松帆榭(しょうはんしゃ)にて
【2020年11月18日配信 NO.70】
『金澤夜景』推薦の言葉
波佐場 義隆
北前貿易で名を馳せた銭屋五兵衛の屋敷か
ら移築した茶室が自坊にある。この茶室がど
うしてここにあるのかその訳を私はまだ知ら
ない。久しく入っていなかったが、この本の
原稿をここで読んだ。
読みすすむうち、銭五はここで誰とどのよ
うな心境で対面したのか、悲劇的な最期を迎
えた銭五と銭五の家族ひとりひとり、さらに、
その人々を知るひとりひとりはいかなる心情
をその時もっただろうか等さまざまな思いや
感覚が、臨場感をもってこの身にささってく
る。
同時に、忘れてしまっていた、失ってしま
っていた私の過去の記憶、感情のひとつひと
つも走馬燈のようによみがえってくる。悔い
を残した選択も多々あったような気もしてく
る。自分自身が問われる書でもある。
この作品は、どんな苦境、理不尽に遭って
も、日々、懸命に生きる人々を描こうという
作者の意図とその人々の心情こそ一大事であ
るという暗示があるように思う。
作者の本意は、私の考えの及ばないもっと
深いところにあるとも感じられる。小説の舞
台は私の住む近辺に多いが、作者は、その心
情の真実性、普遍性をも追求することを心に
秘めているのではないだろうか。
数年前、癌がみつかり胃の三分の二を剔出
した。辛い日々も送っている。いま、私にも
懸命に生きよと何かが容赦なく、狭い四畳半
の空間の一隅からこの胸に迫ってくる。
(金沢市金石味噌屋町・専長寺住職)
〈以下参考〉(写真は筆者提供)
逃れて来た平家の末裔・波佐場次郎右衛門
賢周。
同寺は、五つの金沢市指定有形文化財を
有している。上の二つのほか本堂と絹本著
色方便法身尊影(正面を向き青蓮花の上に
立ち摂取不捨印を結び四十八の光芒を放つ
阿弥陀如来像)と、鬼瓦一対がある。
境内のクロマツは、金沢市指定保存樹で
ある。また、同寺には親鸞のものとされる
頂骨が長野県須坂市の勝善寺から分骨され
本堂に安置されている。
専長寺の寺号は「法運専ら長久なるべし」
と、一四七二年(文明四年)に蓮如が命名。
この山門は、軸部が一間一戸控柱付き棟
門の形式で、屋根は側面に唐破風をもつ桟
瓦葺き(当初はこけら葺きと推定)の平唐門。
軸部は、棟通りに本柱(円柱)二本を立て、
本柱間に大虹梁を渡し両端に木鼻をつくり、
冠木は、断面が円形で両端木口に入八双金
具を被せてある。
建築年代は江戸時代後期 (十八世紀末)と
推定されている。
大工職人の緻密かつ大胆な技がたくみに
駆使された独特で類稀な構造形式がみられ、
その完成度は観る者に感動と生気を与える。
海辺の町に職人の心意気が伝わってくる。
クロマツと本堂
鬼瓦一対
阿形には「寛政九丁巳歳 六月吉日
越前敦賀 舞崎 庄五良作之」、吽形
には「于時寛政九丁巳歳 六月吉日
越前敦賀 舞崎 庄五郎作之」の銘が
刻まれてあり、近世の瓦の生産、流通
を示す貴重な歴史資料。
絹本著色方便法身尊影
裏書銘に明應九年(1500年) の年記が
認められる。現在、西本願寺の文明二年
(1470年)蓮如銘が最も古いといわれ、
奈良乗明寺本の明應四年(1495年) 銘等
がこれに続くと称せられている。
専長寺本は、この乗明寺本と図様がほ
とんど同一で、保存状態もよい。
〈追記〉
当講座のNO.117、329、330、2にも
銭五、北前船の関連記事があります。