私のふるさと歴史考(第2回)
【2020年7月25日配信】
富山名物「時鐘」
郷土史家 廣田 克昭
越中富山の名物と言えば、売薬と神通川の
船橋。それともう一つ城下に鳴り響く「時鐘」
があったことは意外に知られていない。この
時鐘(ときのかね)の残欠が、市内柳町の地
にある富山藩主ゆかりの於保多(おほた)神
社に伝わっている。
於保多神社は、前田氏の氏神菅原道真を祀
り、もと柳町の天満宮と称して領民の信仰を
あつめた。社前の石造りの橋は、明治維新に
よって廃城となった富山城大手門の橋を移し
たものだという。また、祭神には天神様のほ
か初代藩主前田利次、二代正甫(まさとし)、
十代利保を祀っており、境内に正甫公頌徳碑
が建っている。このデザインに利用されてい
るのが破損した時鐘の残欠である。復原すれ
ば直径1メートル近くもあるだろうか。郷土
史家の故瀬川安信氏は、昭和三十八年の「時
の記念日」に際して、次のような由来書きを
付している。
「富山第二代藩主前田正甫ハ、貞享三年三
月安養坊山ニ於テ、城内ノ時鐘ヲ鋳造スルヤ
自ラ工ヲ督シ、城下ノ分限者吉野屋慶寿ソノ
蔵スル所ノ古金類ヲ精錬中ニ投入シテ工ヲ授
ク、□ルニ及ビ之ヲ城内ニ曵入レ領民ヲシテ
時刻ヲ知ルニ便ナラシメタリ、爾来鐘聲□々
トシテ三里四方ニ亘リ名鐘トシテ天下ニ憶セ
ラレシカ、明治三十二年ノ大火ニ焼損セリ」
貞享三年(一六八六年)藩主正甫が安養坊
(現在の呉羽山公園東口のあたり)で城の時
鐘を鋳造させたこと、この事業に豪商吉野屋
慶寿(けいじゅ)が私財を投じたこと、明治
三十二年の大火でこの名鐘が破損してしまっ
たことがここに書き留められている。
ところで、富山県立図書館にはこの由緒書
きのもとになったとみられる史料が残ってい
る。表紙に『有坂吉野屋慶寿日記』とある。
関連の箇所を抽出してみると、時鐘鋳造のこ
とがより具体的になる。
一、貞享三丙寅年三月十四日、安養坊山に於
て、御城の時鐘鋳させられ候に付き、右小
屋場御出来、同年閏三月二十七日今日、時
鐘いよいよ鋳させられ候。
但し是までは寒江自得寺の鐘を引上げ
にて、時鐘に換りおり候なり。
一、右鐘鋳候に付き、右鋳人金沢より釜屋彦
九郎御呼び寄せ、殿様御見物のため御出で
あそばされ候、もっとも当日未の刻より吹
きかかり、たたら二つ建て候、且たたら踏
み三十七人富山のものなり。
今日、赤飯、御酒御肴下され候、このみぎ
り、御意を以て慶寿にも御供仰せ付けられ
候につき、先前より貯蓄致しおき候古金類、
あまた残らず長持入れにて相運ばせ、右鋳
立てるたたらの中へ打込むの由、代々子孫
の口碑に申伝えおり候こと、ちなみにいは
く、この才許係り人は清水孫左衛門、笠原
三郎右衛門相勤め候こと。
時鐘の鋳造に際し、藩主自らが安養坊の鋳
造小屋へ出向き、金沢から招いた鋳物師釜屋
彦九郎の指導のもとに、二基の炉で人夫三十
七人が力を合わせてたたら(鋳物に用いる大
きなふいごう、空気を送る装置)を踏んで、
火をおこしたという。材料となる古金類を投
入した吉野屋慶寿は、この事業のいわばスポ
ンサーで、元禄期にかけて御用商人として藩
の財政に大きな影響力を持った人物である。
こうして完成した時鐘は、富山城に置かれ
て、以後ずっと時を知らせ続け、その美しい
響きで越中の名物と人々から慕われるように
なった。
しかし、この名鐘も明治三十二年(一八九
九年)八月の大火によって、時鐘台が焼け落
ち使用不能になってしまった。このとき焼け
残った一部分が於保多神社に伝わっているわ
けだが、『富山市史』の記録をたどると、時
鐘の伝統がもう一つ別の形で、今日まで受け
継がれていることがわかる。
時鐘が大火で破損した翌年は、鐘に代わっ
て口径三インチ野砲を導入し、正午を知らせ
る号砲を開始した。しかし空砲の音が強すぎ
ると苦情が多く、約七ヶ月で中止された。
そこで、こんどは明治三十四年十二月より、
東京両国の火薬商玉屋から花火の製造技術を
導入し、毎日正午に限ってドン花火を打ち上
げるようになった。場所は現在の電気ビルが
建っているあたりで、当時は神通川の中洲で
あった。ここに打ち上げ用の小屋場があった
という。
昭和十四年、戦争による火薬節約のため、
約四十年間続いたドン花火は中止された。以
後は市庁舎の屋上などでサイレンを鳴らすこ
とになり、サイレンの時代が戦後も長く続い
た。
そして戦後の混乱からようやく脱し始めた
昭和三十一年、市民のドン花火をなつかしむ
声により、時の記念日に限って正午を期して
ドン花火を打ち上げることになった。
時の記念日のドン花火は、この年から毎年
富山市の伝統行事として打ち上げられている。
だが、六月十日正午のドンの響きに、かつて
の富山名物時鐘やドン花火の時代を思いおこ
す人は、もうほとんどいない。
小社発行・『北陸の燈』第4号より
〈追記〉
2020.6.10 北日本放送