最後まで友情を信じて(2)

【2020年9月25日配信 NO.32】 

 

           酒井 由記子


 四、家族との衝突

 夏休みの後半、琵琶湖のほとりで開かれる

二十一日間の修練会に参加する直前に郷里へ

帰省した時に、とうとう、それまでひた隠し

にしてきたことすべてが、家族に知られてし

まった。そして、激しい衝突となってしまっ

た。親戚の人達も友人達も大反対をし、次々

に私を説得に来るのである。


「地上天国の実現なんて、正気で信じている

の? 親、友達を心配させておいて世界を平

和にすることなんてできるはずがない。周り

の人を不幸にしてそれが宗教なの? 政治と

結びつくのもおかしいわよ。集団結婚なんて

する気? 考えただけでゾッとするわ」

「宗教はアヘンと同じだ。これは隔離しなく

ちゃいかん。精神病院へ入れてしまえ」

「由記ちゃんの目、さかなの死んだ目じゃな

いか!」

「かわいそうに、やっかいな病にかかって」


 だれに何と言われても、かえって ”この人

達を救うためにも統一協会で活動しなければ

ならない” と使命に燃えるのである。


「お願いします。修練会にいかせて!」

 頼むたびに、父と母は、「どうしてわから

ないのか!」とまゆをつり上げて、私のほお

をたたき、蹴とばしてくるのである。悲鳴が

近所に聞こえないようにと家中の窓を締め切

ってから、父は平手打ちをしてくる。母は、

「あんたを殺して、私も死ぬ」と泣きわめく。

なぐられた翌日は、あざがからだ中に残って

しまう。親は大学も休学にさせ、徹底的に私

にわからせようとした。父は、

「おまえを統一協会から救うためには、全財

産を使ってでもやっていくぞ。おまえだけで

なく、たくさんの子供達も助けてみせる。い

ざとなったら文鮮明にも会いにいくぞ」

 とまで言った。店の従業員の人達にも恥を

さらけ出して、

「娘を悟らせるために当分仕事のほうは身が

はいらなくなるが申し訳ない。みんなにも協

力してほしい」

 と、お願いしたという。私の友人宅にも両

親はふたりででかけて行き、

「もし、うちの娘が伝道しに来ても誘われな

いでください。そして、お金を貸してほしい

と頼みに来ても、一切断わってください」

 と予防線を張ったのであった。


 そして大事な原理の書物も、文氏の写真も、

統一協会のきょうだい達からの手紙もすべて

取りあげられてしまった。監禁状態の中で、

窓の外でしきりに鳴くひぐらしの声が、私に

秋の訪れを告げてくれた。幾日、幾週間が過

ぎても状況は少しも変化しなかった。腰の丸

くなった祖母と受験を控えた中学生の妹の心

配そうな目は、声に出さずとも、「お姉ちゃ

ん、早くわかって!」と叫んでいた。


 行き場のない思いに耐えかねて、家出を計

画して東京の統一協会をめざして夜汽車に揺

られて行ったこともあった。保護してくれた

統一協会の兄弟姉妹達は、私の後を追ってす

ぐに飛行機で迎えに来た父と叔父に、「酒井

さんは来ていませんよ。琵琶湖の修練所のほ

うに行ったんじゃないですか」とウソを言っ

て、かくまってくれた。それを信じるしかな

かった父達は、すぐそばに私がいるのも知ら

ないで羽田から小松空港にもどり、そこから

車を走らせて滋賀県にまで行った。何として

も子供を間違った宗教から救い出したい一念

であった。このままだと大変な結末を迎える

ことになるという認識が、父はだれよりも強

かったのである。


 3日ばかりして私は自分から家に帰って行

った。親を理解させたうえでなければよくな

いと反省したからであった。しかし、事は容

易に運ばなかった。戦いの日々が続いた。絶

えず、親、従業員の人達の監視の中で、店の

手伝いをして精一杯働いた。外に出ることは

一切禁じられて、小遣銭も与えられない。地

上を歩けない私は、こっそり屋根に上り、頭

上に広がった青空に向かって聖歌を歌い祈っ

たりしたのであった。アメリカにいる文先生

夫妻に、

「真のお父様、お母様、どうか私の家族が原

理を賛成してくれますように」

 と切に祈った。何ヶ月もの間、そこから見

おろす夕焼けが私にとって唯一の友であった。


 父は、夜遅くまで本を調べ、宗教書を何十

冊もこれまでになく研究していった。そして

腰を低くして色々な人のところに相談に行き、

アドバイスをいただいたりしていた。

「どうしてカンパ活動がいけないのや。神様

のためであれば許されるのや」

 と、私がわけのわからないことを言えば、

倒れるくらいにほおをたたいてきた。顔がは

れるくらいに痛かったが、父の手も同じ痛み

を覚えていることはわかっていた。


 統一協会にはいったために善悪の判断がで

きなくなった私を正常に戻そうという一貫し

た姿勢を、父は決して崩さなかった。厳しい

だけの父かと思ったら、私が三島から品川の

統一協会までキセル(不正乗車)をして往復

していたことを知った時、父は頭をたれて、

膝の上の置かれた握りこぶしの上に涙をポタ

ポタと落とすのであった。それを見て、そん

なに父が泣くほど大変なことなのかと驚いた

ものであった。初めて出会った父の姿から、

これは私のしていることは統一協会の中で許

されても、社会からは絶対に許されるもので

ないことを教えられた。


 いつ再び家出するかわからない私に不安を

抱いて、夜中じゅう、冷たい廊下にゴザを敷

いて私に悟られないように見張りを続けてい

たという母。人知れず肩を震わせてこぼして

いた母の涙は、父と同じく本物の愛であった。

私はしだいに自分の親にはかなわないと思っ

ていった。いったん信念を持ったら最後まで

くつがえさない父の姿勢に、私は「ガンコも

の」とつぶやきながらも、たちうちできない

ものを感じざるをえなかった。「信用」「信

頼」をモットーにしている親に、原理の教え

は通じないものであることがわかっていった。

そして、自分は原理を受け入れることができ

たが、この親に納得してもらうことはおろか、

黙認してもらうことも到底できないのだと心

の奥でよくわかっていた。


 でも、「ガンコもの」の親に似て私も「意

地っぱり」であった。最後の一線だけはどう

しても譲れなかった。6千年間にわたる神様

の摂理、歴史的同時性を含めて霊の世界の存

在を説く統一協会の教えが、全くでたらめと

は思えなかった。文氏の生い立ち、六十歳に

至るまでの苦難の路程、統一協会の活躍ぶり、

兄弟姉妹達の真摯な姿なども否定することは

無理であった。


 五、一つの選択

 父と母は、ワラをもつかむ思いで東京のあ

る牧師さんにすがりついていった。その方は、

当時、セブンスデー・アドベンチスト教会の

四谷教会と墨東集会所を掛け持ちで牧してい

らした和賀真也牧師であった。この牧師さん

は、何年も前から統一協会のことを知り、キ

リスト教とは似ても似つかぬ偽りで固めた教

その結果、全国においてあまりに犠牲者

が多く生まれていることに心を痛め、身を乗

り出していかれた方であった。


 和賀牧師は、統一協会員達の持っている、

そのバイタリティー、献身、勇気、親切など

を美しい価値あるものと見なし、真珠のよう

な青年達の魂を心から愛し、単なる反対・糾

弾ではなく、その核となっている教えの真偽

を問い、会員たちを救出しておられるのであ

る。そうした信念の行動の中から、『統一協

その行動と論理』と題した書物まで書い

ておられた。


 父の取り図らいによって、一九七九年十一

月六日の夕方四時に、津幡町のわが家の二階

において、その方と初めて出会うことになっ

たのである。私の心境を深く受けとめて柔和

に話される和賀先生の態度に、いつの間にか、

こわばっていた私の筋肉がスーッとほぐされ

ていくのであった。共にいらしたTさん(男

性)も、会ったこともない見ず知らずの私の

ことが他人事とは思えない様子で、私に語り

かけてくださった。Tさんは、なんと七年間

も統一協会で献身し、アメリカに在住してい

る文氏のもとで生活されたこともある方であ

った。そういう方まで統一協会をやめている

こと、また、和賀先生の提示される多くの統

一協会の隠された資料も、無視できないもの

ばかりであった。


「由記子さん。あなたの人生は、ご自分で選

択なさることです。ただ一つだけ言っておき

たいのは、真実を見るということを避けるの

は、真理を探求する姿勢ではないと思います。

信仰は聞くことから始まります。どんなにつ

らくても事実を事実として受けとめることが

大切だと思います」


 和賀先生の語る言葉には、落ち着いた響き

があった。私は迷わず、東京に一緒に行って

確かめてみようと決心をした。この時、この

選択を取らなかったならば、今頃私は、全く

別の人生を歩んでいたことであろう。


 東京の原宿にあった、和賀先生のご家庭に

お世話になりながら、約二週間の学びを深め

ていくうちに大事なことに気づかされていっ

た。原理の教えと聖書との間に大きな食い違

いがあることを目のあたりに示され、多くの

きょうだい達がそれに気づいて脱会していっ

た事実。しかも彼らがしっかりと生き、かつ

働いていること。さらに驚くべき秘密の儀式

のことなどを示す生の資料を見た時、ただ絶

句するばかりであった。大きな衝撃であった。

不安定な心理状態の日々の中で、自分の手で

聖書を開き、自分の目で聖句を追い、自分の

頭で一つ一つを確かめていくうちに、最後に

は、統一協会をやめるという堅い決心をつい

に下したのである。自分の過ちを認めること

の何と苦しかったこと。しかし、「聖書との

本当の出会い」が、ここにあったのである。


 両親の前で心から謝った時、「わかってく

れれば、それでいいんや」と、静かに語った

父の言葉は、今も忘れることができない。こ

んなにも親を苦しめてきた私を許してくれた

それは、親の寛容さであり、大きな愛であ

った。

 

 六、エクレシア会誕生

 勇気と使命と真実に生まれ変わった思いで、

今度は、私は、友の救出のために全身全霊を

傾けるようになっていった。そんな歩みの中

でも特に、脱会する時に新たに知った統一協

会の素顔は、今でも克明に私の記憶に刻みつ

けられていて、決して消えない。


 統一協会の人達は、泣いてすがりつく私と

ヨッチを、否応なしに引き離したのであった。

このヨッチとの別離は、私にとって、自分の

からだの一部をもぎとられたような深い傷と

なってずっと心に残っている。


 私は、自分の体験が単に個人的な体験とし

て終わってはいけないと思えてならなかった。

ましてや、今も原理を正しいと純粋に信じて、

汗を流し、寒さにこごえながら、嘲笑、罵声

の中で黙々と歩んで活動している友のことを

思うと、胸がしめつけられそうになる。どう

して放っておけようか。父と母が最後まであ

きらめずに私を愛しぬいたように、私も友に

対して真実でありたい。


 私は、ただひたすらペンを執り続けた。自

らもキリスト者となり、東京で和賀先生のお

手伝いをし、『統一協会その行動と論理』

に続く二冊目の本を生み出すため、共に不自

由な環境の中で、辛抱強く自分のこれまでの

体験を書き続けていった。


 冷たいからっ風に吹かれながら、代々木公

園のベンチで書き、揺れる電車の中でも時間

を惜しんでペンを走らせた。「書く」という

ことは、孤独で、しかも忍耐を要する作業で

あった。手が冷たくなると、共に静かにただ

ペンを走らせていた和賀先生と、フリスビー

を飛ばしたり、先生の幼いお子さん達と走っ

たりするのがストーブ替わりであった。から

だが暖まるとまたペンを握りしめる。ヨッチ

との別れ、統一協会との訣別で、公園にポツ

ンと葉をすっかり落として立っている木のよ

うな私にとって、東京の雪のない冬は、北陸

の美しい冬よりも寒々と感じられた。


「くたびれたね」

「そうですね」

 夕陽の傾いた頃、自転車に原稿用紙を積ん

で帰る時、そうひとこと言うだけでわかり合

えるものがあった。無邪気な子供達と手を引

く和賀先生の姿は、私の心を少しずつなごま

せていった。春は手を伸ばせば、すぐそこに

あった。


 そして、一年後の一九八一年一月十五日に、

私達の長い苦労の末、『統一協会と文鮮明 

青年達の心理を探る』(新教出版社発行)と

いう本になって出版された。ペンの足跡は、

人生の足跡となるのである。十八歳から十九

歳にかけての人生を濃縮したような生き方は、

私の生涯のひとくぎりになっていった。


 その後、統一協会脱会者数名の提案によっ

て『エクレシア会』という会を結成していっ

た。この会は、現実あった実際的な経験を基

に、聖書の真理に目覚め、真のキリストを信

じた者として、誤りの中にある人々を救出し、

聖書に堅く立った信仰を伝えることを目的と

している。


 私達は、文鮮明氏ではなく、自分達を迎え

てくれた真の救い主、イエス・キリストを元

の仲間達に伝えたいと思い、会報の発行、定

例会の集い、学びと慰めの場を一つずつつく

っていった。そして、もう三年も流れた。現

在、定例会は、三十六回目を開き、数名であ

った会員は、七百名に達している。『エクレ

シア会を支える会』も発足し、この世話人会

の中には私の尊敬する作家、あの三浦綾子さ

んまでも名を連ねて、励ましのお言葉を送っ

てくださっている。


 連日、エクレシア会には全国各地から相談

依頼の電話、訪問が相次ぎ、本の反響が大き

くなる一方である。多くの依頼の中で本人と

の出会いが可能となりそうな場合、その時を

好機として生かすよう全力で対応していく。

各地を飛行機で飛び、新幹線で走り、巡りに

巡った。その結果展開されたひとりひとりの

劇的な改心に導かれていく様は、貴重なドラ

マであり、奇蹟であるといってもよい。


 なかでも、かつて私のいた品川の協会で歩

んでいた兄弟が、イエス・キリストを信ずる

ひとりとして救出されていった出来事は、感

動もひとしおであった。この活動に携わった

私達は、この世に生きて働いておられる神様

を痛切に実感させられていった。


 この歩みの中で出会っていった人は数限り

ない。救出された人が、次々とまた他の人を

救っていく。これらのことが、私の心の中で、

あの高校時代の音楽よりも美しく高らかに鳴

り響いている。


 統一協会をやめる人も多いけれども、いま

だにはいる人も決して少なくない。それは、

現代の世相を反映している結果だと思えてな

らない。この北陸の地においても、統一協会

の青年達が、一途に活動を続けている。この

問題はまだ終わっていないのである。


 親友ヨッチとは数年間ずっと会えない状態

が続いたが、今年の三月に、突然彼女から電

話があった。私は弾むような喜びとなつかし

さで胸をいっぱいにして彼女と会った。だが

実は、彼女は統一協会の上司の人を連れて来

て、私を再び統一協会へ戻そうとしたのであ

った。


 私は、ヨッチとふたりだけで、高校時代の

ように何でも自由に思う存分語り合いたかっ

た。その思いは、今も決して変わらない。ヨ

ッチと別れた後、私は残念な思いに耐えきれ

ず、涙もふかずに泣きながら、家へ帰った。

友情の壊されるのは何と悲しいことだろうか。

何とやりきれないことだろうか。


 しかし、いつかヨッチが私の隣にすわり、

天へ続く階段のようなメロディを、一緒に奏

でる日が必ず訪れることを信じている。


 真実のもののみがこの世に残るのである。

人の魂を変えるのは、本物の愛のみである。





    小社発行・『北陸の燈』創刊号より

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 【2023年8月2日配信】小社発信記事      木原事件、ジャニーズ事件、 松本VIP事件、 自民裏金脱税事件、政治、ジャーナリズム                      佐藤章 さんの発言とともに考える            尾崎豊『ダンスホール』1984.3.15  東京新宿RUIDO 浅 川マキ/ ライブ夜 1977.11.19 京大西部講堂 桃山晴衣『遊びをせんとや生まれけん』 最新順 ジャニーズ・松本VIP事件、震災その他記事 当講座記事NO.320 2024.3.6 谷本誠一さん、中川秀直衆議秘書時代を語る 広島県前呉市議(6期)の谷本さんが 高校生の インタ ビューに応えてパー券販売、地盤培養活動などを話す。 撮影 2023.8.3 2021.5.21 佐藤章さんスクープ解説動画 第二次安倍内閣安倍晋三首相退陣の真相 木原事件を考える 2023.8.2 志あるジャーナリストへの呼びかけ .  2023.8.20 黒澤明『天国と地獄』仲代達矢の圧巻の台詞 .                       「被害者・遺族の無念を晴らす。これが刑事の仕事」     佐藤誠元刑事記者会見 2023.7.28 コロンボ、安浦吉之助、 十津川省三、杉下右京をしのぐ 佐藤誠さん の 言葉。「 日本の心」はまだまだ生きている。 同時に加害者側の動機、心情も併せて理解すべきである。 日本の歴史、社会、政治を変える日本史上最高記者会見                    2023.8.8 真犯人 Z氏と木原氏の人生を考える 2023.8.17 事件当日の Z 氏の行動を考察する 2024.8.24 民主主義の岐路.検察再捜査の動き    2029.8.30 事件のもみ消しを決して許してはならない    2023.8.31 事件を報道しない既存のメディアへの怒り                                                     文春報道によれば、2006 年 4月 9日の 午後10時ごろに東京都内で安田種雄さんと いう方が殺されたが自殺とされた。そして 2018年春に捜査が再開されたが、本格的な 捜査に入ろうとした矢先の同年10月下旬に 捜査が突然打ち切られた。  この事件の捜査に当たった警視庁元刑事 の佐藤誠さんが、先月28日

275. スポーツを文化にするために

【2022年10月10日配信】     交驩のエール     花開きつつあるエンジョイベースボール    「学生野球考」          慶應義塾大学野球部監督                   前田 祐吉      「サード!もう一丁!」「ヨーシこい」 と いう元気な掛け声の間に、「カーン」と いう 快いバットの音がひびくグラウンドが 私の職 場である。だれもが真剣に野球に取 り組み、 どの顔もスポーツの喜びに輝いて いる。息子 ほどの年齢の青年たちに囲まれ、 好きな野球 に打ち込むことのできる私は、 つくづく、し あわせ者だと思う。  学生野球は教育の一環であるとか、野球 は人間形成の手段であるということがいわ れるが、私の場合、ほとんどそんな意識は ないし、まして自分が教育者だとも思わな い。どうしたらすべての野球部員がもっと 野球を楽しめるようになるのか、どうした らもっと強いチームになって、試合に勝ち、 選手と喜びを共にできるのか、ということ ばかり考えている。  野球に限らず、およそすべてのスポーツ は、好きな者同志が集まって、思いきり身 体を動かして楽しむためのもので、それに よって何の利益も求めないという、極めて 人間的な、文化の一形態である。百メート ルをどんなに早く走ろうと、ボールをどれ だけ遠くへカッ飛ばそうと、人間の実生活 には何の役にも立たない。しかし、短距離 走者はたった百分の一秒のタイムを縮める ために骨身をけずり、野球選手は十回の打 席にたった三本のヒットを打つために若い エネルギーを燃やす。その理由は、走るこ とが楽しく、打つことが面白いからにすぎ ない。さらにいえば、より早く走るための 努力の積み重ねが何物にも替えがたい喜び であり、より良く打つための苦心と練習そ のものに、生きがいが感じられるからであ る。  このように、スポーツは余暇を楽しみ、 生活を充実させるための手段で、それ以外 には何の目的もないはずである。むしろ目 的のないことがスポーツの特徴であり、試 合に勝つことや良い記録を出すことは、単 なる目標であって終局の目的ではない。  かつて超人的な猛練習でスピードスケー ト の王者といわれ、冬季オリンピックの金 メダルを独占したエリック・ハイデンは「 金メダルは私の人生の目的ではない。それ に至るプロセスの喜びが私

327. 能登はやさしや土までも

 【2024年1月8日配信】          お金から「いのち」の時代へ(10)             たくましくやさしき能登に光させ                    2024年3月11日              気仙沼市 菅野 千鶴子                              二隻だけでは足りない話にならない      被災者全員を救う方法を考えるべき    「五百年のひびき」   「日々是稽古」 .        輪島名舟の人たちへのインタビュー .    当講座記事NO.318 世界に範たる日本国になるには 強震モニタ .    地震情報 .                           緊急に避難所の設備充実を          大地震から一週間たった今、改めて 以下の記事を再掲します。   日本海側の原発の現況が気になります。  当講座記事 NO.296と 297で珠洲原発  のことに言及しました が、珠洲原発が  建設されていたらこの地震で日本列島  と朝鮮半島には人が住めなくなってい  たのではないでしょうか。珠洲原発を  絶対に安全だと主張して推進していた  関 西 電力、中部電力、北陸電力、経産  省、政府は 謝罪声明を出すべきだと思  います。    震災被災者の避難先に下記写真のように  ビニールハウスが何箇所かありました。  ここは個人や隣近所で自主的に避難した  場所だと思います。ビニールハウスは、  地震に強いのではないでしょうか。    また、私は高校時代、山岳部で部活動を    していたのでその経験からすれば、冬用    テント、ツエルト、シュラフ、ヤッケ、  ポンチョ、コッフェル、ラジウスなどの  山岳装備を キ スリングに入れておき、 か  つ、テントの張り方、炊事の仕方を日頃  から練習し、いつでも野営に備えていた  らいいのではないかと思いました。  もっともこれらに相当する準備は、国、  県、市町 村の首長や各議員が、常日頃か  ら個人の人権とプライバシーに心配りを  したうえで、率先してしなければならな  い極めて重要な政治の仕事であると思い  ます。特に今現在おこっている震災は、  何年も前から充分に予測できたことだけ  に、最低でも上記の準備だけはできたは  ずです。「残念」とか「遺憾

266. 混迷する現代と統一協会 

【2022年8月28日配信】        親友ヨッチにささげる手記          -最期まで友情を信じて-                  石川県河北郡津幡町                 書店員 22歳  酒井 由記子  人は、どんな人と巡り合うか、どんな本 と出会うかによって人生が決まってくると、 ある作家が述べていたのをふと思い出す。 私にとってはまさにそうであった。出会っ た人達も書物もとても大きな影響を残し、 忘れられない出来事となっていったのであ る。   一、高校生の頃  今から六年前(1977年)、私は金沢 二水高校の二年生であった。いや二年生と いうより吹奏楽部生というほうが適切であ るほど私は部活動に情熱を注ぎ込んでいた。 みんなでマラソン、腹筋運動をしてからだ を鍛えあげ、各パートごとでロングトーン をして基礎固めをなして、全員そろって校 舎中いっぱいに響きわたるハーモニーを歌 いあげる。それは、先輩、後輩、仲間達の 一致によって一つの音楽をつくり出すとい う喜びを存分に味わった私の青春時代の真 っ盛りであった。ただ残念なことは、部活 動に熱中すればするほど勉強のほうはさっ ぱり力がはいらなかったことである。中学 生のときは、「進学校にはいるために」と いうただそれだけの目的で受験勉強ができ た。しかし、いざ高校にはいってみると、 また「いい大学にはいるために」と先生方 が口をすっぱくして押しまくる文句に素直 になれなかった。勉強する本当の意味が見 出せなかったのである。その頃から、私は 人間は何のために生きるのだろうかという ことまで突っ込んで考えるようになってい った。  父母が書店を経営しているため本は充分 にあり、書物を読むことによって答えを見 出そうとした。私の強い求めに応じるかの ように一冊の本が転がり込んできた。クリ スチャン作家である三浦綾子さんの『あさ っての風』という随筆集であった。聖書の 言葉がそこに登場しており、それはズシリ と心に響いたのである。その本に魅せられ て三浦さんの自叙伝も何冊か読み進めてい った。しだいに私の魂は、人間をはるかに 越えた大いなる存在があることを感じてい った。確信までは至らなかったけれども、 それらの本によって金沢のプロテスタント の教会に足を運び、牧師さんのお話を聞く ようにもな

280. 湯の人(4)現実と夢

 【2022年11月22日配信】   大きな便り                       加藤 蒼汰          秋とはいっても冬のような寒い夜だった。 浴室にはだれもおらず、脱衣場には番台に 座っている銭湯の主人と私ともうひとり。  その人は銭湯の近所の人であり、かつて 高校の教員をしていた。在職当時、馳浩・ 現石川県知事を教えていたと語っている。 八十歳を超えている。  この銭湯でよく顔を合わせ、会うたびに 知事の高校在学中のエピソードを繰り返す ので、私はその話の内容をすっかり諳んじ られるようになってしまった。高校入学時 から卒業までの様子、レスリング部での活 躍などであるが、私が特に感銘を受けた話 は、知事は高校時代、冬、雪が降り積もっ た朝には真っ先に早出登校して、生徒・教 職員を思いやり、校門から校舎玄関入り口 までの路をひとりスコップで雪かきをして いたというくだりである。  そんなすばらしい教え子をもつ元先生が、 服を脱ぎ裸になって浴室入り口に向かって 五、六歩あるきながら大便を三個落とした のである。気づかずに落ちたようなので、 私は「先生、落としもの」と声をかけると、 「ありりー、まったく気いつかんかった。 あはははは」と笑うのである。  私は、脇にあったチリトリでこの塊をす くいとり、「みごとな色と固さやね」と言 いながらトイレに流した。しかしながら、 脱衣場にはその匂いが全面に沁みわたり、 息が苦しくなるほどだった。このとき私は、 幼いころサーカスを見たときのことを思い だした。  それは曲芸をしていた象が巨大な大便の 塊を三個落とし、団員があわててスコップ で拾いあげていた光景であった。このとき の衝撃の記憶がよみがえり、私にとっさに チリトリを思いつかせたような気がする。 本を読んでいた番台の主人もその匂いで事 のいきさつに気づき、「匂いもすばらしい ね」と笑いながら脱衣場の窓を全開し床を 雑巾でふいてくれたが、その強力な匂いは 容易に消えなかった。  その間、先生は先に浴槽へ入り、気持ち よさそうに浸かっていた。私は先生と湯壺 にいっしょに漬かることに一瞬躊躇したが、 免疫機能が高まるまたとないチャンスでは ないかとの思いも何ゆえか突然こみあげて きて湯船に同席、お伴したしだいである。  「よくあることなんけ」と湯中、思わず

272. 「命」の新文化創造の世へ

【2022年10月4日配信】        学級通信「あいこでしょ」の願い                       小松市立稚松小学校              教諭 辰巳 国雄                                                                   題字 井上碧山さん (北九州市)         絵  本多千鶴子さん(金沢錦丘高校1年) 薪を負いて名定まる  背負い歩き考える二宮金治郎  ロダンの『考える人』よりもりっぱに思える 損得から尊徳の世へ 当講座記事NO.314 山下秀美、哲学の時代へ 同266 酒井由記子、混迷する現代と統一協会 同294 小原基子、おんな川にかかる橋 同303 今野ゆうひ、教え子を再び何処へ送るのか 同318 髙森文子、世界に範たる日本国になるには  学級文集とか、学級通信とか、学級機関 紙 といわれるもの を発行することを、教師 の仕 事の軸の一つに して実践を積み重ねて いる人 がずい分多いと 思う。  私は、学級通信(学級文集・学級機関紙 も 含めて)を発行してから、もう三十年近 くに なる。あるときは季刊であったり、月 間であ ったり、週刊であったり、日刊であ ったり、 その形はさまざまである。その一 年、一年で 形も異なり、内容も変わってき ている。大ざ っぱな言い方をすれば次のよ うになるだろう。  子どもたちの生活のなかみや、思いや考 え を、本音のところで知りたい。それは、 話す ということででもできるかも知れない が、数 十人の学級の子どもたち全員の本音 を知るこ とはむずかしい。話すことの不得 手な子でも 書くことによって本音を語って くれるだろう。 また書くことによって、さ らに、自分の生活 や、思いや考えを、見つ め直すことになり、 印刷されたものを通し て、学級のみんなの共 通の認識を得られる だろう。共通の認識を持 った学級集団(子 どもたち)は、それをステ ップに、学級集 団の文化を創り上げていく力 にするだろう。  これが、私の教育の大きな柱だった。こ う して始めた学級通信発行の仕事は、子ど もた ちの全面発達を願う私の教育実践のそ のとき そのときの証しともなるものになっ た。学級 通信が発行できなくなるというこ とは、私と 子どもた
         柿岡 時正
         廣田 克昭
         酒井 與郎
         黒沢  靖
         神尾 和子
         前田 祐吉
         廣田 克昭
         伊藤 正孝
         柿岡 時正
         広瀬 心二郎
         七尾 政治
         辰巳 国雄
         大山 文人
         島田 清次郎
         鶴   彬
         西山 誠一
         荒木田 岳
         加納 韻泉
         沢田 喜誠
         島谷 吾六
         宮保 英明
         青木 晴美
         山本 智美
         匂  咲子
         浅井 恒子
         浜田 弥生
         遠田 千鶴子
         米谷 艶子
         大矢場 雅楽子
         舘田 信子
         酒井 由記子
         酒井 由記子
         竹内 緋紗子
         幸村  明
         梅  時雄
         家永 三郎
         下村 利明
         廣田 克昭
         早津 美寿々
         木村 美津子
         酒匂 浩三
         永原 百合子
         竹津 清樹
         階戸 陽太
         山本 孝志
         谷口 留美
         早津 美寿々
         坂井 耕吉
         伊佐田 哲朗
         舘田 志保
         中田 美保
         北崎 誠一
         森  鈴井
         正見  巖
         正見  巖
         貝野  亨
         竹内 緋紗子
         滋野 真祐美
         佐伯 正博
         広瀬 心二郎
         西野 雅治
         竹内 緋紗子
         早津 美寿々
         御堂河内 四市
         酒井 與郎
         石崎 光春
         小林 ときお
         小川 文人
         広瀬 心二郎
         波佐場 義隆
         石黒 優香里
         沖崎 信繁
         山浦  元
         船橋 夕有子
         米谷 艶子
       ジョアキン・モンテイロ
         遠藤  一
         谷野 あづさ
         梅田 喜代美
         小林 ときお
         中島 孝男
         中村 秀人
         竹内 緋紗子
         笠尾  実
         前田 佐智子
         桐生 和郎
         伊勢谷 業
         伊勢谷 功
         中川 清基
         北出  晃
         北出  晃
         広瀬 心二郎
         石黒 優香里
         濱田 愛莉
         伊勢谷 功
         伊勢谷 功
         加納 実紀代
         細山田 三精
         杉浦 麻有子
         半田 ひとみ
         早津 美寿々
         広瀬 心二郎
         石黒 優香里
         若林 忠司
         若林 忠司
         橋本 美濃里
         田代 真理子
         花水 真希
         村田 啓子
         滋野 弘美
         若林 忠司
         吉本 行光
         早津 美寿々
         竹内 緋紗子
         市来 信夫
         西田 瑤子
         西田 瑤子
         高木 智子
         金森 燁子
         坂本 淑絵
         小見山 薫子
         広瀬 心二郎
         横井 瑠璃子
         野川 信治朗
         黒谷 幸子
         福永 和恵
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         秋山 郁美
         加藤 蒼汰
         森本 比奈子
         森本 比奈子
         吉村 三七治
         石崎 光春
         前田 佐智子
         前田 佐智子
         前田 佐智子
         前田 佐智子
         中野 喜佐雄
         八木  正
         堀  勇蔵
         家永 三郎
         広瀬 心二郎
         菅野 千鶴子
         海野 啓子
         菅野 千鶴子
         海野 啓子
         石井 洋三
         小島 孝一
         キャリー・マディ
         谷本 誠一
         宇部  功
         竹内 緋紗子
         谷本 誠一
         酒井 伸雄
163、コロナ禍の医療現場リポート
         竹口 昌志
164、この世とコロナと生き方を問う
         小社発信記事
165、コロナの風向きを変える取材
         橋本 美濃里
166、英断の新聞意見広告
         小社発信記事
167、ワクチン接種をしてしまった方へ
         小社発信記事
168、真実と反骨の質問
         小社発信記事
169、世論を逆転する記者会見
         小社発信記事
170、世界に響けこの音この歌この踊り
         小社発信記事
171、命の責任はだれにあるのか
         小社発信記事
172、歌人・芦田高子を偲ぶ(1)
         若林 忠司
173、歌人・芦田高子を偲ぶ(2)
         若林 忠司
174、歌人・芦田高子を偲ぶ(3)
         若林 忠司
175、ノーマスク学校生活宣言
         こいわし広島
176、白山に秘められた日本建国の真実
         新井 信介
177、G線上のアリア
         石黒 優香里
178、世界最高の笑顔
         小社発信記事
179、不戦の誓い(2)
         酒井 與郎
180、不戦の誓い(3)
         酒井 與郎
181、不戦の誓い(4)
         酒井 與郎
182、まだ軍服を着せますか?
         小社発信記事
183、現代時事川柳(六)
         早津 美寿々
184、翡翠の里・高志の海原
         永井 則子
185、命のおくりもの
         竹津 美綺 
186、魔法の喫茶店
         小川 文人 
187、市民メディアの役割を考える
         馬場 禎子 
188、当季雑詠
         表 古主衣 
189、「緑」に因んで
         吉村 三七治 
190、「鶴彬」特別授業感想文
         小社発信記事
191、「社会の木鐸」を失った記事
         小社発信記事
192、朝露(아침이슬)
         坂本 淑絵
193、変わりつつある世論
         小社発信記事
194、ミニコミ紙「ローカル列車」
         赤井 武治
195、コロナの本当の本質を問う①
         矢田 嘉伸
196、秋
         鈴木 きく
197、コロナの本当の本質を問う②
         矢田 嘉伸
198、人間ロボットからの解放
         清水 世織
199、コロナの本当の本質を問う③
         矢田 嘉伸
200、蟹
         加納 韻泉
201、雨降る永東橋
         坂本 淑絵
202、総選挙をふりかえって
         岩井 奏太
203、ファイザーの論理
         小社発信記事
204、コロナの本当の本質を問う④
         矢田 嘉伸
205、湯の人(その2)
         加藤 蒼汰
206、コロナの本当の本質を問う⑤
         矢田 嘉伸
207、哲学の時代へ(第1回)
         小社発信記事
208、哲学の時代へ(第2回)
         小川 文人
209、コロナの本当の本質を問う⑥
         矢田 嘉伸
210、読者・投稿者の方々へお願い
         小社発信記事
211、哲学の時代へ(第3回)
         小社発信記事
212、哲学の時代へ(第4回)
         小社発信記事
213、小説『金澤夜景』(2)
         広瀬 心二郎
214、小説『金澤夜景』(3)
         広瀬 心二郎