短編小説『再会』

 【2020年10月30日配信 NO.55】

  

                                          正見  巖


  私の手許に残っているのは軽自動車一台で

あった。これもあすには他人の手に陥ちるは

ずである。債権者の熾烈な追及からかくれ潜

む場所はもう、大阪のどこにもなかった。大

阪を脱出したいと思った。


 どこか遠くへ逃れて、密かに生きるか、適

当な場所で死を選ぶかは、今すぐに決めたく

はなかった。さしあたって、大阪をはなれた

い。しかし、どこへというあてもなかった。


 私は半生を大阪で過ごした。大阪以外では

どこで暮したこともない…………と考える私の

脳裏に古い古いフィルムが映った。


 あそこへ行ってみるか。でも、あれから二

十年の歳月が流れている。行ったとしても、

知っている人もいまい。何もかも変わってし

まっているだろう。行っても何ということも

なかろうが、ほかに目的地にする所が思いつ

かないから、とにかく走ることにした。


 私は米原から国道八号腺に入ろうと、琵琶

湖西岸を北上していった。


 昭和十九年十月から二十年九月までのおよ

そ一年間を石川県で過ごしたことがある。私

は大阪桜宮国民学校の六年生であった。百五

十人の学童が三人の訓導に率いられ、集団疎

開で石川郡額村に来た。


 初めのうちはお寺の世話になっていたのだ

が、いろいろとあって、結局は村立額国民学

校の礼法室での生活を余儀なくされた。


 父母と別れて、見知らぬ片田舎へやって来

た私たちは何につけても不自由で、肩身の狭

い思いをした。素朴な村人たちの人情に支え

られたことも多かったが、所詮他人は他人で

ある。食べざかりの子どもたちは激しい飢え

と常に戦わねばならなかった。両親の暖かい

愛に包まれて育つはずの年ごろの子どもであ

った。


 私が寝起きしていた礼法室は四十畳に満た

ない広さなのだが、五十人の学童が詰めこま

れていた。


 夜、床に入ってあお向けになると、天井板

が見える。天井には無数のしみあとがあった。

私たちが蒲団の中で流す涙が、いつの間にか

天井にはりついてしまったように思えた。


 私たちが寝ている間に、おぞましい小事件

がよく起こった。


 炊事場の釜の中にあすの雑炊用の生米が水

にひたしてある。雑炊になれば丼の底に沈む

わずかの飯粒になってみんなに行きわたる貴

重な米粒である。この生米を仲間のだれかが

盗み食いをしてしまうのである。いつも犯人

はわからず終いだった。




 やがて終戦になった。大阪から自分の子を

迎えに来た親もいた。それはわずかであった。

大方の子どもは依然として疎開地に残された。


 二十年九月二十一日。全国にちらばってい

る集団疎開学童に対して帰校命令が出された。


 私たちはやせ細っていた。こすればボロボ

ロと垢の出る黒い肌をしらみだらけの衣服で

覆っていた。それでも、大阪へ帰るんだぞと

言われると歓声を上げた。虚ろな響きの叫び

声であった。


 私の父母は、すでに爆撃の後、行方不明に

なっていた。家も焼かれてしまっていた。大

阪へ帰っても、どうなるというものでもない

が、嫌気がさしているこの地からはなれさえ

すれば、何かいいことがありそうな気がした

のである。雲をつかむような他愛のない望み

であった。大阪へ帰れば、一層苛酷な人生が

待ち受けているのを考えようとしなかった。


 大阪に帰った私は、施設に入れられた。敗

戦直後である。施設とは名ばかりのひどい所

であった。私は、度々脱走して、焼け跡に並

ぶ闇市で悪事を重ねた。


 何度か闇市と施設の間を往復したが、つい

に施設へもどらなかった。


 闇屋の仲間入りをしてもとでを作り、二十

歳のころには、小さいながら機械部品の店を

持った。生家の商売がこれであった。


 三十歳の時に、私は街々を走り出した軽自

動車に目をつけた。これからは、自動車の時

代だと思ったのである。


 人気のあった亀の子型の自動車の販売店に

切りかえた。中古車でも、おもしろいように

売れた。セールスを何人か雇い、一か月に十

台以上売れと厳命した。個人商店のようなス

ケールから早くビルを持つ会社らしい形にの

し上がりたかったのである。そのためにずい

分無茶な経営もした。


 不運の始まりは、新しく雇い入れたセール

スマンの浅慮からであった。学歴、経験、職

歴、年齢、何も問わない、ただ車を多く売っ

てくれれば良いという募集広告で入社したそ

のセールスは、台数さえこなせばという考え

から、暴力団に十数台の車を渡してしまった

のである。浅はかな行動というよりは、計画

的であったのかも知れぬ。その車は白タクに

使用された。受け取った手形は、期日が来る

と、ことごとく不渡りになった。


 そのほかにも外国人に売った数台もこげつ

いた。


 小さなつまずきでも、それは見る見る大き

な雪だるまのようになり、私は、債権者に追

われる身になった。




 朝、大阪を出たのに日はすでに傾いている。

手取川にかかる粟生大橋を渡り、北上してい

く。右手に白山山系の低い山なみが連なる。

その上方に、なだらかな黒緑色をした山頂が

顔を出している。


「なんていったんやろ。たぶん、くらがたけ

 やったな。」


 村の子どもに教わった倉ヶ嶽である。伝説

を秘めている山である。


 私の脳裏に二十年前の記憶が突然鮮明に甦

ってきた。


「良子。」


 二年生だった良子のあどけない面影が現れ

た。どうしているだろう。





 私はすき腹をかかえて、運動場の片隅にあ

る忠魂碑の基礎石に腰をかけていた。小さな

石ころのような馬鈴薯が二個とサツマイモの

茎のすまし汁の昼食は、地獄の餓鬼が住みつ

いているような胃袋にとって何のたしにもな

らなかった。


 村の自作農の娘である良子は、間食にさつ

ま芋のふかしたやつを両手に持っている。別

に良子は見せびらかすつもりはなかったのだ

が、私には、そのように見えた。


 私の目は、芋を刺すようにぎらついたのだ

ろう。


「おとろしい! 大阪のお兄ちゃんの目。」


 良子が肩をすくませて言った。私は黙って

いた。しかし、視線は芋からはずせなかった。


「イモ欲しいがけ?」


 私はこっくりした。


「あげっわ。」


 待っていたかのように、私はイモを受け取

ると、シャツの下にかくした。腹を手でおさ

えるようなかっこうで私は走った。仲間のだ

れかが、どこで見ていないとも限らない。


 半分よこせ、よこさないと、村の女の子か

ら、イモを無理やりに巻き上げたと、先生に

いいつけるぞ! こうなるのは目に見えてい

る。


 私は、だれも見ていない所で、ゆっくり賞

味したかった。芋は急いで食べると、すぐに

のどがつまってしまう。




 体育館の裏手へ行くと、良子もついて来た。

田の中に小さな一間半四方の火葬小屋がある。

その向う側へ行けば、学校の方からは見えな

い。


 私は農道に腰をおろす。良子も向き合った。

田舎の子にしては人なつっこい子だ。海老茶

色の芋を食べはじめる。惜しそうに、そして

味わいながら食べる表情を、良子は、上目づ

かいに盗み見ている。くりっとした瞳、日焼

けした健康そのものの顔、いたずらっぽい口

もとをほころばせている。


 良子はいつでも、上衣だけのセーラー服を

着ている。ネクタイは色あせて、昔の紅い色

とはほど遠い茶色に変わっている。姉かだれ

かのお古らしい。下はかすりのモンペをはい

ている。小さいモンペで、膝にはつぎがあた

っている。素足にわら草履を引っかけている。


 翌日、私は、お礼に母から渡された模様の

ついた折り紙をやった。こんな女の子みたい

な物はいらんよと言ったが、母は、何かの役

に立つからと、ノートにはさんでくれた折り

紙であった。良子は、私がびっくりするほど

の喜びようだった。




 これが縁で良子は、お兄ちゃん、お兄ちゃ

んと私になついた。私は良子が度々、食べ物

を恵んでくれるので、とてもありがたかった

が、だれにでも、

「良子ね。大きくなったら、あのお兄ちゃん

 のおよめさんになるがや。」

と言うのには閉口した。


 敗戦の年の七月上旬、疎開学童の間に大阪

の私たちの校区が何日か前に熾烈な爆撃を受

けたという噂が広がった。


 引率の教師は、子どもたちが動揺したり、

不安な状態に陥ちこむことを危惧してか、噂

を肯定しなかった。もしかしたら、みんなの

前では、言いにくいのだろうと私は思った。


 だれだれの家族は無事だ。だれだれの家族

は死んだとは、かわいそうで、なかなか言え

まい。


 私は、自分の父母は絶対大丈夫ということ

を信じこんでいた。それは、空襲になる前に

自分だけは助かるはずだという何の根拠もな

い自信に似ていた。


 教師は、気の毒な子どもがいない場所だと、

きっと、私に、

「おまえんとこ、お父ちゃんもお母ちゃんも

 元気やで。」

と言ってくれるだろうと思った。


 用を足した帰り、私は廊下で担任に出会っ

た。囲りにだれもいなかったので、私は聞い

た。


「先生、学校の付近、爆撃受けたと聞いたん

 やけど、ぼくの父ちゃん母ちゃんは、無事

 やったんやろな?」


「ううん………無事や、無事やとゆうことや。

 昨日、大阪の校長から電話があってな、こ

 こへ来ている子の家族は、みんな、防空壕

 に入っとって助かったとゆうから、安心し

 とりいな。」


 私は、担任の笑顔が、あまりにもぎこちな

いのに気づいた。表情が固い。目が笑ってな

い。爆撃があり、被害はあったのだ。


「いや、先生、ほんまのことゆうていや。」


「ほんまのことて、今ほんまのことゆうてる

 やないか。」


「先生! ほんまのことゆうたら、ぼくらが

 泣くと思うて、かくしとるんやろ。」


「いや、うそはいわへん。」


 教師の態度を見て、私は動揺した。


 父母の安否が心配でたまらなくなった。以

前は、よく来ていた便りも来なくなった。


 B29がばらまく焼夷弾で、火の海となった

大阪の街を逃げまどううちに、ごうごうとた

ぎる炎に巻かれ、父とはなればなれになった

母が、背に幼い妹をくくりつけて、断末魔の

叫びを上げながら、天をかきむしっている…

…………そういう姿が払っても払っても際限な

く湧いて出てくる。


 母は、私の名を何回も何回も呼び続けてい

るにちがいなかった。


 私は、学校を抜け出て、大阪へ行ってくる

計画を立てた。持っているわずかの金で汽車

に乗り、父母の消息を、自分の目で確かめる

つもりであった。その金は、恐らく、大阪ま

での運賃の半分にも足らぬだろう。しかし、

そんなことをいってはいられない。車内の便

所に潜ってでも、ドアから飛び降りをしてで

も私は大阪へ行きたかった。


 七月八日の午後、私はそれを実行に移した。

黙って校舎を出て、徒歩で数キロメートル先

にある松任駅を目ざした。


 だれにも見とがめられないように気を配り、

身を低くして、あぜ道に植わる大豆の列のか

げを走っていった。


 だれかがあとをつけて来るような気がした。

しかし、それは、自分が今からやろうとして

いる無謀な計画に対しての良心の呵責が、追

って来るのだろうと思った。


 だが実際に尾行者がいた。


 良子だった。


 五百メートルばかり一気に走り、荒い息を

整えるために大豆の根もとの農道にすわりこ

んでいると、ぺたぺたとわら草履が地べたを

打つ音が近づいて来た。良子は、新聞紙に芋

らしいものをくるんで、ヒイヒイ言いながら

追いついて来た。


「お兄ちゃん、そんなに急いで、どこへいく

 がや。」


「…………。」


「ねえ、どこまでいくが。」


「ま、松任までいくんや。」


「松任まで何しにいくが?」


「何もせえへん。」


「うそやあ。何もしないんなら、どうしてい

 くが?」


「…………。」


「いわないと、お芋やらんぞう。」


 碌な食事をしていない私の腹は、いつもよ

り一層激しく、空気をこなす音を出した。良

子がかかえている何本かのサツマイモに大き

な欲望を感じた。


 私は、思い切って、良子にだけ秘密を打ち

あけることにした。


「良子。良子にだけ教えたるけど、だれにも

 ゆうたらあかんで。」


「うん。」


「お兄ちゃんな、ちょっとだけ大阪へいって

 くるつもりや。どうしてもな、お父ちゃん、

 お母ちゃんの顔が見とうて、たまらんのや。

 お父ちゃんとお母ちゃんが、元気でよう暮

 しとるか見て来たいんや。」


「お兄ちゃん、大阪いくの。わたしもつれて

 ってえ。」


「あほなことゆうな。大阪はな、毎日毎日、

 B29が来て、爆弾とか焼夷弾をぎょうさん

 落としていくんや。おまえなんかいったっ

 て、すぐに死んでまうで。」


「じゃあ、お兄ちゃんは死なんのけ?」


「あったり前や。死んでたまるか。爆弾は、

 ぼくだけ避けて落ちるんや。」


「わたし、お兄ちゃんにくっついている。そ

 したら、爆弾に当たらんもん。」


「…………。」


「わたしも、つれてってえ。」


「わからんやっちゃな。おまえは村で待っと

 け。お兄ちゃんは、すぐにもどるから。」


 私は、この厄介な追跡者を振り払い、食糧

だけを奪うために、急に立ち上がった。


「話したんやから寄こせ。」

と、言いながら、新聞包みを引ったくると、

全速力で逃げ出した。


 良子の泣き声が追って来る。どこまでも執

拗にはなれない。


 私は、農道わきの小川にかかっている橋を

渡った。丸太が二、三本針金で束ねてある素

朴な橋だった。渡り切って、さらに十数メー

トル進んだ時、後方でバタリと音がした。



 その瞬間、良子の泣き声は、今までとは全

く性質のちがったすさまじいものに変わった。


 振り向いた私は、橋の上に良子を見た。丸

太と丸太の間隙に片足を突っこみ、上半身を

橋からはみ出させて倒れている。右足が奇妙

な形にねじまがり、まん中から折れている。

さかさになったおかっぱ頭が、水の上で揺れ

ていた。


 引き返した私は、どう思って良子の足をは

ずし、体をかかえ上げたことだろう。無我夢

中で覚えていない。


 痛い痛いと泣き叫ぶ良子の肩をだいて、私

はがっくりと農道にすわりこんだ。大阪へ帰

るのは、あきらめなければならなかった。


 助けを呼びたかった。辺りを見まわしたが

人かげはなかった。ここで起こっている良子

の苦痛とは対象的に田園の風景は限りなくの

どかなものであった。出そろいはじめた稲穂

が、初夏の爽やかな風にさんざめいていた。


 広大な田園地帯の遥か彼方に山なみが見え

た。その上方から倉ヶ嶽が、なだらかな山頂

を見せていた。


 この事件があってから、先生は、大阪での

空襲の被害、父母が行方不明のこと、家が焼

かれたことなどを私に話した。本当のことを

言ってくれないと、また抜け出して、大阪へ

確かめに行くと、私が言い張ったからである。


 私は、集団の中の厄介者の烙印を押された。

地元の大人や子どもたちからも、良子の足を

怪我させた悪い人間として白い眼で見られた。


 良子は複雑骨折であった。それにもかかわ

らず、敗戦直前であったこと、田舎に住んで

いたことなどで碌な手当ても受けられなかっ

た。自称接骨師だという怪しげな男に副木を

当てられた。が、一週間ほどたつと、手製の

松葉杖をついて家から出て来るようになった。


 だれも寄りつかなくなった私にただひとり、

良子だけは以前と同じように話しかけた。





 国道八号線は、野々市町で鶴来街道と呼ば

れている国道百五十七号線を分岐させている。

約五十キロメートル進めば、白峰村に至り、

山越えして福井勝山に至る。


 野々市町から数分の粟田という村落の中で

左折すれば額である。左右に新しい建物が立

ち並ぶ。その中に古い農家も混じる。二十年

前の見覚えがあるような屋根や塀が点在して

いる。


 金名線の踏切を渡ると、額小学校の校舎が

田の中に姿を現した。大正期に建てられた古

い木造の校舎である。風雪が、建物を形づく

る全ての木材を一層白っぽい灰色に変えたよ

うに思われた。


 校舎の前には運動場が広がり、その隅には

柳に囲まれて忠魂碑がそびえている。昔のま

まだ。あそこに芋を両手にした良子がすわっ

ていても何の不思議もないくらいである。


 九艘川がグランドの一辺に沿って流ている。

その三メートル幅の川とグランドとの境に砂

利道があり、グランドの一角から敷地内に入

る。見憶えのある広葉樹の大木の梢が光って

いる。今、日本海に没しようとしている橙色

の太陽が梢にある何枚かの葉を照り輝かせて

いるのである。


 私は、車を止めた。そこから玄関に続く舗

装の上に降り立って、二十年前に一年間を過

ごした校舎の一角を見上げた。礼法室は、す

ぐかたわらの児童用昇降口の階上にある。私

は礼法室に入ってみたかった。


 児童用昇降口を過ぎてから左に折れると正

面玄関がある。二宮金次郎の銅像も見える。


 玄関は庇を延ばすために、たたきの上に二

本の柱が立っている。その柱に校名を表す木

札がかけられている。


「金沢市立額小中学校」と読める。新制にな

ってから併設校になったらしい。


 私は玄関の敷石の上に立って、立てつけの

悪いガラス戸をがたぴしさせた。戸が開くと

案内を乞うために大声を上げた。


 突き当たりが体育館で、その手前の左に用

務員室があるのだが、返事はなかった。


 校舎の中はがらんとして人気がない。私は、

足許にあったスリッパをはいて、校舎の中へ

踏みこんだ。


 木造の校舎からは暖かいものが伝わってき

た。コンクリートの冷酷な感じはない。私が

いた時と同じように廊下はよく磨きこまれて

いる。木目は際立ってはっきり見え、つやや

かに光っている。


 階段の手すりの光沢も二十年前のなめらか

さを失っていなかった。私が階段を登りはじ

めると、階段はみきみきと鳴きはじめ、踏み

板は、かなりがたついた。


 礼法室をのぞく。そこは六年二組の普通教

室になっていた。以前敷いてあった畳はなか

ったが、天井は当時のままのしみをくっつけ

ている。このしみをにらみながら、夜、大阪

の両親を思ったことが、昨日のように思えて

くる。


 校舎の中はすでに薄暗かった。


 どこからか、ピアノの音が忍ぶように聞え

てきた。金次郎が立っている前庭をはさんで、

向い側にある音楽室かららしかった。


 私は二階の廊下をたどり、音楽室の前に立

った。粗末な児童用の長椅子が並び、その向

うにピアノを奏でる人かげがあった。ピアノ

の背後の窓に夕焼け空がまだ薄く残っていた。


 ピアノの主は、黒いシルエットであった。

私は入り口の戸のかたわらに立っていた。


 人の気配を感じたのか、ピアノの音は、は

たと止んだ。弾き手は椅子から立ち上がった。

体が少し右側に揺れて傾いた。長い髪が肩を

流れた。


 私は直感的に良子だと思った。


「良子さん。」


「えっ、あなたは……。」





 母校の教師になっていた良子との再会であ

った。生きていてもよい、死んでもよいとい

う投げやりな萎えた心が、微かに息づいたの

を私ははっきりと感じた。


 昭和三十八年の初秋であった。







                                       (イラストは作者)

      小社発行・『北陸の燈』第2号より

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 【2024年1月28日配信】   おばばの言葉                       白山市 番匠 俊行                                私の両親は石川県石川郡美川町(現白山 市)に生まれ育ちました。両親のそれぞれ の両親も同町の生まれ、育ちです。除籍簿 を見ると、私の先祖は全員、明治初期から 同町の住人でした。  私は高校時代まで美川で育ち、そのあと 関東の大学を卒業し、宮城県内で就職し、 現在、郷里の美川で塾教師をしています。  私の祖母は1900年生まれで伝統産業 の美川刺繍をしていました。亡くなるまで 町から一歩も出たことがなく、町の人たち との会話を楽しみに生きていたようです。  その会話を耳にした一端をご紹介します。  美川町は手取川の河口の町で日本海に面 しています。作家の島田清次郎、詩人の邑 井武雄、政治家の奥田敬和、歌手の浅川マ キらの出身地でもあります。  「美川弁」といってもいい言葉は、隣町 の能美郡根上町(現能美市)や能美郡川北 村(現能美郡川北町)、石川郡松任町(旧 松任市、現白山市)ともちょっと異なって いると思います。  私は金沢市内の高校に通ったのですが、 私の話す言葉がおかしいと、いつも友人に 笑われていました。言葉だけで伝えるのは 難しいのですが、動詞、形容詞、形容動詞 のエ音便がイ音便になったり、また、人名 や名詞の発音のアクセントや抑揚、強弱、 長短が独特みたいです。  鹿児島弁が混じっているのではないかと 言う人もいます。もしそうであれば、最初 の石川県庁が美川町に置かれたことと関係 しているのかもしれません。内田政風とい う薩摩藩士がトップとなりはるばるこの町 にやって来たと聞いています。ひょうきん な美川の人たちが薩摩から来た役人たちの 言葉をおもしろがって真似して、流行らせ、 それがそのまま一部根づいたのではないか と思ったりもしています。  内田はなぜか金沢県とすることを拒否し、 県名を石川郡から拝借して石川県にし、さ らに「美川県」にとまで県名をかえようと したと聞きます。石川県はあわや美川県に なっていた可能性もあったということです。  これはこれでおもしろい話ですが、内田 は、美川町を中心にした金沢以上の新たな 県都を、白山を源として流れる県内最大の 河川・手取川(石川)を

327. 能登はやさしや土までも

 【2024年1月8日配信】          お金から「いのち」の時代へ(10)             たくましくやさしき能登に光させ                    2024年3月11日              気仙沼市 菅野 千鶴子                              二隻だけでは足りない話にならない      被災者全員を救う方法を考えるべき    「五百年のひびき」   「日々是稽古」 .        輪島名舟の人たちへのインタビュー .    当講座記事NO.318 世界に範たる日本国になるには 強震モニタ .    地震情報 .                           緊急に避難所の設備充実を          大地震から一週間たった今、改めて 以下の記事を再掲します。   日本海側の原発の現況が気になります。  当講座記事 NO.296と 297で珠洲原発  のことに言及しました が、珠洲原発が  建設されていたらこの地震で日本列島  と朝鮮半島には人が住めなくなってい  たのではないでしょうか。珠洲原発を  絶対に安全だと主張して推進していた  関 西 電力、中部電力、北陸電力、経産  省、政府は 謝罪声明を出すべきだと思  います。    震災被災者の避難先に下記写真のように  ビニールハウスが何箇所かありました。  ここは個人や隣近所で自主的に避難した  場所だと思います。ビニールハウスは、  地震に強いのではないでしょうか。    また、私は高校時代、山岳部で部活動を    していたのでその経験からすれば、冬用    テント、ツエルト、シュラフ、ヤッケ、  ポンチョ、コッフェル、ラジウスなどの  山岳装備を キ スリングに入れておき、 か  つ、テントの張り方、炊事の仕方を日頃  から練習し、いつでも野営に備えていた  らいいのではないかと思いました。  もっともこれらに相当する準備は、国、  県、市町 村の首長や各議員が、常日頃か  ら個人の人権とプライバシーに心配りを  したうえで、率先してしなければならな  い極めて重要な政治の仕事であると思い  ます。特に今現在おこっている震災は、  何年も前から充分に予測できたことだけ  に、最低でも上記の準備だけはできたは  ずです。「残念」とか「遺憾

311. レジェンド記者、真実を追う

 【2023年8月2日配信】小社発信記事      木原事件、ジャニーズ事件、 松本VIP事件、 自民裏金脱税事件、政治、ジャーナリズム                      佐藤章 さんの発言とともに考える            尾崎豊『ダンスホール』1984.3.15  東京新宿RUIDO 浅 川マキ/ ライブ夜 1977.11.19 京大西部講堂 桃山晴衣『遊びをせんとや生まれけん』 最新のジャニーズ・松本VIP事件、震災その他記事 当講座記事NO.320 2024.3.6 谷本誠一さん、中川秀直衆議秘書時代を語る 広島県前呉市議(6期)の谷本さんが 高校生の インタ ビューに応えてパー券販売、地盤培養活動などを話す。 撮影 2023.8.3 2021.5.21 佐藤章さんスクープ解説動画 第二次安倍内閣安倍晋三首相退陣の真相 木原事件を考える 2023.8.2 志あるジャーナリストへの呼びかけ .  2023.8.20 黒澤明『天国と地獄』仲代達矢の圧巻の台詞 .                       「被害者・遺族の無念を晴らす。これが刑事の仕事」     佐藤誠元刑事記者会見 2023.7.28 コロンボ、安浦吉之助、 十津川省三、杉下右京をしのぐ 佐藤誠さん の 言葉。「 日本の心」はまだまだ生きている。 同時に加害者側の動機、心情も併せて理解すべきである。 日本の歴史、社会、政治を変える日本史上最高記者会見                    2023.8.8 真犯人 Z氏と木原氏の人生を考える 2023.8.17 事件当日の Z 氏の行動を考察する 2024.8.24 民主主義の岐路.検察再捜査の動き    2029.8.30 事件のもみ消しを決して許してはならない    2023.8.31 事件を報道しない既存のメディアへの怒り                                                     文春報道によれば、2006 年 4月 9日の 午後10時ごろに東京都内で安田種雄さんと いう方が殺されたが自殺とされた。そして 2018年春に捜査が再開されたが、本格的な 捜査に入ろうとした矢先の同年10月下旬に 捜査が突然打ち切られた。  この事件の捜査に当たった警視庁元刑事 の佐藤誠さんが、先月28日に

307. 職人の心意気 -「技」の文化 -

 【2023年7月3日配信】   手作りへのいざない    -「技」の文化-     縫い針のひとはりに込める夢  敦賀市 宮岸 かなえ                     てのひらに落ちる雨滴が灯をともす     鹿児島市 井上 治朗                        器(うつわ)  器への思い    九谷焼絵付師  宮保 英明         用という約束の形を提供しながら、その 形の中でどれだけ新鮮な自身の感覚を保ち 得るか、どんな可能性を引き出し得るか、 自身を試す姿勢で器と向かい合いたい。  自意識による変身、習慣のタガをはずし、 本来まったく自由に扱える創作表現への自 意識を、材質としての焼きものにぶつけた い。  盛られる料理に好かれる器。使いよくて 楽しくて、ついつい使ってしまう器。見た 目に静かで、しかし強い存在感を持ち、素 直に語りかけてくる。そんなものを心がけ てつくりたい。 みやぼ ひであき 20歳から絵付けをはじめる。 1950年石川県白山市生まれ。 石川県加賀市日谷(ひのや)在住。 日谷川をはさんで両側に民家と山が並ぶ。 谷間の村・日谷の向こうには人はいない。 宮保家の裏もすでに森である。 仕事をするのにいい場所をさがし歩き、 1984年の夏、白山市から引っ越してきた。 「ときどき熊が顔を出す」と妻の文枝さん。 小社発行・『北陸の燈』第4号より 撮影・八幡スタジオ 当講座記事NO.21、249再掲 当講座記事NO.223、「職」に関する記事から     芭蕉布ムーディー綾番匠くずし 平良 敏子   鋏 川澄 巌  文駒縫(あやこまぬい) 竹内 功   匠  足立区が誇る「現代の名工」    当講座記事NO.269、「世界屈指の技と清ら」から   流し猫壺 河井 寛次郎      「祖父寛次郎を語る」鷺 珠江さん     当講座記事NO.280、「湯の人(4)」から   樹 -卒業制作- 青木 春美     当講座記事NO.22、「織を通して学んだこと」から     絹本著色方便法身尊影  1500年製作      当講座記事NO.72、「松帆榭にて」から   千年の土 珠洲焼 篠原 敬    当講座記事NO.296、「あの日のこと」から     バンチェン土器   タイ・バンチェン遺跡     当講座記事NO.288、「個

224. 天と地をつなぐ「おわらの風」

【2022年1月22日配信】   大寒           七尾市 石島 瑞枝             雪解けの春風を待つ坂の町               秋風 (2023.9.3)            横浜市 髙祖 路子    夜流しの音色に染まる坂の街                         鏡町地方衆、先人のご苦労をしのびその息吹に応える夜流し .  今町のおわら .      2023.9.3 最終日、西町青年団最終おわらの舞い .                               撮影 木偶乃坊写楽斎さん         〈参考〉                               越中八尾おわら風の盆               「深夜の夜ながし」      日本と日本人が失くしてしまった、  奪 われてしまった温かい心情、 郷愁  --それらを求めて各地から 数多の  見物者 が、 魅入られたかのように、  取りもどす か の ように八尾へ と 足を  運 ぶ の だろうか。  高橋治と石川さゆりの『風の盆恋歌』  の影響が大きいとも八尾ではいわれ  て いる。言葉と 歌の 力のすごさか。  事実、この 歌 の前と後とでは、風の  盆訪問 者 数に圧倒的な差がある。  紅白で、「命を賭けてくつ がえす」  と、着物の 袖 を 強く 握りしめ 揺さぶ  り ながらうた った 「くつがえす」の  一語の中に、日本の 歌手 として歩ん  できた 石川さゆりの、 自 らの心の奥  底にある深い 懐 いをも 包んだ 全 情念  が 込め ら れて い る。  旅人の多くが八尾に滞在してい る中、  わずかのさすがの通だけが、おわら  本来 の良 さ が漂っている深夜の夜流  し の、 後ろ姿を見ている。個性 ある  いで たちもすばらしい。  おわらは見せるものなのか、見られ  るこ とを意識すらせずに心ゆく まで  自ら楽しむものなのか。あるいはま  た、…… …… 高橋治と 石川さゆりは、  諸々のことを考える、見直すための  たいへ ん な「契機」 を 与 えて くれ た  ので ある 。    個人的な所感を述べれば、おわらは  縄文と江戸の文化が八尾で花開いた  ような気がする。  (当講座編集人)    鏡町の踊りに魅入

235. 「兵戈無用」への道程

【2022年2月17日配信】   プーチンへの右手の励ま し   ウクライナと非戦を考える -自由と平和への歴史的飛翔-       ワリエワ問題・負けて勝つ逆転の超美技                      越前市 朝倉 陽子       Flying For Real Freedom And  Peace    二本 刃土俵入り                                                                                                                                                     兵戈無用へ向けて                  ロシア民謡「鶴」          鶴 (Журавли) 日本語字幕     歌  アレクサンドラ・べリコヴァ              Александра Белякова        鶴 - Wikipedia     当講座記事NO.170より        木偶乃坊写楽斎さん撮影    当講座記事NO.283、284、285、300から       以下も朝倉陽子さんの川柳 ワリエワの薬物疑惑事細かに報ずれどワクチン成分問わぬ報道 オリンピックを政治と憎しみの場に変質するIOC     スポーツ精神もわきまえぬIOC面々五輪稀有の至宝をも潰さんと 嫉妬深い狭量小バッハへの大バッハの怒り天を衝く 今の世とあるべき世の構図を北京に見る せめて競技者と元競技者だけですればどうか五輪運営 天賦の才ひきだすト ウ トベリーゼをIOC会長に 師を越えるカミラの願い現実に 速さ華麗さ柔らかさに強さもあわせもつ宙へ羽ばたくカミラの舞い 荷が重すぎても実力歴代世界一十五歳ワリエワ史上最高演技   ワリエワの右手の励ましに木陰で胸なでおろすプーチン一滴の落涙     写真 2022.2.18 日刊スポーツ   〈参考〉 読者の方々から以下のご意見がありました。  「 IOCこそ問題  ジャンプ服の違反やドーピングに関して、 服については競技前に検査すればいいだけ の問題であり、ドーピングに関しても大会 前に把握解決しておけばいいだけの問題で ある。大会中にこれらの問題を引き起こす ことは、IOCが

314. 哲学の時代へ(第13回)

 【2023年9月1日配信】   お金から命 の時代へ(8)    薪を負うて名定まる                「知の無知」 ソクラテスの嘆き        青梅市 山下 秀美                            毒あおぎ今ごろ悔いるソクラテス                               毒杯を奪い地に叩き割る者はいなかったのか          わが腹中を知らずや毒を急ぐ人々      奇術師の手品のようなピーシーアール           プラトンも注射に走る恩知らず         アリストテレスよおまえもか  わしともあろうものがなかった先見の明  クサンチッペが一番まともだった      「あんたはほんとにおばかさん」    今一番語りあいたしディオゲネス     「ひなたぼっこのじゃましないでくれ」  ミュルトはどうしている    フリュネとも話がしたい   ディオゲネスの唯一理解者  毒消しをわしは今アポロンに頼んでいる       孔子とはわしのことかとソクラテス    彼の人にもなってしまったが   人類の罪を背負うという意は    命を賭して彼の人を救おうと   し た者は誰もいなかったのか      同じ過ちは何度も繰りかえせ   賢明な弟子は師を選び鍛える      以下参考   今野ゆうひさん、当講座記事NO.303    マスク社会への決断・問われる学校教育   谷本誠一さん、釧路マスク強制降機の真相     この真相についての谷本誠一さん執筆原稿   司法との戦い第2ステージへ( 2023.10.1 動画)       谷本誠一さん執筆、当講座記事NO.161     国民主権・国民の命と自由と人権    高校1年生が谷本誠一さんを取材(2023.8.3 動画)    谷本さん青雲の志中学高校時代を語る    谷本さん将棋奨励会大阪時代を語る    谷本さん中川秀直衆議秘書時代を語る   2024.3.5 参議院予算委員会   柳ヶ瀬裕文議員、新型コロナワクチン被害につき質問   2024.3.7 文春オンライン、福島雅典京大名誉教授   「コロナワクチン後遺症」驚愕の調査結果発表   当講座記事NO.289 コロナ再考、甦る親鸞の他力   同268 いま一度、コロナについて考えてみよう 〈小社推

275. スポーツを文化にするために

【2022年10月10日配信】     交驩のエール     花開きつつあるエンジョイベースボール    「学生野球考」          慶應義塾大学野球部監督                   前田 祐吉      「サード!もう一丁!」「ヨーシこい」 と いう元気な掛け声の間に、「カーン」と いう 快いバットの音がひびくグラウンドが 私の職 場である。だれもが真剣に野球に取 り組み、 どの顔もスポーツの喜びに輝いて いる。息子 ほどの年齢の青年たちに囲まれ、 好きな野球 に打ち込むことのできる私は、 つくづく、し あわせ者だと思う。  学生野球は教育の一環であるとか、野球 は人間形成の手段であるということがいわ れるが、私の場合、ほとんどそんな意識は ないし、まして自分が教育者だとも思わな い。どうしたらすべての野球部員がもっと 野球を楽しめるようになるのか、どうした らもっと強いチームになって、試合に勝ち、 選手と喜びを共にできるのか、ということ ばかり考えている。  野球に限らず、およそすべてのスポーツ は、好きな者同志が集まって、思いきり身 体を動かして楽しむためのもので、それに よって何の利益も求めないという、極めて 人間的な、文化の一形態である。百メート ルをどんなに早く走ろうと、ボールをどれ だけ遠くへカッ飛ばそうと、人間の実生活 には何の役にも立たない。しかし、短距離 走者はたった百分の一秒のタイムを縮める ために骨身をけずり、野球選手は十回の打 席にたった三本のヒットを打つために若い エネルギーを燃やす。その理由は、走るこ とが楽しく、打つことが面白いからにすぎ ない。さらにいえば、より早く走るための 努力の積み重ねが何物にも替えがたい喜び であり、より良く打つための苦心と練習そ のものに、生きがいが感じられるからであ る。  このように、スポーツは余暇を楽しみ、 生活を充実させるための手段で、それ以外 には何の目的もないはずである。むしろ目 的のないことがスポーツの特徴であり、試 合に勝つことや良い記録を出すことは、単 なる目標であって終局の目的ではない。  かつて超人的な猛練習でスピードスケー ト の王者といわれ、冬季オリンピックの金 メダルを独占したエリック・ハイデンは「 金メダルは私の人生の目的ではない。それ に至るプロセスの喜びが私
         柿岡 時正
         廣田 克昭
         酒井 與郎
         黒沢  靖
         神尾 和子
         前田 祐吉
         廣田 克昭
         伊藤 正孝
         柿岡 時正
         広瀬 心二郎
         七尾 政治
         辰巳 国雄
         大山 文人
         島田 清次郎
         鶴   彬
         西山 誠一
         荒木田 岳
         加納 韻泉
         沢田 喜誠
         島谷 吾六
         宮保 英明
         青木 晴美
         山本 智美
         匂  咲子
         浅井 恒子
         浜田 弥生
         遠田 千鶴子
         米谷 艶子
         大矢場 雅楽子
         舘田 信子
         酒井 由記子
         酒井 由記子
         竹内 緋紗子
         幸村  明
         梅  時雄
         家永 三郎
         下村 利明
         廣田 克昭
         早津 美寿々
         木村 美津子
         酒匂 浩三
         永原 百合子
         竹津 清樹
         階戸 陽太
         山本 孝志
         谷口 留美
         早津 美寿々
         坂井 耕吉
         伊佐田 哲朗
         舘田 志保
         中田 美保
         北崎 誠一
         森  鈴井
         正見  巖
         正見  巖
         貝野  亨
         竹内 緋紗子
         滋野 真祐美
         佐伯 正博
         広瀬 心二郎
         西野 雅治
         竹内 緋紗子
         早津 美寿々
         御堂河内 四市
         酒井 與郎
         石崎 光春
         小林 ときお
         小川 文人
         広瀬 心二郎
         波佐場 義隆
         石黒 優香里
         沖崎 信繁
         山浦  元
         船橋 夕有子
         米谷 艶子
       ジョアキン・モンテイロ
         遠藤  一
         谷野 あづさ
         梅田 喜代美
         小林 ときお
         中島 孝男
         中村 秀人
         竹内 緋紗子
         笠尾  実
         前田 佐智子
         桐生 和郎
         伊勢谷 業
         伊勢谷 功
         中川 清基
         北出  晃
         北出  晃
         広瀬 心二郎
         石黒 優香里
         濱田 愛莉
         伊勢谷 功
         伊勢谷 功
         加納 実紀代
         細山田 三精
         杉浦 麻有子
         半田 ひとみ
         早津 美寿々
         広瀬 心二郎
         石黒 優香里
         若林 忠司
         若林 忠司
         橋本 美濃里
         田代 真理子
         花水 真希
         村田 啓子
         滋野 弘美
         若林 忠司
         吉本 行光
         早津 美寿々
         竹内 緋紗子
         市来 信夫
         西田 瑤子
         西田 瑤子
         高木 智子
         金森 燁子
         坂本 淑絵
         小見山 薫子
         広瀬 心二郎
         横井 瑠璃子
         野川 信治朗
         黒谷 幸子
         福永 和恵
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         秋山 郁美
         加藤 蒼汰
         森本 比奈子
         森本 比奈子
         吉村 三七治
         石崎 光春
         前田 佐智子
         前田 佐智子
         前田 佐智子
         前田 佐智子
         中野 喜佐雄
         八木  正
         堀  勇蔵
         家永 三郎
         広瀬 心二郎
         菅野 千鶴子
         海野 啓子
         菅野 千鶴子
         海野 啓子
         石井 洋三
         小島 孝一
         キャリー・マディ
         谷本 誠一
         宇部  功
         竹内 緋紗子
         谷本 誠一
         酒井 伸雄
163、コロナ禍の医療現場リポート
         竹口 昌志
164、この世とコロナと生き方を問う
         小社発信記事
165、コロナの風向きを変える取材
         橋本 美濃里
166、英断の新聞意見広告
         小社発信記事
167、ワクチン接種をしてしまった方へ
         小社発信記事
168、真実と反骨の質問
         小社発信記事
169、世論を逆転する記者会見
         小社発信記事
170、世界に響けこの音この歌この踊り
         小社発信記事
171、命の責任はだれにあるのか
         小社発信記事
172、歌人・芦田高子を偲ぶ(1)
         若林 忠司
173、歌人・芦田高子を偲ぶ(2)
         若林 忠司
174、歌人・芦田高子を偲ぶ(3)
         若林 忠司
175、ノーマスク学校生活宣言
         こいわし広島
176、白山に秘められた日本建国の真実
         新井 信介
177、G線上のアリア
         石黒 優香里
178、世界最高の笑顔
         小社発信記事
179、不戦の誓い(2)
         酒井 與郎
180、不戦の誓い(3)
         酒井 與郎
181、不戦の誓い(4)
         酒井 與郎
182、まだ軍服を着せますか?
         小社発信記事
183、現代時事川柳(六)
         早津 美寿々
184、翡翠の里・高志の海原
         永井 則子
185、命のおくりもの
         竹津 美綺 
186、魔法の喫茶店
         小川 文人 
187、市民メディアの役割を考える
         馬場 禎子 
188、当季雑詠
         表 古主衣 
189、「緑」に因んで
         吉村 三七治 
190、「鶴彬」特別授業感想文
         小社発信記事
191、「社会の木鐸」を失った記事
         小社発信記事
192、朝露(아침이슬)
         坂本 淑絵
193、変わりつつある世論
         小社発信記事
194、ミニコミ紙「ローカル列車」
         赤井 武治
195、コロナの本当の本質を問う①
         矢田 嘉伸
196、秋
         鈴木 きく
197、コロナの本当の本質を問う②
         矢田 嘉伸
198、人間ロボットからの解放
         清水 世織
199、コロナの本当の本質を問う③
         矢田 嘉伸
200、蟹
         加納 韻泉
201、雨降る永東橋
         坂本 淑絵
202、総選挙をふりかえって
         岩井 奏太
203、ファイザーの論理
         小社発信記事
204、コロナの本当の本質を問う④
         矢田 嘉伸
205、湯の人(その2)
         加藤 蒼汰
206、コロナの本当の本質を問う⑤
         矢田 嘉伸
207、哲学の時代へ(第1回)
         小社発信記事
208、哲学の時代へ(第2回)
         小川 文人
209、コロナの本当の本質を問う⑥
         矢田 嘉伸
210、読者・投稿者の方々へお願い
         小社発信記事
211、哲学の時代へ(第3回)
         小社発信記事
212、哲学の時代へ(第4回)
         小社発信記事
213、小説『金澤夜景』(2)
         広瀬 心二郎
214、小説『金澤夜景』(3)
         広瀬 心二郎