白山からの贈り物・伝説の菊酒
【2021年1月23日配信 NO.112】
リポーター
吉本 行光
石川県の地酒で全国的にも有名な『萬歳楽』
の石川県石川郡鶴来町 (現白山市)の小堀酒造
店を訪ねた。
ここで造られる酒は、『加賀菊酒』と呼ば
れ、次のような伝説がある。
「手取川の上流には、昔からイワギク (岩菊)、
リュウノウギク (龍脳菊)、ヤマシロギク (山
白菊)などの野生菊がいっぱい生えていまし
た。その滴りを受けて流れる手取川の水は、
酒造に最適であるといわれます。
中国の伝承にも、このような菊水を取って、
それを飲むと長生を保つといわれています。
このことから鶴来の里にも、この菊の滴露の
下流を汲み取って酒造りをしたので、加賀菊
酒の名が起こりました。
加賀菊酒の起源は、すでに室町時代に始ま
っており、その元祖は米屋家(今のコメヤ薬
局)だといわれます。
山科大納言の日記に『大永七年(1527年)
四月十九日、天晴、白山長吏が土産としては
るばる京都へ菊酒を持参した………』と記録さ
れており、また太閤記には、秀吉が慶長三年
(1598年)三月、醍醐で大花見の宴を催した
とき、諸国の銘酒が集められたが、その第一
番に加賀の菊酒が挙げられたといわれていま
す。」(史跡・名勝マップ『鶴来の里』より)
私が、この小堀酒造店を訪れ、見学を依頼
すると、快く応じてくださった。雪にうもれ
る冬、全国各地の酒造りは、その年収穫され
た酒造米を原料に、その土地独特の酒を造り
あげる。ここ小堀酒造店も例外ではない。
その米作りにおいて、ここでは、鶴来より
奥の鳥越村、吉野谷村の農家約五十軒に依頼
し、専門の大学教授から土づくりの講義を受
けるなど、たゆまぬ研究を重ねている。
水については、良い水とは無色透明、無味
無臭で、麹菌や酵母の増殖を助けるカルシウ
ム、マグネシウムなどのミネラルを適度に含
むものである。雪深い白山の奥から湧き出た
水が手取川の伏流水となり、鶴来あたりまで
流れてくるころには、ミネラルも適度に含ま
れて醸造に最適な水質となっている。
私は、こうした製造部長さんの酒造りの話
を聞き、そして各工程順に案内してもらった。
白衣を着ての見学は、病院、それにある会社
のトランジスタ製造工場以来である。
まず、収穫された米の外層部をけずり取る
精米作業。精米された米を蒸す蒸米作業。そ
れから、米を麹(こうじ)、酵母、醪(もろ
み)と三工程に分ける。なかでも麹づくりは、
たいへんな作業だと思った。
部屋に入るなり、メガネ、それにカメラの
レンズが曇ってしまうほど、中は暖かく、湿
度も厳重に管理されている。その中で二十四
時間、まるで自分の子どもを世話するように
愛情を込めた作業が続く。
見学中、私は、日本酒は単なる酒ではなく、
生きもののように思えた。愛情を込めて造ら
なければ、決して良い酒はできないと………。
次に蒸し米、米、麹、酵母を混ぜての発酵
作業。微妙な温度管理が必要とされている。
約三週間で発酵を終える。
さあ、いよいよ搾(しぼ)り作業である。
近代的な機械によって搾られ、酒粕と原酒に
分けられる。さっそく搾りたてのお酒をひと
口いただいた。
「なんとおいしいのだろう!!」
今まで洋酒に慣れ、日本酒はちょっと好ま
なかった私であるが、口の中全体に広がるま
ろやかさは、これまで経験したことがなかっ
た。あらためて、日本酒の良さを知った。
酒製造棟からビン詰め出荷作業場へ向かっ
た。外は雪。製造部長さんは、この雪を見て、
「いい天気になった」。はて?雪が降るとな
ぜ良い天気なのだろうか。続けて、「この雪
によって空気が清められていくんです」と。
土から鍛える米造り。味わいを決めるのは
米、酒質を左右するのは水といわれるくらい
米と水は大切なものである。そして、なるほ
ど、酒にはもうひとつ、汚れのない清らかな
空気が必要だったのか………。
私はこの見学を終え、酒にはさらにもうひ
とつ、製造部長さんは謙遜して口にはしなか
ったが、酒造りにかかわる全員の真心が込め
られているということである。このことが、
酒造りに最も重要なことであることを知った。
いや、酒だけではない。一生懸命、真心を
込めて造られているいいものが、私たちの周
りにもっともっとたくさんあるはずだ。そう
いう目や感性をもって生きることが大切なの
だ。
そんな思いが、このとき、ふっと私の胸を
かすめた。
小社発行・『北陸の燈』第3号より
〈以下参考〉
魏の鐘会(225~264)が、菊酒は神仙の飲
み物と自作の詩に謳ったという。また、
曹丕(187~226)は、菊酒を飲んで剛健に
なり魏の初代皇帝になったという伝説が
ある。
秋夜宴山池 秋夜山池に宴す
對峰傾菊酒 峰に対ひて菊酒を傾け
臨水拍桐琴 水に臨んで桐琴を拍つ
忘歸待名月 帰るを忘れて名月を待つ
何憂夜漏深 何ぞ憂へんや夜の漏として深きを
從四位下治部卿境部王
長屋王邸での宴 霊亀3(717)年頃
『懐風藻』から
草の戸や日暮れてくれし菊の酒 芭蕉