352. シリウスへ右手のいたわり
【2024年7月14日配信 】
大衆の胸をうつ歌声
千葉市 会社員
堀 勇蔵
富山駅に降りたのは、もう九時近い時刻
だった。北陸の地を踏んだのは、初めての
ことであり、初冬の夜風が、身に染みたこ
とを覚えている。
駅前のホテルに投宿。淋しさを消すため
に、部屋のテレビをつける。その時、あっ
ていたのが、都はるみの歌番組である。耳
に入ってきたのは「おんなの海峡」だった。
惹き込まれた。
〽別れることは 死ぬよりも
もっと淋しい ものなのね
東京をすてた 女がひとり
汽車から船に 乗りかえて
北へながれる……
夜の海峡 雪が舞う
……………と都はるみは熱唱した。それか
ら、「涙の連絡船」「アンコ椿は恋の花」
「大阪しぐれ」とうたったと思うが、いま
は、最初に聴いた「おんなの海峡」が、強
烈な印象となって、残っている。
富山には、出張で行ったのである。東京
の勤め先をスタートして、一日目が豊橋、
二日目が名古屋、富山は三日目であった。
各営業所を社内報に紹介すべく、取材に回
ったのである。三日目ともなると、旅の疲
れが過敏になってもいたのだろう。
〽私の明日はどこにある…………と、絶唱
する都はるみの「おんなの海峡」は、旅人
の私に涙をにじませた。翌日、ベテランの
社員の T氏の活動ぶりを取材するため、氏
の運転する営業車に乗り、富山市内と高岡
市内、および金沢市内を回ったのだが、一
日中、彼女の「おんなの海峡」が耳の中で、
聞こえていた。
私が生まれて初めて行った北陸地方は、
間もなく冬を迎えようとしていた。「立山
連峰はほどなく雪が積もり、毎日の暮らし
も、雪とのたたかいに終始することになり
ます」と、T 氏は教えてくれたものだ。
都はるみの引退宣言が新聞に出ている、
と知らせてくれたのは、他でもない富山の
このT 氏である。「はるみの歌を口遊んで
いたでしょう。だからファンだろうと思っ
て………」と彼は、言った。
取材原稿の補足説明をしてくれたあとで、
彼は声を少し落とし、衝撃的なニュースを
知らせたのであった。昼食時間に、すぐ東
京駅に行った。売店でスポーツ新聞を買う。
一面のトップに出ていた。
〽さよッ~な~ら「うなり節二〇年」
「普通のおばさんになりたい、カムバッ
クはありません」
……………残念ながら、都はるみは確かに
引退を声明していた。何か、悪い冗談を聞
いている気分がした。引退は、一九八〇年
に「大阪しぐれ」で、レコード大賞の最優
秀歌唱賞を取った時から、考えていたとい
う。
「今年でデビュー二十周年になるので、
引退を決意した。十年ではまだやめたくな
いし、十五年ではいや。二十年がひとつの
いい区切りと思った」と、語っている。
無念としか言いようがない。好き嫌いは
あっても、演歌は、わが国歌謡曲の主流で
ある。都はるみをはじめ、北島三郎、八代
亜紀らの公演では、いつも会場は一杯にな
る。観客は、演歌に酔い、生きるエネルギ
ーを与えられる。
思えば、都はるみとのつながりは古い。
一九六四年、「アンコ椿は恋の花」が大ヒ
ットした時だから、もう二十年になる。
私は、二十五歳、なんと彼女は、その時、
花もつぼみの十六歳!だったのである。小
娘ながら、パンチが効いていた。低いとこ
ろも、高いところも声がよく伸び、しかも
哀愁がある。すぐに、天才であると思った。
それから二十年間、九歳も年下の、この女
性の歌に励まされて、やってきたような気
がする。
都はるみは、性格的には陽性で、はきは
きしている。そんなところが、私の気を惹
いているのかもしれない。「アンコ椿……」
や「涙の…」といった暗い曲ばかりでなく、
「好きになった人」「惚れちゃったんだヨ」
といったリズミカルな歌もあり、これが結
構聴かせる。
「北の宿から」で、レコード大賞を取っ
たあと、朝月廣臣氏と結婚。しかし、天下
の都はるみが相手では、亭主の貫禄が保て
ないのか朝月氏が女性問題を起こし、これ
が原因なのか離婚に。天才歌手も男性運に
は恵まれず、いまも、妻子ある某担当ディ
レクターとの関係を、取り沙汰されている。
生身の女である彼女にとって、歌だけで
生涯を貫け、というのは辛いことにちがい
ない。「普通のおばさんとして生きていき
たい」という言葉には、嘘はないと思う。
しかし、である。吹き込んだ歌九十曲、
シングル、LP合わせて二千七百万枚のレコ
ードを世に送り出した大歌手が、突如、芸
能界から身を引くとは …………。戦後、日本
のレコード界を代表してきた女性歌手を三
人あげるなら、美空ひばり、島倉千代子、
そして都はるみであると私は信じている。
だから、簡単に歌手を返上されては「困
るのことヨ」である。体でうたう歌手、魂
を込めてうたう歌手、都はるみは、やはり
不滅であってほしい。この想いは、私だけ
でないらしく、富山の営業所で、日夜、注
文取りに奔走しているT 氏も、昨日、届い
た手紙で告白している。
…………都はるみという歌手は、昔から
好きで、レコードもたくさん持ってい
ます。したがって、今度のことは、口
に言えないほどこたえております。北
陸の寒い冬、私は彼女の歌をうたいな
がら、客先に注文を取りに行きます。
彼女の歌は、気力の萎えた時、意欲の
減退した時、もう一度奮い立たせる力
があります。日本海沿いの、寒波のひ
どい地方に棲む中年男性の大半が、彼
女の歌に勇気づけられ、環境とたたか
ってきたようにも思うのです。ええ、
けしてオーバーではなく………。
都はるみの引退は、何かの間違いであ
ってほしい。いまは、そう祈るばかり
です。救いは「年内は仕事をつづける」
との報がもたらされたことでしょうか。
案外、そのうち、声明を取り消すこと
だって、あるかもわかりませんからね。
ああ、ここにもファンがいる。厳しい毎
日の生活の中で、都はるみを必要としてい
る人がいる。
私は、手紙を読み終えると、呆然として
宙を見据えたように思う。スターであり、
かつ生活人としても申し分なく生きていく。
これは至難の業と思うが、都はるみという
歌手には、スターをやめないでほしいと私
は願う。
今日も、都はるみの「おんなの海峡」を
口遊みながら、私は東京・丸の内の勤め先
に向かう。雑多な人間の渦の中へ、自分に
ムチを入れつつ、出かけていく。都はるみ
の引退宣言が、いつの日か撤回されること
を望みつつ………。
小社発行・『北陸の燈』第3号より
〈後記〉
堀勇蔵さんの文に触発されて数十年ぶりに
当時の「おんなの海峡」を聴いてみた。一言
でいえば、日本語のすばらしさを再認識させ
られた。
歌詞の中で熟語は「東京」「汽車」「汽笛」
「未練」「海峡」だけであり、使われている
名詞、形容詞、動詞等すべてが本来の日本語
であり、美しく、気品かつ情感、論理性に富
んでいる。
西陣の馨りをただよわせ、高音、低音、長
音、短音、息継ぎの仕方、マイクの持ち方、
作詞・作曲者を超える詩や曲の理解、表情、
余裕のある歌いぶり、立ち位置など、そして
特に、すべての節々の、間や尾に伸ばす母音
の響きは、都はるみの類まれな歌唱力・声量・
声のよさ(声色、音質)と相俟って、聴く者
の心を揺さぶり、琴線にも触れるものがあり、
それがまた歌い手に伝わり、見事な相乗作用
を醸し出している。
歌手の歌唱力・資質も問われる、ある意味
恐ろしい曲でもある。(作詞・石本美由起、
作曲・猪俣公章)
堀さんが、都はるみの歌に「生きるエネル
ギーを与えられる」「歌に勇気づけられる」
「気力の萎えた時、意欲の減退した時、もう
一度奮い立たせる力がある」と語るのが少し
理解できたように思う。と同時にそのような
力を引き出す歌手、都はるみの偉大さを讃え
たい。
当講座記事 NO.150 の記事も併せて読んで
いただきたい。 (当講座編集人)
私見だが、七音五音は数学の数や神と関連して
いるのではないだろうか。また、五七五七七の
和歌の起源は、歌垣における男女の歌が合作さ
れたものではないだろうか。さらにまた、当講
座のNO. 148 の記事で言及した都はるみの歌声
は、古代の日本・アジアの歌声と通底している
ということになるのでは。化石のように。奇蹟
のように。踊りや楽器も。民謡も和歌もまた。
その歌垣の、源はいずこに。 (当講座編集人)
『歌垣の世界 歌垣文化圏の中の日本』
著者 工藤 隆(勉誠出版、2015年)
第33回(2015年度) 志田延義賞受賞。
志田延義氏は、国文学者。専門は日本
古代歌謡。富山市出身。