「鶴彬」特別授業感想文

【2021年9月9日配信 NO.190】

 小社発信記事                 



 



 




 宇部功先生特別授業感想文

(鶴彬通信『はばたき』第36・37号から)                    


  2019年 6月28日、石川県かほく市立

高松小学校および大海小学校の六年生に

宇部功さんによる「鶴彬」の特別授業が

それぞれの学校の教室で行われました。

 以下はこの授業を受けた児童の方々の

感想文です。               



盛戸 悠真さん

 ぼくは鶴彬さんの「手と足をもいだ丸太

にしてかへし」という川柳の意味を知りま

した。その意味はとてもおそろしくて、も

いだというのは無理にとるという意味で手

や足をむりやりとり丸太みたいにしてかえ

すという意味だそうです。とてもぞっとし

てこわかったです。

 ほかにも戦争の様子を伝える川柳はいろ

いろありましたが、その中でも印象に残っ

たのは「胎内の動き知るころ骨がつき」と

いう句です。その意味はもうすぐに子ども

が生まれるというのに、父さんの骨が渡さ

れるという意味だそうです。骨が入ってい

るだけじゃなく石が何個か入っているだけ

の人もいたことを教えてもらい、家族の悲

しむ顔が頭に浮かびました。

 鶴彬さんの川柳について知るほど、戦争

をなくすためにぼくたちは何ができるかを

考えることが大切だと思います。



山本 莉子さん

 私は「鶴彬さん」という戦争のことをた

くさんの人に伝えようとしたすごい人がい

ることを初めて知りました。

 鶴彬の何がすごいかというと戦争はして

はいけないと反戦のメッセージがこもった

川柳を残したところです。声に出して戦争

なんかしたらだめだというとたいほされる

時代なのに、自分のことより他の人に伝え

ることをえらんだことがとてもすてきでし

た。

 一つ一つの句に、言葉に、鶴彬の思いが

こめられていることがすごいと思いました。

私だったらぜったいに無理です。

 鶴彬さんが伝えたかったことを受けつぎ、

自分にできることを考えたいと思います。

やっぱり戦争はこわいし、ぜったいにして

はいけないことだとよく分かりました。



遠藤 大勝さん

 今日のお話までつるあきらという人物は

まったく知らなかったけど、今日の話でつ

るあきらはとても平和主義でなにより戦争

がきらいということがわかったから、自分

でも調べてみたいし、田中正造さんや与謝

野晶子さんのことも少しわかったから調べ

てみたくなりました。今日の授業はとても

いい経験になったからお母さんにも今日の

ことを教えたくなりました。ありがとうご

ざいました。



岡田  悠さん

 今まで道徳などで戦争は絶対にやっては

いけないということを学んできた。ぼくは

今日鶴彬さんのような人がいたから戦争が

終わったと思う。なぜなら戦争をやめよう

と全国に広める人がいないといっこうに終

わらないと思うからだ。そして、このこと

を全国に広めるために自分の命をぎせいに

してまでやる鶴彬さんは本当にすごい人だ

なと思った。そして、この鶴彬さんのこと

をサポートしていた人もすごいと思う。今

日、この話を聞いていろんな人に興味を持

つことができた。



香林 芽生さん

 鶴彬さんの名前は聞いたことはあったけ

どどんな人なのかは知らなかった。鶴彬さ

んは、戦争はしてはいけないという意味で

川柳を書いた。この時代は戦争のことを話

しただけで逮捕されてしまうと知った。そ

して外国の言葉を口に出してはいけないと

知った。こんなに苦しい時代なのに鶴彬さ

んは、「今自分がやらなくてだれがするん

だ。」と言って逮捕が目に見えてるのに川

柳を書いて、つかまってとてもすごい人だ

と思った。鶴彬さんが書いた川柳には、と

ても深い意味がこめられていると知ったの

でこれからも鶴彬さんのことを調べたいと

思った。



杉本 祐理さん

 鶴彬さんの名前は少し聞いたことがあっ

たけど、他のことはなにも知らなくて今日

の授業を受けて、高松出身だということや

戦争の辛さ、川柳のすばらしさについても

くわしく知ることができたのでよかったで

す。そして、鶴彬さんのほかにも石川啄木

さんや田中正造さんなどの人物のことを知

ることができて、もっと本やインターネッ

トでも調べてみたいと思いました。今日、

勉強した中で一番おどろいたことは、鶴彬

さんが石川啄木さんの大ファンだったとい

うことです。まだまだ、石川県の歴史人物

について知らないことがたくさんあるので、

また授業を受けてみたいと思いました。



曽原 楓雅さん

 鶴彬さんは戦争を反対と言うとつかまる

と知りながら、みんなのために戦争をやめ

ようという表現をした川柳を書いたところ

がぼくはすごいと思いました。この授業を

して、ぼくは何事にも屈せず、目標を達成

するまであきらめないようにしていきたい

と思いました。



竹中 彩音さん

 今日の特別授業で鶴彬さんについてたく

さん学べました。鶴彬さんは戦争の時の苦

しみを表したり川柳に込められた意味が分

かりました。また、他の有名な人について

も分かりました。自分は「手と足をもいだ

丸太にしてかへし」が心に残りました。

 その時のことについて想像すると、自分

も戦争がこわいと思いました。宇部先生が

言っていた「戦争は永遠に続く」という言

葉の意味を深く考えるにつれて、戦争のお

そろしさがより分かりました。鶴彬さんは

戦争はいけないという川柳を残していてす

ごいと思いました。石川県にこんな有名な

人がいて自分もびっくりしました。戦争は

やはり危険なので、次の世代にそのことに

ついて伝えていきたいと思います。これか

ら鶴彬さんについてよりくわしく知りたい

と思いました。



豊田 菜々子さん

 私は高松にこんなにすてきな人がいると

は思わなくて、宇部先生の話を聞いて鶴彬

さんのことや鶴彬さんの句をこまかく教え

てくれてありがとうございました。私は鶴

彬のことは聞いたことがなかったけど、宇

部先生の話を聞いてとてもわかったので機

会があったらほかの鶴彬のことを調べたい

と思いました。



岡田  優さん

 鶴彬さんは「戦争なんかしちゃいけない」

と決意し、戦争を詠んだ「川柳人」に発表

した。しかし、鶴彬さんは29才でなくなり

ました。私は、一番心に残っているのは、

田中正造のことを知れたことです。また、

鶴彬さんのことをもっと知りたいと思った。



山本 羽音さん

 鶴彬さんは、自分の身がどうなってもい

いから、戦争は絶対にいけないという川柳

を残していったのはすごいなと思った。今

になっても語り続けられてたくさんの人に

知られるほどすごい人が高松出身とは高松

のほこりだと思う。今日の話はとても大事

で忘れてはいけないことだと思った。「戦

争はいけない」というだけでつかまってし

まう。昔は、私は絶対に生きていけないと

思った。そんな世の中なのに国の決まりに

背いてどれだけ戦争がダメなものなのかを

命をかけて伝える鶴彬さんは、宇部先生が

言ったように全国の教科書にのせてもいい

人物だと私も思った。「戦争はいけない」

と伝える川柳を世の中に出す前に、先生に

「つかまるよ」と言われていたのに、それ

にかまわず出したのは本当に戦争を止めた

かった思いが分かった。



喜多 英佑さん

 宇部さんがいっていたように、鶴彬は戦

争に対してのいかりが強いことがすごく分

かった。自分、家族、友人までをぎせいに

し川柳を通し人々に戦争はよくない、戦争

はやっちゃいけないと、戦争に反対すれば

逮捕される時代でも呼びかけたからだ。「

万歳とあげて行った手を大陸において来た」

など、たくさんの戦争に対するいかりを川

柳に書いた鶴彬は高松のほこりだと思った。



南 恵梨香さん

 鶴彬さんのことは多少知っていたけど人

生の最初から最後までを知っていたわけで

はないので、いい勉強になりました。鶴彬

さんは苦労をして生きる人生を歩んでいて、

でも心強く大樹のように生きていたと思い

ます。そのころの日本は戦争に対する不満

をいっただけでつかまって、でも昭和三年

に何もしていないとは思うけどプロレタリ

ア研究会のメンバー三人が検挙される事件

が起きて鶴彬さんはとてもショックを受け

たと思います。病にかかっても、かんし付

きで入院していて息がつまるような思いを

したと思います。でも、そんな中で詩や川

柳などを作っていた鶴彬さんを私はそんけ

いします。



櫻井 悠華さん

 私は、鶴彬という人を初めて知りました。

鶴彬さんは戦争はまちがっているとみんな

に気づいてもらうため、戦争を詠んだ川柳

を書きました。戦争があった時代では、「

戦争なんかしちゃいけない」と口に出して

いうとたいほされるのにすごい勇気がある

なぁと思いました。私が一番心に残った川

柳は「手と足をもいだ丸太にしてかへし」

で、この川柳を詠んだときは、戦争があっ

た時代はますいがないから、体をおさえつ

けられてむりやりとられていたのでとても

痛くてつらかっただろうなと思いました。

自分だったらすごくいやだと思いました。

もう一つ心に残った川柳が「出征の門標が

あってがらんどうの小店」という川柳でこ

れを読んだとき、戦争に無理やりつれてい

かれるのがとても悲しいと思いました。戦

争は絶対これからもやってはいけないと思

いました。



武田 竜佑さん

 今回の話を聞いて鶴彬さんはすごい人だ

とわかりました。鶴彬さんは「戦争」とい

うやってはいけないもののこわさを十七文

字で残しています。その一つの「手と足を

もいだ丸太にしてかへし」という川柳があ

ります。鉄砲でうたれて手や足に入った玉

のところがくさって、ますいもせずに玉が

入った手や足を切られて返したという意味

で、とても昔の日本はひどいことだなと思

いました。そしてもう一つ「高粱の実りへ

戦車と靴の鋲」。この川柳は「高粱」とい

う植物をかり取り小屋を燃やし、かり取り

をじゃました人がじゅうで殺されるという

川柳です。この川柳もざんこくだなと思い

ました。こんな川柳を残した鶴彬さんは宝

だと思いました。これからは戦争のない時

代にしていきたいです。



松田 千宙さん

 ぼくは、今の時代に生まれてきてよかっ

たと思いました。なぜなら、今日高松出身

の鶴彬さんのことを初めて知り、鶴彬さん

の生きていた時代は自由に自分の思いや考

えを世間に伝えられなかったと学んだから

です。鶴彬さんは、戦争に反対して戦争に

よる悲しみや苦しみを川柳に込めてみんな

に広めた人です。それによって警察につか

まってごう問されて29才でこの世を去った

鶴彬さんは命をはって戦争反対をうったえ

続けた人でした。ぼくたちは、これからも

鶴彬さんのように戦争に反対していかなけ

ればいけないと思います。そうしなければ、

鶴彬さんは、何のために自分の命をぎせい

にしたのかが意味の無いものになってしま

うと思います。みんな仲良く、協力して戦

争をなくしていきたいと思いました。



森  月海さん

 石川県生まれの鶴彬さんについて勉強し

てこの時代は戦争がおきていて、敵からの

こうげきを受け、足や手に鉄ぽう玉が入る

とむりやりもぎとらなければいけないと初

めて知りました。この時の人はたくさん悲

しくて苦しい思いをしてきたんだと思いま

す。私はこのころ戦争があることを知って

こう思いました。「なぜ戦争をおこしたの

かな? 戦争がなければこんな苦しむ人な

んていなかったと思うのに」と思いました。

戦争がおきたのは日本が始めたことだから

もしこの時私が生きていたら今すぐあやま

りたいです。なぜかというとみんなに苦し

い思いをしてほしくないからです。今日学

んだことを生かし「悪いことをしてしまっ

たかな」「ちょっとダメだったかな」と思

った時「ごめんなさい」とすぐいえるよう

になりたいです。

 









〈以下参考〉

 

 当講座 NO.159 に宇部功さん執筆の

 「時代を予見する力」の記事、 NO.

 15に鶴彬の「最期の一句」の記事が

 あります。併せてぜひ参照していた

 だきたく思います。

 159、時代を予見する力

 15、最期の一句

 なお、鶴彬墓碑法要の集いが浄専寺

 境内(かほく市高松)にて今月12日

 午前10時から、鶴彬をたたえる集い

 が同日午前11時から高松歴史公園で

 それぞれ行われます。

 また、前日午前10時と午後2時から

 映画「鶴彬演劇」上映会が浄泉寺で

 行われます。

 

 動画(宇部功さんのお話)

  題「鶴彬の反戦川柳」

    第40回鶴彬・井上剣花坊祭にて 

    於.盛岡市 2016.9.17

 

 

鶴彬通信『はばたき』第33号


  鶴彬全川柳 - 青空文庫



 「三尺童子」2021.9.14

 推背図:第57象 地球次元の争いの克服



 【動画】最後の授業

     ジュリー・ペネッシ倫理学教授

     ウエスタン・オンタリオ大学(カナダ) 

Julie Ponesse PhD
ジュリー・ペネッシ倫理学教授
最後の授業 https://t.co/RWcIcw7doq




 





 冒頭の写真は2015年7月10日に高松

 小学校で同校の六年生に対して行わ

 れた特別授業「地域の偉人を学ぶ・

 鶴彬」から。








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【2022年10月4日配信】        学級通信「あいこでしょ」の願い                       小松市立稚松小学校              教諭 辰巳 国雄        題字 井上碧山さん (北九州市)  絵  本多千鶴子さん(金沢錦丘高校1年) 薪を負いて名定まる  背負い歩き考える二宮金治郎  ロダンの『考える人』よりもりっぱに思える 損得から尊徳の世へ 当講座記事NO.314 山下秀美、哲学の時代へ 同266 酒井由記子、混迷する現代と統一協会 同294 小原基子、おんな川にかかる橋 同303 今野ゆうひ、教え子を再び何処へ送るのか 同318 髙森文子、世界に範たる日本国になるには  学級文集とか、学級通信とか、学級機関 紙 といわれるもの を発行することを、教師 の仕 事の軸の一つに して実践を積み重ねて いる人 がずい分多いと 思う。  私は、学級通信(学級文集・学級機関紙 も 含めて)を発行してから、もう三十年近 くに なる。あるときは季刊であったり、月 間であ ったり、週刊であったり、日刊であ ったり、 その形はさまざまである。その一 年、一年で 形も異なり、内容も変わってき ている。大ざ っぱな言い方をすれば次のよ うになるだろう。  子どもたちの生活のなかみや、思いや考 え を、本音のところで知りたい。それは、 話す ということででもできるかも知れない が、数 十人の学級の子どもたち全員の本音 を知るこ とはむずかしい。話すことの不得 手な子でも 書くことによって本音を語って くれるだろう。 また書くことによって、さ らに、自分の生活 や、思いや考えを、見つ め直すことになり、 印刷されたものを通し て、学級のみんなの共 通の認識を得られる だろう。共通の認識を持 った学級集団(子 どもたち)は、それをステ ップに、学級集 団の文化を創り上げていく力 にするだろう。  これが、私の教育の大きな柱だった。こ う して始めた学級通信発行の仕事は、子ど もた ちの全面発達を願う私の教育実践のそ のとき そのときの証しともなるものになっ た。学級 通信が発行できなくなるというこ とは、私と 子どもたちとの歩みが止まるこ とである。た だ子どもたちの作文や詩を書 いていくだけで はなく、教師としての自分 と子どもたちとの かかわり

275. スポーツを文化にするために

【2022年10月10日配信】     交驩のエール     花開きつつあるエンジョイベースボール    「学生野球考」          慶應義塾大学野球部監督                   前田 祐吉      「サード!もう一丁!」「ヨーシこい」 と いう元気な掛け声の間に、「カーン」と いう 快いバットの音がひびくグラウンドが 私の職 場である。だれもが真剣に野球に取 り組み、 どの顔もスポーツの喜びに輝いて いる。息子 ほどの年齢の青年たちに囲まれ、 好きな野球 に打ち込むことのできる私は、 つくづく、し あわせ者だと思う。  学生野球は教育の一環であるとか、野球 は人間形成の手段であるということがいわ れるが、私の場合、ほとんどそんな意識は ないし、まして自分が教育者だとも思わな い。どうしたらすべての野球部員がもっと 野球を楽しめるようになるのか、どうした らもっと強いチームになって、試合に勝ち、 選手と喜びを共にできるのか、ということ ばかり考えている。  野球に限らず、およそすべてのスポーツ は、好きな者同志が集まって、思いきり身 体を動かして楽しむためのもので、それに よって何の利益も求めないという、極めて 人間的な、文化の一形態である。百メート ルをどんなに早く走ろうと、ボールをどれ だけ遠くへカッ飛ばそうと、人間の実生活 には何の役にも立たない。しかし、短距離 走者はたった百分の一秒のタイムを縮める ために骨身をけずり、野球選手は十回の打 席にたった三本のヒットを打つために若い エネルギーを燃やす。その理由は、走るこ とが楽しく、打つことが面白いからにすぎ ない。さらにいえば、より早く走るための 努力の積み重ねが何物にも替えがたい喜び であり、より良く打つための苦心と練習そ のものに、生きがいが感じられるからであ る。  このように、スポーツは余暇を楽しみ、 生活を充実させるための手段で、それ以外 には何の目的もないはずである。むしろ目 的のないことがスポーツの特徴であり、試 合に勝つことや良い記録を出すことは、単 なる目標であって終局の目的ではない。  かつて超人的な猛練習でスピードスケー ト の王者といわれ、冬季オリンピックの金 メダルを独占したエリック・ハイデンは「 金メダルは私の人生の目的ではない。それ に至るプロセスの喜びが私

327. 能登はやさしや土までも

 【2024年1月8日配信】          お金から「いのち」の時代へ(10)             たくましくやさしき能登に光させ                    2024年3月11日              気仙沼市 菅野 千鶴子                              二隻だけでは足りない話にならない      被災者全員を救う方法を考えるべき    「五百年のひびき」   「日々是稽古」 .        輪島名舟の人たちへのインタビュー .    当講座記事NO.318 世界に範たる日本国になるには 強震モニタ .    地震情報 .                           緊急に避難所の設備充実を          大地震から一週間たった今、改めて 以下の記事を再掲します。   日本海側の原発の現況が気になります。  当講座記事 NO.296と 297で珠洲原発  のことに言及しました が、珠洲原発が  建設されていたらこの地震で日本列島  と朝鮮半島には人が住めなくなってい  たのではないでしょうか。珠洲原発を  絶対に安全だと主張して推進していた  関 西 電力、中部電力、北陸電力、経産  省、政府は 謝罪声明を出すべきだと思  います。    震災被災者の避難先に下記写真のように  ビニールハウスが何箇所かありました。  ここは個人や隣近所で自主的に避難した  場所だと思います。ビニールハウスは、  地震に強いのではないでしょうか。    また、私は高校時代、山岳部で部活動を    していたのでその経験からすれば、冬用    テント、ツエルト、シュラフ、ヤッケ、  ポンチョ、コッフェル、ラジウスなどの  山岳装備を キ スリングに入れておき、 か  つ、テントの張り方、炊事の仕方を日頃  から練習し、いつでも野営に備えていた  らいいのではないかと思いました。  もっともこれらに相当する準備は、国、  県、市町 村の首長や各議員が、常日頃か  ら個人の人権とプライバシーに心配りを  したうえで、率先してしなければならな  い極めて重要な政治の仕事であると思い  ます。特に今現在おこっている震災は、  何年も前から充分に予測できたことだけ  に、最低でも上記の準備だけはできたは  ずです。「残念」とか「遺憾

266. 混迷する現代と統一協会 

【2022年8月28日配信】        親友ヨッチにささげる手記          -最期まで友情を信じて-                  石川県河北郡津幡町                 書店員 22歳  酒井 由記子  人は、どんな人と巡り合うか、どんな本 と出会うかによって人生が決まってくると、 ある作家が述べていたのをふと思い出す。 私にとってはまさにそうであった。出会っ た人達も書物もとても大きな影響を残し、 忘れられない出来事となっていったのであ る。   一、高校生の頃  今から六年前(1977年)、私は金沢 二水高校の二年生であった。いや二年生と いうより吹奏楽部生というほうが適切であ るほど私は部活動に情熱を注ぎ込んでいた。 みんなでマラソン、腹筋運動をしてからだ を鍛えあげ、各パートごとでロングトーン をして基礎固めをなして、全員そろって校 舎中いっぱいに響きわたるハーモニーを歌 いあげる。それは、先輩、後輩、仲間達の 一致によって一つの音楽をつくり出すとい う喜びを存分に味わった私の青春時代の真 っ盛りであった。ただ残念なことは、部活 動に熱中すればするほど勉強のほうはさっ ぱり力がはいらなかったことである。中学 生のときは、「進学校にはいるために」と いうただそれだけの目的で受験勉強ができ た。しかし、いざ高校にはいってみると、 また「いい大学にはいるために」と先生方 が口をすっぱくして押しまくる文句に素直 になれなかった。勉強する本当の意味が見 出せなかったのである。その頃から、私は 人間は何のために生きるのだろうかという ことまで突っ込んで考えるようになってい った。  父母が書店を経営しているため本は充分 にあり、書物を読むことによって答えを見 出そうとした。私の強い求めに応じるかの ように一冊の本が転がり込んできた。クリ スチャン作家である三浦綾子さんの『あさ っての風』という随筆集であった。聖書の 言葉がそこに登場しており、それはズシリ と心に響いたのである。その本に魅せられ て三浦さんの自叙伝も何冊か読み進めてい った。しだいに私の魂は、人間をはるかに 越えた大いなる存在があることを感じてい った。確信までは至らなかったけれども、 それらの本によって金沢のプロテスタント の教会に足を運び、牧師さんのお話を聞く ようにもな

280. 湯の人(4)現実と夢

 【2022年11月22日配信】   大きな便り                       加藤 蒼汰          秋とはいっても冬のような寒い夜だった。 浴室にはだれもおらず、脱衣場には番台に 座っている銭湯の主人と私ともうひとり。  その人は銭湯の近所の人であり、かつて 高校の教員をしていた。在職当時、馳浩・ 現石川県知事を教えていたと語っている。 八十歳を超えている。  この銭湯でよく顔を合わせ、会うたびに 知事の高校在学中のエピソードを繰り返す ので、私はその話の内容をすっかり諳んじ られるようになってしまった。高校入学時 から卒業までの様子、レスリング部での活 躍などであるが、私が特に感銘を受けた話 は、知事は高校時代、冬、雪が降り積もっ た朝には真っ先に早出登校して、生徒・教 職員を思いやり、校門から校舎玄関入り口 までの路をひとりスコップで雪かきをして いたというくだりである。  そんなすばらしい教え子をもつ元先生が、 服を脱ぎ裸になって浴室入り口に向かって 五、六歩あるきながら大便を三個落とした のである。気づかずに落ちたようなので、 私は「先生、落としもの」と声をかけると、 「ありりー、まったく気いつかんかった。 あはははは」と笑うのである。  私は、脇にあったチリトリでこの塊をす くいとり、「みごとな色と固さやね」と言 いながらトイレに流した。しかしながら、 脱衣場にはその匂いが全面に沁みわたり、 息が苦しくなるほどだった。このとき私は、 幼いころサーカスを見たときのことを思い だした。  それは曲芸をしていた象が巨大な大便の 塊を三個落とし、団員があわててスコップ で拾いあげていた光景であった。このとき の衝撃の記憶がよみがえり、私にとっさに チリトリを思いつかせたような気がする。 本を読んでいた番台の主人もその匂いで事 のいきさつに気づき、「匂いもすばらしい ね」と笑いながら脱衣場の窓を全開し床を 雑巾でふいてくれたが、その強力な匂いは 容易に消えなかった。  その間、先生は先に浴槽へ入り、気持ち よさそうに浸かっていた。私は先生と湯壺 にいっしょに漬かることに一瞬躊躇したが、 免疫機能が高まるまたとないチャンスでは ないかとの思いも何ゆえか突然こみあげて きて湯船に同席、お伴したしだいである。  「よくあることなんけ」と湯中、思わず
         柿岡 時正
         廣田 克昭
         酒井 與郎
         黒沢  靖
         神尾 和子
         前田 祐吉
         廣田 克昭
         伊藤 正孝
         柿岡 時正
         広瀬 心二郎
         七尾 政治
         辰巳 国雄
         大山 文人
         島田 清次郎
         鶴   彬
         西山 誠一
         荒木田 岳
         加納 韻泉
         沢田 喜誠
         島谷 吾六
         宮保 英明
         青木 晴美
         山本 智美
         匂  咲子
         浅井 恒子
         浜田 弥生
         遠田 千鶴子
         米谷 艶子
         大矢場 雅楽子
         舘田 信子
         酒井 由記子
         酒井 由記子
         竹内 緋紗子
         幸村  明
         梅  時雄
         家永 三郎
         下村 利明
         廣田 克昭
         早津 美寿々
         木村 美津子
         酒匂 浩三
         永原 百合子
         竹津 清樹
         階戸 陽太
         山本 孝志
         谷口 留美
         早津 美寿々
         坂井 耕吉
         伊佐田 哲朗
         舘田 志保
         中田 美保
         北崎 誠一
         森  鈴井
         正見  巖
         正見  巖
         貝野  亨
         竹内 緋紗子
         滋野 真祐美
         佐伯 正博
         広瀬 心二郎
         西野 雅治
         竹内 緋紗子
         早津 美寿々
         御堂河内 四市
         酒井 與郎
         石崎 光春
         小林 ときお
         小川 文人
         広瀬 心二郎
         波佐場 義隆
         石黒 優香里
         沖崎 信繁
         山浦  元
         船橋 夕有子
         米谷 艶子
       ジョアキン・モンテイロ
         遠藤  一
         谷野 あづさ
         梅田 喜代美
         小林 ときお
         中島 孝男
         中村 秀人
         竹内 緋紗子
         笠尾  実
         前田 佐智子
         桐生 和郎
         伊勢谷 業
         伊勢谷 功
         中川 清基
         北出  晃
         北出  晃
         広瀬 心二郎
         石黒 優香里
         濱田 愛莉
         伊勢谷 功
         伊勢谷 功
         加納 実紀代
         細山田 三精
         杉浦 麻有子
         半田 ひとみ
         早津 美寿々
         広瀬 心二郎
         石黒 優香里
         若林 忠司
         若林 忠司
         橋本 美濃里
         田代 真理子
         花水 真希
         村田 啓子
         滋野 弘美
         若林 忠司
         吉本 行光
         早津 美寿々
         竹内 緋紗子
         市来 信夫
         西田 瑤子
         西田 瑤子
         高木 智子
         金森 燁子
         坂本 淑絵
         小見山 薫子
         広瀬 心二郎
         横井 瑠璃子
         野川 信治朗
         黒谷 幸子
         福永 和恵
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         秋山 郁美
         加藤 蒼汰
         森本 比奈子
         森本 比奈子
         吉村 三七治
         石崎 光春
         前田 佐智子
         前田 佐智子
         前田 佐智子
         前田 佐智子
         中野 喜佐雄
         八木  正
         堀  勇蔵
         家永 三郎
         広瀬 心二郎
         菅野 千鶴子
         海野 啓子
         菅野 千鶴子
         海野 啓子
         石井 洋三
         小島 孝一
         キャリー・マディ
         谷本 誠一
         宇部  功
         竹内 緋紗子
         谷本 誠一
         酒井 伸雄
163、コロナ禍の医療現場リポート
         竹口 昌志
164、この世とコロナと生き方を問う
         小社発信記事
165、コロナの風向きを変える取材
         橋本 美濃里
166、英断の新聞意見広告
         小社発信記事
167、ワクチン接種をしてしまった方へ
         小社発信記事
168、真実と反骨の質問
         小社発信記事
169、世論を逆転する記者会見
         小社発信記事
170、世界に響けこの音この歌この踊り
         小社発信記事
171、命の責任はだれにあるのか
         小社発信記事
172、歌人・芦田高子を偲ぶ(1)
         若林 忠司
173、歌人・芦田高子を偲ぶ(2)
         若林 忠司
174、歌人・芦田高子を偲ぶ(3)
         若林 忠司
175、ノーマスク学校生活宣言
         こいわし広島
176、白山に秘められた日本建国の真実
         新井 信介
177、G線上のアリア
         石黒 優香里
178、世界最高の笑顔
         小社発信記事
179、不戦の誓い(2)
         酒井 與郎
180、不戦の誓い(3)
         酒井 與郎
181、不戦の誓い(4)
         酒井 與郎
182、まだ軍服を着せますか?
         小社発信記事
183、現代時事川柳(六)
         早津 美寿々
184、翡翠の里・高志の海原
         永井 則子
185、命のおくりもの
         竹津 美綺 
186、魔法の喫茶店
         小川 文人 
187、市民メディアの役割を考える
         馬場 禎子 
188、当季雑詠
         表 古主衣 
189、「緑」に因んで
         吉村 三七治 
190、「鶴彬」特別授業感想文
         小社発信記事
191、「社会の木鐸」を失った記事
         小社発信記事
192、朝露(아침이슬)
         坂本 淑絵
193、変わりつつある世論
         小社発信記事
194、ミニコミ紙「ローカル列車」
         赤井 武治
195、コロナの本当の本質を問う①
         矢田 嘉伸
196、秋
         鈴木 きく
197、コロナの本当の本質を問う②
         矢田 嘉伸
198、人間ロボットからの解放
         清水 世織
199、コロナの本当の本質を問う③
         矢田 嘉伸
200、蟹
         加納 韻泉
201、雨降る永東橋
         坂本 淑絵
202、総選挙をふりかえって
         岩井 奏太
203、ファイザーの論理
         小社発信記事
204、コロナの本当の本質を問う④
         矢田 嘉伸
205、湯の人(その2)
         加藤 蒼汰
206、コロナの本当の本質を問う⑤
         矢田 嘉伸
207、哲学の時代へ(第1回)
         小社発信記事
208、哲学の時代へ(第2回)
         小川 文人
209、コロナの本当の本質を問う⑥
         矢田 嘉伸
210、読者・投稿者の方々へお願い
         小社発信記事
211、哲学の時代へ(第3回)
         小社発信記事
212、哲学の時代へ(第4回)
         小社発信記事
213、小説『金澤夜景』(2)
         広瀬 心二郎
214、小説『金澤夜景』(3)
         広瀬 心二郎