「鶴彬」特別授業感想文
【2021年9月9日配信 NO.190】
小社発信記事
宇部功先生特別授業感想文
(鶴彬通信『はばたき』第36・37号から)
2019年 6月28日、石川県かほく市立
高松小学校および大海小学校の六年生に
宇部功さんによる「鶴彬」の特別授業が
それぞれの学校の教室で行われました。
以下はこの授業を受けた児童の方々の
感想文です。
盛戸 悠真さん
ぼくは鶴彬さんの「手と足をもいだ丸太
にしてかへし」という川柳の意味を知りま
した。その意味はとてもおそろしくて、も
いだというのは無理にとるという意味で手
や足をむりやりとり丸太みたいにしてかえ
すという意味だそうです。とてもぞっとし
てこわかったです。
ほかにも戦争の様子を伝える川柳はいろ
いろありましたが、その中でも印象に残っ
たのは「胎内の動き知るころ骨がつき」と
いう句です。その意味はもうすぐに子ども
が生まれるというのに、父さんの骨が渡さ
れるという意味だそうです。骨が入ってい
るだけじゃなく石が何個か入っているだけ
の人もいたことを教えてもらい、家族の悲
しむ顔が頭に浮かびました。
鶴彬さんの川柳について知るほど、戦争
をなくすためにぼくたちは何ができるかを
考えることが大切だと思います。
山本 莉子さん
私は「鶴彬さん」という戦争のことをた
くさんの人に伝えようとしたすごい人がい
ることを初めて知りました。
鶴彬の何がすごいかというと戦争はして
はいけないと反戦のメッセージがこもった
川柳を残したところです。声に出して戦争
なんかしたらだめだというとたいほされる
時代なのに、自分のことより他の人に伝え
ることをえらんだことがとてもすてきでし
た。
一つ一つの句に、言葉に、鶴彬の思いが
こめられていることがすごいと思いました。
私だったらぜったいに無理です。
鶴彬さんが伝えたかったことを受けつぎ、
自分にできることを考えたいと思います。
やっぱり戦争はこわいし、ぜったいにして
はいけないことだとよく分かりました。
遠藤 大勝さん
今日のお話までつるあきらという人物は
まったく知らなかったけど、今日の話でつ
るあきらはとても平和主義でなにより戦争
がきらいということがわかったから、自分
でも調べてみたいし、田中正造さんや与謝
野晶子さんのことも少しわかったから調べ
てみたくなりました。今日の授業はとても
いい経験になったからお母さんにも今日の
ことを教えたくなりました。ありがとうご
ざいました。
岡田 悠さん
今まで道徳などで戦争は絶対にやっては
いけないということを学んできた。ぼくは
今日鶴彬さんのような人がいたから戦争が
終わったと思う。なぜなら戦争をやめよう
と全国に広める人がいないといっこうに終
わらないと思うからだ。そして、このこと
を全国に広めるために自分の命をぎせいに
してまでやる鶴彬さんは本当にすごい人だ
なと思った。そして、この鶴彬さんのこと
をサポートしていた人もすごいと思う。今
日、この話を聞いていろんな人に興味を持
つことができた。
香林 芽生さん
鶴彬さんの名前は聞いたことはあったけ
どどんな人なのかは知らなかった。鶴彬さ
んは、戦争はしてはいけないという意味で
川柳を書いた。この時代は戦争のことを話
しただけで逮捕されてしまうと知った。そ
して外国の言葉を口に出してはいけないと
知った。こんなに苦しい時代なのに鶴彬さ
んは、「今自分がやらなくてだれがするん
だ。」と言って逮捕が目に見えてるのに川
柳を書いて、つかまってとてもすごい人だ
と思った。鶴彬さんが書いた川柳には、と
ても深い意味がこめられていると知ったの
でこれからも鶴彬さんのことを調べたいと
思った。
杉本 祐理さん
鶴彬さんの名前は少し聞いたことがあっ
たけど、他のことはなにも知らなくて今日
の授業を受けて、高松出身だということや
戦争の辛さ、川柳のすばらしさについても
くわしく知ることができたのでよかったで
す。そして、鶴彬さんのほかにも石川啄木
さんや田中正造さんなどの人物のことを知
ることができて、もっと本やインターネッ
トでも調べてみたいと思いました。今日、
勉強した中で一番おどろいたことは、鶴彬
さんが石川啄木さんの大ファンだったとい
うことです。まだまだ、石川県の歴史人物
について知らないことがたくさんあるので、
また授業を受けてみたいと思いました。
曽原 楓雅さん
鶴彬さんは戦争を反対と言うとつかまる
と知りながら、みんなのために戦争をやめ
ようという表現をした川柳を書いたところ
がぼくはすごいと思いました。この授業を
して、ぼくは何事にも屈せず、目標を達成
するまであきらめないようにしていきたい
と思いました。
竹中 彩音さん
今日の特別授業で鶴彬さんについてたく
さん学べました。鶴彬さんは戦争の時の苦
しみを表したり川柳に込められた意味が分
かりました。また、他の有名な人について
も分かりました。自分は「手と足をもいだ
丸太にしてかへし」が心に残りました。
その時のことについて想像すると、自分
も戦争がこわいと思いました。宇部先生が
言っていた「戦争は永遠に続く」という言
葉の意味を深く考えるにつれて、戦争のお
そろしさがより分かりました。鶴彬さんは
戦争はいけないという川柳を残していてす
ごいと思いました。石川県にこんな有名な
人がいて自分もびっくりしました。戦争は
やはり危険なので、次の世代にそのことに
ついて伝えていきたいと思います。これか
ら鶴彬さんについてよりくわしく知りたい
と思いました。
豊田 菜々子さん
私は高松にこんなにすてきな人がいると
は思わなくて、宇部先生の話を聞いて鶴彬
さんのことや鶴彬さんの句をこまかく教え
てくれてありがとうございました。私は鶴
彬のことは聞いたことがなかったけど、宇
部先生の話を聞いてとてもわかったので機
会があったらほかの鶴彬のことを調べたい
と思いました。
岡田 優さん
鶴彬さんは「戦争なんかしちゃいけない」
と決意し、戦争を詠んだ「川柳人」に発表
した。しかし、鶴彬さんは29才でなくなり
ました。私は、一番心に残っているのは、
田中正造のことを知れたことです。また、
鶴彬さんのことをもっと知りたいと思った。
山本 羽音さん
鶴彬さんは、自分の身がどうなってもい
いから、戦争は絶対にいけないという川柳
を残していったのはすごいなと思った。今
になっても語り続けられてたくさんの人に
知られるほどすごい人が高松出身とは高松
のほこりだと思う。今日の話はとても大事
で忘れてはいけないことだと思った。「戦
争はいけない」というだけでつかまってし
まう。昔は、私は絶対に生きていけないと
思った。そんな世の中なのに国の決まりに
背いてどれだけ戦争がダメなものなのかを
命をかけて伝える鶴彬さんは、宇部先生が
言ったように全国の教科書にのせてもいい
人物だと私も思った。「戦争はいけない」
と伝える川柳を世の中に出す前に、先生に
「つかまるよ」と言われていたのに、それ
にかまわず出したのは本当に戦争を止めた
かった思いが分かった。
喜多 英佑さん
宇部さんがいっていたように、鶴彬は戦
争に対してのいかりが強いことがすごく分
かった。自分、家族、友人までをぎせいに
し川柳を通し人々に戦争はよくない、戦争
はやっちゃいけないと、戦争に反対すれば
逮捕される時代でも呼びかけたからだ。「
万歳とあげて行った手を大陸において来た」
など、たくさんの戦争に対するいかりを川
柳に書いた鶴彬は高松のほこりだと思った。
南 恵梨香さん
鶴彬さんのことは多少知っていたけど人
生の最初から最後までを知っていたわけで
はないので、いい勉強になりました。鶴彬
さんは苦労をして生きる人生を歩んでいて、
でも心強く大樹のように生きていたと思い
ます。そのころの日本は戦争に対する不満
をいっただけでつかまって、でも昭和三年
に何もしていないとは思うけどプロレタリ
ア研究会のメンバー三人が検挙される事件
が起きて鶴彬さんはとてもショックを受け
たと思います。病にかかっても、かんし付
きで入院していて息がつまるような思いを
したと思います。でも、そんな中で詩や川
柳などを作っていた鶴彬さんを私はそんけ
いします。
櫻井 悠華さん
私は、鶴彬という人を初めて知りました。
鶴彬さんは戦争はまちがっているとみんな
に気づいてもらうため、戦争を詠んだ川柳
を書きました。戦争があった時代では、「
戦争なんかしちゃいけない」と口に出して
いうとたいほされるのにすごい勇気がある
なぁと思いました。私が一番心に残った川
柳は「手と足をもいだ丸太にしてかへし」
で、この川柳を詠んだときは、戦争があっ
た時代はますいがないから、体をおさえつ
けられてむりやりとられていたのでとても
痛くてつらかっただろうなと思いました。
自分だったらすごくいやだと思いました。
もう一つ心に残った川柳が「出征の門標が
あってがらんどうの小店」という川柳でこ
れを読んだとき、戦争に無理やりつれてい
かれるのがとても悲しいと思いました。戦
争は絶対これからもやってはいけないと思
いました。
武田 竜佑さん
今回の話を聞いて鶴彬さんはすごい人だ
とわかりました。鶴彬さんは「戦争」とい
うやってはいけないもののこわさを十七文
字で残しています。その一つの「手と足を
もいだ丸太にしてかへし」という川柳があ
ります。鉄砲でうたれて手や足に入った玉
のところがくさって、ますいもせずに玉が
入った手や足を切られて返したという意味
で、とても昔の日本はひどいことだなと思
いました。そしてもう一つ「高粱の実りへ
戦車と靴の鋲」。この川柳は「高粱」とい
う植物をかり取り小屋を燃やし、かり取り
をじゃました人がじゅうで殺されるという
川柳です。この川柳もざんこくだなと思い
ました。こんな川柳を残した鶴彬さんは宝
だと思いました。これからは戦争のない時
代にしていきたいです。
松田 千宙さん
ぼくは、今の時代に生まれてきてよかっ
たと思いました。なぜなら、今日高松出身
の鶴彬さんのことを初めて知り、鶴彬さん
の生きていた時代は自由に自分の思いや考
えを世間に伝えられなかったと学んだから
です。鶴彬さんは、戦争に反対して戦争に
よる悲しみや苦しみを川柳に込めてみんな
に広めた人です。それによって警察につか
まってごう問されて29才でこの世を去った
鶴彬さんは命をはって戦争反対をうったえ
続けた人でした。ぼくたちは、これからも
鶴彬さんのように戦争に反対していかなけ
ればいけないと思います。そうしなければ、
鶴彬さんは、何のために自分の命をぎせい
にしたのかが意味の無いものになってしま
うと思います。みんな仲良く、協力して戦
争をなくしていきたいと思いました。
森 月海さん
石川県生まれの鶴彬さんについて勉強し
てこの時代は戦争がおきていて、敵からの
こうげきを受け、足や手に鉄ぽう玉が入る
とむりやりもぎとらなければいけないと初
めて知りました。この時の人はたくさん悲
しくて苦しい思いをしてきたんだと思いま
す。私はこのころ戦争があることを知って
こう思いました。「なぜ戦争をおこしたの
かな? 戦争がなければこんな苦しむ人な
んていなかったと思うのに」と思いました。
戦争がおきたのは日本が始めたことだから
もしこの時私が生きていたら今すぐあやま
りたいです。なぜかというとみんなに苦し
い思いをしてほしくないからです。今日学
んだことを生かし「悪いことをしてしまっ
たかな」「ちょっとダメだったかな」と思
った時「ごめんなさい」とすぐいえるよう
になりたいです。
〈以下参考〉
当講座 NO.159 に宇部功さん執筆の
「時代を予見する力」の記事、 NO.
15に鶴彬の「最期の一句」の記事が
あります。併せてぜひ参照していた
だきたく思います。
なお、鶴彬墓碑法要の集いが浄専寺
境内(かほく市高松)にて今月12日
午前10時から、鶴彬をたたえる集い
が同日午前11時から高松歴史公園で
それぞれ行われます。
また、前日午前10時と午後2時から
映画「鶴彬演劇」上映会が浄泉寺で
行われます。
題「鶴彬の反戦川柳」
第40回鶴彬・井上剣花坊祭にて
於.盛岡市 2016.9.17
鶴彬通信『はばたき』第33号
「三尺童子」2021.9.14
【動画】最後の授業
ジュリー・ペネッシ倫理学教授
ウエスタン・オンタリオ大学(カナダ)

冒頭の写真は2015年7月10日に高松
小学校で同校の六年生に対して行わ
れた特別授業「地域の偉人を学ぶ・
鶴彬」から。