哲学的人間観-その2-

【2020年8月1日配信】


 富山大学名誉教授 柿岡 時正

 

二 有神論(唯心論)と人間

有神論は唯心論と密接に関連しているので、

まず唯心論について説明しよう。唯心論とは

界(宇宙)をすべて人間の心(意識)から

た観念と考える立場であって、観念論とも

われている。前号で述べたように唯物論は

間の肉体的・物質的側面を重視して人間を

質(自然)の単なる一部分と見なすために、

人間の主体性を確立する点に困難があった。

人間は自然や宇宙の一部としては極めて微

な存在であり、その主体的能力も軽視・無

されやすいからである。それ故にマルクスも

いうように古い唯物論ではすべての対象・現

実(人間も含めて)が客観的にのみ見られて、

人間の主体的活動・実践としては把えられ得

なかった。したがって人間の活動的方面はむ

しろ唯物論とは反対の唯心論(観念論)によ

って展開されて来たが、その場合には抽象的

で現実的・感性的ではなかったと彼はいって

いる。マルクスはそのような考察に基づいて

古い唯物論や古い唯心論とは異る新しい哲学

的立場で人間の主体的実践を確立しようとし

たのであるけれども、しかしその立場を「新

しい唯物論」という名称で呼んだ結果やはり

真の主体性を確保し得なかったのである。


 それに反して世界(宇宙)を人間の心が見

た観念と考える唯心論では、抽象的ではあっ

ても人間の主体性は一応認められて来たので

あった。何故ならば世界(宇宙)が人間の観

念であればその中心は当然人間(心的自我)

となり、主体的活動も重視され得るからであ

る。ただしその場合でも人間は絶対者的な存

在とはなり得ず、特に物質の創造に関しては

全く無力(人間の科学的技術は物質の状態を

変えているに過ぎない)であるために絶対精

神や神による創造を前提せざるを得ない。し

たがって唯心論は有神論と全く同一ではない

が極めて密接な関係があり、また宗教にも最

も近い哲学思想であるといえよう。しかしな

がら同じく世界を人間にとっての観念と見る

立場でも、カントの批判的観念論のように有

神論的唯心論とはむしろ正反対の思想もあり

得る。即ち彼の立場は観念論ではあるが神を

認めず、自然(物質)や神のような絶対者は

人間にとって不可知的な存在自体(物自体)

で人間はただ経験的な現象のみを知り得ると

主張した点では唯物論や有神論的唯心論の何

れとも異っている。


 それ故にカントの批判的観念論は有神論的

唯心論(通常の観念論)とは区別して不可知

論または経験論と呼ばれることが多いけれど

も、その方が唯物論や唯心論と異る第三の哲

学的立場としての性格を明確に示し得るので

今後は主にその名称を用いることとする。私

はこの不可知論的経験論としての批判的観念

論こそ人間の最高で最終の哲学的思想ではな

いかと考えているが、必ずしも完全ではなく

多少の欠点もあると思っている。しかしその

欠点については次号で述べることとして、本

号では彼の基本的立場と有神論的唯心論や唯

物論との差異を明確化しておくに止めたい。

さてこの三つの哲学的立場の関係について、

エンゲルスはマルクス的唯物論者の立場から

次のように説明している。彼は「すべての哲

学、特に近代哲学の根本問題は思惟と存在と

の関係である」と前提し、「この問題に対し

ていかに答えるかによって哲学者達は二大陣

営に分裂した。自然に対する精神の根源性を

主張し、したがって結局何らかの種類の世界

創造を認めた人々は─そうしてこの創造は哲

学者の場合には屢々例えばヘーゲルのように、

キリスト教におけるよりももっと複雑で困難

なものとなっているが─唯心論の陣営を構成

した。自然を根源的なものと見なした他の人

々は唯物論の種々の流派に属する」と述べた。


 エンゲルスは更に「しかし思惟と存在の関

係についての問題はまた他の一つの側面を持

っている。我々をとり囲んでいる世界に関す

る我々の思惟はこの世界そのものといかなる

関係にあるのだろうか、我々の思惟は現実の

世界を認識することができるのか、我々は現

実的世界についての我々の表象と概念の中に

現実の正しい映像を造り出すことが可能であ

のだろうか、この問題は哲学的用語では思

と存在の同一性に関する問題といわれてい

が、大多数の哲学者はそれを肯定している。

……………………………………………………

しかしそれと並んで世界の認識、あるいは完

全な認識の可能性を否定する他の哲学者の系

列がある。それに属するのは近代ではヒュー

ムとカントであり、彼らは哲学の発展の中で

極めて重要な役割を果たして来た。この見解

に対する反駁の決定的なものは、唯心論の立

場から可能な限りにおいて、既にヘーゲルが

述べた」ともいっている。このようなエンゲ

ルスの記述は、唯物論と唯心論及び不可知論

(経験論)の三者の関係を極めて明快にしか

も偏見なく規定していると思われる。


 この場合エンゲルスは「自然に対する精神

の根源性」を主張して世界創造を認める唯心

論と、「自然を根源的なものと見なした」唯

物論をまず対立せしめている。しかし彼は唯

物論者の立場から唯心論者例えばヘーゲルの

創造説をキリスト教のそれよりも困難である

と非難したけれども、「思惟と存在の同一性」

を肯定する点ではヘーゲルともある程度同調

しているのである。古来人間の思惟(理性)

が世界(存在)を完全に認識し得ると考える

哲学的立場は存在論(形而上学)や理性論と

いう名称で呼ばれて来たが、それに反対して

「世界の完全な認識の可能性を否定する」立

場は不可知論・経験論である。それ故に存在

論の内部では唯物論者のエンゲルスと唯心論

者のヘーゲルは人間の思惟(理性)が自然と

精神の何れを根源的と見るかの点で対立して

いるけれども、両者は「思惟と存在の同一性」

を肯定する点では不可知論者であるカントを

共に非難したのであった。したがって逆の立

場からいえば、カントの批判的観念論(不可

知論・経験論)は唯物論ばかりでなく唯心論

をも存在論的立場と見なして否定するのであ

る。


 エンゲルスは唯心論やキリスト教の創造説

を「複雑で困難」であるといって非難したが、

唯物論者が力説するように物質が永遠の昔か

ら存在し続けて来たという一見科学的で明快

な主張も実は経験論(不可知論)から見れば

独断的で肯定し得ないことは前号で述べた。

しかし神による創造を主張する有神論的唯心

論も経験論としての批判的観念論の立場から

はやはり承認し難いけれども、その根本的理

由は人間は経験的現象を知り得るのみで人間

の理性も経験を超越した神のような存在は認

識できないという点にある。例えば古来の神

の存在証明では「存在するものには必ず原因

がある」という理性的な法則が用いられて、

世界や人間が存在するならその原因としての

超経験的な神も必ず存在すると主張されるけ

れども、カントはこの法則はただ人間の感覚

的経験の範囲内に限定されるべきで超経験的

な神の証明には使用し得ないばかりでなく、

もしそのような神を認定しても更に同じ法則

によってその神の原因である超々経験的な神

をも無限に求め続けざるを得ないこととなる

から無意味であるというのである。


 このように人間はただ経験的現象のみを知

り得るのであり、理性によっても超経験的な

神は不可知であるというカントの経験論(不

可知論)的批判は神の存在証明に対して決定

的打撃を与えたといわれている。その結果超

経験的な神の把捉は理論ではなく感情的・独

断的な宗教かあるいはカントが否定した理性

の絶対性を再び復活させる哲学かの何れかに

頼らざるを得ないこととなったが、後者の立

場はヘーゲルの弁証法的唯心論である。カン

トが感覚的経験を哲学的根據としたのに対し、

ヘーゲルは「感情・感覚は最もすぐれたもの

・最も真実なもの、ではなく、最も無意味な

もの・最も真実でないもの、である」から、

神の真の認識は、事物がその直接的存在に

おいては全く真理を有しないことを知ること

によって始まる」と主張した。


 この場合彼はカントの直接的経験重視の立

場に反対してまず理性のみが神の認識手段で

あると強調したのであるが、次にその理性を

弁証法的な発展的論理と考えたのであった。

即ちヘーゲルは弁証法を単なる論理学である

ばかりでなく現実的な世界の発展法則と見な

し、また「一般に論理的な規定は絶対者の定

義、即ち神の形而上学的定義とも見ることが

できる」とも主張しているのである。


 ヘーゲルのこの弁証法的・理性的有神論と

カントの経験論的不可知論の何れが正しいか

は十分な検討を必要とするけれども、前者の

立場はたしかに神に対する強力な弁護論では

あった。人間は感覚的経験を重視すべきであ

り、理性もその感覚を整理・統一するために

用いられる形式であるに過ぎないというカン

トの経験論は極めて穏当で常識的でもある。

したがってそれを打破して理性のみによる神

の把捉を主張するためには古来の理性的論理

ではない新しい推理が必要であるが、ヘーゲ

ルの弁証法はこの要望をある程度満足させて

いる。彼は弁証法を種々の形で説明したけれ

どもその基本的形式は1.直接的肯定、2.

定、3.否定の否定という三段階の発展的

である。このような複雑な推理としての

弁証法は従来の静止的・分析的な論理とは異

る新しい発展的・綜合的法則であって、ヘー

ゲルが哲学史に残した最大の遺産であった。

しかしながらそれは論理学や歴史哲学には大

きな貢献であったとしても、神の証明には必

ずしも十分の効果があったとはいえない。


 ヘーゲルは弁証法的発展の最終段階として

の絶対的理念を神と同一視したのであるが、

それを有→無→成という形でも説明している。

その場合カントの強調した経験的現象を単な

る有と考えてそれに対立する物自体的本質を

無と見なし、更に両者を否定の否定として止

揚する神を想定したことはたしかにすぐれた

発想であるといってもよいであろう。ただヘ

ーゲル自身もそれを成と表現しているように

この最終段階としての神も実はそのまま静止

してはならず、更に新しい弁証法的発展の出

発点とならなければならない。それ故にカン

トが否定した宇宙論的証明で神が因果律によ

り最終的原因に止まり得なかったと同じく、

弁証法的な最高段階としての神もまた弁証法

的法則そのものにより最終的実在ではあり得

ないこととなる。したがって弁証法は論理学

的法則としてはたしかに有用であるけれども、

それが直ちに超経験的な神の存在証明となり

得るかという点には疑問がある。このヘーゲ

ルの神についてはまだ論ずべき問題が多少残

っているが、次回の「経験論と人間」の場合

に更に論ずることとしよう。

    

        小社発行・『北陸の燈』第4号より

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 【2022年11月22日配信】   大きな便り                       加藤 蒼汰          秋とはいっても冬のような寒い夜だった。 浴室にはだれもおらず、脱衣場には番台に 座っている銭湯の主人と私ともうひとり。  その人は銭湯の近所の人であり、かつて 高校の教員をしていた。在職当時、馳浩・ 現石川県知事を教えていたと語っている。 八十歳を超えている。  この銭湯でよく顔を合わせ、会うたびに 知事の高校在学中のエピソードを繰り返す ので、私はその話の内容をすっかり諳んじ られるようになってしまった。高校入学時 から卒業までの様子、レスリング部での活 躍などであるが、私が特に感銘を受けた話 は、知事は高校時代、冬、雪が降り積もっ た朝には真っ先に早出登校して、生徒・教 職員を思いやり、校門から校舎玄関入り口 までの路をひとりスコップで雪かきをして いたというくだりである。  そんなすばらしい教え子をもつ元先生が、 服を脱ぎ裸になって浴室入り口に向かって 五、六歩あるきながら大便を三個落とした のである。気づかずに落ちたようなので、 私は「先生、落としもの」と声をかけると、 「ありりー、まったく気いつかんかった。 あはははは」と笑うのである。  私は、脇にあったチリトリでこの塊をす くいとり、「みごとな色と固さやね」と言 いながらトイレに流した。しかしながら、 脱衣場にはその匂いが全面に沁みわたり、 息が苦しくなるほどだった。このとき私は、 幼いころサーカスを見たときのことを思い だした。  それは曲芸をしていた象が巨大な大便の 塊を三個落とし、団員があわててスコップ で拾いあげていた光景であった。このとき の衝撃の記憶がよみがえり、私にとっさに チリトリを思いつかせたような気がする。 本を読んでいた番台の主人もその匂いで事 のいきさつに気づき、「匂いもすばらしい ね」と笑いながら脱衣場の窓を全開し床を 雑巾でふいてくれたが、その強力な匂いは 容易に消えなかった。  その間、先生は先に浴槽へ入り、気持ち よさそうに浸かっていた。私は先生と湯壺 にいっしょに漬かることに一瞬躊躇したが、 免疫機能が高まるまたとないチャンスでは ないかとの思いも何ゆえか突然こみあげて きて湯船に同席、お伴したしだいである。 ...

303. 教え子を再び何処へ送るのか

【2023年5月25日配信】   マスクをめぐる学校との苦闘                   千葉県 今野 ゆうひ  17歳                          2019年。新型コロナウイルスが突如 として私たちの生活に現れました。何もわ からないまま政府に舵をゆだね、ウイルス の災いとして ”コロナ禍” は四年目に突入し ました。 当時中学三年生だった私の日常も  “コロナ禍” によって一変しました。  外出自粛、一斉休校、ソーシャルディス タンス、マスク、消毒...   それら政策を半ば面白がりながら、20 21年まで三年間、流されて過ごしました。  人との接触をなるべく避けながらいかに 楽しめるか。マスクをしていかにおしゃれ をできるか。いつしか私たちの生活は“コロ ナ禍”ファーストへと姿を変えていました。  2021年、高校一年生になった私も“コ ロナ禍”ファーストな高校生活を送っていま した。  その年の夏、母と私は新型コロナと全く 同じ症状を発症。病院に行っても薬がない ので PCR検査などはしていませんが、あの 症状は確実に新型コロナだったと思います。 その時母と、“コロナ禍” ファーストな生活 をしていても感染はするし、普通の風邪と 同じように治るということに気づきました。  もちろん個人差はありますが、なぜここ まで徹底して感染源を特定したり外出制限 をしたりするのか、その時からじんわりと 疑問が生まれます。  経験は人を変化させますね。  そんなこんなで私と母は、自転車に乗っ ている時だけ。から始まり、すこしずつマ スクを外すことにしました。  ある日、母と一緒に近くの大きめのスー パーで買い物をすることになります。 「注意されるまでマスクしないで入ってみ るわ」  正直遊びの部分もありました。ちょっと 面倒くさくなっちゃったのです。強い意志 もないただのチャレンジだったので、何か 言われたらすぐ付けるつもりでした。  ところが、なんかいけちゃったのです。 一時間弱いたものの、誰にもなんにも言わ れず買い物終了。  なんということでしょう。今までやって きたことはなんだったんだと思うほどあっ けなくチャレンジは成功。今思えば、この スーパーで何か言われていたら、この文を 書くこともなかったで...

275. スポーツを文化にするために

【2022年10月10日配信】      「学生野球考」      慶應義塾大学野球部監督   前田 祐吉   史上最高演技   史上最高選手      勇気ある発言   「オンニ、ここで記念に一緒に撮りましょ」   「オレは笑わないが、笑って何が悪いんだ」  葉隠・武士道を覆す号泣                       「サード!もう一丁!」「ヨーシこい」 と いう元気な掛け声の間に、「カーン」と いう 快いバットの音がひびくグラウンドが 私の職 場である。だれもが真剣に野球に取 り組み、 どの顔もスポーツの喜びに輝いて いる。息子 ほどの年齢の青年たちに囲まれ、 好きな野球 に打ち込むことのできる私は、 つくづく、し あわせ者だと思う。  学生野球は教育の一環であるとか、野球 は人間形成の手段であるということがいわ れるが、私の場合、ほとんどそんな意識は ないし、まして自分が教育者だとも思わな い。どうしたらすべての野球部員がもっと 野球を楽しめるようになるのか、どうした らもっと強いチームになって、試合に勝ち、 選手と喜びを共にできるのか、ということ ばかり考えている。  野球に限らず、およそすべてのスポーツ は、好きな者同志が集まって、思いきり身 体を動かして楽しむためのもので、それに よって何の利益も求めないという、極めて 人間的な、文化の一形態である。百メート ルをどんなに早く走ろうと、ボールをどれ だけ遠くへカッ飛ばそうと、人間の実生活 には何の役にも立たない。しかし、短距離 走者はたった百分の一秒のタイムを縮める ために骨身をけずり、野球選手は十回の打 席にたった三本のヒットを打つために若い エネルギーを燃やす。その理由は、走るこ とが楽しく、打つことが面白いからにすぎ ない。さらにいえば、より早く走るための 努力の積み重ねが何物にも替えがたい喜び であり、より良く打つための苦心と練習そ のものに、生きがいが感じられるからであ る。  このように、スポーツは余暇を楽しみ、 生活を充実させるための手段で、それ以外 には何の目的もないはずである。むしろ目 的のないことがスポーツの特徴であり、試 合に勝つことや良い記録を出すことは、単 なる目標であって終局の目的ではない。  かつて超人的な猛練習でスピー...

381. 現代の課題と統一協会(続き)

 【2025年2月26日配信】        親友ヨッチにささげる手記          -最期まで友情を信じて-                  石川県河北郡津幡町                 書店員 22歳  酒井 由記子  人は、どんな人と巡り合うか、どんな本 と出会うかによって人生が決まってくると、 ある作家が述べていたのをふと思い出す。 私にとってはまさにそうであった。出会っ た人達も書物もとても大きな影響を残し、 忘れられない出来事となっていったのであ る。   一、高校生の頃  今から六年前(1977年)、私は金沢 二水高校の二年生であった。いや二年生と いうより吹奏楽部生というほうが適切であ るほど私は部活動に情熱を注ぎ込んでいた。 みんなでマラソン、腹筋運動をしてからだ を鍛えあげ、各パートごとでロングトーン をして基礎固めをなして、全員そろって校 舎中いっぱいに響きわたるハーモニーを歌 いあげる。それは、先輩、後輩、仲間達の 一致によって一つの音楽をつくり出すとい う喜びを存分に味わった私の青春時代の真 っ盛りであった。ただ残念なことは、部活 動に熱中すればするほど勉強のほうはさっ ぱり力がはいらなかったことである。中学 生のときは、「進学校にはいるために」と いうただそれだけの目的で受験勉強ができ た。しかし、いざ高校にはいってみると、 また「いい大学にはいるために」と先生方 が口をすっぱくして押しまくる文句に素直 になれなかった。勉強する本当の意味が見 出せなかったのである。その頃から、私は 人間は何のために生きるのだろうかという ことまで突っ込んで考えるようになってい った。  父母が書店を経営しているため本は充分 にあり、書物を読むことによって答えを見 出そうとした。私の強い求めに応じるかの ように一冊の本が転がり込んできた。クリ スチャン作家である三浦綾子さんの『あさ っての風』という随筆集であった。聖書の 言葉がそこに登場しており、それはズシリ と心に響いたのである。その本に魅せられ て三浦さんの自叙伝も何冊か読み進めてい った。しだいに私の魂は、人間をはるかに 越えた大いなる存在があることを感じてい った。確信までは至らなかったけれども、 それらの本...
         柿岡 時正
         廣田 克昭
         酒井 與郎
         黒沢  靖
         神尾 和子
         前田 祐吉
         廣田 克昭
         伊藤 正孝
         柿岡 時正
         広瀬 心二郎
         七尾 政治
         辰巳 国雄
         大山 文人
         島田 清次郎
         鶴   彬
         西山 誠一
         荒木田 岳
         加納 韻泉
         沢田 喜誠
         島谷 吾六
         宮保 英明
         青木 晴美
         山本 智美
         匂  咲子
         浅井 恒子
         浜田 弥生
         遠田 千鶴子
         米谷 艶子
         大矢場 雅楽子
         舘田 信子
         酒井 由記子
         酒井 由記子
         竹内 緋紗子
         幸村  明
         梅  時雄
         家永 三郎
         下村 利明
         廣田 克昭
         早津 美寿々
         木村 美津子
         酒匂 浩三
         永原 百合子
         竹津 清樹
         階戸 陽太
         山本 孝志
         谷口 留美
         早津 美寿々
         坂井 耕吉
         伊佐田 哲朗
         舘田 志保
         中田 美保
         北崎 誠一
         森  鈴井
         正見  巖
         正見  巖
         貝野  亨
         竹内 緋紗子
         滋野 真祐美
         佐伯 正博
         広瀬 心二郎
         西野 雅治
         竹内 緋紗子
         早津 美寿々
         御堂河内 四市
         酒井 與郎
         石崎 光春
         小林 ときお
         小川 文人
         広瀬 心二郎
         波佐場 義隆
         石黒 優香里
         沖崎 信繁
         山浦  元
         船橋 夕有子
         米谷 艶子
       ジョアキン・モンテイロ
         遠藤  一
         谷野 あづさ
         梅田 喜代美
         小林 ときお
         中島 孝男
         中村 秀人
         竹内 緋紗子
         笠尾  実
         前田 佐智子
         桐生 和郎
         伊勢谷 業
         伊勢谷 功
         中川 清基
         北出  晃
         北出  晃
         広瀬 心二郎
         石黒 優香里
         濱田 愛莉
         伊勢谷 功
         伊勢谷 功
         加納 実紀代
         細山田 三精
         杉浦 麻有子
         半田 ひとみ
         早津 美寿々
         広瀬 心二郎
         石黒 優香里
         若林 忠司
         若林 忠司
         橋本 美濃里
         田代 真理子
         花水 真希
         村田 啓子
         滋野 弘美
         若林 忠司
         吉本 行光
         早津 美寿々
         竹内 緋紗子
         市来 信夫
         西田 瑤子
         西田 瑤子
         高木 智子
         金森 燁子
         坂本 淑絵
         小見山 薫子
         広瀬 心二郎
         横井 瑠璃子
         野川 信治朗
         黒谷 幸子
         福永 和恵
         小社発信記事
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         秋山 郁美
         加藤 蒼汰
         森本 比奈子
         森本 比奈子
         吉村 三七治
         石崎 光春
         前田 佐智子
         前田 佐智子
         前田 佐智子
         前田 佐智子
         中野 喜佐雄
         八木  正
         堀  勇蔵
         家永 三郎
         広瀬 心二郎
         菅野 千鶴子
         海野 啓子
         菅野 千鶴子
         海野 啓子
         石井 洋三
         小島 孝一
         キャリー・マディ
         谷本 誠一
         宇部  功
         竹内 緋紗子
         谷本 誠一
         酒井 伸雄
163、コロナ禍の医療現場リポート
         竹口 昌志
164、この世とコロナと生き方を問う
         小社発信記事
165、コロナの風向きを変える取材
         橋本 美濃里
166、英断の新聞意見広告
         小社発信記事
167、ワクチン接種をしてしまった方へ
         小社発信記事
168、真実と反骨の質問
         小社発信記事
169、世論を逆転する記者会見
         小社発信記事
170、世界に響けこの音この歌この踊り
         小社発信記事
171、命の責任はだれにあるのか
         小社発信記事
172、歌人・芦田高子を偲ぶ(1)
         若林 忠司
173、歌人・芦田高子を偲ぶ(2)
         若林 忠司
174、歌人・芦田高子を偲ぶ(3)
         若林 忠司
175、ノーマスク学校生活宣言
         こいわし広島
176、白山に秘められた日本建国の真実
         新井 信介
177、G線上のアリア
         石黒 優香里
178、世界最高の笑顔
         小社発信記事
179、不戦の誓い(2)
         酒井 與郎
180、不戦の誓い(3)
         酒井 與郎
181、不戦の誓い(4)
         酒井 與郎
182、まだ軍服を着せますか?
         小社発信記事
183、現代時事川柳(六)
         早津 美寿々
184、翡翠の里・高志の海原
         永井 則子
185、命のおくりもの
         竹津 美綺 
186、魔法の喫茶店
         小川 文人 
187、市民メディアの役割を考える
         馬場 禎子 
188、当季雑詠
         表 古主衣 
189、「緑」に因んで
         吉村 三七治 
190、「鶴彬」特別授業感想文
         小社発信記事
191、「社会の木鐸」を失った記事
         小社発信記事
192、朝露(아침이슬)
         坂本 淑絵
193、変わりつつある世論
         小社発信記事
194、ミニコミ紙「ローカル列車」
         赤井 武治
195、コロナの本当の本質を問う①
         矢田 嘉伸
196、秋
         鈴木 きく
197、コロナの本当の本質を問う②
         矢田 嘉伸
198、人間ロボットからの解放
         清水 世織
199、コロナの本当の本質を問う③
         矢田 嘉伸
200、蟹
         加納 韻泉
201、雨降る永東橋
         坂本 淑絵
202、総選挙をふりかえって
         岩井 奏太
203、ファイザーの論理
         小社発信記事
204、コロナの本当の本質を問う④
         矢田 嘉伸
205、湯の人(その2)
         加藤 蒼汰
206、コロナの本当の本質を問う⑤
         矢田 嘉伸
207、哲学の時代へ(第1回)
         小社発信記事
208、哲学の時代へ(第2回)
         小川 文人
209、コロナの本当の本質を問う⑥
         矢田 嘉伸
210、読者・投稿者の方々へお願い
         小社発信記事
211、哲学の時代へ(第3回)
         小社発信記事
212、哲学の時代へ(第4回)
         小社発信記事
213、小説『金澤夜景』(2)
         広瀬 心二郎
214、小説『金澤夜景』(3)
         広瀬 心二郎