ある中学生の考え
【2020年10月18日配信 NO.45】
志雄中学校3年 山本 孝志
光陰矢のごとくのように月日がたつのは早
いもので、あと中学校も半年となりました。
残りの半年を有意義に過ごすことが、これか
らは大事ですが、ここで、今年のことを少し
振り返って考えてみたいと思います。
四月にやっと三年生になり、これで中学生
の中では、怖いもの知らず(?)になったな
あ、と思い、同時に、高校受験というのがせ
まって来たなあ、あと一年後に、みんな別れ
別れになるのかなあ、と思ったのでした。
そして、入学式の次の日(その次の日かも
しれない)に、まったく本人が、何にも思わ
ないうちに、クラスの会長にされたのでした。
クラスの会長の経験は、何度かあり、まあ、
いいわ、今までのようにやっていけばいいだ
ろう、と思い、その日は帰って寝ました。
そして、三年生の授業が始まった頃、学級
会を放課後かに開くことになりました。今年
の前期の生徒会役員を決めるのに、わがクラ
スからも立候補者を出すためです。(志雄中
学校は、先に学級の役員を決めてから、学校
の役員を決めるのです。)なんだかんだとや
っているうちに、僕の名がでてきました。会
長というところに。そこで、僕が、「嫌だ。
生徒会の会長なんかせん」と言えば、もしか
して今は、生徒会長になっていなかったかも
しれませんが、少し考えました。
『僕を推薦してくれたということは、逆から
言えば、僕を信頼してくれている。それに、
去年の生徒会長さんも、答辞の中で、気がか
りなことの一つに、生徒会が活発にできなか
ったと言っていた』
僕は、少し会長さんを尊敬していたのであ
る。
『ああ、なるほど、僕らで何とかしなくては
いかん、とそのとき、心の中で強くそう思っ
たではないか……』
「よし、やってやろう」
と、言ってしまったのでした。
そして、時はめぐり、玄関などに、僕のこ
とを応援するするポスターが張られ(自分の
応援をしてくれているポスターを、自分自身
で見ると、恥ずかしいものだった。)、いよ
いよ全校生徒による選挙をするところまで来
ました。僕の相手の数はひとり。一騎打ちで
す。まず、選挙の前の演説で、
「今までの生徒会は活発ではなかった。しか
し、僕は口先で終わらず、実行したい」
ということを話しました。そして、次に僕
の推薦演説(友達がしてくれた。)があり、
何か演説していました。その間、
『この雰囲気からだと、当選するのは、五分
五分だな』
と思い、じっとすわっていました。
さて、演説も最後まですみ、選挙(無記名
投票)も終わりました。これはなんだかあぶ
ないな、という気がだんだんとしてきました。
そして放課後、部活(卓球部)をしている間
にも、友達から、ぞくぞくと情報がはいりま
した。寸差ながら、僕のほうが数票多いそう
です。そして、最後まで見ていた友達が、僕
に、
「おまえが会長に当選したよ」
と、伝えてくれました。わかったときは、
うれしさよりも、やっと当選したかという安
堵感が強かったのでした。(後日、開票場へ
行ってみると、二十票ぐらいしか差がなかっ
た。ちなみに、全体の生徒数は、約三百人。)
ほんとうに会長になったと思ったのは、校長
先生から、任命状をもらってからです。
さて、生徒会長となり、特別、活動を起こ
さずに、のんびりと一日一日を暮らしていた
ある五月上旬の日曜日の朝、僕は、その日も
のんびりと朝寝坊を楽しんでいました。何が
起こったのかも知らずに。のそのそと起きて、
朝食を食べようとすると、母に、
「朝の新聞、見た?」
と言われ、僕は、
「まだ見てない」
と、言いつつ、朝刊に手をのばし、三面記事
のところをぱっと見ました。すると、” 志雄
中という学校に暴力事件があり、………” と、
けっこうでかい活字で書いてあります。『ま
た校内暴力か』と思い、『これは違うな』と、
次の記事を見ようとすると、『まてよ、さっ
きの志雄中は、もしかして僕の学校の志雄中
?』と、いままでの眠気はいっぺんに覚め、
見直すと、やっぱり志雄中。住所も校長先生
の名前もあっている。(あたりまえのことだ
が………。)記事をよく読むと、ふたりの生徒
が、ひとりの生徒に暴力をはたらき、けがを
負わせたとのことであった。(もっとくわし
く知りたいと思う方は、新聞社にでも問い合
わせてください。)とにかく、自分で自分の
学校の恥を書くのは、とても嫌なもので耐え
難いものです。第一、今、大事なのは、それ
がどうしたこうしたということではなく、そ
のことについてのひとりひとりの対応の仕方
ではないかと、僕は思うのです。
思いあたれば、最近いやに報道記者のよう
な人が学校に来ていたり、職員会議が頻繁に
行なわれていたのであった。今になれば、簡
単に説明できるのであった。僕は、最も恐る
べきことになってしまったと思い、何だかそ
の日は憂うつで、どこにも行きたくなくなり、
ほとんど寝ていました。
そして次の日、今度はみんなの様子が知り
たくて学校へ行きました。案の定、みな顔を
しかめて、なんだか重苦しい雰囲気となって
いました。友達と話していて、「まったく、
たった二、三人のために、おれら全員が犠牲
にならなきゃならないのかなあ」とか、「ど
うして新聞に載ったのか」とか………。また、
ある人は、「こんで、おれら、高校行くのが
むずかしなったな」とか言う。「少数の人の
ために、みんなが苦しまなければならないと
いう面では、学校とは、不便なものだな」と、
僕も思った。それに友達のひとりは、羽咋の
店に日曜日行くと、志雄中の卒業生に、「お
~怖い。志雄中のもんやぞ」と言われたそう
である。(その友達は、家に帰ってから、新
聞を見てその意味がわかったそうである。)
まったく志雄中も落ちてきたなと、志雄中の
生徒会長としてではなく、一生徒として、ほ
んとうにひしひしと感じた。「これからどう
なるげんやろ」と、話しているうちに朝礼と
なる。そして、一限目は緊急の集会になるそ
うである。
廊下に並び、講堂にはいる。みんな暗い顔
でしんみょうにはいって行く。
さて、校長先生の話は、「このたびのこと
は………であり、今後二度と繰り返さぬよう、
ひとりひとりが協力し合ってほしい」とぐら
いしか覚えていないが、ただ、はっきりと覚
えているのは、話し中報道社の人が、うしろ
からフラッシュを何度もたいていたことであ
る。このときほどフラッシュのあの青い光が、
冷たく冷酷なものだと感じたことはありませ
んでした。
話も終わり、教室へ戻るとき、左のほうか
ら僕を呼ぶ声が聞こえた。その声は少し涙ぐ
んでいた。
「おまえ、ひとりひとり、校長先生の話どお
り協力できると思うか」
と、声の先生。
「いいえ、協力できないからこうなったと思
います」
「じゃ、なんで手を上げて、『それは違う』
と言わなかった……」
返す言葉がなかった。どう言っていいかわ
からず、気がそんなところへいかなかった。
いけるはずがなかった。さらに、
「今まで先生がしてきたことは、無駄だった
のかなあ……」
と、続けられた。と同時に、
『いや無駄ではない。そのためにも僕が何と
かやって、そのことを証明しなければ』
と、今まで気がぼうぜんとしていたのが、
一瞬のうちに引き締まったようだった。(そ
の先生は、僕の二年生のときの担任の先生で
した。)とはいうものの、その日の授業は、
僕をはじめ、みんなうわついていたようだ。
このことは、このようにひとりひとりに大
きな影響を与えたが、僕だけかもしれないが、
もう一つばかり大きなショックを受けたので
あった。それは、その話があった日の夕刊か、
翌日の朝刊かと思うが、新聞にまた載った。
確かにそれ相当の事件があったので、何回か
続けて載ることもあたりまえかもしれないが、
気になったのは「見出し」であった。「校内
暴力の志雄中に………」となっている。志雄中
に、”校内暴力の”という修飾語がついている。
これだけ読むと、志雄中は、校内暴力の代名
詞のような感じがする。また、僕だけではな
く、この記事を読んだ読者も同じイメージを
持ったのではないのだろうか。そして、志雄
中や、志雄中の生徒は、だれでもそんなこと
をすると思われるのじゃないだろうか。
冗談じゃない。真面目な生徒だってたくさ
んいるのだ。良いことも、表に現われなくて
も、たくさん、みんなしているんだ。それな
のに、一般の人達は、志雄中を悪いところと
決めつける。それはなぜかというと、良いこ
との情報が、一般の人達に届かないからだと
僕は思う。情報を伝えるものは何かというと、
新聞、テレビなどのマス=メディア、つまり、
マスコミだと思う。
僕は言いたい。マスコミや、一般の人々に。
まず、マスコミだが、なぜ、事件後、その後
どうなったかなどを、責任をもって伝えてく
れないのだろうか。なんだか物事の結果だけ
を書いて、原因や、その後どうなったか、な
ぜ書かないのだろうか。それに、表現が、少
々オーバーなところがないだろうか。「校内
暴力の志雄中」と表わすと、なるほど、見た
だけで、ああ、前に出ていた中学校やなと、
すぐに思い出されるが、それ以上に、志雄中
は、校内暴力の本家本元であるのかと、とら
れはしないだろうか。多分、その新聞の読者
の大半はそう思ったはずだろう。マスコミは、
そこまで考えて印刷しているだろうか。もっ
と別な表現を使ってほしい。その表現のため
に、どれだけいやな思いをしたものだろうか。
また、すんなりと信じる人々も注意してほ
しいものだ。よく考えてみれば、このことな
ども、すぐにわかり、志雄中は、決して暴力
だけの学校でないと気づかれる方もおられる
のではないだろうか。
さらにまた、一番迷惑なのは「うわさ」で
ある。これは、一番たちが悪いもので、時間
とともに広がり、話も大きくなるのである。
たとえば、「何でも志雄中では、生徒が授業
中に堂々と席をたって、廊下でぶらぶらして
いるらしい」とか、こういううわさを聞くと、
前に新聞を読んだ関係もあって、もう志雄中
は荒れ野原と思われるに違いない。いったい
だれがそんな光景を見たのだろうか。だれが
根も葉もないことを言ったのだろうか………。
ちなみに、実際には、そんなことは一度もな
いはずです。もっと真実とうそを区別しても
らいたいものです。それだけでも、志雄中に
対する誤解は少なくなると思います。情報化
時代の欠点ともいえるところではないでしょ
うか。
つけ加えて書き表わしますが、その問題を
起こした生徒も、俗にいうツッパリの生徒も、
心の奥の奥までねじ曲がっているのではない
と僕は思います。みんなに相手にされずにい
て、気がむしゃくしゃして、楽なほう(つま
り、正常ではないほう)へ行こうとする。そ
うすると、みんなはますます無視する。本人
は、ますます気がむしゃくしゃしてーーとい
う悪循環があり、また、仲間を求めるが、そ
の仲間もむしゃくしゃしている。気をはらす
ために、いっしょに(必ずひとりでは起こさ
ず複数で起こす。)異常な行動を起こすーー
といったパターンがあると思います。ですか
ら僕は、心が寂しいからそんな行動を起こす
のだと思います。
もう一つ、パターンというか、原因があり
ます。集団の中の個人の心理みたいなもので
す。それは、ひとりでは大それた行動はしな
い真面目な人でも、まわり(いっしょにいる
人)から、おだてられたり、ほめられたりす
ると、たとえ本人がやってはいけない、悪い
ことだと思っても、思うだけで、何の抵抗な
しにしてしまうことがあります。(また、悪
いことだとは、思いもしないのかもしれませ
ん。)これは、自分でも気づかないので、案
外、僕もそうなっているかもしれません。ま
た、集団心理の中にはいるのですが、悪いこ
となどをしていてもだれも注意しないことが
あります。そればかりか知っていても知らな
いふりをします。そうすると、本人も、また
まわりの人も、少しぐらいのことは………とな
り、最後になると、大きなことになるのです。
つまり、だんだん異常なことになって、正常
な感覚が、まひしてくるのです。ですから、
まわりからの圧力というか、影響が大きいの
です。
では、これからそんなことをなくすために、
先生方や生徒会は何をしたか書いていきたい
と思います。
まず、先生方ですが、職員会議を頻繁に行
なっていました。そして、月一回ぐらいの割
合での授業参観などがあったようです。また、
指導においての細かい点もあったようですが、
内部まで知らないので、あまりくわしく書か
れません。
町は、「親と子の語る会・青少年意見発表
会」(これは、毎年やっているのかもしれま
せんが。)を行ないました。志雄町の小学生・
中学生・高校生六人が意見発表し、そのあと
で、児童・生徒・父兄等で意見交換をしまし
た。僕も意見発表しましたが、今いち、もり
上がりにかけたようでした。
そして、生徒会では、代議員会(生徒会役
員と各クラスの会長・副会長からなる)を、
ほぼ毎日開いたのでした。志雄中の生徒はお
となしい人が多いので、出席者の認識も薄か
ったこともありましたが、これからは、自信
をもって、悪いことは悪いと、お互いに注意
できるよう心がけていこうということを話し
合いました。
もっと書きたいことがたくさんありますが、
今年のことを振り返って、今までに一番心に
残ったことを書いてみました。少しは、中学
生の考えというものをわかっていただけたの
ではないでしょうか。どんなことのあった中
学校にも、ひとりぐらいは僕みたいなのがい
るはずです。
最後に僕が言いたいのは、
「何事も過去のことだけで決めつけないでほ
しい」
ということです。時がめぐるように、中学
校も僕達ひとりひとりも変わっていくのです
から。
小社発行・『北陸の燈』創刊号より