能登はやさしや土までも
【2021年3月11日配信 NO.147】
金沢大学教授
八木 正
愛し能登 原発地獄
いろり辺に生きた人らと酒をくむ人みな同じ輝いて見ゆ
発展という名の盗み許しおりやさしき心寡黙なる能登
ここ十年原発にゆれ欲に過ぐ村人たちはけわし顔持つ
貧しきはより貧しきの流れなり畳乞食の数多くいて
原発にただ酒たかる餓鬼もいて一日一日が地獄なりけり
物欲の激し友らの多くいて吾れうつむきて地面をはえり
村八分葬式だけの付き合いと友さびしげに香典を出す
原発のゴミ捨て場らし奥能登は俺もお前も網ひき田を打つ
極道とうとまれし過去思いしが今日も一日田の草を取る
極道と背なで指さす声聞けば心も身体も火照りて止まず
キリコ祭り海を渡りしちょうちんが獄のくらやみ照らす出すなり
秋が好き百姓が好き能登が好き胸ふくらませマツタケをとる
いろりばた
『いろりばた』第一号には、ご覧のように、
珠洲市で自然農業を営んでおられる前濱勝司
さんに登場願い、短歌を披露して頂きました。
前濱さんとは羽咋市でのシンポジウムの時
の懇談会で初めてお目にかかり、出席者の多
くの方々と同様、そのユニークな人柄にすっ
かり打たれてしまいました。
その後も、映画『能登はやさしや―能登原
発に問う』(金沢出版社制作)の撮影に同行
した際に何度かお会いしていますが、なかで
も珠洲市寺家のご自宅に招かれた時の強烈な
印象は忘れることができません。
珠洲市高屋で珠洲原発建設の反対に取り組
んでおられる住職の塚本氏にご案内願ったわ
けですが、われわれが招き入れられたのは、
裸電球ひとつがぼんやり照らし出している囲
炉裏端でした。
やがて前濱さんが囲炉裏に籾がらを盛り、
運び込んだ柴木を折りながらその上から燃や
しつけました。今、辛うじて残っている地方
の囲炉裏でも、せいぜい炭火が使われている
のが普通だと思うのですが、柴が燃やされ、
もうもうと煙が部屋中にたちこめるのにはい
ささか驚きました。しかしその炎に照らし出
される、何とも言えない温かい前濱さんの顔
を見て、私は美しいと思いました。
その籾がらの火の中で焼いて頂戴した松茸
のおいしかったこと、こんなこと書いて恨ま
れてもいけませんが、要するに、その時に感
じた囲炉裏端の温もりが会報の名称の由来に
なっていることは、言うまでもありません。
替わるがわる色々な人々が囲炉裏端に坐っ
て何事かを語り継いで行く―そんな場にした
いという願望とイメージをこめて、こういう
名称にしてみましたが、如何でしょうか。
前濱さんの短歌の第一首が、いみじくも同
じ思いを歌に託しています。
前濱さんが故郷に帰って、自分の考えで「
自然農法」を十二年も営み、原発に揺れる村
を見つめてきたことは以前に紹介しました。
その彼が、いわゆる「極道」の世界も経た
人であると知ると、なお激しく心打たれます。
『いろりばた』(「北陸地域問題研究会」会報)
創刊号から
小社発行・『北陸の燈』第5号に掲載。
〈参考〉
文中にある珠洲市は、石川県珠洲(すず)市。
羽咋市は、石川県羽咋(はくい)市。
また、石川県羽咋郡志賀町にある志賀原発は、
建設以前、能登原発と称された。
「北陸地域問題研究会」は八木正さんが主宰、
「現代の声」講座で連続5回にわたって提言。
大テーマ:社会と政治のあり方を考える
各タイトル
「この物心ともに貧困の世、非情の世にあ
っても、なぜ、政治は(政治家は)、国
民を(弱者を)救おうとしないのか」
「なぜ政治(政治家)は、弱者の真の内実、
実態を把握しようとしないのか、だれの
ための政治なのか」
「私たちが命と心ある人間として連帯する
ことは実現可能か、連帯を妨げるものは
何か、主権はいったいどこにあるのか」
「真心から国民を偲い、国民のために身命
を尽くし、身銭を切ってでも国民に奉仕
しようとする政治家が、なぜにひとりも
現れないのか」
「社会学の本質とめざすべきもの」
八木さんの著書に、『社会学の理論』(明玄
書房)、『現代の職業と労働』(誠信書房)、
編著には、『原発は差別で動く 反原発のも
うひとつの視角』(明石書店)、『被差別世
界と社会学』(明石書店)などがある。
当講座のNO.17、72、73、11、89、137の
記事も併せて参照していただきたい。