年越しの記(1)
【2020年12月24日配信 NO.90】
NHKディレクター
北出 晃
一、純子
十二月二十九日。左、前方に勇姿を現わし
た日光連山の雪は、まだうっすらと斑模様で
ある。ーーたいしたことはなさそうだーー
スパイクタイヤは積んでこなかった。東北自
動車道を北へ走る。昼過ぎに練馬のアパート
を出て三時間、冬の陽はすでに淡い。
鹿沼インターチェンジを通過する。鹿沼市、
宇都宮市への入り口だ。半年程前、『ルポル
タージュにっぽん』(NHK総合テレビのドキ
ュメンタリー番組)の取材で、一週間ロケに
来ていた懐かしの町である。だが、今日は仕
事ではない。
ーー正月をどうして過ごそうか。去年は原
子力発電所の取材で、大阪、福井を飛び回っ
ていた。今年は田舎でゆっくりしようか。そ
れとも部屋に籠って、山のように溜った本で
も読もうかーー 迷いは長くはなかった。車
にチェーンを投げ込んで飛び出した。
一週間程前、クリスマス・イヴの前日であ
ったか、新宿のゴールデン街の飲み屋で一人
の女に出会った。三軒目のハシゴで入ったこ
の『ふらて』という店は、マスコミ関係者の
出入りが多い。その女は、光文社の社外記者
で、名を純子と言った。週刊宝石のデーター
マンの仕事をしていた。
社外記者とは、社員ではないフリー契約の
記者を言う。記事一本ごとに契約することも
あれば、週単位、月単位での給与契約がその
ベースになっている場合もある。雑誌名の入
った名刺を持って、実際に現場に行って取材
するのは、実はほとんどこういったフリーの
ライターである。その中で、署名入りでまと
まった記事を書く一本立ちの記者ではなく、
データ集めや部分取材に走る記者がデータマ
ンである。勿論、軽いものは一人でまとめる。
その日彼女は、グレーのワンピースに黒の
ベルトでアクセントを付けた、一見、オフィ
シャルな取材を終えてきたばかりという風体
であった。時計は午後十一時を回っていた。
しこたま飲み、午前二時の閉店の後、ママ
さんも一緒に焼肉屋に流れた。そのメンバー
を挙げれば、安仁こと安東仁兵衛(六〇年安
保闘争を指導、長洲一二とともに構造改革派
の理論活動家、『現代の理論』主宰)の他、
毎日新聞社会部記者、週刊ポスト記者、博報
堂のコピーライターなど六人で、安東を除け
ば皆三十歳前後の若手の一線記者であった。
結局、五時頃まで飲む羽目になった。そこ
で分かったことは、彼女は二十四歳、駒沢大
学の政治学科卒、学生の頃から先生を通じて
雑誌の記者たちと付合いがあり、そのままラ
イター業に入ったということであった。この
業界にはよくあるケースだ。
美人である。人なつっこい目に惜しみなく
笑いを見せるが、そこにはスキが無い。一六
〇cm ははるかに越えると思われる背丈。そ
の分いくらかスマートに見えるが、盗み見た
胸はかなり豊かである。ピンと背筋を伸ばし
た自信に満ちた姿勢は、背を丸めてグラスを
なめる男たちの中で、頭一つ飛び出していた。
それに前述の服装である。かなり大人っぽく
見えて気おくれがする。私たちテレビ屋は、
筆を操る者に対して何がしかのコンプレック
スを持っている。だが、その時私は頑張った。
掘り出し物だと思ったからである。酒の勢い
も勿論あった。
名刺は交換したが、なかなか自宅の電話番
号を明かさない。が、別れ際に、彼女はそっ
と暗号を呟いた。〈名古屋〉と〈釧路〉。こ
の二つの都市を組み合わせた言い回しを、か
なりの酩酊状態の中で、私はしぶとく憶えて
いたのである。
ーーこれで、いよいよ今年の仕事も終わり
かーー 十二月二十八日。映像を電気的に合
成加工するDVE (デジタル・ビデオ・エフェ
クト)という機械で作業をしながら、私は、
ふと純子のことを思った。そしてダイヤルを
回す。暗号を唱えながら……。つながった。
「こんにちは、やっぱりね」
「やっぱり?」
「かかってくると思った」
脈はある。
「会いたい、会いたい、会いたい」
「残念でした。あした田舎に帰るんです」
「なら……」
「今日は先約あり」
ピシャリだ。ーーコノヤロウーー
今晩、仕事納めで仲間うちの飲み会があり、
明日、田舎の福島の方に帰るのだと言う。故
郷は山の中で、三十日に母の実家で餅つきを
する、などと楽しげに話す。
「行きたいなあ、どこ?」
「ヤダ、教えない」
楽しんでいる。いたずらっ子の明るさがある。
遊ばれてやった。遊び相手をしながら、ずる
ずると情報を聞き出す。こちらもプロだ。と
うとう、親父は教師で福島県の県教祖ではち
ょっと有名な活動家だということを聞き出し
た。これでOKである。すべて割れる。
「餅つきやってみたいなあ。僕の田舎は酒屋
でね。十何人の酒造りの職人が居てね、暮
れにはそりゃあ賑やかな餅つきをやったん
だ。中学の頃酒造りはやめちゃって、そう
だなあ、餅つきなんて十五年ぶりかな。ね
え、どこ?」
「ヤダ、自分で調べたら? ここまでヒント
出したんだから。NHKなんでしょ、プロの
お手並み拝見ね」
私はほくそ笑んだ。
「じゃあ、良いお年を……」
受話器を置くと、今度は直ちにNHKの郡山
放送局に電話を入れた。彼女の田舎の住所を
割り出すためである。勤務中に私用の電話を、
しかも女のことで、などとおこらないで欲し
い。私どもの仕事には、元来、公私不分明な
ところがある。いろんな人に会い、いろんな
所にネットワークを張って、年がら年中番組
のネタを搜しに歩き、企画を考えなければな
らない。週刊宝石の女性記者というのは、ま
ことに得難い情報源ではあるのだ。かといっ
て、下心は無いなどとは勿論言わない。誤解
されたくはないが、そんなものなのだ。言い
訳めいて恐縮だが、御理解をいただきたい。
時速一三〇km、毎分三,八〇〇回転。 ま
だまだエンジンに余力はあるが、一,五〇〇
ccのサニーではかなり音はうるさい。白河以
北一山百丈と言われた蝦夷地に入る。この東
北地方は、私には親しいところだ。昭和五十
一年にNHKに入った私は、この東北の北の端、
青森に赴任した。津軽海峡に臨む街で、丸五
年間の駆け出し時代を過ごしたのである。
陽はすでに落ちて、夕焼けは、濃く小さく
闇に包まれようとしている。東北自動車道の
郡山の手前、須賀川インターチェンジで国道
四号線に乗り替える。郡山市の中心街を東に
迂回して、太平洋岸の原子力発電所の町、双
葉町へと続く国道二八八号線に入った。目指
すは純子の故郷、福島県田村郡三春町である。
「どこ?」
「三春」
「ウッソオー、どこよ」
「山田屋旅館」
「ホントオ、信じられない。でも、来ちゃっ
たみたいね。まあ、ひょっとしたらとは思
ってたけど。いらっしゃいますか?」
「ええ、よろしければ」
酒は剣菱であった。純子の父は秋田杉の枡
を持ち出してきた。母は、実家の祖母が漬け
た、青菜の漬け物を出してくれた。純子は枡
酒に付合いながら、傍らで年賀状のデザイン
を四苦八苦して書いている。結局、自分の肖
像が入った切手に擬したものを葉書に刷り込
む、という形のものになった。
切手の中央で微笑む彼女の肖像は、五枚の
モノクロ写真の中から選ばれた。キッと口元
を結んだきびしい表情のもの、目元が完全に
緩んだおだやかなもの、視線が真っすぐで笑
いの涼しげなものなどなど……。これでもな
いあれでもないと、父母ともども、選ぶのに
三十分も時間がかかった。彼女はひとり娘で
あった。私も含め、四人全員一致で採用され
たのは、いしだあゆみの明るさと大原麗子の
はにかみをミックスした、妙な雰囲気のある
笑みをたたえたものであった。その肖像の左
下、切手で言えば額面にあたるところの数字
は、二十四と書かれた。彼女の年齢である。
そして、素直に伸びたきれいな髪の水源たる
頭の上、切手ではNIPPONと書かれた所には、
DOKUSINと横書きされた。体は大人でも、
まだまだ子供……というお決まりの言い回し
が浮かんで、私はひとり笑った。
東京の夜の飲み屋の灯の下で、気おくれす
る程に大きく見えた彼女は、ここには居ない。
東京で二十七、八歳に見えた彼女は、父母の
前では二十歳そこそこの乙女に見える。大学
でチアガールのリーダーをやっていたという
純子は、エイヤッとばかり足を振り上げて見
せた。コスチュームでないのが残念だったが、
窮屈なジーパンでも脚は一八〇度近くに広が
り、白い素足が流れる黒髪の遥か上方に一瞬
の空を切った。
美味い酒であった。時計は十二時を大きく
回っていた。
十二月三十日。朝、純子を乗せて、車で十
五分程の彼女の母の実家を訪ねた。
「二日酔いでね、丁度ありがたい助っ人が来
てくれた」
彼女の叔父が笑って迎えた。
「あれまあ、なんとガッチリしたいい体でね
えか。たのもしいのお」
嫁もあけすけな明るい表現をする。納屋の方
から、薪のはじける音が聴こえ、今ではほと
んど見ることのない、あの懐かしい紫灰色の
カマドの煙が立ち昇っている。
「あがったよう。さあ、ついてくりょう……」
おばあちゃんの力強い農家の声がした。
中学生の頃、田舎での餅つきで、杵を持た
せてもらったことがある。まだ体の出来てい
ない子供である。表面をペチャペチャ叩いて、
”蔵のオッサン”と呼んでいた酒造りの職人た
ちに笑われ、はやしたてられた遠い記憶がよ
みがえる。
杵は餅米を通してガツッと臼にぶつからな
ければならない。力が入り、打ちおろして壺
にはまった時は、コーンという快い響きが柄
を通して体を走る。逆に、少しでも的をはず
して杵がすべると、ゴキッと手首に無理がか
かり腰も振られる。疲れ方が全然違うのであ
る。二臼目からようやく要領をつかんだ。気
持ちがいい。シャツを一枚脱いだ。
「さあて、やるぞっ。ばあちゃん交替交替。
エヘヘ」
赤い半袖のうすめの綿入を羽織った純子が、
下に着たTシャツの腕まくりをしながらやっ
て来た。長い髪は束ねあげてヘアバンドでと
めている。きれいだ。立ち昇る湯気が、あら
わになった純子のうなじをなでる。溶け込ん
でいる。小春日和の農家の納屋さきの、のど
かな餅つきの風景に自然に溶け込んでいる。
彼女はやっぱり村の娘なのだ。だとすれば、
あの新宿の夜の純子は何なのか。突っ張って
議論をふっかけてくるあの女。男と対等に渡
り合って取材をし、筆を執る。そしてその内
容をぶつけてくる。あの猛々しい女は誰なの
か。
「ハイッ と、…… ハイッ と」
軽やかな、転がるような合いの手に、我に返
った。
「ヨシャ、…… ヨシャ」
と、ふざけて応えた。杵を頭上に振りあげて、
チラッと純子を見た。
ーー惚れたなーー
ドスッ。杵と臼とのぶつかりを全身で受けて、
ひとり笑った。
ーーまたかーー
美味い。昨日の酒も美味かったが、今日の
つきたての餅も実に美味い。味というのは多
分に体の健康状態によって変わるというが、
精神の健康状態によっても当然影響されるに
違いない。そして、さらに加えたい。味は、
周囲(環境)の健康状態によっても変わる。
おじいちゃん、おばあちゃん、叔父夫婦、走
り回る元気な二人の従弟妹、そして微笑む純
子の傍らで食べるおしるこが不味かろうはず
がない。
「立派なヒゲじゃのう。明治天皇様のようじ
ゃ」
私の顔を評して言ったおじいちゃんの言葉に、
皆、餅を吹き出さんばかりに笑った。
私はこの時、三ヶ月程手を入れずに無精ヒ
ゲを生やしていた。頭は、角刈りが伸びたま
まのボサボサ頭であった。十一月二十三日に
放送した『勤労感謝の日特集・とうちゃんは
トラックドライバー』という番組で、ドライ
バーイメージのモデルとしてチョイ役で出演
した時の名残りである。
「立派な体をしてなさる。純子のムコさんに
ピッタリやと思うぞ」
とおばあちゃんが合わせた。純子は箸を止め
てこちらを見る。
「チョッと太めやけどな」
照れていた。不安定な視線がそれを証明して
いた。
「来年もまた餅つきに来てくれたら助かるわ
あ」
叔父が持ちあげた。
「じゃあ、今度来る時は純ちゃんの亭主とし
て来ますわ」
ーー出来たらーー 半分は本気であった。惚
れてしまったのだから。
新宿の純子と三春町の純子。単に背景の違
いだけにとどまらない、大きな印象の違いに
ついて彼女に話した。
「宇都宮あたりで切り替えるの。新幹線の中
でね。当然三春では気持ちも表情もリラッ
クスするし、東京ではその逆。でも単に自
然にそうなるというのじゃなくて、私は意
識的にそれをやるの。東京では、意識して
肩を張るし緊張する。突っ張るわけね。か
なりの部分、意図的にそうするの。苦しい
とか苦しくないとかじゃなくて、仕事の現
場では当然そうしなければと思う。勿論ど
ちらも本当の私よ。でも、あえてどちらを
見て欲しいかと言えば、東京の私ね。そこ
で勝負してるんだから」
またひとり、同志と出会った。東京の純子
には、決して三春の純子は見えない。求めて
も求められない。それを寂しいとは言うまい。
これこそ純子の歴史であり、豊かさなのだか
ら。
小社発行・『北陸の燈』第3号より