メルヘンの世界
【2020年8月11日配信】研究リポート
東京都小金井市 教員 大山 文人
昨年の夏グリムのメルヘンを読む機会があ
った。(ヨーロッパの人々がメルヘンと聞く
とすぐに念頭に浮かぶのはグリムのメルヘン
だそうである。)
ドイツ語版(Kraus Reprint 1980)全三巻、
岩波文庫本で全五冊からなる大部なもので、
通読するのに一苦労した。しかも、ドイツ語
版の方はドイツ文字で印刷されているのであ
る。その上ドイツの方言で書かれたものがと
きおり出てきて、ドイツ人に問いあわせても
なかなかわからないという難所にぶつかった
りすると、まるで暗号文字を解読しているか
のような心境になるのであった。
次に記すのはそのような悪戦苦闘の中から
の報告である。
メルヘンの光と影
メルヘンの世界というと、私たちはすぐ夢
のような楽しいできごとにみちあふれたばら
色の世界を連想するかもしれない。たとえば
ヘンゼルとグレーテルが森の中で見つけた、
パンや卵やきのお菓子や白砂糖でできた家の
ような世界を。
しかし、ヘンゼルとグレーテルは、実は、
口べらしのために両親によって森の中に置き
去りにされたのであることを思いおこすこと
ができるならば、メルヘンのようなばら色の
世界には、きびしい現実もまた影をおとして
いるのに気がつくことだろう。
夜のしんしんとふけたころ、「子共たちを
森に捨ててこよう」と最初に提案するのは母
親の方である。父親は、「そりゃあ、かわい
そうだ」と言って反対しようとするのだが、
ついには押し切られてしまう。この母親は実
はまま母であった。このようなわけでヘンゼ
ルとグレーテルが森に捨てられたあと、お菓
子の家の中で、魔法つかいのおばあさんに殺
されそうになりながらも、その手をのがれて
ようやく自分たちの家に帰りつくことができ
たとき、まま母は二人をどのようにむかえた
のだろう。ふしぎなことに、まま母はもう亡
くなっていたとある。
このようにしてまま母が子供をいじめる話
はグリムのメルヘンにおける主要なテーマの
一つであり、このテーマにそって有名なメル
ヘンが多い。まま父が子供をいじめる話はほ
とんどないようである。いじめられるのは男
の子の場合もあれば、女の子の場合もある。
そしてまま母が子供をいじめるのに失敗し
たときには、その末路はあわれなようである。
殺そうとして失敗したときには殺されるよう
である。
「白雪姫」(KHM53)のあたらしいお母
さんは毎日鏡にむかって、「鏡よ鏡よ鏡さん、
世界じゅうでいちばん美人なのはだあれ」と
問いかけて、「それはおきさきさまですよ」
という鏡の返事を確かめずにはいられないよ
うなひとであったのだが、あるとき「白雪姫
はおきさきさまより千倍も美しい」という返
事を聞いておどろき逆上する。そして白雪姫
を何度もしつようにつけねらい殺そうとして
失敗する。このおきさきさまの末路は、まっ
かに焼けた鉄のくつをはかされておどり狂っ
て死ぬことであった。
別の有名なメルヘンに「シンデレラ」(K
HM21)がある。シンデレラとは本名であっ
たのではなく、実はあだ名であった。あだ名
にはかならず意味がある。シンデレラとは、
灰かぶりのことであった。灰かぶりとは何か。
そのへんの事情がわかるように以下に引用し
てみよう。
「彼女のまま母が二人のつれ子とともにや
ってきたときから、彼女にとって悪い日々が
始まりました。三人は彼女だけにはつぎはぎ
だらけの古着をあてがい、日の出まえから夜
おそくまで水を運ばせたり、食事のしたくを
させたり、洗たくさせたりしてこきつかいま
した。その上、二人のお姉さんたちはわざと
いじわるをして、かまどの灰の中にえんどう
豆をまきちらしたのをひろわせたりしました
ので、彼女は夜になってもベッドで眠ること
もできず、かまどのそばの灰の中でごろねを
しなければなりませんでした。こうして彼女
はいつも灰だらけのみじめな姿で働いていま
したので、近所の人々はいつしか彼女を灰か
ぶりと呼ぶようになったのです。」
このようなしかたでシンデレラをいじめて
いじめていじめぬいた二人のお姉さんたちの
末路はどうだったろうか。
二人はシンデレラを殺そうとまではしなか
ったので殺されてはいない。
シンデレラが魔法の力によって見ちがえる
ような姿でお城の舞踏会に招かれ王子さまと
おどったとき、王子さまはたちまち彼女に恋
をして、残されていった片いっぽうの金のく
つを手がかりに彼女をさがし出そうとする。
このくつにぴったりあった足の女性と結婚す
ると言うのである。そこでくつがシンデレラ
の家にまでやってきたとき、まず上のお姉さ
んがはいてみようとするとつまさきがどうし
てもはいらない。それを見たお母さんは、「
つまさきを切りおとしておしまい」と言って
切りおとしてしまう。それで足はどうにかは
いるのだが、おびただしい血が流れ出るので、
にせものであることがわかる。つぎに二番目
のお姉さんがはいてみようとするとかかとが
どうしてもはいらない。そこでお母さんは、
「かかとを少しそぎおとしておしまい」と言
ってそぎおとしてしまう。足はようやくはい
るが、出血のためにせものとわかる。
このようにして二人のお姉さんたちは足が
不自由になった上に、鳥に目をつつかれて目
もまた不自由になっているのである。
グリムのメルヘンは実にさまざまな言語に
翻訳されているが、このような場面は残酷す
ぎるということでカットされたり、書き直さ
れたりして伝えられているようである。しか
し現代人である私たちがこのような場面を直
視することに耐えられないからといって、そ
れをカットしたり、書き直したりして伝える
とすれば、おそらく、メルヘンそのものの生
命力を枯らしてしまうことになるだろう。
夢と現実、善と悪、美と醜、愛と憎しみ、
恩返しと復讐、残酷な結末とハッピー・エン
ドとは、一つのメルヘンの世界に、あたかも
光と影のように、同時にえがかれているので
ある。
小社発行・『北陸の燈』第2号より