘打っているのだが、はたしてそ れは哲学なのだろうかと思うこともある。 ぼくの哲学は「結果が全て」であり、再 現 性も求める。結果が出ないとすれば、や り 方がまずかったとすぐに修正する。自分 自 身を実験台にして確かめるのだ。 難しい話を好まないのは「使えない」 か ら だ。使えないものは真理ではないと 考え て いる。 だからといって、ぼくの視野が広いか とい えばそうではなく、個人という狭い世 界観 をどう変えるかといったものだ。 「大したことないな」と思われるだろう が、 では、誰がこれまでそのことに挑戦し てき ただ ろうか。 他人の褌で相撲を取る話ならいくらでもあ る。傍観者という意味だ。 ぼくの哲学には答えがないかもしれない。 変更

275. スポーツを文化にするために

【2022年10月10日配信】      「学生野球考」      慶應義塾大学野球部監督   前田 祐吉   史上最高演技   史上最高選手      勇気ある発言   「オンニ、ここで記念に一緒に撮りましょ」   「オレは笑わないが、笑って何が悪いんだ」  葉隠・武士道を覆す号泣                       「サード!もう一丁!」「ヨーシこい」 と いう元気な掛け声の間に、「カーン」と いう 快いバットの音がひびくグラウンドが 私の職 場である。だれもが真剣に野球に取 り組み、 どの顔もスポーツの喜びに輝いて いる。息子 ほどの年齢の青年たちに囲まれ、 好きな野球 に打ち込むことのできる私は、 つくづく、し あわせ者だと思う。  学生野球は教育の一環であるとか、野球 は人間形成の手段であるということがいわ れるが、私の場合、ほとんどそんな意識は ないし、まして自分が教育者だとも思わな い。どうしたらすべての野球部員がもっと 野球を楽しめるようになるのか、どうした らもっと強いチームになって、試合に勝ち、 選手と喜びを共にできるのか、ということ ばかり考えている。  野球に限らず、およそすべてのスポーツ は、好きな者同志が集まって、思いきり身 体を動かして楽しむためのもので、それに よって何の利益も求めないという、極めて 人間的な、文化の一形態である。百メート ルをどんなに早く走ろうと、ボールをどれ だけ遠くへカッ飛ばそうと、人間の実生活 には何の役にも立たない。しかし、短距離 走者はたった百分の一秒のタイムを縮める ために骨身をけずり、野球選手は十回の打 席にたった三本のヒットを打つために若い エネルギーを燃やす。その理由は、走るこ とが楽しく、打つことが面白いからにすぎ ない。さらにいえば、より早く走るための 努力の積み重ねが何物にも替えがたい喜び であり、より良く打つための苦心と練習そ のものに、生きがいが感じられるからであ る。  このように、スポーツは余暇を楽しみ、 生活を充実させるための手段で、それ以外 には何の目的もないはずである。むしろ目 的のないことがスポーツの特徴であり、試 合に勝つことや良い記録を出すことは、単 なる目標であって終局の目的ではない。  かつて超人的な猛練習でスピードスケー ト の王者といわれ、冬季オリンピックの

266. 混迷する現代と統一協会 

【2022年8月28日配信】        親友ヨッチにささげる手記          -最期まで友情を信じて-                  石川県河北郡津幡町                 書店員 22歳  酒井 由記子  人は、どんな人と巡り合うか、どんな本 と出会うかによって人生が決まってくると、 ある作家が述べていたのをふと思い出す。 私にとってはまさにそうであった。出会っ た人達も書物もとても大きな影響を残し、 忘れられない出来事となっていったのであ る。   一、高校生の頃  今から六年前(1977年)、私は金沢 二水高校の二年生であった。いや二年生と いうより吹奏楽部生というほうが適切であ るほど私は部活動に情熱を注ぎ込んでいた。 みんなでマラソン、腹筋運動をしてからだ を鍛えあげ、各パートごとでロングトーン をして基礎固めをなして、全員そろって校 舎中いっぱいに響きわたるハーモニーを歌 いあげる。それは、先輩、後輩、仲間達の 一致によって一つの音楽をつくり出すとい う喜びを存分に味わった私の青春時代の真 っ盛りであった。ただ残念なことは、部活 動に熱中すればするほど勉強のほうはさっ ぱり力がはいらなかったことである。中学 生のときは、「進学校にはいるために」と いうただそれだけの目的で受験勉強ができ た。しかし、いざ高校にはいってみると、 また「いい大学にはいるために」と先生方 が口をすっぱくして押しまくる文句に素直 になれなかった。勉強する本当の意味が見 出せなかったのである。その頃から、私は 人間は何のために生きるのだろうかという ことまで突っ込んで考えるようになってい った。  父母が書店を経営しているため本は充分 にあり、書物を読むことによって答えを見 出そうとした。私の強い求めに応じるかの ように一冊の本が転がり込んできた。クリ スチャン作家である三浦綾子さんの『あさ っての風』という随筆集であった。聖書の 言葉がそこに登場しており、それはズシリ と心に響いたのである。その本に魅せられ て三浦さんの自叙伝も何冊か読み進めてい った。しだいに私の魂は、人間をはるかに 越えた大いなる存在があることを感じてい った。確信までは至らなかったけれども、 それらの本によって金沢のプロテスタント の教会に足を運び、牧師さんのお話を聞く ようにもな

280. 湯の人(その4)現実と夢

 【2022年11月22日配信】   大きな便り                       加藤 蒼汰          秋とはいっても冬のような寒い夜だった。 浴室にはだれもおらず、脱衣場には番台に 座っている銭湯の主人と私ともうひとり。  その人は銭湯の近所の人であり、かつて 高校の教員をしていた。在職当時、馳浩・ 現石川県知事を教えていたと語っている。 八十歳を超えている。  この銭湯でよく顔を合わせ、会うたびに 知事の高校在学中のエピソードを繰り返す ので、私はその話の内容をすっかり諳んじ られるようになってしまった。高校入学時 から卒業までの様子、レスリング部での活 躍などであるが、私が特に感銘を受けた話 は、知事は高校時代、冬、雪が降り積もっ た朝には真っ先に早出登校して、生徒・教 職員を思いやり、校門から校舎玄関入り口 までの路をひとりスコップで雪かきをして いたというくだりである。  そんなすばらしい教え子をもつ元先生が、 服を脱ぎ裸になって浴室入り口に向かって 五、六歩あるきながら大便を三個落とした のである。気づかずに落ちたようなので、 私は「先生、落としもの」と声をかけると、 「ありりー、まったく気いつかんかった。 あはははは」と笑うのである。  私は、脇にあったチリトリでこの塊をす くいとり、「みごとな色と固さやね」と言 いながらトイレに流した。しかしながら、 脱衣場にはその匂いが全面に沁みわたり、 息が苦しくなるほどだった。このとき私は、 幼いころサーカスを見たときのことを思い だした。  それは曲芸をしていた象が巨大な大便の 塊を三個落とし、団員があわててスコップ で拾いあげていた光景であった。このとき の衝撃の記憶がよみがえり、私にとっさに チリトリを思いつかせたような気がする。 本を読んでいた番台の主人もその匂いで事 のいきさつに気づき、「匂いもすばらしい ね」と笑いながら脱衣場の窓を全開し床を 雑巾でふいてくれたが、その強力な匂いは 容易に消えなかった。  その間、先生は先に浴槽へ入り、気持ち よさそうに浸かっていた。私は先生と湯壺 にいっしょに漬かることに一瞬躊躇したが、 免疫機能が高まるまたとないチャンスでは ないかとの思いも何ゆえか突然こみあげて きて湯船に同席、お伴したしだいである。  「よくあることなんけ」と湯中、思わず

303. 教え子を再び何処へ送るのか

【2023年5月25日配信】   マスクをめぐる学校との苦闘                   千葉県 今野 ゆうひ  17歳                          2019年。新型コロナウイルスが突如 として私たちの生活に現れました。何もわ からないまま政府に舵をゆだね、ウイルス の災いとして ”コロナ禍” は四年目に突入し ました。 当時中学三年生だった私の日常も  “コロナ禍” によって一変しました。  外出自粛、一斉休校、ソーシャルディス タンス、マスク、消毒...   それら政策を半ば面白がりながら、20 21年まで三年間、流されて過ごしました。  人との接触をなるべく避けながらいかに 楽しめるか。マスクをしていかにおしゃれ をできるか。いつしか私たちの生活は“コロ ナ禍”ファーストへと姿を変えていました。  2021年、高校一年生になった私も“コ ロナ禍”ファーストな高校生活を送っていま した。  その年の夏、母と私は新型コロナと全く 同じ症状を発症。病院に行っても薬がない ので PCR検査などはしていませんが、あの 症状は確実に新型コロナだったと思います。 その時母と、“コロナ禍” ファーストな生活 をしていても感染はするし、普通の風邪と 同じように治るということに気づきました。  もちろん個人差はありますが、なぜここ まで徹底して感染源を特定したり外出制限 をしたりするのか、その時からじんわりと 疑問が生まれます。  経験は人を変化させますね。  そんなこんなで私と母は、自転車に乗っ ている時だけ。から始まり、すこしずつマ スクを外すことにしました。  ある日、母と一緒に近くの大きめのスー パーで買い物をすることになります。 「注意されるまでマスクしないで入ってみ るわ」  正直遊びの部分もありました。ちょっと 面倒くさくなっちゃったのです。強い意志 もないただのチャレンジだったので、何か 言われたらすぐ付けるつもりでした。  ところが、なんかいけちゃったのです。 一時間弱いたものの、誰にもなんにも言わ れず買い物終了。  なんということでしょう。今までやって きたことはなんだったんだと思うほどあっ けなくチャレンジは成功。今思えば、この スーパーで何か言われていたら、この文を 書くこともなかったです。大いに感謝です。  その日から勢い
         柿岡 時正
         廣田 克昭
         酒井 與郎
         黒沢  靖
         神尾 和子
         前田 祐吉
         廣田 克昭
         伊藤 正孝
         柿岡 時正
         広瀬 心二郎
         七尾 政治
         辰巳 国雄
         大山 文人
         島田 清次郎
         鶴   彬
         西山 誠一
         荒木田 岳
         加納 韻泉
         沢田 喜誠
         島谷 吾六
         宮保 英明
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         匂  咲子
         浅井 恒子
         浜田 弥生
         遠田 千鶴子
         米谷 艶子
         大矢場 雅楽子
         舘田 信子
         酒井 由記子
         酒井 由記子
         竹内 緋紗子
         幸村  明
         梅  時雄
         家永 三郎
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         廣田 克昭
         早津 美寿々
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         正見  巖
         正見  巖
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         広瀬 心二郎
         西野 雅治
         竹内 緋紗子
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         御堂河内 四市
         酒井 與郎
         石崎 光春
         小林 ときお
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         石黒 優香里
         沖崎 信繁
         山浦  元
         船橋 夕有子
         米谷 艶子
       ジョアキン・モンテイロ
         遠藤  一
         谷野 あづさ
         梅田 喜代美
         小林 ときお
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         竹内 緋紗子
         笠尾  実
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         北出  晃
         北出  晃
         広瀬 心二郎
         石黒 優香里
         濱田 愛莉
         伊勢谷 功
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         加納 実紀代
         細山田 三精
         杉浦 麻有子
         半田 ひとみ
         早津 美寿々
         広瀬 心二郎
         石黒 優香里
         若林 忠司
         若林 忠司
         橋本 美濃里
         田代 真理子
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         滋野 弘美
         若林 忠司
         吉本 行光
         早津 美寿々
         竹内 緋紗子
         市来 信夫
         西田 瑤子
         西田 瑤子
         高木 智子
         金森 燁子
         坂本 淑絵
         小見山 薫子
         広瀬 心二郎
         横井 瑠璃子
         野川 信治朗
         黒谷 幸子
         福永 和恵
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         秋山 郁美
         加藤 蒼汰
         森本 比奈子
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         吉村 三七治
         石崎 光春
         前田 佐智子
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         前田 佐智子
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         中野 喜佐雄
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         家永 三郎
         広瀬 心二郎
         菅野 千鶴子
         海野 啓子
         菅野 千鶴子
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         石井 洋三
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         キャリー・マディ
         谷本 誠一
         宇部  功
         竹内 緋紗子
         谷本 誠一
         酒井 伸雄
163、コロナ禍の医療現場リポート
         竹口 昌志
164、この世とコロナと生き方を問う
         小社発信記事
165、コロナの風向きを変える取材
         橋本 美濃里
166、英断の新聞意見広告
         小社発信記事
167、ワクチン接種をしてしまった方へ
         小社発信記事
168、真実と反骨の質問
         小社発信記事
169、世論を逆転する記者会見
         小社発信記事
170、世界に響けこの音この歌この踊り
         小社発信記事
171、命の責任はだれにあるのか
         小社発信記事
172、歌人・芦田高子を偲ぶ(1)
         若林 忠司
173、歌人・芦田高子を偲ぶ(2)
         若林 忠司
174、歌人・芦田高子を偲ぶ(3)
         若林 忠司
175、ノーマスク学校生活宣言
         こいわし広島
176、白山に秘められた日本建国の真実
         新井 信介
177、G線上のアリア
         石黒 優香里
178、世界最高の笑顔
         小社発信記事
179、不戦の誓い(2)
         酒井 與郎
180、不戦の誓い(3)
         酒井 與郎
181、不戦の誓い(4)
         酒井 與郎
182、まだ軍服を着せますか?
         小社発信記事
183、現代時事川柳(六)
         早津 美寿々
184、翡翠の里・高志の海原
         永井 則子
185、命のおくりもの
         竹津 美綺 
186、魔法の喫茶店
         小川 文人 
187、市民メディアの役割を考える
         馬場 禎子 
188、当季雑詠
         表 古主衣 
189、「緑」に因んで
         吉村 三七治 
190、「鶴彬」特別授業感想文
         小社発信記事
191、「社会の木鐸」を失った記事
         小社発信記事
192、朝露(아침이슬)
         坂本 淑絵
193、変わりつつある世論
         小社発信記事
194、ミニコミ紙「ローカル列車」
         赤井 武治
195、コロナの本当の本質を問う①
         矢田 嘉伸
196、秋
         鈴木 きく
197、コロナの本当の本質を問う②
         矢田 嘉伸
198、人間ロボットからの解放
         清水 世織
199、コロナの本当の本質を問う③
         矢田 嘉伸
200、蟹
         加納 韻泉
201、雨降る永東橋
         坂本 淑絵
202、総選挙をふりかえって
         岩井 奏太
203、ファイザーの論理
         小社発信記事
204、コロナの本当の本質を問う④
         矢田 嘉伸
205、湯の人(その2)
         加藤 蒼汰
206、コロナの本当の本質を問う⑤
         矢田 嘉伸
207、哲学の時代へ(第1回)
         小社発信記事
208、哲学の時代へ(第2回)
         小川 文人
209、コロナの本当の本質を問う⑥
         矢田 嘉伸
210、読者・投稿者の方々へお願い
         小社発信記事
211、哲学の時代へ(第3回)
         小社発信記事
212、哲学の時代へ(第4回)
         小社発信記事
213、小説『金澤夜景』(2)
         広瀬 心二郎
214、小説『金澤夜景』(3)
         広瀬 心二郎