私の学生生活

【2020年12月17日配信 NO.86】   



 涙で歌った応援歌         



         東京都世田谷区     

                                会社員  桐生  和郎                    


 応援団。それは、ともすれば肩で風を切っ

て衆人を威嚇する暴力的集団と見られがちで

ある。かくいう私も早稲田大学応援部に入部

する以前は、そのような浅薄な偏見を応援団

に対して抱いていた。


 実際の応援団は、内的には確かに練習は厳

しく典型的なタテ社会が厳然と存在し、鉄拳

制裁は当然の如く行使される。だが、外的(

神宮球場等における応援活動)には、学生の

範たる態度で行動し、応援に参集してくれた

学生に真摯な態度で接して応援を指導し、一

体感のある応援を、プレイしている選手に伝

えることがその主たる目的となり、決して陰

湿なイメージを与えるものではないのである。


 早稲田大学応援部の信条の一つに「たくま

しい根に美しい花を」というものがある。こ

れは、真の応援団の存在意義が的確に表現さ

れた名文句である。応援団とは、応援に参集

してくれた学生と、自軍のプレイヤーとの間

の媒介者にすぎないのである。学生の声援・

意思をいかにして効果的にプレイヤーに伝え

るか。応援団の役割はまさにその一点に凝縮

される。応援団は、その精神的・肉体的なた

くましさをもって、母校の応援を華麗にかつ

雄々しく創造していかなくてはならないので

ある。


 以上のような確固たる認識の下にある早稲

田大学応援部は、様々な競技の応援活動を行

なうが、やはりその中心となるのは、春夏季

六大学野球リーグ戦である。さらに、その中

でも5万有余の学生が参集する早慶戦は、ま

さしく応援団冥利につきるものである。大観

衆の声援・拍手を応援部リーダー・吹奏楽団・

チアガール計百余名の手で一つにまとめ上げ

て、一体感のある爆発的な応援を創り出すの

である。


 この早慶戦での応援も一朝一夕にできるわ

けではない。何か月も前から応援部内で綿密

な計画が練られ、試行錯誤を繰り返しながら

練習するのである。また、早慶戦という長時

間にわたる応援活動(他の応援活動も同様な

のだが)に耐えられるだけの体力、及び人前

での華麗かつ機敏な動作を養うために、普段

からほとんど毎日のように発声、技能、体力

トレーニングが行なわれる。


 以上のような過程を経て神宮球場での本番

に臨むのであるが、いざ試合となると、計画

していたことがすべてうまくいくわけではな

い。その進行状況に応じて、臨機応変に、観

客の雰囲気を察知して、意気消沈させること

なく円滑に応援を展開していかなくてはなら

ないのである。


 応援団とは、ただ闇雲にバンカラを装い、

ツッパッていてはいけない。そのような態度

では、観客を魅了し応援をリードしていくこ

とはできない。応援団として最も要求される

のは、強靭な肉体と、敏速かつ的確な判断力、

そして華麗かつ壮大な応援を演出する創造力

である。


 さて、以上応援団・応援論について仰々し

く述べてきたが、このことは学年が上がるに

つれて、だんだんと思うようになってきたこ

とで、私も最初からそのような信念を持って

いたわけではない。



 大学に入学するやいなや、わけもわからず

飛び込んだ応援部。当時流行っていた漫画「

花の応援団」の青田赤道にあこがれていた私

は、何のためらいもなく応援部に入部した。

しかし、漫画はあくまでも漫画。実際の応援

部というのは、他の運動部にもひけをとらな

いほど、その練習は厳しかった。高校時代に

野球をやっていて体力には自身のあった私も、

これはとんでもないクラブに入部したと、自

身の浅はかさを恨んだ。


 度肝を抜かれたのは、大声を張り上げなが

らのランニング、うさぎ跳び、ダッシュ等で

ある。声を出すということがこれほどまでに

苦しいものとは知らなかった。全力でそうし

た運動をやり、大声を張り上げると、体力の

消耗度はすさまじく、すぐに意識がもうろう

としてくる。事実、練習中に失神状態となり、

バタバタと倒れる者が必ず一人や二人はいた。

さらに、そうした肉体的なダメージだけでな

く、精神的にも相当のプレッシャーがある。

なぜなら、そばにいる上級生がジッと監視し

ていて、少しでも手を抜こうものなら、罵声・

鉄拳が容赦なく飛んでくる。


 毎日が応援部部室と下宿との往復である。

キャンパス・ライフというものには、新人の

頃は全く縁がなかった。練習で一日が始まり、

浴びるほどの酒を飲まされ、気がついたら次

の日の朝練という具合に、片時も応援部、あ

るいは上級生から解放されることはなかった。


 さて、神宮球場での最初の応援であるが、

さすがに初めて人前に出た時には、気後れが

して緊張のあまり顔がひきつり足が地につい

ていなかった。しかし、ボケーッと突っ立っ

ているわけにはいかない。とにかく動いて声

を出していなければ、そこに待っているのは、

大衆の面前での鉄拳制裁である。応援歌も拍

手の仕方もろくに知らない私は、無我夢中で

動き回り大声を出していた。試合の経過など

全くわからない。常に学生のほうを向いてい

なければいけないのである。


 当時の早稲田は、岡田、島貫、有賀を擁し、

非常に強かった(事実、この春のシーズンで

優勝したのである)。チャンスになると、コ

ンバット・マーチが無限に続くのであるが、

この頃の早稲田は、始終コンバット・マーチ

が鳴り響いていた。コンバットが始まると、

私たち新人は、応援席を景気づけするために、

大声を出して走り回らなければならない。こ

れはまさに新人にとって地獄であった。あの

急な勾配のある応援席を、常に平気な顔で走

り回るというのは、並みの人間のできるもの

ではない。そのうち足がもつれ、顔面に苦痛

の色が現われる。私は、何故人前でこんなに

恥をさらさなければいけないのかと思い、い

っそこのまま応援席を駆け抜け、ネットをよ

じ登り、グランドに出て試合を妨害すれば、

この苦しみに終止符を打つことができると思

った。


 私は強い早稲田が憎かった。岡田や島貫を

殺してやりたいと思った。勝つにしろ、負け

るにしろ、投手戦で最終回にホームラン一本

が出て、試合終了というのが、私たち新人に

とって最高のパターンであった(そんな試合

は一度もなかったが)。そして、二連勝か、

二連敗、どちらでもよいから、二日で終わる

のが最良であった。


 これが、入部当初の私の正直な気持ちであ

った。愛校心なんてものは一かけらもなかっ

た。私の新人の頃は、極限すれば、練習して

いるか、神宮で応援しているか、酒を飲んで

いるかのどれかであった。無我夢中、自我喪

失の日々が続いた。はっきり言って、私は応

援部が嫌いであった。その奇妙とも見える厳

格すぎる上下関係、それによって生ずる不合

理・不条理な活動すべてがうとましく思われ

た。


 しかし、私は一度も部をやめたいとは思わ

なかった。何故か。それは、男の意地だけで

あった。ここでやめれば、自分は負け犬にな

る。それよりも応援部を続けて幹部になった

ら、応援・応援部というものを、より良い素

晴らしい明るいものにしてやろうという気概

を持ったからであった。そう思うことで、充

実した学生生活を送りたかったのである。し

かし、このような思いを抱くに至ったのも、

応援というものが根っから好きであり、応援

部というものが純粋に応援というものを追求

する集団であったからである。


 いま思っても、私にとって早稲田大学応援

部は、私の学生生活のすべてであった。学業

を本分とする学生にとっては本末転倒も甚だ

しいが、それでも私は後悔はしていない。応

援部生活によって得た貴重な体験・先輩・友

人・後輩は、なにものにも代えがたい。特に、

幹部のときに早稲田大学創立百周年を迎え、

秋季シーズンにリーグ戦で優勝したことは、

辛かったが、思い出多き応援部生活に、感涙

極まる最高の終止符を打てたように思う。ま

た、私の高校時代(金沢泉丘高校)、ともに

部で汗を流した村山秀一君が、早稲田大学野

球部三塁手として神宮のグランドに姿を見せ

たときは、琴線に響く心躍る感動もした。後

輩の諸君は、応援部をもっともっといいもの

にして素晴らしい学生生活を送ってほしい。


 春・秋のシーズン最後の練習、夏・春合宿

の最後の練習で歌う「紺碧の空」「早稲田の

栄光」「校歌」は、男を男泣きさせる名曲で

あった。









 小社発行・『北陸の燈』第3号より


〈参考〉      

  

早慶戦.神宮球場.一生懸命の応援「紺碧の空」



    

  早稲田大学校歌(1907年)八七調
 作詩 相馬御風
 作曲 東儀鉄笛
 一
 都の西北 早稲田の森に
 聳ゆる甍は われらが母校
 われらが日ごろの 抱負を知るや
 進取の精神 学の独立
 現世を忘れぬ 久遠の理想
 輝くわれらが 行手を見よや
 わせだ わせだ わせだ わせだ
 わせだ わせだ わせだ
 二
 東西古今の 文化の潮
 一つに渦巻く 大島国の
 大なる使命を 担ひて立てる
 われらが行手は 窮り知らず
 やがても久遠の 理想の影は
 あまねく天下に 輝き布かん
 わせだ わせだ わせだ わせだ
 わせだ わせだ わせだ
 三
 あれ見よかしこの 常磐の森は
 心の故郷 われらが母校
 集り散じて 人は変れど
 仰ぐは同じき 理想の光
 いざ声そろへて 空もとどろに
 われらが母校の 名をばたたへん
 わせだ わせだ わせだ わせだ
 わせだ わせだ わせだ


    応援部指揮の校歌
 

早稲田大学卒業式

2019.3.25早稲田アリーナで初の

   相馬御風直筆の早大校歌石碑
 早大正門入って左にある
 校歌制定90年と御風生誕115年の1997年に建立


   河野安通志 加賀市出身早大野球部創生期エース
   市岡忠男   早大野球部出身、河野安通志の天敵 
 











〈後記〉

 当講座NO.6、87、88、107の記事も

 併せて参照していただきたい。

 なお、早稲田大学の校歌を作詩した

 相馬御風は、新潟県西頸城郡糸魚川

 町(現糸魚川市)・中頸城尋常中学

 (現高田高校)出身。

 相馬御風と東儀鉄笛のコンビは銚子

 商業の校歌も1911年に作っている。

 その歌詩は10番ある。

 

 

相馬御風 - 故郷糸魚川の翡翠の再発見者.『大愚良寛』著者





  トルストイ『復活』劇中歌
   1914年発表
     作詩 相馬御風・島村抱月 作曲 中山晋平
   あまりの人気に学生への観劇・歌唱禁止令が
  島村抱月   (島根県那賀郡小国村・現浜田市出身)
    松井須磨子(長野県埴科郡清野村・現長野市出身)
    中山晋平 (長野県下高井郡新野村・現中野市出身)
   ヨナ抜き音階、晋平節


  1.  カチューシャかわいや わかれのつらさ
   せめて淡雪 とけぬ間と
   神に願いを(ララ)かけましょうか

     2.  カチューシャかわいや わかれのつらさ
   今宵一夜に 降る雪の
     あすは野山の(ララ)路かくせ

   3.  カチューシャかわいや わかれのつらさ
   せめて又逢う それまでは
   同じ姿で(ララ)いてたもれ

   4.  カチューシャかわいや わかれのつらさ
   つらいわかれの 涙のひまに
   風は野を吹く(ララ)日はくれる

   5.  カチューシャかわいや わかれのつらさ
   広い野原を とぼとぼと
   独り出て行く(ララ)明日の旅   


    糸魚川市・中野市、長野市、浜田市



    女優須磨子の恋.Wiki 監督 溝口健二  主演 田中絹代
           松井が田中か、田中が松井か      
   松井須磨子 田中絹代
   島村抱月  山村聰
   坪内逍遥  東野英治郎
   東儀鉄笛  佐伯秀雄
   相馬御風  濱田寅彦
   中山晋平  小久保田久雄


  

映画「愛怨峡」

1937年「復活」翻案 川口松太郎
      監督 溝口健二 主演 山路ふみ子 


トルストイ『復活』
(中村白葉訳、河出書房新社、1969年1月)


    
『命あるかぎり贈りたい 山路ふみ子自伝』
(著者 山路ふみ子、草思社、1994年5月)












〈追記〉

 当講座NO.184、NO.275の記事でも

 相馬御風を紹介しています。

 184、翡翠の里・高志の海原

 275、スポーツとは何か・交驩のエール

  

 

「女性の勝利 」監督溝口健二 1946年

    「女優須磨子の恋」と併せた女性解放三部作
    どんな役でもこなしなりきる田中絹代 


 

 
   

 



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 【2024年1月8日配信】          お金から「いのち」の時代へ(10)             たくましくやさしき能登に光させ                    2024年3月11日              気仙沼市 菅野 千鶴子                              二隻だけでは足りない話にならない      被災者全員を救う方法を考えるべき    「五百年のひびき」   「日々是稽古」 .        輪島名舟の人たちへのインタビュー .    当講座記事NO.318 世界に範たる日本国になるには 強震モニタ .    地震情報 .                           緊急に避難所の設備充実を          大地震から一週間たった今、改めて 以下の記事を再掲します。   日本海側の原発の現況が気になります。  当講座記事 NO.296と 297で珠洲原発  のことに言及しました が、珠洲原発が  建設されていたらこの地震で日本列島  と朝鮮半島には人が住めなくなってい  たのではないでしょうか。珠洲原発を  絶対に安全だと主張して推進していた  関 西 電力、中部電力、北陸電力、経産  省、政府は 謝罪声明を出すべきだと思  います。    震災被災者の避難先に下記写真のように  ビニールハウスが何箇所かありました。  ここは個人や隣近所で自主的に避難した  場所だと思います。ビニールハウスは、  地震に強いのではないでしょうか。    また、私は高校時代、山岳部で部活動を    していたのでその経験からすれば、冬用    テント、ツエルト、シュラフ、ヤッケ、  ポンチョ、コッフェル、ラジウスなどの  山岳装備を キ スリングに入れておき、 か  つ、テントの張り方、炊事の仕方を日頃  から練習し、いつでも野営に備えていた  らいいのではないかと思いました。  もっともこれらに相当する準備は、国、  県、市町 村の首長や各議員が、常日頃か  ら個人の人権とプライバシーに心配りを  したうえで、率先してしなければならな  い極めて重要な政治の仕事であると思い  ます。特に今現在おこっている震災は、  何年も前から充分に予測できたことだけ  に、最低でも上記の準備だけはできたは  ずです。「残念」とか「遺憾

275. スポーツを文化にするために

【2022年10月10日配信】     交驩のエール     花開きつつあるエンジョイベースボール    「学生野球考」          慶應義塾大学野球部監督                   前田 祐吉      「サード!もう一丁!」「ヨーシこい」 と いう元気な掛け声の間に、「カーン」と いう 快いバットの音がひびくグラウンドが 私の職 場である。だれもが真剣に野球に取 り組み、 どの顔もスポーツの喜びに輝いて いる。息子 ほどの年齢の青年たちに囲まれ、 好きな野球 に打ち込むことのできる私は、 つくづく、し あわせ者だと思う。  学生野球は教育の一環であるとか、野球 は人間形成の手段であるということがいわ れるが、私の場合、ほとんどそんな意識は ないし、まして自分が教育者だとも思わな い。どうしたらすべての野球部員がもっと 野球を楽しめるようになるのか、どうした らもっと強いチームになって、試合に勝ち、 選手と喜びを共にできるのか、ということ ばかり考えている。  野球に限らず、およそすべてのスポーツ は、好きな者同志が集まって、思いきり身 体を動かして楽しむためのもので、それに よって何の利益も求めないという、極めて 人間的な、文化の一形態である。百メート ルをどんなに早く走ろうと、ボールをどれ だけ遠くへカッ飛ばそうと、人間の実生活 には何の役にも立たない。しかし、短距離 走者はたった百分の一秒のタイムを縮める ために骨身をけずり、野球選手は十回の打 席にたった三本のヒットを打つために若い エネルギーを燃やす。その理由は、走るこ とが楽しく、打つことが面白いからにすぎ ない。さらにいえば、より早く走るための 努力の積み重ねが何物にも替えがたい喜び であり、より良く打つための苦心と練習そ のものに、生きがいが感じられるからであ る。  このように、スポーツは余暇を楽しみ、 生活を充実させるための手段で、それ以外 には何の目的もないはずである。むしろ目 的のないことがスポーツの特徴であり、試 合に勝つことや良い記録を出すことは、単 なる目標であって終局の目的ではない。  かつて超人的な猛練習でスピードスケー ト の王者といわれ、冬季オリンピックの金 メダルを独占したエリック・ハイデンは「 金メダルは私の人生の目的ではない。それ に至るプロセスの喜びが私

266. 混迷する現代と統一協会 

【2022年8月28日配信】        親友ヨッチにささげる手記          -最期まで友情を信じて-                  石川県河北郡津幡町                 書店員 22歳  酒井 由記子  人は、どんな人と巡り合うか、どんな本 と出会うかによって人生が決まってくると、 ある作家が述べていたのをふと思い出す。 私にとってはまさにそうであった。出会っ た人達も書物もとても大きな影響を残し、 忘れられない出来事となっていったのであ る。   一、高校生の頃  今から六年前(1977年)、私は金沢 二水高校の二年生であった。いや二年生と いうより吹奏楽部生というほうが適切であ るほど私は部活動に情熱を注ぎ込んでいた。 みんなでマラソン、腹筋運動をしてからだ を鍛えあげ、各パートごとでロングトーン をして基礎固めをなして、全員そろって校 舎中いっぱいに響きわたるハーモニーを歌 いあげる。それは、先輩、後輩、仲間達の 一致によって一つの音楽をつくり出すとい う喜びを存分に味わった私の青春時代の真 っ盛りであった。ただ残念なことは、部活 動に熱中すればするほど勉強のほうはさっ ぱり力がはいらなかったことである。中学 生のときは、「進学校にはいるために」と いうただそれだけの目的で受験勉強ができ た。しかし、いざ高校にはいってみると、 また「いい大学にはいるために」と先生方 が口をすっぱくして押しまくる文句に素直 になれなかった。勉強する本当の意味が見 出せなかったのである。その頃から、私は 人間は何のために生きるのだろうかという ことまで突っ込んで考えるようになってい った。  父母が書店を経営しているため本は充分 にあり、書物を読むことによって答えを見 出そうとした。私の強い求めに応じるかの ように一冊の本が転がり込んできた。クリ スチャン作家である三浦綾子さんの『あさ っての風』という随筆集であった。聖書の 言葉がそこに登場しており、それはズシリ と心に響いたのである。その本に魅せられ て三浦さんの自叙伝も何冊か読み進めてい った。しだいに私の魂は、人間をはるかに 越えた大いなる存在があることを感じてい った。確信までは至らなかったけれども、 それらの本によって金沢のプロテスタント の教会に足を運び、牧師さんのお話を聞く ようにもな

272. 「命」の新文化創造の世へ

【2022年10月4日配信】        学級通信「あいこでしょ」の願い                       小松市立稚松小学校              教諭 辰巳 国雄                                                                   題字 井上碧山さん (北九州市)         絵  本多千鶴子さん(金沢錦丘高校1年) 薪を負いて名定まる  背負い歩き考える二宮金治郎  ロダンの『考える人』よりもりっぱに思える 損得から尊徳の世へ 当講座記事NO.314 山下秀美、哲学の時代へ 同266 酒井由記子、混迷する現代と統一協会 同294 小原基子、おんな川にかかる橋 同303 今野ゆうひ、教え子を再び何処へ送るのか 同318 髙森文子、世界に範たる日本国になるには  学級文集とか、学級通信とか、学級機関 紙 といわれるもの を発行することを、教師 の仕 事の軸の一つに して実践を積み重ねて いる人 がずい分多いと 思う。  私は、学級通信(学級文集・学級機関紙 も 含めて)を発行してから、もう三十年近 くに なる。あるときは季刊であったり、月 間であ ったり、週刊であったり、日刊であ ったり、 その形はさまざまである。その一 年、一年で 形も異なり、内容も変わってき ている。大ざ っぱな言い方をすれば次のよ うになるだろう。  子どもたちの生活のなかみや、思いや考 え を、本音のところで知りたい。それは、 話す ということででもできるかも知れない が、数 十人の学級の子どもたち全員の本音 を知るこ とはむずかしい。話すことの不得 手な子でも 書くことによって本音を語って くれるだろう。 また書くことによって、さ らに、自分の生活 や、思いや考えを、見つ め直すことになり、 印刷されたものを通し て、学級のみんなの共 通の認識を得られる だろう。共通の認識を持 った学級集団(子 どもたち)は、それをステ ップに、学級集 団の文化を創り上げていく力 にするだろう。  これが、私の教育の大きな柱だった。こ う して始めた学級通信発行の仕事は、子ど もた ちの全面発達を願う私の教育実践のそ のとき そのときの証しともなるものになっ た。学級 通信が発行できなくなるというこ とは、私と 子どもた

280. 湯の人(4)現実と夢

 【2022年11月22日配信】   大きな便り                       加藤 蒼汰          秋とはいっても冬のような寒い夜だった。 浴室にはだれもおらず、脱衣場には番台に 座っている銭湯の主人と私ともうひとり。  その人は銭湯の近所の人であり、かつて 高校の教員をしていた。在職当時、馳浩・ 現石川県知事を教えていたと語っている。 八十歳を超えている。  この銭湯でよく顔を合わせ、会うたびに 知事の高校在学中のエピソードを繰り返す ので、私はその話の内容をすっかり諳んじ られるようになってしまった。高校入学時 から卒業までの様子、レスリング部での活 躍などであるが、私が特に感銘を受けた話 は、知事は高校時代、冬、雪が降り積もっ た朝には真っ先に早出登校して、生徒・教 職員を思いやり、校門から校舎玄関入り口 までの路をひとりスコップで雪かきをして いたというくだりである。  そんなすばらしい教え子をもつ元先生が、 服を脱ぎ裸になって浴室入り口に向かって 五、六歩あるきながら大便を三個落とした のである。気づかずに落ちたようなので、 私は「先生、落としもの」と声をかけると、 「ありりー、まったく気いつかんかった。 あはははは」と笑うのである。  私は、脇にあったチリトリでこの塊をす くいとり、「みごとな色と固さやね」と言 いながらトイレに流した。しかしながら、 脱衣場にはその匂いが全面に沁みわたり、 息が苦しくなるほどだった。このとき私は、 幼いころサーカスを見たときのことを思い だした。  それは曲芸をしていた象が巨大な大便の 塊を三個落とし、団員があわててスコップ で拾いあげていた光景であった。このとき の衝撃の記憶がよみがえり、私にとっさに チリトリを思いつかせたような気がする。 本を読んでいた番台の主人もその匂いで事 のいきさつに気づき、「匂いもすばらしい ね」と笑いながら脱衣場の窓を全開し床を 雑巾でふいてくれたが、その強力な匂いは 容易に消えなかった。  その間、先生は先に浴槽へ入り、気持ち よさそうに浸かっていた。私は先生と湯壺 にいっしょに漬かることに一瞬躊躇したが、 免疫機能が高まるまたとないチャンスでは ないかとの思いも何ゆえか突然こみあげて きて湯船に同席、お伴したしだいである。  「よくあることなんけ」と湯中、思わず
         柿岡 時正
         廣田 克昭
         酒井 與郎
         黒沢  靖
         神尾 和子
         前田 祐吉
         廣田 克昭
         伊藤 正孝
         柿岡 時正
         広瀬 心二郎
         七尾 政治
         辰巳 国雄
         大山 文人
         島田 清次郎
         鶴   彬
         西山 誠一
         荒木田 岳
         加納 韻泉
         沢田 喜誠
         島谷 吾六
         宮保 英明
         青木 晴美
         山本 智美
         匂  咲子
         浅井 恒子
         浜田 弥生
         遠田 千鶴子
         米谷 艶子
         大矢場 雅楽子
         舘田 信子
         酒井 由記子
         酒井 由記子
         竹内 緋紗子
         幸村  明
         梅  時雄
         家永 三郎
         下村 利明
         廣田 克昭
         早津 美寿々
         木村 美津子
         酒匂 浩三
         永原 百合子
         竹津 清樹
         階戸 陽太
         山本 孝志
         谷口 留美
         早津 美寿々
         坂井 耕吉
         伊佐田 哲朗
         舘田 志保
         中田 美保
         北崎 誠一
         森  鈴井
         正見  巖
         正見  巖
         貝野  亨
         竹内 緋紗子
         滋野 真祐美
         佐伯 正博
         広瀬 心二郎
         西野 雅治
         竹内 緋紗子
         早津 美寿々
         御堂河内 四市
         酒井 與郎
         石崎 光春
         小林 ときお
         小川 文人
         広瀬 心二郎
         波佐場 義隆
         石黒 優香里
         沖崎 信繁
         山浦  元
         船橋 夕有子
         米谷 艶子
       ジョアキン・モンテイロ
         遠藤  一
         谷野 あづさ
         梅田 喜代美
         小林 ときお
         中島 孝男
         中村 秀人
         竹内 緋紗子
         笠尾  実
         前田 佐智子
         桐生 和郎
         伊勢谷 業
         伊勢谷 功
         中川 清基
         北出  晃
         北出  晃
         広瀬 心二郎
         石黒 優香里
         濱田 愛莉
         伊勢谷 功
         伊勢谷 功
         加納 実紀代
         細山田 三精
         杉浦 麻有子
         半田 ひとみ
         早津 美寿々
         広瀬 心二郎
         石黒 優香里
         若林 忠司
         若林 忠司
         橋本 美濃里
         田代 真理子
         花水 真希
         村田 啓子
         滋野 弘美
         若林 忠司
         吉本 行光
         早津 美寿々
         竹内 緋紗子
         市来 信夫
         西田 瑤子
         西田 瑤子
         高木 智子
         金森 燁子
         坂本 淑絵
         小見山 薫子
         広瀬 心二郎
         横井 瑠璃子
         野川 信治朗
         黒谷 幸子
         福永 和恵
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         秋山 郁美
         加藤 蒼汰
         森本 比奈子
         森本 比奈子
         吉村 三七治
         石崎 光春
         前田 佐智子
         前田 佐智子
         前田 佐智子
         前田 佐智子
         中野 喜佐雄
         八木  正
         堀  勇蔵
         家永 三郎
         広瀬 心二郎
         菅野 千鶴子
         海野 啓子
         菅野 千鶴子
         海野 啓子
         石井 洋三
         小島 孝一
         キャリー・マディ
         谷本 誠一
         宇部  功
         竹内 緋紗子
         谷本 誠一
         酒井 伸雄
163、コロナ禍の医療現場リポート
         竹口 昌志
164、この世とコロナと生き方を問う
         小社発信記事
165、コロナの風向きを変える取材
         橋本 美濃里
166、英断の新聞意見広告
         小社発信記事
167、ワクチン接種をしてしまった方へ
         小社発信記事
168、真実と反骨の質問
         小社発信記事
169、世論を逆転する記者会見
         小社発信記事
170、世界に響けこの音この歌この踊り
         小社発信記事
171、命の責任はだれにあるのか
         小社発信記事
172、歌人・芦田高子を偲ぶ(1)
         若林 忠司
173、歌人・芦田高子を偲ぶ(2)
         若林 忠司
174、歌人・芦田高子を偲ぶ(3)
         若林 忠司
175、ノーマスク学校生活宣言
         こいわし広島
176、白山に秘められた日本建国の真実
         新井 信介
177、G線上のアリア
         石黒 優香里
178、世界最高の笑顔
         小社発信記事
179、不戦の誓い(2)
         酒井 與郎
180、不戦の誓い(3)
         酒井 與郎
181、不戦の誓い(4)
         酒井 與郎
182、まだ軍服を着せますか?
         小社発信記事
183、現代時事川柳(六)
         早津 美寿々
184、翡翠の里・高志の海原
         永井 則子
185、命のおくりもの
         竹津 美綺 
186、魔法の喫茶店
         小川 文人 
187、市民メディアの役割を考える
         馬場 禎子 
188、当季雑詠
         表 古主衣 
189、「緑」に因んで
         吉村 三七治 
190、「鶴彬」特別授業感想文
         小社発信記事
191、「社会の木鐸」を失った記事
         小社発信記事
192、朝露(아침이슬)
         坂本 淑絵
193、変わりつつある世論
         小社発信記事
194、ミニコミ紙「ローカル列車」
         赤井 武治
195、コロナの本当の本質を問う①
         矢田 嘉伸
196、秋
         鈴木 きく
197、コロナの本当の本質を問う②
         矢田 嘉伸
198、人間ロボットからの解放
         清水 世織
199、コロナの本当の本質を問う③
         矢田 嘉伸
200、蟹
         加納 韻泉
201、雨降る永東橋
         坂本 淑絵
202、総選挙をふりかえって
         岩井 奏太
203、ファイザーの論理
         小社発信記事
204、コロナの本当の本質を問う④
         矢田 嘉伸
205、湯の人(その2)
         加藤 蒼汰
206、コロナの本当の本質を問う⑤
         矢田 嘉伸
207、哲学の時代へ(第1回)
         小社発信記事
208、哲学の時代へ(第2回)
         小川 文人
209、コロナの本当の本質を問う⑥
         矢田 嘉伸
210、読者・投稿者の方々へお願い
         小社発信記事
211、哲学の時代へ(第3回)
         小社発信記事
212、哲学の時代へ(第4回)
         小社発信記事
213、小説『金澤夜景』(2)
         広瀬 心二郎
214、小説『金澤夜景』(3)
         広瀬 心二郎