大衆の胸をうつ歌声
【2021年3月14日配信 NO.148】
ある歌手の引退宣言
千葉市 会社員
堀 勇蔵
富山駅に降りたのは、もう九時近い時刻だ
った。北陸の地を踏んだのは、初めてのこと
であり、初冬の夜風が、身に染みたことを覚
えている。
駅前のホテルに投宿。淋しさを消すために、
部屋のテレビをつける。その時、あっていた
のが、都はるみの歌番組である。耳に入って
きたのは「おんなの海峡」だった。惹き込ま
れた。
〽別れることは 死ぬよりも
もっと淋しい ものなのね
東京をすてた 女がひとり
汽車から船に 乗りかえて
北へながれる……
夜の海峡 雪が舞う
…………と都はるみは熱唱した。それから、
「涙の連絡船」「アンコ椿は恋の花」「大阪
しぐれ」とうたったと思うが、いまは、最初
に聴いた「おんなの海峡」が、強烈な印象と
なって、残っている。
富山には、出張で行ったのである。東京の
勤め先をスタートして、一日目が豊橋、二日
目が名古屋、富山は三日目であった。各営業
所を社内報に紹介すべく、取材に回ったので
ある。三日目ともなると、旅の疲れが過敏に
なってもいたのだろう。
〽私の明日はどこにある………と、絶唱する
都はるみの「おんなの海峡」は、旅人の私に
涙をにじませた。翌日、ベテランの社員の T
氏の活動ぶりを取材するため、氏の運転する
営業車に乗り、富山市内と高岡市内、および
金沢市内を回ったのだが、一日中、彼女の「
おんなの海峡」が耳の中で、聞こえていた。
私が生まれて初めて行った北陸地方は、間
もなく冬を迎えようとしていた。「立山連峰
はほどなく雪が積もり、毎日の暮らしも、雪
とのたたかいに終始することになります」と、
T 氏は教えてくれたものだ。
都はるみの引退宣言が新聞に出ている、と
知らせてくれたのは、他でもない富山のこの
T 氏である。「はるみの歌を口遊んでいたで
しょう。だからファンだろうと思って………」
と彼は、言った。
取材原稿の補足説明をしてくれたあとで、
彼は声を少し落とし、衝撃的なニュースを知
らせたのであった。昼食時間に、すぐ東京駅
に行った。売店でスポーツ新聞を買う。一面
のトップに出ていた。
〽さよッ~な~ら「うなり節二〇年」
「普通のおばさんになりたい、カムバッ
クはありません」
…………残念ながら、都はるみは確かに引退
を声明していた。何か、悪い冗談を聞いてい
る気分がした。引退は、一九八〇年に「大阪
しぐれ」で、レコード大賞の最優秀歌唱賞を
取った時から、考えていたという。
「今年でデビュー二十周年になるので、引
退を決意した。十年ではまだやめたくないし、
十五年ではいや。二十年がひとつのいい区切
りと思った」と、語っている。
無念としか言いようがない。好き嫌いはあ
っても、演歌は、わが国歌謡曲の主流である。
都はるみをはじめ、北島三郎、八代亜紀らの
公演では、いつも会場は一杯になる。観客は、
演歌に酔い、生きるエネルギーを与えられる。
思えば、都はるみとのつながりは古い。一
九六四年、「アンコ椿は恋の花」が大ヒット
した時だから、もう二十年になる。
私は、二十五歳、なんと彼女は、その時、
花もつぼみの十六歳!だったのである。小娘
ながら、パンチが効いていた。低いところも、
高いところも声がよく伸び、しかも哀愁があ
る。すぐに、天才であると思った。それから
二十年間、九歳も年下の、この女性の歌に励
まされて、やってきたような気がする。
都はるみは、性格的には陽性で、はきはき
している。そんなところが、私の気を惹いて
いるのかもしれない。「アンコ椿…」や「涙
の…」といった暗い曲ばかりでなく、「好き
になった人」「惚れちゃったんだヨ」といっ
たリズミカルな歌もあり、これが結構聴かせ
る。
「北の宿から」で、レコード大賞を取った
あと、朝月廣臣氏と結婚。しかし、天下の都
はるみが相手では、亭主の貫禄が保てないの
か朝月氏が女性問題を起こし、これが原因な
のか離婚に。天才歌手も男性運には恵まれず、
いまも、妻子ある某担当ディレクターとの関
係を、取り沙汰されている。
生身の女である彼女にとって、歌だけで生
涯を貫け、というのは辛いことにちがいない。
「普通のおばさんとして生きていきたい」と
いう言葉には、嘘はないと思う。
しかし、である。吹き込んだ歌九十曲、シ
ングル、LP合わせて二千七百万枚のレコード
を世に送り出した大歌手が、突如、芸能界か
ら身を引くとは………。戦後、日本のレコード
界を代表してきた女性歌手を三人あげるなら、
美空ひばり、島倉千代子、そして都はるみで
あると私は信じている。
だから、簡単に歌手を返上されては「困る
のことヨ」である。体でうたう歌手、魂を込
めてうたう歌手、都はるみは、やはり不滅で
あってほしい。この想いは、私だけでないら
しく、富山の営業所で、日夜、注文取りに奔
走しているT 氏も、昨日、届いた手紙で告白
している。
………都はるみという歌手は、昔から好き
で、レコードもたくさん持っています。
したがって、今度のことは、口に言えな
いほどこたえております。北陸の寒い冬、
私は彼女の歌をうたいながら、客先に注
文を取りに行きます。彼女の歌は、気力
の萎えた時、意欲の減退した時、もう一
度奮い立たせる力があります。日本海沿
いの、寒波のひどい地方に棲む中年男性
の大半が、彼女の歌に勇気づけられ、環
境とたたかってきたようにも思うのです。
ええ、けしてオーバーではなく………。
都はるみの引退は、何かの間違いであっ
てほしい。いまは、そう祈るばかりです。
救いは「年内は仕事をつづける」との報
がもたらされたことでしょうか。案外、
そのうち、声明を取り消すことだって、
あるかもわかりませんからね。
ああ、ここにもファンがいる。厳しい毎日
の生活の中で、都はるみを必要としている人
がいる。
私は、手紙を読み終えると、呆然として宙
を見据えたように思う。スターであり、かつ
生活人としても申し分なく生きていく。これ
は至難の業と思うが、都はるみという歌手に
は、スターをやめないでほしいと私は願う。
今日も、都はるみの「おんなの海峡」を口
遊みながら、私は東京・丸の内の勤め先に向
かう。雑多な人間の渦の中へ、自分にムチを
入れつつ、出かけていく。都はるみの引退宣
言が、いつの日か撤回されることを望みつつ
………。
小社発行・『北陸の燈』第3号より
〈後記〉
堀勇蔵さんの文に触発されて数十年ぶりに
当時の「おんなの海峡」を聴いてみた。一言
でいえば、日本語のすばらしさを再認識させ
られた。
歌詩の中で熟語は「東京」「汽車」「汽笛」
「未練」「海峡」だけであり、使われている
名詞、形容詞、動詞等すべてが本来の日本語
である。美しく、気品かつ情感、論理性に富
んでいる。
西陣の馨りをただよわせ、高音、低音、長
音、短音、息継ぎの仕方、マイクの持ち方、
作詩・作曲者を超える詩や曲の理解、表情、
余裕のある歌いぶり、立ち位置など、そして
特に、すべての節々の、間や尾に伸ばす母音
の響きは、都はるみの類まれな歌唱力・声量・
声のよさ(声色、音質)と相俟って、聴く者
の心を揺さぶり、琴線にも触れるものがあり、
それがまた歌い手に伝わり、見事な相乗作用
を醸し出している。
歌手の歌唱力・資質も問われる、ある意味
恐ろしい曲でもある。(作詩・石本美由起、
作曲・猪俣公章)
猪俣公章が「これを歌えるか」と都はるみ
におくった挑戦状にも思える。これに美事に
こたえた都はるみは立派である。
堀さんが、都はるみの歌に「生きるエネル
ギーを与えられる」「歌に勇気づけられる」
「気力の萎えた時、意欲の減退した時、もう
一度奮い立たせる力がある」と語るのが少し
理解できたように思う。と同時にそのような
力を引き出す歌手、都はるみの偉大さを讃え
たい。
当講座記事 NO.150 の記事も併せて読んで
いただきたい。 (当講座編集人)