友をいたむ
【2020年7月25日配信 NO.8】
福岡県立修猷館高校同窓 伊藤 正孝
遠い窓
わたしの心にある遠い窓
いつかはその窓から
そとを眺めてみようと思う
いつかは……と
さびしい言葉だが
あゝ 遠い窓
山内(豊徳)君。君は「おい、そんな古い
詩は公表するな」と苦笑いしているかもしれ
ませんね。でも君は、高校時代に創ったこの
詩を愛していて、知子さんに読んで聞かせた
というではありませんか。遠い窓というのは、
若かりしころ君の心に住んでいたあこがれで
しょう。はたして君は、死ぬ前に遠い窓にた
どりついたのだろうか。その窓からそとを眺
めただろうか。私はそうではなかったのでは
ないかと思います。窓のそとにあったはずの
やすらぎ、信頼、そういったものを発見する
前に逝ってしまったような気がします。
山内君。高級官僚として、君は人も羨む栄
達栄進の道を歩んだ。けれども官僚であると
同時に、純粋な一人の人間であろうとした。
このことは、君の人生をとても険しいものに
したと思う。君の人生は、そのスタートから
して険しかった。まだ幼かったころ、お父さ
んは中国戦線で亡くなられた。お母さんは君
から去っていった。君は一人で人生と闘わね
ばならなかった。もちろん、お祖父さんや伯
母さんのお力添えはあったでしょう。それで
も君は、少年のころから一人で身じまいをす
る、できるだけつましく暮らす、頼れるのは
自分一人だと決めていた。
山内君。大学を出ると君は進んで厚生省に
入省した。君自身が恵まれない、何の後ろ楯
もない弱者だったから、弱者とともに生きる
というのが、ごく自然な選択だった。埼玉県
庁にいたころの君が、障碍者について、部落
対策について、生き生きと語っていたのを思
い出します。君が弱者を支えて生きる、弱者
に支えられて君が生きる、そんな人生の充実
ぶりを君は生き生きと語っていた。君は眩し
いほど輝いていた。私たち同級生は、君を祝
福し、同時に日本の前途に明るいものを感じ
ていた。
山内君。いま私は怒っています。悲しむよ
りも怒っています。あんなに輝いていた君を
どん底に突き落としたのは何だったのか、職
場にもっと支えてくれる人はいなかったのか、
と怒っています。同時に君にも怒っています。
もっと官僚に徹して生きる手はなかったのだ
ろうかと。人のためだけに生きるのではなく
て、自分のためにも生きることはできなかっ
たのかと。
「そんな生き方は僕にはとてもできなかっ
たよ」と君は言うでしょうね。水俣病裁判を
めぐって君が悩んでいたころ、私はイラクに
いました。だから君の苦境を知らなかった。
けれども同級生たちは君が政府を代表して記
者会見をしているのをテレビで見て、「あゝ
山内は、ずいぶん無理をしているな、自分の
信念や人柄とは違ったことを言わされている
な」と危ないものを感じていたそうです。
山内君。君は一か月近くも、満足に眠って
いなかったそうですね。ある朝、出勤しよう
とする君に、知子さんが「そんなに命がけで
やらなきゃいけない仕事なの」と尋ねたそう
ですね。君は「患者さんたちが『私たちは命
をかけています』って言うんだよ」と応えた。
弱者を支えるのを生きがいにしていた君が、
最期は弱者と対立する立場に追い込まれた。
どんなに苦しかったでしょう。
でも山内君。うれしいことが一つあります。
水俣病患者が「山内さんには他の人にはない
何かがあった。私たちはそれを感じていた」
と話したと、今朝聞きました。患者さんたち
が感じとったのは、君の根本的な優しさであ
り、奥底で光っていた君の高潔さであったと
私は信じます。厚生省や環境庁を担当してい
る記者たちの間で、君の誠実さや見識は定評
がありました。私たちは君が同級生であるこ
とを誇りにしていました。
山内君。高校生のとき君は、『花園のある
風景』というきわめて暗示的な作品を書いた。
老人と幼い女の子が力をあわせて暮らしてい
た。山本老人はときどき子どものように声を
出して泣くことがあった、という書き出しを
私は君の幼かったころの心象風景に違いない
と感じていました。やがて女の子は金持ちの
家の犬に追われ、みぞに落ちて死ぬ。老人は
失踪してしまう。しかし老人が残した花園は
いつまでも人々を慰めたというものでした。
山内君。国家機構の壁、法律の壁、予算の
壁、いろいろな壁にはばまれて君は逝ってし
まった。しかし君も私たちに花園を遺してく
れました。それは君の心のなかに香っていた
花園です。君が愛した知子さんは、君を夫に
もったことを誇りとしていることと思います。
知香子さんと美香子さんは、君を父親にもっ
たことを誇りとしていると思います。そして
私たち同級生は、知子さん、知香子さん、美
香子さんを支えながら生きようと思います。
さようなら、山内君。
1990年12月8日弔辞
いとう まさたか
朝日新聞記者
朝日ジャーナル記者・編集長
朝日新聞編集委員を歴任
小社発行・『北陸の燈』第5号より
「現代の声」講座で7度提言
〈参考〉
山内豊徳さん(1937・1・9~1990・12・5)は、
修猷館高校、東京大学法学部を卒業後、厚生省、
環境庁の官僚に。官房長、自然保護局長、企画調
整局長を歴任。
1990年、水俣病認定訴訟で国側担当者となった。
著書に 『福祉のしごとを考える』(中央法規出版、
1985年)、『福祉の国のアリス』(八重岳書房、
1992年)がある。
山内豊徳 - Wikipedia
ある官僚の死 Death of a Government official
山内豊徳さんの思い出
官僚「山内豊徳」の死 - 浮動点から世界を見つめる