388. 七五調の源流・歌垣
【2025年3月24日配信】
この土手に
作家 広瀬 心二郎
「この土手にのぼるべからず警視庁」と
いう、昔はよく町のあちこちで見かけたよ
うな立札みたいな文句ですが、これはだい
ぶ昔に私が買って読んだ俳句の入門書に、
五七五の十七音表現の身近な一例として、
その最初の方のページに取りあげてあった
ものなんです。
どなたの書かれたものだったか、どこの
出版社からだったか、すべて忘れてしまい
まして、筆者の方には申しわけありません。
その入門書の意図ですが、この立札の警視
庁の警告文も五、七、五の形にはなってい
るけれど、俳句でも川柳でもなんでもない。
では俳句とはどういうものか、これからよ
くわかるように教えてあげます、というい
わゆる「つかみ」になっているわけなんで
す。
そう。俳句、川柳ばかりでなく、立札、
ポスターの標語、演歌、歌謡曲、今でいう
CMのキャッチ・コピーなどなど、あれも
これも、とにかく日本人の日常に五七五の
形は溢れています。
ことに演歌には、圧倒的に多いのではな
いでしょうか。
ためしに、好きな歌を口ずさんでみてく
ださい。たぶん、多くは七五調。で、歌っ
て、昔の恋を思い出して泣いて笑って、あ
あよかった。それですむ人が世の中のほと
んどかもしれませんが、天邪鬼、へそ曲が
り、つむじ曲がりの私は、ついつい、なぜ、
五七五なのか、考え始めてしまいました。
昔の三球照代さんという漫才のご夫婦の、
「考えてたら眠れなくなっちゃった」とい
うギャグが思い出されてなりません。
しかし、なぜ、ほんとうに、五七五、七
五調なのでしょう。生来ひつっこい私はそ
の後の人生を途切れ途切れに、この謎を追
いかけてきました。何年も、何十年も。考
えてたら眠れなくなったというほどではな
いのですが。ものの本を調べてみたり、少
しずつ色んな説に耳を傾けたり。
すると農耕民族である日本人がその日常
の農作業の中から獲得していった独特のリ
ズムなのではないか。つまり、体が覚えた
リズムなんだろう。こういったところが、
一番有力な答えだということがわかってき
ました。
でも、ある頃からちょっと私にはある考
えが生まれまして、歌が文字として書かれ
る以前に、つまり万葉集とかの作品として
文字になる以前に、ただ歌うものとしての
歌があったはずで、その段階にこそ七五調
という音数律が生まれる理由があったんじ
ゃないか、というものです。農耕民族のリ
ズムという同じ結論が出るとしても、その
あたり、追いかけてみる価値がありはしな
いか。
現代という、文字による表現があって当
たり前の時代に生きる私たちには、一種不
思議ではありますが、文字に頼らない、音、
声だけの歌の時代が、あった。
それで私が着目したものが、噂に聞く歌
垣というものの存在でした。もしかしたら、
このあたりが、七五調の日本の伝統定型詩
の源流なんじゃないか。
そもそも、人が歌うということに最も密
接な関係のあるものといえば、男女の関係
ではないでしょうか。今も変わりありませ
ん。恋というものは、成就してもしなくて
も歌になる。目先の糧を獲得するために過
酷な日々を送る人々に、束の間でも歌が生
まれるような瞬間があるとすれば、そうな
ります。
それで、歌垣。
ある地方の若い男女が適齢期になってく
ると、ある決まった場所に集まって、恋を
歌ったりして、誘ったり誘われたり、今で
いう合コンみたいにしていた。字なんか書
けなくたって、歌うことはできる。現に万
葉集の初期の作品には、そういうものがあ
る(茨城の筑波山周辺の歌垣で作られたも
の)。それからまた佐賀白石町の歌垣など
は、今の時代の町興しのテーマにもなって
います。あちこちに合コン・センターみた
いにしてあったようなんです。
そんな考えに取りつかれていた折も折、
新聞で、『歌垣の世界』という本の広告を
みつけまして、ルーズな私にしては珍しく
即決、すぐに取りよせました。年金が少な
くてケチってばかりいる爺さんにはちょっ
と値が張りましたが、現地の様子を写した
DVD付きならしかたがない。
その本は、大東文化大教授の工藤隆先生
が、長江以南の中国少数民族につい最近ま
で残っていた歌垣の風習について研究、も
のされた一冊です。でも、中国の近代化の
波の中で、それはもうほとんど消えかけて
いる風習だということです。
その希少な、現地の現実の歌垣の様子が、
付属の DVD に録画されています。 若者た
ちが、数人ずつ男と女のそれぞれのグルー
プで、ある場所に集まり、ちょっと甲高い
声で歌を投げかけます。その節回しですが、
私には、我が国に残るいわゆる「木やり」、
とか古い民謡を思い起こさせるものでした。
ある程度決まったパターンのある節回しら
しい。
それで、それで、です。先生が彼らのそ
の歌の内容を調べてみたところ、なんと、
現地の言葉で、七音五音の繰り返しででき
ているというんです。しかも少数民族の多
くが同様の音数律の歌垣を持っていた。思
わず叫んでしまいました。
ビンゴ!
まあ、おどろきもものきさんしょのき。
やはり歌垣に七五調の源流はあったのです。
しかも、なんと日本民族独自のものではな
くて、広くアジアの一定の地方の諸民族に
その起源がある、ということなんです。
工藤先生は、歌垣文化圏と名付けていま
す。それはその長江以南の中国少数民族の
暮らす地方から、東は日本の筑波山にまで
広がるものだという。しかもすでに紀元前
から、あったのだろうということです。
どうもその少数民族というのは、私の考
えでは、政治難民という色合いが少し、あ
るのではないか。
たとえば、イ族。現在大涼山脈という標
高三千メートルクラスの高地に農業を主な
なりわいとして暮らす彼らのルーツは、実
は世界にも稀有な巨大青銅器文化で知られ
る三星堆である。それが動乱によって高地
に逃げ上ったんだといいます。 NHK でや
ってました。日本の源平の執拗な闘いを想
起させます。
大陸の絶え間ない動乱を避けるには、僻
地にひっそりと暮らすしかない。そんな政
治難民としての少数民族が思い切って海を
渡って、日本列島にたどり着き、この日本
というクニの、文化の古層を形成していっ
たということではないでしょうか。勿論稲
作、そして着物の文化も、そこに含まれは
しないか。先日たまたまある民放のテレビ
で、まさにその中国少数民族を取りあげて
いまして、歯を黒々と塗ったおばちゃんた
ちが登場して、びっくりしました。そう、
かつての日本の既婚女性の、お歯黒の風習
なども彼らに由来するものなんでしょう。
しかし、私のほんとにいい加減な推論に
過ぎません。しかも、七五調のひとつの有
力なルーツがアジアの歌垣文化圏にあった、
とわかっただけで、ではなぜ七五調なのか、
五七五なのか、人間の生理が理由なのか、
あるいは日本語を含む言語の側の特性なの
か、まったく解決になっていないのです。
それは、これからです。
この「現代の声」講座の読者で、これを
読んでくれている若者(気持ちの若い人)
がいらっしゃるなら、アジアにルーツのあ
る七五調の研究なんて一生をかけるに足る
テーマだと思うんですが、どうでしょうか。
当講座記事NO.150再掲
〈参考〉
『歌垣の世界 歌垣文化圏の中の日本』
著者 工藤 隆(勉誠出版、2015年)
第33回(2015年度) 志田延義賞受賞。
志田延義氏は、国文学者。専門は日本
古代歌謡。富山市出身。
上記の記事を読めば、私見だが、七音
五音は数学の数や神と関連しているの
ではないだろうか。また、五七五七七
の和歌の起源は、歌垣における男女の
歌が合作されたものではないだろうか。
さらにまた、当講座のNO. 352 の記事
で言及した都はるみの歌声は、古代の
日本・アジアの歌声と通底していると
いうことになるのでは。化石のように。
奇蹟のように。踊りや楽器も。民謡も、
和歌も。その歌垣の、源はいずこに。
同記事も併せて参照していただきたい。
(当講座編集人)
当講座の NO. 10、60、69、92、102、
122にも広瀬心二郎さんの記事を掲載。
NO.335の廣田克昭さんの記事も参照
していただきたい。
小社推薦日本三大民謡