374. 北へ駈ける、冬の贈り物
【2024年12月21日配信】
年越しの記
NHKディレクター
北出 晃
一、純子
十二月二十九日。左、前方に勇姿を現わ
した日光連山の雪は、まだうっすらと斑模
様である。ーーたいしたことはなさそうだ
ーースパイクタイヤは積んでこなかった。
東北自動車道を北へ走る。昼過ぎに練馬の
アパートを出て三時間、冬の陽はすでに淡
い。
鹿沼インターチェンジを通過する。鹿沼
市、宇都宮市への入り口だ。半年程前、『
ルポルタージュにっぽん』(NHK総合テレ
ビのドキュメンタリー番組)の取材で、一
週間ロケに来ていた懐かしの町である。だ
が、今日は仕事ではない。
ーー正月をどうして過ごそうか。去年は
原子力発電所の取材で、大阪、福井を飛び
回っていた。今年は田舎でゆっくりしよう
か。それとも部屋に籠って、山のように溜
った本でも読もうかーー 迷いは長くはな
かった。車にチェーンを投げ込んで飛び出
した。
一週間程前、クリスマス・イヴの前日で
あったか、新宿のゴールデン街の飲み屋で
一人の女に出会った。三軒目のハシゴで入
ったこの『ふらて』という店は、マスコミ
関係者の出入りが多い。その女は、光文社
の社外記者で、名を純子と言った。週刊宝
石のデーターマンの仕事をしていた。
社外記者とは、社員ではないフリー契約
の記者を言う。記事一本ごとに契約するこ
ともあれば、週単位、月単位での給与契約
がそのベースになっている場合もある。雑
誌名の入った名刺を持って、実際に現場に
行って取材するのは、実はほとんどこうい
ったフリーのライターである。その中で、
署名入りでまとまった記事を書く一本立ち
の記者ではなく、データ集めや部分取材に
走る記者がデータマンである。勿論、軽い
ものは一人でまとめる。
その日彼女は、グレーのワンピースに黒
のベルトでアクセントを付けた、一見、オ
フィシャルな取材を終えてきたばかりとい
う風体であった。時計は午後十一時を回っ
ていた。
しこたま飲み、午前二時の閉店の後、マ
マさんも一緒に焼肉屋に流れた。そのメン
バーを挙げれば、安仁こと安東仁兵衛(六
〇年安保闘争を指導、長洲一二とともに構
造改革派の理論活動家、『現代の理論』主
宰)の他、毎日新聞社会部記者、週刊ポス
ト記者、博報堂のコピーライターなど六人
で、安東を除けば皆三十歳前後の若手の一
線記者であった。
結局、五時頃まで飲む羽目になった。そ
こで分かったことは、彼女は二十四歳、駒
沢大学の政治学科卒、学生の頃から先生を
通じて雑誌の記者たちと付合いがあり、そ
のままライター業に入ったということであ
った。この業界にはよくあるケースだ。
美人である。人なつっこい目に惜しみな
く笑いを見せるが、そこにはスキが無い。
一六〇cm ははるかに越えると思われる背
丈。その分いくらかスマートに見えるが、
盗み見た胸はかなり豊かである。ピンと背
筋を伸ばした自信に満ちた姿勢は、背を丸
めてグラスをなめる男たちの中で、頭一つ
飛び出していた。それに前述の服装である。
かなり大人っぽく見えて気おくれがする。
私たちテレビ屋は、筆を操る者に対して何
がしかのコンプレックスを持っている。だ
が、その時私は頑張った。掘り出し物だと
思ったからである。酒の勢いも勿論あった。
名刺は交換したが、なかなか自宅の電話
番号を明かさない。が、別れ際に、彼女は
そっと暗号を呟いた。〈名古屋〉と〈釧路〉。
この二つの都市を組み合わせた言い回しを、
かなりの酩酊状態の中で、私はしぶとく憶
えていたのである。
ーーこれで、いよいよ今年の仕事も終わ
りかーー 十二月二十八日。映像を電気的
に合成加工するDVE (デジタル・ビデオ・
エフェクト)という機械で作業をしながら、
私は、ふと純子のことを思った。そしてダ
イヤルを回す。暗号を唱えながら………。つ
ながった。
「こんにちは、やっぱりね」
「やっぱり?」
「かかってくると思った」
脈はある。
「会いたい、会いたい、会いたい」
「残念でした。あした田舎に帰るんです」
「なら………」
「今日は先約あり」
ピシャリだ。ーーコノヤロウーー
今晩、仕事納めで仲間うちの飲み会があ
り、明日、田舎の福島の方に帰るのだと言
う。故郷は山の中で、三十日に母の実家で
餅つきをする、などと楽しげに話す。
「行きたいなあ、どこ?」
「ヤダ、教えない」
楽しんでいる。いたずらっ子の明るさがあ
る。遊ばれてやった。遊び相手をしながら、
ずるずると情報を聞き出す。こちらもプロ
だ。とうとう、親父は教師で福島県の県教
祖ではちょっと有名な活動家だということ
を聞き出した。これでOKである。すべて割
れる。
「餅つきやってみたいなあ。僕の田舎は酒
屋でね。十何人の酒造りの職人が居てね、
暮れにはそりゃあ賑やかな餅つきをやっ
たんだ。中学の頃酒造りはやめちゃって、
そうだなあ、餅つきなんて十五年ぶりか
な。ねえ、どこ?」
「ヤダ、自分で調べたら? ここまでヒン
ト出したんだから。NHKなんでしょ、プ
ロのお手並み拝見ね」
私はほくそ笑んだ。
「じゃあ、良いお年を………」
受話器を置くと、今度は直ちにNHKの郡
山放送局に電話を入れた。彼女の田舎の住
所を割り出すためである。勤務中に私用の
電話を、しかも女のことで、などとおこら
ないで欲しい。私どもの仕事には、元来、
公私不分明なところがある。いろんな人に
会い、いろんな所にネットワークを張って、
年がら年中番組のネタを搜しに歩き、企画
を考えなければならない。週刊宝石の女性
記者というのは、まことに得難い情報源で
はあるのだ。かといって、下心は無いなど
とは勿論言わない。誤解されたくはないが、
そんなものなのだ。言い訳めいて恐縮だが、
御理解をいただきたい。
時速一三〇 km、毎分三,八〇〇 回転。
まだまだエンジンに余力はあるが、一,五
〇〇ccのサニーではかなり音はうるさい。
白河以北一山百丈と言われた蝦夷地に入る。
この東北地方は、私には親しいところだ。
昭和五十一年にNHKに入った私は、この東
北の北の端、青森に赴任した。津軽海峡に
臨む街で、丸五年間の駆け出し時代を過ご
したのである。
陽はすでに落ちて、夕焼けは、濃く小さ
く闇に包まれようとしている。東北自動車
道の郡山の手前、須賀川インターチェンジ
で国道四号線に乗り替える。郡山市の中心
街を東に迂回して、太平洋岸の原子力発電
所の町、双葉町へと続く国道二八八号線に
入った。目指すは純子の故郷、福島県田村
郡三春町である。
「どこ?」
「三春」
「ウッソオー、どこよ」
「山田屋旅館」
「ホントオ、信じられない。でも、来ちゃ
ったみたいね。まあ、ひょっとしたらと
は思ってたけど。いらっしゃいますか?」
「ええ、よろしければ」
酒は剣菱であった。純子の父は秋田杉の
枡を持ち出してきた。母は、実家の祖母が
漬けた、青菜の漬け物を出してくれた。純
子は枡酒に付合いながら、傍らで年賀状の
デザインを四苦八苦して書いている。結局、
自分の肖像が入った切手に擬したものを葉
書に刷り込む、という形のものになった。
切手の中央で微笑む彼女の肖像は、五枚
のモノクロ写真の中から選ばれた。キッと
口元を結んだきびしい表情のもの、目元が
完全に緩んだおだやかなもの、視線が真っ
すぐで笑いの涼しげなものなどなど………。
これでもないあれでもないと、父母ともど
も、選ぶのに三十分も時間がかかった。彼
女はひとり娘であった。私も含め、四人全
員一致で採用されたのは、いしだあゆみの
明るさと大原麗子のはにかみをミックスし
た、妙な雰囲気のある笑みをたたえたもの
であった。その肖像の左下、切手で言えば
額面にあたるところの数字は、二十四と書
かれた。彼女の年齢である。そして、素直
に伸びたきれいな髪の水源たる頭の上、切
手ではNIPPONと書かれた所には、DOKUS
INと横書きされた。体は大人でも、まだま
だ子供………というお決まりの言い回しが浮
かんで、私はひとり笑った。
東京の夜の飲み屋の灯の下で、気おくれ
する程に大きく見えた彼女は、ここには居
ない。東京で二十七、八歳に見えた彼女は、
父母の前では二十歳そこそこの乙女に見え
る。大学でチアガールのリーダーをやって
いたという純子は、エイヤッとばかり足を
振り上げて見せた。コスチュームでないの
が残念だったが、窮屈なジーパンでも脚は
一八〇度近くに広がり、白い素足が流れる
黒髪の遥か上方に一瞬の空を切った。
美味い酒であった。時計は十二時を大き
く回っていた。
十二月三十日。朝、純子を乗せて、車で
十五分程の彼女の母の実家を訪ねた。
「二日酔いでね、丁度ありがたい助っ人が
来てくれた」
彼女の叔父が笑って迎えた。
「あれまあ、なんとガッチリしたいい体で
ねえか。たのもしいのお」
嫁もあけすけな明るい表現をする。納屋の
方から、薪のはじける音が聴こえ、今では
ほとんど見ることのない、あの懐かしい紫
灰色のカマドの煙が立ち昇っている。
「あがったよう。さあ、ついてくりょう……」
おばあちゃんの力強い農家の声がした。
中学生の頃、田舎での餅つきで、杵を持
たせてもらったことがある。まだ体の出来
ていない子供である。表面をペチャペチャ
叩いて、”蔵のオッサン”と呼んでいた酒造
りの職人たちに笑われ、はやしたてられた
遠い記憶がよみがえる。
杵は餅米を通してガツッと臼にぶつから
なければならない。力が入り、打ちおろし
て壺にはまった時は、コーンという快い響
きが柄を通して体を走る。逆に、少しでも
的をはずして杵がすべると、ゴキッと手首
に無理がかかり腰も振られる。疲れ方が全
然違うのである。二臼目からようやく要領
をつかんだ。気持ちがいい。シャツを一枚
脱いだ。
「さあて、やるぞっ。ばあちゃん交替交替。
エヘヘ」
赤い半袖のうすめの綿入を羽織った純子
が、下に着たTシャツの腕まくりをしなが
らやって来た。長い髪は束ねあげてヘアバ
ンドでとめている。きれいだ。立ち昇る湯
気が、あらわになった純子のうなじをなで
る。溶け込んでいる。小春日和の農家の納
屋さきの、のどかな餅つきの風景に自然に
溶け込んでいる。彼女はやっぱり村の娘な
のだ。だとすれば、あの新宿の夜の純子は
何なのか。突っ張って議論をふっかけてく
るあの女。男と対等に渡り合って取材をし、
筆を執る。そしてその内容をぶつけてくる。
あの猛々しい女は誰なのか。
「ハイッ と、………ハイッ と」
軽やかな、転がるような合いの手に、我に
返った。
「ヨシャ、………ヨシャ」
と、ふざけて応えた。杵を頭上に振りあげ
て、チラッと純子を見た。
ーー惚れたなーー
ドスッ。杵と臼とのぶつかりを全身で受け
て、ひとり笑った。
ーーまたかーー
美味い。昨日の酒も美味かったが、今日
のつきたての餅も実に美味い。味というの
は多分に体の健康状態によって変わるとい
うが、精神の健康状態によっても当然影響
されるに違いない。そして、さらに加えた
い。味は、周囲(環境)の健康状態によっ
ても変わる。おじいちゃん、おばあちゃん、
叔父夫婦、走り回る元気な二人の従弟妹、
そして微笑む純子の傍らで食べるおしるこ
が不味かろうはずがない。
「立派なヒゲじゃのう。明治天皇様のよう
じゃ」
私の顔を評して言ったおじいちゃんの言葉
に、皆、餅を吹き出さんばかりに笑った。
私はこの時、三ヶ月程手を入れずに無精
ヒゲを生やしていた。頭は、角刈りが伸び
たままのボサボサ頭であった。十一月二十
三日に放送した『勤労感謝の日特集・とう
ちゃんはトラックドライバー』という番組
で、ドライバーイメージのモデルとしてチ
ョイ役で出演した時の名残りである。
「立派な体をしてなさる。純子のムコさん
にピッタリやと思うぞ」
とおばあちゃんが合わせた。純子は箸を止
めてこちらを見る。
「チョッと太めやけどな」
照れていた。不安定な視線がそれを証明し
ていた。
「来年もまた餅つきに来てくれたら助かる
わあ」
叔父が持ちあげた。
「じゃあ、今度来る時は純ちゃんの亭主と
して来ますわ」
ーー出来たらーー 半分は本気であった。
惚れてしまったのだから。
三春町の餅つき
新宿の純子と三春町の純子。単に背景の
違いだけにとどまらない、大きな印象の違
いについて彼女に話した。
「宇都宮あたりで切り替えるの。新幹線の
中でね。当然三春では気持ちも表情もリ
ラックスするし、東京ではその逆。でも
単に自然にそうなるというのじゃなくて、
私は意識的にそれをやるの。東京では、
意識して肩を張るし緊張する。突っ張る
わけね。かなりの部分、意図的にそうす
るの。苦しいとか苦しくないとかじゃな
くて、仕事の現場では当然そうしなけれ
ばと思う。勿論どちらも本当の私よ。で
も、あえてどちらを見て欲しいかと言え
ば、東京の私ね。そこで勝負してるんだ
から」
またひとり、同志と出会った。東京の純
子には、決して三春の純子は見えない。求
めても求められない。それを寂しいとは言
うまい。これこそ純子の歴史であり、豊か
さなのだから。
三春駒
二、美香子
十二月三十日、午後。純子の家を辞して、
三春町をあとに二八八号線を郡山に引き返
す。東北地方を南北に貫く四号線にぶつか
る。
ーーさて、東京に帰ろうか、それともーー
路肩に車を停め、カーステレオにカセッ
トを放り込む。リクライニングシートを倒
した。昨日、今日の純子を反芻し楽しむた
め、そして、これからどうするかを思案す
るためである。
イントロの三味線に擬したシンセサイザ
ーの音に引っぱられて、オーボエとフルー
トの混ざった様な電子音の主旋律が始まる。
姫神センセーションというグループの『遠
野』というアルバムだ。柳田国男の名作『
遠野物語』の世界を主題としたもので、こ
のグループは盛岡市在住のロック、フュー
ジョンのグループである。『春風祭』『水
光る』『峠』というシーンが続く。岩手県
北上山中遠野の里に生きる様々な生き物た
ち、四季の巡りの中に生活する人間、そこ
で繰り広げられる豊かな民俗行事。光かが
やく自然、生きとし生けるものの躍動(エ
ラン・ヴィタール)が見事に表現されて私
の鼓膜を打った。三春の純子に似てさわや
かである。『サムト』『早池峯』『綾織』
と、北国の冬の空気に誘い、奥羽の山深い
信仰の世界へ。荒ぶる神、やさしき神、神
の豊かさは人間の苦悩と希望の多様さの写
しである。『河童淵』『赤い櫛』『水車ま
われ』と、民話伝説のモチーフのあと、自
然の力を受けて力強く回る水車のテーマ。
生きよ、共に生きよと歌う。自然と動物と
人間の共生を楽しく奏でる。
ーー青森に行こう。青森で年を越そうーー
青森へ行くことは美香子に会いにゆくこ
とであった。魔女、美香子。NHK青森放送
局での五年の勤務のうち、最後の一年を陰
に陽に付合った女である。陽にとは、番組
のコーナーを受け持つエレクトーン奏者と
して。陰にとは、私の心にセンセーション
を巻き起こす姫神として、つまり私の想い
びととして。
「今、福島。これから北へ走ります」
「エーッ」
「いいかな?」
「………」
「イイトモッて言ってよ」
「ハハハハ」
「とにかくそっちに向かうから」
「知らない」
「何!? 行っても会えないってこと?」
「分かんない。三十一日の夜は友だちと約
束してるし」
片想いなのだ。うまくいっていたこともあ
った。私の東京への転勤を機に、一時燃え
あがったあと、実質的に別れてしまって二
年近くになる。言っておこう。私はまだ彼
女に首ったけなのだ。
「とにかく行くよ、会えないんならそれで
もいい。美香の側で年をとりたいだけだ」
「………」
時速 一四〇km、毎分 四, 〇〇〇回転。
エンジン音に負けない位ボリュームをあげ
て、『遠野』を聴きながら東北自動車道を
ひた走る。水沢で雪。チェーンをはく。時
速 五〇km。陽が落ちた。盛岡でチェーン
を脱ぐ。滝沢インターチェンジで国道四号
線に乗り替える。凍結した道路の上を、す
でに三万キロ走ったラジアルタイヤをだま
しだまし転がす。雪中行十時間。青森市の
ホテルに入ったのは、午後十一時であった。
小料理店で焼酎をあおる。疲れきった体
に灯がともった。二杯目。浣腸されたよう
に肛門が熱くなった。三杯目。その暖かさ
が脳髄へと走った。歩き慣れた青森の港を
ゆく。そして歌い込んだ十八番を口ずさむ。
♬ 思い切れない未練のテープ
切れてせつない女の恋ごころ
汽笛ひと声 汽笛ひと声
涙の波止場に
私ひとりを捨ててゆく
連絡船よ ♬
菅原都々子の『連絡船の唄』である。旅
を楽しむには感傷にひたるにかぎる。
十二月三十一日、午後二時。美香子がホ
テルに現われた。
「やあ」
「しょうがない人ねえ、勝手なんだから」
「勝手なことはもう分かっているだろ、適
当にいなしながら付合ってくれればいい
よ。こっちは、時々美香と酒を飲めれば
いいんだから」
「フフン」
困惑の表情の中にも、ある種の喜びが隠し
きれていない。だからこそ、こんな妙な形
でまだ続いているのだ。
「一時間だけよ」
「東京からはるばる来てか?」
美香子は昔のやさしさで笑った。
なじみの中華料理店に入った。ビール一
本あけたあと、一時間で飲むよと言って紹
興酒をビンで注文した。まだ陽が高い。隣
の家族連れがこちらを向いて笑った。
東京でチラと会って以来、三ヶ月ぶりで
ある。無精ヒゲに角刈りのスタイルは彼女
には初めてであったが、一言も話題にのぼ
らない。それがいかにも美香子らしい。ク
セのある女である。〈誠実だけれど素直じ
ゃない〉これは以前、彼女が自分を評して
言った言葉だ。独立心が強く、男っぽい性
格である。
二十七歳。年齢より四、五歳は若く見え
る。全体に、ふっくらとした柔らかさを感
じさせる。が、決して太っているわけでは
ない。背丈は純子と同じ位ある。横に坐る
と、何となく熱を感じる程、胸も腰も、照
れずに女を主張している。存在感のある体
である。そして山口小夜子を少しソフトに
したような、味のある顔がその上に乗っか
っている。服装のセンスもいいし、化粧も
うまい。男を釣る怪しい仕草も、計算され
ていて、かつ自然に出る。牝そのものの体
の中に、男にも負けない強靭な精神的パワ
ーを秘めている。それが表には妙なクセと
して写る。だが私はそこに惚れてしまった
のだ。御し難いということが危険な魅力に
なることがある。
「そういえば、もう三年位の付合いになる
けど、美香ちゃんにプレゼントらしきも
のしたことないね」
「イタリアのおみやげにバッグもらったじ
ゃない」
「あれは、もともと君に買ってきたものじ
ゃない」
「北海道みやげの小銭入れ」
「ハハハ、函館駅前のキヨスクで買ったや
つ。二千円だったかな?」
「今持ってるの、ホラ」
熊の硬い毛で表装された黒白の大きめの小
銭入れを取り出した。うれしかった。
私は、この際何かまとまったお礼をした
いと言った。何のお礼?と笑ったが、すで
に彼女は私の気持ちを察しているはずだ。
私を傷つけまいとして遠ざかる彼女に、何
かれとまとわりついて来たのは私の方であ
る。四歳年長であるにもかかわらず、私の
方が彼女になついてしまったのであろう。
二人の関係は、私にとっては、全く気を使
わず何でも言えてリラックスできる自然な
ものだった。だが、彼女にとっては決して
そうではなかった。それをここ二年間強い
てきたという負い目がある。
「何でもいい、好きなものを言ってくれ」
「いいよ、そんなこと。こっちが悪いんだ
から」
こっちが悪い。彼女が時々口にする言葉で
ある。私が何とも思っていないことも、彼
女にとっては負い目になっている。確かに
当時はいくらかの傷を受けたが、今では何
程の事でもない。
二人の関係が最も近かった時、私が実質
的なプロポーズをし、彼女は一旦はOKの返
事をした。そして彼女の方が気が変わった。
それだけの事である。理由は美香子は一切
言わなかった。立派だと思う。口にすれば、
私を、また自分自身をも傷つけるだけだと
いうことを彼女は充分理解していた。だか
ら私には、その訳は勿論分からない。ただ
言えることは、彼女は結婚というテーマ以
外に十二分に自分の生活を持っていた、と
いうことである。そしてその生活は、青森
を離れては成り立たないものであった。
美香子はエレクトーン教室の先生として、
二十数人の弟子を持っている。週に三回、
ホテルのラウンジでエレクトーンを弾く。
そして、ポップスのバンドのキーボード奏
者として、各種のパーティで活躍している。
きょうだいは、彼女以上に美形の妹が一人
いて、二人姉妹である。こういった情況の
中で、おそらく、これは私にとって最も苦
しいところだが、彼女が私以上に心を寄せ
る幸せな男が何処かに居た。それだけのこ
とである。
「昨日、福島の山の中で餅つきをしたよ」
私は純子のことを全て話した。美香子は、
貴方らしいわと笑いながら楽しそうに聞い
ていた。
「決まりそうじゃない?」
「うん、分かんないけど、何となく感じる
ところもあるね」
たかだか二度、三日の付合いで勝手なもの
である。
「いつこれっきりということになるかもし
らんからね。お互いにね。だから、今日、
何かプレゼントしたいんだ」
レモンティーをすすって、カップを持った
まま小首をかしげる。いじわるな目を作っ
た。
「エレクトーン買ってもらおうかなあ」
美香子は勿論冗談のつもりで言った。最高
級のものは必要ないが、ともかくエレクト
ーンでメシを喰っている者が使うのだ。ま
ず百万円以上はする。彼女はこの一年、月
に一、ニ度エレクトーンの個人レッスンを
受けに東京に出て来ていた。全くの自主的
なレッスンで、交通費、レッスン料と、か
なりの出費が強いられていた。いわば自分
の仕事のソフト部門に思い切った投資をし
ていて、その分、ハード部門、すなわち機
器の更新が伸び伸びになっていたのである。
私はその苦労話を彼女から時々聞かされて
いた。
「いいよ、これから行く?」
「エーッ」
それからが大変だった。ーー冗談で言っ
たのよ。受けとれないーーと固辞する美香
子。ーー買ってくれと言ったじゃないか、
僕は冗談とは受けとらなかったーーと攻め
る私。延々話は三時間も続いた。プレゼン
トの話ばかりしたわけではない。期せずし
て、この問題は、私たち二人の関係そのも
のの実態、解釈、展望にまで発展し、苦し
くも実に楽しい話し合いとなった。
「絶対に無理よ、傷つけたのは私の方なの
よ。それに、いつもいつも私の側にあっ
て、毎日毎日触れるものよ、エレクトー
ンは。ひとに買ってもらうなんて、とて
も考えられないわ」
もっともな話である。
ーー常に私とともにあり、私の創造的営
みのパートナーであり、その営みの結果
で私は生活を立てているのだ。その意味
では私の分身であり、私そのものだ。そ
れを、この男が準備しようというのか?
ーー
美香子の性格からすれば、そういったこと
は、たとえ夫婦の仲であっても警戒すべき
ことなのであった。
私は、私の想い、考え方、美香子との関
係について、ひとつひとつ私自身にも言い
聞かせながら話を進めた。苦しくはなかっ
た。それは決して無理な論理ではなかった
からである。
「好いた惚れたの話じゃあない。冗談なん
だよ。美香は冗談だと言った。冗談には
冗談で応える。その結果、ちょっと新し
いエレクトーンが君の側に残った。その
エレクトーンは冗談そのものだ。冗談の
塊だ。冗談ってのは意味の世界とは無縁
のものだからね。何も引きずっていない
し、乗っけてもいない、人間臭いものは
ね。全くニュートラルな物体だと思えば
いいんだ」
ーー分かってくれーー 私はマルセル・モ
ースの『贈与論』にある、ポトラッチの論
理まで動員してしゃべりまくった。簡単に
言えば、これは全く私自身の問題であるこ
とを強調したのである。たとえば、明日に
でも貴女がエレクトーンを売り払っても構
わない。行為そのものに、私だけの価値を
認めているのであって、いわばこれはある
種の儀式に過ぎない。
実際、私自身話しているうちに、これは
私が美香子を忘れるための儀式かもしれな
いと思うようになった。姫神のあまりの呪
縛力に、私自身、辟易してきているところ
が確かにあるのだ。このままでは、私の新
しい出会いの障害になるかもしれない。い
やすでに、いくつかのそういったケースに
出くわしていたのだ。
「人間同士という言葉があるよね。僕はこ
れを『人間・同志』という風に書いて美
香との関係を把えてみたい。僕らの別れ
際のセリフは、いつも『じゃあ頑張って
ね』『頑張ってください』といったもの
だった。若いくせに…………と、いつもそ
のあと自分自身を笑ったものだ。もっと
気のきいた言葉はないのかとね。でも今
思えば、それが僕たちの間の一番確かな
関係を表わしているんだ。勿論女として
の君に惚れたんであって、牝としての君
を愛したんであって、それをごまかすつ
もりは無い。僕の中で決着がつくかどう
か自信は無いが、でも僕はそういう関係
に、『人間・同志』という関係に向かっ
て二人の関係を昇華しなければならない
ということに気がついたんだと思う」
確かに美香子は人間としても魅力に満ち
ていた。仕事に対するきびしさには、私自
身もよく教えられた。私が惚れたのはそう
いった彼女のトータルなのである。今その
一部を失う悲しみはあるが、その残りの部
分をも一緒に投げ出そうとは思わない。こ
のプレゼントは、新たな関係に移るための
儀式のようなものなのだ。勿論、『人間・
同志』としての彼女にとって、エレクトー
ンは現在最高のプレゼントである。この事
については、私も、そして美香子も同意し
た。
「ああ疲れた。不思議な人ねえ。またまた
分からなくなっちゃった。ううん、話は
よく分かったのよ。でも、気持ち悪い」
「異常な位しつこいところがね、ハハハ」
「怖いわ」
「そういうことなら、もっともっと怖がら
せてやりたい。気持ち悪くてヘドを吐い
たら僕がナメちゃう。でもこれだけしつ
こいのは、美香と、そして仕事に対して
だけさ」
北の街はすっかり闇に包まれ、ホテルに
もどったのは六時を少し過ぎた頃であった。
ーー終わったーー
シャワーを浴びて鏡をのぞいた。ヒゲ面が、
やはり少し寂しそうに佇んでいた。
ーーヒゲでも剃るかーー
一枚刃のひげ剃りで、五㎝位に伸びたヒ
ゲをきれいさっぱり落とすには、十五分程
かかった。少しピンク色に染まった口元が
ヒリヒリ痛んだ。素裸で濡れた体をベッド
に投げ出した時、電話が鳴った。美香子で
ある。
「いらっしゃいませんか?」
「えっ?!?]
「予定がなければうちでソバでも食べてく
ださい。たいしたものもありませんが、
父もお酒は好きですし」
「いいんですか?」
「………」
「ありがとう、すぐ行きます。スーツに着
替えてね。今フリチンなんで脱ぐ時間は
かかりません。すぐに………」
美香子の父は早くもマイクを握って唄い
始めた。『氷雨』『旅の終わりに』『麦と
兵隊』『同期の桜』。私も好きな方である。
勿論唱和した。カラオケの合間をぬって母
が話しかけてくる。老後の生活、老い方に
ついてのかなり難しい話になった。彼女は
理論家肌で、その方面の地域活動のリーダ
ーである。美香子の妹、多真美は二十三歳。
私は、青森時代二人の姉妹に、「クイズト
ラベル」というテレビ番組にアシスタント
として出てもらったことがある。それをき
っかけに、美香子の家族は、私が作った番
組はほとんど見てくれるようになっていた。
『原発定期検査』という番組で、私がリポ
ーターとしてパンツ一枚になって画面に出
ていたことがひとしきり話題になった。多
真美は、先日の『とうちゃんはトラックド
ライバー』では、私が出ているのに気づか
なかったと言う。無理もない。角刈りにヒ
ゲ面、背中に八代亜紀命と大書きしたダボ
シャツを着て、腹巻にサングラスというい
でたちだったのである。
多真美は父のカラオケの世話に飽きて、
犬のメリーを抱いて『紅白歌合戦』の方に
回った。美香子はといえば、湯あがりのシ
ャボンのにおいを漂わせて、私の側でグイ
ノミにかん酒をそそいでいる。ああ、いつ
かの光景だと思った。忘れてしまった夢の
中のことだったかもしれない。デ・ジャ・
ヴ(既視現象)である。
年が明けた。二人の共通の友人がリーダ
ーをやっているジャズバンドの、年越しコ
ンサートに美香子と出かけた。そこでは、
かつての青森時代の懐かしの面々に大勢出
会った。
ーーぜいたくな年越しになったなーー
私は満足した。
一九八四年、一月一日、午前十時。私は、
雪の中、故郷美川町に向けて青森を発った。
♬ 夜が明けたら
一番早い汽車に乗るから
切符を用意してちょうだい
私のために一枚でいいからさ
今夜でこの街とはさよならね
わりといい街だったけどね ♬
カーステレオが浅川マキの投げやりなか
すれた声で唄う。ーーそう、マキは美川の
出なんだ。いい仕事をしているーー
♬ おいらが恋した 女は
港町のあばずれ いつも
ドアを開けたままで 着替えして
男たちの気をひく 浮気女
かもめ かもめ 笑っておくれ ♬
何度もチェーンを着脱して、美川につい
たのは、翌二日の午前二時。その日のうち
に、私は、従妹が嫁いだ金沢の楽器店で、
美香子にエレクトーンを送る手続きをとっ
た。機種は、ヤマハ FS-50、百二十五万
円であった。
一週間後。東京の私に、美香子から、品
物が届いた旨連絡があった。メッセージは
一言。
「変なひと」
(了)
小社発行『北陸の燈』第3号から
当講座記事NO.90、91再掲
〈参考〉
浅川マキ
本名、森本悦子。
石川県石川郡美川町 (現白山市)
出身。
美川小学校・美川中学校・金沢二
水高校卒業後、美川町役場職員を
経て歌手となる。言葉、音源、音
質を終生大切に、かつ最重視した。
『夜が明けたら』 『かもめ』 『赤
い橋』『夕凪のとき』 『港の彼岸
花』『前科者のクリスマス』『町』
『翔ばないカラス』『少年』『それ
はスポットライトではない』『裏
窓』『あなたなしで』『こんな風
に過ぎて行くのなら』『淋しさに
は名前がない』『ちっちゃな時か
ら』『さかみち』などを歌った。
夜が明けたら
かもめ
美川小学校校歌
詩 北村 喜八
曲 飯田 信夫
北の荒磯に手取川
注ぎて波の立つあたり
松のみどりにかこまれて
学ぶ楽しきわが母校
峰の白雪朝夕に
あおぐや清き白山に
理想の夢をはぐくみて
いざやみがかん人の道
古き名もよし本吉に
潮のひびき楽として
今日も元気に友どちと
いざやはげまんともどもに