飯能という町
【2021年2月6日配信 NO.122】
作家 広瀬 心二郎
埼玉に、「飯能」という名前の町がある。
正確には町ではなくて市で、しかも私が暮ら
していた信州の片田舎の、人口がやっと五万
人ほどの市よりもかなり大きい所らしい。
ーーという発見を、私は中二の頃にしてい
る。いや、発見などという言葉はちょっと大
げさかも。社会の教科書で、そういう市があ
るということを勉強したにすぎない。
でも、でも、その日から頭の隅に、その飯
能市が住み着いて離れなくなってしまった。
飯能の皆さんには、大いに感謝されていいか
と思う。常に気にしてくれている少年が、遠
く信州の辺鄙な田舎町にいたということで、
ファンと呼んでもいいような状態だった。
子供の頃、私はかなり繊細、腺病質だった。
たとえば、街で眼鏡をかけた人と出会うと、
それだけでなんとなく具合が悪くなってしま
う。それからまたタートル・ネックのセータ
ーが、のどにチクチクしてどうしても着られ
なかった。乗り物酔いもひどく、バスを見た
だけで酔ってしまう。
回りくどい話になったが、「飯能」という
名前にハンノウしたのは、今振り返るとまさ
にひ弱な少年だった私の、こういう感覚の細
かさだったのかもしれない。
ああ、ハンノウーーなんとやわらかで、お
おらかな音だろう。日常滅多に出会うことの
ない町の名前である。
それに重ねて「飯能」という表記。日本中
に市町村の名前は色々あろうけれど、そのた
いていは、「長野」とか、「山梨」とか「群
馬」とか、なにかしら日本語として意味のあ
る漢字をつかっている。
ところが飯能は、その「意味」がまったく
わからない。独特なのである、むしろ意味を
無視しきっているような表記。
でも、勿論こういう解釈は、飯能市の存在
を知った当初から中二の私の中にあったもの
ではない。後年徐々に育っていったのである。
やがて最終的に達した結論めいたもの、それ
は、「はんのう」という言葉の音が先にあっ
て、「飯能」という漢字はあとから、その音
に合わせてあてはめられただけではなかった
かということだった。
日本各地に同様の例はある。だれもが知っ
ているように、関東から北海道にかけては、
多くの地名に先住アイヌの人々の言葉が残っ
ている。また沖縄地方も勿論そうだ。そうし
た民族の言葉の音を表すために後から漢字が
あてられた地名は幾つも知られている。
しかしながら関東平野の、かなり大きな町
の名前としては、飯能はとても目立っている。
どうも、背後になんらかの物語がありそうだ。
けれどもその謎をすぐに解く必要があった
わけでもないので、積極的に図書館に通って
調べ上げるということもしないまま、それか
ら三十年近くーー。中二の私がもう中年と呼
べる年となり、信州から関東地方に移り住ん
で、その飯能にお住みの人と飲み会で隣り合
う機会があった。その時、暮らしの忙しさに
追われ心深く埋もれていた「飯能」への思い
がよみがえって、その人に尋ねてみた。地名
としては珍しい音読みで、しかも意味がわか
らない。どういう由来の名前なんでしょうと。
すると、その人が即答してくれた。「高麗
(こま)大王」が朝鮮半島から移り住んで、
その時向こうの「ハンナラ」という言葉も連
れてきたのだというのである。朝鮮の言葉で
「大きな村」というような意味だという。そ
れこそが飯能という名のもとになったのだと。
その瞬間、あの中学二年の出会い以来胸に
抱いていた謎が、一気に氷解した思いがあっ
た。地元の人は、ちゃんと「飯能」の由来を
知っていたのだ。
図書館で調べてみた。その高麗大王という
のは、高句麗の王族の若光という人で、西暦
六六八年たまたま日本を訪れていた時に母国
高句麗が滅亡、向こうへ帰れなくなってしま
ったらしい。以来こちらに住みつき、大和朝
廷に仕えた人だという。
かくして飯能をめぐって、ささやかだが、
たしかな成就感が私を満たしてくれた。独特
の語感から背後の物語の存在をかぎ分けた若
い日の自分の感覚を誉めてやりたかった。
しかしこの点に関しては、朝鮮半島由来の
言葉だという以外に諸説あるらしい。それは
そうだろう。たとえばもともとは「端野」で
ではないかとか、榛(はん)の木が多い土地
だからその関係ではないかとか。
でも、私はあの遠い中二の頃の自分の感覚
を信じて、もとは他国の言葉だったものに音
だけ同じ漢字を合わせたのだろうと、ほとん
ど確信に近いものを抱いている。そして古く
からの民族国境を越えた人々の交わりの深さ
を感じながら、閑寂なたたずまいの高麗神社
などにいそいそでかけている昨日今日である。
〈参考〉
若光は、高句麗の滅亡で倭へ亡命してき
たのではないか、また、「ハンナラ」は
「大きな国」という意味で、この飯能の
一帯に亡命政権をつくったのではないか、
さらにまた、高句麗の大莫離支 (宰相)の
淵蓋蘇文 (ヨンゲソムン)が天武天皇では
ないか、という読者の方々からの反応が
ありました。
当講座のNO.10、60、69、92、102にも
広瀬心二郎さんの記事掲載。