304. 瓊音(ぬなと)のひびき

 【2023年6月5日配信】



白山に秘められた日本建国の真実 

   


      多利思比孤末裔世界最高の笑顔  




共振する縄文の心・翡翠の波形 

 -泰澄の白山開山の意味-  

     

長野県中野市 

文明アナリスト 新井 信介                                                                   

  白山は縄文時代からの山として人々の信

仰を集めてきた。六千年前、日本列島では、  

お互いの命の響きを正確に伝え合う共振装

置としてヒスイを発見し、大切に身に着け

出した。その信仰の中心に最も響きの分か

る女神を選び、ヌナカワ姫と代々呼ばれ続

けた。太古の時代から白山の存在は、北の

日本海と南の太平洋へと流れ行く命の水を

分け恵む特別な水分(みくまり)の山だっ

た。そんな日本列島に憧れ入植した人たち

から、命を産み育てる力はイザナミと呼ば

れ、人々はこの力を、水そのものと同一に

見ていたのだ。 

                      

 一方で、国や統治体のことをイザナギと  

呼んだ。これらは陰と陽のように表裏を成  

し、この二つの力がこれまでの日本国を導  

いてきた。しかし令和が始まった今、日本  

国というこの統治体は人々の幸福よりも経  

済の発展を重視し、マネーの追求に明け暮  

れ、その結果多くの問題と疑問と苦痛を人  

々にもたらしてきた。そして今、かつて経  

験したことがないような、先行きの見えな  

い不安が日本人と社会を覆っている。    

                     

    さらに今、縄文から続く六千年来の人々  

の覚醒が静かに始まった。         

                     

    白山には三つの入口がある。一つは加賀  

から入る道で、ここは古代に崇神(すじん)

天皇が糸魚川(いといがわ)のカワ姫

に会った帰りに、石動(いするぎ)を過ぎ

白山を遥拝した場所であり、そこには現

白山比咩(しらやまひめ)神社が建立さ

れていて、白峰(しらみねを拠とする

ルートにっている。崇神は日本列島に水

(命)を恵む山としての白山の存在を、自

身の統治の中に取り込もうとした。        

                     

   もう一つは越前から登るルートで、ここ  

には平泉寺(へいせんじ)白山神社がある。

平泉寺白山神社の社家である平泉(ひらい

ずみ)家の平泉澄(きよし)氏は、明治か

ら戦後にかけての皇国史観を打ち立てた人

物であり、二二六事件の解決に深く関わっ

たことでも知られている。平泉家は日本を

一つにまとめいく上で、国としての統治体

に白山の力で命を吹き込む命を受け、中で

も、澄氏は、後で出てくる白山を開山した

泰澄(たいちょう)の澄のを貰い受けて

いる。

              

    そしてもう一つのルートが美濃から登る  

道である。ここには長滝(ながたき)白山

神社がある。ここから登ると、やがて道は

白山中居(ちゅうきょ)神社へと続く。こ

の神社こそが本来の白山の信仰を現代に

えているとても重要な場所なのだ。そこは

石徹白(いとろ)という集落があり、石

徹白という姓代々の禰宜さんがおられて、

これまでの白山の歴史や信仰を人々に語り

伝えてきた。

 

    なぜ、それほどまでに白山という山が、  

人々の心を六千年以上にもわたって惹きつ  

けてきたのか?              

                     

  答えは、そこが世界の何ヶ所かに存在す  

る白山神界と呼ばれる場所の一つだからだ。 

アフリカのキリマンジャロ、ヨーロッパの  

モンブラン、アメリカのマッキンレー、そ  

して中朝国境の長白山(白頭山)とわが国 

日本の白山。宇宙と地球を繋ぎ、自由に行  

き来するエネルギーをドラゴンと観れば、  

白山神界はドラゴンが休む場所であり、宇  

宙からのエネルギーが降りてくる場所でも  

ある。そしてそこは地球に生きる人々やさ                         

まざまな命に、生きる力としての水を分け

恵む場所なのだ。                         

                          

    アフリカや中東から、西域を通って。あ  

るいは中国を越えて。大河を渡り、砂漠と  

山を越えて。こうした智慧と信仰を持つ人  

々が、ユーラシアを横断して長白山へと至  

り、朝鮮半島を通って日本海を渡り、この  

白山へとやってきたのではないか?と私は  

考えている。               

 

    そこで「白山を開山した泰澄」とは、一  

体どのような素性のいかなる人物だったの   

か?ということについて私見を記すが、そ

には、ひとまず聖徳太子にまで話を遡る

ことになる。日本の歴史を教科書で習った

ように見ていると、まるで大陸や朝鮮半島

とは切り離された別の場所としか理解でき

ないが、新井史観で見ると事実はまったく

違う。


 太子は、六世紀にユーラシアにまたがる

な帝国をつくった遊牧民の突厥(とっ

けつ)の出身である。


 突厥はその後東西に分裂するが、太子は

た西突厥の皇子・タルドゥなのだ。

句麗を経由して日本へやってきた。

の彼の名は厩戸(うまやど)皇子で

ある。いかにもトルコ遊牧民である突厥

の皇子らしい名と言える。そして太子が高

句麗王族の娘との間に平壌で儲けた息子が

淵蓋蘇文(朝鮮語ヨンゲソムン)だ。淵蓋

蘇文は日本書紀にイリカスミの名で遺言が

記されており、日本では大海人(おおあま)

子と呼ばれていた。              

                          

 つまり天武天皇だ。唐に国を滅ぼされた  

淵蓋蘇文(天武)は、頻繁に行き来してい

倭国において重要な地位を与えられてい

た。しかし彼は、白村江(はくすきのえ)

の戦いで天智天皇が唐と新羅に敗れ、唐の

臣下の立場になり、大化改新以来の中央集

権化した統治体の倭国が、唐の冊封下にな

ってしまったことに憤り、反旗をひるがえ

す。壬申の乱である。その結果勝利した淵

蓋蘇文は天皇となり、国名を日本と改め、

唐に拮抗できるべく倭国の体制を改変して

いくのだ。

        

 この時に伊勢神宮が天皇家の皇祖の起源

として現在の場所に移され(正確には伊雑

宮)、天皇家の歴史が国史として編纂され

ていく。詳しいことはここでは割愛するが、

泰澄とは、天武晩年の政務を代行した天武

の息子、大津皇子(おおつのみこ)の子で

ある。つまり泰澄は天武の孫にあたり、聖

徳太子の血を引いている。そこには白山神

界の存在や、そこに交響しあう天と地の智

慧をどのように人間の統治に使うか、その

真摯な姿勢が充分に受け継がれていたのだ。

               

(註;伊雑宮では宇宙と交響する「太一」  

を祀る儀式がある。現在の伊勢神宮内宮は  

持統の参拝を契機に造られたが、その神域

には、伊雑宮の「太一」は入れない仕来た

となっている。)              

                     

 私が泰澄と天武天皇、大津皇子との関係  

を前述のように見る根拠を述べる。     

                     

 泰澄は六八二年(天武朝十一年)に生ま  

れた。母は「越前勝山の人だった」とされ  

ている。幼くして神童と評されたが、後に

「道昭という僧侶に見出されて出家した」

と伝わっている。道昭とは遣唐使として唐

に赴き、玄奘三蔵のもとで修行した高僧だ。

ご存知のように玄奘三蔵は六二八年意を決

して、太宗李世民の許可の下、天竺を訪れ、

貴重な仏法を唐へともたらした人物だが、

三蔵はこのとき天山を越えてその北側、現

在キルギスのイシククル湖畔の町スイアー

ブをわざと経由してインドへ向かった。そ

の途中に、日本列島から本国へ帰国した晩

年のタルドゥ(聖徳太子)と会っていると

思われる。玄奘はインドから戻った時、洛

陽では高句麗遠征に出かける太宗李世民の

大兵団を目撃している。            

                     

 道昭はインドから唐に戻った三蔵の下で  

十一面観音心経を学んだ。西突厥の首府キ  

ルギスのスイアーブに戻った太子と会った  

のが玄奘三蔵、そしてその弟子となったの  

が日本列島からの留学僧道昭という繋がり  

からも泰澄の出自が窺われるのだ。六九六

年、道昭の指導で越知山に籠って修行した

泰澄はまだ十四歳だったが、十一面観音心

経を身につけた。白山信仰において十一面

観音が信仰されてきた理由はここにある。                   

タルドゥ・天武の思いを継ぐ大津皇子の子

として生まれた泰澄は、高市皇子(たけち

のみこ)が殺害されるという政変の中、出

家という手段で、その生命が保証され、来

たる日に備えたのである。                  

                     

 七〇一年に大宝律令が完成すると、翌年、  

持統天皇の孫とされる文武天皇は、粟田真  

人を史上初の女帝、武則天(武照)の下に  

派遣した。武則天は六九〇年に即位して王  

朝名を周としたが、これは唐を否定し、す  

べてを始皇帝以前に戻してやり直せ、との  

意思の表れだった。持統は武則天の即位に  

合わせ、自らも即位し、中華王朝の冊封下  

の倭国ではなく、対等の国である日本国を  

正式に認めてもらうことが念願だった。   

                     

 一方で国内では大伴安万侶(おおともの

やすまろ)、越前の山で修行をしていた

泰澄の下を訪れ、新生日本国の鎮護国家

師として正式に認められたことを告げる。

大伴安万侶はかつて天武に仕え、壬申の乱

でも活躍し、天武の葬儀を取り仕切った人

物である。彼は泰澄の素性をすべて知って

いたと思われる。ここに唐からも正式に日

本という国名を認められ、内外ともに新し

い国「日本」が始まったのだ。   

                       

 その頃日本海を挟んで対岸にあたる沿海  

州では、六九八年に渤海国が建国された。  

この国の王・大祚榮(テジョヨン)はすで  

に滅んだ高句麗の遺民であると伝えられて  

いる。唐と新羅を除いて東アジアでは、高  

句麗の滅亡後ほぼ同時期に、日本と渤海の  

二つの国が新たに起ち上がったのだ。これ  

は決して単なる偶然とは思えない。

    

 そして大陸では武則天が開いた周は、彼

女の死をもって国名を唐に戻したが、混乱

は続き、武則天の孫である李隆基が七一二

年に即位して自らを玄宗と名乗った。この

時、日本では古事記の編纂は最終局面だっ  

たが強引に完成となった。古事記は厩戸皇

子の誕生を最後に書き記して終わっている。

                     

 厩戸の功績や大化改新などはない。実は、 

厩戸(タルドゥ)の登場の時から龍体の日

本列島において、中華に負けない強い統治

体を創り上げようとする意志がはたらき始

めていた。その一つの現れが大宝律令、そ

して、龍体国家に天地のエネルギー注ぐこ

と。 

                     

 泰澄は七一六年白山に登ることを決意す

る。同じ年、渤海国の大祚栄は白頭山に登

っている。そして翌七一七年にはとても重

要な遣唐使が派遣されている。 

        

 その中には阿倍仲麻呂(あべのなかまろ)、

吉備真備(きびのまきび)、藤原宇合(う

かい)などがいた。宇合は藤原不比等の

三男でその名は最初は「馬養」 (うまかい)

だが帰国後「宇合」に改められた。不比等

が、「宇と合う」としたのは、これで、宇

宙の運行や権能と叶う国家ができるぞ、と

の想いがあったのではないか、と窺われる。

                 

 彼らの重要な目的の一つは、復活した唐  

の皇帝、玄宗李隆基との間に、日本の国史  

として編纂している「日本書紀」に厩戸皇  

子(タルドゥ)の存在をいかに書き記すか  

という合意の形成だった。その結果、太子  

は日本で生まれ日本で死んだというストー  

リーができあがった。この出来事で日本は  

大陸との関係の中で独立した一つの国とし  

て歩み始める。この時に、まさに渤海国と

示し合わせたように泰澄は初めて白山に登

り、国家鎮護の要として白山を開山した。

大祚栄と泰澄はともに白山神界に登り、中

国と朝鮮半島と日本のあり方を正しく導こ

うとしたものと私には思われる。

 

 これ以降、新生日本国の中で白山の存在

はとても大きくなっていく。そして日本列

島は、大陸と切り離された別の天蓋で覆わ

れていくことになる。            

                     

    七三六年、奈良では元正天皇(女帝)が  

病に伏した。泰澄はこの病を治し、翌年に  

は奈良の都で天然痘が大流行する。不比等  

の四兄弟がすべて死去するという相当な惨   

状だった。のちに光明皇后となる安宿媛(

あすかべひめ)は仏教に深く帰依した人と

して知られているが、不比等の死後に実権

を握った長屋王(高市皇子の父)が七二四

年聖武の時代になっても彼女の皇后即位に

反対したため、兄たち兄弟と同じくひど

く恨んでいた。


 渤海の第二代、大武芸の使者が奈良に

で来て、日本国と高句麗は兄弟国と主

たことに四兄弟は父不比等がつくり

列島内のみを王権にするという枠組が壊れ

ることを恐れ、長屋王を自殺に追い込んだ。

以後の平城京での疫病大流行は深刻さが増

すにつれ、長屋王の祟りとも噂された。


 光明皇后は、縄文からの精(の響き)

を持つヌナカワ姫ならば解決の智慧を持っ

いるはずと、遥々と奥信濃の野沢に向か

たが、その手前、飯山の小菅と北竜湖で

人の影を感じて温泉に浸るときから覚醒

始まった。泰澄は、国権の頂点にいる皇

の改心を待ち、その響きを背景に天然痘

という病魔の完全沈静化を果たした。泰澄

はこれによって大法師という称号を朝廷か

ら授けられ、人々と国を救う聖人として崇

められる。


 以来、日本国においては、泰澄が開いた

山は、天と繋がり地上の命を活かす重要

な場所として人々の尊崇を受けることとな

る。


(註;長屋王の大親友であった大伴旅人は

屋王死去の報を福岡の大宰府で知り、四

兄弟の横暴への反発の意を込めて梅花宴を

開いたが、それを記した歌集の文言から取

り上げられたのが、現在の元号「令和」で

ある。)

                     

 しかしその反面では、白山を管理するこ  

とは日本国をイノチの次元から支配すると  

いう意味を持っていた。それ故、その管理  

を巡っては争いが絶えなかった。江戸時代  

には加賀藩と越前藩が、また古くは平泉寺  

の領有をめぐって三井寺と比叡山が争った。 

そんな中で白山中居神社のある石徹白の人  

々は、白山とともに生きることの意味を考  

え続けてきた。この天と地の間で生かされ  

ている命とは何かを見つめてきたのだ。

 

 冬場は豪雪に見舞われる土地で、白山と

ともに生きてきた人々が一千年の時を繋い

で受け継いできた志、それは『人間界の富

や権力から遠ざかり、自然から授かった利

子、実際の実りで生きていく』というもの

だった。そのためにこの集落では人口は千

人を超えてはならないとされ、それが守り

伝えられてきたのだ。


 地湧の神官である石徹白氏を中心に、今

なお白山と暮らす彼らの目に映るものは、

明治以降の近代国家としての日本、特に戦

後においては原発を福井県が次々と受け入

れ、すべてがマネー中心で動いていく社会

の姿。そのためには自然や人の暮らしを平

気で壊し続けていく世の中。そこには水を

分け恵み、命を生かし続けてきた白山への

純粋で敬虔な信仰のかけらもない。      

                     

    奈良、平安時代から鎌倉、室町時代には  

多くの寄進が集まり、白山は聖地として信  

仰された。戦国時代の加賀の一向衆は白山  

を大切に守り、のちの藩主前田家も白山を  

篤く敬った。こんなふうに白山への信仰は  

時代を超えて守り伝えられた。そこは命の  

水を分け恵み、命を活かす聖なる山として  

あり続けたのだ。 

            

 

 今私たちは、この時代に白山の意味を知

り、改めて日本と日本人を見つめ直す必要

に迫られている。私たちは人間としてこの

日本をどういう国にしたいのか? そのた

めにはどんな枠組みを創ればいいのか? 

その答えを導き、私たちの未来を開く鍵と

なる聖地が白山である。そこには地球の中

心と繋がった大きな宇宙からのエネルギー

が降りてくる。そして人間を雪や水のよう

に純化し、精神性を高めてくれる山である。

そこまでの真摯な思いがないと、とうてい

山の神からの祝福は得られないと思う。

         

 白山を知ることは日本人と日本国を知る  

こと。それは私自身、あなた自身を知るこ

とでもあるのです。









  森善之・編集『JAPANGRAPH』石川号

(発行:七雲、宇治市、2020)より転載

 当講座記事NO.176再掲













〈参考〉

   当講座記事NO.218、303から

    当講座記事NO.218 優曇花の馨り

   日の出直前の富山湾に「紫」 2019.4.5  手前は仏島  

    これから海の向こうの糸魚川海岸辺りから陽が昇る  

  於 七尾市と氷見市の県境

  

 関連記事

 当講座記事NO.263 老人と洞窟・縄文のひびき

  同記事NO.278 泰澄も見たひかり・白山封禅

    同記事NO.282 政治家の使命・戦争とスポーツ 

 
  真砂秀朗 ネイティブ・フルート
   森のコンサート「愛和の世界へ」
  新井さん、真砂さんの言葉をちょっと遮りすぎ



 白山御前ヶ峰(下方は南龍ヶ馬場  小社撮影) 

  南龍ヶ馬場は、石川、福井、岐阜の登山道が

  交わるところ。写真の左下方は、お花ばたけ。


 2023.5.12 氷見海岸から見える白山  
  撮影 氷見市 木偶乃坊写楽斎さん





日経新聞コラム「春秋」(2021.10.5)


 魏徴は太宗李世民の「泰山封禅」に反対した。
 写真の右横を左クリックすると拡大できます。


当講座記事NO.197から

魏徴「述懐」、「貞観政要」. 諫議大夫.瓦


中原還逐鹿 投筆事戎軒

縦横計不就 慷慨志猶存

仗策謁天子 駆馬出関門

請纓繋南越 憑軾下東藩

鬱紆陟高岫 出没望平原

古木鳴寒鳥 空山啼夜猿

既傷千里目 還驚九逝魂

豈不憚艱険 深懐国士恩

季布無二諾 侯嬴重一言

人生感意気 功名誰復論





〈小社推薦図書〉

   当講座記事NO.282から 

  『聖徳太子の真相』

     小林惠子著( 祥伝社新書、2017)

    




〈小社推薦動画

  当講座記事NO.294から
  新井信介さん、長浜「慶雲館」で盆梅の意味を語る
      根があれば花が咲く 文明と文化の違い        



 稀有のピアニスト
     大バッハ  ピアノパルティータ第2番ハ短調BWV826 
      於 ヴェルビエ音楽祭2008     
  深呼吸は必要ない
 
  2023.5.10 於 慶應義塾三田キャンパス西校舎ホール













〈後記〉  
   当講座記事NO.189から

   李白 静夜思 

 牀前看月光

 疑是地上霜

 挙頭望山月

 低頭思故郷 

 

「静夜思」吟詠



「古池や蛙飛びこむ水の音」の句につい

て僭越ながら素人の思いつきを記します。

この〈古池や〉の句は、李白の静夜思の

第一句「牀前看月光」の「牀」を芭蕉は

「井戸」と解釈し、莊子の「井の中の蛙」

にヒントを得て、李白を偲んだ句ではな

いでしょうか。静夜思で李白が偲んだの

は、李白が育った四川省の故郷なのかも

しれませんが、生まれ故郷のスイアーブ

とも考えられないでしょうか。このこと

は、上の新井信介さんの記事と当講座の

 NO.184 の記事を見てそう思ったしだい

です。

さらに言えば、芭蕉は、新井信介さんが

語るような史実を世界的な視野をもって

(「井の中の蛙」であると謙虚に自覚し

ながらも)、当時、既に知っていたので

はないでしょうか。

さすれば、古池とはイシククル湖、蛙は

月光、音は湖面に浮かんだ月景色のこと

ではないでしょうか。

いずれにしても〈古池や〉は、静夜思の

真髄、李白の郷愁、李白への敬慕を俳句

にしたものではないでしょうか。

芭蕉の全句にわたって、李白を生涯の師

とする芭蕉の思いが伝わってくるように

感じます。

古池の蛙は大海を知ったのでしょうか。

          (2021.9.21夜.編集人)



当講座記事NO.178から

「世界最高の笑顔」 

  虚構を打ち破る多利思北孤末裔の見事な入場行進 

  懐かしの日本へ(於 2021.7.23 東京五輪)

 キルギス、タジキスタンは厩戸皇子・聖徳太子と

 されたタルドゥシュ(達頭可汗・多利思北孤)の

 故郷かつ遊び場。馬術、戦術、外交交渉術も巧み。



『隋書』(魏徴、長孫無忌らが勅撰)から

  「俀王姓阿毎字多利思北孤號阿輩雞彌」

  「王妻號彌」

  「名太子爲利歌彌多弗利」

   多利思(タリシ)とはタルドゥシュ、
   多弗利(タフリ)とは都六(テュルク)
   =突厥・トルコと考えられないだろうか。




2023.6.25 スプートニク

 富山市小竹貝塚から出土のひすいの原石


2023.8.25 瓊音チャンネル、新井信介さん


2023.10.18 新井信介さん
これまでで一番いい話

白山禅定道での気づき烟霞の侶(「火」火偏を「心」立心偏に)



2023.10.19 マドモアゼル・愛さん


2023.10.21・22 kyouseiさん


2023.11.7 新井信介さん
諫議大夫・魏徴、太宗李世民、貞観政要、遣唐使
派遣の真相、G7 外相会合で上川外相何を語るか


2023.11.9 新井信介さん
やせ蛙負けるな一茶これにあり


白山、七尾、八尾、北極星、北斗七星、オリオン座、
プレアデス、シリウス、ミザール、太陽、木漏れ陽、
能、音楽、厦門









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300. 来たる時代への提言

 【2023年5月3日配信】小社発信記事       当講座記事の開き方と記事全項目        政治、ジャーナリズム、思想、文化を考える                    2023.3.20 終止符と大逆転への歴史的布石     sputnik 「 互いに手を携え これから兵戈無用の世に変えていこう」   日本独立好機到来 有史以来   知られざる歴史「海に消えた布引丸」 「命」の新文化創造の世へ        職人の心意気    マスク社会への決断・問われる学校教育    白山に秘められた日本建国の真実    人間の幸福 「現代の声」講座全記事の紹介 記事項目 NO. 223、「職」に関する記事 314、「哲学」に関する記事 227、「コロナ」に関する記事 228、「スポーツ」に関する記事 229、「自然」に関する記事 230、「教育」に関する記事 231、「歌」「音」「踊り」「情」に関する記事 232、「歴史」「非戦」に関する記事 233、「人文」「人権」「人道」に関する記事 170、   世界に響けこの音この歌この踊り 237、   当講座登場作家とその作品・書籍紹介 240、   当講座推薦動画・ツイッターなど紹介 290、   川柳、俳句、短歌、和歌、詩、小説紹介                 「五百年のひびき」    「日々是稽古」     荒磯の日本海を背に奥能登名舟の御陣乗太鼓     2023.5.5の奥能登珠洲地震と原発の危険性                                        みんな仲良くしよう     考える能力    優しい人になる     オルフェウスの竪琴・情が蘇る時代へ     LGBT問題の本質    絶望からの贈り物              おわら風の盆.今町のおわら ワリエワのおわら        塔島ひろみ.浜風文庫   深瀬のでくまわしおわら     魯迅『藤野先生』. あわら市出身     夕陽のおわら                                           276  みんななかよく・胡錦濤への礼節     279  束縛のなかの自由     274 悪人正機        292  春のかおり    これからの世界 習近平、ブリンケンと面会  於北京人民

314. 「知の無知」ソクラテスの嘆き

 【2023年9月1日配信】   哲学の時代へ(第13回)    薪を負うて名定まる                「知の無知」 ソクラテスの嘆き          青梅市 山下 秀美                           毒あおぎ今ごろ悔いるソクラテス             毒杯を奪い地に叩き割る者はいなかったのか          わが腹中を知らずや毒を急ぐ人々      奇術師の手品のようなピーシーアール    プラトンも注射に走る恩知らず         アリストテレスよおまえもか  わしともあろうものがなかった先見の明  クサンチッペが一番まともだった      「あんたはほんとにおばかさん」    今一番語りあいたしディオゲネス     「ひなたぼっこのじゃましないでくれ」  ミュルトはどうしている    フリュネとも話がしたい   ディオゲネスの唯一理解者  毒消しをわしは今アポロンに頼んでいる       孔子とはわしのことかとソクラテス    彼の人にもなってしまったが   人類の罪を背負うという意は    命を賭して彼の人を救おうと   し た者は誰もいなかったのか      同じ過ちは何度も繰りかえせ   賢明な弟子は師を選び鍛える      以下参考   今野ゆうひさん    マスク社会への決断・問われる学校教育   〈小社推薦論文〉  金沢大学4年・松永知子さんの卒業論文           カントの幸福論   敬和学園大学4年・本多大峰さんの卒業論文     良寛の思想について   田中ひかるさん(現明治大学教授)の博士論文     アナーキズム思想に見られる革命観とその背景 〈小社推薦図書〉          岩崎武雄著『正しく考えるために』  (講談社現代新書、1972)  岩崎武雄著『辯證法 -その批判と展開-』  (東大学術叢書、1954)    西田哲学批判   マルクス主義哲学批判   ヘーゲルの弁証法   キェルケゴールの弁証法   存在の弁証法   認識の弁証法   自覚の弁証法   「弁証法は現在では一般に矛盾の論理すなわち    形式論理学に言う矛盾律を否定する全く新し    い論理として考えられているが、実はここに    われわれの検討すべき根本的な点が存在して    いるのではないかと思うのである。

311. レジェンド記者、真実を追う

 【2023年8月2日配信】小社発信記事     木原事件・ジャニーズ事件・内閣改造ほか   佐藤章さんの発言とともに考える            尾崎豊『ダンスホール』1984.3.15  東京新宿RUIDO 浅 川マキ/ ライブ夜 1977.11.19 京大西部講堂 桃山晴衣『遊びをせんとや生まれけん』 最新のジャニーズ事件記事 木原事件 2023.8.2 志あるジャーナリストへの呼びかけ .  2023.8.20 黒澤明『天国と地獄』仲代達矢の圧巻の台詞 .                       「被害者・遺族の無念を晴らす。これが刑事の仕事」     佐藤誠元刑事記者会見 2023.7.28 コロンボ、安浦吉之助、 十津川省三、杉下右京をしのぐ 佐藤誠さん の 言葉。「 日本の心」はまだまだ生きている。 同時に加害者側の動機、心情も併せて理解すべきである。 日本の歴史、社会、政治を変える日本史上最高記者会見                    2023.8.8 真犯人 Z氏と木原氏の人生を考える 2023.8.17 事件当日の Z 氏の行動を考察する 2024.8.24 民主主義の岐路.検察再捜査の動き    2029.8.30 事件のもみ消しを決して許してはならない    2023.8.31 事件を報道しない既存のメディアへの怒り                                                     文春報道によれば、2006 年 4月 9日の 午後10時ごろに東京都内で安田種雄さんと いう方が殺されたが自殺とされた。そして 2018年春に捜査が再開されたが、本格的な 捜査に入ろうとした矢先の同年10月下旬に 捜査が突然打ち切られた。  この事件の捜査に当たった警視庁元刑事 の佐藤誠さんが、先月28日に文春本社で記 者会見を行い、安田種雄さんは自殺ではな く殺害されたものであり、犯人は安田さん の妻の父であると語った。  捜査畑の第一人者である佐藤さんの言葉 の意味は重い。安田さんの妻は現在、木原 誠二現内閣官房副長官(衆議院議員、自民 党岸田派)の妻となっている。  露木康弘警察庁長官は先月13日の定例の 会見で「証拠上、事件性が認められない」 と語っている。  上のことは二つの問題点に分けられる。  一つは、2

307. 職人の心意気 -「技」の文化 -

 【2023年7月3日配信】   手作りへのいざない    -「技」の文化-     縫い針のひとはりに込める夢  敦賀市 宮岸 かなえ                     てのひらに落ちる雨滴が灯をともす     鹿児島市 井上 治朗                        器(うつわ)  器への思い    九谷焼絵付師  宮保 英明         用という約束の形を提供しながら、その 形の中でどれだけ新鮮な自身の感覚を保ち 得るか、どんな可能性を引き出し得るか、 自身を試す姿勢で器と向かい合いたい。  自意識による変身、習慣のタガをはずし、 本来まったく自由に扱える創作表現への自 意識を、材質としての焼きものにぶつけた い。  盛られる料理に好かれる器。使いよくて 楽しくて、ついつい使ってしまう器。見た 目に静かで、しかし強い存在感を持ち、素 直に語りかけてくる。そんなものを心がけ てつくりたい。 みやぼ ひであき 20歳から絵付けをはじめる。 1950年石川県白山市生まれ。 石川県加賀市日谷(ひのや)在住。 日谷川をはさんで両側に民家と山が並ぶ。 谷間の村・日谷の向こうには人はいない。 宮保家の裏もすでに森である。 仕事をするのにいい場所をさがし歩き、 1984年の夏、白山市から引っ越してきた。 「ときどき熊が顔を出す」と妻の文枝さん。 小社発行・『北陸の燈』第4号より 撮影・八幡スタジオ 当講座記事NO.21、249再掲 当講座記事NO.223、「職」に関する記事から     芭蕉布ムーディー綾番匠くずし 平良 敏子   鋏 川澄 巌  文駒縫(あやこまぬい) 竹内 功   匠  足立区が誇る「現代の名工」    当講座記事NO.269、「世界屈指の技と清ら」から   流し猫壺 河井 寛次郎      「祖父寛次郎を語る」鷺 珠江さん     当講座記事NO.280、「湯の人(4)」から   樹 -卒業制作- 青木 春美     当講座記事NO.22、「織を通して学んだこと」から     絹本著色方便法身尊影  1500年製作      当講座記事NO.72、「松帆榭にて」から   千年の土 珠洲焼 篠原 敬    当講座記事NO.296、「あの日のこと」から     バンチェン土器   タイ・バンチェン遺跡     当講座記事NO.288、「個

224. 天と地をつなぐ「おわらの風」

【2022年1月22日配信】   大寒           七尾市 石島 瑞枝             雪解けの春風を待つ坂の町               秋風 (2023.9.3)            横浜市 髙祖 路子    夜流しの音色に染まる坂の街                         鏡町地方衆、先人のご苦労をしのびその息吹に応える夜流し .  今町のおわら .      2023.9.3 最終日、西町青年団最終おわらの舞い .                               撮影 木偶乃坊写楽斎さん         〈参考〉                               越中八尾おわら風の盆               「深夜の夜ながし」      日本と日本人が失くしてしまった、  奪 われてしまった温かい心情、 郷愁  --それらを求めて各地から 数多の  見物者 が、 魅入られたかのように、  取りもどす か の ように八尾へ と 足を  運 ぶ の だろうか。  高橋治と石川さゆりの『風の盆恋歌』  の影響が大きいとも八尾ではいわれ  て いる。言葉と 歌の 力のすごさか。  事実、この 歌 の前と後とでは、風の  盆訪問 者 数に圧倒的な差がある。  紅白で、「命を賭けてくつ がえす」  と、着物の 袖 を 強く 握りしめ 揺さぶ  り ながらうた った 「くつがえす」の  一語の中に、日本の 歌手 として歩ん  できた 石川さゆりの、 自 らの心の奥  底にある深い 懐 いをも 包んだ 全 情念  が 込め ら れて い る。  旅人の多くが八尾に滞在してい る中、  わずかのさすがの通だけが、おわら  本来 の良 さ が漂っている深夜の夜流  し の、 後ろ姿を見ている。個性 ある  いで たちもすばらしい。  おわらは見せるものなのか、見られ  るこ とを意識すらせずに心ゆく まで  自ら楽しむものなのか。あるいはま  た、…… …… 高橋治と 石川さゆりは、  諸々のことを考える、見直すための  たいへ ん な「契機」 を 与 えて くれ た  ので ある 。    個人的な所感を述べれば、おわらは  縄文と江戸の文化が八尾で花開いた  ような気がする。  (当講座編集人)    鏡町の踊りに魅入

266. 親友ヨッチにささげる手紙

【2022年8月28日配信】        混迷する現代と統一協会          -最期まで友情を信じて-                  石川県河北郡津幡町                 書店員 22歳  酒井 由記子  人は、どんな人と巡り合うか、どんな本 と出会うかによって人生が決まってくると、 ある作家が述べていたのをふと思い出す。 私にとってはまさにそうであった。出会っ た人達も書物もとても大きな影響を残し、 忘れられない出来事となっていったのであ る。   一、高校生の頃  今から六年前(1977年)、私は金沢 二水高校の二年生であった。いや二年生と いうより吹奏楽部生というほうが適切であ るほど私は部活動に情熱を注ぎ込んでいた。 みんなでマラソン、腹筋運動をしてからだ を鍛えあげ、各パートごとでロングトーン をして基礎固めをなして、全員そろって校 舎中いっぱいに響きわたるハーモニーを歌 いあげる。それは、先輩、後輩、仲間達の 一致によって一つの音楽をつくり出すとい う喜びを存分に味わった私の青春時代の真 っ盛りであった。ただ残念なことは、部活 動に熱中すればするほど勉強のほうはさっ ぱり力がはいらなかったことである。中学 生のときは、「進学校にはいるために」と いうただそれだけの目的で受験勉強ができ た。しかし、いざ高校にはいってみると、 また「いい大学にはいるために」と先生方 が口をすっぱくして押しまくる文句に素直 になれなかった。勉強する本当の意味が見 出せなかったのである。その頃から、私は 人間は何のために生きるのだろうかという ことまで突っ込んで考えるようになってい った。  父母が書店を経営しているため本は充分 にあり、書物を読むことによって答えを見 出そうとした。私の強い求めに応じるかの ように一冊の本が転がり込んできた。クリ スチャン作家である三浦綾子さんの『あさ っての風』という随筆集であった。聖書の 言葉がそこに登場しており、それはズシリ と心に響いたのである。その本に魅せられ て三浦さんの自叙伝も何冊か読み進めてい った。しだいに私の魂は、人間をはるかに 越えた大いなる存在があることを感じてい った。確信までは至らなかったけれども、 それらの本によって金沢のプロテスタント の教会に足を運び、牧師さんのお話を聞く ようにもなっ

235. 「兵戈無用」への道程

【2022年2月17日配信】   プーチンへの右手の励ま し   ウクライナと非戦を考える -自由と平和への歴史的飛翔-       ワリエワ問題・負けて勝つ逆転の超美技                      越前市 朝倉 陽子       Flying For Real Freedom And  Peace    二本 刃土俵入り                                                                                                                                                     兵戈無用へ向けて                  ロシア民謡「鶴」          鶴 (Журавли) 日本語字幕     歌  アレクサンドラ・べリコヴァ              Александра Белякова        鶴 - Wikipedia     当講座記事NO.170より        木偶乃坊写楽斎さん撮影    当講座記事NO.283、284、285、300から       以下も朝倉陽子さんの川柳 ワリエワの薬物疑惑事細かに報ずれどワクチン成分問わぬ報道 オリンピックを政治と憎しみの場に変質するIOC     スポーツ精神もわきまえぬIOC面々五輪稀有の至宝をも潰さんと 嫉妬深い狭量小バッハへの大バッハの怒り天を衝く 今の世とあるべき世の構図を北京に見る せめて競技者と元競技者だけですればどうか五輪運営 天賦の才ひきだすト ウ トベリーゼをIOC会長に 師を越えるカミラの願い現実に 速さ華麗さ柔らかさに強さもあわせもつ宙へ羽ばたくカミラの舞い 荷が重すぎても実力歴代世界一十五歳ワリエワ史上最高演技   ワリエワの右手の励ましに木陰で胸なでおろすプーチン一滴の落涙     写真 2022.2.18 日刊スポーツ   〈参考〉 読者の方々から以下のご意見がありました。  「 IOCこそ問題  ジャンプ服の違反やドーピングに関して、 服については競技前に検査すればいいだけ の問題であり、ドーピングに関しても大会 前に把握解決しておけばいいだけの問題で ある。大会中にこれらの問題を引き起こす ことは、IOCが

318. 世界に範たる日本国になるには

【2023年10月14日配信】                         童心にかえる径こそ開く窓         栃木市 髙森 文子    〈参考〉 上の写真は 上日寺の大公孫樹   (国指定天然記念物. 氷見市 .1926年指定)      撮影 木偶乃坊写楽斎さん  2023.10.14     中の写真は 金沢美術工芸大学4年.青木晴美さんの 卒業制作「樹」 (小社撮影.当講座記事NO.22から)   下の写真は 幸せ運ぶ森の妖精トントゥ 撮影 渡會恒和さん (当講座記事NO.308から) 写真右横を左クリックすると拡大できます。 続けてクリックするとさらに拡大できます。 同272 「命」の新文化創造の世へ 同225 ”ふるさと金沢”再発見「校歌」 同294 おんな川にかかる橋           軽井沢矢ケ崎川畔 室生犀星詩碑 我は張りつめたる氷を愛す 斯る切なき思ひを愛す 我はそれらの輝けるを見たり 斯る花にあらざる花を愛す 我は氷の奥にあるものに同感す 我はつねに狭小なる人生に住めり その人生の荒涼の中に呻吟せり さればこそ張りつめたる氷を愛す 斯る切なき思ひを愛す。 詩集『鶴』(素人社書店、1928年) 巻頭詩「切なき思ひぞ知る」    オールトの雲 朗読 室生犀星『我が愛する詩人の伝記-高村光太郎』 我が愛する詩人の伝記 (青空文庫) 金沢市立小将町中学校校歌 同265 許蘭雪軒のことなど・松陰の真意 李卓吾   野山獄で吉田松陰の心をとらえた思想       李卓吾思想の真髄は童心説にある。   「童」が童子、赤ん坊と言う意味であり、  人間が生まれたままの自然状態である。「童  心」とは偽りのない純真無垢な心、真心を言  う。これは陽明学の「良知」を発展させた先  に李卓吾が到達したものである。李卓吾によ  れば、誰もが持つこの「童心」は人間が成長  して社会生活を営み、文明化されるにつれて、  道理や見聞、知識を得るなど外からもたらさ  れるものによって曇らされ、失われるという 。   この思想が危険視されるのは、当時正統イ  デオロギーとなっていた朱子学における聖人  に至る道を否定している点にある。朱子学で  は心を性と情に分かち性こそ理とする「性即  理 」をテーゼとするが、性を発露するために  読書などによって研鑽を積まねばなら

275. スポーツを文化にするために

【2022年10月10日配信】     交驩のエール     花開きつつあるエンジョイベースボール    「学生野球考」          慶應義塾大学野球部監督                   前田 祐吉      「サード!もう一丁!」「ヨーシこい」 と いう元気な掛け声の間に、「カーン」と いう 快いバットの音がひびくグラウンドが 私の職 場である。だれもが真剣に野球に取 り組み、 どの顔もスポーツの喜びに輝いて いる。息子 ほどの年齢の青年たちに囲まれ、 好きな野球 に打ち込むことのできる私は、 つくづく、し あわせ者だと思う。  学生野球は教育の一環であるとか、野球 は人間形成の手段であるということがいわ れるが、私の場合、ほとんどそんな意識は ないし、まして自分が教育者だとも思わな い。どうしたらすべての野球部員がもっと 野球を楽しめるようになるのか、どうした らもっと強いチームになって、試合に勝ち、 選手と喜びを共にできるのか、ということ ばかり考えている。  野球に限らず、およそすべてのスポーツ は、好きな者同志が集まって、思いきり身 体を動かして楽しむためのもので、それに よって何の利益も求めないという、極めて 人間的な、文化の一形態である。百メート ルをどんなに早く走ろうと、ボールをどれ だけ遠くへカッ飛ばそうと、人間の実生活 には何の役にも立たない。しかし、短距離 走者はたった百分の一秒のタイムを縮める ために骨身をけずり、野球選手は十回の打 席にたった三本のヒットを打つために若い エネルギーを燃やす。その理由は、走るこ とが楽しく、打つことが面白いからにすぎ ない。さらにいえば、より早く走るための 努力の積み重ねが何物にも替えがたい喜び であり、より良く打つための苦心と練習そ のものに、生きがいが感じられるからであ る。  このように、スポーツは余暇を楽しみ、 生活を充実させるための手段で、それ以外 には何の目的もないはずである。むしろ目 的のないことがスポーツの特徴であり、試 合に勝つことや良い記録を出すことは、単 なる目標であって終局の目的ではない。  かつて超人的な猛練習でスピードスケー ト の王者といわれ、冬季オリンピックの金 メダルを独占したエリック・ハイデンは「 金メダルは私の人生の目的ではない。それ に至るプロセスの喜びが私

280. 湯の人(4)現実と夢

 【2022年11月22日配信】   大きな便り                       加藤 蒼汰          秋とはいっても冬のような寒い夜だった。 浴室にはだれもおらず、脱衣場には番台に 座っている銭湯の主人と私ともうひとり。  その人は銭湯の近所の人であり、かつて 高校の教員をしていた。在職当時、馳浩・ 現石川県知事を教えていたと語っている。 八十歳を超えている。  この銭湯でよく顔を合わせ、会うたびに 知事の高校在学中のエピソードを繰り返す ので、私はその話の内容をすっかり諳んじ られるようになってしまった。高校入学時 から卒業までの様子、レスリング部での活 躍などであるが、私が特に感銘を受けた話 は、知事は高校時代、冬、雪が降り積もっ た朝には真っ先に早出登校して、生徒・教 職員を思いやり、校門から校舎玄関入り口 までの路をひとりスコップで雪かきをして いたというくだりである。  そんなすばらしい教え子をもつ元先生が、 服を脱ぎ裸になって浴室入り口に向かって 五、六歩あるきながら大便を三個落とした のである。気づかずに落ちたようなので、 私は「先生、落としもの」と声をかけると、 「ありりー、まったく気いつかんかった。 あはははは」と笑うのである。  私は、脇にあったチリトリでこの塊をす くいとり、「みごとな色と固さやね」と言 いながらトイレに流した。しかしながら、 脱衣場にはその匂いが全面に沁みわたり、 息が苦しくなるほどだった。このとき私は、 幼いころサーカスを見たときのことを思い だした。  それは曲芸をしていた象が巨大な大便の 塊を三個落とし、団員があわててスコップ で拾いあげていた光景であった。このとき の衝撃の記憶がよみがえり、私にとっさに チリトリを思いつかせたような気がする。 本を読んでいた番台の主人もその匂いで事 のいきさつに気づき、「匂いもすばらしい ね」と笑いながら脱衣場の窓を全開し床を 雑巾でふいてくれたが、その強力な匂いは 容易に消えなかった。  その間、先生は先に浴槽へ入り、気持ち よさそうに浸かっていた。私は先生と湯壺 にいっしょに漬かることに一瞬躊躇したが、 免疫機能が高まるまたとないチャンスでは ないかとの思いも何ゆえか突然こみあげて きて湯船に同席、お伴したしだいである。  「よくあることなんけ」と湯中、思わず
         柿岡 時正
         廣田 克昭
         酒井 與郎
         黒沢  靖
         神尾 和子
         前田 祐吉
         廣田 克昭
         伊藤 正孝
         柿岡 時正
         広瀬 心二郎
         七尾 政治
         辰巳 国雄
         大山 文人
         島田 清次郎
         鶴   彬
         西山 誠一
         荒木田 岳
         加納 韻泉
         沢田 喜誠
         島谷 吾六
         宮保 英明
         青木 晴美
         山本 智美
         匂  咲子
         浅井 恒子
         浜田 弥生
         遠田 千鶴子
         米谷 艶子
         大矢場 雅楽子
         舘田 信子
         酒井 由記子
         酒井 由記子
         竹内 緋紗子
         幸村  明
         梅  時雄
         家永 三郎
         下村 利明
         廣田 克昭
         早津 美寿々
         木村 美津子
         酒匂 浩三
         永原 百合子
         竹津 清樹
         階戸 陽太
         山本 孝志
         谷口 留美
         早津 美寿々
         坂井 耕吉
         伊佐田 哲朗
         舘田 志保
         中田 美保
         北崎 誠一
         森  鈴井
         正見  巖
         正見  巖
         貝野  亨
         竹内 緋紗子
         滋野 真祐美
         佐伯 正博
         広瀬 心二郎
         西野 雅治
         竹内 緋紗子
         早津 美寿々
         御堂河内 四市
         酒井 與郎
         石崎 光春
         小林 ときお
         小川 文人
         広瀬 心二郎
         波佐場 義隆
         石黒 優香里
         沖崎 信繁
         山浦  元
         船橋 夕有子
         米谷 艶子
       ジョアキン・モンテイロ
         遠藤  一
         谷野 あづさ
         梅田 喜代美
         小林 ときお
         中島 孝男
         中村 秀人
         竹内 緋紗子
         笠尾  実
         前田 佐智子
         桐生 和郎
         伊勢谷 業
         伊勢谷 功
         中川 清基
         北出  晃
         北出  晃
         広瀬 心二郎
         石黒 優香里
         濱田 愛莉
         伊勢谷 功
         伊勢谷 功
         加納 実紀代
         細山田 三精
         杉浦 麻有子
         半田 ひとみ
         早津 美寿々
         広瀬 心二郎
         石黒 優香里
         若林 忠司
         若林 忠司
         橋本 美濃里
         田代 真理子
         花水 真希
         村田 啓子
         滋野 弘美
         若林 忠司
         吉本 行光
         早津 美寿々
         竹内 緋紗子
         市来 信夫
         西田 瑤子
         西田 瑤子
         高木 智子
         金森 燁子
         坂本 淑絵
         小見山 薫子
         広瀬 心二郎
         横井 瑠璃子
         野川 信治朗
         黒谷 幸子
         福永 和恵
         小社発信記事
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         秋山 郁美
         加藤 蒼汰
         森本 比奈子
         森本 比奈子
         吉村 三七治
         石崎 光春
         前田 佐智子
         前田 佐智子
         前田 佐智子
         前田 佐智子
         中野 喜佐雄
         八木  正
         堀  勇蔵
         家永 三郎
         広瀬 心二郎
         菅野 千鶴子
         海野 啓子
         菅野 千鶴子
         海野 啓子
         石井 洋三
         小島 孝一
         キャリー・マディ
         谷本 誠一
         宇部  功
         竹内 緋紗子
         谷本 誠一
         酒井 伸雄
163、コロナ禍の医療現場リポート
         竹口 昌志
164、この世とコロナと生き方を問う
         小社発信記事
165、コロナの風向きを変える取材
         橋本 美濃里
166、英断の新聞意見広告
         小社発信記事
167、ワクチン接種をしてしまった方へ
         小社発信記事
168、真実と反骨の質問
         小社発信記事
169、世論を逆転する記者会見
         小社発信記事
170、世界に響けこの音この歌この踊り
         小社発信記事
171、命の責任はだれにあるのか
         小社発信記事
172、歌人・芦田高子を偲ぶ(1)
         若林 忠司
173、歌人・芦田高子を偲ぶ(2)
         若林 忠司
174、歌人・芦田高子を偲ぶ(3)
         若林 忠司
175、ノーマスク学校生活宣言
         こいわし広島
176、白山に秘められた日本建国の真実
         新井 信介
177、G線上のアリア
         石黒 優香里
178、世界最高の笑顔
         小社発信記事
179、不戦の誓い(2)
         酒井 與郎
180、不戦の誓い(3)
         酒井 與郎
181、不戦の誓い(4)
         酒井 與郎
182、まだ軍服を着せますか?
         小社発信記事
183、現代時事川柳(六)
         早津 美寿々
184、翡翠の里・高志の海原
         永井 則子
185、命のおくりもの
         竹津 美綺 
186、魔法の喫茶店
         小川 文人 
187、市民メディアの役割を考える
         馬場 禎子 
188、当季雑詠
         表 古主衣 
189、「緑」に因んで
         吉村 三七治 
190、「鶴彬」特別授業感想文
         小社発信記事
191、「社会の木鐸」を失った記事
         小社発信記事
192、朝露(아침이슬)
         坂本 淑絵
193、変わりつつある世論
         小社発信記事
194、ミニコミ紙「ローカル列車」
         赤井 武治
195、コロナの本当の本質を問う①
         矢田 嘉伸
196、秋
         鈴木 きく
197、コロナの本当の本質を問う②
         矢田 嘉伸
198、人間ロボットからの解放
         清水 世織
199、コロナの本当の本質を問う③
         矢田 嘉伸
200、蟹
         加納 韻泉
201、雨降る永東橋
         坂本 淑絵
202、総選挙をふりかえって
         岩井 奏太
203、ファイザーの論理
         小社発信記事
204、コロナの本当の本質を問う④
         矢田 嘉伸
205、湯の人(その2)
         加藤 蒼汰
206、コロナの本当の本質を問う⑤
         矢田 嘉伸
207、哲学の時代へ(第1回)
         小社発信記事
208、哲学の時代へ(第2回)
         小川 文人
209、コロナの本当の本質を問う⑥
         矢田 嘉伸
210、読者・投稿者の方々へお願い
         小社発信記事
211、哲学の時代へ(第3回)
         小社発信記事
212、哲学の時代へ(第4回)
         小社発信記事
213、小説『金澤夜景』(2)
         広瀬 心二郎
214、小説『金澤夜景』(3)
         広瀬 心二郎