『ゴマメの歯ぎしり』序文
【2020年11月21日配信 NO.73】
状況を見通す心眼流の達人
核燃阻止一万人訴訟原告団
山浦 元
神奈川県在住
東海大学・理論物理
沖崎信繁さんに初めてお目にかかったのは
一九九〇年、青森の地に五〇〇〇人が集結し
た反核燃の日、四・九行動に参加して浅虫の
辰巳旅館でたまたま同室したときで、「富来
町ふるさとを守る会」の中川半七郎さんとご
一緒であった。
互いに名乗り合い挨拶を交わしたところ、
沖崎さんは穏やかな表情ながら鋭い眼差しで
「ひょっとしてお仕事は先生では?」と即座
に見抜かれてしまい、これはただならぬ御仁
だなと、たじろいだ記憶が残っている。
もちろん意気投合し、夜の更けるまで酌み
交わしながら、人類と生態系の来し方・行く
末をテーマに旧知の如く語り合った。明けて
集会場の六ケ所村総合体育館へ向かう途中、
私より一回り年長の沖崎さん、中川さん、そ
して津軽の元・浪岡町々長の平野良一さんが
荒れ狂う山背の中をものともせずに、村民に
語りかけつつビラ入れに力を尽くす毅然とし
た姿に接して、人との出会いの契機は殆ど偶
然に左右されるが、それゆえにこそ大切にし
なければと感じ入ったことであった。
当時の印象を私は次のように記している。
《沖崎さんは、いにしえの剣豪を彷彿さ
せる風格の方で、母船式漁業の乗組員と
しての現役時代の豊かな体験をもとに、
鯨をはじめ鮭・鱒、カニ、にしんなど、
世界中の資源を根絶やしにしてきた日本
漁業の現場にあった者としての反省を交
えて、かけがえのない生命と海と郷土を
破滅に導く原発は絶対に許可出来ないと
の信念を、浅虫の宿で熱っぽく語って下
さった。》(核燃訴訟関東原告団機関誌
『げんこくだん』第十一号)
私の故郷は建設凍結中の新潟県・巻(まき)
原発の近郷で、富来町の皆さんと問題意識を
共有しうる立場にあり、出会いの後、沖崎さ
んから定期的に送られてくる機関紙『ふるさ
と』を介して、志賀~珠洲原発をめぐる情報
を核燃訴訟の人々に伝えるようになったのだ
が、都市圏に住む私が沖崎さんたちの活動や
論述に触発され、思考をつき動かされた事例
は枚挙にいとまがない。
右記の拙文からその一つを紹介させていた
だく。
《驚くべきことに、高木・敦賀市長が石
川県で講演した際、「生まれてくる子供
が全部片端でも、原発はカネのなる木だ」
と述べたという(川辺茂さんの証言)。
生命の実存様式にかかわる差別発言とし
て糾弾さるべきは勿論だが、これを知っ
たとき浮かんだのは沖崎さんや川辺さん
とは対極的な生命観を披瀝した幾人かの
「知識人・文化人」らの発言であった。
生命は至上の価値か?と極論的に問う西
部邁氏は「人間なんかは生きることそれ
自体は大した価値はないんだという風に、
なぜ思わないんだ」と反原発派を挑発し、
山口令子氏は「動物を殺して食べて他の
生き物を奪っている人間が、なぜ生命至
上だなんて言えるのでしょうか」と追随
していた(朝まで生テレビ「原発是か非
か?」テレビ朝日編)。
人間は自然の一部であり、外界と共生
するほかはなく、宿命的に他の動植物を
犠牲にしなければ生きられないのは確か
であるが、この非情で冷厳な食物連鎖と
いう事実から、逆にあらゆる生命の重さ
を洞察する契機を見出そうとする姿勢こ
そが必要なのではないのか。
人間の存在が他の生命体の犠牲の上に
成り立っているからこそ、必要以上の生
命を奪う所業は決して許されないのであ
り、沖崎さんたちは、止むを得ず手にか
けた動植物の再生と保存を絶えず心がけ
る実践を介して、自然界の摂理に基づく
生命総体の貴重さ、尊厳さを体験的に深
く把握し得ているのだ、と私には思えて
ならない。知識人・文化人らは、何十億
年に及ぶ進化過程の結実である生態系が、
系の循環性を保持するに必要な条件をま
るごと欠いた科学技術によって壊滅寸前
の危機に瀕している現実から、なぜ目を
そらそうとするのか?
とてつもない危機と背中合わせの現代
文明の利器を殆ど無批判に容認し、「文
明生活」に浸り切っている自らを止揚す
る志向性を持たぬ都会人のニヒリズムと
生命蔑視の価値観を、何らの媒介項もな
しに押しつけられてはたまったものでは
ない。》
つい引用が長くなってしまったが、富来町
の皆さんから教示されていることの一端を刻
んでおきたかった。
本書には謙虚に過ぎる表題が付されている
が、「ゴマメの歯ぎしり」や「犬の遠吠え」
どころか、郷土をこよなく愛し、未来への懸
け橋を築こうとしている人たちとの徹底した
共闘と共同作業の過程で生み出された著者渾
身の表現集であり、全国各地で同質の諸問題
と格闘している方々にも、ぜひ目を通しても
らいたいと思う。
沖崎さんが、都会で働くご子息一家を訪ね
て遠隔の地から上京される度にお会いして、
ラーメンをすすりささやかに酌み交わしなが
ら、互いの琴線がふれ合い響き合う談論風発
のひとときよ、永久(とこしえ)に! そし
て透徹した心眼で一見不可視な権力機構と状
況の核心を見通し、えぐり出す営為をこれか
らも持続して、私たちに深い示唆を送り続け
ていただきたいと心から願っている。
〈参考〉
川辺茂(かわべしげる)さんは、
1922年、石川県羽咋郡富来町(現
志賀町)風無の生まれ。西海漁業
協同組合長で、「富来町ふるさと
を守る会」会員でもある。著書に
『 魚は人間の手では作れない ー
原発で苦しむ漁民の立場から 』
(1984年、樹心社発行)がある。
「現代の声」講座第33回提言者。