七五調の源流・歌垣
【2021年3月19日配信 NO.150】
この土手に
作家 広瀬 心二郎
「この土手にのぼるべからず警視庁」
という、昔はよく町のあちこちで見かけた
ような立札みたいな文句ですが、これはだい
ぶ昔に私が買って読んだ俳句の入門書に、五
七五の十七音表現の身近な一例として、その
最初の方のページに取りあげてあったものな
んです。
どなたの書かれたものだったか、どこの出
版社からだったか、すべて忘れてしまいまし
て、筆者の方には申しわけありません。その
入門書の意図ですが、この立札の警視庁の警
告文も五、七、五の形にはなっているけれど、
俳句でも川柳でもなんでもない。では俳句と
はどういうものか、これからよくわかるよう
に教えてあげます、といういわゆる「つかみ」
になっているわけなんです。
そう。俳句、川柳ばかりでなく、立札、ポ
スターの標語、演歌、歌謡曲、今でいう CM
のキャッチ・コピーなどなど、あれもこれも、
とにかく日本人の日常に五七五の形は溢れて
います。
ことに演歌には、圧倒的に多いのではない
でしょうか。
ためしに、好きな歌を口ずさんでみてくだ
さい。たぶん、多くは七五調。で、歌って、
昔の恋を思い出して泣いて笑って、ああよか
った。それですむ人が世の中のほとんどかも
しれませんが、天邪鬼、へそ曲がり、つむじ
曲がりの私は、ついつい、なぜ、五七五なの
か、考え始めてしまいました。昔の三球照代
さんという漫才のご夫婦の、「考えてたら眠
れなくなっちゃった」というギャグが思い出
されてなりません。
しかし、なぜ、ほんとうに、五七五、七五
調なのでしょう。生来ひつっこい私はその後
の人生を途切れ途切れに、この謎を追いかけ
てきました。何年も、何十年も。考えてたら
眠れなくなったというほどではないのですが。
ものの本を調べてみたり、少しずつ色んな説
に耳を傾けたり。
すると農耕民族である日本人がその日常の
農作業の中から獲得していった独特のリズム
なのではないか。つまり、体が覚えたリズム
なんだろう。こういったところが、一番有力
な答えだということがわかってきました。
でも、ある頃からちょっと私にはある考え
が生まれまして、歌が文字として書かれる以
前に、つまり万葉集とかの作品として文字に
なる以前に、ただ歌うものとしての歌があっ
たはずで、その段階にこそ七五調という音数
律が生まれる理由があったんじゃないか、と
いうものです。農耕民族のリズムという同じ
結論が出るとしても、そのあたり、追いかけ
てみる価値がありはしないか。
現代という、文字による表現があって当た
り前の時代に生きる私たちには、一種不思議
ではありますが、文字に頼らない、音、声だ
けの歌の時代が、あった。
それで私が着目したものが、噂に聞く歌垣
というものの存在でした。もしかしたら、こ
のあたりが、七五調の日本の伝統定型詩の源
流なんじゃないか。
そもそも、人が歌うということに最も密接
な関係のあるものといえば、男女の関係では
ないでしょうか。今も変わりありません。恋
というものは、成就してもしなくても歌にな
る。目先の糧を獲得するために過酷な日々を
送る人々に、束の間でも歌が生まれるような
瞬間があるとすれば、そうなります。
それで、歌垣。
ある地方の若い男女が適齢期になってくる
と、ある決まった場所に集まって、恋を歌っ
たりして、誘ったり誘われたり、今でいう合
コンみたいにしていた。字なんか書けなくた
って、歌うことはできる。現に万葉集の初期
の作品には、そういうものがある(茨城の筑
波山周辺の歌垣で作られたもの)。それから
また佐賀白石町の歌垣などは、今の時代の町
興しのテーマにもなっています。あちこちに
合コン・センターみたいにしてあったような
んです。
そんな考えに取りつかれていた折も折、新
聞で、『歌垣の世界』という本の広告をみつ
けまして、ルーズな私にしては珍しく即決、
すぐに取りよせました。年金が少なくてケチ
ってばかりいる爺さんにはちょっと値が張り
ましたが、現地の様子を写した DVD付きなら
しかたがない。
その本は、大東文化大教授の工藤隆先生が、
長江以南の中国少数民族につい最近まで残っ
ていた歌垣の風習について研究、ものされた
一冊です。でも、中国の近代化の波の中で、
それはもうほとんど消えかけている風習だと
いうことです。
その希少な、現地の現実の歌垣の様子が、
付属の DVD に録画されています。 若者たち
が、数人ずつ男と女のそれぞれのグループで、
ある場所に集まり、ちょっと甲高い声で歌を
投げかけます。その節回しですが、私には、
我が国に残るいわゆる「木やり」、とか古い
民謡を思い起こさせるものでした。ある程度
決まったパターンのある節回しらしい。
それで、それで、です。先生が彼らのその
歌の内容を調べてみたところ、なんと、現地
の言葉で、七音五音の繰り返しでできている
というんです。しかも少数民族の多くが同様
の音数律の歌垣を持っていた。思わず叫んで
しまいました。
ビンゴ!
まあ、おどろきもものきさんしょのき。や
はり歌垣に七五調の源流はあったのです。し
かも、なんと日本民族独自のものではなくて、
広くアジアの一定の地方の諸民族にその起源
がある、ということなんです。
工藤先生は、歌垣文化圏と名付けています。
それはその長江以南の中国少数民族の暮らす
地方から、東は日本の筑波山にまで広がるも
のだという。しかもすでに紀元前から、あっ
たのだろうということです。
どうもその少数民族というのは、私の考え
では、政治難民という色合いが少し、あるの
ではないか。
たとえば、イ族。現在大涼山脈という標高
三千メートルクラスの高地に農業を主ななり
わいとして暮らす彼らのルーツは、実は世界
にも稀有な巨大青銅器文化で知られる三星堆
である。それが動乱によって高地に逃げ上っ
たんだといいます。 NHK でやってました。
日本の源平の執拗な闘いを想起させます。
大陸の絶え間ない動乱を避けるには、僻地
にひっそりと暮らすしかない。そんな政治難
民としての少数民族が思い切って海を渡って、
日本列島にたどり着き、この日本というクニ
の、文化の古層を形成していったということ
ではないでしょうか。勿論稲作、そして着物
の文化も、そこに含まれはしないか。先日た
またまある民放のテレビで、まさにその中国
少数民族を取りあげていまして、歯を黒々と
塗ったおばちゃんたちが登場して、びっくり
しました。そう、かつての日本の既婚女性の、
お歯黒の風習なども彼らに由来するものなん
でしょう。
しかし、私のほんとにいい加減な推論に過
ぎません。しかも、七五調のひとつの有力な
ルーツがアジアの歌垣文化圏にあった、とわ
かっただけで、ではなぜ七五調なのか、五七
五なのか、人間の生理が理由なのか、あるい
は日本語を含む言語の側の特性なのか、まっ
たく解決になっていないのです。
それは、これからです。
この「現代の声」講座の読者で、これを読
んでくれている若者(気持ちの若い人)がい
らっしゃるなら、アジアにルーツのある七五
調の研究なんて一生をかけるに足るテーマだ
と思うんですが、どうでしょうか。
〈参考〉
『歌垣の世界 歌垣文化圏の中の日本』
著者 工藤 隆(勉誠出版、2015年)
第33回(2015年度) 志田延義賞受賞。
志田延義氏は、国文学者。専門は日本
古代歌謡。富山市出身。
上記の記事を読めば、私見だが、七音
五音は数学の数や神と関連しているの
ではないだろうか。また、五七五七七
の和歌の起源は、歌垣における男女の
歌が合作されたものではないだろうか。
さらにまた、当講座のNO. 148 の記事
で言及した都はるみの歌声は、古代の
日本・アジアの歌声と通底していると
いうことになるのでは。化石のように。
奇蹟のように。踊りや楽器も。民謡も、
和歌も。その歌垣の、源はいずこに。
同記事も併せて参照していただきたい。
(当講座編集人)
当講座の NO. 10、60、69、92、102、
122にも広瀬心二郎さんの記事を掲載。
NO.38の廣田克昭さんの記事も参照し
ていただきたい。