263. 老人と洞窟・縄文のひびき
【2022年7月31日配信】小社発信記事
大境洞窟にて
当講座の NO.84の記事で紹介した国指定
「史跡」文化財の富山県氷見市の大境洞窟
遺跡を一度見ておかなくてはと思いたち、
意を決してきょう行って来た。
富山湾の島尾海岸から海に沿って北上、
大境あたりまで来たが、どこにその洞窟が
あるのか分からない。道の脇に「大境洞窟
遺跡駐車場」の看板があったので、駐車場
へ行ってみると満車で車を入れられない。
数十台も止まっている。大阪や岐阜、足立
ナンバーなど県外の車も多数あった。
こんなに大勢の人が洞窟を見に来ている
のかとびっくりしたが、聞くと全員海水浴
客だった。近くの海辺で家族連れの人たち
が、夏休み・日曜日の海を楽しんでいた。
「洞窟はどこですか」と尋ねたが、誰もが
「知らない」と言う。高岡市や富山市の人
ですら知らないと応えた。
仕方なくもと来た道に戻ると、ひとりの
相当高齢の老人が荒々しい姿で道端に立っ
ていた。ひと目で漁師と分かるいでたちだ。
「洞窟はどこけ」と聞くと、「あこや」と
相当離れたところを指さす。「あこてどこ
いね」とまた聞くと、「あこいや」と荒々
しい声でまた指をさした。荒々しいのは姿
だけではなかった。
そこがどこかも分からずに指さす方向に
行ってはみたが、それらしきものはない。
岩肌を削って漁具を入れっぱなしにしてあ
る穴のようなものがあったので、これが国
指定の洞窟かと覗いていると、さきほどの
老人がどこからともなく軽トラに乗って現
われ、「そこんねえ。あこや、あこ。鳥居
があっとこや」と言葉がますます荒々しく
なった。
そこから数十メートル先の漁港近くにあ
る鳥居まで行くと、近くにまた老人が立っ
ている。「鳥居のどこにあるが」と尋ねる
と、「えーい、神社のうしろや」と血管が
切れそうになっている。私は、「いっしょ
に行かんけ」と誘ったが、「ひとりで行っ
てこーい」と、しまいには怒鳴りつけられ
てしまった。
母の実家が漁師だったので私は幼いころ
多くの漁師を見てきたせいか、この老人の
姿、気性に懐かしさと嬉しさを感じていた。
幼少のころの記憶も突然よみがえってきた。
こんな場所に洞窟があるとは想像外だった。
「洞窟を見に来る人はおるけ」と問うと、
「あんたぐらいのもんや。かたかわりしか
来んちゃ」。
鳥居のすぐうしろに白山社の小さな拝殿
がつくられていて、そのまたすぐうしろに
は、さらに小さな本殿が洞窟の中におさま
っている。祭神はイザナミ。洞窟の奥行き
があまりに狭い。この中に縄文の暮らしが
あったとは思えなかった。洞窟の穴は海に
向けて南東に開いていた。
ウィキペディアによると、この遺跡は、
「6つの文化層を持つ縄文中期から中世の
複合遺跡であり、骨や土器、陶磁器、人骨、
獣の骨が出土した。1918年、日本初の
洞窟遺跡の発掘調査であるとともに、本格
的な層位学的調査の嚆矢となるものであっ
た」とあるが、それほど貴重で稀有なもの
ならもう少し芸があってもいいような気も
する。
私の見たところ、ひとことで言えば、こ
の遺跡は大発見でありながらほったらかし
である。でも、それはそれでいいような気
もする。あまりに芸の多い、かつむやみに
観光化しすぎる遺跡がありすぎるように思
えるからだ。この遺跡とその周囲の様子を
見ていると、観光案内もせずできるかぎり
ほったらかしにする、公開はするが極力人
目につかないようにするというのが、最も
いい保存方法であるという気がしてきた。
漁をしていた縄文人が住んだ洞窟は、お
そらく能登半島の富山湾側と能登半島外海
から越前海岸にある岩壁一帯に多数あって、
たまたま祠を洞窟の中にこしらえたからこ
そここ大境の洞窟遺跡が発見されただけで
はないか、また、岩壁のない海辺でも多数
の縄文集落があったのではないか、さらに
日本中にも、と思うに至った。
老人は大境の人に相違ない。荒々しさで
優しさを隠していたのだ。大境の漁村に住
む人たちは、遺跡を数千年もほったらかし
にしながら、数千年間これを守り抜いてき
たのだろう。洞窟の見学を終えあたりを見
まわしても、どこかに隠れたのか、老人の
姿はもうどこにも見えなかった。
帰りは七尾市の海岸をまわって来たが、
県境の海に白い島が浮かんでいた。氷山が
顔を出しているかのようだった。午前11
時ごろだった。初め私はそれが仏島だとは
気づかなかった。真夏の暑い太陽の光に島
全体が真っ白く照らされていたのである。
以前、暴風雪の日に見た仏島は、真っ黒に
見えていた。 (当講座編集人)
2022.8.12の仏島
〈参考〉
当講座記事NO.218、229、256の記事に
仏島の写真があります。
2019.4.5 日の出直前の仏島
シャッターを切る寸前に紫色が一瞬出現
上の写真3枚は木偶乃坊写楽さんの撮影
大境洞窟住居跡 - Wikipedia
大境洞窟住居跡写真 - とやま観光ナビ
2022.8.13 ゲリラライブ(於軽井沢)
マドモアゼル・愛さんとの対談
新井信介さん「瓊音(ぬなと)チャンネル」から
〈後記〉
当講座記事 NO.176 の執筆者で
長野県中野市在住の文明アナリ
スト・新井信介さんに誘われて、
上記のコンサートを聴きに行っ
てきました。
帰り、高社山が気になり高社山
を見ながら千曲川の左岸右岸を
行ったり来たりして、飯山市、
栄村を回って、金沢に戻ってき
ました。高校時代、山岳部にい
た頃を思い出しました。
飯山市北側からは高社山の山頂
と思われるところも見えました。
千曲川両岸はかつて、長い野に
馬がたくましく駆け巡っていた
のでは、と思いました。
中野市の柳沢遺跡も気になると
ころです。
越の国は北信濃も含めるべきで、
越の中心は、実は高社山と千曲
川を目視できる地にあった(新
井説)のではないかという思い
も巡りました。
北信濃の空気は北陸に比べて圧
倒的な爽やかさですが、自然の
景色は人工的な配慮がなされて
いるようにも感じました。
また、「高」の付く山や川など
の名は高句麗とつながっている
ような気もします。
新井史観のさらなる展開に期待
しています。
なお上の写真の右横または中を
左クリックすると拡大できます。
(2022.8.14 当講座編集人)