ゴマメの歯ぎしり

【2020年11月21日配信 NO.72】 


題字 清水潮星庵 (B6判・240頁)                               

                  

                                                  沖崎 信繁


 「富来町ふるさとを守る会」が不定期に 、

町内向け ”かわら版”と位置づけて発行を続け

てきた『ふるさと』が、一九八五年(昭和六

十年)三月二日付けの第一号から十年を経過

した今年の正月に、第百六十号を発行するこ

とができました。


 第一号には「富来町ふるさとを守る会」を、

『昭和五十八年七月、福浦や西海の方々を中

心に、能登原発建設に反対する町内の有志が

大同団結して結成されました。以後、学習会

を催したり、ビラ配り等の活動をしておりま

す。いま、能登原発は非常に重要な時期にさ

しかかっています。みなさんの温かいご支援

を心からお願い申し上げます。』

と自己紹介して、支援を要請しております。


 この「守る会」結成の時期は、能登(志賀)

原発建設反対運動年表からみると、組織を挙

げて頑強に建設に反対する西海漁協(富来町)

つぶしの時期--すなわち、共同漁業権の十

年ごとの更新と三年ごとの巻き網漁の免許更

新が重なる一九八三年(昭和五十八年)に、

焦点を合わせ環境を整え、虎視眈々と機を狙

っていた県当局が強権をちらつかせ(海域調

査に同意しなければ免許更新を認めない。)、

西海漁協に圧力をかけて同意を取りつける非

道ぶりをほしいままにした時と同じくするこ

とが分かります。


 この不法・不当の県当局の、なりふり構わ

ぬ悪代官ぶりに、危機感をつのらせた富来町

勤労者協議会を含む町内各地区の反原発グル

ープが団結してこれに対抗すべく結成された

のが「守る会」ですが、私が三十六年間の船

員稼業を定年退職して、 ”オカに上がったカ

ッパ” の仲間入りしたのが一九八五年三月で

すから、騒ぎが一段落した後になります。


 それまでは家庭を留守にして外で働いてい

たこともあって、激しい原発建設反対運動が

あったことを断片的に耳にした程度で、ふる

さとでいま何が起こっているのか詳しいこと

を知らないままに過ごしましたが、そこに家

庭を持つ者のひとりとしてまことに無責任な

ことであったと、顧みて忸怩たる思いが尽き

ません。


 私が能登原発建設反対運動に参加したのは、

一九八六年三月、「富来町ふるさとを守る会」

が取り組んだ「原子力発電所設置についての

町民投票に関する条例制定請求」の署名集め

に、船員時代の同僚から「手を貸してほしい」

と声をかけられたのがきっかけですが、それ

以降も運動を継続しているのは、署名集めに

回る中で、地区の有力者とその取り巻きに押

さえ込まれ牛耳られて、モノ言えぬ住民の如

何に多いかを実感させられたことと、条例制

定請求に対する富来町行政と町議会の町民無

視の対応を認めるワケにはまいらぬ、と固く

心に刻んだことが原点にあります。


 法で定められた一か月間に集められ、選挙

管理委員会に提出された四〇二〇名分の署名

は、選管での審査の結果、三七五九名に減り

はしましたが(これは、この年の十月二十六

日を投票日とした町長選挙当日の有権者数・

九五二一人中投票数は無効票を含め七七六七

票でありましたが、当日町内に在って投票所

に足を運ばなかった者はわずかで、他の棄権

票の大部分は家庭を留守に乗船中の船員の分

であることは、富来町の実態から極めて明白

なことといえます。)、この三七五九名の署

名数は、有権者の実質半数に当たる人数であ

ることがお分かりいただけると思います。


 「町民の代表である議会に諮るのが民主政

治であり、条例制定の必要を認めない」とす

る町長意見書を付して、町民の納得できる実

質審議のないままに議会の同意を取りつけ、

石川県当局からの圧力と北陸電力からの凄ま

じいばかりの金権攻勢の前に、見事にその期

待に応えたのが、「富来町・町民投票条例制

定請求」のお粗末な顛末であります。許せる

ことではありません。


 しかも、町選管が審議中の四月二十六日に、

世紀の大惨事・チェルノブイリ原発事故が起

こっております。いくら何でも原発の危険性

についての町執行部・議会の認識があらたま

らないはずはないだろうとの期待は、掴まさ

れたカネの前に無力であることを思い知らさ

れました。


 同年九月三日、厳重な警戒の中で行われた

「第一次公開ヒアリング」に、たとえそれが

手続き上の単なるセレモニーであるにしても、

言うべき時に、言うべき場所で言い分を明ら

かにするのも、反対の意思表示の一手段であ

ると考え、私は陳述に参加しました。


 そして一九九〇年(平成二年)十月の町長

選挙に出馬しました。町民投票条例制定請求

署名に寄せられた多数の町民の願いに応える

ためには、たとえ非力ではあっても不退転の

姿勢を明らかにすることで責任を取るべきで

あると考え、切羽つまった中で町長選挙を闘

いました。しかし、カネも組織も知名度もな

い ”無い無いづくし”では、カネをたっぷりバ

ラまいてガッチリと組織を固める現職に歯が

立とうわけがなく、辻立ち街頭キャンペーン

の一本槍で対抗した選挙結果は、二十五%の

得票があったとはいえ一蹴されました。


 私どもにとっては選挙の結果がどうであれ、

選挙が終わった後も主張を続けることが当然

の義務であり、支持してくださった有権者に

対する責務であると受けとめ、四年後の町長

選にも私は再度挑戦しましたが、二十五%の

壁を崩すことはできませんでした。


 『ふるさと』第百号発行(1992・5・31)

の節目に、法律がご専門の富山大学教育学部

の淡川典子(あいかわみちこ)先生から、「

住民が主人公だ!」と題するご寄稿をいただ

いて掲載していますので、ここにあらためて

ご紹介します。



 『侵略戦争をはじめる者が、これを侵略の

 ためと云うはずがない。まさに自衛権の行

 使がその口実となった歴史的事実を踏まえ

 て、自衛のためであっても軍事的行動は採

 らず、その準備もしないとするのが現行憲

 法の平和主義の中核である。しかし封じら

 れたのは、国際紛争を解決するための軍事

 力のみであると云う者がいる。だが、国際

 紛争と無関係にどうして自衛の必要が生じ

 るのか。


  解釈改憲を云う者がいる。だが、それは

 解釈の枠内に納まっていることか。現行憲

 法に書かれていないことからも、憲法制定

 の意思を読みとるべきだ。いわゆる明治憲

 法には統帥権規定があった。今、それはな

 い。ちなみに、宮沢俊義編「世界憲法集」

    (岩波文庫)を見てほしい。最高司令官(部)

 は誰(どこ)であり、宣戦布告は誰がするの

 か等々につき、各国の憲法の例を見ること

 ができる。それらの規定は、わが憲法には

 ない。つまり、いかなる意味でも軍隊は保

 持しない、とするのがわが憲法の示すとこ

 ろなのだ。


   「否!否!数十年前には、それでよかった。

 しかし、国際情勢は変わった。それに見合

 った国際貢献が必要である」などと云う者

 がいる。なるほど、あの頃は明確ではなか

 ったが、今では鮮やかな歴史的事実がある。

 軍事大国化は、崩壊か経済破綻の道である。

 また、その窮状からの脱出のために、アメ

 リカが湾岸戦争を準備したことが、すでに

 明確になっている。


  今、国際情勢が求めているのは、軍縮で

 ある。そのプランをわれわれは持たなけれ

 ばならない。このときに、海外派兵を国際

 貢献とすることは、日本の過去の戦争の犯

 罪性を棚にあげることによってしかなしえ

 ない。


  国連のPKO実務ガイドラインに、派遣国

 選定基準がある。そのひとつは、安保理の

 常任理事国を外す、ということ。しかし、

 日本は常任理事国になりたがっており、P

 KOでも活躍したがっている。 かかる自制

 の欠如=野心を抱く日本が、国際的に認め

 られようか。旧西ドイツと日本の国際的評

 価の違いは、まさに、先の戦争犯罪につい

 ての自省の有無の違いから導かれてもいる。

 さらに、非核三原則を国是としながらアメ

 リカ軍の核の持ち込みのチェックさえしな

 い政治的鈍感さ(大人の知恵と評価されて

 いるが)ゆえに、日本は国際関係において

 期待されていない。


  海外派兵→日本の軍事大国化の方向性は、

 核武装化の現実性を示すものである。いま

 世界は、いつ日本が核武装に踏み切るか、

 と見ている。多くの日本人は、その視線に

 あまりにも鈍感である。「北朝鮮」の核施

 設についての日本の厳しい追求は、世界の

 人々にはコッケイでさえあるだろう。世界

 的に退却の方向にあるプルトニウムの利用

 を、いよいよ大々的に日本は手掛けようと

 している(六ケ所村)のだから、核の平和

 利用=原子力発電は核兵器への転用を抱え

 込んでいる存在だ。


  これらのことに気づくことが、国際貢献

 の第一歩なのだ。云いかえれば、国や自治

 体が民主的法治国としての内実を獲得する

 ことである。国や自治体がまず憲法を遵守

 しなければならず、そうさせるのは、国民・

 住民だ。残念ながら、戦後、再び長いもの

 に巻かれて悲惨な事態を招来しないように

 と全国民的な決意をしたにもかかわらず、

 目前の事態は概して長いものに巻かれてし

 まっている。政治を「政治の専門家」に「

 お預け」したためであり、批判を、ケチを

 つけるとしか捉えていない人々の多さにあ

 る。


  国や自治体は、公務を遂行するのである

 から、自らの選択の根拠を示さなければな

 らず、国民・住民が「お願い」するのでは

 ない。「それはそうなれど、立てんにゃ」

 という「大人の感覚」が支配する限り、住

 民運動は成立すまい。批判が自他ともに深

 める契機にならんことを祈りつつ。』


 このたび、『ふるさと』第百六十号発行を

機に、これまでに紙上で主張したものの中か

ら何編かを選んで本にまとめておくことも、

自分を見つめ直す「よすが」になればと考え、

一冊にしました。署名を『ゴマメの歯ぎしり』

としたのは、「力量のない者が、無駄にくや

しがる」そのものの私の現在を言いえてふさ

わしいことから選びました。


 先年、青森・六ケ所村の集会でお目にかか

ってから後、何かとご指導いただいておりま

す東海大学の山浦元(はじめ)先生に「序文」

をお願いしました。身に余る賛辞にかたじけ

なく思い、正直なところ戸惑っております。

有難うございました。

 そして、題字は清水精一(湖星庵)先生か

らいただきました。清水先生は知る人ぞ知る

増穂浦の「歌仙貝」の収集、研究者として棋

界の第一人者として著名な方ですが、その余

の紹介は無用にということでありましたので、

他は省略いたします。


『ゴマメの歯ぎしり』(1995年6月・小社発行)

 著者「あとがき」より


 









           『ゴマメの歯ぎしり』帯の言葉

  「沖崎に入れてくれ」、と泣いて親御さんに

   頼んでくださった小学生。

   Aコープでの辻立ちで、「あんたが勝ったら、

   ホントに原発止めてくれるのか」と思いつめ

   た眼差しで問いかけてくださった中学生。…

   私のいただいた票には、票にはつながらない

 お子さん方の願いや祈りのこもっていること

 を重く受けとめ、責任を全うする決意をさら

 に強くしております。(本文より)

 

 

おきざき のぶしげ

1928年  7月、石川県羽咋郡富来町

                     (現志賀町)赤崎生まれ

1935年  4月、西浦尋常高等小学校入学

1943年  4月、国立富山商船学校航海科入学

1948年11月、同校卒業

1949年  1月、日本水産(株)船舶部に

        航海士として入社

1985年  3月、同社を定年退職

翌年から「富来町ふるさとを守る会」の

機関紙 『ふるさと』編集を担当

第35回「現代の声」講座提言者

      

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 【2025年2月26日配信】        親友ヨッチにささげる手記          -最期まで友情を信じて-                  石川県河北郡津幡町                 書店員 22歳  酒井 由記子  人は、どんな人と巡り合うか、どんな本 と出会うかによって人生が決まってくると、 ある作家が述べていたのをふと思い出す。 私にとってはまさにそうであった。出会っ た人達も書物もとても大きな影響を残し、 忘れられない出来事となっていったのであ る。   一、高校生の頃  今から六年前(1977年)、私は金沢 二水高校の二年生であった。いや二年生と いうより吹奏楽部生というほうが適切であ るほど私は部活動に情熱を注ぎ込んでいた。 みんなでマラソン、腹筋運動をしてからだ を鍛えあげ、各パートごとでロングトーン をして基礎固めをなして、全員そろって校 舎中いっぱいに響きわたるハーモニーを歌 いあげる。それは、先輩、後輩、仲間達の 一致によって一つの音楽をつくり出すとい う喜びを存分に味わった私の青春時代の真 っ盛りであった。ただ残念なことは、部活 動に熱中すればするほど勉強のほうはさっ ぱり力がはいらなかったことである。中学 生のときは、「進学校にはいるために」と いうただそれだけの目的で受験勉強ができ た。しかし、いざ高校にはいってみると、 また「いい大学にはいるために」と先生方 が口をすっぱくして押しまくる文句に素直 になれなかった。勉強する本当の意味が見 出せなかったのである。その頃から、私は 人間は何のために生きるのだろうかという ことまで突っ込んで考えるようになってい った。  父母が書店を経営しているため本は充分 にあり、書物を読むことによって答えを見 出そうとした。私の強い求めに応じるかの ように一冊の本が転がり込んできた。クリ スチャン作家である三浦綾子さんの『あさ っての風』という随筆集であった。聖書の 言葉がそこに登場しており、それはズシリ と心に響いたのである。その本に魅せられ て三浦さんの自叙伝も何冊か読み進めてい った。しだいに私の魂は、人間をはるかに 越えた大いなる存在があることを感じてい った。確信までは至らなかったけれども、 それらの本...

388. 七五調の源流・歌垣

 【2025年3月24日配信】   この土手に                                       作家 広瀬 心二郎                                 「この土手にのぼるべからず警視庁」と いう、昔はよく町のあちこちで見かけたよ うな立札みたいな文句ですが、これはだい ぶ昔に私が買って読んだ俳句の入門書に、 五七五の十七音表現の身近な一例として、 その最初の方のページに取りあげてあった ものなんです。  どなたの書かれたものだったか、どこの 出版社からだったか、すべて忘れてしまい まして、筆者の方には申しわけありません。 その入門書の意図ですが、この立札の警視 庁の警告文も五、七、五の形にはなってい るけれど、俳句でも川柳でもなんでもない。 では俳句とはどういうものか、これからよ くわかるように教えてあげます、というい わゆる「つかみ」になっているわけなんで す。  そう。俳句、川柳ばかりでなく、立札、 ポスターの標語、演歌、歌謡曲、今でいう  CMのキャッチ・コピーなどなど、あれも これも、とにかく日本人の日常に五七五の 形は溢れています。  ことに演歌には、圧倒的に多いのではな いでしょうか。  ためしに、好きな歌を口ずさんでみてく ださい。たぶん、多くは七五調。で、歌っ て、昔の恋を思い出して泣いて笑って、あ あよかった。それですむ人が世の中のほと んどかもしれませんが、天邪鬼、へそ曲が り、つむじ曲がりの私は、ついつい、なぜ、 五七五なのか、考え始めてしまいました。 昔の三球照代さんという漫才のご夫婦の、 「考えてたら眠れなくなっちゃった」とい うギャグが思い出されてなりません。  しかし、なぜ、ほんとうに、五七五、七 五調なのでしょう。生来ひつっこい私はそ の後の人生を途切れ途切れに、この謎を追 いかけてきました。何年も、何十年も。考 えてたら眠れなくなったというほどではな いのですが。ものの本を調べてみたり、少 しずつ色んな説に耳を傾けたり。  すると農耕民族である日本人がその日常 の農作業の中から獲得していった独...

303. 教え子を再び何処へ送るのか

【2023年5月25日配信】   マスクをめぐる学校との苦闘                   千葉県 今野 ゆうひ  17歳                          2019年。新型コロナウイルスが突如 として私たちの生活に現れました。何もわ からないまま政府に舵をゆだね、ウイルス の災いとして ”コロナ禍” は四年目に突入し ました。 当時中学三年生だった私の日常も  “コロナ禍” によって一変しました。  外出自粛、一斉休校、ソーシャルディス タンス、マスク、消毒...   それら政策を半ば面白がりながら、20 21年まで三年間、流されて過ごしました。  人との接触をなるべく避けながらいかに 楽しめるか。マスクをしていかにおしゃれ をできるか。いつしか私たちの生活は“コロ ナ禍”ファーストへと姿を変えていました。  2021年、高校一年生になった私も“コ ロナ禍”ファーストな高校生活を送っていま した。  その年の夏、母と私は新型コロナと全く 同じ症状を発症。病院に行っても薬がない ので PCR検査などはしていませんが、あの 症状は確実に新型コロナだったと思います。 その時母と、“コロナ禍” ファーストな生活 をしていても感染はするし、普通の風邪と 同じように治るということに気づきました。  もちろん個人差はありますが、なぜここ まで徹底して感染源を特定したり外出制限 をしたりするのか、その時からじんわりと 疑問が生まれます。  経験は人を変化させますね。  そんなこんなで私と母は、自転車に乗っ ている時だけ。から始まり、すこしずつマ スクを外すことにしました。  ある日、母と一緒に近くの大きめのスー パーで買い物をすることになります。 「注意されるまでマスクしないで入ってみ るわ」  正直遊びの部分もありました。ちょっと 面倒くさくなっちゃったのです。強い意志 もないただのチャレンジだったので、何か 言われたらすぐ付けるつもりでした。  ところが、なんかいけちゃったのです。 一時間弱いたものの、誰にもなんにも言わ れず買い物終了。  なんということでしょう。今までやって きたことはなんだったんだと思うほどあっ けなくチャレンジは成功。今思えば、この スーパーで何か言われていたら、この文を 書くこともなかったで...

261. 知られざる歴史「海に消えた布引丸」

【2022年7月19日配信】            アジア連帯への熱情              金沢市 山口 隆重                兼六園近くの小立野台に建つ紫錦台中学 校、ここはかつて旧制金沢第二中学校があ ったところだ。  今から40年ほど前、大正二桁生まれの この旧制二中卒業生を主なメンバーとする 十数人が、「二十一世紀を語る夢の会」な る親睦会をつくった。  親睦会といっても酒好きの彼らは、この 夢の会発足前からも、毎夕仕事帰りに各自 それぞればらばらに市内の片町や香林坊の 居酒屋、小料理屋で顔を合わせ、夢の会を 開いていたのだが、そこでは国政や県政、 社会、教育、海外情勢などあらゆる時事問 題、身近な話題をだれに遠慮することなく 忌憚なく熱く語り合っていた。  彼らの多くは定年間近のサラリーマンで、 県庁、市役所、郵便局、学校、新聞社、専 売公社、電電公社、国鉄、労働組合などに 勤めていた。若き日、戦場を体験した世代 である。彼らは多くの友人や親、兄弟たち を失っていた。戦争否定は言わずもがなの 彼らの共通認識であった。また、高学歴で ありながら「長」の付く要職を拒んだ人た ちでもあった。東大、早稲田、慶応を出て いようと彼らは平社員、平教員を貫いた。 満鉄退職後、県庁に勤めていた人もいた。  居酒屋で彼らとよく顔をあわせていた私 は、なぜか彼らに可愛がられて、いつの間 にか親子ほども歳の離れた特別会員となっ てしまった。私は旅行代理業をしていたこ ともあって年に数回、「夢の会懇親旅行」 を企画、担当し、彼らを日本各地の名所へ 案内した。  このメンバーの中に、林政文の孫の林さ んという方がいた。林さんの父は林政武で、 第4代の北國新聞社長だった。祖父が第2 代社長の林政文である。  なお、初代は政文の実兄の赤羽万次郎で あり、3代目は政文の義父・林政通である。  林政武は昭和18年(1943年) に亡くなり、 同社の経営は林家から離れた。赤羽家、林 家は長野県松本市出身だった。   明治26年(1893年) 8月5日、金沢で 『北國新聞』を創刊した赤羽万次郎は、こ の創刊号で「わが北國新聞は、公平を性と し、誠実を体とし、正理を経とし、公益を 緯とす。わが北國新聞は、超然として、党 派外に卓立す」と社是を宣言し...
         柿岡 時正
         廣田 克昭
         酒井 與郎
         黒沢  靖
         神尾 和子
         前田 祐吉
         廣田 克昭
         伊藤 正孝
         柿岡 時正
         広瀬 心二郎
         七尾 政治
         辰巳 国雄
         大山 文人
         島田 清次郎
         鶴   彬
         西山 誠一
         荒木田 岳
         加納 韻泉
         沢田 喜誠
         島谷 吾六
         宮保 英明
         青木 晴美
         山本 智美
         匂  咲子
         浅井 恒子
         浜田 弥生
         遠田 千鶴子
         米谷 艶子
         大矢場 雅楽子
         舘田 信子
         酒井 由記子
         酒井 由記子
         竹内 緋紗子
         幸村  明
         梅  時雄
         家永 三郎
         下村 利明
         廣田 克昭
         早津 美寿々
         木村 美津子
         酒匂 浩三
         永原 百合子
         竹津 清樹
         階戸 陽太
         山本 孝志
         谷口 留美
         早津 美寿々
         坂井 耕吉
         伊佐田 哲朗
         舘田 志保
         中田 美保
         北崎 誠一
         森  鈴井
         正見  巖
         正見  巖
         貝野  亨
         竹内 緋紗子
         滋野 真祐美
         佐伯 正博
         広瀬 心二郎
         西野 雅治
         竹内 緋紗子
         早津 美寿々
         御堂河内 四市
         酒井 與郎
         石崎 光春
         小林 ときお
         小川 文人
         広瀬 心二郎
         波佐場 義隆
         石黒 優香里
         沖崎 信繁
         山浦  元
         船橋 夕有子
         米谷 艶子
       ジョアキン・モンテイロ
         遠藤  一
         谷野 あづさ
         梅田 喜代美
         小林 ときお
         中島 孝男
         中村 秀人
         竹内 緋紗子
         笠尾  実
         前田 佐智子
         桐生 和郎
         伊勢谷 業
         伊勢谷 功
         中川 清基
         北出  晃
         北出  晃
         広瀬 心二郎
         石黒 優香里
         濱田 愛莉
         伊勢谷 功
         伊勢谷 功
         加納 実紀代
         細山田 三精
         杉浦 麻有子
         半田 ひとみ
         早津 美寿々
         広瀬 心二郎
         石黒 優香里
         若林 忠司
         若林 忠司
         橋本 美濃里
         田代 真理子
         花水 真希
         村田 啓子
         滋野 弘美
         若林 忠司
         吉本 行光
         早津 美寿々
         竹内 緋紗子
         市来 信夫
         西田 瑤子
         西田 瑤子
         高木 智子
         金森 燁子
         坂本 淑絵
         小見山 薫子
         広瀬 心二郎
         横井 瑠璃子
         野川 信治朗
         黒谷 幸子
         福永 和恵
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         秋山 郁美
         加藤 蒼汰
         森本 比奈子
         森本 比奈子
         吉村 三七治
         石崎 光春
         前田 佐智子
         前田 佐智子
         前田 佐智子
         前田 佐智子
         中野 喜佐雄
         八木  正
         堀  勇蔵
         家永 三郎
         広瀬 心二郎
         菅野 千鶴子
         海野 啓子
         菅野 千鶴子
         海野 啓子
         石井 洋三
         小島 孝一
         キャリー・マディ
         谷本 誠一
         宇部  功
         竹内 緋紗子
         谷本 誠一
         酒井 伸雄
163、コロナ禍の医療現場リポート
         竹口 昌志
164、この世とコロナと生き方を問う
         小社発信記事
165、コロナの風向きを変える取材
         橋本 美濃里
166、英断の新聞意見広告
         小社発信記事
167、ワクチン接種をしてしまった方へ
         小社発信記事
168、真実と反骨の質問
         小社発信記事
169、世論を逆転する記者会見
         小社発信記事
170、世界に響けこの音この歌この踊り
         小社発信記事
171、命の責任はだれにあるのか
         小社発信記事
172、歌人・芦田高子を偲ぶ(1)
         若林 忠司
173、歌人・芦田高子を偲ぶ(2)
         若林 忠司
174、歌人・芦田高子を偲ぶ(3)
         若林 忠司
175、ノーマスク学校生活宣言
         こいわし広島
176、白山に秘められた日本建国の真実
         新井 信介
177、G線上のアリア
         石黒 優香里
178、世界最高の笑顔
         小社発信記事
179、不戦の誓い(2)
         酒井 與郎
180、不戦の誓い(3)
         酒井 與郎
181、不戦の誓い(4)
         酒井 與郎
182、まだ軍服を着せますか?
         小社発信記事
183、現代時事川柳(六)
         早津 美寿々
184、翡翠の里・高志の海原
         永井 則子
185、命のおくりもの
         竹津 美綺 
186、魔法の喫茶店
         小川 文人 
187、市民メディアの役割を考える
         馬場 禎子 
188、当季雑詠
         表 古主衣 
189、「緑」に因んで
         吉村 三七治 
190、「鶴彬」特別授業感想文
         小社発信記事
191、「社会の木鐸」を失った記事
         小社発信記事
192、朝露(아침이슬)
         坂本 淑絵
193、変わりつつある世論
         小社発信記事
194、ミニコミ紙「ローカル列車」
         赤井 武治
195、コロナの本当の本質を問う①
         矢田 嘉伸
196、秋
         鈴木 きく
197、コロナの本当の本質を問う②
         矢田 嘉伸
198、人間ロボットからの解放
         清水 世織
199、コロナの本当の本質を問う③
         矢田 嘉伸
200、蟹
         加納 韻泉
201、雨降る永東橋
         坂本 淑絵
202、総選挙をふりかえって
         岩井 奏太
203、ファイザーの論理
         小社発信記事
204、コロナの本当の本質を問う④
         矢田 嘉伸
205、湯の人(その2)
         加藤 蒼汰
206、コロナの本当の本質を問う⑤
         矢田 嘉伸
207、哲学の時代へ(第1回)
         小社発信記事
208、哲学の時代へ(第2回)
         小川 文人
209、コロナの本当の本質を問う⑥
         矢田 嘉伸
210、読者・投稿者の方々へお願い
         小社発信記事
211、哲学の時代へ(第3回)
         小社発信記事
212、哲学の時代へ(第4回)
         小社発信記事
213、小説『金澤夜景』(2)
         広瀬 心二郎
214、小説『金澤夜景』(3)
         広瀬 心二郎