人間ロボットからの解放
【2021年10月24日配信 NO.198】
福井市 清水 世織
夜、私はスーパーへ買い物に行く。買い
物客も店員も、全員マスクを着用している。
私だけがマスクをしていない。私はマスク
を持っていない。この店ではこれまで一度
も買い物客からも店員からもマスク着用を
強いられたことはない。私はマスクや消毒
を強制する場所には行かないようにしてい
る。マスク姿だらけの社会は、どう見ても
異様、異常だ。
私がマスクをしない第一の理由は、ロボ
ットになりたくないからだ。マスクをして
いる人にその着用の理由を聞くと、みんな
がしているからだ、しないと世間から変な
目で見られる、村八分になりたくないから、
これさえ身に着ければ何処へでも行けるし
誰からも文句は言われない、といったもの
が圧倒的だ。
要するに強迫観念の中で必死に自分を守
っているということだ。マスクがどれだけ
汚れていようと、マスクに予防効果がまっ
たくなくても、そんなことなどはどうでも
よくて、「着用」ということだけが重要な
のである。いまやマスクがロボットである
ことの証明書となっている。ワクチン接種
の「接種」についても同じことが言える。
また私は、スーパーでは自動支払機では
なく必ず店員のいるレジで、お金を手渡し
して精算している。お金を店員に手渡しで
きない店には行かない。ガソリンスタンド
でも、人間のいる店で、店員に給油しても
らっている。機械の前で自分で精算したり、
自分で給油することは、人と人との対話や
人間関係を断絶することであり、さらに私
自身の個性や人間性を消滅すること、すな
わちロボットになることであると考えるか
らだ。
少しでも安く、少しだが他よりも安いと
いう「安価で便利という錯覚」による機械
化、自動化によって、人間の思考、感情が
失われていく。残念ながら、機械からは、
人間の人間たる思考、感情、意識、感覚、
感性、理性、品性、個性、意志、創造力、
判断力、決断力、人生観、価値観、直観、
直感、思想、批判精神などは決して生まれ
ないし、作れもしない。
機械化、自動化のめざすものと行き着く
先は、人間と人間たらしめるもの、すなわ
ち人類が幾千年にもわたってつちかってき
た生活、文化、文明の破壊と破滅である。
また、AI、コンピューターなどロボット製
作者は、ロボットを作りつづけるかぎり、
製作者自身もロボット化していくのは必然、
必至だ。
この世がロボットだらけの世に完全にな
ってしまってもいいのだろうか。たとえば
マスクを着用したロボットどうしが選挙戦
を繰り広げることにどんな意味があるのだ
ろうか。はたしてこれは、いったい誰のた
めの、何のための世の中なのか。この世に
生きる人々全員がロボットから解放される
ことが先決、最重要課題であるはずだ。
このコロナ騒動終焉の合図の速鐘が鳴っ
た暁には、私は私自身であるためにマスク
を着用するつもりでいる。