教育の原点を求めて
【2020年10月18日配信 NO.43】
小社取材記事
竹津清樹さんに聞く
石川県羽咋郡志雄町立志雄中学校教諭の竹
津清樹さんにインタビューを申し込み、9月
22日、放課後、同校を訪問した。たまたま
職員室前で生徒会長の山本孝志君に出会い、
同君も交えて対談した。
また、この日は父兄の部活動参観日でもあ
り、筆者も父兄の方々といっしょに部活動を
見せてもらった。生徒・先生・父兄それぞれ
真剣な表情で一生懸命であった。
山本君も、三年生にもかかわらず、部活動
(卓球部)に参加していたのが印象的であっ
た。
「先生は、志雄中学校はいくつめの学校で
すか」
竹津 私は、最初は富山県で採用されました
ので、大学を出てすぐに富山市の芝園中学校
に二年間いたんです。それから石川県に戻っ
て、金沢市の東浅川中学校に三年、羽咋郡志
賀町の高浜中学校に六年、そして、今年の四
月に志雄中に赴任したんです。今、二年生の
クラス担任をしています。
「そうすると、今年で十二年目になるわけ
ですね」
竹津 そうですね。教員としては、まだ若い
年代になると思いますが、だんだん慣れて
きて、ちょっと怖くなってきたような気も
しているんです。
「怖くなってきたといいますと……」
竹津 生徒の一生に何らかの影響を与えると
いう点においてです。
教員になりたての頃は、ただがむしゃらに
やっていたのですが、自分が結婚もし、子ど
ももできる年になってくると、だんだんと、
今まで見えなかったものが、自分でもいやに
なるほど見えてくるんです。
生徒の進学の指導をしたり、授業で教科を
教えたり、あるいは部活動をみたりするにし
ても、相手の生徒が生身の人間ですから、自
分が生徒たちに話すことに対して、「これで
よいのだろうか」「これでよかったのかな」
と、最近、とくに思うようになってきたんで
す。
「でも、それが教師の当然の使命ではない
のですか。そんな悩める先生は、すばらし
いと思いますが」
竹津 どうですかねえ……。 最近は悩まない
先生が多いみたいですよ。私よりももっと若
い年代の先生方と話していると、教育に対す
る情熱というより、単なる安定した職業とい
った意識で教員になる人が多いようにも思い
ますね。
「先生というのは、実際、そんなにいい職
業なんですか。かなりきついお仕事だと思
いますが……」
竹津 真剣にやると、からだがもちませんよ。
実際、何から手をつけてよいかわからないく
らいです。自分もどっかで妥協しているよう
な気もします。
「山本君は、竹津先生をどう思いますか」
山本 ぼくは卓球部で、部活動でしか先生を
知りませんが、毎日顔を出して教えてくれま
したので、いい先生だなと思っています。
竹津 (笑)別にお世辞を言わんでもいいが
やぞ。
「先生は、卓球はうまいんですか」
竹津 それほどでもないのですが、大学のと
き卓球部でちょっとやってまして、へたくそ
なんですが、どういうわけか羽咋市の卓球協
会の理事をしていて、たまに県の大会なんか
に出てるんです。
あまり勝ったためしがないのですが……。
山本 竹津先生はすぐ謙遜するんです。かな
りの腕前ですよ。
「そうなんですか。…… じゃあ、竹津先生
とかということは別にして、山本君は、ど
んな先生がすきですか」
山本 そうですね……。 やっぱ自分を常に信
頼してくれている先生ですね。テストが悪か
ったり、何かを失敗したときでも、怒るばっ
かりでなく、励ましてくれるとうれしいです。
また、掃除の時間に、ぼくらといっしょに
掃除してくれたり、給食の時間にも、ぼくら
といっしょに教室で食事する先生です。
朝、廊下であったら「おはよう」、帰りは
「さよなら」とあいさつしてくれる先生。え
こひいきのしない先生。
竹津 (笑)痛いことばかり言うね。まだほ
かにあっか。
山本 それから、部活動に必ず顔を出す先生
……(笑)。
「先生は、顔を出していてよかったですね」
竹津 (笑)なんかそうみたいですね。
山本 でも、竹津先生の評判はとてもいいで
すよ。
「今までに尊敬する先生はいましたか」
山本 はい。ぼくの中二の担任だった北山先
生です。
ぼくは、どういうわけか小学生の頃からず
っと精神的に弱いところがあったんです。ク
ラスの会長をしてたのですが、どうもみんな
の意見をまとめたり、また、積極性にも欠け
るところが多かったんです。
それで、どうしたらいいか悩んでいたとき
に、北山先生から、おまえが強くなるしかな
い、何事も恥ずかしがるな、自分が正しいこ
とと思ったら、ひとりでもやっていけと言わ
れたんです。そのときから、何でもまともに
正面からぶつかっていこうと決めて、がんば
ってみたんです。
北山先生は、学校が終わってからも熱心に
生徒ひとりひとりを指導しておられたようで
す。
竹津 なるほど……。いい話やね。
「そうですね。……ところで、山本君は、
卒業後の進路はもう決めたのですか」
山本 ええ。石川工専へ行きたいと思ってい
ます。
「そうすると、もう就職の方向も考えてい
るんですか」
山本 そうです。ぼくはハムが好きで、小学
校六年のときから、いろんな人と交信してる
んです。最近は、土曜日の夜しかやってませ
んが。
「どのあたりまで交信できるのですか」
山本 北は中島町から、南は金沢市ぐらいま
でです。
「それは、なかなかおもしろいですね」
山本 たくさん友だちができて、その友だち
とたまに会って、いろんなことを話し合った
りもしました。
ですから、電気の機械なんかをさわったり
するのが好きなんです。それで将来、電気技
師になりたいなあと思っているんです。
「そうすると、電気科ですね」
山本 そうです。
「じゃあ、がんばってください。合格をい
のってます。
でも、よく自分の目標を早く決められま
すね。竹津先生は、中学生のときはどうで
したか」
竹津 そうですね。高校へ行くことだけで勉
強してたように思います。教員になろうと思
ったのも大学四年になってからでしたね。
「私も中学時代は、竹津先生といっしょで
したね。でも、山本君には何か教えられま
すね。大学へ行って勉強したいという気は
ないのですか」
山本 ええ。少しでも早く専門の勉強がした
いんです。ただそれだけなんですけど。
「今までの中学生活で一番の思い出は何で
すか」
山本 そうですね。一年生のときの校内音楽
会で、ぼくは指揮者をしたのですが、みんな
本当に一生懸命やって、結果は三クラス中、
二位だったんですが、一番印象の深い出来事
でした。
それと、今年の春、志雄中で生徒同士のち
ょっとした暴力事件があったのですが、これ
が一番残念な思い出です。
これから部活動もあり、それを今ここで話
すと長くなりますので、もしよろしければ、
あとでこのときの気持ちを書いて送ります。
「じゃあ、お待ちしています。それから、
生徒会長になった動機も、よかったら書い
てくれませんか」
山本 わかりました。では失礼いたします。
部活動が終わり、再び竹津先生に話を聞い
た。
「最近、ニュースを見ると、中学生の非行
とか校内暴力といった事件がよく起きてい
ますが、先生はこの風潮をどう思いますか」
竹津 そうですね。このあたりの中学生は、
都会に比べておとなしい生徒ばかりですが、
そのうちだんだんと都市型になってくるかも
しれませんね。私たち教師の側にも責任があ
るように思います。さっき山本君が指摘して
たように、教師も生徒といっしょに掃除した
り、校庭の草をむしったり、やはり部活動に
も毎日顔を出すことも大事でしょうね。
これは、私の友人のお母さんから聞いた話
ですが、その方はある学校の用務員をなさっ
ていて、家へ帰ってからよく、「学校の先生
はしゃば知らずだ」と言うのが口癖なんです。
それで私が、どうしてですかと聞いてみると、
いつも先生方から、預金をおろしてこいだの、
お菓子を買ってこいだの、お茶を入れろだの、
あげくのはては、テストの印刷までさせる。
子どもに掃除をさせても自分は何もしない。
部にもでない。自分で修理できるものでも、
教育委員会へ頼んでいる。そして、職員室で、
お互い同士を何とか先生と先生づけで呼び合
って、あの子は頭が悪い、この子はどうしよ
うもない子だとか大声で言っている。自分が
一番頭が悪いのにね……。 私は、このお母さ
んの言葉を座右の銘にしてるんです。
「だいぶ当たっているんじゃないですか」
竹津 そうですね。でも、こんなことを言わ
れないようにすることから始めなければなら
ないと思いますね。
「私は、四、五年前、ある小学校の卒業式
の日に、たまたま仕事でその学校の給食室
にいたんですが、卒業生の女の子ふたりが、
式が終わって給食室へ来て、給食のおばさ
んたちに、六年間お世話になり有難うござ
いましたと言って、何かプレゼントしてい
た場面に出会ったことがあるんです。
おばさんたちは、こんなことをしてもら
ったのは初めてだ、自分の子どもにもきょ
うのことを伝えなくてはと言って感激して
いましたが、何か教育の本質というのはこ
んなところにあるのではないかと、そのと
き思ったのですが……」
竹津 同感ですね。用務員の方や給食の調理
士の方のほうが、よく人を見ていると思いま
す。私もおばさんたちにきらわれないように
したいですね。
やはり教師は、教科を教える技術ももちろ
ん大切ですが、子どもといかに人間的な触れ
合いができるか、さっき山本君も言ったよう
に、心から信頼し合えるかということが最も
大切なことだと思います。
給食室に行ったその子たちの親、先生方は、
きっとすばらしい方々だと思いますよ。
「でも、実際、非行などと世間で言われて
いるものの原因はどんなところにあるんで
しょうか。よく親の責任とか、教師の責任、
あるいは社会の責任とか言われていますが
……」
竹津 どうなんでしょうかねえ……。 本人が
一番いけないのかもしれませんが、すべて子
どもの非とするには酷だと思います。ケース・
バイ・ケースだとも思いますが、すべての人
に責任があるのじゃないですか。親だけでは
どうしようもないこともあるし、教師だけで
もどうすることもできないこともある。
私は、一般に言われているように、学歴偏
重の競争社会のひずみだとかといったとらえ
方はしたくないんです。問題は、いかなる社
会であろうと、子どもの幸せ、ひいては人間
の幸せというものが、どこにあるかというこ
とではないかと思います。まず大事なことは、
自分の頭で物事を正しく考え判断できるーー
そういう子どもをみんなで育てることではな
いでしょうか。それには、子どもだけでなく、
すべての人間の生き方を問うという問題にな
ってくるでしょうね。
今、一番そのことが問われているときのよ
うな気がします。
「長い間、有難うございました。最後に竹
津先生の教師としての今後の取り組みを聞
かせていただけませんか」
竹津 はっきり言って、今の教育は何から手
をつけていっていいかわからない状態にある
と思います。
私は、今、二年生の数学を受け持っている
のですが、教師と生徒との最大の接触点は授
業にあると思うんです。それで、みんなにわ
かる授業、生徒と心が通じ合える授業を心が
けていきたいと思っています。生徒たちがい
つも顔を上げて自分のほうを見ているか、真
剣に考えているかとか、自分の教え方がまず
くはないだろうかとか、そんなことを考えな
がらやっているんです。また、生徒のほうで
も、授業でわからなかったらわかるまで、職
員室でもどこにでも食いついてきてほしいと
思います。
自分の能力の限界も感じますが……、でも、
自分で望んで教員になったのですから、微力
ですが、やはり自分のできる限りの努力だけ
は、精一杯していきたいですね。
帰りがけに教頭の上野先生にあいさつした
ときに、上野先生から、今年の7月17日に
行なわれた「親と子の語る会・青少年意見発
表会」(志雄町・志雄町教育委員会主催)で、
同校の二年生・階戸陽太君と前述の山本君の
意見発表した原稿を見せてもらった。
後日、階戸君にこの意見発表文の本誌掲載
をお願いすると快く了解してくれた。また、
山本君からは、9月27日に、試験を翌日に
控えながらも徹夜で書いたという原稿が速達
で送られてきた。
若い両君と志雄中の先生方に感謝し、本号
に併せて掲載した。
小社発行・『北陸の燈』創刊号より