戦争責任と謝罪
【2020年8月15日配信 NO.16】
浄土真宗門徒 西山 誠一
靖国問題は大きく分けて二つあると思う。
一つは「平和(戦争)問題」つまり政治や社
会問題としての靖国であり、もう一点は「靖
国神社問題」である。両方とも宗教問題であ
り、宗教問題にしなければならない問題だと
思います。
靖国神社の社憲の前文には祭祀を斎行し、
「みたま」を奉慰し、その御名を万代に顕彰
するため、云々とあります。私は奉慰の「慰」
の字が気に食わぬ。慰めるとは上の者が下の
者にする行為、強いものが弱い者にする行為
で差別用語に思えるのですが。
また政府が遺族に年間三万円の「弔慰金」
を支払うから希望者は市役所へ申し込めとの
お達しがありましたが、これも間違いではな
いでしょうか。ここにも「慰」の字がありま
す。靖国神社も政府も慰霊祭・慰霊式・慰霊
塔と慰霊ずくめですが、慰霊の言葉を吟味し
たいです。
戦争犠牲者に対してなさねばならぬ行為は、
「慰霊」ではなく、「謝罪」ではないでしょ
うか。
それには、戦争観が問題になってきます。
日本人の戦争観は、おおむね聖戦感覚です。
聖戦大碑が大手をふってまかりとおる日本人
全体の戦争観が問題です。やむを得なかった
とか、仕方がなかったとか、日本人には戦争
責任者はだれもいないようです。天皇は敗戦
後人間天皇になって涼しい顔で、だれも責任
追及する者もなく、東条英機は国際裁判では
戦争犯罪者として死刑にはされたが、後に靖
国神社に祀られ崇められ、責任があいまいに
なり、日本国民から責任追及の声がほとんど
聞かれない状態です。
また、一兵卒にいたっては、赤紙一枚で召
集され憎くもない相手を殺させられた、生き
て帰れてまだよかったといった程度で、一般
国民に至っては言うに及ばずで、戦争責任者
が一人もおらず、問題にしようともしない。
いったいこんな歴史を伝えてよいのだろう
か。今からでも遅くない。真宗大谷派教団は、
大谷派教団の戦争責任だけでなく、日本の戦
争責任を明確にすべきと思いますが、いかが
でしょうか。日本人として裁く日本人の戦争
責任です。自虐思想、自虐史観などと言って
いられません。
同じ敗戦国でも、ドイツは違うようです。
キリスト教と浄土真宗の違いでしょうか。真
宗大谷派にはヴァイツゼッカーが生まれない
のでしょうか。金銭問題を超えて、謝罪の言
葉が出ないのでしょうか。憲法九条は単なる
平和憲法ではありません。全戦争犠牲者に対
する「謝罪憲法」だと思います。そして、東
南アジアの国々・人々をはじめ世界の国々・
人々に対する謝罪憲法です。
「憲法九条を守ったがために日本が滅んで
もそれでいいではないか」との言葉を聞いた
ことがあります。その通りです。このような
「戦争放棄」の恒久平和憲法は二度とできな
いと思います。この憲法こそが、人類が永久
に目指すべき指針、世界の宝となるものです。
この有史以来の、世界で唯一無二の戦争放棄
の恒久平和憲法を獲得したことに、悲惨な体
験をした私たちの敗戦の真の意味(真の勝者)
があったのです。
親鸞の教えをいただく真宗大谷派こそが、
日本国憲法第九条を謝罪憲法、戦争放棄の恒
久平和憲法であることを表明し、不戦決議・
非戦決議を全世界に向かって推し進めるべき
でないかと思います。
安倍晋三首相は、戦後七十年談話で「子ど
もたちに謝罪を続ける宿命を背負わせてはな
らない」と主張していますが、怖るべきこと
と思います。過去に目をつむる者は将来も視
ることはできないと聞きます。「さるべき業
縁のもよおせばいかなるふるまいもする」自
分なればこそ、過去の過ちを戦争を、直視し
明確にすべきです。
戦争には殺しが付きものですが、現代は一
人が一人を殺すことは少なくなったかもしれ
ません。一人が飛行機の上からボタン一つで
原爆を落とし一度に何十万人を殺すことがで
きるようです。そしてその殺した責任はボタ
ンを押した一人にあると思います。飛行機の
搭乗者には協力した責任が、命令した上官に
は殺させた責任があると思います。軍人にな
るときは殺人感覚と責任を明確にして就職す
べきと思います。国家の法律は責任を免除す
るかもしれませんが、真理の法則は、だれも
どうにもできないと思います。
にしやま せいいち
農家。今もトラクターなどを運転。
1931年、石川県江沼郡三谷村(現加
賀市)生まれ、在住。
1940年、父が中国戦線で死去。
1942年、父が靖国神社に合祀される。
1992年、三谷小学校横の土地を買い
憲法九条碑を建立(私費)。

2018.5.2 朝日新聞より
〈参考〉
靖国問題を考える映像ドキュメンタリー
2021.12.4 徳島新聞
佐藤行俊さんの記事
(服部順治さんツイッターから)
2021.11.16 同新聞電子版の記事