コロナの風向きを変える取材

【2021年5月22日配信 NO.165】   

「ワクチンとは何か」          



 大橋眞・徳島大学名誉教授に聞く 

            取材者 服部順治さん         



       北海道札幌市 橋本 美濃里                


  大橋眞さん宅で本日(2021.5.22)行わ

れた、第2回目取材の中継録画をぜひ見て  

ください。


(下の画面または右の時間表示をクリック

 すると動画が出てきます。また、参考欄

 に第1回目の取材中継録画があります。)  

 


1:31:09







 服部順治さん全中継発信動画


 最近の録画 

  

 同動画(2021.6.9)で推奨している著書 

 医師・崎谷博征(著)

『今だから知るべき! ワクチンの真実』 

(秀和システム・2021.4)

『ウイルスは存在しない!』

(ホリスティックライブラリー・2021. 3) 


  






 大橋眞・徳島大学名誉教授

   (免疫生物学) 渾身発信動画


【全動画】

  youtube.com/user/ias1ohashi


【必見】

  第182回動画(2021.6.4発信)

「女性が永久不妊になる危険性」

  

  第183回動画(2021.6.11発信)

「日本国憲法が危ない」


  第184回動画(2021.6.17発信)

「新型劇薬LNPは卵巣に集まる」


  第185回動画(2021.6.21発信)

「LNPの卵巣への影響」


 








〈以下参考〉


厚生労働省の公式見解 

PCR陽性は感染性ウイルスの存在

を意味しない。

厚労省は、新型コロナウイルスの

存在を証明する科学的根拠を有し

ていない。

(このことを知っていながらも、

このことを国民に知らせる日本の

大手新聞社・放送局、国会議員、

閣僚も、まだ存在しない。) 





小社の見解

上記の厚労省の見解は、


①マスクをする必要はない。

②PCR検査をする必要はない。

③ワクチン接種をする必要はない。

④緊急事態宣言をする必要はない。

⑤パンデミックは存在せず、国民

がこれまでどおりの生活をするこ

とに何のさしさわりもない。

⑥東京五輪も幼稚園等の運動会も

従来どおりのやり方で開催しても

何のさしさわりもない。


ということを意味している。

当講座の NO.8の記事で紹介した

厚生官僚であった山内豊徳さんの

「国民のための仕事」「弱者を思

う精神、真心」の遺訓が、厚労省

の官僚、職員に少なからず継承さ

れている。

最大の問題は、日本の国会、行政、

司法が屈するものが、屈させられ

るものが、かつ国民を差し出すも

のが、差し出させるものが、戦後

七十六年経ても、残念ながら、い

まだ、この世の日本と世界に存在

するということである。

この存在が、自らの歴史的回心に

よって生まれ変わるか、あるいは

この存在に、慈悲の心をもって、

有史初めての革命的回心をさせる

ことができるかが、人類の課題の

ひとつである。


上記NO.8の記事

友をいたむ : 「現代の声」講座











服部順治さんの略歴
 
1952年徳島市生まれ。 
徳島県立城南高校、山梨大学工学部計算
機学科(修士も) 卒業。
プログラマーで、米国カリフォルニア州
ロサンゼルスの Peerless Systems に単
身で勤務したり、鳴門教育大学で教鞭を
とったりしてきた。
「 順ちゃん 」 の愛称で親しまれる人気
のフリージャーナリスト、真実追求者。
取材を公開する姿勢、謙虚な人柄、笑顔
がいい。肝もすわっている。
正義感・探究心・冒険心・好奇心あふれ
る、かつ妥協を許さないタブーなき取材
と独自の考察から、隠されていた事実・
真実の数々が見えてくる。
弱者の幸福を願い、弱者の側にたって、
世界を飛びまわり、これまで誰も知らな
かった、気づかなかった驚くべき貴重な
スクープを連発している。
『順ちゃん劇場』と自ら呼ぶ本当の歴史
への追求、考察もすばらしい。
見応えがある。





当講座記事 NO.157と 164 に掲載した

服部順治さんの大橋眞さんへの第1

取材中継録画  (2020.6.2) 


https://youtu.be/CnoEtC6_ZeA 


   この動画の文字起こし

   五島高資さん(医師、俳人)のブログから 

 

マスコミでは絶対、言えない「新型コロナウィルスの真実」






第2回目中継取材で語られた

KBC九州朝日放送ラジオの

大橋眞さんへのインタビュー

(2021.5.19)

PCR検査の真実  大橋眞先生インタビュー





  1945年11月7日付け朝日新聞の記事

 「国民と共に立たん」 の宣言は今日

 に至るも、いまだ実行されていない。

 「国民と共に立たず」のままである。

(以下に宣言の全文)



宣言

國民と共に立たん

本社、新陣容で「建設」へ

 

支那事変勃発以来、大東亞戰争終結

にいたるまで、朝日新聞の果たした

る重要なる役割にかんがみ、我等こ

ゝに責任を國民の前に明らかにする

とともに、新たなる機構と陣容とを

もつて、新日本建設に全力を傾倒せ

んことを期するものである。

今回村山社長、上野取締役会長以下

全重役、および編集総長、同局長、

論説両主幹が総辞職するに至つたの

は、開戰より戰時中を通じ、幾多の

制約があつたとはいへ、眞実の報道、

厳正なる批判の重責を十分に果たし

えず、またこの制約打破に微力、つ

いに敗戦にいたり、國民をして事態

の進展に無知なるまゝ今日の窮境に

陥らしめた罪を天下に謝せんがため

である。

今後の朝日新聞は、全従業員の総意

を基調として運營さるべく、常に國

民とともに立ち、その聲を聲とする

であらう、いまや狂瀾怒涛の秋、日

本民主主義の確立途上來るべき諸々

の困難に対し、朝日新聞はあくまで

國民の機関たることをこゝに宣言す

るものである。





「NHK番組基準」 (1959年7月21日 

制定) も、今日に至るも基準はどれ

ひとつとして実行されていない。

(以下に基準の当該文)



日本放送協会は、全国民の基盤に立

公共放送の機関として、何人からも干

渉されず、不偏不党の立場を守って、

放送による言論と表現の自由を確保し、

豊かで、よい放送を行うことによって、

公共の福祉の増進と文化の向上に最善

を尽くさなければならない。

この自覚に基づき、日本放送協会は、

その放送において、

 1 世界平和の理想の実現に寄与し、

   人類の幸福に貢献する。

 2 基本的人権を尊重し、民主主義

   精神の徹底を図る。

 3 教養、情操、道徳による人格の

   向上を図り、合理的精神を養う

   のに役立つようにする。

 4 わが国の過去のすぐれた文化の

   保存と新しい文化の育成・普及

   に貢献する。

 5 公共放送としての権威と品位を

   保ち、公衆の期待と要望にそう

   ものであることを基本原則とし

   て、ここに、国内放送の放送番

   組の編集の基準を定める。


訂正

放送が事実と相違していることが明ら

かになったときは、すみやかに取り消

し、または訂正する。


報道番組

 1 言論の自由を維持し、真実を報

   道する。

 2 ニュースは、事実を客観的に取

   り扱い、ゆがめたり、隠したり、

   また、せん動的な表現はしない。

 3 ニュースの中に特定の意見をは

   さむときは、事実と意見とが明

   らかに区別されるように表現す

   る。

 4 災害などの緊急事態に際しては、

   すすんで情報を提供して、人命

   を守り、災害の予防と拡大防止

   に寄与するようにつとめる。

 5 ニュース解説または論評は、ニ

   ュースと明確に区別されるよう

   に取り扱う。





「第二次大戦下における日本基督教

団の責任についての告白」の表明は

「無責任についての告白」とすべき

である。今日に至るも無責任のまま

である。告白の責任はいまだ実行さ

れていない。

(以下に告白の全文)



わたくしどもは、1966年10月、第14

回教団総会において、教団創立25周年

を記念いたしました。今やわたくしど

もの真剣な課題は「明日の教団」であ

ります。わたくしどもは、これを主題

として、教団が日本及び世界の将来に

対して負っている光栄ある責任につい

て考え、また祈りました。

まさにこのときにおいてこそ、わたく

しどもは、教団成立とそれにつづく戦

時下に、教団の名において犯したあや

まちを、今一度改めて自覚し、主のあ

われみと隣人のゆるしを請い求めるも

のであります。

わが国の政府は、そのころ戦争遂行の

必要から、諸宗教団体に統合と戦争へ

の協力を、国策として要請いたしまし

た。

明治初年の宣教開始以来、わが国のキ

リスト者の多くは、かねがね諸教派を

解消して日本における一つの福音的教

会を樹立したく願ってはおりましたが、

当時の教会の指導者たちは、この政府

の要請を契機に教会合同にふみきり、

ここに教団が成立いたしました。

わたくしどもはこの教団の成立と存続

において、わたくしどもの弱さとあや

まちにもかかわらず働かれる歴史の主

なる神の摂理を覚え、深い感謝ととも

におそれと責任を痛感するものであり

ます。

「世の光」「地の塩」である教会は、あ

の戦争に同調すべきではありませんで

した。まさに国を愛する故にこそ、キ

リスト者の良心的判断によって、祖国

の歩みに対し正しい判断をなすべきで

ありました。

しかるにわたくしどもは、教団の名に

おいて、あの戦争を是認し、支持し、

その勝利のために祈り努めることを、

内外にむかって声明いたしました。

まことにわたくしどもの祖国が罪を犯

したとき、わたくしどもの教会もまた

その罪におちいりました。わたくしど

もは「見張り」の使命をないがしろに

いたしました。心の深い痛みをもって、

この罪を懺悔し、主にゆるしを願うと

ともに、世界の、ことにアジアの諸国、

そこにある教会と兄弟姉妹、またわが

国の同胞にこころからのゆるしを請う

次第であります。

終戦から20年余を経過し、わたくしど

もの愛する祖国は、今日多くの問題を

はらむ世界の中にあって、ふたたび憂

慮すべき方向にむかっていることを恐

れます。この時点においてわたくしど

もは、教団がふたたびそのあやまちを

くり返すことなく、日本と世界に負っ

ている使命を正しく果たすことができ

るように、主の助けと導きを祈り求め

つつ、明日にむかっての決意を表明す

るものであります。


 1967年3月26日 復活主日

 日本基督教団総会議長  鈴木正久





1947年5月5日、東京・築地本願寺で

開かれた全日本宗教平和会議における

「懺悔の表明」も言葉だけで、今日に

るも「懺悔」の薄明かりすら見られ

(以下に表明の全文)



全日本宗教平和会議の開催に際し、わ


れら宗教人はここに衷心から痛恨と懺


悔の意を表明する。


 いずれの宗教も平和を本領とせざる


ものなきに拘らず、われらは昭和六年


九月満州事変以来の軍国主義的風潮を


阻止することができず、悲惨なる今次


戦争の渦中に巻きこまれたことは、神


佛に対し、祖国に対し、かつは世界の


全人類に対し、慚愧に堪えないところ


である。今にして静かに思えば、われ


われはかかる凄惨なる戦争の勃発する


以前に、身命を賭しても、平和護持の


運動を起し、宗教の本領発揮に努むべ


きであった。この点、われわれは深く


われらの無為にして殉教精神に欠けた


るを恥ずるものである。今こそわれら


は蹶然起ちてわれら宗教人の本務の完


遂に邁進しなければならない。


 新憲法は世界に向つて戦争放棄を誓

約したが、この人類史上類いなき崇高

なる理想の実現は、人間精神の改造に

よる宗教的基礎に立ちてのみ可能なの

である。われらは、ただに既往の過失

を天下に陳謝し、頭を垂れて彼我戦争

犠牲者に詫ぶるのみならず、茲に全日

本宗教平和会議の開催を契機として、

力強く平和国家の建設に挺身せんこと

を宣誓する。


 全日本宗教平和会議は、日本宗教連

 盟(前身は大日本戦時宗教報国会)、

 仏教連合会、日本キリスト教連合会、

 神社本庁、宗教文化協会が共催した。







〈後記〉

 当講座記事を印刷する場合は、

 左クリックを押したまま印刷

 する部分に網をかけ、右クリ

 ックし、「印刷」文字を左ク

 リックすると、印刷できます。



 

〈追記〉

 厚労省厚生科学審議会発表

 ワクチン接種後、死者数39人

(前回発表、2021.5.12)から

 85人(今回発表、5.26)に。

 各事例も発表。  

 mhlw.go.jp/content/109060

    (前回発表は当講座記事

     NO.163と164に掲載)


 死者196人に(2021.6.9発表)。

 各事例は未発表に。

 mhlw.go.jp/content/109060



 神戸市女性(73)ワクチン接種直後に死亡

 MBSニュース(2021.6.10)

 https://www.youtube.com/watch?v=741wGc




  風向きを変える「自由」の叫び

  A MILLON IN MOTION

  2021.5 .29  London 

chute.rocks/a69CPPcf1mG8




木偶乃坊写楽斎さん(富山県氷見市)の写真

 ふるさとをまもりみつめる花、草、葉、

 枝、茎、根、実、苔、木、土、虫、鳥、

 魚、獣、山、空、雨、雪、雲、霞、霧、

 露、雷、岩、石、砂、沼、潟、川、海、

 島、浜、気、色、味、匂、煙、谺、闇、

 火、光、風、音、水、波


ツイッターの写真の中を左クリックすると

拡大できます。

(当講座記事NO.115と164にも掲載)

 虻ヶ島立山連峰(氷見市灘浦から撮影)

   



 五島高資さん(医師、俳人)の

 ホームページに上の当講座記事

  「コロナの風向きを変える取材」

 が紹介されました。  (編集人) 

 

コロナの風向きを変える取材

  コロナ(140)2021.6.19掲載





人気の記事(過去30日)

385. お金から命の時代へⅡ

【2025年3月1日配信】           当講座記事NO.320 の続き                                            来たる時代への提言(最新記事順)        冴え 澄み わたる母音のひびき                                         近藤佳星がうたう世界最高民謡『追分』 .   かもめの啼く音に ふと目をさまし          あれが 蝦夷地の 山かいな                     渋谿をさしてわが行くこの浜に 月夜飽きてむ馬しまし停め 大伴家持(万葉集巻19・4206) 391 冴え澄みわたる母音の響き                                以上の記事は当講座記事NO.393に続く 以下2025.4.1以前の記事 2025.4.1 石破茂首相が記者会見 .     2025.4.1 佐藤章さん、前日の記者会見出席報告 2025.4.1 NHK、中居フジ事件被害女性コメント 2025.3.31 中居正広・フジテレビ事件 佐藤章さん、下記記者会見予定質問報告 第三者委員会調査結果報告記者会見中継 清水賢治・フジテレビ社長記者会見中継 調査報告書全文 記者多くして 中居 山にのぼる さら問いできない縛りでは質疑にならず フジ側は調査報告書を盾に真実を語らず 兵庫県知事と逆パターンの非論理不誠実 幾人寄れば文殊の智慧うかぶ 2025.3.31 木偶乃坊写楽斎さん撮影 湊川沿いの桜満開  氷見市        宇木の千歳桜(あずまひがん) 一本桜 樹齢850年   時  2023.4.4 場所  長野県下高井郡山ノ内町  写真提供 新井信介さん 2025.3.31 中居正広・フジテレビ事件 佐藤章さん、下記記者会見予定質問報告 第三者委員会調査結果報告記者会見中継 清水賢治・フジテレビ社長記者会見中継 調査報告書全文 記者多くして 中居 山にのぼる さら問いできない縛りでは質疑にならず フジ側は調査報告書を盾に真実を語らず 兵庫県知事と逆パターンの非論理不誠実 幾人寄れば文殊の智慧うかぶ 2025.4.1 NHK、中居フジ事件被害女性がコメント 2025.4.1 佐藤章さん、前日の記者会見...

224. 天と地をつなぐ「おわらの風」

【2022年1月22日配信】   大寒           七尾市 石島 瑞枝             雪解けの春風を待つ坂の町               秋風 (2023.9.3)            横浜市 髙祖 路子    夜流しの音色に染まる坂の街                         鏡町地方衆、先人のご苦労をしのびその息吹に応える夜流し .  今町のおわら .      2023.9.3 最終日、西町青年団最終おわらの舞い .                               撮影 木偶乃坊写楽斎さん         〈参考〉                               越中八尾おわら風の盆               「深夜の夜ながし」      日本と日本人が失くしてしまった、  奪 われてしまった温かい心情、 郷愁  --それらを求めて各地から 数多の  見物者 が、 魅入られたかのように、  取りもどす か の ように八尾へ と 足を  運 ぶ の だろうか。  高橋治と石川さゆりの『風の盆恋歌』  の影響が大きいとも八尾ではいわれ  て いる。言葉と 歌の 力のすごさか。  事実、この 歌 の前と後とでは、風の  盆訪問 者 数に圧倒的な差がある。  紅白で、「命を賭けてくつ がえす」  と、着物の 袖 を 強く 握りしめ 揺さぶ  り ながらうた った 「くつがえす」の  一語の中に、日本の 歌手 として歩ん  できた 石川さゆりの、 自 らの心の奥  底にある深い 懐 いをも 包んだ 全 情念  が 込め ら れて い る。  旅人の多くが八尾に滞在してい る中、  わずかのさすがの通だけが、おわら  本来 の良 さ が漂っている深夜の夜流  し の、 後ろ姿を見ている。個性 ある  いで たちもすばらしい。  おわらは見せるものなのか、見られ  るこ とを意識すらせずに心ゆく まで  自ら楽しむものなのか。あるいはま  た、…… …… 高橋治と 石川さゆりは、  諸々のことを考える、見直すための  たいへ ん な「契機」 を 与 えて くれ た  ので ある 。    個人的な所感を...

307. 職人の心意気 -「技」の文化 -

 【2023年7月3日配信】   手作りへのいざない    -「技」の文化-     縫い針のひとはりに込める夢  敦賀市 宮岸 かなえ                     てのひらに落ちる雨滴が灯をともす     鹿児島市 井上 治朗                        器(うつわ)  器への思い    九谷焼絵付師  宮保 英明         用という約束の形を提供しながら、その 形の中でどれだけ新鮮な自身の感覚を保ち 得るか、どんな可能性を引き出し得るか、 自身を試す姿勢で器と向かい合いたい。  自意識による変身、習慣のタガをはずし、 本来まったく自由に扱える創作表現への自 意識を、材質としての焼きものにぶつけた い。  盛られる料理に好かれる器。使いよくて 楽しくて、ついつい使ってしまう器。見た 目に静かで、しかし強い存在感を持ち、素 直に語りかけてくる。そんなものを心がけ てつくりたい。 みやぼ ひであき 20歳から絵付けをはじめる。 1950年石川県白山市生まれ。 石川県加賀市日谷(ひのや)在住。 日谷川をはさんで両側に民家と山が並ぶ。 谷間の村・日谷の向こうには人はいない。 宮保家の裏もすでに森である。 仕事をするのにいい場所をさがし歩き、 1984年の夏、白山市から引っ越してきた。 「ときどき熊が顔を出す」と妻の文枝さん。 小社発行・『北陸の燈』第4号より 撮影・八幡スタジオ 当講座記事NO.21、249再掲 当講座記事NO.223、「職」に関する記事から     芭蕉布ムーディー綾番匠くずし 平良 敏子   鋏 川澄 巌  文駒縫(あやこまぬい) 竹内 功   匠  足立区が誇る「現代の名工」    当講座記事NO.269、「世界屈指の技と清ら」から   流し猫壺 河井 寛次郎      「祖父寛次郎を語る」鷺 珠江さん     当講座記事NO.280、「湯の人(4)」から   樹 -卒業制作- 青木 春美     当講座記事NO.22、「織を通して学んだこと」から     絹本著色方便法身尊影  1500年製作    ...

365. 瓊音(ぬなと)のひびき

 【2024年10月5日配信】 白山に秘められた日本建国の真実      追悼          長野県 中野市  文明アナリスト   新井  信介        共振する縄文の心・翡翠の 波形         -泰澄の白山開山の意味-                                                                               白山は縄文時代からの山として人々の信 仰を集めてきた。六千年前、日本列島では、   お互いの命の響きを正確に伝え合う共振装 置としてヒスイを発見し、大切に身に着け 出した。その信仰の中心に最も響きの分か る女神を選び、ヌナカワ姫と代々呼ばれ続 けた。太古の時代から白山の存在は、北の 日本海と南の太平洋へと流れ行く命の水を 分け恵む特別な水分(みくまり)の山だっ た。そんな日本列島に憧れ入植した人たち から、命を産み育てる力はイザナミと呼ば れ、人々はこの力を、水そのものと同一に 見ていたのだ。                           一方で、国や統治体のことをイザナギと   呼んだ。これらは陰と陽のように表裏を成   し、この二つの力がこれまでの日本国を導   いてきた。しかし令和が始まった今、日本   国というこの統治体は人々の幸福よりも経   済の発展を重視し、マネーの追求に明け暮   れ、その結果多くの問題と疑問と苦痛を人   々にもたらしてきた。そして今、かつて経   験したことがないような、先行きの見えな   い不安が日本人と社会を覆っている。                               さらに今、縄文から続く六千年来の人々   の覚醒が静かに始まった。                                    白山には三つの入口がある。一つは加賀   から入る道で、ここは古代に崇神(すじん) 天皇...

328. ふるさとなまり

 【2024年1月28日配信】   おばばの言葉                       白山市 番匠 俊行                                私の両親は石川県石川郡美川町(現白山 市)に生まれ育ちました。両親のそれぞれ の両親も同町の生まれ、育ちです。除籍簿 を見ると、私の先祖は全員、明治初期から 同町の住人でした。  私は高校時代まで美川で育ち、そのあと 関東の大学を卒業し、宮城県内で就職し、 現在、郷里の美川で塾教師をしています。  私の祖母は1900年生まれで伝統産業 の美川刺繍をしていました。亡くなるまで 町から一歩も出たことがなく、町の人たち との会話を楽しみに生きていたようです。  その会話を耳にした一端をご紹介します。  美川町は手取川の河口の町で日本海に面 しています。作家の島田清次郎、詩人の邑 井武雄、政治家の奥田敬和、歌手の浅川マ キ、五輪トランポリン選手の中田大輔らの 出身地でもあります。  「美川弁」といってもいい言葉は、隣町 の能美郡根上町(現能美市)や能美郡川北 村(現能美郡川北町)、石川郡松任町(旧 松任市、現白山市)ともちょっと異なって いると思います。  私は金沢市内の高校に通ったのですが、 私の話す言葉がおかしいと、いつも友人に 笑われていました。言葉だけで伝えるのは 難しいのですが、動詞、形容詞、形容動詞 のエ音便がイ音便になったり、また、人名 や名詞の発音のアクセントや抑揚、強弱、 長短が独特みたいです。  鹿児島弁が混じっているのではないかと 言う人もいます。もしそうであれば、最初 の石川県庁が美川町に置かれたことと関係 しているのかもしれません。内田政風とい う薩摩藩士がトップとなりはるばるこの町 にやって来たと聞いています。ひょうきん な美川の人たちが薩摩から来た役人たちの 言葉をおもしろがって真似して、流行らせ、 それがそのまま一部根づいたのではないか と思ったりもしています。  内田はなぜか金沢県とすることを拒否し、 県名を石川郡から拝借して石川県にし、さ らに「美川県」にとまで県名をかえようと したと聞きます。石川県はあわや美川県に なっていた可能性もあったということです。  これはこれでおもしろい話ですが、内田 は、美川町を中心にした金沢以上の新たな ...

319. 何者でもない者が生きる哲学  

【2023年11月4日配信】         考えることがなぜ大切なのか     小を積めば即ち大と為る. 『報徳記』富田高慶1856    二宮尊徳翁曰く 「励精小さなる事を勤めば大なる事必ずなるべし。  小さなる事をゆるがせにする者、大なる事必ず  できぬものなり」     読書のすすめ 背負い歩き考える二宮金治郎          ロダンの『考える人』よりもりっぱに思える         薪を負いて名定まる         損得から尊徳の世へ             朱買臣 哲学の時代へ(第14回)                                        以下の文はkyouseiさんという方のnote にある文です。偶然みつけ共感するものが ありこれまで何度か勝手にその文を紹介し てきました。どこのどなたかまったく存じ 上げませんが、またお叱りを受けるかもし れませんが、本日掲載の文をご紹介します。 (当講座編集人)            本当の哲学とはなにか            note での投稿も長くなった。 連続投稿 が 370 を超えたようだ。そんなことはどう で もい いことだが、ぼくはこれまで 「哲学」 だと 思って書いていた記事は、「本当に哲 学 な のだろうか」と思うことがよくある。 皆の言う「哲学」は、「○○哲学では…」 と 難しい話をよく知っている。 ぼくはというと、思考を治療的に使って 現 状の維持、回復を狙うものだ。 「何が不満か」「何がそうさせるのか」と いった答えを探すものだ。だから「治療的 哲学」と銘打っているのだが、はたしてそ れは哲学なのだろうかと思うこともある。 ぼくの哲学は「結果が全て」であり、再 現 性も求める。結果が出ないとすれば、や り 方がまずかったとすぐに修正する。自分 自 身を実験台にして確かめるのだ。 難しい話を好まないのは「使えない」 か ら だ。使えないものは真理ではないと 考え て いる。 だからといって、ぼくの視野が広いか とい えばそうではなく、個人という狭い世 界観 をどう変えるかといったものだ。 「大したことないな」と思われるだろう が、 では、...

280. 湯の人(その4)現実と夢

 【2022年11月22日配信】   大きな便り                       加藤 蒼汰          秋とはいっても冬のような寒い夜だった。 浴室にはだれもおらず、脱衣場には番台に 座っている銭湯の主人と私ともうひとり。  その人は銭湯の近所の人であり、かつて 高校の教員をしていた。在職当時、馳浩・ 現石川県知事を教えていたと語っている。 八十歳を超えている。  この銭湯でよく顔を合わせ、会うたびに 知事の高校在学中のエピソードを繰り返す ので、私はその話の内容をすっかり諳んじ られるようになってしまった。高校入学時 から卒業までの様子、レスリング部での活 躍などであるが、私が特に感銘を受けた話 は、知事は高校時代、冬、雪が降り積もっ た朝には真っ先に早出登校して、生徒・教 職員を思いやり、校門から校舎玄関入り口 までの路をひとりスコップで雪かきをして いたというくだりである。  そんなすばらしい教え子をもつ元先生が、 服を脱ぎ裸になって浴室入り口に向かって 五、六歩あるきながら大便を三個落とした のである。気づかずに落ちたようなので、 私は「先生、落としもの」と声をかけると、 「ありりー、まったく気いつかんかった。 あはははは」と笑うのである。  私は、脇にあったチリトリでこの塊をす くいとり、「みごとな色と固さやね」と言 いながらトイレに流した。しかしながら、 脱衣場にはその匂いが全面に沁みわたり、 息が苦しくなるほどだった。このとき私は、 幼いころサーカスを見たときのことを思い だした。  それは曲芸をしていた象が巨大な大便の 塊を三個落とし、団員があわててスコップ で拾いあげていた光景であった。このとき の衝撃の記憶がよみがえり、私にとっさに チリトリを思いつかせたような気がする。 本を読んでいた番台の主人もその匂いで事 のいきさつに気づき、「匂いもすばらしい ね」と笑いながら脱衣場の窓を全開し床を 雑巾でふいてくれたが、その強力な匂いは 容易に消えなかった。  その間、先生は先に浴槽へ入り、気持ち よさそうに浸かっていた。私は先生と湯壺 にいっしょに漬かることに一瞬躊躇したが、 免疫機能が高まるまたとないチャンスでは ないかとの思いも何ゆえか突然こみあげて きて湯船に同席、お伴したしだいである。 ...

303. 教え子を再び何処へ送るのか

【2023年5月25日配信】   マスクをめぐる学校との苦闘                   千葉県 今野 ゆうひ  17歳                          2019年。新型コロナウイルスが突如 として私たちの生活に現れました。何もわ からないまま政府に舵をゆだね、ウイルス の災いとして ”コロナ禍” は四年目に突入し ました。 当時中学三年生だった私の日常も  “コロナ禍” によって一変しました。  外出自粛、一斉休校、ソーシャルディス タンス、マスク、消毒...   それら政策を半ば面白がりながら、20 21年まで三年間、流されて過ごしました。  人との接触をなるべく避けながらいかに 楽しめるか。マスクをしていかにおしゃれ をできるか。いつしか私たちの生活は“コロ ナ禍”ファーストへと姿を変えていました。  2021年、高校一年生になった私も“コ ロナ禍”ファーストな高校生活を送っていま した。  その年の夏、母と私は新型コロナと全く 同じ症状を発症。病院に行っても薬がない ので PCR検査などはしていませんが、あの 症状は確実に新型コロナだったと思います。 その時母と、“コロナ禍” ファーストな生活 をしていても感染はするし、普通の風邪と 同じように治るということに気づきました。  もちろん個人差はありますが、なぜここ まで徹底して感染源を特定したり外出制限 をしたりするのか、その時からじんわりと 疑問が生まれます。  経験は人を変化させますね。  そんなこんなで私と母は、自転車に乗っ ている時だけ。から始まり、すこしずつマ スクを外すことにしました。  ある日、母と一緒に近くの大きめのスー パーで買い物をすることになります。 「注意されるまでマスクしないで入ってみ るわ」  正直遊びの部分もありました。ちょっと 面倒くさくなっちゃったのです。強い意志 もないただのチャレンジだったので、何か 言われたらすぐ付けるつもりでした。  ところが、なんかいけちゃったのです。 一時間弱いたものの、誰にもなんにも言わ れず買い物終了。  なんということでしょう。今までやって きたことはなんだったんだと思うほどあっ けなくチャレンジは成功。今思えば、この スーパーで何か言われていたら、この文を 書くこともなかったで...

275. スポーツを文化にするために

【2022年10月10日配信】      「学生野球考」      慶應義塾大学野球部監督   前田 祐吉   史上最高演技   史上最高選手      勇気ある発言   「オンニ、ここで記念に一緒に撮りましょ」   「オレは笑わないが、笑って何が悪いんだ」    台湾、中国、日本、コロンビア  体操鉄棒4選手     中国・張博恒(左)と台湾・唐嘉鴻   唐 「こんなのもらっちゃったよオレ」   張 「よかったらオイラのもあげるよ」   唐 「そっちのは錆びてるみたいだね」   張 「ほんとだ。だったら交換してよ」   唐 「ならオレのも持ってけよ」   石原裕次郎『錆びたナイフ』  葉隠・武士道を覆す号泣                       「サード!もう一丁!」「ヨーシこい」 と いう元気な掛け声の間に、「カーン」と いう 快いバットの音がひびくグラウンドが 私の職 場である。だれもが真剣に野球に取 り組み、 どの顔もスポーツの喜びに輝いて いる。息子 ほどの年齢の青年たちに囲まれ、 好きな野球 に打ち込むことのできる私は、 つくづく、し あわせ者だと思う。  学生野球は教育の一環であるとか、野球 は人間形成の手段であるということがいわ れるが、私の場合、ほとんどそんな意識は ないし、まして自分が教育者だとも思わな い。どうしたらすべての野球部員がもっと 野球を楽しめるようになるのか、どうした らもっと強いチームになって、試合に勝ち、 選手と喜びを共にできるのか、ということ ばかり考えている。  野球に限らず、およそすべてのスポーツ は、好きな者同志が集まって、思いきり身 体を動かして楽しむためのもので、それに よって何の利益も求めないという、極めて 人間的な、文化の一形態である。百メート ルをどんなに早く走ろうと、ボールをどれ だけ遠くへカッ飛ばそうと、人間の実生活 には何の役にも立たない。しかし、短距離 走者はたった百分の一秒のタイムを縮める ために骨身をけずり、野球選手は十回の打 席にたった三本のヒットを打つために若い エネルギーを燃やす。その理由は、走るこ とが楽しく、打つことが面白いからにすぎ ない。さらにいえば、より早く走るための 努...

381. 現代の課題と統一協会(続き)

 【2025年2月26日配信】        親友ヨッチにささげる手記          -最期まで友情を信じて-                  石川県河北郡津幡町                 書店員 22歳  酒井 由記子  人は、どんな人と巡り合うか、どんな本 と出会うかによって人生が決まってくると、 ある作家が述べていたのをふと思い出す。 私にとってはまさにそうであった。出会っ た人達も書物もとても大きな影響を残し、 忘れられない出来事となっていったのであ る。   一、高校生の頃  今から六年前(1977年)、私は金沢 二水高校の二年生であった。いや二年生と いうより吹奏楽部生というほうが適切であ るほど私は部活動に情熱を注ぎ込んでいた。 みんなでマラソン、腹筋運動をしてからだ を鍛えあげ、各パートごとでロングトーン をして基礎固めをなして、全員そろって校 舎中いっぱいに響きわたるハーモニーを歌 いあげる。それは、先輩、後輩、仲間達の 一致によって一つの音楽をつくり出すとい う喜びを存分に味わった私の青春時代の真 っ盛りであった。ただ残念なことは、部活 動に熱中すればするほど勉強のほうはさっ ぱり力がはいらなかったことである。中学 生のときは、「進学校にはいるために」と いうただそれだけの目的で受験勉強ができ た。しかし、いざ高校にはいってみると、 また「いい大学にはいるために」と先生方 が口をすっぱくして押しまくる文句に素直 になれなかった。勉強する本当の意味が見 出せなかったのである。その頃から、私は 人間は何のために生きるのだろうかという ことまで突っ込んで考えるようになってい った。  父母が書店を経営しているため本は充分 にあり、書物を読むことによって答えを見 出そうとした。私の強い求めに応じるかの ように一冊の本が転がり込んできた。クリ スチャン作家である三浦綾子さんの『あさ っての風』という随筆集であった。聖書の 言葉がそこに登場しており、それはズシリ と心に響いたのである。その本に魅せられ て三浦さんの自叙伝も何冊か読み進めてい った。しだいに私の魂は、人間をはるかに 越えた大いなる存在があることを感じてい った。確信までは至らなかったけれども、 それらの本...
         柿岡 時正
         廣田 克昭
         酒井 與郎
         黒沢  靖
         神尾 和子
         前田 祐吉
         廣田 克昭
         伊藤 正孝
         柿岡 時正
         広瀬 心二郎
         七尾 政治
         辰巳 国雄
         大山 文人
         島田 清次郎
         鶴   彬
         西山 誠一
         荒木田 岳
         加納 韻泉
         沢田 喜誠
         島谷 吾六
         宮保 英明
         青木 晴美
         山本 智美
         匂  咲子
         浅井 恒子
         浜田 弥生
         遠田 千鶴子
         米谷 艶子
         大矢場 雅楽子
         舘田 信子
         酒井 由記子
         酒井 由記子
         竹内 緋紗子
         幸村  明
         梅  時雄
         家永 三郎
         下村 利明
         廣田 克昭
         早津 美寿々
         木村 美津子
         酒匂 浩三
         永原 百合子
         竹津 清樹
         階戸 陽太
         山本 孝志
         谷口 留美
         早津 美寿々
         坂井 耕吉
         伊佐田 哲朗
         舘田 志保
         中田 美保
         北崎 誠一
         森  鈴井
         正見  巖
         正見  巖
         貝野  亨
         竹内 緋紗子
         滋野 真祐美
         佐伯 正博
         広瀬 心二郎
         西野 雅治
         竹内 緋紗子
         早津 美寿々
         御堂河内 四市
         酒井 與郎
         石崎 光春
         小林 ときお
         小川 文人
         広瀬 心二郎
         波佐場 義隆
         石黒 優香里
         沖崎 信繁
         山浦  元
         船橋 夕有子
         米谷 艶子
       ジョアキン・モンテイロ
         遠藤  一
         谷野 あづさ
         梅田 喜代美
         小林 ときお
         中島 孝男
         中村 秀人
         竹内 緋紗子
         笠尾  実
         前田 佐智子
         桐生 和郎
         伊勢谷 業
         伊勢谷 功
         中川 清基
         北出  晃
         北出  晃
         広瀬 心二郎
         石黒 優香里
         濱田 愛莉
         伊勢谷 功
         伊勢谷 功
         加納 実紀代
         細山田 三精
         杉浦 麻有子
         半田 ひとみ
         早津 美寿々
         広瀬 心二郎
         石黒 優香里
         若林 忠司
         若林 忠司
         橋本 美濃里
         田代 真理子
         花水 真希
         村田 啓子
         滋野 弘美
         若林 忠司
         吉本 行光
         早津 美寿々
         竹内 緋紗子
         市来 信夫
         西田 瑤子
         西田 瑤子
         高木 智子
         金森 燁子
         坂本 淑絵
         小見山 薫子
         広瀬 心二郎
         横井 瑠璃子
         野川 信治朗
         黒谷 幸子
         福永 和恵
         小社発信記事
         小社発信記事
         小社発信記事
         小社発信記事
         小社発信記事
         小社発信記事
         小社発信記事
         小社発信記事
         小社発信記事
         秋山 郁美
         加藤 蒼汰
         森本 比奈子
         森本 比奈子
         吉村 三七治
         石崎 光春
         前田 佐智子
         前田 佐智子
         前田 佐智子
         前田 佐智子
         中野 喜佐雄
         八木  正
         堀  勇蔵
         家永 三郎
         広瀬 心二郎
         菅野 千鶴子
         海野 啓子
         菅野 千鶴子
         海野 啓子
         石井 洋三
         小島 孝一
         キャリー・マディ
         谷本 誠一
         宇部  功
         竹内 緋紗子
         谷本 誠一
         酒井 伸雄
163、コロナ禍の医療現場リポート
         竹口 昌志
164、この世とコロナと生き方を問う
         小社発信記事
165、コロナの風向きを変える取材
         橋本 美濃里
166、英断の新聞意見広告
         小社発信記事
167、ワクチン接種をしてしまった方へ
         小社発信記事
168、真実と反骨の質問
         小社発信記事
169、世論を逆転する記者会見
         小社発信記事
170、世界に響けこの音この歌この踊り
         小社発信記事
171、命の責任はだれにあるのか
         小社発信記事
172、歌人・芦田高子を偲ぶ(1)
         若林 忠司
173、歌人・芦田高子を偲ぶ(2)
         若林 忠司
174、歌人・芦田高子を偲ぶ(3)
         若林 忠司
175、ノーマスク学校生活宣言
         こいわし広島
176、白山に秘められた日本建国の真実
         新井 信介
177、G線上のアリア
         石黒 優香里
178、世界最高の笑顔
         小社発信記事
179、不戦の誓い(2)
         酒井 與郎
180、不戦の誓い(3)
         酒井 與郎
181、不戦の誓い(4)
         酒井 與郎
182、まだ軍服を着せますか?
         小社発信記事
183、現代時事川柳(六)
         早津 美寿々
184、翡翠の里・高志の海原
         永井 則子
185、命のおくりもの
         竹津 美綺 
186、魔法の喫茶店
         小川 文人 
187、市民メディアの役割を考える
         馬場 禎子 
188、当季雑詠
         表 古主衣 
189、「緑」に因んで
         吉村 三七治 
190、「鶴彬」特別授業感想文
         小社発信記事
191、「社会の木鐸」を失った記事
         小社発信記事
192、朝露(아침이슬)
         坂本 淑絵
193、変わりつつある世論
         小社発信記事
194、ミニコミ紙「ローカル列車」
         赤井 武治
195、コロナの本当の本質を問う①
         矢田 嘉伸
196、秋
         鈴木 きく
197、コロナの本当の本質を問う②
         矢田 嘉伸
198、人間ロボットからの解放
         清水 世織
199、コロナの本当の本質を問う③
         矢田 嘉伸
200、蟹
         加納 韻泉
201、雨降る永東橋
         坂本 淑絵
202、総選挙をふりかえって
         岩井 奏太
203、ファイザーの論理
         小社発信記事
204、コロナの本当の本質を問う④
         矢田 嘉伸
205、湯の人(その2)
         加藤 蒼汰
206、コロナの本当の本質を問う⑤
         矢田 嘉伸
207、哲学の時代へ(第1回)
         小社発信記事
208、哲学の時代へ(第2回)
         小川 文人
209、コロナの本当の本質を問う⑥
         矢田 嘉伸
210、読者・投稿者の方々へお願い
         小社発信記事
211、哲学の時代へ(第3回)
         小社発信記事
212、哲学の時代へ(第4回)
         小社発信記事
213、小説『金澤夜景』(2)
         広瀬 心二郎
214、小説『金澤夜景』(3)
         広瀬 心二郎