『日本的霊性からの解放』紹介
【2020年11月29日配信 NO.77】
ジョアキン・モンテイロ氏からの宿題
遠藤 一
「日本的霊性」からの解放ーージョアキン
氏から投げかけられた救済教たる真宗の役割
の了解に対して、私たちはどのように対話し
ていくのであろうか。宗教者として、研究者
として、市民として、いろいろな立場、見方
からの〈対話〉が可能であるように思われる。
私は、ジョアキン氏の計らいで、本書を原
稿の段階で目を通すことができた。読了後に、
何よりも印象深かったのは、日本のコンフォ
ーミズム(国教制)たる天皇制に対して、宗
教者がどのような質の闘いを試みなければな
らないのか、についての試答を提供している
点である。日本教=天皇制の欺瞞性が、仏の
前に立ち〈われここにあり、と仏弟子の名告
り〉を自覚しうる自立(=信仰)した人間に
なろうとする営為を疎外するものに外ならな
いことを教えてくれる。
そして、私たちが注意深く対決しなければ
ならないのは、自立の根拠としての真宗をむ
しばみ天皇教へと変質させてしまった近代教
学とその改良派であるという。敗戦後、日本
的霊性による再生をとなえた鈴木大拙の仏教
理解が、何よりも対決すべき天皇制仏教と映
ったわけである。
私が、ジョアキン氏を対話=論議の相手と
して敬愛しているのは、一見して遠慮のない
近代教学批判への同調のみではない。ジョア
キン氏や私と同じく、仏教の現状に危機感を
抱く人びとはたくさんいる。そして、批判を
通じての仏教再生への射程は、きびしく、か
つ苦しい〈対話〉からしか生じないと思われ
る。ところが、現実に行なわれているのは、
〈仲良しクラブ〉、または〈ファミソー志向〉
の自己賛美の場である。
ジョアキン氏が『日本的霊性からの解放』
で試みられた〈対話〉、私なりに論議を用意
したく思い「紹介」の筆をとった。
(久留米工業高等専門学校助教授)
『日本的霊性からの解放』(小社発行)の
「帯の言葉」
親鸞の教えを求めてブラジルから来日、だ
がそこでモンテイロ氏が見たものは、既成
の仏教教団や寺院、僧侶の腐敗、堕落しき
った姿だった。親鸞を真摯に学べば学ぶほ
ど、ありとあらゆる迫害をうけた。苦悩と
絶望と孤独のふちで、必死に読み返した『
選択本願念仏集』と『教行信証』のなかに、
従来の教義解釈とはまったく異なる法然、
親鸞の真実の言葉、そして鎌倉新仏教のも
つ歴史性、思想性を発見することができた。
法然、親鸞の教えを歪め覆い隠し、開祖と
して名前だけ利用し祀る教団、僧侶、教学
者にはげしい怒りを覚えながらも、いまモ
ンテイロ氏は、善導、法然、親鸞の思想を
現代に蘇らせるべく身命を尽くしている。
氏の発する言葉の意味は重い。
〈追記〉
参考当講座記事