年越しの記(1)

【2020年12月24日配信 NO.90】



                         NHKディレクター     

                        北出  晃            

   

  一、純子

 十二月二十九日。左、前方に勇姿を現わし

た日光連山の雪は、まだうっすらと斑模様で

ある。ーーたいしたことはなさそうだーー

スパイクタイヤは積んでこなかった。東北自

動車道を北へ走る。昼過ぎに練馬のアパート

を出て三時間、冬の陽はすでに淡い。


 鹿沼インターチェンジを通過する。鹿沼市、

宇都宮市への入り口だ。半年程前、『ルポル

タージュにっぽん』(NHK総合テレビのドキ

ュメンタリー番組)の取材で、一週間ロケに

来ていた懐かしの町である。だが、今日は仕

事ではない。


 ーー正月をどうして過ごそうか。去年は原

子力発電所の取材で、大阪、福井を飛び回っ

ていた。今年は田舎でゆっくりしようか。そ

れとも部屋に籠って、山のように溜った本で

も読もうかーー 迷いは長くはなかった。車

にチェーンを投げ込んで飛び出した。



 一週間程前、クリスマス・イヴの前日であ

ったか、新宿のゴールデン街の飲み屋で一人

の女に出会った。三軒目のハシゴで入ったこ

の『ふらて』という店は、マスコミ関係者の

出入りが多い。その女は、光文社の社外記者

で、名を純子と言った。週刊宝石のデーター

マンの仕事をしていた。


 社外記者とは、社員ではないフリー契約の

記者を言う。記事一本ごとに契約することも

あれば、週単位、月単位での給与契約がその

ベースになっている場合もある。雑誌名の入

った名刺を持って、実際に現場に行って取材

するのは、実はほとんどこういったフリーの

ライターである。その中で、署名入りでまと

まった記事を書く一本立ちの記者ではなく、

データ集めや部分取材に走る記者がデータマ

ンである。勿論、軽いものは一人でまとめる。


 その日彼女は、グレーのワンピースに黒の

ベルトでアクセントを付けた、一見、オフィ

シャルな取材を終えてきたばかりという風体

であった。時計は午後十一時を回っていた。


 しこたま飲み、午前二時の閉店の後、ママ

さんも一緒に焼肉屋に流れた。そのメンバー

を挙げれば、安仁こと安東仁兵衛(六〇年安

保闘争を指導、長洲一二とともに構造改革派

の理論活動家、『現代の理論』主宰)の他、

毎日新聞社会部記者、週刊ポスト記者、博報

堂のコピーライターなど六人で、安東を除け

ば皆三十歳前後の若手の一線記者であった。


 結局、五時頃まで飲む羽目になった。そこ

で分かったことは、彼女は二十四歳、駒沢大

学の政治学科卒、学生の頃から先生を通じて

雑誌の記者たちと付合いがあり、そのままラ

イター業に入ったということであった。この

業界にはよくあるケースだ。


 美人である。人なつっこい目に惜しみなく

笑いを見せるが、そこにはスキが無い。一六

〇cm ははるかに越えると思われる背丈。そ

の分いくらかスマートに見えるが、盗み見た

胸はかなり豊かである。ピンと背筋を伸ばし

た自信に満ちた姿勢は、背を丸めてグラスを

なめる男たちの中で、頭一つ飛び出していた。

それに前述の服装である。かなり大人っぽく

見えて気おくれがする。私たちテレビ屋は、

筆を操る者に対して何がしかのコンプレック

スを持っている。だが、その時私は頑張った。

掘り出し物だと思ったからである。酒の勢い

も勿論あった。


 名刺は交換したが、なかなか自宅の電話番

号を明かさない。が、別れ際に、彼女はそっ

と暗号を呟いた。〈名古屋〉と〈釧路〉。こ

の二つの都市を組み合わせた言い回しを、か

なりの酩酊状態の中で、私はしぶとく憶えて

いたのである。



 ーーこれで、いよいよ今年の仕事も終わり

かーー 十二月二十八日。映像を電気的に合

成加工するDVE (デジタル・ビデオ・エフェ

クト)という機械で作業をしながら、私は、

ふと純子のことを思った。そしてダイヤルを

回す。暗号を唱えながら……。つながった。

「こんにちは、やっぱりね」

「やっぱり?」

「かかってくると思った」

脈はある。

「会いたい、会いたい、会いたい」

「残念でした。あした田舎に帰るんです」

「なら……」

「今日は先約あり」

ピシャリだ。ーーコノヤロウーー


 今晩、仕事納めで仲間うちの飲み会があり、

明日、田舎の福島の方に帰るのだと言う。故

郷は山の中で、三十日に母の実家で餅つきを

する、などと楽しげに話す。

「行きたいなあ、どこ?」

「ヤダ、教えない」

楽しんでいる。いたずらっ子の明るさがある。

遊ばれてやった。遊び相手をしながら、ずる

ずると情報を聞き出す。こちらもプロだ。と

うとう、親父は教師で福島県の県教祖ではち

ょっと有名な活動家だということを聞き出し

た。これでOKである。すべて割れる。


「餅つきやってみたいなあ。僕の田舎は酒屋

 でね。十何人の酒造りの職人が居てね、暮

 れにはそりゃあ賑やかな餅つきをやったん

 だ。中学の頃酒造りはやめちゃって、そう

 だなあ、餅つきなんて十五年ぶりかな。ね

 え、どこ?」

「ヤダ、自分で調べたら? ここまでヒント

 出したんだから。NHKなんでしょ、プロの

 お手並み拝見ね」

私はほくそ笑んだ。

「じゃあ、良いお年を……」


 受話器を置くと、今度は直ちにNHKの郡山

放送局に電話を入れた。彼女の田舎の住所を

割り出すためである。勤務中に私用の電話を、

しかも女のことで、などとおこらないで欲し

い。私どもの仕事には、元来、公私不分明な

ところがある。いろんな人に会い、いろんな

所にネットワークを張って、年がら年中番組

のネタを搜しに歩き、企画を考えなければな

らない。週刊宝石の女性記者というのは、ま

ことに得難い情報源ではあるのだ。かといっ

て、下心は無いなどとは勿論言わない。誤解

されたくはないが、そんなものなのだ。言い

訳めいて恐縮だが、御理解をいただきたい。



 時速一三〇km、毎分三,八〇〇回転。 ま

だまだエンジンに余力はあるが、一,五〇〇

ccのサニーではかなり音はうるさい。白河以

北一山百丈と言われた蝦夷地に入る。この東

北地方は、私には親しいところだ。昭和五十

一年にNHKに入った私は、この東北の北の端、

青森に赴任した。津軽海峡に臨む街で、丸五

年間の駆け出し時代を過ごしたのである。


 陽はすでに落ちて、夕焼けは、濃く小さく

闇に包まれようとしている。東北自動車道の

郡山の手前、須賀川インターチェンジで国道

四号線に乗り替える。郡山市の中心街を東に

迂回して、太平洋岸の原子力発電所の町、双

葉町へと続く国道二八八号線に入った。目指

すは純子の故郷、福島県田村郡三春町である。


「どこ?」

「三春」

「ウッソオー、どこよ」

「山田屋旅館」

「ホントオ、信じられない。でも、来ちゃっ

 たみたいね。まあ、ひょっとしたらとは思

 ってたけど。いらっしゃいますか?」

「ええ、よろしければ」


 酒は剣菱であった。純子の父は秋田杉の枡

を持ち出してきた。母は、実家の祖母が漬け

た、青菜の漬け物を出してくれた。純子は枡

酒に付合いながら、傍らで年賀状のデザイン

を四苦八苦して書いている。結局、自分の肖

像が入った切手に擬したものを葉書に刷り込

む、という形のものになった。


 切手の中央で微笑む彼女の肖像は、五枚の

モノクロ写真の中から選ばれた。キッと口元

を結んだきびしい表情のもの、目元が完全に

緩んだおだやかなもの、視線が真っすぐで笑

いの涼しげなものなどなど……。これでもな

いあれでもないと、父母ともども、選ぶのに

三十分も時間がかかった。彼女はひとり娘で

あった。私も含め、四人全員一致で採用され

たのは、いしだあゆみの明るさと大原麗子の

はにかみをミックスした、妙な雰囲気のある

笑みをたたえたものであった。その肖像の左

下、切手で言えば額面にあたるところの数字

は、二十四と書かれた。彼女の年齢である。

そして、素直に伸びたきれいな髪の水源たる

頭の上、切手ではNIPPONと書かれた所には、

DOKUSINと横書きされた。体は大人でも、

まだまだ子供……というお決まりの言い回し

が浮かんで、私はひとり笑った。


 東京の夜の飲み屋の灯の下で、気おくれす

る程に大きく見えた彼女は、ここには居ない。

東京で二十七、八歳に見えた彼女は、父母の

前では二十歳そこそこの乙女に見える。大学

でチアガールのリーダーをやっていたという

純子は、エイヤッとばかり足を振り上げて見

せた。コスチュームでないのが残念だったが、

窮屈なジーパンでも脚は一八〇度近くに広が

り、白い素足が流れる黒髪の遥か上方に一瞬

の空を切った。


 美味い酒であった。時計は十二時を大きく

回っていた。



 十二月三十日。朝、純子を乗せて、車で十

五分程の彼女の母の実家を訪ねた。

「二日酔いでね、丁度ありがたい助っ人が来

 てくれた」

彼女の叔父が笑って迎えた。

「あれまあ、なんとガッチリしたいい体でね

 えか。たのもしいのお」

嫁もあけすけな明るい表現をする。納屋の方

から、薪のはじける音が聴こえ、今ではほと

んど見ることのない、あの懐かしい紫灰色の

カマドの煙が立ち昇っている。

「あがったよう。さあ、ついてくりょう……」

おばあちゃんの力強い農家の声がした。


 中学生の頃、田舎での餅つきで、杵を持た

せてもらったことがある。まだ体の出来てい

ない子供である。表面をペチャペチャ叩いて、

”蔵のオッサン”と呼んでいた酒造りの職人た

ちに笑われ、はやしたてられた遠い記憶がよ

みがえる。


 杵は餅米を通してガツッと臼にぶつからな

ければならない。力が入り、打ちおろして壺

にはまった時は、コーンという快い響きが柄

を通して体を走る。逆に、少しでも的をはず

して杵がすべると、ゴキッと手首に無理がか

かり腰も振られる。疲れ方が全然違うのであ

る。二臼目からようやく要領をつかんだ。気

持ちがいい。シャツを一枚脱いだ。

「さあて、やるぞっ。ばあちゃん交替交替。

エヘヘ」


 赤い半袖のうすめの綿入を羽織った純子が、

下に着たTシャツの腕まくりをしながらやっ

て来た。長い髪は束ねあげてヘアバンドでと

めている。きれいだ。立ち昇る湯気が、あら

わになった純子のうなじをなでる。溶け込ん

でいる。小春日和の農家の納屋さきの、のど

かな餅つきの風景に自然に溶け込んでいる。

彼女はやっぱり村の娘なのだ。だとすれば、

あの新宿の夜の純子は何なのか。突っ張って

議論をふっかけてくるあの女。男と対等に渡

り合って取材をし、筆を執る。そしてその内

容をぶつけてくる。あの猛々しい女は誰なの

か。


「ハイッ と、…… ハイッ と」

軽やかな、転がるような合いの手に、我に返

った。

「ヨシャ、…… ヨシャ」

と、ふざけて応えた。杵を頭上に振りあげて、

チラッと純子を見た。

ーー惚れたなーー

ドスッ。杵と臼とのぶつかりを全身で受けて、

ひとり笑った。

ーーまたかーー


 美味い。昨日の酒も美味かったが、今日の

つきたての餅も実に美味い。味というのは多

分に体の健康状態によって変わるというが、

精神の健康状態によっても当然影響されるに

違いない。そして、さらに加えたい。味は、

周囲(環境)の健康状態によっても変わる。

おじいちゃん、おばあちゃん、叔父夫婦、走

り回る元気な二人の従弟妹、そして微笑む純

子の傍らで食べるおしるこが不味かろうはず

がない。

「立派なヒゲじゃのう。明治天皇様のようじ

 ゃ」

私の顔を評して言ったおじいちゃんの言葉に、

皆、餅を吹き出さんばかりに笑った。


 私はこの時、三ヶ月程手を入れずに無精ヒ

ゲを生やしていた。頭は、角刈りが伸びたま

まのボサボサ頭であった。十一月二十三日に

放送した『勤労感謝の日特集・とうちゃんは

トラックドライバー』という番組で、ドライ

バーイメージのモデルとしてチョイ役で出演

した時の名残りである。

「立派な体をしてなさる。純子のムコさんに

 ピッタリやと思うぞ」

とおばあちゃんが合わせた。純子は箸を止め

てこちらを見る。

「チョッと太めやけどな」

照れていた。不安定な視線がそれを証明して

いた。

「来年もまた餅つきに来てくれたら助かるわ

 あ」

叔父が持ちあげた。

「じゃあ、今度来る時は純ちゃんの亭主とし

 て来ますわ」

ーー出来たらーー 半分は本気であった。惚

れてしまったのだから。



 新宿の純子と三春町の純子。単に背景の違

いだけにとどまらない、大きな印象の違いに

ついて彼女に話した。

「宇都宮あたりで切り替えるの。新幹線の中

 でね。当然三春では気持ちも表情もリラッ

 クスするし、東京ではその逆。でも単に自

 然にそうなるというのじゃなくて、私は意

 識的にそれをやるの。東京では、意識して

 肩を張るし緊張する。突っ張るわけね。か

 なりの部分、意図的にそうするの。苦しい

 とか苦しくないとかじゃなくて、仕事の現

 場では当然そうしなければと思う。勿論ど

 ちらも本当の私よ。でも、あえてどちらを

 見て欲しいかと言えば、東京の私ね。そこ

 で勝負してるんだから」


 またひとり、同志と出会った。東京の純子

には、決して三春の純子は見えない。求めて

も求められない。それを寂しいとは言うまい。

これこそ純子の歴史であり、豊かさなのだか

ら。









     小社発行・『北陸の燈』第3号より


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【2022年10月10日配信】    史上最高の演技     交驩のエール      花開きつつあるエンジョイベースボール    「学生野球考」            慶應義塾大学野球部監督                   前田 祐吉      「サード!もう一丁!」「ヨーシこい」 と いう元気な掛け声の間に、「カーン」と いう 快いバットの音がひびくグラウンドが 私の職 場である。だれもが真剣に野球に取 り組み、 どの顔もスポーツの喜びに輝いて いる。息子 ほどの年齢の青年たちに囲まれ、 好きな野球 に打ち込むことのできる私は、 つくづく、し あわせ者だと思う。  学生野球は教育の一環であるとか、野球 は人間形成の手段であるということがいわ れるが、私の場合、ほとんどそんな意識は ないし、まして自分が教育者だとも思わな い。どうしたらすべての野球部員がもっと 野球を楽しめるようになるのか、どうした らもっと強いチームになって、試合に勝ち、 選手と喜びを共にできるのか、ということ ばかり考えている。  野球に限らず、およそすべてのスポーツ は、好きな者同志が集まって、思いきり身 体を動かして楽しむためのもので、それに よって何の利益も求めないという、極めて 人間的な、文化の一形態である。百メート ルをどんなに早く走ろうと、ボールをどれ だけ遠くへカッ飛ばそうと、人間の実生活 には何の役にも立たない。しかし、短距離 走者はたった百分の一秒のタイムを縮める ために骨身をけずり、野球選手は十回の打 席にたった三本のヒットを打つために若い エネルギーを燃やす。その理由は、走るこ とが楽しく、打つことが面白いからにすぎ ない。さらにいえば、より早く走るための 努力の積み重ねが何物にも替えがたい喜び であり、より良く打つための苦心と練習そ のものに、生きがいが感じられるからであ る。  このように、スポーツは余暇を楽しみ、 生活を充実させるための手段で、それ以外 には何の目的もないはずである。むしろ目 的のないことがスポーツの特徴であり、試 合に勝つことや良い記録を出すことは、単 なる目標であって終局の目的ではない。  かつて超人的な猛練習でスピードスケー ト の王者といわれ、冬季オリンピックの金 メダルを独占したエリック・ハイデンは「 金メダルは私の人生の目的ではない。そ

311. レジェンド記者、真実を追う

 【2023年8月2日配信】小社発信記事      木原事件、ジャニーズ事件、 松本VIP事件、 自民裏金脱税事件、政治、ジャーナリズム                      佐藤章 さんの発言とともに考える            尾崎豊『ダンスホール』1984.3.15  東京新宿RUIDO 浅 川マキ/ ライブ夜 1977.11.19 京大西部講堂 桃山晴衣『遊びをせんとや生まれけん』 最新順の当記事 当講座記事NO.320 お金から「いのち」の時代へ(9) 2024.3.6 谷本誠一さん、中川秀直衆議秘書時代を語る 広島県前呉市議(6期)の谷本さんが 高校生の インタ ビューに応えてパー券販売、地盤培養活動などを話す。 撮影 2023.8.3 2021.5.21 佐藤章さんスクープ解説動画 第二次安倍内閣安倍晋三首相退陣の真相 木原事件を考える 2023.8.2 志あるジャーナリストへの呼びかけ .  2023.8.20 黒澤明『天国と地獄』仲代達矢の圧巻の台詞 .                       「被害者・遺族の無念を晴らす。これが刑事の仕事」     佐藤誠元刑事記者会見 2023.7.28 コロンボ、安浦吉之助、 十津川省三、杉下右京をしのぐ 佐藤誠さん の 言葉。「 日本の心」はまだまだ生きている。 同時に加害者側の動機、心情も併せて理解すべきである。 日本の歴史、社会、政治を変える日本史上最高記者会見                    2023.8.8 真犯人 Z氏と木原氏の人生を考える 2023.8.17 事件当日の Z 氏の行動を考察する 2024.8.24 民主主義の岐路.検察再捜査の動き    2029.8.30 事件のもみ消しを決して許してはならない    2023.8.31 事件を報道しない既存のメディアへの怒り                                                     文春報道によれば、2006 年 4月 9日の 午後10時ごろに東京都内で安田種雄さんと いう方が殺されたが自殺とされた。そして 2018年春に捜査が再開されたが、本格的な 捜査に入ろうとした矢先の同年10月下旬に 捜査が突然打ち切られた。  この事件の捜査に当たった警視庁元刑事 の佐藤誠さんが、先月28日に

303. 教え子を再び何処へ送るのか

【2023年5月25日配信】   マスクをめぐる学校との苦闘                   千葉県 今野 ゆうひ  17歳                          2019年。新型コロナウイルスが突如 として私たちの生活に現れました。何もわ からないまま政府に舵をゆだね、ウイルス の災いとして ”コロナ禍” は四年目に突入し ました。 当時中学三年生だった私の日常も  “コロナ禍” によって一変しました。  外出自粛、一斉休校、ソーシャルディス タンス、マスク、消毒...   それら政策を半ば面白がりながら、20 21年まで三年間、流されて過ごしました。  人との接触をなるべく避けながらいかに 楽しめるか。マスクをしていかにおしゃれ をできるか。いつしか私たちの生活は“コロ ナ禍”ファーストへと姿を変えていました。  2021年、高校一年生になった私も“コ ロナ禍”ファーストな高校生活を送っていま した。  その年の夏、母と私は新型コロナと全く 同じ症状を発症。病院に行っても薬がない ので PCR検査などはしていませんが、あの 症状は確実に新型コロナだったと思います。 その時母と、“コロナ禍” ファーストな生活 をしていても感染はするし、普通の風邪と 同じように治るということに気づきました。  もちろん個人差はありますが、なぜここ まで徹底して感染源を特定したり外出制限 をしたりするのか、その時からじんわりと 疑問が生まれます。  経験は人を変化させますね。  そんなこんなで私と母は、自転車に乗っ ている時だけ。から始まり、すこしずつマ スクを外すことにしました。  ある日、母と一緒に近くの大きめのスー パーで買い物をすることになります。 「注意されるまでマスクしないで入ってみ るわ」  正直遊びの部分もありました。ちょっと 面倒くさくなっちゃったのです。強い意志 もないただのチャレンジだったので、何か 言われたらすぐ付けるつもりでした。  ところが、なんかいけちゃったのです。 一時間弱いたものの、誰にもなんにも言わ れず買い物終了。  なんということでしょう。今までやって きたことはなんだったんだと思うほどあっ けなくチャレンジは成功。今思えば、この スーパーで何か言われていたら、この文を 書くこともなかったです。大いに感謝です。  その日から勢い

266. 混迷する現代と統一協会 

【2022年8月28日配信】        親友ヨッチにささげる手記          -最期まで友情を信じて-                  石川県河北郡津幡町                 書店員 22歳  酒井 由記子  人は、どんな人と巡り合うか、どんな本 と出会うかによって人生が決まってくると、 ある作家が述べていたのをふと思い出す。 私にとってはまさにそうであった。出会っ た人達も書物もとても大きな影響を残し、 忘れられない出来事となっていったのであ る。   一、高校生の頃  今から六年前(1977年)、私は金沢 二水高校の二年生であった。いや二年生と いうより吹奏楽部生というほうが適切であ るほど私は部活動に情熱を注ぎ込んでいた。 みんなでマラソン、腹筋運動をしてからだ を鍛えあげ、各パートごとでロングトーン をして基礎固めをなして、全員そろって校 舎中いっぱいに響きわたるハーモニーを歌 いあげる。それは、先輩、後輩、仲間達の 一致によって一つの音楽をつくり出すとい う喜びを存分に味わった私の青春時代の真 っ盛りであった。ただ残念なことは、部活 動に熱中すればするほど勉強のほうはさっ ぱり力がはいらなかったことである。中学 生のときは、「進学校にはいるために」と いうただそれだけの目的で受験勉強ができ た。しかし、いざ高校にはいってみると、 また「いい大学にはいるために」と先生方 が口をすっぱくして押しまくる文句に素直 になれなかった。勉強する本当の意味が見 出せなかったのである。その頃から、私は 人間は何のために生きるのだろうかという ことまで突っ込んで考えるようになってい った。  父母が書店を経営しているため本は充分 にあり、書物を読むことによって答えを見 出そうとした。私の強い求めに応じるかの ように一冊の本が転がり込んできた。クリ スチャン作家である三浦綾子さんの『あさ っての風』という随筆集であった。聖書の 言葉がそこに登場しており、それはズシリ と心に響いたのである。その本に魅せられ て三浦さんの自叙伝も何冊か読み進めてい った。しだいに私の魂は、人間をはるかに 越えた大いなる存在があることを感じてい った。確信までは至らなかったけれども、 それらの本によって金沢のプロテスタント の教会に足を運び、牧師さんのお話を聞く ようにもな

319. 人間とは何か

【2023年11月4日配信】小社発信記事                   小を積めば即ち大と為る.『報徳記』富田高慶1856  二宮尊徳翁曰く 「励精小さなる事を勤めば大なる事必ずなるべし。  小さなる事をゆるがせにする者、大なる事必ず  できぬものなり」                 読書のすすめ 背負い歩き考える二宮金治郎          ロダンの『考える人』よりもりっぱに思える         薪を負いて名定まる         損得から尊徳の世へ 哲学の時代へ(第14回)                                        以下の文はkyouseiさんという方のnote にある文です。偶然みつけ共感するものが ありこれまで何度か勝手にその文を紹介し てきました。どこのどなたかまったく存じ 上げませんが、またお叱りを受けるかもし れませんが、本日掲載の文をご紹介します。 (当講座編集人)           本当の哲学とはなにか            note での投稿も長くなった。 連続投稿 が 370 を超えたようだ。そんなことはどう で もい いことだが、ぼくはこれまで 「哲学」 だと 思って書いていた記事は、「本当に哲 学 な のだろうか」と思うことがよくある。 皆の言う「哲学」は、「○○哲学では…」 と 難しい話をよく知っている。 ぼくはというと、思考を治療的に使って 現 状の維持、回復を狙うものだ。 「何が不満か」「何がそうさせるのか」と いった答えを探すものだ。だから「治療的 哲学」と銘打っているのだが、はたしてそ れは哲学なのだろうかと思うこともある。 ぼくの哲学は「結果が全て」であり、再 現 性も求める。結果が出ないとすれば、や り 方がまずかったとすぐに修正する。自分 自 身を実験台にして確かめるのだ。 難しい話を好まないのは「使えない」 か ら だ。使えないものは真理ではないと 考え て いる。 だからといって、ぼくの視野が広いか とい えばそうではなく、個人という狭い世 界観 をどう変えるかといったものだ。 「大したことないな」と思われるだろう が、 では、誰がこれまでそのことに挑戦し てき ただ ろうか。 他人の褌で相撲を取る話ならいくらでもあ る。傍観者という意味だ。 ぼくの哲学には答えがないかもし
         柿岡 時正
         廣田 克昭
         酒井 與郎
         黒沢  靖
         神尾 和子
         前田 祐吉
         廣田 克昭
         伊藤 正孝
         柿岡 時正
         広瀬 心二郎
         七尾 政治
         辰巳 国雄
         大山 文人
         島田 清次郎
         鶴   彬
         西山 誠一
         荒木田 岳
         加納 韻泉
         沢田 喜誠
         島谷 吾六
         宮保 英明
         青木 晴美
         山本 智美
         匂  咲子
         浅井 恒子
         浜田 弥生
         遠田 千鶴子
         米谷 艶子
         大矢場 雅楽子
         舘田 信子
         酒井 由記子
         酒井 由記子
         竹内 緋紗子
         幸村  明
         梅  時雄
         家永 三郎
         下村 利明
         廣田 克昭
         早津 美寿々
         木村 美津子
         酒匂 浩三
         永原 百合子
         竹津 清樹
         階戸 陽太
         山本 孝志
         谷口 留美
         早津 美寿々
         坂井 耕吉
         伊佐田 哲朗
         舘田 志保
         中田 美保
         北崎 誠一
         森  鈴井
         正見  巖
         正見  巖
         貝野  亨
         竹内 緋紗子
         滋野 真祐美
         佐伯 正博
         広瀬 心二郎
         西野 雅治
         竹内 緋紗子
         早津 美寿々
         御堂河内 四市
         酒井 與郎
         石崎 光春
         小林 ときお
         小川 文人
         広瀬 心二郎
         波佐場 義隆
         石黒 優香里
         沖崎 信繁
         山浦  元
         船橋 夕有子
         米谷 艶子
       ジョアキン・モンテイロ
         遠藤  一
         谷野 あづさ
         梅田 喜代美
         小林 ときお
         中島 孝男
         中村 秀人
         竹内 緋紗子
         笠尾  実
         前田 佐智子
         桐生 和郎
         伊勢谷 業
         伊勢谷 功
         中川 清基
         北出  晃
         北出  晃
         広瀬 心二郎
         石黒 優香里
         濱田 愛莉
         伊勢谷 功
         伊勢谷 功
         加納 実紀代
         細山田 三精
         杉浦 麻有子
         半田 ひとみ
         早津 美寿々
         広瀬 心二郎
         石黒 優香里
         若林 忠司
         若林 忠司
         橋本 美濃里
         田代 真理子
         花水 真希
         村田 啓子
         滋野 弘美
         若林 忠司
         吉本 行光
         早津 美寿々
         竹内 緋紗子
         市来 信夫
         西田 瑤子
         西田 瑤子
         高木 智子
         金森 燁子
         坂本 淑絵
         小見山 薫子
         広瀬 心二郎
         横井 瑠璃子
         野川 信治朗
         黒谷 幸子
         福永 和恵
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         秋山 郁美
         加藤 蒼汰
         森本 比奈子
         森本 比奈子
         吉村 三七治
         石崎 光春
         前田 佐智子
         前田 佐智子
         前田 佐智子
         前田 佐智子
         中野 喜佐雄
         八木  正
         堀  勇蔵
         家永 三郎
         広瀬 心二郎
         菅野 千鶴子
         海野 啓子
         菅野 千鶴子
         海野 啓子
         石井 洋三
         小島 孝一
         キャリー・マディ
         谷本 誠一
         宇部  功
         竹内 緋紗子
         谷本 誠一
         酒井 伸雄
163、コロナ禍の医療現場リポート
         竹口 昌志
164、この世とコロナと生き方を問う
         小社発信記事
165、コロナの風向きを変える取材
         橋本 美濃里
166、英断の新聞意見広告
         小社発信記事
167、ワクチン接種をしてしまった方へ
         小社発信記事
168、真実と反骨の質問
         小社発信記事
169、世論を逆転する記者会見
         小社発信記事
170、世界に響けこの音この歌この踊り
         小社発信記事
171、命の責任はだれにあるのか
         小社発信記事
172、歌人・芦田高子を偲ぶ(1)
         若林 忠司
173、歌人・芦田高子を偲ぶ(2)
         若林 忠司
174、歌人・芦田高子を偲ぶ(3)
         若林 忠司
175、ノーマスク学校生活宣言
         こいわし広島
176、白山に秘められた日本建国の真実
         新井 信介
177、G線上のアリア
         石黒 優香里
178、世界最高の笑顔
         小社発信記事
179、不戦の誓い(2)
         酒井 與郎
180、不戦の誓い(3)
         酒井 與郎
181、不戦の誓い(4)
         酒井 與郎
182、まだ軍服を着せますか?
         小社発信記事
183、現代時事川柳(六)
         早津 美寿々
184、翡翠の里・高志の海原
         永井 則子
185、命のおくりもの
         竹津 美綺 
186、魔法の喫茶店
         小川 文人 
187、市民メディアの役割を考える
         馬場 禎子 
188、当季雑詠
         表 古主衣 
189、「緑」に因んで
         吉村 三七治 
190、「鶴彬」特別授業感想文
         小社発信記事
191、「社会の木鐸」を失った記事
         小社発信記事
192、朝露(아침이슬)
         坂本 淑絵
193、変わりつつある世論
         小社発信記事
194、ミニコミ紙「ローカル列車」
         赤井 武治
195、コロナの本当の本質を問う①
         矢田 嘉伸
196、秋
         鈴木 きく
197、コロナの本当の本質を問う②
         矢田 嘉伸
198、人間ロボットからの解放
         清水 世織
199、コロナの本当の本質を問う③
         矢田 嘉伸
200、蟹
         加納 韻泉
201、雨降る永東橋
         坂本 淑絵
202、総選挙をふりかえって
         岩井 奏太
203、ファイザーの論理
         小社発信記事
204、コロナの本当の本質を問う④
         矢田 嘉伸
205、湯の人(その2)
         加藤 蒼汰
206、コロナの本当の本質を問う⑤
         矢田 嘉伸
207、哲学の時代へ(第1回)
         小社発信記事
208、哲学の時代へ(第2回)
         小川 文人
209、コロナの本当の本質を問う⑥
         矢田 嘉伸
210、読者・投稿者の方々へお願い
         小社発信記事
211、哲学の時代へ(第3回)
         小社発信記事
212、哲学の時代へ(第4回)
         小社発信記事
213、小説『金澤夜景』(2)
         広瀬 心二郎
214、小説『金澤夜景』(3)
         広瀬 心二郎