太陽のオーロラ
【2020年12月12日配信 NO.84】
から昇る朝日を見ることができるところです。
また、高さ3000 メートル級の劒岳、立山、
薬師岳の山並みを海を挟んで見ることのでき
る風光明媚の名所で、その海越しの景観は、
世界屈指の美観、絶景です。
この写真は、今年の6月15日、上庄川右
岸埠頭より撮影したもので、時間は午前4時
38分頃です。
日の出は伏木測候所発表では4時32分で
すが、氷見では、それより12分遅れます。
この日の午前9時半には、異常乾燥注意報
が出されました。気圧1012・3ミリバール、
湿度81パーセント(午前3時観測)。最低気
温15・3度。
その時間帯は、漁師の人たちが出漁する頃
です。この太陽が現れる直前には、それまで
海の向こうに、うっすらと紫色に見えていた
立山連峰の峰々が突如と消え、空がきれいな
あかね色に染まります。
ここ氷見では5、6月頃になると、たまに
このような不思議な太陽の蜃気楼が見られる
のです。一般に「だるま太陽」といわれてい
るようですが、私は、「太陽のオーロラ」、
「太陽の陽炎」と名づけたいと思います。
毎朝、早起きしてシャッター・チャンスを
待っていました。
相撲甚句灘浦名所(笠尾実・作詩)
〽 アー灘浦名所を甚句によめばヨー
アードスコイ ドスコイ
アー氷見の町から一里半
劒 立山すぐそこに
朝日 夕日の大社(おおやしろ)
宗良(むねよし)親王 髪塚に
太古の洞窟 大鏡(おおざかい)
定置網なら発祥地
網に踊るは鰤(ぶり)、鮪(まぐろ)
九段の浜には遊歩道
栽培漁業の試験場
家持詠んだる大都万麻(おおつまま)
謙信作りし十三夜
昔 栄えし天平寺
暖流 寒流虻ヶ島
遥かかすむは阿尾城址
国の境にゃ 仏島
相撲でその名をあげたのは
灘浦出身 時津海
それに続けよ ヨーホホイ
アー若者ヨー アードスコイ ドスコイ
小社発行・『北陸の燈』創刊号より
〈以下参考〉
九月十三夜 上杉 謙信
霜滿軍榮秋氣清
數行過雁月三更
越山併得能州景
遮莫家郷憶遠征
しもはぐんえいにみちて しゅうききよし
すうこうのかがん つきさんこう
えつざんあわせえたり のうしゅうのけい
さもあらばあれ かきょうのえんせいをおもうを
*この漢詩は土井晩翠の「荒城の月」の
歌詞に影響を与えたといわれている。
また、頼山陽が漢詩に手を入れたとも
いわれている。
新潟県立高田高校校歌
妙高山は峨々として
千古の白雪天をつき
日本海は汪々と
万里の波濤空をうつ
山水霊なる越の国
学びの友垣一千余
思えば昔霜台公
能信越をきりなびけ
七尾城頭月きよく
戦勝の宴たけなわに
矛横たえてうたいてし
威風ぞ今に芳しき
治まる御代の我等には
仁義の兜知恵の弓
百折不撓の勇気あり
堅忍不抜の剣あり
心にむらがる煩悩の
悪魔を払って進みゆけ
高田高校校歌
宗良親王
後醍醐天皇の皇子・宗良親王が天平寺で剃髪し、
その髪を埋めたとされる髪塚(同寺の跡地にある
自然石の石塔)が氷見市小境にあり、そのゆかり
の地として、氷見市立灘浦小学校の校章に三種の
神器がデザインされている。剣が勇・体、勾玉が
仁・徳、鏡が知を示すという。この髪塚は「史跡」
として富山県指定文化財となっている。
灘浦小学校校歌
海の向こうの 立山に
元気な声が こだまする
大きな夢を いだきつつ
体きたえて すこやかに
明るく 共に歩もうよ
われら 灘浦小学生
つまま輝く ふる里に
優しい笑顔 あふれてる
先人の知恵 学びつつ
心豊かに はつらつと
なかよく 共に励もうよ
われら 灘浦小学生
校歌合唱 – 灘浦小学生
(2011年)都万麻
磯の上の都万麻を見れば根を延へて
年深からし神さびにけり
(大伴家持「万葉集巻19・4159」)
氷見市長坂に生育する大イヌクス(クスノキ科
の常緑広葉樹・標準和名タブノキ)は、樹高12m、
幹周り6.91m、推定樹齢500年の富山県内最大の
巨樹。家持の詠んだ都万麻とは、この樹でないか
と推定されている。県指定「天然記念物」文化財。
氷見市の「市の木」に選定されている。
*当講座NO.22の青木晴美さんの作品も
参照していただきたい。
大境洞窟住居遺跡
日本で初めて調査された氷見市大境にある国指
定「史跡」文化財の洞窟遺跡。多数の土器や石器
が出土し、20体以上の人骨も発見。縄文文化と弥
生文化の新旧が明らかになったといわれている。
阿尾城
氷見市阿尾に存在した富山湾をのぞむ平山城。
築城時期は不明。16世紀後半(天正・文禄期) に
菊池武勝、安信父子 (出自は肥後の菊池氏) が居
城していたとされる。のちに前田慶次郎が一時、
城代になり、同世紀末には廃城となったらしい。
県指定「史跡」文化財。
時津海正男
氷見市出身、時津風部屋。1935年生まれ。最高
位東十両17枚目。 1957年3月場所に十両に昇進し、
以後連続7場所十両を務め活躍した。1960年3月場
所に廃業。現役在位40場所。175センチ、79キロ。
得意技は右四つ寄り。
氷見市から富山湾沿いに北上すれば石川県七尾
市である。西に山越えすれば石川県羽咋市、羽咋
郡宝達志水町、鹿島郡中能登町である。氷見市と
この地域との相撲の交流は深く長く、歴史ある「
水なし、塩なし、待ったなし」の唐戸山神事相撲
(相撲の原点が残っている。於羽咋市の羽咋神社)
などに氷見市の若衆が毎年出場している。
〈追記〉
当講座記事NO.18、85、115、170、218、
229、256の記事も参照していただきたい。
幕末最強の剣豪 仏生寺弥助(氷見市仏生寺出身)