ゴマメの歯ぎしり
【2020年11月21日配信 NO.72】
題字 清水潮星庵 (B6判・240頁)
沖崎 信繁
「富来町ふるさとを守る会」が不定期に 、
町内向け ”かわら版”と位置づけて発行を続け
てきた『ふるさと』が、一九八五年(昭和六
十年)三月二日付けの第一号から十年を経過
した今年の正月に、第百六十号を発行するこ
とができました。
第一号には「富来町ふるさとを守る会」を、
『昭和五十八年七月、福浦や西海の方々を中
心に、能登原発建設に反対する町内の有志が
大同団結して結成されました。以後、学習会
を催したり、ビラ配り等の活動をしておりま
す。いま、能登原発は非常に重要な時期にさ
しかかっています。みなさんの温かいご支援
を心からお願い申し上げます。』
と自己紹介して、支援を要請しております。
この「守る会」結成の時期は、能登(志賀)
原発建設反対運動年表からみると、組織を挙
げて頑強に建設に反対する西海漁協(富来町)
つぶしの時期--すなわち、共同漁業権の十
年ごとの更新と三年ごとの巻き網漁の免許更
新が重なる一九八三年(昭和五十八年)に、
焦点を合わせ環境を整え、虎視眈々と機を狙
っていた県当局が強権をちらつかせ(海域調
査に同意しなければ免許更新を認めない。)、
西海漁協に圧力をかけて同意を取りつける非
道ぶりをほしいままにした時と同じくするこ
とが分かります。
この不法・不当の県当局の、なりふり構わ
ぬ悪代官ぶりに、危機感をつのらせた富来町
勤労者協議会を含む町内各地区の反原発グル
ープが団結してこれに対抗すべく結成された
のが「守る会」ですが、私が三十六年間の船
員稼業を定年退職して、 ”オカに上がったカ
ッパ” の仲間入りしたのが一九八五年三月で
すから、騒ぎが一段落した後になります。
それまでは家庭を留守にして外で働いてい
たこともあって、激しい原発建設反対運動が
あったことを断片的に耳にした程度で、ふる
さとでいま何が起こっているのか詳しいこと
を知らないままに過ごしましたが、そこに家
庭を持つ者のひとりとしてまことに無責任な
ことであったと、顧みて忸怩たる思いが尽き
ません。
私が能登原発建設反対運動に参加したのは、
一九八六年三月、「富来町ふるさとを守る会」
が取り組んだ「原子力発電所設置についての
町民投票に関する条例制定請求」の署名集め
に、船員時代の同僚から「手を貸してほしい」
と声をかけられたのがきっかけですが、それ
以降も運動を継続しているのは、署名集めに
回る中で、地区の有力者とその取り巻きに押
さえ込まれ牛耳られて、モノ言えぬ住民の如
何に多いかを実感させられたことと、条例制
定請求に対する富来町行政と町議会の町民無
視の対応を認めるワケにはまいらぬ、と固く
心に刻んだことが原点にあります。
法で定められた一か月間に集められ、選挙
管理委員会に提出された四〇二〇名分の署名
は、選管での審査の結果、三七五九名に減り
はしましたが(これは、この年の十月二十六
日を投票日とした町長選挙当日の有権者数・
九五二一人中投票数は無効票を含め七七六七
票でありましたが、当日町内に在って投票所
に足を運ばなかった者はわずかで、他の棄権
票の大部分は家庭を留守に乗船中の船員の分
であることは、富来町の実態から極めて明白
なことといえます。)、この三七五九名の署
名数は、有権者の実質半数に当たる人数であ
ることがお分かりいただけると思います。
「町民の代表である議会に諮るのが民主政
治であり、条例制定の必要を認めない」とす
る町長意見書を付して、町民の納得できる実
質審議のないままに議会の同意を取りつけ、
石川県当局からの圧力と北陸電力からの凄ま
じいばかりの金権攻勢の前に、見事にその期
待に応えたのが、「富来町・町民投票条例制
定請求」のお粗末な顛末であります。許せる
ことではありません。
しかも、町選管が審議中の四月二十六日に、
世紀の大惨事・チェルノブイリ原発事故が起
こっております。いくら何でも原発の危険性
についての町執行部・議会の認識があらたま
らないはずはないだろうとの期待は、掴まさ
れたカネの前に無力であることを思い知らさ
れました。
同年九月三日、厳重な警戒の中で行われた
「第一次公開ヒアリング」に、たとえそれが
手続き上の単なるセレモニーであるにしても、
言うべき時に、言うべき場所で言い分を明ら
かにするのも、反対の意思表示の一手段であ
ると考え、私は陳述に参加しました。
そして一九九〇年(平成二年)十月の町長
選挙に出馬しました。町民投票条例制定請求
署名に寄せられた多数の町民の願いに応える
ためには、たとえ非力ではあっても不退転の
姿勢を明らかにすることで責任を取るべきで
あると考え、切羽つまった中で町長選挙を闘
いました。しかし、カネも組織も知名度もな
い ”無い無いづくし”では、カネをたっぷりバ
ラまいてガッチリと組織を固める現職に歯が
立とうわけがなく、辻立ち街頭キャンペーン
の一本槍で対抗した選挙結果は、二十五%の
得票があったとはいえ一蹴されました。
私どもにとっては選挙の結果がどうであれ、
選挙が終わった後も主張を続けることが当然
の義務であり、支持してくださった有権者に
対する責務であると受けとめ、四年後の町長
選にも私は再度挑戦しましたが、二十五%の
壁を崩すことはできませんでした。
『ふるさと』第百号発行(1992・5・31)
の節目に、法律がご専門の富山大学教育学部
の淡川典子(あいかわみちこ)先生から、「
住民が主人公だ!」と題するご寄稿をいただ
いて掲載していますので、ここにあらためて
ご紹介します。
『侵略戦争をはじめる者が、これを侵略の
ためと云うはずがない。まさに自衛権の行
使がその口実となった歴史的事実を踏まえ
て、自衛のためであっても軍事的行動は採
らず、その準備もしないとするのが現行憲
法の平和主義の中核である。しかし封じら
れたのは、国際紛争を解決するための軍事
力のみであると云う者がいる。だが、国際
紛争と無関係にどうして自衛の必要が生じ
るのか。
解釈改憲を云う者がいる。だが、それは
解釈の枠内に納まっていることか。現行憲
法に書かれていないことからも、憲法制定
の意思を読みとるべきだ。いわゆる明治憲
法には統帥権規定があった。今、それはな
い。ちなみに、宮沢俊義編「世界憲法集」
(岩波文庫)を見てほしい。最高司令官(部)
は誰(どこ)であり、宣戦布告は誰がするの
か等々につき、各国の憲法の例を見ること
ができる。それらの規定は、わが憲法には
ない。つまり、いかなる意味でも軍隊は保
持しない、とするのがわが憲法の示すとこ
ろなのだ。
「否!否!数十年前には、それでよかった。
しかし、国際情勢は変わった。それに見合
った国際貢献が必要である」などと云う者
がいる。なるほど、あの頃は明確ではなか
ったが、今では鮮やかな歴史的事実がある。
軍事大国化は、崩壊か経済破綻の道である。
また、その窮状からの脱出のために、アメ
リカが湾岸戦争を準備したことが、すでに
明確になっている。
今、国際情勢が求めているのは、軍縮で
ある。そのプランをわれわれは持たなけれ
ばならない。このときに、海外派兵を国際
貢献とすることは、日本の過去の戦争の犯
罪性を棚にあげることによってしかなしえ
ない。
国連のPKO実務ガイドラインに、派遣国
選定基準がある。そのひとつは、安保理の
常任理事国を外す、ということ。しかし、
日本は常任理事国になりたがっており、P
KOでも活躍したがっている。 かかる自制
の欠如=野心を抱く日本が、国際的に認め
られようか。旧西ドイツと日本の国際的評
価の違いは、まさに、先の戦争犯罪につい
ての自省の有無の違いから導かれてもいる。
さらに、非核三原則を国是としながらアメ
リカ軍の核の持ち込みのチェックさえしな
い政治的鈍感さ(大人の知恵と評価されて
いるが)ゆえに、日本は国際関係において
期待されていない。
海外派兵→日本の軍事大国化の方向性は、
核武装化の現実性を示すものである。いま
世界は、いつ日本が核武装に踏み切るか、
と見ている。多くの日本人は、その視線に
あまりにも鈍感である。「北朝鮮」の核施
設についての日本の厳しい追求は、世界の
人々にはコッケイでさえあるだろう。世界
的に退却の方向にあるプルトニウムの利用
を、いよいよ大々的に日本は手掛けようと
している(六ケ所村)のだから、核の平和
利用=原子力発電は核兵器への転用を抱え
込んでいる存在だ。
これらのことに気づくことが、国際貢献
の第一歩なのだ。云いかえれば、国や自治
体が民主的法治国としての内実を獲得する
ことである。国や自治体がまず憲法を遵守
しなければならず、そうさせるのは、国民・
住民だ。残念ながら、戦後、再び長いもの
に巻かれて悲惨な事態を招来しないように
と全国民的な決意をしたにもかかわらず、
目前の事態は概して長いものに巻かれてし
まっている。政治を「政治の専門家」に「
お預け」したためであり、批判を、ケチを
つけるとしか捉えていない人々の多さにあ
る。
国や自治体は、公務を遂行するのである
から、自らの選択の根拠を示さなければな
らず、国民・住民が「お願い」するのでは
ない。「それはそうなれど、立てんにゃ」
という「大人の感覚」が支配する限り、住
民運動は成立すまい。批判が自他ともに深
める契機にならんことを祈りつつ。』
このたび、『ふるさと』第百六十号発行を
機に、これまでに紙上で主張したものの中か
ら何編かを選んで本にまとめておくことも、
自分を見つめ直す「よすが」になればと考え、
一冊にしました。署名を『ゴマメの歯ぎしり』
としたのは、「力量のない者が、無駄にくや
しがる」そのものの私の現在を言いえてふさ
わしいことから選びました。
先年、青森・六ケ所村の集会でお目にかか
ってから後、何かとご指導いただいておりま
す東海大学の山浦元(はじめ)先生に「序文」
をお願いしました。身に余る賛辞にかたじけ
なく思い、正直なところ戸惑っております。
有難うございました。
そして、題字は清水精一(湖星庵)先生か
らいただきました。清水先生は知る人ぞ知る
増穂浦の「歌仙貝」の収集、研究者として棋
界の第一人者として著名な方ですが、その余
の紹介は無用にということでありましたので、
他は省略いたします。
『ゴマメの歯ぎしり』(1995年6月・小社発行)
著者「あとがき」より
『ゴマメの歯ぎしり』帯の言葉
「沖崎に入れてくれ」、と泣いて親御さんに
頼んでくださった小学生。
Aコープでの辻立ちで、「あんたが勝ったら、
ホントに原発止めてくれるのか」と思いつめ
た眼差しで問いかけてくださった中学生。…
私のいただいた票には、票にはつながらない
お子さん方の願いや祈りのこもっていること
を重く受けとめ、責任を全うする決意をさら
に強くしております。(本文より)
おきざき のぶしげ
1928年 7月、石川県羽咋郡富来町
(現志賀町)赤崎生まれ
1935年 4月、西浦尋常高等小学校入学
1943年 4月、国立富山商船学校航海科入学
1948年11月、同校卒業
1949年 1月、日本水産(株)船舶部に
航海士として入社
1985年 3月、同社を定年退職
翌年から「富来町ふるさとを守る会」の
機関紙 『ふるさと』編集を担当
第35回「現代の声」講座提言者