非戦、自由の実現へ(1)

【2021年1月6日配信 NO.97】

  女性と天皇制 



      神奈川県川崎市

       銃後史研究者  加納 実紀代    



 女性は天皇制の被害者か


 女性と天皇制のかかわりを問題にする場合、

女性は天皇制の被害者であったという認識が

一般的ではないかと思います。それは、戦前

の家父長制的天皇制国家、その基盤である家

族制度の中で、女性は非常におとしめられて

いた、被害を受けたということです。それは

たしかにその通りで、戦前の民法なんかをみ

ると、その男女差別のひどさはものすごいも

のです。


 しかし私には、女性をたんに天皇制の被害

者としてだけ考えていていいのかという思い

があります。私はいま、十数人の女性たちと

「女たちの現在を問う会」をつくり、十五年

戦争下の女性の軌跡をたどって『銃後史ノー

ト』という雑誌を出しています。


 一九三一年(昭和六年)九月十八日のいわ

ゆる「満州事変」から敗戦の一九四五年(昭

和二十年)八月十五日にいたる十五年戦争の

時期は、天皇制が最も犯罪的な様相を呈した

時期ですが、その時期における女性のあり方

をたどると、女性を被害者としてだけとはい

えない、あえていえば、「天皇制の犯罪性へ

の共犯関係」を認めざるをえないと思うので

す。


 当時の厳しい状況を知らない戦後育ちの私

がそれをいうことは、非常におこがましいと

は思うのですが、私は、女性が歴史の主体で

ありたいと思うからこそ、被害者意識に安住

していてはいけない、他の責任を問うと同時

に自らの責任は責任としてきちんと引き受け

なければならない、それが主体的ということ

の意味だろうと思うのです。


 たとえば、戦中の日本が行なった残虐行為

の一つに、中国人捕虜の生体解剖があります

が、戦後九州大付属病院の看護婦さんがその

ために戦犯に問われたことがあります。これ

に対して、市川房枝や高群逸枝などの婦人運

動家たちが、減刑嘆願書を出した。つまり、

その看護婦さんは医者の命令によって生体解

剖を手伝ったにすぎないのだから、罪に問う

のはおかしいというわけです。


 それはたしかにそうだと思います。医者と

看護婦の関係を考えれば、医者の命令に看護

婦はしたがわざるをえない、だから命令にし

たがっただけの看護婦の罪を問うことはおか

しいということはいえる。法律的にはその通

りですが、だからまったく罪はないんだとい

ってしまっていいかどうか、一人の人間とし

て、主体的人間として、法律とは別の次元で

やっぱりそれを自分の責任として引き受けて

いく姿勢がなければならないだろうと思うの

です。


 これは特殊な例といえますが、一般的にい

っても、たとえば私の母は、一九一七年(大

正六年)生まれで敗戦の時は二十八歳ですが、

広島の原爆で軍人だった父が死に、家は焼か

れ、九歳の兄と五歳の私をかかえて戦後は筆

舌に尽くしがたい苦労をしました。そのうえ

原爆症の不安をずっとかかえていたわけで、

その意味ではまさに戦争の被害者です。


 しかしその母は、女学生のころ満州事変が

はじまったわけですが、「皇軍」の勝利、つ

まり日本の中国大陸への侵略を大喜びし、結

婚するなら軍人がいいと思っていたわけです。

これは母だけでなく、一九三三年(昭和八年)

の東京の女学生へのアンケートをみても、将

来の夫の職業として「軍人」と答える娘が激

増しているんですね。


 一九三七年、日中全面戦争がはじまってか

らは南京陥落ーそのとき日本軍による中国人

大虐殺、いわゆる南京虐殺が行なわれたわけ

ですがーを祝って提灯行列をしたり、太平洋

戦争がはじまってからは「大東亜共栄圏」を

信じてひたすら銃後の妻・母として務めはげ

んだわけです。戦争に批判的なキリスト者や

いわゆる主義者は、母にとっては非国民の最

たるもので、毛嫌いしていたわけですね。母

のような女性が多数いたからこそ、あの戦争

の銃後は守られ、天皇制は安泰だったといえ

るでしょう。


 もちろん当時の教育のあり方や女性の置か

れていた状況を考えると、まったく無理もな

かったと思うのですが、でもここで、あの時

は仕方なかったんだ、教育が悪かったんだと

だけいってすましてしまえば、女性が歴史の

主体になる道は閉ざされるし、次の世代に歴

史の真実を伝えられないのではないかと、私

は思っています。



 なぜ日本人は

     戦争の本質を見抜けなかったのか


 私たちの会(女たちの現在を問う会)では、

この間刊行した『銃後史ノート』三号で、女

性が「満州事変」をどうとらえていたかを検

討しましたが、当時の女性たちには、ほとん

ど「事変」の本質がみえていなかったし、そ

れが悲惨な敗戦まで続く大戦争の開幕であっ

たということも分かっていなかったんだなあ、

とつくづく思いました。それはもちろん女性

だけではなくて日本人の大方がそうだったわ

けですが、その原因を考えてみるとき、一つ

は、知識、情報の不足があります。当時の新

聞はあげて、満州事変のきっかけをなした柳

条溝事件、日本の関東軍による満鉄線爆破を、

「暴戻(ぼうれい)な支那兵」によるものと

書きたてていましたし、「日本の生命線=満

蒙を守れ」とキャンペーンをはっていたわけ

です。そうした新聞報道の裏を見抜く力は、

とくに女性たちは養われていませんでしたし、

まして当時は、いわゆる昭和恐慌のさなかで、

民衆の生活は極度に疲弊していました。都会

には失業者があふれるし、農村でも娘の身売

りや親子心中が頻発したり、お弁当をもって

来られない欠食児童がいっぱいいたわけです。

だから、「満州事変」の本質を考えるよりは

食うだけでせいいっぱい、かえって、満州事

変の結果、日本が満州を占領して傀儡国家「

満州国」をつくったおかげで、日本では食え

ない労働者や農民が移住できて大助かりだっ

たわけです。


 これは一般大衆だけじゃなくて、当時の左

翼の一部も、これで日本の失業者救済ができ

ると、日本の中国侵略を肯定してしまうわけ

ですね。


 しかし、日本の民衆が「満州事変」にはじ

まる十五年戦争の本質、侵略性を見抜けなか

ったのはこうした情報不足や生活困窮だけで

なく、もう一つ根本的な原因があると思いま

す。


 それは、感性というか想像力の欠如という

んでしょうか。あるいは、自らを客観視する、

対象化する姿勢がないーーということです。


 私は、あの戦争の本質を見抜くには、それ

ほど知識はいらないんじゃないかと思うので

す。どれほど美辞麗句を並べて支配層が侵略

を合理化しようと、他国の領土に軍隊を出し

ているのはどっちなのか、日本か中国か、と

いうことを考えてみれば、これは明らかに日

本であるわけです。自分の家に他人が武器を

もって入りこんでくればいやだと思うのは当

然で、ちょっと中国人の立場に立って物事を

みる姿勢があれば、中国の人たちがいやがっ

て反抗するのは無理もないと思えたはずでは

ないかと思うんですね。


 しかしそうはならない。それは何故なのか

を考える時、日本人の意識構造の一つの特徴

がみえるように思います。つまり、排他的で

独善的で、自分を対象化できないということ

です。「満州」を侵略して「満州国」を建て

るにあたっては、「五族協和の王道楽土」を

つくるんだということが一つの口実になり、

これを信じて「満州」に渡った人たちもいた

わけですが、これは日本以外の四族ーー満・

支・鮮・蒙ーーの人々からみれば、まったく

日本の一人よがりもいいとこです。


 これは長い間島国で、井の中の蛙でいたせ

いかもしれませんが、だいたい稲作中心の生

産様式にともなう共同体は、中での融和と外

に対する排他性がはっきりしているように思

うのです。たとえば、かつての農村には虫送

りという行事がありましたが、稲に害虫がつ

かないようにという願いをこめて、村の境界

まで虫を送り出すわけです。境界の先は他の

村になるわけですが、そこに害虫がはびころ

うが知ったことでない、とにかく自分の村の

害虫を追い出せばよい、ということです。節

分の豆まきの「鬼は外、福は内」もそうです

ね。


 農村共同体の中で育てられたこうした排他

性、独善性に加え、もう一つ、日本人の意識

構造の特徴として、価値の外在性ということ

があるのではないかと思うんです。つまり、

一人一人のうちに内面的規範をもたないとい

うことです。だから他人はどうであれ、自分

はこう思う、ということが弱い。みんながそ

うだからとか、さらに、人がいうから、とい

う形で動いて、付和雷同とか「長いものには

巻かれろ」ということになるわけですね。


 そういう意識構造が基本にあるからこそ、

十五年戦争についても、自分でその本質を考

えてみようとはせずに、政府がいう聖戦イデ

オロギーに、疑問をもつことなくのせられて

しまったのではないかと思うのです。



 天皇制的意識構造と母性の論理


 こうした日本人の意識構造を、私は天皇制

的意識構造と名づけているのですが、ここに

女性と天皇制のかかわりが問題になってきま

す。女性というよりは、母性といったほうが

いいかもしれません。


 日本は、明治維新以来、中央集権的統一国

家を形成するにあたって、天皇を長とする家

族国家論を掲げました。つまり、日本は、欧

米諸国とはちがって、万世一系の天皇を祖(

おや)とする家族国家である、したがって天

皇は、外国の君主のように国民を支配するの

ではなく、国民一人一人を赤子(せきし)と

して慈しむ親のような存在であるというわけ

です。だから「教育勅語」に「克(よ)く忠

に克く孝に」とあるように、「君に忠」とい

うのと「親に孝」というのは、矛盾なく統一

できるわけですね。


 これは、民衆の中にある素朴な親子の間の

感情を天皇を長とする統一国家づくりに利用

したわけですが、このとき親というのは、父

親であるよりも母親的なものであったのでは

ないかと思うのです。


 農耕社会には、母性崇拝、母子神崇拝の風

習がありますが、これは生命を産み出す母性

が、豊穣のシンボルとして崇(あが)められ

たということでしょう。天皇にはもともと、

新嘗祭と神嘗祭といった農耕儀礼があるよう

に、農耕神的な要素があります。が、それに

加えて日本の民衆の間には、母性、母なるも

のへの幻想が根強くあります。


 とくに戦争がはじまってから、日本の母、

日本的母性というものが非常に讃えられます

が、この「日本的母性」というのは、子ども

のためには、自己を犠牲にするという「自己

犠牲」と「献身」が特徴であり、欧米の母親

とはまったく異なったすばらしい点なのだ、

というものです。それから、「無限抱擁」と

いうのでしょうか、己をむなしゅうしてわが

子を慈しみ、無限に抱擁するーーこれが日本

的母性であり、「母心(ははごころ)」であ

るというわけです。


 そして天皇の国民に対する心、すなわち「

大御心(おおみこころ)」は、この母心のよ

うなものなのだと、さかんにいうわけです。

これは、民衆の中に底流としてある「母なる

もの」への憧れを天皇崇拝に直結させるため

に非常に有効であったのではないかと思いま

す。


 天皇制というのは二面性がありまして、外

のもの、多民族や同じ民族でも共産主義者の

ように歯向かう者に対しては、非常に苛酷な

弾圧装置である反面、中の人間に対しては、

「一君万民」とか「一視同仁」とかいう言葉

があるように、非常にやさしく平等に「御仁

慈を垂れ給う」という融和的な面があるわけ

です。


 これは、よくいわれる母親の「わが子意識」

と似通った点があると思うのですが、つまり、

「わが子は非常にかわいがるけれども、よそ

の子はどうなってもいい」「わが子が何か悪

いことをしても、うちの子にかぎって」と、

わが子の罪を認めない、そして、「うちの子

がもし悪いことをしたとすれば、それは友だ

ちが悪いんだ」というふうに、よその子に責

任を転嫁することが往々にしてあります。


 日本人の天皇制的意識構造、排他的で独善

的なあり方は、こうした母親の意識構造に通

ずるところがあるのではないか、そして、「

己をむなしゅうして子のために尽くす」とい

う母親を評価する視点は、自我の確立とか、

個の主張、みんながどういおうと自分はこう

思うという主体的な姿勢とは真っ向から対立

します。自分を犠牲にして他のために尽くす

というのは、一見非常に美しくみえますが、

自らの中に内在的な価値をもたないので、結

局、他人の顔色をみる、大勢に順応するとい

う姿勢につながります。


 女性と天皇制の問題には、こうした日本人

全体の意識構造にかかわる問題があるのでは

ないかと思います。



 天皇制国家への女性の協力


 さらに実際問題として、天皇制が最も犯罪

的な様相を帯びた十五年戦争の間、女性が男

たちを戦争に駆り立てるために非常に協力し

たということがあります。


 その最たるものは一九三二年、十五年戦争

開始の翌年に結成された国防婦人会です。こ

れは、最初はまったく無名の主婦の自発性か

ら出来たものですが、戦争拡大とともに全国

の女性を急速に組織化し、一千万人の大集団

になりました。そして、出征兵士の見送りや

慰問、遺骨の出迎え等々、兵隊さんのために

と、一生懸命働いたわけです。こうした女性

たちの活動がなければ、もっと早く兵士たち

の間に反戦・厭戦意識が広がり、戦争継続は

不可能だったかもしれません。


 また、男が戦場に駆り出されたあとの軍需

工場にも女性たちが動員されて、武器、弾薬

の製造にはげみました。十五年戦争開始前の

一九三〇年、約百万人だった女性労働者が、

敗戦時には五~六百万人にも増えています。

それだけはでなく、日中戦争開始後にはじま

った国民精神総動員運動に、市川房枝さんは

じめ数多くの婦人運動家が協力しましたし、

山高しげりや高良とみ、羽仁説子といった人

たちが大政翼賛会に参加するなど、婦人参政

権はなかったけれど、戦時体制の中枢に入っ

た女性も多かったわけです。


 戦時下におけるこうした女性の社会進出を

とらえて、戦時体制は、女性解放にプラスで

あったと評価する動きがありますが、私は、

他国への侵略戦争を支えるための女性の社会

進出は、真の解放とはいえないのではないか

と思っています。


 ともあれ、女性と天皇制を考えるにあたっ

ては、女性をたんに天皇制の被害者とだけと

とらえるのではなく、こうした共犯性の面を

も直視して、女性自身の今後のあり方を考え

るべきではないでしょうか。



 天皇制と「近代」を超えるために


 現在天皇制は、かつてのような国家権力と

しての機能をもってはいませんが、日本人の

天皇制的意識構造は、依然として根強くある

ように思います。女性たちは、参政権をもち、

教育程度も向上し、情報はあふれるほどあり

ます。生活は豊かになり物があふれ、そして

数多くの女性たちがさまざまな分野で働き、

経済的自立をかちとっています。


 しかし、それで本当に自律的・主体的に生

きているかといえば、必ずしもそうはいえな

いのではないでしょうか。自分自身の内面的

価値にもとづいて主体的に判断するというよ

りも、マスコミ情報に右往左往し、みんなが

行くからと子どもを学歴社会のレールにのせ

るために、必死になっている母親も多いので

はないでしょうか。


 それに、社会の「近代化」にともなって、

家族や地域社会が解体され、人間関係が個々

バラバラな冷たいものになっていくと、かつ

ての「共同体的な、母性的な暖かい人間関係」

に対する憧れが人々の間に広がってきます。

たしかに母性の論理、女の論理は、生産性や

効率の観点で人間を選別し切り捨てるのでは

なく、生きとし生けるもの、生命あるものを

差別なくはぐくみ育てるという普遍性をもっ

ているはずだと思います。


 しかし、それをアプリオリに評価し、母性

に安住するとき、ともすれば、先に触れたよ

うに天皇制にとりこまれ、排他性と独善性を

帯びることになりがちです。


 効率と選別の論理で突っ走る「近代」を超

えるために、母性の論理、女の論理を有効な

らしめるためには、それを一人一人の内面的

価値として主体的に受けとめると同時に、自

らを対象化する視点を常に鍛えなければなら

ないでしょう。


 女性解放や女の自立を考えるにあたっても、

私たちは、現在の社会における女性の量的進

出や地位向上ではかるのではなく、この女の

論理の普遍性に依拠して、戦争や差別のない

社会をつくるにはどうすればよいか、そのた

めには、どのような生き方、生活のあり方を

すべきかを、常に考えていかなければならな

いのではないかと思います。











『天皇制を問うー2・11集会・講演集ー』

(名古屋YWCA発行)より

  第54回「現代の声」講座で上述と同趣旨の

  提言。


〈参考〉

  加納実紀代さんの著書

 『女たちの〈銃後〉』 (筑摩書房,1987年)

 『「銃後史」をあるく』 (インパクト出版会,

 2018年)など。

 また、靖国問題を考える映像ドキュメンタ

リー『まだ軍服を着せますか?』(1989年、

VHS、小社企画発行)のナレーションと最終

映像の監修を伊藤正孝さん(当講座 NO.8の

記事執筆者)とともにしている。  同ビデオは、

現在、DVD第30版 (2019年11月14日付け) を

発行中である。  

 当講座NO.5、11、16、76の記事も併せて

参照していただきたい。

  

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 【2024年1月28日配信】   おばばの言葉                       白山市 番匠 俊行                                私の両親は石川県石川郡美川町(現白山 市)に生まれ育ちました。両親のそれぞれ の両親も同町の生まれ、育ちです。除籍簿 を見ると、私の先祖は全員、明治初期から 同町の住人でした。  私は高校時代まで美川で育ち、そのあと 関東の大学を卒業し、宮城県内で就職し、 現在、郷里の美川で塾教師をしています。  私の祖母は1900年生まれで伝統産業 の美川刺繍をしていました。亡くなるまで 町から一歩も出たことがなく、町の人たち との会話を楽しみに生きていたようです。  その会話を耳にした一端をご紹介します。  美川町は手取川の河口の町で日本海に面 しています。作家の島田清次郎、詩人の邑 井武雄、政治家の奥田敬和、歌手の浅川マ キらの出身地でもあります。  「美川弁」といってもいい言葉は、隣町 の能美郡根上町(現能美市)や能美郡川北 村(現能美郡川北町)、石川郡松任町(旧 松任市、現白山市)ともちょっと異なって いると思います。  私は金沢市内の高校に通ったのですが、 私の話す言葉がおかしいと、いつも友人に 笑われていました。言葉だけで伝えるのは 難しいのですが、動詞、形容詞、形容動詞 のエ音便がイ音便になったり、また、人名 や名詞の発音のアクセントや抑揚、強弱、 長短が独特みたいです。  鹿児島弁が混じっているのではないかと 言う人もいます。もしそうであれば、最初 の石川県庁が美川町に置かれたことと関係 しているのかもしれません。内田政風とい う薩摩藩士がトップとなりはるばるこの町 にやって来たと聞いています。ひょうきん な美川の人たちが薩摩から来た役人たちの 言葉をおもしろがって真似して、流行らせ、 それがそのまま一部根づいたのではないか と思ったりもしています。  内田はなぜか金沢県とすることを拒否し、 県名を石川郡から拝借して石川県にし、さ らに「美川県」にとまで県名をかえようと したと聞きます。石川県はあわや美川県に なっていた可能性もあったということです。  これはこれでおもしろい話ですが、内田 は、美川町を中心にした金沢以上の新たな 県都を、白山を源として流れる県内最大の 河川・手取川(石川)を

311. レジェンド記者、真実を追う

 【2023年8月2日配信】小社発信記事      木原事件、ジャニーズ事件、 松本VIP事件、 自民裏金脱税事件、政治、ジャーナリズム                      佐藤章 さんの発言とともに考える            尾崎豊『ダンスホール』1984.3.15  東京新宿RUIDO 浅 川マキ/ ライブ夜 1977.11.19 京大西部講堂 桃山晴衣『遊びをせんとや生まれけん』 最新順 ジャニーズ・松本VIP事件、震災その他記事 当講座記事NO.320 2024.3.6 谷本誠一さん、中川秀直衆議秘書時代を語る 広島県前呉市議(6期)の谷本さんが 高校生の インタ ビューに応えてパー券販売、地盤培養活動などを話す。 撮影 2023.8.3 2021.5.21 佐藤章さんスクープ解説動画 第二次安倍内閣安倍晋三首相退陣の真相 木原事件を考える 2023.8.2 志あるジャーナリストへの呼びかけ .  2023.8.20 黒澤明『天国と地獄』仲代達矢の圧巻の台詞 .                       「被害者・遺族の無念を晴らす。これが刑事の仕事」     佐藤誠元刑事記者会見 2023.7.28 コロンボ、安浦吉之助、 十津川省三、杉下右京をしのぐ 佐藤誠さん の 言葉。「 日本の心」はまだまだ生きている。 同時に加害者側の動機、心情も併せて理解すべきである。 日本の歴史、社会、政治を変える日本史上最高記者会見                    2023.8.8 真犯人 Z氏と木原氏の人生を考える 2023.8.17 事件当日の Z 氏の行動を考察する 2024.8.24 民主主義の岐路.検察再捜査の動き    2029.8.30 事件のもみ消しを決して許してはならない    2023.8.31 事件を報道しない既存のメディアへの怒り                                                     文春報道によれば、2006 年 4月 9日の 午後10時ごろに東京都内で安田種雄さんと いう方が殺されたが自殺とされた。そして 2018年春に捜査が再開されたが、本格的な 捜査に入ろうとした矢先の同年10月下旬に 捜査が突然打ち切られた。  この事件の捜査に当たった警視庁元刑事 の佐藤誠さんが、先月28日

327. 能登はやさしや土までも

 【2024年1月8日配信】          お金から「いのち」の時代へ(10)             たくましくやさしき能登に光させ                    2024年3月11日              気仙沼市 菅野 千鶴子                              二隻だけでは足りない話にならない      被災者全員を救う方法を考えるべき    「五百年のひびき」   「日々是稽古」 .        輪島名舟の人たちへのインタビュー .    当講座記事NO.318 世界に範たる日本国になるには 強震モニタ .    地震情報 .                           緊急に避難所の設備充実を          大地震から一週間たった今、改めて 以下の記事を再掲します。   日本海側の原発の現況が気になります。  当講座記事 NO.296と 297で珠洲原発  のことに言及しました が、珠洲原発が  建設されていたらこの地震で日本列島  と朝鮮半島には人が住めなくなってい  たのではないでしょうか。珠洲原発を  絶対に安全だと主張して推進していた  関 西 電力、中部電力、北陸電力、経産  省、政府は 謝罪声明を出すべきだと思  います。    震災被災者の避難先に下記写真のように  ビニールハウスが何箇所かありました。  ここは個人や隣近所で自主的に避難した  場所だと思います。ビニールハウスは、  地震に強いのではないでしょうか。    また、私は高校時代、山岳部で部活動を    していたのでその経験からすれば、冬用    テント、ツエルト、シュラフ、ヤッケ、  ポンチョ、コッフェル、ラジウスなどの  山岳装備を キ スリングに入れておき、 か  つ、テントの張り方、炊事の仕方を日頃  から練習し、いつでも野営に備えていた  らいいのではないかと思いました。  もっともこれらに相当する準備は、国、  県、市町 村の首長や各議員が、常日頃か  ら個人の人権とプライバシーに心配りを  したうえで、率先してしなければならな  い極めて重要な政治の仕事であると思い  ます。特に今現在おこっている震災は、  何年も前から充分に予測できたことだけ  に、最低でも上記の準備だけはできたは  ずです。「残念」とか「遺憾

266. 混迷する現代と統一協会 

【2022年8月28日配信】        親友ヨッチにささげる手記          -最期まで友情を信じて-                  石川県河北郡津幡町                 書店員 22歳  酒井 由記子  人は、どんな人と巡り合うか、どんな本 と出会うかによって人生が決まってくると、 ある作家が述べていたのをふと思い出す。 私にとってはまさにそうであった。出会っ た人達も書物もとても大きな影響を残し、 忘れられない出来事となっていったのであ る。   一、高校生の頃  今から六年前(1977年)、私は金沢 二水高校の二年生であった。いや二年生と いうより吹奏楽部生というほうが適切であ るほど私は部活動に情熱を注ぎ込んでいた。 みんなでマラソン、腹筋運動をしてからだ を鍛えあげ、各パートごとでロングトーン をして基礎固めをなして、全員そろって校 舎中いっぱいに響きわたるハーモニーを歌 いあげる。それは、先輩、後輩、仲間達の 一致によって一つの音楽をつくり出すとい う喜びを存分に味わった私の青春時代の真 っ盛りであった。ただ残念なことは、部活 動に熱中すればするほど勉強のほうはさっ ぱり力がはいらなかったことである。中学 生のときは、「進学校にはいるために」と いうただそれだけの目的で受験勉強ができ た。しかし、いざ高校にはいってみると、 また「いい大学にはいるために」と先生方 が口をすっぱくして押しまくる文句に素直 になれなかった。勉強する本当の意味が見 出せなかったのである。その頃から、私は 人間は何のために生きるのだろうかという ことまで突っ込んで考えるようになってい った。  父母が書店を経営しているため本は充分 にあり、書物を読むことによって答えを見 出そうとした。私の強い求めに応じるかの ように一冊の本が転がり込んできた。クリ スチャン作家である三浦綾子さんの『あさ っての風』という随筆集であった。聖書の 言葉がそこに登場しており、それはズシリ と心に響いたのである。その本に魅せられ て三浦さんの自叙伝も何冊か読み進めてい った。しだいに私の魂は、人間をはるかに 越えた大いなる存在があることを感じてい った。確信までは至らなかったけれども、 それらの本によって金沢のプロテスタント の教会に足を運び、牧師さんのお話を聞く ようにもな

272. 「命」の新文化創造の世へ

【2022年10月4日配信】        学級通信「あいこでしょ」の願い                       小松市立稚松小学校              教諭 辰巳 国雄                                                                   題字 井上碧山さん (北九州市)         絵  本多千鶴子さん(金沢錦丘高校1年) 薪を負いて名定まる  背負い歩き考える二宮金治郎  ロダンの『考える人』よりもりっぱに思える 損得から尊徳の世へ 当講座記事NO.314 山下秀美、哲学の時代へ 同266 酒井由記子、混迷する現代と統一協会 同294 小原基子、おんな川にかかる橋 同303 今野ゆうひ、教え子を再び何処へ送るのか 同318 髙森文子、世界に範たる日本国になるには  学級文集とか、学級通信とか、学級機関 紙 といわれるもの を発行することを、教師 の仕 事の軸の一つに して実践を積み重ねて いる人 がずい分多いと 思う。  私は、学級通信(学級文集・学級機関紙 も 含めて)を発行してから、もう三十年近 くに なる。あるときは季刊であったり、月 間であ ったり、週刊であったり、日刊であ ったり、 その形はさまざまである。その一 年、一年で 形も異なり、内容も変わってき ている。大ざ っぱな言い方をすれば次のよ うになるだろう。  子どもたちの生活のなかみや、思いや考 え を、本音のところで知りたい。それは、 話す ということででもできるかも知れない が、数 十人の学級の子どもたち全員の本音 を知るこ とはむずかしい。話すことの不得 手な子でも 書くことによって本音を語って くれるだろう。 また書くことによって、さ らに、自分の生活 や、思いや考えを、見つ め直すことになり、 印刷されたものを通し て、学級のみんなの共 通の認識を得られる だろう。共通の認識を持 った学級集団(子 どもたち)は、それをステ ップに、学級集 団の文化を創り上げていく力 にするだろう。  これが、私の教育の大きな柱だった。こ う して始めた学級通信発行の仕事は、子ど もた ちの全面発達を願う私の教育実践のそ のとき そのときの証しともなるものになっ た。学級 通信が発行できなくなるというこ とは、私と 子どもた

280. 湯の人(4)現実と夢

 【2022年11月22日配信】   大きな便り                       加藤 蒼汰          秋とはいっても冬のような寒い夜だった。 浴室にはだれもおらず、脱衣場には番台に 座っている銭湯の主人と私ともうひとり。  その人は銭湯の近所の人であり、かつて 高校の教員をしていた。在職当時、馳浩・ 現石川県知事を教えていたと語っている。 八十歳を超えている。  この銭湯でよく顔を合わせ、会うたびに 知事の高校在学中のエピソードを繰り返す ので、私はその話の内容をすっかり諳んじ られるようになってしまった。高校入学時 から卒業までの様子、レスリング部での活 躍などであるが、私が特に感銘を受けた話 は、知事は高校時代、冬、雪が降り積もっ た朝には真っ先に早出登校して、生徒・教 職員を思いやり、校門から校舎玄関入り口 までの路をひとりスコップで雪かきをして いたというくだりである。  そんなすばらしい教え子をもつ元先生が、 服を脱ぎ裸になって浴室入り口に向かって 五、六歩あるきながら大便を三個落とした のである。気づかずに落ちたようなので、 私は「先生、落としもの」と声をかけると、 「ありりー、まったく気いつかんかった。 あはははは」と笑うのである。  私は、脇にあったチリトリでこの塊をす くいとり、「みごとな色と固さやね」と言 いながらトイレに流した。しかしながら、 脱衣場にはその匂いが全面に沁みわたり、 息が苦しくなるほどだった。このとき私は、 幼いころサーカスを見たときのことを思い だした。  それは曲芸をしていた象が巨大な大便の 塊を三個落とし、団員があわててスコップ で拾いあげていた光景であった。このとき の衝撃の記憶がよみがえり、私にとっさに チリトリを思いつかせたような気がする。 本を読んでいた番台の主人もその匂いで事 のいきさつに気づき、「匂いもすばらしい ね」と笑いながら脱衣場の窓を全開し床を 雑巾でふいてくれたが、その強力な匂いは 容易に消えなかった。  その間、先生は先に浴槽へ入り、気持ち よさそうに浸かっていた。私は先生と湯壺 にいっしょに漬かることに一瞬躊躇したが、 免疫機能が高まるまたとないチャンスでは ないかとの思いも何ゆえか突然こみあげて きて湯船に同席、お伴したしだいである。  「よくあることなんけ」と湯中、思わず

275. スポーツを文化にするために

【2022年10月10日配信】     交驩のエール     花開きつつあるエンジョイベースボール    「学生野球考」          慶應義塾大学野球部監督                   前田 祐吉      「サード!もう一丁!」「ヨーシこい」 と いう元気な掛け声の間に、「カーン」と いう 快いバットの音がひびくグラウンドが 私の職 場である。だれもが真剣に野球に取 り組み、 どの顔もスポーツの喜びに輝いて いる。息子 ほどの年齢の青年たちに囲まれ、 好きな野球 に打ち込むことのできる私は、 つくづく、し あわせ者だと思う。  学生野球は教育の一環であるとか、野球 は人間形成の手段であるということがいわ れるが、私の場合、ほとんどそんな意識は ないし、まして自分が教育者だとも思わな い。どうしたらすべての野球部員がもっと 野球を楽しめるようになるのか、どうした らもっと強いチームになって、試合に勝ち、 選手と喜びを共にできるのか、ということ ばかり考えている。  野球に限らず、およそすべてのスポーツ は、好きな者同志が集まって、思いきり身 体を動かして楽しむためのもので、それに よって何の利益も求めないという、極めて 人間的な、文化の一形態である。百メート ルをどんなに早く走ろうと、ボールをどれ だけ遠くへカッ飛ばそうと、人間の実生活 には何の役にも立たない。しかし、短距離 走者はたった百分の一秒のタイムを縮める ために骨身をけずり、野球選手は十回の打 席にたった三本のヒットを打つために若い エネルギーを燃やす。その理由は、走るこ とが楽しく、打つことが面白いからにすぎ ない。さらにいえば、より早く走るための 努力の積み重ねが何物にも替えがたい喜び であり、より良く打つための苦心と練習そ のものに、生きがいが感じられるからであ る。  このように、スポーツは余暇を楽しみ、 生活を充実させるための手段で、それ以外 には何の目的もないはずである。むしろ目 的のないことがスポーツの特徴であり、試 合に勝つことや良い記録を出すことは、単 なる目標であって終局の目的ではない。  かつて超人的な猛練習でスピードスケー ト の王者といわれ、冬季オリンピックの金 メダルを独占したエリック・ハイデンは「 金メダルは私の人生の目的ではない。それ に至るプロセスの喜びが私
         柿岡 時正
         廣田 克昭
         酒井 與郎
         黒沢  靖
         神尾 和子
         前田 祐吉
         廣田 克昭
         伊藤 正孝
         柿岡 時正
         広瀬 心二郎
         七尾 政治
         辰巳 国雄
         大山 文人
         島田 清次郎
         鶴   彬
         西山 誠一
         荒木田 岳
         加納 韻泉
         沢田 喜誠
         島谷 吾六
         宮保 英明
         青木 晴美
         山本 智美
         匂  咲子
         浅井 恒子
         浜田 弥生
         遠田 千鶴子
         米谷 艶子
         大矢場 雅楽子
         舘田 信子
         酒井 由記子
         酒井 由記子
         竹内 緋紗子
         幸村  明
         梅  時雄
         家永 三郎
         下村 利明
         廣田 克昭
         早津 美寿々
         木村 美津子
         酒匂 浩三
         永原 百合子
         竹津 清樹
         階戸 陽太
         山本 孝志
         谷口 留美
         早津 美寿々
         坂井 耕吉
         伊佐田 哲朗
         舘田 志保
         中田 美保
         北崎 誠一
         森  鈴井
         正見  巖
         正見  巖
         貝野  亨
         竹内 緋紗子
         滋野 真祐美
         佐伯 正博
         広瀬 心二郎
         西野 雅治
         竹内 緋紗子
         早津 美寿々
         御堂河内 四市
         酒井 與郎
         石崎 光春
         小林 ときお
         小川 文人
         広瀬 心二郎
         波佐場 義隆
         石黒 優香里
         沖崎 信繁
         山浦  元
         船橋 夕有子
         米谷 艶子
       ジョアキン・モンテイロ
         遠藤  一
         谷野 あづさ
         梅田 喜代美
         小林 ときお
         中島 孝男
         中村 秀人
         竹内 緋紗子
         笠尾  実
         前田 佐智子
         桐生 和郎
         伊勢谷 業
         伊勢谷 功
         中川 清基
         北出  晃
         北出  晃
         広瀬 心二郎
         石黒 優香里
         濱田 愛莉
         伊勢谷 功
         伊勢谷 功
         加納 実紀代
         細山田 三精
         杉浦 麻有子
         半田 ひとみ
         早津 美寿々
         広瀬 心二郎
         石黒 優香里
         若林 忠司
         若林 忠司
         橋本 美濃里
         田代 真理子
         花水 真希
         村田 啓子
         滋野 弘美
         若林 忠司
         吉本 行光
         早津 美寿々
         竹内 緋紗子
         市来 信夫
         西田 瑤子
         西田 瑤子
         高木 智子
         金森 燁子
         坂本 淑絵
         小見山 薫子
         広瀬 心二郎
         横井 瑠璃子
         野川 信治朗
         黒谷 幸子
         福永 和恵
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         秋山 郁美
         加藤 蒼汰
         森本 比奈子
         森本 比奈子
         吉村 三七治
         石崎 光春
         前田 佐智子
         前田 佐智子
         前田 佐智子
         前田 佐智子
         中野 喜佐雄
         八木  正
         堀  勇蔵
         家永 三郎
         広瀬 心二郎
         菅野 千鶴子
         海野 啓子
         菅野 千鶴子
         海野 啓子
         石井 洋三
         小島 孝一
         キャリー・マディ
         谷本 誠一
         宇部  功
         竹内 緋紗子
         谷本 誠一
         酒井 伸雄
163、コロナ禍の医療現場リポート
         竹口 昌志
164、この世とコロナと生き方を問う
         小社発信記事
165、コロナの風向きを変える取材
         橋本 美濃里
166、英断の新聞意見広告
         小社発信記事
167、ワクチン接種をしてしまった方へ
         小社発信記事
168、真実と反骨の質問
         小社発信記事
169、世論を逆転する記者会見
         小社発信記事
170、世界に響けこの音この歌この踊り
         小社発信記事
171、命の責任はだれにあるのか
         小社発信記事
172、歌人・芦田高子を偲ぶ(1)
         若林 忠司
173、歌人・芦田高子を偲ぶ(2)
         若林 忠司
174、歌人・芦田高子を偲ぶ(3)
         若林 忠司
175、ノーマスク学校生活宣言
         こいわし広島
176、白山に秘められた日本建国の真実
         新井 信介
177、G線上のアリア
         石黒 優香里
178、世界最高の笑顔
         小社発信記事
179、不戦の誓い(2)
         酒井 與郎
180、不戦の誓い(3)
         酒井 與郎
181、不戦の誓い(4)
         酒井 與郎
182、まだ軍服を着せますか?
         小社発信記事
183、現代時事川柳(六)
         早津 美寿々
184、翡翠の里・高志の海原
         永井 則子
185、命のおくりもの
         竹津 美綺 
186、魔法の喫茶店
         小川 文人 
187、市民メディアの役割を考える
         馬場 禎子 
188、当季雑詠
         表 古主衣 
189、「緑」に因んで
         吉村 三七治 
190、「鶴彬」特別授業感想文
         小社発信記事
191、「社会の木鐸」を失った記事
         小社発信記事
192、朝露(아침이슬)
         坂本 淑絵
193、変わりつつある世論
         小社発信記事
194、ミニコミ紙「ローカル列車」
         赤井 武治
195、コロナの本当の本質を問う①
         矢田 嘉伸
196、秋
         鈴木 きく
197、コロナの本当の本質を問う②
         矢田 嘉伸
198、人間ロボットからの解放
         清水 世織
199、コロナの本当の本質を問う③
         矢田 嘉伸
200、蟹
         加納 韻泉
201、雨降る永東橋
         坂本 淑絵
202、総選挙をふりかえって
         岩井 奏太
203、ファイザーの論理
         小社発信記事
204、コロナの本当の本質を問う④
         矢田 嘉伸
205、湯の人(その2)
         加藤 蒼汰
206、コロナの本当の本質を問う⑤
         矢田 嘉伸
207、哲学の時代へ(第1回)
         小社発信記事
208、哲学の時代へ(第2回)
         小川 文人
209、コロナの本当の本質を問う⑥
         矢田 嘉伸
210、読者・投稿者の方々へお願い
         小社発信記事
211、哲学の時代へ(第3回)
         小社発信記事
212、哲学の時代へ(第4回)
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213、小説『金澤夜景』(2)
         広瀬 心二郎
214、小説『金澤夜景』(3)
         広瀬 心二郎