哲学的人間観-その1-

 
 【2020年7月9日配信】                      
           富山大学名誉教授   柿岡 時正

   『北陸の燈』に哲学の話を連載するように
頼まれたので、人間の最終で最高の哲学では
ないかと私が常に思っているカントとマルク
スの思想を論評することとした。しかし両者
の所説を詳細に検討するのではなく(専門家
以外には必要ないだろう)種々の哲学的立場
を比較しながらカントやマルクスの思想をも
簡単に語る程度に止めたので、それ以上を知
りたい方は私の書いた他の論文を読んで頂き
たい。

 さて哲学の諸立場とそれに基づく人間観は
極めて数多いが、大別すれば次の三種類に整
理され得ると思われる。即ちそれは(一)唯
物論的人間観・(二)有神論的人間観・(三)
経験論的人間観であるけれども、この分類は
哲学的人間観の発達の順序でもあるから本号
ではまず唯物論的人間観について述べて見よ
う。

   一 唯物論と人間
  唯物論とは物質(自然)を世界(宇宙)の
唯一の存在と考える哲学思想であり、人間も
単なる肉体的・物質的存在としてこの物質の
一部分であるに過ぎないと見なされている。
しかし人間が物質的性質を有することは明白
であるにしても、それと共に物質とはある程
度異った精神的性質をも持っていることが認
められるならば、世界はむしろ人間の観念と
しての存在となって両者の関係は逆転する。
そのような哲学的立場は唯心論あるいは観念
論と呼ばれるけれども、これは有神論的人間
観と密接な関係にあるのでその立場を論ずる
際に併せて考察しよう。

 さて理論的な世界観としての哲学は唯物論
から始まったともいわれるが、それはある意
味では当然であろう。人間が肉体的・物理的
な存在でもあることは明確な事実であり、物
質的制約を完全に脱却することはできないの
である。したがって人間社会がまだ弱体で環
境的自然が極めて巨大に感じられたと思われ
る古代では自然的物質がまず絶対視されたと
しても不思議ではないけれども、哲学として
の自然的唯物論は種々の欠点を持っているた
めにその後次第に他の哲学思想が出現したの
であった。

 例えば唯物論者は物質を唯一の存在という
が、その物資の発生や起源についてはほとん
ど説明していないのである。その点は一応科
学的とはいえても哲学的世界観としては必ず
しも完結性がなく、むしろ単なる自然科学的
仮説であると見た方がよいのではないかと考
えられる。この場合唯物論者は神による宇宙
創造説を荒唐無稽と非難して宇宙は永遠の昔
から存在すると主張するが、その説明は意外
にも創造説と同じ位に不合理である。

 何故ならばこの「永遠の昔」が時間・空間
なある一点であったとすれば、その時点で大
宇宙が突然無より自動的に出現したことにな
るけれどもそれは神の創造説よりも更に奇妙
であるだろう。したがって唯物論者は科学の
進展によってこの問題は解決され得るとか、
あるいはただ永遠に存在し続けて来たとも説
明するがそれも実は問題の回避であって真の
解決ではない。科学の進歩に伴って「永遠の
昔」が遡ったとしても無よりの出現の疑問は
常に残るし、また永遠に存在し続けて来たと
いう主張も単なる仮定であって証明ではない
からである。

 それ故にこの問題に関する最も合理的な説
明は神の創造説や「永遠の昔」説ではなく、
カントの批判的不可知論ではないかと思われ
る。彼は人間の思惟が世界(宇宙)を全体と
して把捉しようとすれば「世界は有限である」
と「世界は無限である」という矛盾した両判
断が必然的に対立することを指摘して、人間
の思惟能力は世界を絶対的存在としては把捉
し得ないと主張したのであった。即ちカント
によれば世界は完全な総体の形で人間に示さ
れてはいないのに人間の思惟が全体的に把捉
しようとするから矛盾が生ずるのであり、人
間はただ課せられた問題としての経験を不断
に探究すべきであるというのである。

 このように人間は世界を存在そのもの(物
自体)として完全に認識することは不可能で、
人間の経験する現象界としてのみ知り得るに
過ぎないというカントの批判哲学は不可知論
的経験論とも呼ばれている。私はこの経験論
こそ最もすぐれた哲学的立場である(多少の
難点はあるが)と考えているので後に詳論す
るけれども、今はその人間観と唯物論的人間
観との相違点について多少述べておくだけに
止めよう。

 唯物論は物質を唯一の存在と考えて人間も
その一部と見なす思想であるから、極めて簡
明ではあるにしても人間を主体として把捉で
きない点に問題がある。人間は自然的物質と
見られる場合には当然自然科学的法則に支配
されるが、人間の実践を基礎とする社会科学
的方面では意志の自由や選択の可能性が前提
として認められなければならない。その際に
は人間は社会的環境はもとより、自然的環境
をも自由な意志によってある程度は変更し得
る存在と見なされるのである。

 しかしこの人間の主体的自由の能力は自然
や神という絶対者的存在と比べれば極めて微
小であるから、唯物論や有神論では人間の自
由はほとんど無視されて自然や神の法則のみ
が絶対視・必然視されることとなる。それに
反してカントのように世界は単に人間の見た
現象界であり、自然や神のような絶対者は真
の意味では認識され得ないと考える経験論的
立場では人間とその自由が逆に最優先される
のである。

 何故ならば人間が自然や神のような強力な
絶対的存在と同一次元の世界にあると見られ
るならば人間は常に絶対者に従属する存在で
あり、絶対者の法則に比べれば人間の自由は
ただ表面的な見せかけだけの自由となること
は当然であろう。しかるにこの世界はすべて
人間にとっての経験的現象界であって自然や
神という強力な存在も人間の合成した観念で
あるに過ぎないとすれば、人間こそ実はこの
世界の真の中心であってその自由もまた最も
基本的な原理として重視され得るのである。
 
 無論この見解によって人間が自然法則から
完全に解放されるというのではないけれども、
人間の経験的現象としての世界においては人
間の生命や自由の尊重が基本的で最高の目的
となるのである。即ち強力な自然法則もまず
人間の生命や幸福の維持・促進のために利用
されなければならず、人間の物質視・機械視
は完全に否定されて人間はただ人間であるだ
けで基本的人権を有することになる。それ故
にカントのこの不可知論的経験論は人間の能
力を軽視しているように見えながら、却って
人間を最高に重視する哲学であるといえよう。

 これに対して唯物論は物質を根源視する点
では素朴で明快な哲学ではあるが、政治的権
力者によって人間軽視の方向にも利用され得
るために人間社会の発展と共に唯心論や経験
論のような人間中心の哲学的思想が次第に尊
重されるようになったのであった。それでも
唯物論は哲学というよりむしろ科学的仮説と
して使用されるならばすぐれた価値を有する
のであって、自然科学の仮説として神のよう
な不明確な存在による創造を排除したり社会
科学的には経済構造のような人間の物質的方
面を重視させる効果を持っているのである。

 それ故に唯物論は主として時代の転換期に
出現(例えばギリシャ神話に対する物活論や
デモクリトス的唯物論、キリスト教に対する
ホッブスやフランス唯物論、ヘーゲルに対す
るマルクスのように)して、前代の古い宗教
的イデオロギーを一掃する革新的任務を果た
すことが多いけれども、人間的世界観として
は多少不十分であるために種々の補正を必要
とする。現代の唯物論としてのマルクス主義
も政治的効用は大きいが哲学思想としてはや
はり欠点を持っているので、むしろ経験論的
哲学を基盤とする社会科学的人間学として再
編する必要があると思われる。

 マルクスの唯物論は彼自身のいう所によれ
ば実践を重視する社会的人間の立場としての
「新しい唯物論」であるけれども、エンゲル
スやレーニンの解説によると唯物論はすべて
「自然を根源的なものと見なす」哲学でその
中に種々の流派があることとなる。したがっ
てマルクスの唯物論とは古来の自然的唯物論
の中の一つの新しい「流派」であるに過ぎな
いのか、それとも自然的唯物論とは全く異っ
た社会的人間を基礎とするという意味での「
新しい唯物論」であるのかは必ずしも明確で
はない。

 この疑問に対して多くの「マルクス主義者」
はマルクス・エンゲルス・レーニンの所説は
すべて正しいから「新しい唯物論」こそ人間
の自由を確立し得る最高の自然的唯物論であ
ると主張するのであるが、実はこの三者の説
明にはそれぞれの難点と相互矛盾がある。即
ちマルクスの「新しい唯物論」はその名称と
は異り内容的にはむしろ「新しい経験論」で
あるけれども彼がそれを「唯物論」と呼んだ
ために、エンゲルスやレーニンが誤って古い
自然的唯物論と同一した結果大きな混乱を生
じたのではないかと私は考えている。

 しかしこのような重大問題は簡単には論証
できないので経験論的人間観を考察する際に
詳しく述べることとして、今はただレーニン
の物質に関する定義の不合理性を指摘してお
くだけに止めよう。彼は「物質とは人間に対
してその感覚において与えられ、我々の感覚
において複写され、撮影され、模写されなが
ら、感覚から独立して存在する客観的実在を
表示するための哲学的範疇である」といって
いる。

 この定義は有名で屢々引用されるが、その
内容は完全な自己矛盾であるといえよう。何
故ならば物質が人間に対して感覚において与
えられる際に複写され模写されるのであれば、
「感覚から独立して存在する客観的実在」は
何によってまたいかなる形で人間に知られ得
るのであろうか。それもやはり感覚によって
把えられるのであるなら「感覚から独立して
存在」してはいないし、感覚における模写・
複写とも区別され得ないのである。

 したがって唯心論や経験論は物質とは実は
人間の理性や感覚によって把捉された模写と
しての観念的な「物質」であるに過ぎないと
主張するのであり、世界の根源も物質ではな
くむしろ人間の精神を出発点と見る。それに
対して唯物論者はあくまでも物質を根源的存
在と主張するのであるけれども、感覚で模写
された「物質」とは異る「感覚から独立して
存在する客観的実在」としての物質を理論的
に証明することは意外に困難である。

 さて以上述べて来たように唯物論は人間に
とって最も確実な存在である如くに見える物
質を唯一の存在と力説するから明快で合理的
であると思われやすいが、その所説の内容を
厳密に検討すると物質の定義さえ不明確であ
るばかりでなく物質的世界の起源をも十分に
は説明していないのであった。それ故に人間
は哲学思想としては最も古いともいわれる唯
物論的世界観から次第に離れて、人間の主体
的自由を重視しながら唯物論の欠陥をある程
度補完しようとする唯心論(有神論)や経験
論のような哲学的立場に移行したのであるけ
れども、それらの思想については次号以降で
述べることとしよう。


小社発行・『北陸の燈』第3号掲載

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 【2024年1月8日配信】          お金から「いのち」の時代へ(10)             たくましくやさしき能登に光させ                    2024年3月11日              気仙沼市 菅野 千鶴子                              二隻だけでは足りない話にならない      被災者全員を救う方法を考えるべき    「五百年のひびき」   「日々是稽古」 .        輪島名舟の人たちへのインタビュー .    当講座記事NO.318 世界に範たる日本国になるには 強震モニタ .    地震情報 .                           緊急に避難所の設備充実を          大地震から一週間たった今、改めて 以下の記事を再掲します。   日本海側の原発の現況が気になります。  当講座記事 NO.296と 297で珠洲原発  のことに言及しました が、珠洲原発が  建設されていたらこの地震で日本列島  と朝鮮半島には人が住めなくなってい  たのではないでしょうか。珠洲原発を  絶対に安全だと主張して推進していた  関 西 電力、中部電力、北陸電力、経産  省、政府は 謝罪声明を出すべきだと思  います。    震災被災者の避難先に下記写真のように  ビニールハウスが何箇所かありました。  ここは個人や隣近所で自主的に避難した  場所だと思います。ビニールハウスは、  地震に強いのではないでしょうか。    また、私は高校時代、山岳部で部活動を    していたのでその経験からすれば、冬用    テント、ツエルト、シュラフ、ヤッケ、  ポンチョ、コッフェル、ラジウスなどの  山岳装備を キ スリングに入れておき、 か  つ、テントの張り方、炊事の仕方を日頃  から練習し、いつでも野営に備えていた  らいいのではないかと思いました。  もっともこれらに相当する準備は、国、  県、市町 村の首長や各議員が、常日頃か  ら個人の人権とプライバシーに心配りを  したうえで、率先してしなければならな  い極めて重要な政治の仕事であると思い  ます。特に今現在おこっている震災は、  何年も前から充分に予測できたことだけ  に、最低でも上記の準備だけはできたは  ずです。「残念」とか「遺憾

266. 混迷する現代と統一協会 

【2022年8月28日配信】        親友ヨッチにささげる手記          -最期まで友情を信じて-                  石川県河北郡津幡町                 書店員 22歳  酒井 由記子  人は、どんな人と巡り合うか、どんな本 と出会うかによって人生が決まってくると、 ある作家が述べていたのをふと思い出す。 私にとってはまさにそうであった。出会っ た人達も書物もとても大きな影響を残し、 忘れられない出来事となっていったのであ る。   一、高校生の頃  今から六年前(1977年)、私は金沢 二水高校の二年生であった。いや二年生と いうより吹奏楽部生というほうが適切であ るほど私は部活動に情熱を注ぎ込んでいた。 みんなでマラソン、腹筋運動をしてからだ を鍛えあげ、各パートごとでロングトーン をして基礎固めをなして、全員そろって校 舎中いっぱいに響きわたるハーモニーを歌 いあげる。それは、先輩、後輩、仲間達の 一致によって一つの音楽をつくり出すとい う喜びを存分に味わった私の青春時代の真 っ盛りであった。ただ残念なことは、部活 動に熱中すればするほど勉強のほうはさっ ぱり力がはいらなかったことである。中学 生のときは、「進学校にはいるために」と いうただそれだけの目的で受験勉強ができ た。しかし、いざ高校にはいってみると、 また「いい大学にはいるために」と先生方 が口をすっぱくして押しまくる文句に素直 になれなかった。勉強する本当の意味が見 出せなかったのである。その頃から、私は 人間は何のために生きるのだろうかという ことまで突っ込んで考えるようになってい った。  父母が書店を経営しているため本は充分 にあり、書物を読むことによって答えを見 出そうとした。私の強い求めに応じるかの ように一冊の本が転がり込んできた。クリ スチャン作家である三浦綾子さんの『あさ っての風』という随筆集であった。聖書の 言葉がそこに登場しており、それはズシリ と心に響いたのである。その本に魅せられ て三浦さんの自叙伝も何冊か読み進めてい った。しだいに私の魂は、人間をはるかに 越えた大いなる存在があることを感じてい った。確信までは至らなかったけれども、 それらの本によって金沢のプロテスタント の教会に足を運び、牧師さんのお話を聞く ようにもな

280. 湯の人(4)現実と夢

 【2022年11月22日配信】   大きな便り                       加藤 蒼汰          秋とはいっても冬のような寒い夜だった。 浴室にはだれもおらず、脱衣場には番台に 座っている銭湯の主人と私ともうひとり。  その人は銭湯の近所の人であり、かつて 高校の教員をしていた。在職当時、馳浩・ 現石川県知事を教えていたと語っている。 八十歳を超えている。  この銭湯でよく顔を合わせ、会うたびに 知事の高校在学中のエピソードを繰り返す ので、私はその話の内容をすっかり諳んじ られるようになってしまった。高校入学時 から卒業までの様子、レスリング部での活 躍などであるが、私が特に感銘を受けた話 は、知事は高校時代、冬、雪が降り積もっ た朝には真っ先に早出登校して、生徒・教 職員を思いやり、校門から校舎玄関入り口 までの路をひとりスコップで雪かきをして いたというくだりである。  そんなすばらしい教え子をもつ元先生が、 服を脱ぎ裸になって浴室入り口に向かって 五、六歩あるきながら大便を三個落とした のである。気づかずに落ちたようなので、 私は「先生、落としもの」と声をかけると、 「ありりー、まったく気いつかんかった。 あはははは」と笑うのである。  私は、脇にあったチリトリでこの塊をす くいとり、「みごとな色と固さやね」と言 いながらトイレに流した。しかしながら、 脱衣場にはその匂いが全面に沁みわたり、 息が苦しくなるほどだった。このとき私は、 幼いころサーカスを見たときのことを思い だした。  それは曲芸をしていた象が巨大な大便の 塊を三個落とし、団員があわててスコップ で拾いあげていた光景であった。このとき の衝撃の記憶がよみがえり、私にとっさに チリトリを思いつかせたような気がする。 本を読んでいた番台の主人もその匂いで事 のいきさつに気づき、「匂いもすばらしい ね」と笑いながら脱衣場の窓を全開し床を 雑巾でふいてくれたが、その強力な匂いは 容易に消えなかった。  その間、先生は先に浴槽へ入り、気持ち よさそうに浸かっていた。私は先生と湯壺 にいっしょに漬かることに一瞬躊躇したが、 免疫機能が高まるまたとないチャンスでは ないかとの思いも何ゆえか突然こみあげて きて湯船に同席、お伴したしだいである。  「よくあることなんけ」と湯中、思わず

272. 「命」の新文化創造の世へ

【2022年10月4日配信】        学級通信「あいこでしょ」の願い                       小松市立稚松小学校              教諭 辰巳 国雄                                                                   題字 井上碧山さん (北九州市)         絵  本多千鶴子さん(金沢錦丘高校1年) 薪を負いて名定まる  背負い歩き考える二宮金治郎  ロダンの『考える人』よりもりっぱに思える 損得から尊徳の世へ 当講座記事NO.314 山下秀美、哲学の時代へ 同266 酒井由記子、混迷する現代と統一協会 同294 小原基子、おんな川にかかる橋 同303 今野ゆうひ、教え子を再び何処へ送るのか 同318 髙森文子、世界に範たる日本国になるには  学級文集とか、学級通信とか、学級機関 紙 といわれるもの を発行することを、教師 の仕 事の軸の一つに して実践を積み重ねて いる人 がずい分多いと 思う。  私は、学級通信(学級文集・学級機関紙 も 含めて)を発行してから、もう三十年近 くに なる。あるときは季刊であったり、月 間であ ったり、週刊であったり、日刊であ ったり、 その形はさまざまである。その一 年、一年で 形も異なり、内容も変わってき ている。大ざ っぱな言い方をすれば次のよ うになるだろう。  子どもたちの生活のなかみや、思いや考 え を、本音のところで知りたい。それは、 話す ということででもできるかも知れない が、数 十人の学級の子どもたち全員の本音 を知るこ とはむずかしい。話すことの不得 手な子でも 書くことによって本音を語って くれるだろう。 また書くことによって、さ らに、自分の生活 や、思いや考えを、見つ め直すことになり、 印刷されたものを通し て、学級のみんなの共 通の認識を得られる だろう。共通の認識を持 った学級集団(子 どもたち)は、それをステ ップに、学級集 団の文化を創り上げていく力 にするだろう。  これが、私の教育の大きな柱だった。こ う して始めた学級通信発行の仕事は、子ど もた ちの全面発達を願う私の教育実践のそ のとき そのときの証しともなるものになっ た。学級 通信が発行できなくなるというこ とは、私と 子どもた
         柿岡 時正
         廣田 克昭
         酒井 與郎
         黒沢  靖
         神尾 和子
         前田 祐吉
         廣田 克昭
         伊藤 正孝
         柿岡 時正
         広瀬 心二郎
         七尾 政治
         辰巳 国雄
         大山 文人
         島田 清次郎
         鶴   彬
         西山 誠一
         荒木田 岳
         加納 韻泉
         沢田 喜誠
         島谷 吾六
         宮保 英明
         青木 晴美
         山本 智美
         匂  咲子
         浅井 恒子
         浜田 弥生
         遠田 千鶴子
         米谷 艶子
         大矢場 雅楽子
         舘田 信子
         酒井 由記子
         酒井 由記子
         竹内 緋紗子
         幸村  明
         梅  時雄
         家永 三郎
         下村 利明
         廣田 克昭
         早津 美寿々
         木村 美津子
         酒匂 浩三
         永原 百合子
         竹津 清樹
         階戸 陽太
         山本 孝志
         谷口 留美
         早津 美寿々
         坂井 耕吉
         伊佐田 哲朗
         舘田 志保
         中田 美保
         北崎 誠一
         森  鈴井
         正見  巖
         正見  巖
         貝野  亨
         竹内 緋紗子
         滋野 真祐美
         佐伯 正博
         広瀬 心二郎
         西野 雅治
         竹内 緋紗子
         早津 美寿々
         御堂河内 四市
         酒井 與郎
         石崎 光春
         小林 ときお
         小川 文人
         広瀬 心二郎
         波佐場 義隆
         石黒 優香里
         沖崎 信繁
         山浦  元
         船橋 夕有子
         米谷 艶子
       ジョアキン・モンテイロ
         遠藤  一
         谷野 あづさ
         梅田 喜代美
         小林 ときお
         中島 孝男
         中村 秀人
         竹内 緋紗子
         笠尾  実
         前田 佐智子
         桐生 和郎
         伊勢谷 業
         伊勢谷 功
         中川 清基
         北出  晃
         北出  晃
         広瀬 心二郎
         石黒 優香里
         濱田 愛莉
         伊勢谷 功
         伊勢谷 功
         加納 実紀代
         細山田 三精
         杉浦 麻有子
         半田 ひとみ
         早津 美寿々
         広瀬 心二郎
         石黒 優香里
         若林 忠司
         若林 忠司
         橋本 美濃里
         田代 真理子
         花水 真希
         村田 啓子
         滋野 弘美
         若林 忠司
         吉本 行光
         早津 美寿々
         竹内 緋紗子
         市来 信夫
         西田 瑤子
         西田 瑤子
         高木 智子
         金森 燁子
         坂本 淑絵
         小見山 薫子
         広瀬 心二郎
         横井 瑠璃子
         野川 信治朗
         黒谷 幸子
         福永 和恵
         小社発信記事
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         秋山 郁美
         加藤 蒼汰
         森本 比奈子
         森本 比奈子
         吉村 三七治
         石崎 光春
         前田 佐智子
         前田 佐智子
         前田 佐智子
         前田 佐智子
         中野 喜佐雄
         八木  正
         堀  勇蔵
         家永 三郎
         広瀬 心二郎
         菅野 千鶴子
         海野 啓子
         菅野 千鶴子
         海野 啓子
         石井 洋三
         小島 孝一
         キャリー・マディ
         谷本 誠一
         宇部  功
         竹内 緋紗子
         谷本 誠一
         酒井 伸雄
163、コロナ禍の医療現場リポート
         竹口 昌志
164、この世とコロナと生き方を問う
         小社発信記事
165、コロナの風向きを変える取材
         橋本 美濃里
166、英断の新聞意見広告
         小社発信記事
167、ワクチン接種をしてしまった方へ
         小社発信記事
168、真実と反骨の質問
         小社発信記事
169、世論を逆転する記者会見
         小社発信記事
170、世界に響けこの音この歌この踊り
         小社発信記事
171、命の責任はだれにあるのか
         小社発信記事
172、歌人・芦田高子を偲ぶ(1)
         若林 忠司
173、歌人・芦田高子を偲ぶ(2)
         若林 忠司
174、歌人・芦田高子を偲ぶ(3)
         若林 忠司
175、ノーマスク学校生活宣言
         こいわし広島
176、白山に秘められた日本建国の真実
         新井 信介
177、G線上のアリア
         石黒 優香里
178、世界最高の笑顔
         小社発信記事
179、不戦の誓い(2)
         酒井 與郎
180、不戦の誓い(3)
         酒井 與郎
181、不戦の誓い(4)
         酒井 與郎
182、まだ軍服を着せますか?
         小社発信記事
183、現代時事川柳(六)
         早津 美寿々
184、翡翠の里・高志の海原
         永井 則子
185、命のおくりもの
         竹津 美綺 
186、魔法の喫茶店
         小川 文人 
187、市民メディアの役割を考える
         馬場 禎子 
188、当季雑詠
         表 古主衣 
189、「緑」に因んで
         吉村 三七治 
190、「鶴彬」特別授業感想文
         小社発信記事
191、「社会の木鐸」を失った記事
         小社発信記事
192、朝露(아침이슬)
         坂本 淑絵
193、変わりつつある世論
         小社発信記事
194、ミニコミ紙「ローカル列車」
         赤井 武治
195、コロナの本当の本質を問う①
         矢田 嘉伸
196、秋
         鈴木 きく
197、コロナの本当の本質を問う②
         矢田 嘉伸
198、人間ロボットからの解放
         清水 世織
199、コロナの本当の本質を問う③
         矢田 嘉伸
200、蟹
         加納 韻泉
201、雨降る永東橋
         坂本 淑絵
202、総選挙をふりかえって
         岩井 奏太
203、ファイザーの論理
         小社発信記事
204、コロナの本当の本質を問う④
         矢田 嘉伸
205、湯の人(その2)
         加藤 蒼汰
206、コロナの本当の本質を問う⑤
         矢田 嘉伸
207、哲学の時代へ(第1回)
         小社発信記事
208、哲学の時代へ(第2回)
         小川 文人
209、コロナの本当の本質を問う⑥
         矢田 嘉伸
210、読者・投稿者の方々へお願い
         小社発信記事
211、哲学の時代へ(第3回)
         小社発信記事
212、哲学の時代へ(第4回)
         小社発信記事
213、小説『金澤夜景』(2)
         広瀬 心二郎
214、小説『金澤夜景』(3)
         広瀬 心二郎